すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
誰一人として、完全に生まれることは出来ないのです。
誰一人として、完全にはいられないのです。
生きている以上は、すべての人が未熟です。
すべての人は、未熟を生きなければならないのです。
あなたは、自分が未熟であることを知りましょう。
自分が正しいなどと思い上がってはなりません。
残念ながら、あなたは間違えるのです。
それは、あなたが何も知らないからです。
何も知らないのに、正しいということは有り得ません。
あなたは、自分が何か?ということすら知らないのです。
あなたは、自分が何か?分かりますか?
人生の目的を知っているでしょうか?
あなたは、何のために生まれたのですか?
残念ながら、あなたには答えることが出来ないでしょう。
それは、未熟であり、未知を生きているからです。
それは、仕方のないことなのです。
あなたは、自分が未熟であり、無知であることを知りましょう。
そして、謙虚(けんきょ)に学ぶべきなのです。
自分が正しいと思い込んでいる人は、自分が正しいと思い込んでいるために内省(ないせい)することがありません。
なぜなら、自分が正しいと思い込んでいる人は、他者の中に不正を探すからです。
自分が正しいと思い込んでいる人は、外を見るのです。
そのため、未熟さは傲慢(ごうまん)へと成長するのです。
そうなれば、自分が正しいという思い込みを疑うことも、それを手放すことも難しくなってしまうのです。
傲慢さは、あなたに内省することを拒否(きょひ)させるのです。
傲慢な人の心は、雑草に覆われた畑に似ています。
そこでは、野菜も雑草も一緒に育っているのです。
しかしながら、野菜の成長と雑草の成長は異なります。
野菜よりも、雑草の方が成長が早く、やがては畑を覆ってしまうのです。
野菜は雑草に覆われて、育ちが悪く、収穫しようにもどこにあるかも分かりません。
野菜を見付けたとしても、雑草に覆われているために近付くことも出来ないのです。
野菜とは善意のことです。
そして、雑草とは悪意のことです。
善意とは、利他的な心のことです。
そして、悪意とは、利己的な心のことだと理解しましょう。
内省しなければ、心は悪意に覆われてしまいます。
悪意の成長は早く、善意を覆い隠してしまうのです。
善意が失われることはありませんが、それを収穫することは難しいのです。
大切なのは、善意を生きることです。
利他的に生きて、貢献(こうけん)しなければなりません。
しかしながら、そのように生きるのは難しいでしょう。
あなたの心には、いつの間にかに悪意が生じてしまうのです。
小さな隙間からでも悪意は生じます。
心の小さな隙間に悪意は生じるのです。
それは、小さな悪意かも知れません。
しかしながら、それを放置していると、実を結び、種を蒔(ま)き、やがては心を覆ってしまうのです。
心を放置していると、いつの間にかに悪意に覆われてしまうのです。
あなたは未熟です。
プライドによって内省することは難しいかも知れません。
未熟な者は、誰かや何かのせいにしたがるのです。
それは、その方が楽だからです。
雑草を育てても、誰かを喜ばせることは出来ません。
あなたは野菜を育てて配(くば)りましょう。
それは、誰かを喜ばせるでしょう。
あなたは、善意を生きなければなりません。
心を放置してはなりません。
悪意に覆われないように内省し、悪意を取り除きましょう。
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