この世界には、因果の仕組みが存在しています。
誰一人として、因果の仕組みを無視することは出来ません。
すべては、因果の中に存在しているのです。
何一つとして、因果を離れることは出来ません。
因果の仕組みとは、どのような結果にもそれに相応(ふさわ)しい原因が存在しているということです。
それがどのような結果であろうとも、それに相応しい原因が存在しているのです。
この世界には、因果を離れて導き出されるものはありません。
“奇跡”というものは存在しないのです。
奇跡のように思えるものがあるでしょうが、そこにも原因が存在しているのです。
どのような結果にも、それに相応しい原因が存在しているということを忘れてはなりません。
必要な結果を導くためには、それに相応しい原因が必要です。
あなたは結果を求めるのではなく、原因を求めなければなりません。
どのように求めても、それに相応しい原因がなければ得られません。
“奇跡”は起きないのです。
あなたは、奇跡を待ち望んではなりません。
どれだけ待っても、決して実現しないからです。
奇跡は起きません。
奇跡を待つことをやめましょう。
奇跡を待つために費やす時間と労力を、 一つでも良い原因を準備するために使いましょう。
必要な結果を導き出すためには、その条件を満たす原因が必要です。
無条件で導き出される結果など存在しません。
無条件で導き出される結果を奇跡というのです。
条件を満たさない限りは、どのような結果も導き出されることはありません。
それがどのような結果であろうとも、あなたがそれを導き出す条件を満たしたのです。
すべては、自分自身の選択の結果です。
あなたが選んだから、あなたの目の前にその状況が導かれたのです。
あなたが選ばなければ、その状況は導かれなかったのです。
あなたが選んだのです。
他にも選択肢はありました。
しかしながら、あなたは“それ”を選んだのです。
自分で選んだ結果を受け取っているのに、多くの人は、不平不満を抱くのです。
誰かや何かによって、状況が導き出されることはありません。
すべてが、自分自身の選択なのです。
あなたは、自分自身の選択を考えなければなりません。
結果を求める気持ちを弱め、原因を選ぶことに時間と労力を費やさなければなりません。
原因が存在しなければ、結果は導き出されません。
あなたは、そのことを覚えていなければなりません。
因果の仕組みを見失っている時、人は、不平不満を抱くのです。
不平不満を抱けば、それが原因として認識されます。
すると、人生は因果の仕組みを使って、不平不満に相応しい結果を導き出すことになるのです。
その時、あなたは自分が受け取った結果に対して、納得することが出来ないでしょう。
なぜなら、あなたには自覚がないからです。
自分が選択したことが分からないのです。
多くの人は、自分が何をしているか分からないのです。
自分の選択と、導かれている状況が等しいということを理解することが出来ないのです。
多くの人は、自分の選択が理想を導き出すと思い込んでいます。
しかしながら、実際には、理想とは掛け離れた状況を受け取っているのです。
多くの人は、導き出された状況に納得がいきません。
自らの選択が正しく、導き出される状況が間違っていると信じているのです。
多くの人は、思い通りにいかない現実を誰かや何かのせいにしています。
すべては、自分自身の選択であるにも関わらず、誰かや何かのせいで、人生が決まると思い込んでいるのです。
これは、あなたの人生です。
あなた以外の誰かや何かが、人生を決めることなどありはしないのです。
人生の原因は、自分です。
あなたが、人生を決めているのです。
そのことを理解しなければなりません。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
必要な結果を得るためには、必要な原因を準備しましょう。
無条件に与えられるものなどありません。
何かを受け取るためには、何かを与えなければなりません。
与えてもいないのに、受け取ることなど出来ないのです。
多くの人は、与えてもいないのに、受け取ろうとしているのです。
あなたが何かを受け取るためには、受け取るための条件を満たさなければならないのです。
両手一杯に何かを抱えたままでは、何かを受け取ることは出来ないのです。
受け取るためには、手放さなければなりません。
あなたは、誰かや何かに対して、何かを与えましょう。
与えるものは、与えられるものならば、何でも良いのです。
受け取るためには、与えなければなりません。
与えましょう。
与えるという原因を作れば、受け取るという結果を導き出すことが出来るのです。
無条件で受け取ることは出来ませんが、条件が整えば受け取ることが出来るのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿