すべての人には、歩むべき道が存在します。
すべての人は、自分の道を歩まなければならないのです。
人それぞれに歩むべき道は異なります。
誰一人として、同じ道を歩むことは出来ません。
残念ながら、あなたは誰かと共に歩むことは出来ないのです。
あなたの道は、あなただけのものです。
他者には、自分の道が存在するのです。
あなたは、他者の道を歩むことは出来ません。
これはあなたの道であり、あれは他者の道なのです。
あなたは、道を混同してはなりません。
あなたの歩むべき道は、誰とも同じものではないのです。
あなたは、独りで歩まなければなりません。
そして、他者も独りで歩まなければならないのです。
しかしながら、多くの人は、そのことを理解しません。
多くの人は、共に道を歩めるものと考えているのです。
残念ながら、生まれた目的は異なります。
誰一人として、同じ目的のために生まれることは出来ないのです。
人は、それぞれの道を歩まなければなりません。
あなたは、自分の道を進み、目的地へと辿り着く必要があります。
なぜなら、それが人生の目的であるからです。
人は、それぞれの目的を果たすために生まれたのです。
あなたは、道を妨げてはなりません。
道を進むためには、愛する必要があります。
自分を愛さなければ、自分の道を進むことは出来ません。
なぜなら、愛することで許(ゆる)すことが出来るからです。
愛さなければ、許すことは出来ないのです。
道を果たすためには、愛する必要があるのです。
あなたは、自分を愛しましょう。
そして、道を愛しましょう。
愛すれば、許すことが出来るでしょう。
道には、必要な学びが導かれます。
必要は、受け入れなければなりません。
しかしながら、多くの人は、必要を受け入れることが出来ません。
なぜなら、必要とは、あなたにとって都合の良いものではないからです。
大抵の場合、必要とは、あなたにとって都合の悪いものなのです。
あなたが道を進むためには、愛を以(もっ)て都合の悪いことを許す必要があるのです。
都合の悪いことを拒絶しているのであれば、道を進むことは出来ません。
それは、躓(つまず)きなのです。
愛が無ければ、躓いてしまうのです。
あなたは、自分と道を愛しましょう。
そして、躓くことなく歩むのです。
愛を損なえば、道を妨げることになるでしょう。
あなたは、愛を以て許さなければなりません。
浅はかな感情で学びを妨げてはなりません。
学びは、必要だから導かれるのです。
不要な学びなど存在しないのです。
苦しまなければならない時には、しっかりと苦しみましょう。
苦しみが導かれているのに、苦しみから逃げ出すことは愛ではないのです。
許して受け入れることが愛なのです。
あなたは、愛によって道を進むことが出来るでしょう。
愛が足りなければ、道を進むことは出来ないでしょう。
これは、他者に対しても同じことです。
あなたは、他者の歩みを妨げてはなりません。
苦しむ者には、しっかりと苦しむことが出来る方法を与えなければならないのです。
苦しみから救い出そうというのは、傲慢(ごうまん)であるのです。
苦しむ者は、苦しむ必要があるのです。
自分勝手に相手から苦しみを取り上げてはなりません。
その人にとっては、目の前の苦しみ以外の最善は存在しないのです。
愛とは、他者の道を応援することでもあるのです。
残念ながら、多くの人は愛を誤解しています。
愛とは許しなのです。
道を妨げるものは愛ではないのです。
あなたは、道を進まなければなりません。
そのためには、愛による許しが必要なのです。
愛しているのならば、許さなければなりません。
自分の都合を押し付けてはなりません。
人生を思い通りにしようとするのは、愛ではないのです。
人生がどのような学びを導こうとも、あなたはそれを許しましょう。
導かれるのは必要であり、最善だけなのです。
決して、無駄や無意味なことは道挽かれません。
あなたは、愛によって許しましょう。
許すことが出来ない者は、愛することも出来ないのです。
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