すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
どのような人生にも、果たすべき目的が存在しています。
目的の存在しない人生というものはありません。
なぜなら、目的がなければ理由がないからです。
人生に生まれ、それを生きる理由は、人生に目的が存在するからです。
それ以外に生きる理由はないのです。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
しかしながら、多くの人はそのことを知りません。
多くの人は、人生に果たすべき目的が存在することを知らないために、理想を追い求めてしまうのです。
多くの人にとっての理想とは、不安や心配の存在しない人生です。
そして、思い通りになって、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ることが出来るというものなのです。
多くの人の理想とは、人生の目的とは対極に位置するものと考えなければならないでしょう。
人生の目的を果たすためには、理想を諦(あきら)めなければなりません。
理想を諦めるということは、不安や心配を受け入れなければならないということです。
そして、思い通りに生きることや、目の前の快楽や欲望を貪ることを諦めるということなのです。
理想を否定すれば、人生の目的が見えてくるのです。
理想に執着(しゅうちゃく)している間は、人生の目的を知ることは出来ないのです。
そして、それを果たすことも出来ないのです。
人生の目的を無視して生きることは、空しく生きるということです。
理想を追い求めるというのは、空しく生きるということなのです。
残念ながら、多くの人はそのことを理解しません。
多くの人は、理想の先に豊かさが存在すると信じているのです。
そのため、傲慢(ごうまん)に生きるのです。
理想を追い求めることは、有意義な生き方のように思えるでしょう。
無知な者にとっては、理想を追い求める傲慢さは憧れの対象なのです。
なぜなら、それは能動的な生き方であるからです。
無知な者は、人生を自力によって切り開くことに憧れるのです。
しかしながら、自力によって人生を切り開いた結果は、空しさを得るというものなのです。
能動的に生きることは魅力的に見えるかも知れません。
しかしながら、それは自分勝手に生きているに過ぎないのです。
人生の目的を果たすためには、人生や宿命に対して受動的に生きる必要があります。
自分勝手に生きては、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生に豊かさを実現するためには、受動的に生きる必要があるのです。
安易(あんい)に自分勝手に生きている者に憧れを抱いてはなりません。
自分勝手に生きている者は、必要以上を欲する欲深い者なのです。
自分勝手に生きている者は、器から溢れるものまで欲するのです。
器から溢れるものは、余計なものです。
残念ながら、器から溢れるものには価値がないのです。
自分勝手に生きている者には、そのことが分からないのです。
自分勝手に生きている者は、より多くを手に入れることが優れていると信じています。
自分勝手に生きている者には、器から溢れ、地に落ちたものまで欲する卑(いや)しさがあるのです。
品性を欠いた行為で豊かさを得ることは不可能です。
品性を欠けば、何をどれだけ手に入れようと空しいのです。
あなたが豊かさを求めるのであれば、品性を保たなければなりません。
器に溜まる分で満足しなければならないのです。
器以上に求めても、空しいだけなのです。
器から溢れるものを欲しても意味がありません。
器から溢れるものに価値はないのです。
意味と価値がないから溢れたのです。
それを得ようとするから空しいのです。
余計なものは豊かさの障害です。
余計なものは手放しましょう。
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