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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2020年10月31日土曜日

生きることは苦しい

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
どのような人生にも、果たすべき目的が存在します。
どのような人物にも、果たすべき目的が与えられているのです。
人生に無意味に生まれることの出来る人はいません。
どのような人物の、どのような人生にも、大切な意味があり、価値があるのです。
あなたは、無意味に生きることは出来ません。
無価値な人生を生きることは出来ないのです。
あなたは、自分自身や人生に意味があり、価値があるということを理解しましょう。
しかしながら、この世界を思い通りにすることは出来ません。
残念ながら、理想を実現することは出来ないのです。
自分自身や人生には意味と価値がありますが、それは、あなたの思うものとは異なるということを理解しなければなりません。
そのため、すべての人は、自分自身や人生に対して誤解を抱えます。
自分自身の役割や、人生の目的を理解することが出来ないのです。
あなたは、自分が誤解を抱えているということを知らなければなりません。
誤解を抱えていることを知らなければ、自分自身の役割や人生の目的を果たすことは出来ないのです。
残念ながら、多くの人が、自分自身の役割や人生の目的を知らずに生きています。
それは、暗闇の中を進むようなものなのです。
残念ながら、多くの人にとって、生きることは苦しいのです。
人は、互いに盲目(もうもく)であり、互いに苦しんでいるのです。
それは、互いを苦しめる結果を導いてしまうのです。
残念ながら、人は互いに苦しまなければなりません。
多くの人にとって、人生は苦しいものなのです。
それが”普通”なのです。
無理に幸せを追い求める必要はありません。
見えないのであれば、見えないなりに進まなければなりません。
無理に見ようとしても、暗闇の中では何も見えないのです。
残念ながら、この世に楽しいことなど存在しません。
肉体を以て生まれた時から、苦しみを生きなければならないのです。
多くの人は、苦しみを無理矢理に楽しみや幸せと思い込んでいるのです。
残念ながら、あなたには見えないでしょう。
誤解を生きているということを忘れてはなりません。
あなたは、暗闇の中を生きているのです。
暗闇の中にいる時には、苦しまなければなりません。
あなたは、苦しむために生まれたのです。
そして、他社も同様なのです。
すべての人は苦しむために生まれたのです。
苦しみは避けられません。
生きることは苦しいことなのです。
互いに苦しみましょう。
苦しみから逃れようとして、苦しみを否定してはなりません。
苦しむために生まれたのだから、苦しまなければならないのです。
あなたは、必ずしも幸せを掴む必要はありません。
苦しみを生き抜けば良いのです。
そこには、大切な学びが存在します。
苦しまなければ得られないことがあるのです。
多くの人は、苦しみに価値を見出しません。
多くの人は、苦しみに価値が無いと思い込んでいるのです。
しかしながら、苦しみには価値があるのです。
苦しみに価値がなければ、それを目的として生まれることはないのです。
すべての人が苦しむのです。
それは、苦しみが必要だからです。
すべての人が必要としている苦しみには、価値があるのです。
あなたは、苦しみに価値があるということを忘れてはなりません。
暗闇には、価値があるのです。
生きることは苦しいのです。
しかしながら、そこには意味と価値があるということを忘れてはなりません。
意味と価値が存在しなければ、すべての人に苦しみが与えられるはずがないのです。
人生には、苦しむ意味と価値があるのです。
あなたは、そのことを忘れてはなりません。
人生は苦しくても良いのです。
現状を無理に否定してはなりません。
苦しみに意味と価値を見出しましょう。
それが、容易(たやす)くないことは分かっています。
しかしながら、不可能ではないことも分かっているのです。
あなたは、苦しむために生まれたのです。
苦しみましょう。
そして、互いに苦しめ合いましょう。

2020年10月30日金曜日

繰り返し

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
人生の目的を果たす以外の目的を以て生まれる人はいません。
すべての人が、人生の目的を果たすために生まれるのです。
あなたには、果たすべき人生の目的が与えられています。
あなたは自らに与えられた人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を無視して生きることは、人生を空しく生きることに他ならないのです。
人生を充実させたいと思うのであれば、人生の目的に向き合い、それを果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことがなければ、人生が豊かさを実現することは有り得ないのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことが生まれた理由なのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的と向き合いましょう。
簡単に諦めてしまうようでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすためには、努力と辛抱(しんぼう)が必要なのです。
あなたは、辛抱強く努力を続けなければなりません。
どのような道を進もうとも、辛抱強く努力しなければ、道を完成することは出来ないのです。
あなたは、道を完成させなければなりません。
道を完成させるためには、その道の本質を得なければならないのです。
本質を得るということは、道を極めるということです。
道を極めるためには、深く掘り下げなければなりません。
浅い知識や技術では、道を極めることは出来ません。
道を極めるためには、深い知識や技術が必要なのです。
知識を掘り下げ、技術を磨くためには、繰り返す必要があります。
何事においても、繰り返さなければ深まることはないのです。
一朝一夕(いっちょういっせき)で、何かを成すことは出来ないのです。
因果の仕組みの存在するこの世界においては、偶然や“奇跡”というものは存在しません。
偶然や奇跡的に何かが実現すること、何かを成すことは出来ないのです。
何を成すにしても、繰り返して、繰り返して、繰り返さなければなりません。
努力や辛抱(しんぼう)が必要ないなどと考えてはなりません。
寧(むし)ろ、努力や辛抱だけが必要なのです。
あなたは努力や辛抱を繰り返さなければならないのです。
繰り返さなければ分からないことが多いのです。
繰り返さずに何かを分かった気になってはなりません。
繰り返さなければ、何も分からないのです。
残念ながら、繰り返さなければ何も分かりません。
繰り返す程に理解が深まるのです。
繰り返さなければ、理解が深まることはありません。
理解が深まらなければ、豊かさを得ることも、人生の目的を果たすことも出来ないのです。
あなたは、どのような道に進み、どのようなことをしても、そこでは、必要を繰り返さなければならないということを覚えておきましょう。
何をやっても繰り返しなのです。
繰り返すことなく、何かを成すことは出来ないのです。
道を進むというのは、繰り返すということです。
繰り返さなければ、あなたは何も知らないのです。
繰り返さなければ、あなたは何も出来ないのです。
何かを成すということは、表面を繕(つくろ)うことではありません。
形だけを作ることが、何かを成すことでもないのです。
形を作れば、その中身も作らなければならないのです。
どれだけ表面を繕い、形を整えたとしても、中身が伴(ともな)っていなければ 、完成はしないのです。
多くの人は、未完成のものを喜ぶのです。
多くの人は、繰り返しを嫌うのです。
多くの人は、繰り返すことが出来ません。
努力や辛抱を続けることが出来ないのです。
多くの人は、繰り返しを嫌い、逃れるのです。
どの道を進むにしても、繰り返しを避けることは出来ません。
繰り返す以外には、先へと進む方法がないのです。
あなたは、何事も繰り返さなければなりません。
少しずつ、地道(じみち)に進めていく他ないのです。
あなたは、成果を焦(あせ)ってはなりません。
必要が満たされるまでは繰り返しましょう。
磨かれるまで繰り返しましょう。
完成するまで繰り返すのです。
繰り返すことを嫌ってはなりません。
何かを完成させるためには、繰り返す以外に方法はないのです。

2020年10月29日木曜日

肯定的な生き方

すべての人は、幸せを追い求めています。
すべての人は、幸せを欲しているのです。
それは、幸せという状態が心地好いからです。
幸せを手に入れることで、人生を完成させることが出来ると思っているのです。
多くの人にとって、幸せとは魅力的なものです。
多くの人は、幸せを最善だと思っているのです。
多くの人は、幸せを必要としているのです。
心地の好いことは素敵です。
しかしながら、それが最善であり、必要であるとは限りません。
なぜなら、”神”は、幸せと同時に不幸も創り出したからです。
幸せと不幸は隣り合わせに存在しています。
多くの人は、幸せと不幸は離れて存在していると思い込んでいます。
しかしながら、幸せと不幸の境(さかい)は見当たらないのです。
幸せとは不幸であり、不幸とは幸せなのです。
幸せと不幸とは、同じものなのです。
同じものを別のものと考えているのです。
幸せは、いつまでも幸せとは限りません。
それは、ひょんな拍子(ひょうし)で形を変えるのです。
幸せは、何かの拍子で不幸へと変わります。
同じように、不幸であっても、何かの拍子に幸せへと変わるのです。
それは、あなたの見方、受け取り方に過ぎません。
幸せや不幸というものは、あなたの内にこそ存在しているのです。
幸せや不幸というものは、外には存在しないのです。
あなたは、目の前の事象に対して、自分勝手に幸せや不幸という色を塗っているだけなのです。
目の前に導かれるのは、無色透明の最善と必要だけなのです。
それを勝手に判断しているに過ぎないのです。
幸せに成ることが最善や必要であるとは限りません。
不幸に成ることが最善や必要である人があるのです。
幸せな者は不幸を得ます。
不幸な者は幸せを得るのです。
そうやって、人生の目的を学ぶのです。
人生において、幸せや不幸というのは幻想です。
そこには学びがあるだけなのです。
そこには、最善と必要があるだけなのです。
それ以外は存在しません。
否定的に生きたとしても良いことはありません。
それは、最善と必要を否定する生き方だからです。
あなたは、出来る限り肯定的(こうていてき)に生きなければならないでしょう。
あなたは、自らの人生を受け入れなければならないのです。
それは、決して思い通りにはなりません。
人生は、何一つ思い通りにはならないのです。
しかしながら、それが最善であり、必要なのです。
あなたの人生には、果たすべき目的が存在しています。
あなたは、目的を果たすために生きているのです。
目的を果たすためには、それを果たすに相応(ふさわ)しい役割を果たさなければなりません。
あなたは、自らの役割を受け入れなければなりません。
自らの役割を受け入れるためには、自らの分際を受け入れなければならないのです。
肯定的に生きることが出来なければ、否定的に生きるしかありません。
それは、理想を追い求める生き方なのです。
理想を追い求める生き方は、良い生き方のように思えるかも知れません。
多くの人は、そのような生き方を幸せと呼ぶかも知れません。
しかしながら、否定的な生き方では、決して人生を果たすことは出来ないのです。
理想を追い求める生き方には”底”がありません。
人間の欲望には限りがないのです。
それでは、どこにも辿り着くことが出来ないのです。
あなたは、出来る限り肯定的に生きなければなりません。
理想を追い求めて、最善と必要を否定してはなりません。
最善と必要は、常に導かれています。
そこには、幸せや不幸といった詰まらない区別はありません。
最善と必要は、そのような区別を超越するのです。
小さな価値観に執着(しゅうちゃく)していてはなりません。
幸せを善とし、不幸を悪とするような生き方をしてはならないのです。
目の前の状況に幸せを感じていようとも、不幸を感じていようとも、対した問題ではないのです。
そこに重きを置いてはならないのです。
あなたは、幸せでも不幸でもどちらでも良いのです。
なぜなら、幸せには幸せの価値があり、不幸には不幸の価値があるからです。
どちらにしても価値があるのです。
価値を否定するのは不自然なのです。
あなたは、価値を肯定しなければなりません。
受け入れることに価値を見出しましょう。

2020年10月28日水曜日

調整

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことは、何よりも重要なことです。
なぜなら、あなたは、人生の目的を果たすために生まれたからです。
人生の目的を果たすこと以上に重要なことなど存在しないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を無視して生きることは出来ないのです。
人生の目的というのは、人それぞれに異なります。
あなたの人生の目的というのは、他の誰とも同じものではないのです。
あなたは、自分の人生の目的を果たすために生まれたのです。
それは、この世界に唯一(ゆいいつ)のものなのです。
あなたは、唯一の人生を生きなければならないのです。
あなたの人生の目的は、誰にも分からないものなのです。
残念ながら、あなたでさえ分からないでしょう。
しかしながら、あなたは人生の目的を果たさなければならないのです。
分からないことを実現するのは、とても難しいことです。
人生は、誰にとっても難しいということを覚えておきましょう。
簡単な人生など存在しないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりませんが、それは難しいということを理解しなければなりません。
人生は、決して思い通りにはなりません。
あなたは、思い通りに生きることが出来ないのです。
多くの人は、理想を追い求めますが、残念ながら、理想が実現することはありません。
なぜなら、理想は目的ではないからです。
理想とは、偏見(へんけん)による誤解なのです。
それは、人生の目的ではないのです。
理想を実現すれば、人生の目的を果たすことが出来ると考えるのは浅はかなのです。
理想を追い求めても、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
理想を追い求めることは、誤解を強くするということです。
それは、迷いを深めるのです。
多くの人が迷いの生存を続けるのは、理想を追い求めているからです。
理想を追い求めても、満たされないのです。
大切なのは、必要を受け入れることです。
必要を避けては、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生は、あなたが目的を果たすことが出来るように現実を調整します。
あなたの目の前に導かれる現実は、あなたにとっての必要なのです。
それは、決して理想ではありません。
それは、決して思い通りにはなりません。
しかしながら、それで良いのです。
それが、最善なのです。
あなたには理解することが出来ないこともあるのです。
あなたには、理解することが出来ないことの方が多いのです。
人生の目的を果たすためには、人生を信用しなければなりません。
人生を信じ、目の前の現実を受け入れることです。
残念ながら、人生はあなたを甘やかすことをしません。
人生は、あなたにとっては厳(きび)しいものなのです。
良いものを取れば、悪いものを得るのです。
そして、悪いものを取れば、良いものを得るのです。
良いものだけを取り続けることは出来ません。
もちろん、悪いものだけを取り続けることも出来ないのです。
あなたは、必要を受け取らなければなりません。
拒否権はありません。
あなたが拒否すれば、それは強制的に与えられるのです。
必要を避けることは出来ません。
理想に執着(しゅうちゃく)していると、必要を理解することが出来ません。
人生を思い通りにしようとする者には、人生の目的を果たすことが出来ないのです。
それは、人生の乏しさを意味してるのです。
人生の目的を果たすことなく、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
多くの人が、人生を空しく生きているのは、必要を避けているからです。
多くの人は、不平不満を生きているのです。
人生の導く必要に対して、文句を吐くのです。
良いものを取れば、悪いものを与えなければならないのです。
そうしなければ、人は傲慢(ごうまん)に溺(おぼ)れてしまうからです。
悪いものを取れば、良いものを与えなければなりません。
そうしなければ、人は自己批判(じこひはん)に励(はげ)んでしまうのです。
人生は、あなたが真っ直ぐに歩けるように、真っ当に生きられるように助けているのです。
良いものだけを取っても、悪いものだけを取っても、歪(ゆが)んでしまうのです。
良いものと悪いものを区別してはなりません。
あなたが真(まこと)に成るためには、どちらも必要なものなのです。
真とは、本質のことです。
あなたが真に成った時に、人生の目的を果たすことが出来るでしょう。

2020年10月27日火曜日

愛すること

すべての人には、歩むべき道が存在します。
すべての人は、自分の道を歩まなければならないのです。
人それぞれに歩むべき道は異なります。
誰一人として、同じ道を歩むことは出来ません。
残念ながら、あなたは誰かと共に歩むことは出来ないのです。
あなたの道は、あなただけのものです。
他者には、自分の道が存在するのです。
あなたは、他者の道を歩むことは出来ません。
これはあなたの道であり、あれは他者の道なのです。
あなたは、道を混同してはなりません。
あなたの歩むべき道は、誰とも同じものではないのです。
あなたは、独りで歩まなければなりません。
そして、他者も独りで歩まなければならないのです。
しかしながら、多くの人は、そのことを理解しません。
多くの人は、共に道を歩めるものと考えているのです。
残念ながら、生まれた目的は異なります。
誰一人として、同じ目的のために生まれることは出来ないのです。
人は、それぞれの道を歩まなければなりません。
あなたは、自分の道を進み、目的地へと辿り着く必要があります。
なぜなら、それが人生の目的であるからです。
人は、それぞれの目的を果たすために生まれたのです。
あなたは、道を妨げてはなりません。
道を進むためには、愛する必要があります。
自分を愛さなければ、自分の道を進むことは出来ません。
なぜなら、愛することで許(ゆる)すことが出来るからです。
愛さなければ、許すことは出来ないのです。
道を果たすためには、愛する必要があるのです。
あなたは、自分を愛しましょう。
そして、道を愛しましょう。
愛すれば、許すことが出来るでしょう。
道には、必要な学びが導かれます。
必要は、受け入れなければなりません。
しかしながら、多くの人は、必要を受け入れることが出来ません。
なぜなら、必要とは、あなたにとって都合の良いものではないからです。
大抵の場合、必要とは、あなたにとって都合の悪いものなのです。
あなたが道を進むためには、愛を以(もっ)て都合の悪いことを許す必要があるのです。
都合の悪いことを拒絶しているのであれば、道を進むことは出来ません。
それは、躓(つまず)きなのです。
愛が無ければ、躓いてしまうのです。
あなたは、自分と道を愛しましょう。
そして、躓くことなく歩むのです。
愛を損なえば、道を妨げることになるでしょう。
あなたは、愛を以て許さなければなりません。
浅はかな感情で学びを妨げてはなりません。
学びは、必要だから導かれるのです。
不要な学びなど存在しないのです。
苦しまなければならない時には、しっかりと苦しみましょう。
苦しみが導かれているのに、苦しみから逃げ出すことは愛ではないのです。
許して受け入れることが愛なのです。
あなたは、愛によって道を進むことが出来るでしょう。
愛が足りなければ、道を進むことは出来ないでしょう。
これは、他者に対しても同じことです。
あなたは、他者の歩みを妨げてはなりません。
苦しむ者には、しっかりと苦しむことが出来る方法を与えなければならないのです。
苦しみから救い出そうというのは、傲慢(ごうまん)であるのです。
苦しむ者は、苦しむ必要があるのです。
自分勝手に相手から苦しみを取り上げてはなりません。
その人にとっては、目の前の苦しみ以外の最善は存在しないのです。
愛とは、他者の道を応援することでもあるのです。
残念ながら、多くの人は愛を誤解しています。
愛とは許しなのです。
道を妨げるものは愛ではないのです。
あなたは、道を進まなければなりません。
そのためには、愛による許しが必要なのです。
愛しているのならば、許さなければなりません。
自分の都合を押し付けてはなりません。
人生を思い通りにしようとするのは、愛ではないのです。
人生がどのような学びを導こうとも、あなたはそれを許しましょう。
導かれるのは必要であり、最善だけなのです。
決して、無駄や無意味なことは道挽かれません。
あなたは、愛によって許しましょう。
許すことが出来ない者は、愛することも出来ないのです。

2020年10月26日月曜日

問題を解決する方法

 すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
誰一人として、無駄に生まれることはありません。
誰一人として、無意味に生きることは出来ないのです。
大切なのは、人生には果たすべき目的が存在するということを理解することです。
あなたには果たさなければならない目的というものが存在するのです。
あなたは、果たさなければならない目的を果たすために生まれたのです。
それ以外の理由はありません。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことなく、人生を完成させることは出来ません。
あなたは、人生を完成させなければなりません。
人生を未完成のままで放置してはならないのです。
あなたは、人生の目的を果たすために必要な経験を得なければなりません。
必要はどのような理由があろうとも受け取らなければならないのです。
残念ながら、あなたに拒否権はありません。
あなたがどれ程拒絶しようとも、必要は必ず実現するのです。
必要を避けることは出来ません。
どのような人物も、必要を受け取らなければならないのです。
残念ながら、必要とは、あなたにとって都合の良いものではありません。
寧(むし)ろ、あなたにとって都合の悪いものなのです。
あなたは、都合の悪い現実を受け取らなければなりません。
それは、問題としてあなたの目の前に導かれます。
残念ながら、問題を避ける方法はありません。
なぜなら、それが必要であり、最善であるからです。
問題を避けるということは、必要と最善を避けるということなのです。
必要と最善を受け取ることがなければ、不要と最悪を受け取らなければならないのです。
それはやはり、あなたにとって都合の悪い問題なのです。
それは、あなたにとっての必要であり最善なのです。
どうしても問題を避けることは出来ないのです。
どのように振る舞おうとも、必ず問題は導かれます。
あなたは問題と対峙(たいじ)しなければならないのです。
どのように逃れようとも、その先に必ず問題が存在するのです。
あなたが変わらない限りは、目の前に導かれる必要と最善も変わることはありません。
目の前に導かれる問題は、あなたにとって相応(ふさわ)しい学びなのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
目の前に導かれる問題は、あなたに丁度良いのです。
あなたには学ばなければならない試練があるのです。
その試練を経なければ、それ以上に成長することが出来ないのです。
学びは避けられません。
問題は必ず導かれるのです。
そして、苦しみは必ず実現するのです。
苦しまなければ、既存(きそん)の価値観を手放すことが出来ません。
苦しまなければ、自分を正当化し、既存の価値観に執着(しゅうちゃく)し続けるのです。
それは傲慢(ごうまん)なことなのです。
苦しみは、あなたの傲慢さをへし折るために導かれるのです。
苦しまなければ、既存の価値観を手放すことは出来ません。
苦しまなければ、既存の価値観が間違っているということを理解することが出来ないのです。
苦しむことによって、あなたはどうすることも出来ないことがあると理解することが出来るのです。
苦しまなければ、どうすることも出来ないことがあるということも知らずに生きなければならないのです。
それは、とても愚(おろ)かなことなのです。
残念ながら、多くの人が愚かに生きています。
多くの人が、自分が愚かであることに気が付いてはいないのです。
自分が愚かであることに気が付かないために、自分が正しいと思い込み、自らを正当化し、目の前の問題や苦しみを否定することが出来るのです。
必要を否定しても、満足を得ることは出来ません。
必要を否定するのだから、不満を得なければならないのです。
あなたは、そのことに気が付かなければなりません。
自分が正しいと思い込み、いつまでも、詰(つ)まらない意地を張って、必要な苦しみを否定し続けてはなりません。
その苦しみを得なければ、それより先は存在しないのです。
あなたが、その苦しみを受け入れるまで同じ学びが延々(えんえん)と繰り返されるのです。
残念ながら、あなたに必要の決定権はありません。
なぜなら、あなたには、何が必要であるか分からないからです。
あなたは、苦しみを受け入れましょう。
避けることも、逃れることも出来ないのです。
どのような方法を用いても、苦しみは必ず実現します。
あなたの気持ちなど考慮しません。
それは、あなたには、必要と最善を理解する知恵がないからです。
もしも知恵があれば、その問題や苦しみが必要や最善だと理解することが出来るでしょう。
知恵がないから、その問題や苦しみが必要や最善だと理解することが出来ないのです。
あなたは、知恵がないことを悟りましょう。
あなたは、何も知らないのです。
そのことを知らない者が多過ぎるのです。
知恵があれば、あなたがここまで苦しむことはないのです。
知恵があれば、あなたがここまで苦しむ必要などなかったのです。
あなたが苦しんでいるのは、知恵がなかったからです。
必要や最善を、必要や最善と理解することが出来ない程に、知恵がないのです。
知恵があれば、目の前に導かれている必要や最善を、必要や最善と理解することが出来るのです。
あなたは、目の前に導かれる問題と苦しみを大切にしなければなりません。
安易(あんい)に拒絶してはならないのです。
そのように知恵のない決断を下してはなりません。
人生が思い通りにいくなどと考えてはなりません。
思い上がってはなりません。
あなたは学ぶ側なのです。
自分の立場を忘れてはなりません。

2020年10月25日日曜日

人生は、必ずしも幸せでなくても良い

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
それ以外の目的を以て生まれることはありません。
どのような人物も、人生に果たすべき目的があるのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
すべての人は、それぞれの目的を果たすために生まれ、それぞれの目的を果たすために生きているのです。
人は、人生の目的を果たすために生きなければなりません。
どのような理由があろうとも、人生の目的を果たすために生きることを否定することは出来ないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
それは、決められていることなのです。
人生の目的を否定するように生きることは出来ないのです。
あなたがどのように考えようとも、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的からは逃れられないということを知りましょう。
そのような生き方を受け入れなければならないのです。
自分勝手に生きることの出来る人はいません。
自分勝手に生きているようであっても、人生の目的を果たすための必要をこなしているだけなのです。
人生の目的を果たすためには、それに相応(ふさわ)しい役割を果たさなければなりません。
必要な役割を果たすことがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
残念ながら、あなたは役割を決めることは出来ません。
なぜなら、役割というものは、人生の目的に付随(ふずい)しているからです。
人生の目的が決められている以上、役割を変更することは出来ません。
人生の目的が決められた時点において、役割は与えられているのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
因果の仕組みとは、すべての結果には、それに相応しい原因が存在するというものです。
結果を実現するためには、それに相応しい原因が必要なのです。
人生に生まれるためには、人生の目的という理由が必要なのです。
人生の目的とは、人生を始める前に決められたものなのです。
あなたの担(にな)うべき役割も、人生を始める前に与えられているということなのです。
どのように抵抗しても意味がありません。
あなたは、役割を担うしか生きる方法がないのです。
気に入らないと反発しても、役割を変えることは出来ません。
一度決まったことを覆(くつがえ)すことは出来ないのです。
人生をリセットすることは出来ません。
あなたは、生まれたのであれば、生きなければならないのです。
自分を生き切らなければならないのです。
あなたは、自らの役割を果たしましょう。
役割を果たすためには、信念を持たなければなりません。
与えられた役割を果たすという強い意志が必要なのです。
そうでなければ、あなたは簡単に諦(あきら)めてしまうのです。
どのような理由があろうとも、あなたは役割を果たさなければなりません。
どのような理由があろうとも、あなたは人生の目的を果たさなければならないのです。
あなたは、信念を以て役割を果たしましょう。
状況がどのようなものであろうとも、その役割を放棄(ほうき)してはなりません。
損得勘定で役割を放棄してはならないのです。
状況がどのようなものであろうとも、役割を果たしましょう。
人生は、必ずしも幸せでなくても良いのです。
残念ながら、多くの人はそのことを受け入れることが出来ません。
なぜなら、多くの人は、幸せに成るために生きているからです。
しかしながら、あなたは幸せに成るために生まれたのではありません。
あなたは、役割を果たし、人生の目的を果たすために生まれたのです。
残念ながら、幸せが最善とは限りません。
なぜなら、幸せとは、偏見(へんけん)と思い込みに過ぎないからです。
あなたの考えている幸せとは、幸せとは限りません。
なぜなら、それは変わるからです。
昔に幸せだったことが、今でも幸せであるでしょうか?
幸せの形は、あなたの状態によって変化するものなのです。
不幸と思っていることが最善である場合もあります。
大切なのは、自らの役割や、人生の目的から見てどうか?ということなのです。
あなたの偏(かたよ)った見方では、正しく判断することは出来ないのです。
幸せが最善であるのならば、幸せを受けましょう。
しかし、不幸が最善であるのならば、不幸を受けるのです。
あなたは、役割に従わなければなりません。
思い通りに生きたところで、”良いこと”はないのです。
そのようなものが一瞬だけ得られるような気はしますが、それは”良いこと”ではないのです。
思い通りに生きたとしても、満足は得られません。
あなたは、人生を広く見て、深く考えなければなりません。
幸せに成ることだけが道ではないのです。
人生が不幸を導くのであれば、不幸を生きましょう。

2020年10月24日土曜日

決め事

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
誰一人として、人生に無意味に生まれることは出来ません。
すべての人の人生には、果たすべき目的が与えられているのです。
あなたの人生には、果たすべき目的が存在しています。
あなたは、それを果たすために生まれたのです。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
人生の目的とは、例外なく崇高(すうこう)なものです。
どのような人物の、どのような人生の目的も、崇高であるということを理解しましょう。
一つとして、軽んじられて良い目的は存在しないのです。
あなたは、自分が崇高な目的のために生まれたということを覚えておきましょう。
あなたは、崇高な目的を果たさなければならないのです。
あなたは、人生を軽んじてはなりません。
どのような人生も、尊(とうと)いということを覚えていなければなりません。
大切なのは、崇高に生きようと努めることです。
あなたは、出来る限り崇高に生きなければなりません。
それは、出来る限り思いやりを以て生きるということなのです。
崇高である程に、利他的(りたてき)です。
利己的であれば、その生き方は低俗(ていぞく)なものとなってしまうのです。
残念ながら、多くの人は利己的に生きています。
自分では気が付いていませんが、低俗に落ちぶれてしまうのです。
利己的に考え、低俗に生きたとしても、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすことが出来なければ、人生は空しいのです。
残念ながら、多くの人は利己的に考え、低俗に生きてしまいます。
残念ながら、多くの人は、人生を空しく生きているのです。
多くの人は、不平不満を吐き、不安や心配に苛(さいな)まれています。
それは、利己的に考え、低俗に生きた結果なのです。
利己的に考えているから不平不満を吐くのです。
利他的に考えている人が、不平不満を吐くことはないのです。
不平不満は、利己的であるために生じる歪(ゆが)んだ感情なのです。
低俗に生きているから不安や心配に苛まれるのです。
低俗に生きていれば、人生の目的から遠ざかってしまうのです。
そのような現状を無意識の内に不安や心配に思ってしまうということなのです。
低俗に生きなければ、不安や心配は得られないのです。
不安や心配は、低俗に生きているために生じる歪んだ感情なのです。
あなたが、人生の目的を果たすためには、不平不満や不安や心配に陥(おちい)らないように生きることなのです。
崇高に生きることが求められているのです。
崇高に生きるためには、利他的に生きることです。
誰かや何かのために生きれば良いのです。
それだけで、崇高に生きることが出来るのです。
しかしながら、多くの人が利他的に生きることが出来ません。
多くの人は、自分のために生きるのです。
多くの人は、利益を無視して生きることが出来ないのです。
多くの人は、見返りを求めます。
多くの人にとって、利他的に生きるのは難しいことなのです。
それは、利益を得ることを決めているからです。
そして、損をしないことを決めているのです。
多くの人は、利益のために生きています。
多くの人は、利益を得ることを目的としているのです。
そのような価値観で生きている人が多いのです。
利己的に生きることも悪くはありませんが、それでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
残念ながら、すべての人が未熟に生まれます。
あなたは、未熟に生まれるのです。
あなたは、自らの決め事に捕らわれています。
あなたは、それに執着(しゅうちゃく)しているのです。
自らの決め事を守ることは、良いことのように思えます。
しかしながら、その決め事は、未熟なあなたによって決められたものなのです。
未熟な決め事を守り続けても展開(てんかい)はありません。
あなたは、自分の決め事を破らなければならないのです。
特定の価値観に執着してはなりません。
価値観は変化し続けるものなのです。
それが、自然の姿なのです。
完璧な決め事など存在しません。
すべての決め事は、やがて変更されるのです。
決め事にいつまでも従ってはなりません。
決め事を破ることによって、停滞(ていたい)を打破しましょう。
そして、人生の目的を果たすのです。

2020年10月23日金曜日

特別な景色

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
誰一人として、人生に無意味に生まれることは出来ません。
どのような人生にも、果たすべき目的が存在しているのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
そのためには、人生の目的を知らなければならないのです。
人生の目的を知るためには、自分を知る必要があります。
自分を知ることによって、人生の目的を知ることが出来るのです。
自分を知らないままでは、人生の目的を知ることは出来ません。
多くの人が、人生の目的を知らないのは、自分を知らないからなのです。
あなたは、自分を知っているでしょうか?
あなたは、自分が何か?分かりますか?
残念ながら、大抵の人には、その答えが分かりません。
多くの人は、自分が何か?も分からず、人生の目的が何か?も分からずに生きているのです。
自分や人生の目的とは、人生の基礎(きそ)です。
自分や人生の目的が何か?ということを知らなければ、他の何も知ることは出来ないのです。
残念ながら、あなたは何も知りません。
残念ながら、あなたの見解(けんかい)は間違っているのです。
あなたが幸福だと思っているものは、幸福とは限りません。
あなたが幸福だと思っていたものが、いつまでも幸福であった試しがあったでしょうか?
残念ながら、幸福がいつまでも幸福であるということはないのです。
あなたの成長に従って、幸福の形は変わってしまうのです。
それは、あなたが幸福を知らなかったということなのです。
幸福と思い込んで執着(しゅうちゃく)していたものは、幸福ではなかったのです。
現在、あなたが幸福と思っているものが、あなたにとっての幸福であるとは限りません。
多くの人は、他者の状態に憧(あこが)れ、それを羨(うらや)みます。
他者の状態を得ることによって、幸福が得られると思い込んでいるのです。
しかしながら、他者の状態を当てはめたところで、あなたが幸福を得ることは出来ません。
それは、生まれた理由が異なるからです。
あなたは、他者とは異なる理由で生まれたのです。
人生の目的は、人それぞれに異なるものなのです。
誰一人として、同じ目的のために生まれることはありません。
それは、誰一人として、同じ幸福のために生まれることは出来ないということなのです。
あなたにとっての幸福と、他者にとっての幸福は異なります。
自分の進むべき道と、他者の進むべき道は異なっているのです。
あなたが誰かのように生きて、同じような状態を得たとしても、幸福を得ることは出来ません。
目的が違うのだから、目的地は違っているのです。
大切なのは、自分の道を進むことです。
あなたは、自分の目的を果たし、自分の目的地へと辿り着かなければならないのです。
自分の道を進むためには、他の道を諦(あきら)めなければなりません。
他の道を諦めるというのは、他者を羨(うらや)んではならないということなのです。
あなたは、他者を羨んではなりません。
それは、価値のないことなのです。
誰かを羨んだとしても、あなたが幸福を得ることは出来ません。
あなたが幸福を得るためには、自分の道を進まなければならないのです。
それ以外の方法によって、幸福を得ることは出来ないのです。
すべての人は、自分の目的を果たすために生まれます。
自分の目的を果たすことが幸福なのです。
あなたが幸福を得るためには、自分の目的を果たせば良いのです。
自分の道を追求すれば、誰のことも羨む必要のない景色を得られるのです。
あなたが自分に成れば、他の誰とも異なる能力を発揮することが出来るのです。
それは、あなただけの魅力なのです。
自分を輝かせれば、他の誰かを羨む必要がなくなります。
違いを認めることによって、自分であることに幸福を覚えるのです。
誰かに憧れることによって、幸福を見出していてはなりません。
残念ながら、それは偽りの幸福なのです。
あなたの幸福は、この世界には存在しないものだと理解しましょう。
あなたは、それを自分の力で築かなければならないのです。
売られている商品を購入して得られる満足感は、偽りの幸福です。
自分で作り出したものから得られる満足感こそが、真の幸福なのです。
高価で精巧(せいこう)な既製品よりも、自分のために愛情込めて作ったり、作ってくれた粗雑(そざつ)であっても唯一(ゆいいつ)の物にこそ、真の価値があるのです。
あなたは、唯一の存在です。
自分の人生を生きることに真の価値があるということを理解しなければなりません。
他者を羨むことはやめましょう。
あなたは、唯一の存在なのです。
他者を羨む必要などないのです。

2020年10月22日木曜日

楽しく苦しむ

人生は苦しみの道です。
すべての人生に苦しみが存在するのです。
苦しみの存在しない人生など存在しません。
苦しみが存在しなければ、生まれる価値がないのです。
人生は、苦しいからこそ価値があるのです。
残念ながら、多くの人は、人生の苦しみの価値を理解しません。
多くの人は、苦しみに価値を見出すことが出来ずに否定(ひてい)するのです。
多くの人は、苦しみが嫌いです。
多くの人は、苦しみを受け入れられないのです。
苦しみが存在しないことに価値を見出しているのです。
多くの人は、苦しみを避けようと努めるのです。
多くの人は、苦しみの存在しない道を探します。
しかしながら、苦しみの存在しないと思われる道の先でも、苦しみに会うのです。
どの道を進んでも、必ず苦しみが存在するのです。
残念ながら、あなたは苦しみを避けることは出来ません。
どのような方法も、苦しみを避けることは出来ないのです。
どの道を進んでも苦しいのです。
あなたは、苦しみを避けることは出来ません。
人生は、苦しいものなのです。
なぜなら、人生の原因が自分自身に存在するからです。
人生という結果には、自分自身という原因が存在しているということを理解しなければなりません。
人生に苦しみが実現するのは、自分自身が汚れているからです。
自分自身の汚れが、苦しみとして返るのです。
誰かや何かによって苦しめられる訳ではありません。
そのように思えるのは、あなたが未熟であり、道理を見極めることが出来ないからです。
苦しみは、自分自身を原因として導かれているのです。
あなたは、偶然に苦しみに会うのではありません。
あなたは、苦しみに会うべくして会うのです。
苦しみが導かれるのは、あなたを弄(もてあそ)ぶためではありません。
苦しみが導かれるのは、あなたの汚れを取り除き、磨くためなのです。
あなたは、苦しみによって美しく磨かれるのです。
人生には、避けることの出来ない苦しみというものがあるのです。
避けられる苦しみというものもありますが、避けることの出来ない苦しみというものがあるということを理解しなければなりません。
それは、自らの汚れによる報(むく)いなのです。
苦しみを避けて喜びを追い求めても、その先で苦しみに会うのです。
例えば、孤独を避けて誰かと共に暮らすことにしたあなたは、自分と相手の愚(おろ)かさに苦しむことになるのです。
そこで、自分と相手の愚かさが導く苦しみを避けようと孤独の道に進んだとしても、孤独の空しさに苦しむことになるのです。
苦しみを避ける術(すべ)はありません。
それは、自らの汚れを避ける術がないからです。
あなたは、汚れているから人生に生まれるのです。
汚れていなければ、人生に生まれることもなかったのです。
あなたは、自らが汚れているということを理解しましょう。
あなたは、汚れを取り除き、美しく輝くために生まれたのです。
そのためには、苦しまなければなりません。
苦しまなければ、自分自身が汚れているということに気が付かないのです。
褒(ほ)められることは良いことです。
しかしながら、褒められている内は、自分自身が汚れているということに気が付けないのです。
褒められると、現状を肯定(こうてい)してしまうのです。
残念ながら、それは正しい判断ではありません。
あなたには、改善すべき多くの問題が存在するのです。
苦しみを改善するためには、それが問題であるということに気が付かなければならないのです。
あなたは、多くの問題を抱えているのです。
あなたの抱えている問題というのは、例えば、無知や愚かさなどです。
すべての人は、無知であり、愚かなのです。
苦しみの原因は、あなたが抱えているのです。
どの道を進んでも苦しむということに変わりはありません。
どの道を進んでも、あなたの汚れは露(あらわ)になるのです。
苦しみは避けられません。
あなたは、苦しみを受け入れましょう。
あなたにとって、苦しみは大切な導きです。
どちらにしても苦しみます。
避けられないのであれば、楽しく苦しみましょう。
苦しみに意味を見出しましょう。
苦しみに価値を見出すのです。
苦しみを苦しんではなりません。

2020年10月21日水曜日

克己復礼

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を無視して生きることは出来ないのです。
人生の目的とは、人生に生まれた理由です。
人生の目的を果たすことが、人生を生きる理由なのです。
すべての人が、人生に目的を以て生まれます。
あなたには、果たすべき目的が存在するのです。
人生の目的を果たすことは重要です。
なぜなら、人生の目的を果たすことによって、あなたは人生に豊かさを得るからです。
人生の目的を無視して生きれば、人生は必ず空しさを得るのです。
生まれた理由が分からなければ、何を得ても空しいのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たしましょう。
あなたが人生の目的を果たすためには、宿命に従って生きなければなりません。
宿命とは、避けることの出来ない必要です。
必要を受け入れなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
残念ながら、多くの人は、必要を受け入れることが出来ません。
多くの人は、必要を否定するのです。
なぜなら、人生における必要というものは、あなたの理想とは異なるからです。
理想を追い求めると、必要からは遠ざかってしまいます。
人生の目的を果たすためには、必要を受け入れなければならないのです。
残念ながら、人生の目的は、あなたの理想とは異なります。
それは、あなたが未熟に生まれるからです。
未熟なあなたには、人生の目的の価値を理解することが出来ないのです。
人生の目的には、人生を豊かなものにする価値があるのです。
人生の目的以外には、人生を豊かなものにする力はないのです。
人生の目的にどれ程の価値があるか分かるでしょう。
しかしながら、未熟なあなたには、その価値を理解することが出来ないのです。
未熟者には、価値を理解することが出来ないのです。
多くの人は、価値を知りません。
手に入れても空しいものに価値を見出し、日夜追い求めているのです。
多くの人は、人生に空しさを得ます。
それは、空しい価値を追い求めているからなのです。
未熟な価値観によって見出したものには、価値がありません。
しかしながら、多くの人は、無価値なものに価値があると信じて追い求めているのです。
残念ながら、あなたの見立ては間違っています。
自分が何か?人生が何か?も分からないのです。
そのような者に何が分かるというのでしょうか?
あなたは何も知りません。
しかしながら、人生の目的は果たさなければならないのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
人生の目的を果たすためには、宿命に従わなければなりません。
宿命は、あなたに必要を導きます。
あなたは、必要を受け入れなければなりません。
必要を受け入れるためには、都合で判断するのをやめることです。
あなたのやるべきことは、宿命が教えます。
あなたは、自分がやるべきことを実行しなければなりません。
あなたがやるべきこととは、避けることの出来ないことです。
どのように努めても逃げられないことこそが、あなたのやるべきことなのです。
やるべきことを実行すれば、人生もやるべきことを実行するでしょう。
必要を受け入れることによって、必要が満たされるのです。
必要が満たされることによって、道が開けます。
必要を受け入れることがなければ、道は開けないのです。
不義(ふぎ)を働くことでは、道は開けません。
快楽や欲望に陥(おちい)ることでも道は開けないのです。
あなたは、そのようなことのために生まれたのではないのです。
あなたは、義理を果たさなければなりません。
そのためには、克己復礼(こっきふくれい)しなければならないのです。
己に打ち克(か)つことも出来ない人間には、義理を果たす力はないのです。
人生を自分の都合で考えてはなりません。
あなたの都合など、取るに足らない詰(つ)まらないことなのです。
理想を追い求めることが最善の生き方ではありません。
やるべきことを実行することが、最善の生き方なのです。

2020年10月20日火曜日

心掛け

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければならないのです。
あなたは、人生の目的を果たしましょう。
それが、あなたの生まれた理由だからです。
人生の目的を果たすこと以上に重要な事はありません。
どのような用事も、人生の目的に比べると容易(たやす)いものなのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人生の目的を果たすためには、純粋でなければならないからです。
美しい心を保たなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的とは、最も純粋な動機です。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
因果の仕組みの支配するこの世界においては、どのような結果にも、それに相応しい原因が存在するのです。
原因が存在しなければ、結果は実現しないのです。
人生の目的は、人生を始める前に決めておかなければなりません。
あなたは、生まれる前に人生の目的を決めたのです。
それは、肉体を与えられる前の魂の時に決めたものなのです。
魂とは、純粋なあなたの本質です。
魂には、偽りや打算は存在しません。
そこには、ただ純粋が存在するだけなのです。
すべての人が、魂の時に人生の目的を決めているのです。
そのため、すべての人生の目的が純粋なものであるということなのです。
どのような人生も、不純な目的のために始まってはいません。
現在のあなたが考えているような目的のために、人生を始めた者はいないのです。
すべての理想が人生の目的とは異なります。
多くの人は、理想を実現するために必死です。
しかしながら、理想は人生の目的ではありません。
あなたは人生の目的を果たすために生まれたのです。
理想を実現するために生まれた訳ではないのです。
人生は、あなたが目的を果たすことが出来るように導きます。
残念ながら、人生が、あなたの理想を実現するために手助けをすることはありません。
なぜなら、あなたの理想など、取るに足らないものだからです。
人生の目的は、あなたの思い付くような陳腐(ちんぷ)なものではありません。
人生の目的は、あなたの理想のように、ころころと変わるようなものではないのです。
人生の目的は、初めから終わりまで変わることがありません。
あなたは、人生の目的のために生まれ、人生の目的のために生き、人生の目的のために死ぬのです。
人生の目的とは、それ程に重要なものなのです。
純粋でなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
美しい心でなければ、見失ってしまうのです。
残念ながら、多くの人は心を汚しています。
不安や不満、富や快楽の誘惑(ゆうわく)によって、簡単に心を汚してしまうのです。
残念ながら、多くの人は、誘惑に陥(おちい)っているのです。
大切なのは、純粋を保つことです。
あなたは、心掛けを良くしなければなりません。
普段の心掛けが道を決めるのです。
心掛けを良くするとは、思いやりを以て生きるということなのです。
あなたは、思いやりのある生き方を心掛けましょう。
魂とは、思いやりのあるものなのです。
思いやりから離れる時、あなたの心は汚れます。
薄情(はくじょう)な者は険(けわ)しい道を歩まなければならないのです。
どのような状況であろうとも、思いやりを手放してはなりません。
それは、人生の目的を手放すということだからです。
思いやりを以て生きれば、人生の目的を果たすことも出来るでしょう。
しかしながら、薄情に生きれば、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
薄情な者は、必ず躓(つまず)きます。
薄情な者が、真っ直ぐに歩むことは出来ないのです。
人生の目的を果たすためには、思いやりが必要です。
思いやりは、道標(みちしるべ)のようなものなのです。
思いやりを見失わなかった者だけが、人生の目的地への道を進むことが出来るのです。
思いやりを見失い、利己的に生きる者は、自分の理想を追い求めるでしょう。
理想を追い求めても、人生の目的を果たすことは出来ません。
思いやりを心掛け、人生に案内されて歩んだ先にこそ、人生の目的を果たす現実があるのです。
自分勝手に歩いても、目的地に辿り着くことは出来ません。
藪(やぶ)の中を進んで行こうとすれば、道に迷ってしまうのです。
思いやりを心掛ける者だけに道は開けます。
普段の心掛けを疎(おろそ)かにしてはなりません。
誘惑に陥り、薄情に生きてはなりません。

2020年10月19日月曜日

恩を施す

すべての人は、幸福を追い求めています。
すべての人は、満足することを求めているのです。
人生において、満足を得ることは重要なことです。
不満を抱えたまま生きていくことは、とても辛いことなのです。
不満を抱えないためには、満足を抱えなければなりません。
人は、一つの荷物しか抱えることが出来ないのです。
不満を得ている時に、満足を得ることは出来ません。
満足を得ている時に、不満を得ることは出来ないのです。
あなたは満足を得るか、不満を得るか、どちらかを選ばなければなりません。
あなたが幸福や満足を求めているのならば、幸福や満足を得るための選択を実行しなければなりません。
幸福や満足を得るための選択を実行しなければ、幸福や満足を得ることは出来ないのです。
あなたが幸福や満足を得るためには、恩(おん)を施(ほどこ)さなければなりません。
恩とは、施しです。
それは、恵み与えることです。
それは、愛のある原因を作ることなのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
因果の仕組みとは、すべての結果には、それに相応(ふさわ)しい原因が存在するというものです。
原因はそれに相応しい結果を必ず導きます。
原因に相応しくない結果が導かれることはないのです。
あなたが愛のある原因を所有しているのならば、愛のある結果を受け取ることが出来ます。
それは、避けられないことなのです。
因果の仕組みは必ず実現するのです。
あなたが幸福や満足を得ようと考えるのならば、愛のある原因を作らなければなりません。
どのような形でも良いのです。
あなたは愛のある原因を作りましょう。
何でも良いので、今のあなたに出来る形で何かを施しましょう。
それは、恩となり、徳(とく)を積むことになるでしょう。
徳とは、霊的な利益のことです。
それは、あなたの魂を磨き、高めるのです。
霊的な利益は、物質的な利益とは比較にならない程に価値のあるものなのです。
物質的な利益をどれだけ貪(むさぼ)っても、幸福や満足を得ることは出来ません。
物質的な利益は、一時的には幸福感や満たされているような感覚を与えてはくれますが、決して幸福や満足には至(いた)らないのです。
好物をたらふく食っても、決して幸福や満足を得ることは出来ません。
いくら好物だからといって、食べ過ぎてしまえば、幸福や満足を通り越して、腹痛や気分の悪さなどの苦しみに至ってしまうのです。
物質的な価値を追い求めたとしても、幸福や満足を得ることは出来ないのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
真(まこと)に価値があるのは、霊的な価値です。
霊的なものとは、存在するが形として現れないものです。
愛情や思いやりなどの思いは、 霊的に価値のあるものなのです。
あなたは、愛情や思いやりを以(もっ)て生きなければなりません。
恩を施しながら生きる必要があるのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
因果の仕組みの届かない場所は存在しません。
施した恩は、必ず返ります。
あなたが恩を施したからといって損をすることはありません。
因果の仕組みは確実に働くのです。
施した恩は、必ず返ります。
それは、あなたの考えているような形では返りません。
あなたにとって都合の良いことが、あなたにとっての最善であるとは限らないのです。
因果の仕組みは、最善の形であなたに恩を返します。
安心して、恩を施しましょう。
あなたは与え、助けるのです。
懐(ふところ)に物を積むよりも、天に徳を積みましょう。
幸福や満足を得るためには、それしか方法がないのです。
霊的な価値に価値を見出しましょう。
受け取ること、奪うことに価値を見出さず、与えること、恵むことに価値を見出すのです。
あなたは、高尚(こうしょう)に生きなければなりません。
美しい心で生きましょう。
快楽や欲望に塗(まみ)れて、心を汚してはなりません。
心の汚れた者は、自分が受け取ること、奪うことを望みます。
それでは、幸福や満足を得ることは出来ないのです。
美しい心を保てば、与えることや恵むことに価値を見出し、それを実行するのです。
あなたは、美しく生きましょう。
損を恐れてはなりません。
恩は必ず返るのです。
そのことを忘れてはなりません。

2020年10月18日日曜日

価値の変換

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生に目的もなく生まれることの出来る人はいません。
どのような人生であっても、果たすべき目的が存在するのです。
無意味な人生など存在しません。
無価値な人生など存在しないのです。
すべての人生に意味があり、価値があるということを理解しなければなりません。
あなたには、果たすべき目的が存在します。
”わたし”が、人生の目的の重要性を話すのは、それ以上に重要なことがないからです。
人生においては、人生の目的を果たすこと以上に重要なことはないのです。
しかしながら、多くの人はそのことを知りません。
例え、そのことを聞いたとしても理解しないのです。
それは、多くの人が、人生の目的が存在しているということを知らないことが原因です。
多くの人は、何のために人生が存在しているのか?知らないのです。
自分が何であるか?人生の果たすべき目的が何であるか?を知らないのです。
多くの人は、迷いの中に生きています。
多くの人は、迷いの中に悩むのです。
残念ながら、悩んだとしても答えが出る訳ではありません。
そのため、悩みの中で苦しむのです。
多くの人にとって、苦しいのが”普通”なのです。
人生の目的を理解しないのであれば、必ず苦しむのです。
あなたは、苦しむために生まれた訳ではありません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
そのことを理解しなければなりません。
いつまでも苦しんでいてはならないのです。
苦しみとは、人生の目的が存在することを知らないという無知から生じます。
人生の目的の具体的な姿は知らないとしても、人生には果たすべき目的が存在するということを知れば、無闇に苦しむ必要はなくなるのです。
多くの人は、無闇に苦しんでいるのです。
多くの人は、苦しみの理由が分からないのです。
多くの人は、苦しみの理由が、他者(人間関係)や仕事や財産や病や将来などと考えているのです。
それ等が良好であるのならば、苦しみは存在しないなどと考えているのです。
残念ながら、苦しみの理由はそのようなものではありません。
苦しみの理由は、人生の目的を知らないからです。
それ以外の理由は存在しないのです。
あなたは、人生には果たすべき目的が存在するということを知りましょう。
そうすれば、価値観を改めることが出来るのです。
大切なのは、価値の変換を実行することです。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を知らないという価値観によって生きています。
そのため、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ることが幸福だという価値観に従って生きています。
残念ながら、そのような価値観では、人生に目的が存在することすら理解することは出来ないのです。
あなたは、いつまでも既存(きそん)の価値観に従ってはなりません。
いつまでも同じ価値を追い求めてはならないのです。
あなたは、より本質的な価値を追求しなければなりません。
残念ながら、あなたは未熟に生まれます。
あなたの考える価値は、後には価値として認めることが出来ないようなものなのです。
成長すれば、それに価値を見出すことが出来ないのです。
それは、価値のないものに価値を見出しているということなのです。
もちろん、それは、今のあなたには価値のあるものです。
しかしながら、それは今だけなのです。
既存の価値観に従っていても、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
未熟な価値観で生き続けてはなりません。
あなたは、より本質的な価値を追い求めなければなりません。
多くの人の追い求める価値を追い求めてはなりません。
多くの人は、人生に目的が存在することすら知らないのです。
自分の行く先を知らない人の後に従って歩んではならないのです。
それでは、道に迷ってしまうのです。
あなたには、果たすべき目的が存在します。
そのことを忘れてはなりません。
人生の目的の姿が見えないとしても、それが存在するということを理解しなければなりません。
目の前の快楽や欲望を貪ったとしても、辿り着くのは空しさなのです。
あなたは、人生を楽しく、豊かに生きるために生まれたのです。
人生の目的を果たせば、人生は楽しく、豊かなものとなるのです。
それは、あなたの考えている楽しさや豊かさとは異なります。
それは、あなたの考えている楽しさや豊かさよりも、楽しく豊かなものなのです。
人生の目的を果たしましょう。
一つの価値観に執着(しゅうちゃく)してはなりません。
価値の変換が求められているのです。

2020年10月17日土曜日

考えを改める

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければならないのです。
誰一人として、人生の目的を無視することは出来ません。
なぜなら、人生の目的を果たすことが、あなたの生まれた理由だからです。
人生の目的を果たすことが、あなたにとって最も重要なことなのです。
人生の目的を果たすこと以上に重要なことはありません。
どのような目標も、人生の目的の前では価値を成さないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすためには、必要を実現しなければなりません。
必要を実現することがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生は、目的を果たすために展開していきます。
どのような状況も、人生の目的を果たすために必要な条件であるということを理解しなければなりません。
すべては、人生の目的を果たすためなのです。
あなたが必要を実現するためには、必要に従わなければなりません。
必要に従うことがなければ、必要を実現することは出来ないのです。
大切なのは、必要を見極めることです。
必要に抵抗しているのであれば、それを実現することは出来ないのです。
残念ながら、多くの人は、必要に抵抗します。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいるのです。
多くの人は、自分の理想が最善と思い込んでいるのです。
そのため、理想を実現するために尽力(じんりょく)します。
何かに対して力を尽くすことは良いことですが、その労力を人生の目的を実現するために使うことの方が有意義です。
残念ながら、あなたは人生の目的を知りません。
人生の目的を知っているのは、人生だけなのです。
残念ながら、あなたは人生の目的を忘れているのです。
人生の目的は、あなた自身が決めました。
しかしながら、それは生まれる前のことなので、忘れてしまっているのです。
しかし、あなたは人生の目的を果たすことが出来るように、人生の目的を思い出すことが出来るように人生に頼んだのです。
人生は、あなたの願いを聞き入れて、宿命を使ってあなたに必要を導くようになったのです。
しかしながら、あなたはその約束を忘れてしまっているのです。
人生は、宿命によって必要を導きます。
あなたの目の前には、常に必要が導かれているのです。
後は、あなたが必要に合わせれば良いだけなのです。
必要が変わることはありません。
必要は必要なのです。
重要なのは、必要に合わせてあなたが変わることなのです。
必要を実現するためには、必要に従う自分でなければなりません。
あなたは自分の理想に従ってはならないのです。
考え方を改めなければなりません。
自分が正しいという思い込みを手放すのです。
考え方を変えなければ、必要を満たすことは出来ません。
あなたがどれだけ自己を正当化しようとも、必要を実現することは出来ないのです。
正しいのは人生です。
あなたは、宿命こそが正しいということを理解しなければなりません。
残念ながら、あなたは知らないのです。
あなたには、人生の目的が分からないのです。
謙虚(けんきょ)になって、宿命を受け入れなければならないのです。
あなたは、自分が正しいという思い込みを手放しましょう。
理想は、必ずしも実現する必要はありません。
残念ながら、人生に理想は実現しないのです。
それが自然なのです。
理想を実現しようとする考えが歪んでいるのです。
理想とは、偏見(へんけん)に過ぎないからです。
あなたは、自分が何か?知りません。
そして、人生が何か?分からないのです。
そのような者に、どうして必要を理解することが出来るのでしょう?
そのような者に、どうして人生の目的を果たすことが出来るのでしょうか?
残念ながら、あなたは理想を諦(あきら)めましょう。
あなたの理想は、人生の目的とは掛け離れているのです。
理想を実現したところで、あなたが満足することはないのです。
理想を実現したとしても、空しさが襲うでしょう。
なぜなら、理想は、果たすべき人生の目的ではないからです。
あなたは、自らを改めなければなりません。
必要に従って、自分の考えを変えるのです。

2020年10月16日金曜日

理想を諦める

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生きなければなりません。
あなたに与えられた時間と労力と命は、人生の目的を果たすために費やさなければならないのです。
それ以外に使い道はないのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことが、あなたの生まれた理由なのです。
しかしながら、あなたには、人生の目的を理解することは出来ません。
あなたに理解することが出来る程、人生の目的は容易(ようい)なものではないのです。
人生の目的はとても単純なものですが、理解は誰にとっても難しいものなのです。
人生の目的を告げても、あなたはそれを理解することもなければ、納得することもありません。
残念ながら、あなたには、人生の目的を理解する力がないのです。
それは、簡単な外国語を理解することが出来ないのと同じようなことなのです。
とても単純であるにもかかわらず、理解することも、納得することも出来ないのです。
しかしながら、あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことは、人生において最も重要なことなのです。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を理解する必要があります。
残念ながら、あなたは、人生の目的を知りません。
人生の目的を知っているのは、あなたの魂なのです。
魂は、人生の目的を以て肉体に生まれ、宿命を以て人生を導くのです。
あなたは、宿命を受け入れ、魂に問わなければなりません。
人生の目的は、魂が知っているのです。
人生の目的を果たすための道案内は、宿命が行うのです。
あなたは、宿命に従って歩まなければなりません。
宿命に従うということは、理想を諦(あきら)めるということです。
理想を実現しようとすれば、宿命に逆らわなければなりません。
残念ながら、人生の目的は理想とは異なるのです。
理想を追い求めても、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
理想とは、偏見(へんけん)です。
理想とは、あなたの思考によって見る夢なのです。
思考は、経験の度合いなのです。
理想は、経験を元に導き出される最善なのです。
人生の目的は、先天的なものです。
それは、あなたが生まれる前に決めてあるものなのです。
因果の仕組みの支配するこの世界においては、人生という結果を実現するためには、人生の目的という原因が必要なのです。
原因は、結果が導かれる前に存在します。
人生の目的は、人生を始める前に存在していなければならないのです。
人生の目的は、あなたが生まれる前に決めてあったものなのです。
思考では、それを理解することは出来ないのです。
理想を果たすことでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたは理想を過度に追うことに注意しなければなりません。
すべての思いを果たすことは出来ないのです。
人生は、思い通りにならないものなのです。
残念ながら、あなたは理想を実現することが出来ません。
あなたは、人生に対して、理想を実現しなくても良いのです。
理想を実現しようとしても、決して実現することは出来ないのです。
人生に実現するのは最善です。
あなたから見れば、最善とは理想の実現ですが、魂から見るとそうではないのです。
魂の考える最善とは、人生の目的を果たすことなのです。
あなたは、思考である自我意識と、魂である非我意識(ひがいしき)との矛盾に苦しむのです。
残念ながら、それは避けられないことです。
人生には、必ず後悔が残るのです。
すべての思いを果たすことは出来ません。
宿命を受け入れる時には、理想は諦めなければならないのです。
理想は、宿命に抗(あらが)うことは出来ないのです。
理想とは、川に浮かんだ枯れ葉のようなものなのです。
それは、流れに従って流されるだけなのです。
理想によって宿命に逆らうことは出来ません。
人生には、どうしても理想を実現することは出来ないのです。
思考に従って生きている者には、どうしても後悔が残ってしまうのです。
残念ながら、多くの人は思考に従って生きています。
そのため、宿命を受け入れることが出来ずに、理想によって抵抗します。
宿命が迫っているのに、理想を実現しようと意地になっているのです。
意地を張っても、宿命を退(しりぞ)けて理想を実現することは出来ません。
あなたは、宿命を受け入れなければならないのです。
人生には、必ず後悔が残ります。
思考に従って生きている内は、後悔によって苦しむということを覚えておきましょう。
大切なのは、理想を手放し、宿命を受け入れることなのです。
それは、とても単純なことですが、とても難しいということを覚えておきましょう。
理想を諦め、人生の目的を果たしましょう。

2020年10月15日木曜日

成長とは

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすためには、成長を実現しなければなりません。
現状のあなたでは、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
なぜなら、あなたは未熟に生まれたからです。
すべての人は、未熟に生まれるのです。
すべての人は、未熟に生まれなければならないのです。
誰一人として、未熟を否定することは出来ないのです。
あなたは、自分が何か?知りません。
あなたは、人生が何か?知らないのです。
自分が何かを知らず、人生が何かも知らないのであれば、人生の目的を果たすことなど出来るはずがないのです。
残念ながら、あなたは、自分が何かを知らず、自分が何をやっているかも分からないのです。
そのような状態では、人生の目的を理解することなど出来るはずがないのです。
あなたは、何も知らずに生きています。
それでは、人生の目的を果たすことは出来ないということを覚えておきましょう。
人生の目的を果たすためには、成長を実現する必要があります。
自分とは何か?人生とは何か?これ等の問いに答えを導き出すためには、成長を実現する必要があるのです。
成長しなければ、答えを導き出すことは出来ません。
あなたは、成長する必要があるということを理解しましょう。
あなたは、成長を目指さなければなりません。
しかしながら、多くの人の考える成長を実現したところで、自分や人生に答えを導き出すことは出来ません。
多くの人の考える成長は、本当の意味での成長ではないのです。
本当の意味での成長は、自分や人生に答えを導き出すことの出来るものなのです。
歳を重ねることでは、自分や人生に答えを導き出すことは出来ません。
残念ながら、多くの老人は、自分や人生が何か?という問いに答えることが出来ないのです。
長生きすることは、本当の成長ではないのです。
多くのことが出来るように成ることでは、自分や人生に答えを導き出すことは出来ません。
残念ながら、多くの大人は、自分や人生が何か?という問いに答えることが出来ないのです。
多くのことが出来るようになることは、本当の成長ではないのです。
富を貯(たくわ)えることでは、自分や人生に答えを導き出すことは出来ません。
残念ながら、すべての富を手に入れたとしても、自分や人生が何か?という問いに答えることは出来ないのです。
富を貯えることは、本当の成長ではないのです。
成長とは、上昇することでも、拡大することでもありません。
成長とは、自分を知ることなのです。
自分の分際を弁(わきま)えることこそ、本当の成長なのです。
成長とは、自分に成るということです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
成長の意味を履き違えては、自分を知ることも、人生を知ることも出来ないのです。
あなたは、自分の分際を弁えなければなりません。
そのためには、自分と向き合うことです。
自分を知るためには、自分と向き合わなければならないのです。
それは、内を見詰めることです。
あなたは、内向(ないこう)する必要があるのです。
内に向かわなければ、分際を知ることは出来ないのです。
多くの人は、外に向かいます。
外に向かい、多くを獲得することを成長と信じているので、自分の分際を知ることは出来ないのです。
自分の分際を知らなければ、自分が何か?も分からないのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
名声や富を得るために生まれたのではないのです。
そのようなものは、人生の目的を果たすための材料に過ぎないのです。
名声や富を人生の目的と考えてはなりません。
自分に成らなければ、人生の目的を理解することは出来ません。
あなたは、自分に成りましょう。
内に向かい、分際を知るのです。
内を見詰めることは重要なことなのです。
多くの人のように、外に向かい傷付け合ってはなりません。
それぞれが内に向かい、自分の分際を知れば、互いを労(いたわ)ることが出来るのです。
分際を知れば、争う必要はないのです。
分際を知れば、それぞれの必要と、その役割が見えてくるからです。
分際を弁えた者が争うことはありません。
分際を弁えた者が奪うことはありません。
分際を弁えた者が苦しむことはないのです。
あなたは、分際を弁えましょう。
そして、必要を果たしましょう。
そうすれば、人生には豊かさが導かれるのです。
成長を履き違えてはなりません。

2020年10月14日水曜日

問題の価値と意味

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的は果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
無意味な人生など存在しません。
あなたが、どのような現状を生きていようとも、そこには大切な意味があるのです。
すべては意図(いと)して導かれるのです。
無意味に導かれる状況など存在しません。
あなたの目の前に導かれる状況は、それがどのようなものであれ、あなたにとって大切な意味があり、あなたにとっての最善なのです。
人生には、何一つとして無駄はありません。
あなたが無駄や無意味に思えることにも、大切な価値や意味が存在しているのです。
あなたは人生の価値や意味について考えなければなりません。
人生の価値や意味について考えなければ、人生の価値や意味を見出すことは出来ません。
残念ながら、多くの人は、人生の価値や意味について考えることをしません。
目の前に展開(てんかい)される様々な問題によって、人生の価値や意味について考える余裕を失っているのです。
残念ながら、人生には様々な問題が導かれます。
問題の存在しない人生などありはしないのです。
どのような人物の、どのような人生にも、問題が生じるということを覚えておきましょう。
人生に問題は避けられません。
すべての人生に問題が生じるのです。
しかしながら、その問題には価値があり、意味があるということを理解しなければなりません。
人生の価値や意味について考えない人には、目の前の問題の持つ価値や意味を理解することは出来ません。
人生の価値や意味について考えない人は、目の前の問題を価値や意味のないものとして考えてしまうのです。
人生における様々な問題には、素晴らしい価値や意味が存在しています。
何一つとして無駄や無意味はありません。
あなたはそのことを理解しなければならないのです。
目の前の問題を安易(あんい)に否定してはなりません。
目の前の問題を否定するということは、目の前の問題が持つ価値や意味を否定するということだからです。
目の前の問題が持つ価値や意味を否定すれば、そこから得られるはずの価値や意味を得ることが出来ません。
それは、人生を進める上でとても重要なことなのです。
どのような人物も問題を避けることは出来ません。
どのような人物も問題と向き合わなければならないのです。
問題は様々な形であなたを苦しめます。
あなたは、問題によって苦しまなければならないのです。
しかしながら、問題が導かれる目的は、あなたに人生の価値や意味を教えるためなのです。
あなたは、問題によって、人生の価値や意味を理解するでしょう。
問題が導かれなければ、あなたは人生の価値や意味を理解することが出来ないでしょう。
問題は、あなたの歩みを妨げ、自らの歩みを省(かえり)みる機会を与えるのです。
問題が起きなければ、あなたは、間違った道をいつまでも突き進まなければなりません。
間違った道を進んでも人生の目的地に辿り着くことは出来ないのです。
問題は、あなたを正すために導かれるのです。
あなたを正す問題を安易に否定してはならないのです。
寧(むし)ろ、問題に対して感謝をし、前向きに受け入れなければならないのです。
問題を否定することは間違っています。
なぜなら、問題こそが、あなたの傲慢(ごうまん)や思い上がりを取り除く唯一の方法だからです。
問題が起こらなければ、あなたは自分が正しいと思い込み、傲慢に生きていたことでしょう。
問題によって、あなたは自分が間違っていることや、自分が正しくないということを理解することが出来るのです。
あなたは、目の前に導かれる問題に対して前向きに向き合わなければなりません。
前向きに向き合わなければ、その価値や意味を理解することは出来ないのです。
多くの人は、問題の持つ価値や意味を理解しません。
人生には、何一つ無駄はなく、何一つ無意味なものは存在しないのです。
あなたは、人生が最善の形で展開しているということを理解しましょう。
多くの人は、欠乏感(けつぼうかん)に従っています。
多くの人は、常に何かが足りないと思い込んでいるのです。
それは、とても苦しいことなのです。
欠乏感に支配されると、不安が導かれるのです。
必要は、十分に足りています。
足りないものは何一つ存在しません。
人生においては、必要は満たされているのです。
あなたは欠乏感に従ってはなりません。
必要は十分に足りているという気持ちで行動しなければなりません。
必要が満たされていると言うことを信じなければ、自らの持つ創造性を働かせることは出来ないのです。
創造性を働かせることがなければ、詰まらない選択を繰り返さなければなりません。
それは、更なる問題を引き起こし、あなたにより大きな苦しみを与えるのです。
あなたは、満たされているということを覚えておきましょう。
何一つ足りないものはありません。
必要は満たされていて、無駄や無意味は存在しないのです。
無駄や無意味に思えることがあるだけなのです。
あなたは、目の前の問題に感謝しましょう。
それは、あなたを正す唯一(ゆいいつ)の方法だからです。
目の前の問題を軽んじてはなりません。
あなたは、そこから人生の価値と意味を学ぶ必要があるのです。

2020年10月13日火曜日

真っ直ぐに生きる

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことは重要です。
なぜなら、それが人生を始めた理由だからです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的が存在しなければ、人生そのものが存在しなかったのです。
人生の目的は、人生において、何よりも重要なことであるということを理解しなければなりません。
しかしながら、多くの人は、人生の目的を軽んじています。
多くの人は、人生の目的を考えることをしません。
多くの人は、人生の意味を考えないのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ることや、自分自身の抱える心の歪みに翻弄(ほんろう)されているだけなのです。
人生の目的や意味について考えることはないのです。
なぜなら、それは答えの出ない問いだからです。
残念ながら、すべての人にとって、人生の目的を理解することは困難です。
それは、遠くの目的地であるために、理解を深めることが難しいのです。
多くの人は、目の前の目的地を目指します。
簡単に導き出せる答えを探し続けているのです。
多くの人は、短絡的に生きています。
短期的に考え、短期的に行為するのです。
多くの人は、気が短いのです。
長期的な努力が出来ないのです。
人生の目的を果たすためには、長期的な考え方や努力の仕方が必要です。
それは、存在しない答えを探しているようなものだからです。
答えは存在していますが、それを得られるのは遠い先のことなのです。
多くの人は、少しでも早く答えを求めますが、重要な答え程、簡単には得られないものなのです。
あなたは、一粒の種を与えられているようなものなのです。
あなたは、その種を大切に育てなければなりません。
あなたは小さな鉢(はち)に種を蒔(ま)くのです。
しかしながら、それで終わりではありません。
あなたには、その種を育てる必要があるのです。
種を発芽させるためには、水を与えなければなりません。
一度与えれば終わりということではありません。
発芽するまでは、水を与え続けなければならないのです。
発芽しても、水を与えることを怠(おこた)ってはなりません。
水を与えることを怠れば、枯(か)れてしまうからです。
それは、発芽すれば陽の光に当てなければならないからです。
陽の光は、水分を容赦(ようしゃ)なく奪ってしまいます。
枯れないように水を与え続けなければならないのです。
そうすれば、枝葉が伸びてくるでしょう。
枝葉が伸びれば、花を咲かせるために肥(こ)えを与えなければなりません。
花が咲けば、実るまで世話を続ける必要があるのです。
花が咲いても、水や肥えを切らしてしまえば、実りには至(いた)らないのです。
実ったとしても、苦い果実である可能性もあるのです。
道を簡単に放棄(ほうき)してはなりません。
あなたは、どのような道を進むにしても、努力を放棄してはならないのです。
その道に対して、努力を続けなければなりません。
どのように小さな一歩でも構いません。
目的地に向けて前進する必要があるのです。
残念ながら、人生は決して思い通りにはなりません。
あなたの思い通りにはならないのです。
決して上手くはいかないのです。
道を真っ直ぐに歩めば、目的地へと辿り着くことが出来ます。
しかしながら、様々な誘惑(ゆうわく)に陥(おちい)って蛇行(だこう)するのです。
努力は、道を真っ直ぐに歩むためのものなのです。
あなたは、道を真っ直ぐに歩みましょう。
真(まこと)に生きるのです。
天に恥じないように生きなければなりません。
偽(いつわ)りを用いれば、歩みは歪んでしまうのです。
不利を得るとしても、真を手放してはなりません。
美しく生きなければ、目的地に辿り着くことは出来ないのです。
真っ直ぐに生きる努力を続けましょう。
真を軽んじてはなりません。
道を放棄してはなりません。