どのような人も、人生を思い通りに生きることは出来ません。
理想を生きられる人はいないのです。
すべての人が、思い通りにならない人生を生きなければなりません。
すべての人が、理想に辿り着くことが出来ないのです。
もしも、思い通りに生きていたとするなら、思い通りに生きたいとは願いません。
もしも、理想に辿り着いていたのなら、理想を追い求めることはないのです。
多くの人は、欲深く生きています。
欲深い人が、満足することはないのです。
多くの人は、満足することが出来ません。
そのため、多くの人は、いつまでも思い通りに生きることを望み、いつまでも理想の実現を願うのです。
多くの人にとっては、思い通りに生きて、理想を実現することが最高の人生なのです。
しかしながら、そのような人が最高の人生を得ることは出来ません。
なぜなら、人生を思い通りに生きることの出来る人はいないからです。
理想を実現することの出来る人もいないのです。
多くの人が追い求める最高の人生が得られることはないのです。
多くの人の思い描く理想とは、自分にとって都合の良い世界です。
多くの人は、自分にとって都合の良い世界を得ようとしているのです。
しかしながら、自分にとって都合の良い世界を得ることは出来ません。
なぜなら、それは歪んだ世界だからです。
この世界には、陰陽の仕組みが存在しています。
すべてには、陰と陽の表裏が存在するのです。
損と得の相対(そうたい)する二つのものが一つに結び付いているのが自然なのです。
それ等を分離することは、不自然を実現することになるのです。
人生を思い通りに生きて、理想を実現しようとする人は、自分にとって都合の良い世界を築こうとしています。
それは、不自然を築こうとしているということなのです。
不自然を実現したとしても満たされることはありません。
思い通りに生きて、理想を実現しようとする程に、空しさが育つのです。
多くの人は、懸命に空しさを育てているのです。
何をしても、損をするのが自然です。
都合の悪いことから逃れることは出来ないのです。
すべてには、都合の良いことと都合の悪いことがあるのです。
それが自然であり、最善なのです。
得ばかりを得ようとするのは間違いなのです。
何をしても損はするのです。
得だけを得ようとするから歪んでしまうのです。
歪んだ分だけ空しさは育つのです。
損得勘定に捕らわれていては、自然を生きることが出来ません。
損得勘定に捕らわれている人は、不自然を生きなければならないのです。
晴れた日が都合が良いといって、晴れた日ばかりを望むとどうなるでしょうか?
水は枯(か)れ、食べ物は無くなり、命まで失ってしまうのです。
都合の良い世界とは、そのようなものなのです。
雨の日は都合が悪いとしても、雨の日がなければすべてを失ってしまうのです。
人生には、都合の悪いことも必要です。
例えば、人生が思い通りになるとすれば、あなたが成長することはありません。
思い通りになるとすれば、それ以上成長する必要がないのです。
思い通りにならないからこそ成長することが出来るのです。
しかしながら、思い通りになるために成長するのではありません。
人生の目的を理解するために成長する必要があるのです。
都合の良いだけの世界を生きても、成長することは出来ません。
都合の悪いことからも学ばなければ、成長することは出来ないのです。
何をしても、損をします。
また、何をしても得をするのです。
損するだけのことも、得をするだけのこともありません。
何を損とし、何を得とするか?という見解があるだけです。
成長すれば、その見解は変わります。
何をしても、損だけを得ることも、得だけを得ることも出来ません。
何をしても損と得をするのです。
表面的な情報に惑(まど)わされてはなりません。
人生を深く見詰めなければならないのです。
損得勘定に捕らわれることなく、必要に従って生きましょう。
なぜなら、あなたには、果たさなければならない人生の目的が存在するからです。
目の前の快楽や欲望や責任を貪(むさぼ)るために生まれたのであれば、損得勘定に捕らわれて生きれば良いでしょう。
しかしながら、人生の目的というものは、そのような詰(つ)まらないことではないのです。
何のために生きているのか?を深く考えなければなりません。
損と得の両方を得ましょう。
それが自然なのです。
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