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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2020年9月30日水曜日

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことが、生まれた理由なのです。
それ以外の理由はありません。
あなたは、人生の目的を果たさなければならないのです。
すべての人が、人生に目的を以て生まれます。
誰一人として、人生に目的もなく生まれることは出来ないのです。
どのような人物にも、果たすべき目的が存在するということを理解しましょう。
無駄に生まれる人はいません。
この世界に無駄に生まれることは出来ないのです。
すべてに意味があり、すべてに価値があるということを理解しなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
これは、とても重要なことなのです。
なぜなら、人生の目的を果たす以外に、満足を得る方法はないからです。
すべての人が、満足を求めています。
しかしながら、多くの人は満たされません。
多くの人は、不満を抱えながら生きなければならないのです。
それは、人生の目的を考えないからです。
多くの人は、人生の目的を考えずに生きています。
目の前の状況に意味や価値を見出すことが出来ずに、不貞腐(ふてくさ)れているのです。
多くの人は、不平不満と共に暮らしています。
多くの人は、現状が気に入らないのです。
より良いものや状態が存在すると信じ、それを探し続けているのです。
残念ながら、目の前に導かれる現状は最善です。
それ以上に良いものなど存在しないのです。
どこを探しても無駄です。
現状よりも良いものなど、どこを探しても見付かりはしないのです。
それが、どのような現状であったとしても、それが最善であり、最良であるということを理解しなければならないのです。
なぜなら、自分が”今”を選んだからです。
あなたの目の前に存在する状況は、あなたが自分で選んだ結果です。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
因果の仕組みとは、すべての結果には、それに相応しい原因が存在するというものです。
人生における原因は、あなた自身です。
自分が原因となり、人生を形成するのです。
目の前に存在する現状は、あなたが選んだものなのです。
それは、あなたに相応(ふさわ)しいということを理解しなければなりません。
あなたが、”今”を選んだのです。
他の誰かや何かによって選ばれた訳ではありません。
選択肢は幾らでもあったのです。
無数の選択肢の中から、あなたが自分で現状を選んだのです。
自分で選んだにもかかわらず、不平不満を吐いてはなりません。
それでは、辻褄(つじつま)が合わないのです。
これは、あなたの人生です。
人生は、あなたに合わせて展開(てんかい)するのです。
原因は、自分です。
他の誰かや何かが、あなたの人生を築いているのではありません。
すべては、あなたに相応しい展開なのです。
それは、あなたに人生の目的を果たさせるために相応しい展開です。
人生は、あなたに目的を果たさせようとしているのです。
しかしながら、あなたはそのことを理解しません。
未熟に生まれたあなたは、人生の意図(いと)を理解することが出来ず、最善に反抗するのです。
すべては最善です。
あなたがそれを信用するかどうか?はどうでも良いことなのです。
あなたがどう考えようが、事実は事実だからです。
自分が現状を選んだのです。
あなたは、どのような現状も、ただ真っ直ぐに歩みましょう。
どのような現状においても、あなたは人生を、自分を全(まっと)うしなければなりません。
あなたは、不平不満を抱えながら生きてはなりません。
人生を空しく生きてはならないのです。
現状を受け入れましょう。
そして、現状から学びましょう。
あなたには、果たすべき目的が存在しているのです。
自分が選んだ”今”を蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
”今”以上に良いものなどありません。
あなたは、”今”から懸命に学びを得ましょう。
そして、人生の目的を果たしましょう。

2020年9月29日火曜日

愚者

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由なのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生きているのです。
しかしながら、人生の目的を果たすことは、誰にとっても容易(ようい)ではありません。
なぜなら、すべての人が未熟に生まれるからです。
すべての人が未熟なのは、無知であるからです。
無知によって、すべての人が未熟なのです。
残念ながら、あなたは知りません。
あなたは、知らずに生きているのです。
知らないために様々な問題を引き起こすのです。
問題を引き起こすのは、無知であるからです。
本質を知らないからこそ、問題を引き起こすのです。
問題が、誰かや何かによって引き起こされていると考えるのであれば、自らの愚(おろ)かさを恨(うら)まなければなりません。
問題は、自分自身が引き起こすのであって、誰かな何かによって引き起こされるのではありません。
あなたが未熟であり、無知であり、本質を見失っているからこそ、問題を引き起こすのです。
あなたが成熟し、知恵を以て本質を見極めているのであれば、問題など引き起こす必要はないのです。
問題によって苦しむのは自分自身です。
あなたの問題によって苦しむのは、自分だけなのです。
あなたの問題によって苦しむ他者はいません。
あなたは、自分で自分を苦しめているということを理解しなければならないでしょう。
あなたが成熟し、知恵を以て本質を見極めているのであれば、苦しむ必要はないのです。
本質を見失っているからこそ、苦しむということを知らなければなりません。
本質を見失うのは、無知であるからです。
無知であることは、愚かなことなのです。
愚者は本質を見失い、問題を引き起こします。
問題ではないことも、問題にしてしまうのです。
そして、苦しむのです。
あなたが苦しんでいるのであれば、自らの愚かさを理解しなければなりません。
あなたが愚かであるから、苦しんでいるのです。
それ以外の理由は存在しないのです。
しかしながら、それを説明したところで、愚者には受け入れられません。
愚者を説得することは出来ないのです。
それは、本質を見失っているからです。
どれだけ丁寧に説明しても、理解しません。
愚者は、その愚かさから自分が正しいと思い込んでいるのです。
愚者は、自分の間違った主張を貫(つらぬ)くのです。
愚者は、自分が間違っていることを認めません。
愚者は、他者が間違っていると思い込んでいるのです。
苦しんでいるのが自分自身であるにもかかわらずにです。
苦しんでいるのが自分自身であるのならば、間違っているのは自分自身なのです。
そのような簡単なことも分からないのです。
それは、無知だからです。
無知であるが故(ゆえ)に、理解することが出来ないのです。
無知は、想像力を弱めます。
無知では、想像力を働かせることが出来ないのです。
そのため、愚者には、目の前のことしか見えません。
愚者には、その先のことが想像出来ないのです。
そのため、自分の主張を変えることが出来ないのです。
想像力を働かせることが出来れば、自分の主張が間違っていることに気が付くことが出来るのです。
自分の主張が間違っていることに気が付けば、より良い考え方に辿り着くことが出来るのです。
自分の主張に固執(こしゅう)しているのであれば、現状よりも良い状態を得ることは出来ないのです。
苦しんでいる人は、苦しみ続けなければならないのです。
無知が愚者を作ります。
知らないことは苦しみなのです。
あなたが苦しんでいるのは、知らないからです。
あなたが苦しんでいるのは、あなたが愚かだからです。
誰かや何かの責任ではありません。
問題は、自分自身なのです。
あなたは、愚かに生きてはなりません。
詰(つ)まらない考えに執着(しゅうちゃく)してはなりません。
自分が知らないということを覚えておきましょう。
それは、とても簡単なことです。
自分が間違っていることを認めれば良いだけなのです。
愚者は、苦しまなければなりません。
それは、苦しまなければ、持論(じろん)を撤回(てっかい)しないからです。
あなたは、自分が知らないということを理解しましょう。
本質を見極めなければなりません。
自分が無知であるということを受け入れましょう。
先ずはそこから始めましょう。

2020年9月28日月曜日

流れ

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
人は、それぞれに異なる目的を以て生まれます。
あなたには、あなただけの果たすべき目的が存在しています。
あなたは、それを果たさなければなりません。
あなたでなければ、果たすことが出来ないのです。
これは、あなたの人生です。
その目的は、あなたでなければ果たすことが出来ないのです。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
人生の目的を果たすことが、あなたが生まれた理由なのです。
人生の目的を果たすことは、人生において最も重要な仕事なのです。
人生の目的を果たすためには、人生を理解しなければなりません。
人生には、逆らうことの出来ない”流れ”が存在しているのです。
どのような人物の人生にも、この”流れ”は存在しています。
そして、すべての人は、”流れ”に従って生きなければならないのです。
”流れ”に逆らうことの出来る人はいません。
どのような人物も、”流れ”に従わなければならないのです。
あなたが、どのように強靭(きょうじん)な肉体と精神力を持っていたとしても、流れに反して泳ぎ続けることは出来ません。
どのような人物も、流れに逆らうことは出来ないのです。
”流れ”は無限です。
しかしながら、体力や精神力は有限なのです。
初めは逆らうように生きることが出来たとしても、やがては力尽きて流されてしまうのです。
”流れ”に逆らい続けることは出来ないのです。
あなたは、人生の”流れ”を理解しましょう。
あなたは、”流れ”に従って生きなければならないのです。
どのように努めても、宿命に逆らうことは出来ません。
”流れ”とは、食い止めることの出来ない人生における必要なのです。
人生には、必要が導かれるのです。
あなたは、必要に従って生まれ、必要に従って生きなければなりません。
誰一人として、必要を離れて生きることは出来ないのです。
必要とは、水のようなものです。
水を飲まなければ、すぐに苦しみが襲うのです。
水を飲まなければ、命を失ってしまうのです。
あなたは、目の前に導かれる必要が、命の水だと理解しましょう。
命の水は、飲まなければなりません。
必要を拒否してはならないのです。
大切なのは、”流れ”に従って生きることです。
人生の目的を果たすためには、”流れ”に従って生きるしかないのです。
”流れ”に逆らって生きることは、問題を引き起こし、苦しみに陥(おちい)るでしょう。
それでは、人生は空しいのです。
すべての人には、果たさなければならない目的があるのです。
あなたは、目的を果たすために生まれたのです。
宿命は、避けられないのです。
あなたは、自らの役割を受け入れ、”流れ”に従って生きましょう。
残念ながら、”流れ”はあなたにとって都合の良いものではありません。
”流れ”と思惑や理想というものは異なるのです。
多くの人は、”流れ”を受け入れることが出来ません。
多くの人は、”流れ”に逆らって生きたいと思うのです。
それは、未熟であるからです。
自分を受け入れることが出来ないために、宿命に反発するのです。
大切なのは、受け入れるということです。
必要とは、必ずしも都合の良いものではありません。
都合の悪い必要も存在するのです。
都合に関係なく受け入れなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
”流れ”に従って生きることは、誰にとっても難しいということを覚えておきましょう。
あなたは、多くの人と同じように”流れ”に逆らってはなりません。
多くの人は、人生に空しさを覚えているのです。
多くの人は、自分が何か?を知らず、自分が何をしているのか?分からないのです。
それを幸福だと思い込んでいますが、結局は、その空しさに気が付くのです。
あなたは、空しく生きるために生まれたのではありません。
人生の目的を果たし、豊かさを実現しましょう。
”流れ”に従えば、人生の目的を果たすことが出来るのです。

2020年9月27日日曜日

自分を生きる

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
誰一人として、人生の目的を無視して生きることは出来ないのです。
あなたには、果たさなければならない目的が存在するのです。
あなたは、それを理解しなければなりません。
無意味に生まれることの出来る人はいません。
無価値な人生を生きることの出来る人はいないのです。
どのような人生にも意味があり、価値があるということを理解しましょう。
あなたは、人生に意味と価値を探しましょう。
人生に意味と価値を探すことによって、あなたは、人生に目的が存在することに気が付くのです。
人生の目的に気が付いたとしても、それだけでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすためには、それに相応しい役割を果たす必要があるのです。
人生の目的を果たすためには、それに相応しい役割を果たさなければなりません。
役割を果たすことによって、目的を果たすことが出来るのです。
人生に意味と価値を探すことは、自分の役割を探すことなのです。
あなたは、自分の役割を見出さなければならないのです。
誰もが、必要な役割を与えられているのです。
役割を果たすためには、それに相応しい能力を発揮しなければなりません。
すべての人は、必要な役割を果たすために、それに相応しい能力を与えられているのです。
あなたには、特別な能力が与えられています。
それが特別なのは、他の人と同じ能力ではないからです。
誰もが、特別な能力を与えられているのです。
重要なのは、それを発揮することなのです。
与えられた能力は、あなたの都合には関係ありません。
あなたがそれを気に入ろうが、嫌に思おうが、その能力が与えられたのです。
それは、人生の目的や役割に対して相応しいのです。
与えられた能力を変えることは出来ません。
与えられた能力は、生涯を通じて所有しなければならないのです。
それは、人生の目的を果たすためには、生涯という時間が必要だからです。
あなたは、与えられた能力を発揮しなければなりません。
そして、与えられた役割を果たさなければなりません。
そして、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由なのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
そのために、能力を発揮する必要があるのです。
自分を磨くことです。
それは、努力を重ねることなのです。
人生の目的を果たすことは、何よりも根気(こんき)のいる作業です。
人生の目的を果たすためには、自分を磨くこと、努力を重ねることは必要不可欠なのです。
あなたは、自分を磨き、努力を重ねることで、能力を発揮することが出来ます。
自分を磨き、努力を重ねることで、あなたは自分に成ることが出来るのです。
与えられた能力を超えることは出来ません。
桜として生まれたのであれば、桜の花を咲かせなければなりません。
菫(すみれ)として生まれたのであれば、菫の花を咲かせなければならないのです。
与えられた能力を発揮することによって、役割を果たすことが出来ます。
桜として生まれたのであれば、桜の花を咲かせることが能力であり、役割なのです。
菫として生まれたのであれば、菫の花を咲かせることが能力であり、役割なのです。
能力や役割がどのように役立つか?を考える必要はありません。
桜も菫も、花を咲かせることに専念しているのです。
詰まらない邪念(じゃねん)によって、努力を疎(おろそ)かにしてはなりません。
桜が菫の花のことを考える必要はありません。
菫が桜の花のことを考える必要なないのです。
あなたは、自分を磨きましょう。
そして、その努力を怠(おこた)ってはならないのです。
あなたは自分に成り、人生の目的を果たすのです。
誰かと同じように生きても、能力を発揮することは出来ません。
あなたは、自分を生きましょう。
自分の能力を否定してはならないのです。
それが、どのような能力であろうとも、それを発揮しなければなりません。
能力も役割も目的も選ぶことは出来ません。
それは、人生を始める前に既に決められているものなのです。
宿命は、受け入れなければなりません。
宿命を否定しては、自分に成ることは出来ないのです。
宿命とは、目の前の現実のことです。
それが、どのような現実であろうとも、受け入れなければならないのです。
現実を受け入れることに意味があります。
現実を受け入れることに価値があるのです。
あなたは、目の前の現実から自分を学びましょう。
目の前の現実によって自分を磨くのです。
あなたは、目の前の現実から始めなければなりません。
それを否定することでは、自分に辿り着くことは出来ないのです。

2020年9月26日土曜日

やりたくないこと

あなたは、人生を思い通りに生きることは出来ません。
残念ながら、人生を思い通りにすることは出来ないのです。
人生は、思い通りにはなりません。
あなたは、人生を思い通りにすることを諦めなければなりません。
どれだけ努めても、決して思い通りにはなりません。
人生とは、そのようなものです。
あなたは、人生を思い通りに生きるために生まれたのではありません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
目的は、いつもあなたの思い通りにはなりません。
どのような目的も、あなたの思惑(おもわく)とは異なるということを理解しなければなりません。
人生の目的が、あなたの思い通りになるはずがありません。
人生の目的は、あなたにとっては都合の悪いものなのです。
それは、あなたが未熟に生まれるからです。
人生の目的を決めたのは、今のあなたではありません。
因果の仕組みが支配するこの世界においては、人生の目的は人生の原因として、人生を始める前に決めなければならないのです。
人生という結果を実現するためには、人生の目的という原因が必要なのです。
人生を始める前のあなたが、人生の目的を決めました。
しかしながら、今のあなたは別人です。
あなたは、自分が何か?すら知らない状態なのです。
あなたは、未熟に覆(おお)われて、自分が何か?分からないのです。
あなたには、人生の目的が分かりません。
何をすれば良いか?
何が必要なのか?
あなたには分からないのです。
残念ながら、人生における必要と最善は、あなたの理想とは異なります。
それは、あなたが未熟によって覆われているからです。
未熟なあなたは、自分勝手な理想を掲げてしまいます。
人生における必要と最善は、理想とは異なってしまうのです。
残念ながら、あなたの理想は、あなたにとっての必要と最善ではありません。
あなたの理想と人生の目的とは、異なっているのです。
人生の目的を果たすためには、理想を追い求めてはなりません。
人生を思い通りにしようと努めることは、必要でも最善でもないのです。
思い通りにならない人生を受け入れることが、あなたにとっての必要であり最善なのです。
あなたは、思い通りにならない人生を受け入れましょう。
あなたが、人生の目的を果たすためには、やりたくないこともやらなければなりません。
残念ながら、あなたは、やりたくないこともやらなければなりません。
あなたは、やりたくないことをやるために生まれたのです。
やりたいことをやるために生まれることには意味がないのです。
やりたいことをやることは、生まれる前にいつでも出来ることなのです。
人生では、やりたくないことを経験することが出来るのです。
あなたは、やりたくないこともやらなければなりません。
例えば、殺したくなくても、殺さなければなりません。
あなたの命は、他の命によって築かれているのです。
他の命を奪わずに、命を存続することは出来ません。
あなたは、殺したくなくても、殺さなければならないのです。
あなたは食べるために殺しているし、生きるために殺しています。
例えば、あなたの体内では、免疫(めんえき)が働いて、健康維持のために都合の悪い菌やウイルスを数え切れない程殺しているのです。
あなたは、殺さなくても殺しているのです
これと同じように、やりたくないこともやらなければならないのです。
残念ながら、やりたくないことを拒絶することは出来ません。
それでは、生まれた意味がないのです。
この世界では、やりたくないことを体験することが出来るのです。
それは、とても尊(とうと)いことだと理解しなければなりません。
あなたは、人生において体験することが出来ることのために生まれたのです。
そうでなければ、わざわざ生まれる意味がないのです。
人生は、決して思い通りにはなりませんが、それで良いのです。
あなたは、やりたくないことをやらなければなりません。
それを、悪いことだと考えてはなりません。
人生を思い通りにしようとするのは、未熟者の発想です。
それは、傲慢(ごうまん)なのです。
人生を思い通りに生きたとしても、残念ながら、人生の目的を果たすことは出来ません。
やりたくないことをやらなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生を思い通りにしようと努めている間は、人生の目的を果たすことが出来ないということを理解しましょう。

2020年9月25日金曜日

嫌悪

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
あなたは、自分が人生の目的を果たすために生まれたということを覚えておきましょう。
人生の目的を果たすことは、何よりも重要な仕事なのです。
人生の目的を果たすこと以上に重要なことはないのです。
夢や理想も、人生の目的の前では霞(かす)んでしまうでしょう。
人生の目的以上に価値のあるものは存在しないということを理解しなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすために生きているということを理解しましょう。
人生は、あなたに人生の目的を果たさせるためのヒントを導きます。
あなたは、人生の導きによって、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生に従(したが)って歩めば、人生の目的を果たすことが出来るのです。
人生は、あなたが人生の目的を果たすための必要を導くのです。
人生において、無意味なことや無駄なこと、無価値なことはありません。
それが、どのような経験であったとしても、何等かの意味があり、何等かの価値があるのです。
あなたは、そこに意味と価値があるということを忘れてはなりません。
例えば、多くの人は、嫌悪を否定(ひてい)します。
嫌悪が悪いことだと思い込んでいるのです。
それは、多くの人が、幸福が良いものと教わって来たからです。
多くの人は、幸福を得ることが最善だと信じています。
多くの人は、幸福に対する信仰を持っているのです。
幸福を得ることが、人生の目的だと思っているのです。
そのため、嫌悪を嫌うのです。
嫌悪は、幸福ではありません。
そのため、嫌悪を否定し、排除(はいじょ)しようとするのです。
多くの人は、嫌悪を乗り越えようとしているのです。
幸福を得るためには、それは最善の方法かも知れません。
なぜなら、嫌悪が存在しないことが幸福だからです。
しかしながら、あなたは幸福を得るために生まれたのではありません。
幸福に生きることが目的ではないのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのであって、幸福を得るために生まれた訳ではないのです。
必ずしも、嫌悪を克服(こくふく)する必要はありません。
避けなければならないことは、避けなければならないのです。
乗り越えることだけが最善ではありません。
嫌悪を避けなければ、辿り着くことの出来ない目的地も存在するのです。
強くあることが良いとは限りません。
弱くあることが良いこともあるのです。
あなたの目的は、人生の目的を果たすことです。
あなたは、人生の目的を果たすことが出来れば良いのです。
嫌悪を克服することが目的ではありません。
強く成ることが目的ではないのです。
人生の目的を果たすためには、必ずしも強くある必要はありません。
嫌悪に負けて、歩みを歪めても構わないのです。
真っ直ぐに歩むことが人生の目的ではありません。
目的地に辿り着くためには、様々な道を歩まなければならないのです。
真っ直ぐに歩むことが出来れば良いですが、そのような人ばかりではありません。
嫌悪によって、道を歪める必要のある人もいるのです。
強くあることだけが最善ではありません。
嫌悪を乗り越えることに執着してはなりません。
避けることは悪いことではありません。
迂回(うかい)も重要な選択肢の一つです。
嫌悪は、あなたを人生の目的地へと導くのです。
しかしながら、すべての嫌悪がそうする訳ではありません。
違いを見極めることは難しいでしょう。
あなたは、すべての嫌悪を克服する必要はありません。
避けなければならないことは、避けた方が良いのです。
弱い自分を責めてはなりません。
弱いことが最善の場合もあるのです。
嫌悪を避けて進みましょう。
乗り越えることだけが正しいのではありません。
嫌悪も人生の導きです。
安易(あんい)に否定してはなりません。
嫌悪も大切にし、その意図を汲(く)み取りましょう。

2020年9月24日木曜日

空しさの淵

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことが、あなたが生まれた理由なのです。
人生の目的を無視することは出来ません。
誰もが、人生の目的を果たす必要があるのです。
なぜなら、人生の目的を果たすことがなければ、決して満たされることはないからです。
人生の目的を果たすことがなければ、空しく生きなければなりません。
空しく生きることによっては、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすためには、それに相応(ふさわ)しい熱意が必要なのです。
熱意がなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
空しさを抱えている時には、熱意を抱くことが出来ません。
空しさを抱えている時には、力を発揮することは出来ないのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
人生の目的を果たすことがなければ、満たされることはありません。
人生の目的を果たす時というのは、人生を終えた時です。
人生が残っている時には、その目的を果たしたかどうか分からないのです。
そのため、人生において完全に満たされる人はいません。
どのような人生を生きても、生きている時に完全に満たされる人はいないのです。
誰もが、満たされずに生きなければなりません。
それは、仕方のないことなのです。
しかしながら、空しさから少しでも離れるように生きることは出来ます。
人生の目的を果たすことによって豊かさを得られるのです。
それは、人生の目的に近付くことによって満足へと近付くということを意味しているのです。
人生の目的から遠ざかると、空しさに近付いてしまうのです。
あなたは、人生の目的に近付くような生き方をしなければなりません。
少しでも、心が満たされるように生きなければならないのです。
あなたは、少しでも心が満たされるような生き方をしましょう。
無理をして、消耗(しょうもう)するような考え方や生き方をしてはならないのです。
無理をして生きてはなりません。
心が空しさを覚えるような考え方や生き方を続けてはならないのです。
様々な事情があることは分かっています。
しかしながら、それでも空しい考え方や生き方を続けてはならないのです。
どちらにしても、心を空しくするような考え方や生き方を続けることは出来ません。
それは、悩みや不仲や病などの様々な問題を人生に対して引き起こすからです。
無理をする考え方や生き方は、人生に問題を引き起こすのです。
人生における問題は、人生の目的からあなたを遠ざけるのです。
多くの人は、人生の問題に対して向き合っています。
目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ることや、不満や不安に対処することなど、様々な問題を抱え、それ等に向き合っているのです。
多くの人は、お金を手に入れることによって、人生の問題が解決すると思っています。
そのため、多くの人は、お金のために無理をしたり、消耗したりしているのです。
どれだけの富を手に入れたとしても、人生の目的を果たすことは出来ません。
お金では、人生の目的を買うことは出来ないのです。
多くの人は、多くの問題をお金で解決することが出来ると思い込んでいます。
そのため、お金を手に入れるために生きているのです。
お金で解決することの出来る問題は多くありますが、問題の本質を解決することは出来ません。
どれだけ多くの富を手に入れたとしても、人生が空しいことに変わりはないのです。
多くの人は、お金を使って、空しさを誤魔化(ごまか)そうとしているに過ぎません。
お金によって目の前の快楽や欲望を買い、空しさを慰(なぐさ)めるのです。
しかしながら、それもすぐに空しくなってしまうので、更に買い、慰めなければならないのです。
多くの人は、お金で目の前の快楽や欲望を買い続け、自らを慰め続けているのです。
出来る限り、空しさを遠ざけ、その淵(ふち)に陥(おちい)らないように努めているのです。
しかしながら、人生の時間が少なくなると、お金では空しさを誤魔化せないということに気が付くのです。
それは、薬のように、徐々に効力を失ってしまうのです。
残念ながら、人生の目的をお金で買うことは出来ません。
金儲けに専念している者には、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
大切なのは、人生の目的を探すことです。
それは、内向的な作業なのです。
果たすべき人生の目的は、外に探しても見付かりません。
それは、内に存在しているのです。
心を満たすような考え方や生き方をしなければ、内に存在する人生の目的を見出すことは出来ないのです。
金儲けなどの外向的な作業に専念していれば、無理をしたり、消耗することになるのです。
それでは、空しいのです。
いつまでも、空しい考え方や生き方を続けてはなりません。
人生の目的を果たす以上に価値のあることはないのです。
お金に翻弄(ほんろう)されるような詰まらない考え方や生き方に支配されてはなりません。
人生の目的が、そのような詰まらないものであるはずがないのです。
心が満たされる考え方や生き方をしましょう。
答えは内に存在しているのです。
あなたは、内に答えを探しましょう。

2020年9月23日水曜日

悟り

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生には、果たすべき目的があります。
誰一人として、無意味に生きることは出来ないのです。
どのような人物の、どのような人生にも意味があり、価値があるのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生は、学びの場所です。
あなたは、大いに学ばなければなりません。
学ぶことによって、成長を実現する必要があるのです。
人生の目的を果たすためには、成長する必要があります。
現状のままでは、人生の目的を果たすには力不足なのです。
人生の目的を果たすことが出来る力を得るまでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
単純であり、当たり前のことですが、多くの人は、それを忘れてしまうのです。
成長とは、本質へ向かうということです。
多くの人の考えるように、傲慢(ごうまん)や強欲を育むということではありません。
残念ながら、多くの人は、歳を重ねる程に傲慢や強欲が育つのです。
多くの人は、それを成長だと思い込んでいるのです。
本質とは、悟りのことです。
最も深いところには、悟りが存在するのです。
あなたは、悟りを得るために生きているのです。
悟りを得るために成長しているということを覚えておきましょう。
悟りとは、この世の理(ことわり)に気が付く能力のことです。
最も重要なことを見極める力のことなのです。
悟りを得た人は、多くの人の求める価値を追い求めはしません。
悟りを得た人は、本質を求めるのです。
本質を得るためには、最善を理解する必要があります。
人生には、最善が導かれていますが、多くの人にはそのことが分かりません。
多くの人は、目の前の状況を嫌悪し、否定するのです。
それは、自分にとって都合が悪いからです。
多くの人は、自分の都合で判断しています。
自分にとって都合の良いことを最善だと考えているのです。
残念ながら、あなたの都合と最善には、関わりがありません。
あなたにとって都合の悪いことでも、あなたにとって最善であることもあるのです。
あなたは、自分の都合で判断してはなりません。
人生には無駄は存在しません。
それが、どのようなことであろうとも、重要な意味と価値があるのです。
目の前に導かれる状況は、それがどのようなものであれ、あなたにとって最善だと理解する必要があるでしょう。
残念ながら、自分の都合で生きたとしても、悟りを得ることは出来ません。
良いことばかりを追い求めても、悟りを得ることは出来ないのです。
多くの人は、幸福を追い求めています。
幸福であることが最善だと思い込んでいるのです。
しかしながら、幸福とは、偏(かたよ)りに過ぎません。
幸福を得ることは気分が良いのです。
しかしながら、それでは理解を深めることが出来ません。
幸福だけではなく、不幸も得ることによって理解は深まるのです。
人生には、都合の良いことばかりではありません。
都合の悪いことも多く存在するのです。
悟りを得るためには、どちらも大切な学びです。
どちらか一方が重んじられ、どちらか一方が軽んじられて良い訳ではないのです。
あなたは、学びを選(よ)り分けてはなりません。
都合の悪いことも、あなたにとっての必要であり、最善なのです。
あなたが悟りを得るためには、人生を信じる必要があるのです。
人生の導く学びを信じることが出来なければ、思い通りに生きようとするのです。
それは、傲慢や強欲を育てる生き方なのです。
それでは、心は汚れてしまうのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ることを幸福だと考えています。
しかしながら、それでは、心は汚れ、悟りからは遠ざかってしまうのです。
目の前の快楽や欲望で心を汚した者には、最善が見えないのです。
思い通りにならないことも最善であるにも関わらず、それを理解することが出来ずに争うのです。
それでは、問題や苦しみが増すだけなのです。
人生は、最善を導いています。
あなたが悟りを得て、人生の目的を果たすためには、人生を信じる必要があるということを覚えておきましょう。
人生は、思い通りにならなくても良いのです。
悟りを得て、人生の目的を果たすことが出来れば、それ以外のことがどのような状態であっても良いということを覚えておきましょう。
それが、悟るということなのです。

2020年9月22日火曜日

人生の謎

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
誰一人として、未熟を離れることは出来ません。
未熟は、無知によって生じます。
残念ながら、あなたは何も知らないのです。
あなたは、何も知らずに生きなければなりません。
人生においては、何も知らないところから始めなければならないのです。
人生は、誰にとっても謎です。
すべての人生には謎が多いのです。
あなたは、人生の謎を解かなければなりません。
謎をそのままにしてはなりません。
なぜなら、謎をそのままにしておくと、あなたは後悔することになるからです。
何も知らずに生きてはならないのです。
あなたは、何のために生まれるのでしょうか?
それは、大きな謎なのです。
あなたは、自分が何のために生まれたのかも分からないのです。
何のために生まれたのか?を知らなければ、何をすれば良いか?も分からないのです。
それは、迷いの生存となり、悩みが付き従(したが)うでしょう。
すべての人は、悩みと共に生きているのです。
それは、自分が何のために生まれたのか?という謎を抱えているからです。
謎を抱えたままでは、悩みを手放すことは出来ません。
謎は、悩みなのです。
あなたには、解き明かさなければならない謎があるのです。
自分とは何なのか?
これは、人生において最も重要な謎の一つなのです。
自分とは何なのか?あなたはその答えを探し続けなければなりません。
謎を解くためには、様々なことを学ばなければなりません。
様々なことを学ばなければ、謎は解けないのです。
あなたは、謎が解けるまで学び続ける必要があります。
謎が解けないのは、学びが不足しているからです。
どのようなことでも構いません。
知らないことを知ることが学びなのです。
未知に触れ、理解を深めるのです。
そうすれば、謎は解けるのです。
しかしながら、人生の謎を解くことは容易(ようい)ではありません。
理屈(りくつ)では簡単でも、現実には難しいのです。
あなたには、知らないことが多過ぎます。
自分が何か?も分からず、何のために生まれたのか?も分からないのです。
あなたは、最も根本的なことが分からないのです。
謎は、簡単なところから解いていかなければなりません。
あなたは、身近な謎を解き明かしましょう。
どのような謎でも構いません。
知らないことを知るのです。
出来ないことを出来るようにするのです。
小さなことの積み重ねが重要なのです。
いきなり大きなことを成すことは出来ないのです。
あなたは、目の前の小さな謎を解きましょう。
小さな謎を解くことの出来ない者には、大きな謎を解くことは出来ないのです。
あなたの目の前には、小さな謎が転がっています。
あなたには、知らないことの方が多いのです。
知っていることは少ないのです。
知っていると思っているものも、知らないのです。
謎は尽きません。
一つ一つのことが謎なのです。
この世界には、謎でないものはありません。
あなたは、何も知らないのです。
それは、すべてが謎であるということを意味しているのです。
あなたには、解き明かさなければならない謎がいくらでもあります。
自分が何かを知ったつもりでいてはなりません。
残念ながら、あなたは何も知らないのです。
人生の謎を解くことは容易ではありません。
しかしながら、小さな謎解きを繰り返していれば、いつか人生の謎は解けるのです。
あなたは、謎と向き合いましょう。
自分が未熟であり、無知であるということを忘れてはなりません。
それは、自分が未熟や無知であると理解していれば、謙虚(けんきょ)に学ぶことが出来るからです。
謎を解きましょう。

2020年9月21日月曜日

得と徳

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生に、目的もなく生まれることの出来る人はいないのです。
どのような人物であろうとも、果たすべき目的を以て生まれるということを理解しましょう。
大切なのは、目的を果たすことです。
あなたは、人生の目的を果たす必要があるのです。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を知らなければなりません。
人生の目的を知るためには、自分を知らなければならないのです。
自分を知ることなく、人生の目的を果たすことは出来ません。
なぜなら、人生の目的を果たすのは、自分だからです。
人生の目的は、自分が果たすということを覚えておきましょう。
あなたは、自分によって人生の目的を果たさなければなりません。
自分とは、本質のことです。
それは、あなたの認識が及ぶようなものではありません。
残念ながら、あなたは、自分を知らないのです。
自分を知らない者には、人生の目的も知らないのです。
大切なのは、自分を知ることです。
自分を知れば、自ずと人生の目的を見出すことが出来るでしょう。
しかしながら、多くの人は、自分を知ろうとはしません。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や責任を貪(むさぼ)ることに懸命なのです。
それが、苦しみを導き、空しさに辿り着くとしても、目の前の快楽や欲望や責任を無視することは出来ないのです。
多くの人にとって、目の前の快楽や欲望や責任は魅力的なのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や責任を貪るために、利己的に生きているのです。
多くの人は、得することを考えているのです。
多くの人は、得をすることが最善だと考えているのです。
人生における最善とは、得をすることではありません。
得とは、利益のことです。
多くの人は、利益を得ることを最善だと考えています。
一見すると、利益を得ることは良いことのように思えます。
損をすることよりも、得をすることの方が良いと思うのが”普通”なのです。
大切なのは、何のために生まれたのか?ということです。
あなたが生まれたのは、人生の目的を果たすためです。
あなたが生まれたのは、利己的に得をするためではないのです。
得とは、個人的な価値観です。
それは、とても小さな価値観なのです。
多くの人が得をしようと利己的に生きているのは、不安を抱えているからです。
多くの人は、不安を覆(おお)い隠すために利益を得ようとするのです。
利益を得ると、多くの人は喜びを覚えます。
それは、不安を忘れさせるのです。
利益によって不安が消えるのです。
多くの人にとって、不安が消えるということは、とても重要なことなのです。
そのため、多くの人は、不安が消えるその方法を最善だと考えるのです。
しかしながら、それは一時的なものに過ぎません。
利己的な得によって実現する安心は、一時的なものに過ぎないのです。
それは、本質的な方法ではないからです。
あなたは、利益を得るために生きているのではないのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生きているのです。
人生の目的を果たすためには、得を取らずに徳を取らなければなりません。
利己的にではなく、利他的に生きなければならないのです。
自分のために生きることは、人生の目的を果たす道ではありません。
自分のために生きることは空しいということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは、自分のために生まれた訳ではありません。
人生の目的は、個人的なものではないのです。
あなたは、誰かや何かのために生きなければなりません。
すべての人は、自分以外のために生まれるのです。
人生が、自分のためのものだと思い込んではなりません。
残念ながら、人生は自分以外のためのものなのです。
あなたは、与えられた時間と労力を自分以外のために費やさなければならないのです。
そうすれば、他者があなたのために時間と労力を費やすでしょう。
互いが与え合えば満たされます。
しかしながら、互いが奪い合えば不足するのです。
奪い合うことが得であり、与え合うことが徳なのです。
あなたは、得するのではなく、徳を積みましょう。
人生を小さく詰(つ)まらないものにしてはならないのです。
徳を積み、大きく楽しい人生を生きましょう。

2020年9月20日日曜日

豊かな死

始まりには終わりがあります。
この世界で始まったものは、必ず終わりへと辿り着くのです。
始まったもので終わらないものはありません。
どのようなものも、始まれば終わらなければならないのです。
始まった瞬間から終わりへと向かいます。
その流れを断ち切ることは出来ないのです。
あなたは、人生を始めた時から、人生が終わることが決まっています。
それは、避けることの出来ない事実なのです。
生を得た者が、死を避けることは出来ません。
生まれたからには、死ななければならないのです。
死を無視して生きることの出来る人はいないのです。
生を得たあなたは、死を得なければなりません。
それは、宿命なのです。
死を避けることは出来ません。
あなたは、必ず死ななければならないのです。
あなたは、ただ死を得れば良いというものではありません。
何もしなくても、必ず死へと辿り着くことになっていますが、それでは意味がないのです。
あなたは、人生を無意味なものにしてはならないのです。
あなたは、自らの死を豊かなものにしなければなりません。
ただ死を得るだけではならないのです。
豊かな死を得ることは重要です。
なぜなら、死が終わりではないからです。
あなたの道は、死の先にまで続いているのです。
死が終わりであるのならば、自分勝手に生きることが許(ゆる)されるでしょう。
しかしながら、人生を自分勝手に生きることは許されてはいないのです。
人生を思い通りにすることは出来ません。
誰一人として、思い通りに生きることは出来ないのです。
それは、人生には果たすべき目的があるからです。
すべての人は、無意味には生まれていないのです。
すべての人には生まれた理由があり、すべての人がそれを果たすために努めているのです。
それは、人生の目的なのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
あなたが人生の目的を果たすためには、自分を知らなければなりません。
自分とは、本質のことなのです。
あなたの本質は魂です。
あなたは、魂が肉体に宿っている状態なのです。
残念ながら、肉体があなたの本質であるはずがありません。
なぜなら、因果の仕組みの存在するこの世界においては、人生を始める前に目的を決めておかなければならないからです。
原因がなければ、結果はありません。
人生の目的は、人生を始める前に決めておかなければならないのです。
そのため、肉体が本質であるとは言えないのです。
あなたの本質は魂です。
それが、肉体に宿っているのです。
肉体は借り物に過ぎません。
しかしながら、多くの人は、肉体を中心に人生を考えるのです。
すべての人は死に向かいます。
すべての人は、死ななければなりません。
死を避けることの出来る人はいないのです。
あなたは、豊かな死を実現しなければなりません。
それは、肉体への執着を手放し、潔(いさぎよ)く死を受け入れるということなのです。
肉体が心地好ければ、肉体へ執着しなければなりません。
重要なのは、肉体への執着を手放すことです。
肉体が心地好ければ、執着を手放すことは出来ません。
肉体が居心地の悪いものでなければならないのです。
肉体は、老いる程に病を受け入れます。
老いる程にいうことを聞かなくなるのです。
それは、あなたにとっての苦しみです。
肉体は、病や老いによって、嫌わせるのです。
それは、あなたが肉体に対する執着を手放すためなのです。
病や老いなどの苦しみは、死への準備です。
病や老いを安易(あんい)に否定してはなりません。
病や老いは、あなたが肉体への執着を手放すことを助けているのです。
感謝しなければなりません。
病や老いの苦しみによって、あなたは、肉体への執着を手放すことが出来るでしょう。

2020年9月19日土曜日

努力を重ねる

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
それ以外の理由はありません。
あなたは、果たすべき目的があるということを覚えておきましょう。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
それ以上に重要なことはないのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれ、人生の目的を果たすために生きているのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人生の目的を果たすためには、それに相応(ふさわ)しい自分であることが求められるからです。
人生の目的を果たすためには、あなたは未熟なのです。
現状におけるあなたの実力では、人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたが人生の目的を果たすためには、成長を実現する必要があるのです。
成長を実現することなく、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたが、成長を実現するためには、より本質へと近付く必要があります。
本質へと近付くためには、努力が必要なのです。
理解を深めるためには努力が必要です。
技を磨くためには努力が必要です。
精神を向上させるためには努力が必要です。
何かを成すためには、努力が必要なのです。
努力なくして、成長は有り得ません。
時間の経過によって成長が実現することはありません。
時間が経過したとしても、努力を重ねていなければ、何も変わらないのです。
成長には、それに相応しい努力が必要であるということを覚えておきましょう。
努力とは、時間を費(つい)やすことです。
時間を費やして向き合うことは、努力なのです。
努力とは、労力を費やすことです。
労力を費やして向き合うことは、努力なのです。
時間と労力を費やすことによって、あなたは理解を深めます。
理解の深さは、時間と労力を費やした量なのです。
時間と労力を費やすことによって、あなたは技を磨きます。
技術の進化は、時間と労力を費やした量なのです。
時間と労力を費やすことによって、あなたは精神を向上させます。
精神の輝きは、時間と労力を費やした量なのです。
何かをより本質へと近付けるためには、時間と労力を費やす必要があるのです。
時間と労力を費やすことは努力なのです。
残念ながら、多くの人は努力を重ねることが出来ません。
多くの人は、時間と労力を費やすことが出来ないのです。
それは、努力することが苦しいからです。
多くの人は、努力することが出来ません。
多くの人は、積み重ねることが出来ずに、簡単に放棄(ほうき)してしまうのです。
努力を重ねることは、多くの人にとって苦しいことなのです。
しかしながら、それでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
努力を重ねることがなければ、成長を実現することは出来ないのです。
残念ながら、多くの人は、努力を重ねることをしません。
そして、成長を実現することがないのです。
努力を重ねることのなかった者は、安易に自分を正当化します。
努力を重ねることのなかった者程、安易に自分を正当化するのです。
多くの人は、言い訳を並べ立てます。
多くの人は、自らの愚(おろ)かさを理解することが出来ずに、責任を転嫁(てんか)するのです。
多くの努力を重ねることのなかった者は、誰かや何かのせいで、現状が築かれていると思い込んでいます。
しかしながら、現状は、自らの努力の結果に過ぎません。
時間と労力を費やした原因が、現状という結果を築いているのです。
大切なのは、何に対して時間と労力を費やしたのか?ということです。
不平不満や心配や言い訳に対して、時間と労力を費やしているような者は、苦しみに至(いた)るのです。
残念ながら、多くの人は、詰(つ)まらないことに努力を重ねているのです。
怠惰(たいだ)や堕落(だらく)、傲慢(ごうまん)や嫉妬(しっと)、欲望や虚偽(きょぎ)などに時間と労力を費やしていると、苦しみに至るのです。
それでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
多くの人が苦しんでいるのは、努力の方向性が間違っているからなのです。
残念ながら、あなたの努力の方向性は間違っています。
文句や言い訳を吐(は)くようになってはなりません。
あなたは、自らの愚かさを理解しなければならないのです。
努力を重ねましょう。
そして、詰まらないことで自分を正当化してはなりません。
詰まらないことで自分を正当化することがないように、努力を重ねましょう。

2020年9月18日金曜日

良い時は良いし、悪い時は悪い

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
誰一人として、未熟を否定することは出来ません。
どのような人物も、未熟に生まれなければならないのです。
あなたが、自分をどのように評価しようとも、未熟であることに間違いはないのです。
なぜなら、あなたは、自分を知らないからです。
自分とは何ですか?
あなたは、何なのですか?
自分を知らない者は未熟です。
それは、疑いようのない事実なのです。
あなたは、人生の目的を知っているでしょうか?
あなたは、何のために生まれたのでしょうか?
あなたは、人生において、何を成すべきなのでしょうか?
人生の意味とは何でしょうか?
残念ながら、あなたには、知らないことが多いのです。
知っていることよりも、知らないことの方が多いのです。
それは、あなたが無知であり、未熟であることを証明しているのです。
あなたは、自分が未熟であることを受け入れなければなりません。
未熟であることを認め、謙虚(けんきょ)に生きなければならないのです。
大切なのは、あなたが何も知らないということです。
残念ながら、あなたは最善を理解することが出来ません。
何が最善なのか?あなたには分からないのです。
しかしながら、多くの人は、最善を知っているつもりでいるのです。
最善を知っているつもりなので、傲慢(ごうまん)に振る舞うことが出来るのです。
多くの人は、傲慢です。
多くの人は、現実を否定し、自分にとってより都合の良い別の状況を望むのです。
自分が無知であり、最善を知らないということを知っているのであれば、現実を否定することはないのです。
謙虚な者は、現実の重要性を理解します。
謙虚な者は、現実から必要な学びを得るのです。
現実には、あなたにとって重要な学びが存在しているのです。
現実から必要な学びを得るためには、謙虚でなければなりません。
傲慢な者は、現実に反発してしまうのです。
それでは、学びを得ることは出来ません。
謙虚であるということは、現実を受け入れるということです。
それが、どのような現実であったとしても、それを受け入れる必要があるのです。
残念ながら、あなたには最善が分かりません。
最善が分からないのに、選(え)り好みしているのです。
それでは、必要な学びを得ることは出来ないのです。
あなたにとっての必要な学びは、目の前に導かれる状況の中に存在しています。
あなたは、目の前の状況から必要な学びを得られるのです。
そのためには、受け入れなければなりません。
否定や反発によって、必要を得ることは出来ないのです。
あなたは、人生を受け入れなければなりません。
人生は、状況を使って、あなたに最善を導いています。
あなたの目の前には、常に最善が導かれているのです。
残念ながら、人生はあなたの都合を配慮(はいりょ)しません。
人生は、あなたの都合に関係ないのです。
良い時は良いし、悪い時には悪いのです。
それが、本来の人生の形です。
あなたは、良い時には良いままにしておきましょう。
そして、悪い時にも悪いままにしておくのです。
多くの人は、状況を変えようと努めています。
より自分に都合の良いように操作しようとするのです。
しかしながら、あなたには、受けなければならない経験があるのです。
自分にとって都合の良いことも、都合の悪いことも、必要なだけ受け取らなければならないのです。
無理に変えようとして、変えられるものではありません。
それは、必要を受けなければならないからです。
あなたは、人生を甘んじて受け入れましょう。
人生を受け入れても、決して悪いようにはなりません。
夏は暑さを楽しみ、冬は寒さを楽しむように、良い時には良いことを楽しみ、悪い時には悪いことを楽しみましょう。

2020年9月17日木曜日

独自の生き方

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
人生の目的を果たすことは、人生において最も重要な仕事です。
あなたは、人生において、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を無視して生きることは、人生を空しくしてしまいます。
人生の目的を無視すれば、人生は無意味なものになってしまうのです。
大切なのは、人生の目的を考えることです。
そして、人生の目的を果たすために生きることなのです。
人生の目的を果たすこと以外の理由で生きることは、空しいのです。
あなたは、人生の目的を考えなければなりません。
そして、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことがなければ、人生は空しいままなのです。
残念ながら、人生の目的を果たすことがなければ、人生は空しいのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や責任を果たすことによっって、人生を豊かなものにしよとするのです。
しかしながら、目の前の快楽や欲望や責任を果たしたからといって、人生に豊かさを実現することは出来ません。
人生に豊かさを実現するためには、人生の目的を果たす以外に方法はないのです。
人生の目的を果たすためには、自分の人生を生きなければなりません。
自分の人生を生きなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
自分の人生とは、唯一の生き方のことです。
あなたは、この世界に唯一の存在です。
同じ人は他にはいないのです。
あなたには、価値があるのです。
唯一の存在には、価値があるということを理解しなければなりません。
あなたは、自分自身に、人生に価値があるということを覚えておかなければなりません。
自分自身とその人生に価値があるということを理解しなければ、それを軽んじてしまうのです。
自分自身とその人生を軽んじるということは、自分らしく生きないということなのです。
残念ながら、多くの人が自分らしく生きてはいません。
多くの人が、誰かや何かに迎合(げいごう)するように生きているのです。
多くの人は、偽りの自分を真(まこと)の自分だと思い込んでいるのです。
すべての人は、作られた自分によって、作られた人生を生きています。
すべての人は、それを自分だと思い込み、それを自分の人生だと思い込んでいるのです。
自分の人生を生きている人はいません。
誰もが自分を知らないのです。
そして、誰もが人生の目的を知らないのです。
あなたが人生の目的を知るためには、自分を生きなければなりません。
自分を生きるためには、自分に価値があることを知ることです。
自分に価値があることを知らなければ、自分を生きようとは思えないのです。
価値を知れば、自ずと探すのです。
価値を知れば、自ずとそう生きようとするのです。
価値を知らなければ無理をしなければなりませんが、価値を知れば無理はしなくても良いのです。
多くの人は、現状の自分や人生に価値を見出すことが出来ません。
価値を見出すことが出来ないために、無理をしているのです。
多くの人が苦しんでいるのは、無理をしているからです。
無理をしていない状態では、苦しみも学びとなり、苦しいとは思わないのです。
すべての人が無理をしています。
あなたは、無理をしないように生きましょう。
無理とは、精神的な疲労のことです。
肉体的な疲労と混同してはなりません。
自分や自分の人生を生きることは、肉体的な疲労は避けられません。
それは、独自の生き方をしなければならないからです。
しかしながら、独自の生き方をする時には、精神的な疲労はありません。
独自の生き方には、寧(むし)ろ、精神的な高揚(こうよう)があるのです。
精神的な疲労を覚える生き方は、独自の生き方ではありません。
あなたは無理をしてはならないのです。
価値とは希少(きしょう)のことです。
あなたが自分や自分の人生を生きることは、価値のあることなのです。
この世には、自分や自分の人生以上に価値のあるものは存在しないのです。
自分を生きましょう。
自分の人生を生きましょう。
そして、目的を果たすのです。

2020年9月16日水曜日

魂レベルの幸福

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
誰一人として、人生に無意味に生まれることはありません。
誰一人として、無価値な人生を生きることは出来ないのです。
すべての人生に意味があり、すべての人生に価値があるのです。
あなたは、人生を軽んじてはなりません。
人生は、自分勝手に生きて良いものではないのです。
あなたは、果たすべき目的のために生きなければならないのです。
果たすべき目的がなければ、人生は無意味であり、無価値なものになってしまいます。
それでは、空しいのです。
あなたは、空しい人生を生きるために生まれた訳ではありません。
意味や価値のある人生を豊かに生きるために生まれたのです。
あなたは、人生について考えなければなりません。
あなたは、何のために生まれたのでしょうか?
人生とは何ですか?
あなたは、何を成すために生まれたのでしょうか?
あなたは、何なのでしょうか?
人生の意味や価値について考えることがなければ、人生の本質に近付くことは出来ません。
人生の本質に近付くことがなければ、迷いの生存を続けなければならないのです。
意味や価値を理解することがなければ、目的を果たすことは出来ないのです。
残念ながら、多くの人は、人生について考えることをしません。
多くの人は、人生とは何か?という問いを見失っているのです。
そのため、多くの人は、課せられた責任を果たすことに努めます。
また、多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ることに努めるのです。
多くの人の生きる理由とは、このようなものなのです。
多くの人は、責任を果たすこと、目の前の快楽や欲望を貪ることに人生を費やすのです。
それも、悪い生き方ではありません。
そのような人生を必要をとしている者にとっては、最善の生き方なのです。
しかしながら、そのような生き方では人生の目的を果たすことは出来ません。
なぜなら、責任に追い立てられたり、目の前の快楽や欲望を貪るような生き方は、必ず苦悩へと辿り着いてしまうからです。
多くの人の生き方は、肉体レベルの生き方です。
多くの人の追い求めているのは、肉体レベルの幸福なのです。
肉体の欲求を満たしたとしても、人生の目的を果たすことは出来ません。
なぜなら、肉体は、人生の目的の後に生じたものだからです。
精神レベルの生き方や幸福も同じです。
肉体や精神というものは、人生の目的に従って生じたのです。
人生の目的を果たすために最適なのが、その肉体であり、精神であったのです。
そのため、肉体や精神の幸福を追求したとしても、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を決めた魂の幸福を追求しなければならないのです。
あなたが人生の目的を果たすためには、魂レベルの生き方や幸福を必要とするのです。
魂とは、あなたの本質です。
肉体や精神は不安定なものであり、表面的なものなのです。
魂こそが不変であり、本質的なものなのです。
人生の目的を決めたのは魂です。
そのため、魂レベルの生き方や幸福を追求することによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
あなたは、魂レベルの生き方や幸福を追求しなければなりません。
魂とは、あなたの認識することの出来るものではありません。
魂は、肉体や精神のように表面的であり、粗雑(そざつ)なものではないのです。
それは、本質的であり、繊細なものなのです。
あなたは、魂レベルで人生と向き合わなければなりません。
思考や感情や本能で人生を判断してはなりません。
自分の都合で判断してはならないのです。
思考や感情や本能は、都合を優先してしまいます。
多くの人は、自分に都合の良い方が良いと考えるのです。
しかしながら、それでは、人生の目的を果たすことが出来ないのです。
人生の目的を果たすためには、魂レベルの判断が必要です。
魂レベルの判断とは、判断しないことなのです。
人生を受け入れることこそが、魂レベルの判断であるということを理解しなければなりません。
人生は、思い通りにはなりません。
どのような努力も、宿命を超えることはないのです。
人生を変えることは出来ません。
人生を変える必要はありません。
人生は、そのままで最善なのです。

2020年9月15日火曜日

辛抱強い努力

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人生には、果たすべき目的が存在しているのです。
果たすべき目的の無い人生は存在しないのです。
あなたの人生には、果たすべき目的が存在しています。
あなたは、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすためには、それに相応(ふさわ)しい努めが必要です。
人生の目的を果たすためには、その条件を満たす必要があるのです。
人生の目的を果たすための条件を満たすことは、容易(ようい)ではありません。
それは、多くの条件を必要とするのです。
あなたは、必要な条件を、生涯を通じて集めなければならないのです。
必要な条件を一朝一夕(いっちょういっせき)で満たすことは出来ません。
あなたは、苦心(くしん)しながら必要な条件を集めなければならないのです。
辛抱強く努力を重ね、諦めることなく励(はげ)み続けなければならないのです。
途中で諦めるのであれば、条件を満たすことは出来ません。
必要な条件を満たすためには、計り知れない努力が必要なのです。
あなたは、人生の目的を果たすことを、何よりも重要視しなければならないのです。
あなたは、人生の目的を果たすことを軽んじてはなりません。
人生の目的を果たすことは、何よりも重要なことなのです。
なぜなら、あなたは、人生の目的を果たすために生まれたからです。
それ以外の理由では生まれていないのです。
あなたは、人生の目的を果たしましょう。
あなたには、成さなければならないことがあるのです。
それを成すために、辛抱強く努力を重ねましょう。
諦めずに努めるのです。
残念ながら、多くの人は、辛抱強く努力を重ねることが出来ません。
多くの人は、試練に遭(あ)うと努力を放棄(ほうき)してしまうのです。
問題や苦しみによって、努力を放棄することは避けなければなりません。
なぜなら、努力を放棄することは、人生を放棄することに等しいからです。
人生を放棄した者には、豊かさは導かれません。
人生を放棄した者には、それに相応しい空しさが導かれるのです。
残念ながら、多くの人は、空しく生きています。
多くの人は、人生の目的を放棄し、空しさを受け入れるのです。
空しさを受け入れる者は、空しく生きなければならないのです。
あなたは、辛抱強く努力を重ねましょう。
あなたは、空しく生きてはならないのです。
辛抱強く努力を重ね、何かを達成するのです。
何かを達成したことのない者は、何かを達成することの大変さを知りません。
残念ながら、何かを達成したことのない者は甘えているのです。
努力によって、何かを達成したことのない者は、安易(あんい)に不平不満を吐くのです。
自分勝手に気分を害し、周囲に当たり散らすのです。
そのような人は、誰かや何かによって、物事が上手く進まないと誤解しています。
努力を怠(おこた)り、誰かや何かに甘えるのです。
あなたは、自力を放棄してはなりません。
自分で出来ることは、自分でやらなければならないのです。
自分で出来ることは、他の誰かには出来ないことです。
それは、自分でやらなければならないことなのです。
あなたは、安易に他者を頼ってはなりません。
辛抱強く努力を重ね、自力を身に付けなければならないのです。
他者は、あなたが助けるべき対象であって、助けてもらう対象ではありません。
いつまでも甘えていてはならないのです。
自力で泳ぐことのない魚は、意図も容易く捕食(ほしょく)されてしまいます。
生まれたての魚も、自力で泳がなければならないのです。
魚が生きるために泳ぐことと、あなたが人生の目的を果たすために努力することは同じことです。
人生の目的を果たすために辛抱強く努力しなければ、生きたことにはなりません。
人生の目的を果たすために生きなければ、人生を生きたことにはならないのです。
いつまで甘えているつもりですか?
これは、あなたの人生なのですよ?
自力によって、努力を重ねましょう。
努力することを放棄し、不平不満を吐く者は、何も達成することは出来ないのです。
何も達成したことのない者は、幼子(おさなご)のように頼ることしか出来ないのです。
それは、誰かの人生の目的を果たす努力を妨げることになるのです。
あなたは、他者を助けるために生まれたのです。
他者を助けるためには、自力で歩かなければなりません。
自力で歩くことが、他者を助けることになるのです。
あなたは、自力で歩き、目的地へと辿り着きましょう。
誰かに運んでもらおうなどと考えてはなりません。
歩くことが出来る限りは、自力で歩くのです。
何事に対しても、辛抱強く努力を重ねましょう。
何事も安易に諦めてはなりません。

2020年9月14日月曜日

苦しいからこそ、変化を求める

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
それは、人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由だからです。
目的を果たす以上に重要なことはありません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、それを果たすに相応(ふさわ)しい自分へと変化しなければなりません。
今のままでは、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすためには、それに相応しい自分に成らなければならないということを覚えておきましょう。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たすに相応しい状態ではないのです。
あなたは、変化しなければなりません。
変化を受け入れなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
重要なのは、変化を受け入れることです。
そして、変化を実現することなのです。
変化を実現することがなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
どれだけ辛抱強く努めても、変化を実現することがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすためには、変化を受け入れなければなりません。
しかしながら、多くの人は、変化を受け入れることが出来ません。
多くの人は、現状に執着(しゅうちゃく)するのです。
現状がどのようなものであっても、それに執着するのです。
多くの人は、変化を受け入れることよりも、現状を手放すことの方を恐れるのです。
多くの人は、現状がどのようなものであれ、それを心地好いと思っています。
多くの人は、現状に慣(な)れることで、それを心地好いと思うのです。
現状に執着することでは、人は変化することも、成長することも出来ません。
大切なのは、現状を手放し、変化と成長を実現することなのです。
変化と成長を受け入れることがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
幸福や楽な状態の時には、変化や成長を実現することは出来ません。
なぜなら、多くの人は、幸福や楽に執着し続けるからです。
多くの人は、幸福や楽を喜びます。
幸福や楽を所有していると、それを手放すことが出来なくなってしまうのです。
変化や成長を実現するためには、それがどのような現状であったとしても、それを手放さなければならないのです。
所有しているのが幸福や楽だと、それを手放すことが惜しくなってしまうのです。
あなたがどのように気に入って大切に扱ったとしても、それが変化や成長を阻害(そがい)するのであれば、大切に扱う必要はないのです。
大切なのは、変化や成長を受け入れることです
変化や成長を受け入れることがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすことは重要です。
幸福や楽にしがみついているのであれば、いつまでも人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
そのために、現状が幸福や楽であったとしても、それにいつまでも執着しなければならないのです。
現状の幸福や楽に目が眩(くら)み、変化や成長を軽んじてはなりません。
どのような理由があろうとも、変化や成長を実現することが求められているのです。
多くの人は、現状を手放すことが出来ません。
しかしながら、それでは変化や成長を実現することが出来ないのです。
苦しみは、決して悪いものではありません。
苦しみは、あなたに変化や成長を促(うなが)すのです。
苦しいからこそ、あなたは執着を手放すことが出来ます。
苦しいからこそ、変化を求めるのです。
苦しいからこそ、成長することが出来るのです。
苦しくなければ、人は現状を維持するのです。
苦しみは、あなたを助けようとしているということを覚えておきましょう。
苦しみを安易(あんい)に否定してはなりません。
苦しみにも大切な意味があり、価値があるのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
苦しみを受け入れましょう。
苦しみから変化や成長は始まるのです。
あなたには、果たさなければならない目的があります。
それを果たすために、苦しまなければならないのです。
残念ながら、苦しみは避けられません。
どのように努めても、必ず苦しみに会うのです。
あなたが変化や成長を実現するためには、苦しみの助けが必要なのです。
苦しいからこそ、あなたは変化を受け入れることが出来るのです。
苦しみが、あなたの背中を押してくれているのです。
苦しみに対して、感謝の気持ちを忘れてはなりません。

2020年9月13日日曜日

苦労

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
あなたには、果たさなければならない目的が与えられているのです。
あなたは、人生において、目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、義理を果たさなければなりません。
義理を果たすことが出来ない者には、人生の目的を果たすことは出来ません。
義理とは、物事の正しい道筋のことです。
物事が成るには、正しい道筋を経る必要があるのです。
人生の目的を果たすためには、道理に適(かな)った行いを必要とするのです。
それは、真(まこと)に生きるということです。
あなたは、真に生きることによって、人生の目的を果たすことが出来ます。
真に生きることがなければ、どのように努めても人生の目的を果たすことは出来ないのです。
不義を働く者が、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、道理に適う生き方をしなければなりません。
あなたが、道理を外れないためには、思いやりを以て生きる必要があります。
思いやりを見失ってしまえば、道理を外れてしまうのです。
物事は、思いやりによって成ります。
この世界は、思いやりによって実現するのです。
それが、どのようなことであれ、その本質には思いやりが存在するのです。
人生におけるすべての経験は、あなたを磨き、成長させるためのものなのです。
何一つとして、無駄な経験はありません。
それが、どのような経験であろうとも、あなたにとっての必要であるということを覚えておきましょう。
それは、人生からの思いやりなのです。
あなたは、無駄な時間を得ることがありません。
それが、どのような経験であろうとも、あなたにとっての必要であり、最善なのです。
人生は、あなたに対して常に義理を果たしています。
あなたが目的を果たすことが出来るように助け続けているのです。
あなたが嫌う経験も、あなたが目的を果たすためには必要な経験なのです。
人生が間違えることはありません。
人生は、あなたにとっての必要と最善のみを導くのです。
あなたには、それが理解出来ないだけなのです。
人生が無駄や無意味を導くことはありません。
人生は、あなたのようには間違えないのです。
あなたは、人生が導く経験の中に、人生からの思いやりを探さなければなりません。
思いやりの無い経験が導かれることはありません。
なぜなら、あなたは経験によって成長を実現するからです。
それが、どのような経験であっても、あなたは成長することが出来るのです。
あなたは、導かれる経験に従って成長しましょう。
それが、どのような経験であったとしても、安易(あんい)に否定してはならないのです。
それが、どのような経験であったとしても、そこに意味を探さなければならないのです。
真に生きようと思えば、楽をすることは出来ません。
それは、粗末(そまつ)に生きることが出来ないからです。
真に生きるためには、義理を果たさなければなりません。
自分勝手に生きる者が、真を得ることは出来ないのです。
自分勝手に生きる者は、不義を働いているのです。
人生には、果たすべき目的が存在します。
あなたは、それを果たさなければなりません。
あなたは、義理を果たさなければならないのです。
真に生きようとすれば苦労は避けられません。
この世界においては、真に生きようとすれば、苦労しなければならないのです。
苦労を引き受けずに、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
真に生きて、義理を果たそうとすれば大変です。
不義に生きることは楽ですが、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたには、やることがたくさんあります。
忙しい日々を嘆(なげ)いてはなりません。
人生の目的を果たすためには、やるべきことがたくさんあるのです。
あなたは、感謝の気持ちで生きましょう。
すべては必要な経験なのです。
人生における苦労は、魂の成長を助けるのです。
苦労を悪いことと思い込んではなりません。
あなたには、苦労が必要なのです。
安心して苦労しましょう。
苦労したとしても、あなたは、人生に対して義理を果たさなければなりません。

2020年9月12日土曜日

一方的な価値観や方法

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
誰一人として、同じ目的のために生まれることはないのです。
あなたの果たすべき目的は、あなたが果たすべき目的です。
他の誰かが代わりに果たすことは出来ないものなのです。
これは、あなたの人生です。
あなたは、自らの人生の目的を果たさなければなりません。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
それは、すべての人が未熟に生まれなければならないからです。
あなたは、未熟に生まれます。
あなたは、無知に生まれるのです。
残念ながら、あなたは、人生の目的を知りません。
自分が何のために生まれ、何を果たすべきか知らないのです。
そのため、すべての人が迷います。
すべての人が、悩むのです。
人生において、失敗は避けられません。
すべての人が、失敗を繰り返さなければならないのです。
失敗は、後悔を導きます。
すべての人が、人生において後悔しなければならないのです。
後悔は、苦しみを導きます。
すべての人が苦しまなければならないのです。
残念ながら、多くの人は、自分が苦しみの中にあることを知りません。
実際には、苦しみの中にあるにも関わらず、自分は恵まれていると思い込んでいるのです。
多くの人は、未熟であるが故(ゆえ)に、苦しみに気が付かないのです。
多くの人は、知りません。
それは、自分が間違っているということも知らないのです。
残念ながら、すべての人が未熟に生まれます。
すべての人が無知に生まれるのです。
未熟であり、無知であれば、必ず間違えるのです。
残念ながら、あなたは正しくはありません。
あなたは、何も知らないのです。
多くの人が、自分が正しいと思い込んでいます。
そのような意識がなくても、自分が正しいと思い込んでいるのです。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいるために、人の話を聞き入れません。
他者は、あなたとは異なる視点で見ています。
それは、あなたにない観点なのです。
すべての人が、偏見(へんけん)を抱えています。
正しく見ているつもりでも、偏った見方をしているのです。
残念ながら、そのことに気が付いている人は少ないのです。
多くの人は、偏った見方を、正しい見方だと思い込んでいます。
多くの人は、自分が間違っていることに気が付きません。
そのため、一方的な価値観や方法に執着(しゅうちゃく)するのです。
多くの人は、頑(かたく)なです。
一度信じた価値観や方法を手放すようなことはしません。
一方的な価値観や方法を繰り返したとしても、同じ結果を得るだけです。
それは、原因となる価値観や方法が同じだからです。
同じ原因ならば、同じ結果が導かれるのです。
自分が正しいと思い込み、一方的な価値観や方法に執着する人には、問題が導かれます。
問題が生じても、同じ価値観や方法のままであれば、更なる問題を導くのです。
問題の積み重ねは、やがて苦しみとなるのです。
苦しみは、人の頑固を打ち砕くために導かれます。
人は、苦しみによって執着を離れることが出来るのです。
どのように美しい花を見付けたとしても、棘(とげ)が刺さると手放してしまいます。
どのように気に入った価値観や方法も、苦しみによって手放すことになるのです。
あなたは、同じ価値観や方法に執着し続けることは出来ません。
同じことを同じ方法で続けることは出来ないのです。
あなたは、変化を求められます。
一方的な価値観や方法をいつまでも楽しむことは出来ないのです。
どのように美味しい食物も、噛み続けていると味を失います。
味の無くなった食物は、飲み込まなければならないのです。
どのように良いと思っているものも、やがては色褪(いろあ)せてしまいます。
あなたが信じた価値観や方法も、やがては綻(ほころ)びてしまうのです。
あなたには、果たすべき目的が存在します。
目的を果たすためには、変化し続け、成長し続けなければならないのです。
柔軟でなければなりません。
頑なに守る程に価値のあるものは存在しないのです。
より良い価値観や方法が存在します。
一方的な価値観や方法に執着するのをやめて、他者の意見を聞き入れましょう。
やはり、他者も間違っていますが、互いの視点を共有することによって、視野を広げることが出来るのです。


2020年9月11日金曜日

補い合う

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
どのような人物の、どのような人生にも、果たすべき目的が存在するのです。
無意味に生まれる人はいません。
無駄に生きられる人はいないのです。
あなたには、果たすべき目的が存在します。
あなたは、人生の目的を果たさなければならないのです。
しかしながら、すべての人が未熟に生まれなければなりません。
未熟とは、偏(かたよ)っている状態のことです。
すべての人が偏った状態で生まれなければなりません。
この世界に完全な形で生まれることの出来る人はいないのです。
どのような人物も偏っています。
未熟でない人はいないのです。
それは、すべての人が人生に目的を以て生まれるからです。
人生の目的を果たすためには、偏っていなければなりません。
偏っていなければ、果たすべき目的が存在しないのです。
完全な人には、何もすることが無いのです。
人は、未熟であるからこそ、果たすべき目的が存在するのです。
そのため、未熟でない人は存在しないのです。
目的を果たすためには、それを果たすための役割を果たさなければなりません。
何もせずに目的を果たすことは出来ません。
目的を果たすためには、それに相応(ふさわ)しい役割を果たす必要があるのです。
人は、それぞれの目的を以て生まれます。
そして、それぞれの役割を担(にな)うのです。
人が複数いる理由は、独りでは人生の目的を果たすことが出来ないからです。
どのような目的も、独りでは果たすことが出来ないのです。
それは、人生の目的を果たすには、あなたが余りにも未熟だからです。
人生の目的を果たすには、あなたは未熟なのです。
未熟であるあなたは、他者と補(おぎな)い合う必要があるのです。
補い合うことが出来なければ、事を成すことは出来ません。
どのように小さなことも、独りでは果たすことが出来ないのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
補い合うということは、助け合うということです。
あなたは、他者のために尽力し、助けなければならないのです。
小さな助力であったとしても、それが無ければ事を成すことは出来ないのです。
あなたの人生の目的も、他者の助力がなければ果たすことは出来ません。
それがどのように小さい助力であったとしても、それがなければ果たすことは出来ないのです。
小さな力を侮(あなど)ってはなりません。
小さな力だといって、出し惜しんではならないのです。
あなたは、どのように小さな力であっても、他者のためにそれを使いましょう。
あなたが誰かを助けると、誰かがあなたを助けます。
あなたが誰も助けなければ、誰からも助けられません。
この世界には、因果の仕組みが存在し、それを無視することは出来ないのです。
あなたの小さな助力が、他者にとっては大きな助けとなるのです。
小さな親切が、大きな感謝に変わるでしょう。
どのように小さな力も、出し惜しんではなりません。
相手が感謝しようがするまいが、あなたは自分に出来る小さな助力を続けるのです。
互いに補い合う世界では、互いの人生の目的を果たすことが出来ます。
互いに補い合うことがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、独りで生きているなどと考えてはなりません。
どのような小さな助力も、軽んじてはなりません。
あなたは、誰かを助けましょう。
そして、誰かに助けられましょう。
そして、再び、誰かを助けましょう。
互いが助け合うのです。
あなたが未熟に生まれたのは、補い合うためです。
傲慢(ごうまん)に生きてはなりません。
感謝の気持ちを見失ってはなりません。
あなたは助けなければならないし、助けられなければならないのです。