すべての人は、幸せを追い求めています。
すべての人は、幸せを欲しているのです。
それは、幸せという状態が心地好いからです。
幸せを手に入れることで、人生を完成させることが出来ると思っているのです。
多くの人にとって、幸せとは魅力的なものです。
多くの人は、幸せを最善だと思っているのです。
多くの人は、幸せを必要としているのです。
心地の好いことは素敵です。
しかしながら、それが最善であり、必要であるとは限りません。
なぜなら、”神”は、幸せと同時に不幸も創り出したからです。
幸せと不幸は隣り合わせに存在しています。
多くの人は、幸せと不幸は離れて存在していると思い込んでいます。
しかしながら、幸せと不幸の境(さかい)は見当たらないのです。
幸せとは不幸であり、不幸とは幸せなのです。
幸せと不幸とは、同じものなのです。
同じものを別のものと考えているのです。
幸せは、いつまでも幸せとは限りません。
それは、ひょんな拍子(ひょうし)で形を変えるのです。
幸せは、何かの拍子で不幸へと変わります。
同じように、不幸であっても、何かの拍子に幸せへと変わるのです。
それは、あなたの見方、受け取り方に過ぎません。
幸せや不幸というものは、あなたの内にこそ存在しているのです。
幸せや不幸というものは、外には存在しないのです。
あなたは、目の前の事象に対して、自分勝手に幸せや不幸という色を塗っているだけなのです。
目の前に導かれるのは、無色透明の最善と必要だけなのです。
それを勝手に判断しているに過ぎないのです。
幸せに成ることが最善や必要であるとは限りません。
不幸に成ることが最善や必要である人があるのです。
幸せな者は不幸を得ます。
不幸な者は幸せを得るのです。
そうやって、人生の目的を学ぶのです。
人生において、幸せや不幸というのは幻想です。
そこには学びがあるだけなのです。
そこには、最善と必要があるだけなのです。
それ以外は存在しません。
否定的に生きたとしても良いことはありません。
それは、最善と必要を否定する生き方だからです。
あなたは、出来る限り肯定的(こうていてき)に生きなければならないでしょう。
あなたは、自らの人生を受け入れなければならないのです。
それは、決して思い通りにはなりません。
人生は、何一つ思い通りにはならないのです。
しかしながら、それが最善であり、必要なのです。
あなたの人生には、果たすべき目的が存在しています。
あなたは、目的を果たすために生きているのです。
目的を果たすためには、それを果たすに相応(ふさわ)しい役割を果たさなければなりません。
あなたは、自らの役割を受け入れなければなりません。
自らの役割を受け入れるためには、自らの分際を受け入れなければならないのです。
肯定的に生きることが出来なければ、否定的に生きるしかありません。
それは、理想を追い求める生き方なのです。
理想を追い求める生き方は、良い生き方のように思えるかも知れません。
多くの人は、そのような生き方を幸せと呼ぶかも知れません。
しかしながら、否定的な生き方では、決して人生を果たすことは出来ないのです。
理想を追い求める生き方には”底”がありません。
人間の欲望には限りがないのです。
それでは、どこにも辿り着くことが出来ないのです。
あなたは、出来る限り肯定的に生きなければなりません。
理想を追い求めて、最善と必要を否定してはなりません。
最善と必要は、常に導かれています。
そこには、幸せや不幸といった詰まらない区別はありません。
最善と必要は、そのような区別を超越するのです。
小さな価値観に執着(しゅうちゃく)していてはなりません。
幸せを善とし、不幸を悪とするような生き方をしてはならないのです。
目の前の状況に幸せを感じていようとも、不幸を感じていようとも、対した問題ではないのです。
そこに重きを置いてはならないのです。
あなたは、幸せでも不幸でもどちらでも良いのです。
なぜなら、幸せには幸せの価値があり、不幸には不幸の価値があるからです。
どちらにしても価値があるのです。
価値を否定するのは不自然なのです。
あなたは、価値を肯定しなければなりません。
受け入れることに価値を見出しましょう。
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