すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
誰一人として、未熟を避けることは出来ません。
誰一人として、完全に生まれることは出来ないのです。
あなたは、自分自身が未熟であることを知りましょう。
そして、未熟を生きなければならないということを知らなければならないのです。
誰一人として、完全を生きることは出来ません。
すべての人は、未熟を生きるのです。
あなたは何も知らず、何も出来ません。
それは、仕方のないことなのです。
あなたは、思い上がってはなりません。
何かを知っているとか、何かが出来ると思い込んではならないのです。
あなたは常に未熟であり、知らないことや出来ないことの方が多いのです。
成長に対する意欲や、自らを磨く努力を手放してはならないのです。
自らが未熟であることを知らなければ、人は停滞してしまうのです。
そして、停滞は堕落(だらく)を実現するのです。
堕落とは、視野の喪失(そうしつ)です。
人は、成長することによって視野を広げるのです。
視野が広がれば、自分自身の役割や人生の目的が存在することが分かるのです。
更に視野を広げれば、自分自身の役割や人生の目的を理解することが出来るのです。
堕落してしまえば、自分自身の役割や人生の目的を見失ってしまいます。
それでは、人生は空しいのです。
残念ながら、多くの人は堕落しています。
多くの人は、自分自身の役割や人生の目的を知りません。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や責任を追い求めるように生きるのです。
それは、人生を空しくする生き方なのです。
自分自身の役割や人生の目的を見失った状態で、人生を豊かに生きることは出来ません。
なぜなら、何をすれば良いか分からないからです。
当てもなく彷徨(さまよ)うことは、空しいのです。
残念ながら、多くの人が人生を彷徨っているのです。
多くの人は、安定や安心を追い求めて、人生に空しさを実現します。
人生が空しい時というのは、安定や安心が続く時なのです。
残念ながら、未熟である多くの人には、このことが分かりません。
多くの人は、安定や安心こそが、人生に豊かさを実現すると思い込んでいるのです。
残念ながら、安定や安心は空しさを実現します。
なぜなら、安定や安心からは、何も学ぶことがないからです。
学ぶことがないから安定しているし、安心するのです。
そのような状態を続けていると空しさを得るのは自然なのです。
人生に豊かさを実現するためには、学びを得なければなりません。
学ぶ時、あなたは豊かさを得ます。
それは、視野が広がり、自分自身の役割や人生の目的に対する理解が深まるからです。
自分自身の役割や人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由です。
それを果たすこと以上の楽しみや喜びなど存在しないのです。
あなたが人生に豊かさを求めているのならば、学びを得なければなりません。
学びとは、知らないことを知ることです。
それは、安定や安心を手放すことなのです。
安定や安心を手放す時、あなたの目の前には問題や苦しみが実現します。
問題や苦しみは、人生や心を掻(か)き混ぜるのです。
多くの人は、それを嫌います。
しかしながら、楽しみや喜びや、成長や豊かさのためには、問題や苦しみによって人生や心を掻き混ぜなければなりません。
人生や心に動きがなければ、成長も視野の広がりも実現しないのです。
問題や苦しみが存在しなければ、自分自身の役割や人生の目的を理解することが出来ません。
問題や苦しみが存在しなければ、人生は空しいのです。
多くの人は、問題や苦しみを嫌い、安定や安心を求めます。
多くの人は、その選択が人生に空しさを実現していることを知りません。
目先のことに捕らわれては、人生は空しいままなのです。
人生には、問題や苦しみが実現した方が良いのです。
問題や苦しみの存在しない人生など退屈(たいくつ)で空しいのです。
問題や苦しみによって、人生や心には動きが生まれるのです。
問題や苦しみのおかげで、人生には、楽しみや喜びや成長や豊かさが実現するのです。
あなたは未熟なのです。
未熟者の考える最善や必要を信用してはなりません。
あなたは何も知らないのです。
思い上がってはなりません。
問題や苦しみも受け入れましょう。
あなたは、問題や苦しみの溢れる楽しい人生を生きなければなりません。
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