すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
無駄な人生はありません。
無意味に生きられる人はいないのです。
無価値な人はいないのです。
すべてに意味があり、価値があるということを理解しなければなりません。
人生には、最善の経験が導かれるのです。
あなたは、最善の経験から学ぶことが出来るのです。
どのような経験にも感謝しましょう。
最善を否定してはなりません。
それでは、空しいのです。
人生を空しく生きてはなりません。
最善の経験に感謝しましょう。
それが、どのような経験であったとしても、あなたにとっては最善の経験です。
何一つとして無駄はありません。
無意味なことも、無価値なこともないのです。
それが、不幸に思えることでもです。
幸福や不幸というのは、個人的な偏見に過ぎません。
偏った見方をしている時に、幸福や不幸という価値観が生まれるのです。
満遍なく見ている時には、幸福や不幸という価値観は生まれません。
満遍なく見ている時には、良し悪しを気にすることはないのです。
満遍なく見ている時には、その経験が都合の良いものであろうとも、都合の悪いものであろうとも、有りの儘(まま)を受け入れ、感謝することが出来るのです。
感謝する時には、幸福や不幸などという偏りは存在しないのです。
感謝は、都合の良いことに対しても、都合の悪いことに対しても、同じように行われるものなのです。
都合の良いことだけに感謝することは出来ません。
それは、感謝ではないのです。
陰陽が合わさって感謝なのです。
片方だけでは、感謝ではないのです。
あなたは、偏見や誤解を手放さなければなりません。
幸福が良いもので、不幸が悪いものだと思い込んではなりません。
幸福も不幸も、必要であり、最善であるだけです。
必要であり、最善であるから導かれるのです。
それは、必要であり、最善の学びなのです。
ただ、それだけなのです。
幸福を喜び、不幸を嘆(なげ)いてはなりません。
人の幸福を妬(ねた)み、不幸を喜んではなりません。
誰もが幸福と不幸を受けなければならないのです。
幸福も不幸も避けることは出来ないのです。
誰もが、幸福な時もあれば、不幸な時もあります。
それは、当たり前なことであって、特別なことではありません。
幸福も不幸も受けなければならないのだから、幸福が良く、不幸が悪いということはないのです。
それは、晴れの日が良く、雨の日が悪いと言っているようなものなのです。
当然ながら、晴れの日と雨の日に良し悪しはありません。
どちらも最善であり、必要であるから存在しているのです。
晴れの日だけでは苦しむことになるのです。
雨の日だけでも同じように苦しむのです。
晴れの日と雨の日が存在するからこそ有り難いのです。
晴れの日が続けば、雨の日を求めるでしょう。
雨の日が続けば、晴れの日を求めるのです。
それは、どちらも大切であることを知っているからです。
しかしながら、多くの人は、幸福は大切にしますが、不幸は軽んじるのです。
あなたは、不幸も大切にしなければなりません。
なぜなら、不幸も最善であり、必要な学びだからです。
最善であり、必要な学びを無駄にしてはなりません。
不幸を軽んじるのであれば、人生は空しいのです。
あなたは、幸福と不幸を特別に扱ってはなりません。
晴れの日も雨の日も大切な一日なのです。
特別な一日など存在しないのです。
感謝して生きましょう。
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