このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2012年11月30日金曜日

あなたは「声」を聞かなければなりません。
その「声」を捉えなければなりません。
すべての成功はその「声」を聞くことができるかにかかっています。
その「声」を聞くことができなければ、あなたは成功を掴むことができないでしょう。
その「声」はいたるところに溢れています。
しかしながら、それを聞き取ることができるのはわずかな人物だけです。
大抵の人物はその「声」を聞くことなく一生を終えます。
それだけ、その「声」を聞くことは難しいのです。
しかしながら、あなたが成功を求めているのであれば、それを聞き取らなければならないのです。
その「声」はあなたを正しく導き、成功へと辿り着かせるでしょう。
その「声」に導かれることがなければ道を誤り、成功とは程遠い場所へと辿り着いてしまうでしょう。
あなたは「声」を聞かなければなりません。
正しい「声」を聞き取るためには、正しい「耳」が必要です。
正しい「耳」を所有しなければ正しい「声」を聞くことはできません。
正しい「耳」とは、正しい自分です。
正しい思考、正しい感情、正しい価値観、正しい視点、正しい方向性、正しい正義感…
自らが正しいほどに、正しい「声」を聞き取り、正しい道を進むことができるでしょう。
あなたは自らを正しい「耳」にしなければなりません。
正しさとは建設的な状態です。
あなたにとって、破滅的な状態が正しいことはありません。
それは、建設的な状態が豊かさを導くのに対して、破滅的な状態は貧しさを導くからです。
あなたにとっての正しさは貧困ではなく、豊かさであるでしょう。
ならば、建設的な状態こそが正しいのです。
建設的な状態は人に力を与えます。
思考や価値観を大きくし、感情に穏やかさを与えます。
また、慈愛と信念をも与えるのです。
一方、破滅的な状態は人の力を削ぎます。
破滅的な状態は人に恐れを植え付け、消極的、否定的な思考や価値観や感情を与え、怒りや諦めなどの選択肢をも与えるのです。
破滅的な状態でも「声」は届きます。
しかしながら、それは破滅的な「声」であるということを忘れてはならないのです。
あなたが建設的な状態であるのならば、建設的な「声」を聞くことになるでしょう。
あなたは正しい「声」を聞かなければなりません。
しかしながら、自らが正しい状態であるだけでは、その「声」を聞き取ることはできません。
あなたが自発的にその「声」に耳を傾けなければならないのです。
野心が必要なのです。
その「声」はどのような状況にも必ず溢れています。
あなたはすべての状況に対して、その機会を得るように努めなければならないでしょう。
どのような事象に対しても意味を追求し、そこに存在している「声」を聞かなければならないのです。
成功を実現させまいとする野心を持ち、耳を傾ける者でなければその「声」を聞き取ることはできません。
成功を実現させるかはあなた次第なのです。
その「声」を聞き、その「声」に従うことができれば、あなたは成功を実現させることができるでしょう。
その「声」を聞き取るかどうか?それが人を左右するということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたはどのような「声」を聞いていますか?
正しい「声」を聞きましょう。

2012年11月29日木曜日

楽しく生きる

人生が豊かさを得るためには、それを楽しめることが前提です。
あなたが自らの人生を楽しいものだと思えない限り、それが豊かさを得ることはできないのです。
楽しさを実現することこそが、人生を豊かなものにする最低限の条件であるといことを覚えておかなければならないでしょう。
不満や不安、心配や怒りなどの感情を抱えて豊かに生きる者はいません。
そのような破滅的な感情が豊かさを導くことなどできないからです。
夢や目標に対して瞳を輝かせ、感謝や歓喜、思いやりや慈愛などの建設的な感情を抱えて生きなければならないのです。
建設的な感情を抱えて生きる者は、豊かに生きることができるでしょう。
なぜなら、建設的な感情によってその心が生きるからです。
心が豊かに生きなければ、あなたが豊かに生きることなどできないのです。
建設的な感情によって心は躍動し、飛躍します。
豊かに生きるためには、その心がドキドキ、ワクワクしなければならないのです。
楽しいという状態を築くのは簡単なことではありません。
目の前には様々な問題が生じ、壁が行く手を阻むからです。
それに乗じて弱い心が顔を出します。
その時、人は何らかの破滅的な感情を所有し、楽しさから離れることになります。
能天気な者が楽しさを維持することはできません。
楽しさとは、熱意と努力と辛抱と工夫と行動と夢によってのみ成立するからです。
娯楽に興じることはある種の楽しさです。
しかしながら、娯楽によって得られるのは表面的な楽しさでしかありません。
一時凌ぎの現実逃避が娯楽なのです。
娯楽によって現実以外の場所で楽しさを得ても、現実に舞い戻ればまた苦しみと向き合わなければならないのです。
娯楽が悪いという訳ではありません。
しかしながら、娯楽でしか楽しさを見出すことができないというのであれば、人生は豊かには成り得ないのです。
現実に楽しさを見出すことが重要なのです。
現実とは生きる術のことです。
それは仕事です。
あなたがどのような仕事をしていたとしても、そこに夢を持つことがなければ楽しさを実現することはできません。
娯楽で成功しても意味がないのです。
それは娯楽では、世の中に貢献することができないからです。
あなたは仕事によって成功を収めなければなりません。
夢を仕事にしなければなりません。
仕事に夢を見なければなりません。
楽しいことを仕事にしなければなりません。
仕事を楽しいものにしなければなりません。
ずっと夢を持って生きてゆきましょう。
夢の無い人生など退屈で苦痛です。
あなたは夢を持って生きていますか?
夢を持つことができない者、夢を否定する者に成功は訪れません。
あなたが豊かに生きたいのであれば、ずっと夢を持って楽しく生きていましょう。

2012年11月28日水曜日

幸福を求める者

あなたが自らの人生に対して幸福を求めるのであれば、誰かに対して幸福を与えなければなりません。
あなたが誰かに対して幸福を与える時、あなたの人生は幸福へと近付きます。
あなたが一人の人を幸福にすることができれば、あなたは一歩幸福へとその歩みを進めることができるでしょう。
あなたが誰かに対して幸福を与えることがなければ、あなたが幸福を手にすることなどできません。
それは自然の法則です。
自然界では、与える者にしか与えられないのです。
与えるという原因を持たなければ、与えられるという結果には辿り着くことはできないでしょう。
与える者だけが、与えられる権利を得るのです。
人を幸せにする者だけが、幸せを手にすることができるのです。
あなたが自らの人生に対して幸福を求めるのであれば、誰かに対して幸福を与える必要があります。
残念なことに、あなたが生きる自然界は一つの循環によって成り立っています。
どこかが途切れただけで、全体が成り立ちません。
どこかが腐れば、全体が腐るのです。
あなたの人生にも同じことが言えます。
あなたを源として流れが生まれます。
それが様々なものをくぐり、自らに還(かえ)ります。
自らの持つ原因が結果として還るのです。
人生というものは、あなたが生み出したものが循環するのです。
あなたが誰かを幸せにしたいと願い、その意思を以て行動すれば、あるいは誰かを幸せにすることができるでしょう。
あなたが幸福を与えた相手は、あなたのことを幸福にしたいと願うでしょう。
互いが幸福に対して努めるのならば、それを実現することができるのです。
幸福を循環させることが大切なのです。
誰かを不幸にして得られる幸福などありません。
不幸の流れ(原因)を作れば、それが循環し始めるからです。
人の幸せを願う者こそ、幸せを受けることができます。
あなたはより多くの人に対して幸福を与えるように努めなければなりません。
与える幸福が多ければ多いほど、与えられる幸福も多くなります。
残念ながら、あなたの時間は限られています。
命に終わりがあるように、すべての時間は有限です。
あなたは時間が尽きるまでにどれだけの人を幸せにすることができるでしょう?
どれだけの人に幸福を与えることができるでしょうか?
人の幸せ無くして、自らの幸せなどあり得ないということを理解しなければなりません。
幸福とは、自分以外の存在から与えられるものであって、自己満足ではないのです。
一人でも多くの人の幸せを願いましょう。
一人でも多くの人に幸福を与えるように努めましょう。
相手の幸福のために何ができるのか?
人々が幸福を得るためには何をするべきなのか?を考えなければならないでしょう。
いつも幸福について考えていましょう。
自他に対して幸福を求める者は、そこに辿り着くことができるでしょう。

2012年11月27日火曜日

偽善者

あなたの人生はあなたの心の現れです。
あなたの人生を築くものは、あなたの心です。
あなたの意思であり、価値観であり、考え方であり、受け取り方などの心(意識)こそが人生を選択し、築いていくのです。
どのような人物の人生も、その心を反映しているということを理解しなければなりません。
自らの心が人生を築いていくということを理解することができなければ、人は豊かな人生を生きることができないのです。
多くの人は人生の原因を外に探します。
自らの現状が外に存在する原因によって築かれたと考えているのです。
しかしながら、あなたの人生の原因というものは、外には何一つとして存在してはいないのです。
すべての原因があなたの内側であるあなたの心にこそ、それは存在しているのです。
あなたが豊かな人生を生きるためには、自らの心を豊かなものにしなければなりません。
心が豊かであり、新たに価値(豊かさ)を生み出す状態にあるのならば、人生は豊かさを得ることができます。
人生(状況)がどのように生み出されるかも知らずに、豊かな人生を生きることなどできないのです。
あなたは自らの心に豊かさを保ち、新たな価値を生み出していくことができる状態を実現させなければならないでしょう。
そのためには、心が建設的で慈愛に満ち、尚且つ美しくあることが条件です。
心が汚れているのであれば、豊かな人生を生きることはできません。
あなたが善人ならば、豊かな人生を生きる「可能性」を所有することができるでしょう。
善人ならば、豊かな人生を生きる「可能性」があります。
ただし、いくら心が美しく善人であったとしても、得られるのは「可能性」だけです。
善人なだけでは豊かな人生を生きることはできません。
大切なのは、その力を使って価値を生み出していくことです。
どのような人物も、何かに対して貢献することがなければ豊かな人生を生きることはできません。
あなたが善人であったとしても、誰かや何かのために価値を生み出していくことができなければ豊かさを得ることはできないのです。
力を使うことのない善人は偽善者です。
何かに対して持てる力を使って貢献しようとしない者は、善人を装う偽善者であるといことを覚えておかなければならないでしょう。
心が美しいだけではだめなのです。
誰かや世の中のために価値を創出し、問題の解決に取り組み、幸福を与えるように努める者でなければ豊かな人生を生きることはできない、ということを忘れてはならないのです。
あなたがただの善人であるのならば、豊かさを得ることはできません。
価値を生み出す善人でなければならないのです。
汚れの無い美しい心を持つ子どもは、残念ながら豊かな人生を生きることはできません。
美しい心を持つ子どもに独りで生きていく力は無いのです。
それは、心が美しいだけで、新たな価値を生み出していくことができないからです。
あなたは力を使うことを心掛けなければなりません。
その力を使って、新たな価値を創出し、問題の解決に取り組み、人々に幸福を支えなければならないのです。
あなたは野心を持たなければなりません。
人々の心や暮らしに豊かさを与えようという熱意や意欲を持たなければなりません。
何かに対して貢献することがなければ、豊かな人生を生きることはできません。
あなたが現状に対して不満を感じるのであれば、単純に貢献が足らないということです。
建設的で慈愛に満ちた美しい心、豊かな心を以て、人々やその暮らしに対して貢献しましょう。
そうすれば、あなたは豊かな人生を生きることができるでしょう。

2012年11月26日月曜日

考え方の差

人を分け隔てるものは、その考え方に相違ありません。
人を分け隔てるものは、その考え方です。
その考え方が人に指針を示します。
その考え方によって人は方向を決め、その考え方によって人は歩き、その考え方によって立ち止まり、その考え方によって辿り着くのです。
あなたと他人の最大の違いは、その考え方であることを理解しなければなりません。
生まれた家がどうとか?育った環境がどうとか?そんなものであなたは決まりはしません。
あなたが自らを誰かや環境のせいにしているのであれば、それは何とも悲劇的な考え方でしょう。
あなたは誰かや環境によって左右などされません。
何者もあなたを導き、動かすことはできないのです。
あなたが誰とどのような環境にいようとも、あなたを導き動かすのは、自分自身でしかありません。
自分自身の考えによってしか、人は自らを決めることはできないのです。
あなたが現在の状況や状態に在るのは、あなた自身の持つ考え方よって導き出された当然の結果に他ならないのです。
すべてはあなたが自ら選択したことなのです。
あなたの考え方が導いたごく自然な状況や状態であるということを理解しなければならないのです。
人の能力には大差はありません。
生まれながらに誰よりも長けている者など存在しません。
教育や文化、人や環境によって影響を受けるのは、その考え方です。
その考え方の違いや使い方が、人を分け隔てるのです。
その考え方がより建設的であり、情熱的であり、努力と辛抱と思いやりを所有するものであるのならば、人はより豊かな場所へと辿り着くことができるでしょう。
その考え方が破滅的であり、消極的であり、怠慢と諦めと怒りを所有するものであるのならば、人は豊かな場所へ辿り着くことはできないのです。
あなたは自らの考え方が自らをより豊かな場所へと導くかどうかを確認しなければなりません。
その考え方がより建設的であり、情熱的であり、努力と辛抱と思いやりを所有するものであるのか?ということを確認しておかなければなりません。
その考え方が豊かさへと向かわないにも関わらず、豊かさを夢見ることは無意味です。
叶わない夢を見続ける程に虚しいことはありません。
人は夢を叶えなければならないのです。
そのためにあなたがしなければならないことは、その考え方を改めることです。
その考え方を改めることなく、豊かさを実現させることなどできないのです。
どのような人物も、その考え方以外にはそれ程違うことはありません。
その考え方以外を言い訳にしているのであれば、あなたは甘えているでしょう。
誰かや環境があなたを現状へと導いたのではありません。
あなたが自分自身の意思(考え方)でその現状に辿り着き、止まっているということを忘れてはなりません。
あなたが現状を打開したいと思うのであれば、その考え方を改めなければならないでしょう。

2012年11月25日日曜日

特別な存在

あなたが成功を得たいと考えているのであれば、その道に対してより多くの時間と労力を投資しなければなりません。
成功とは、抜け出すことです。
自らと他を別離させることが成功です。
平凡は成功だとは言えません。
成功とは非凡であり、特別な存在になることなのです。
特別な存在になることができなければ、成功を手にすることはできません。
成功とは唯一の存在になることだということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたが成功を夢見るのであれば、特別な存在になることを意識しなければなりません。
平凡の中から抜け出すことです。
他と同じではなりません。
あなたでしか提供することのできない価値を与え、あなたでしか解決することのできない問題を引き受けることが重要なのです。
特別な存在でなければ、わざわざあなたに頼む必要はありません。
あなたに頼まなければならない理由を所有することが重要であるということを覚えておかなければならないでしょう。
多くの人は破滅的な思考によって平凡の中から抜け出すことを恐れています。
特別な存在になることが悪いことであると自らを戒めているのです。
そのような価値観や文化の中で育ってきたからです。
人は意思によって形成されています。
自らが考え、感じる存在にしかなれません。
非凡や特別を嫌うのであれば、平凡の中にいなければなりません。
平凡の中に有り触れている人物がどうやって成功を収めるというのでしょう?
結論を言えば、それは不可能です。
埋れたままで一生を終える他ないのです。
あなたがその道で成功を収めたいと考えているのであれば、特別な存在になることを意識し、それを目指しましょう。
特別な存在になるために、あなたは何をする必要があるのか?何をしない必要があるのか?を列挙しましょう。
あなたの時間と労力の投資先は、あなたを特別な存在にしてくれるでしょうか?
遊んでいる暇などありません。
時間を潰している暇などありません。
悩んでいる暇などありません。
より多くの価値を生み出し、より多くの問題を解決しなければならないのです。
努力しましょう。
集中しましょう。
熱意を絶やしてはならないのです。
平凡から抜け出し、特別な存在になることを恐れてはなりません。
平凡が寄り集まるよりも、非凡が寄り集まる方が有益であることは明らかなのです。
周囲と同じでなければ協力することができないというのは「弱者」の言い訳です。
平凡であろうとする人物は人の足を引っ張り、不幸を導く元凶です。
どのような人物にも素晴らしい才能があります。
それを熱意と努力と辛抱によって開花させなければなりません。
特別な存在になるというのは、熱意と努力と辛抱を欠かすことのない人物になるということです。
周囲と同じことに安心感を覚えてはなりません。
向上心を持たなければなりません。
より多くの価値を生み出し、より多くの問題を解決することで豊かさを実現させなければなりません。
残念ながら、平凡に止まろうとする者にはできないことです。
世界は特別な存在が動かしているのです。
あなたは世界を動かす原動力にならなければなりません。
自分だけの特別な才能を開花させましょう。

2012年11月24日土曜日

好きな気持ち

人生の達成は、人によって違います。
その容姿や性格が人によって違うように、人生における達成も人それぞれに違うものなのです。
人生における豊かさとは、一つの価値観ではありません。
全体的な価値観は豊かさの基本であるということが言えます。
しかしながら、基本は物事の土台でしかなく、その中核を担うことはできません。
全体的な価値観、誰もが求める価値、誰かの求める価値を求めたところで、あなたが豊かさを手にすることができるとは限らないのです。
大切なのは、あなたの心が満たされるということです。
全体的な価値観によってあなたの心は幾分かは満たされるでしょうが、それは表層を埋めるだけで、その本質を満たすことはできないのです。
誰かの求める価値や幸福を真似したところで、あなたは価値や幸福を得ることはできないということです。
あなたはあなただけの価値や幸福を求めなければならないでしょう。
あなたの心が求める形の価値や幸福を求めなければならないのです。
心の形に合わない価値や幸福を当てがっても、それは心に響きません。
心に響くことがなければ、それを満たすことはできないのです。
あなたが自らの人生を豊かなものにするためには、自らの心と同じ形をした価値と幸福を探す必要があります。
それは自分自身で探さなければ見付かりはしません。
幸福を待っているだけではならないのです。
待っている者はいつまで経っても豊かな人生を生きることはできないのです。
あなたは自らの心の形を知らなければなりません。
自らの心が求める価値や幸福がどのようなものであるのかを知る必要があるのです。
それは難しいことではありません。
とても単純なことです。
それは、あなたが好きなものは何か?
ただそれだけです。
あなたが好きなものがあなたにとっての価値であり、幸福なのです。
好きなことをする。
好きなことを仕事にする。
好きなことに打ち込める。
好きなことを追求する。
好きなことに時間と労力を傾ける。
好きなことを継続する。
人にとっての幸福とは、好きな気持ちを持ち続けるということなのです。
好きな気持ちこそが価値であり、幸福であり、豊かさであるのです。
好きな気持ちの中に生きなければ、人は豊かさを得られないのです。
あなたは好きなことを見つけなければなりません。
好きなことを見つけたら、それに携わらなければなりません。
好きなことに携わったのならば、それを持続させなければなりません。
あなたが好きなことに対しては、熱意が生まれます。
好きなことでない限りそうもいきません。
熱意は人に力を与えます。
どのような問題や壁も、熱意の前には意味を成しません。
熱意があれば、人は問題や壁を乗り越えることができるのです。
好きなことをやっている人は情熱的です。
好きなことを見つけ、それを追求していく人は必ず成功するのです。
人は好きなことでしか成功することはできません。
熱意の持てない仕事に未来(可能性)などないのです。
あなたにとって、好きな気持ちを所有するということはとても大切なことです。
そこに好きな気持ちがなければ、何事も決してうまくはいきません。
どのような道も問題や壁に阻まれます。
何をしてもそうそううまくはいきません。
しかしながら、好きな気持ち(熱意)を所有する者は逆境をも力に変えることができるのです。
あなたは自らの心に素直に従わなければなりません。
好きなことでしかあなたは成功することはできません。
あなたの人生の達成は他人のそれと同じではありません。
あなたにはあなただけの達成があるのです。
好きなことを見つけましょう。
好きなことを仕事にしましょう。
好きなことで豊かさを掴みましょう。


2012年11月23日金曜日

大きな価値観

あなたは大きな価値観を育てなければなりません。
より大きなスケールを持ち、より大きなスケールの中に生きるように心掛けなければならないのです。
なぜなら、あなたがどのような規模の価値観に生きるのかによって、どのような規模の人格や人生が形成されるのかが決まるからです。
あなたがどのような価値観を持って生きるのかによって、すべては決まるということを理解しなければならないでしょう。
人を導き、築くのは価値観以外の何ものでもありません。
小さなスケールの価値観に生きれば、その人格と人生はスケールの小さなものになってしまうのです。
スケールの大きな価値観に生きれば、その人格と人生はスケールの大きなものになるでしょう。
価値観のスケールと人格と人生のスケールは比例します。
自分自身の選択によって人格と人生は築かれます。
自らを作るのは自分自身の選択に他ならないのです。
あなたは自らの価値観よりも先へと進むことはできません。
あなたは自らの価値観よりも大きく生きることはできないのです。
あなたの価値観がそのまま実現化するというものではありません。
あなたが所有している夢や理想がすべてそのまま実現することがないようにです。
人はすべての目的や目標を果たすことはできません。
あなたが手にすることができるものは、自らの所有する夢や理想、目的や目標に対して「一回り小さなもの」であるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたの思想がそのままのスケールで実現化することはありません。
必ず幾分か小さなものになります。
そのため、より大きなスケールの価値観を所有する必要があるのです。
価値観とは、あなたが所有するすべての力によって導き出される尺度です。
その尺度があなたを図るのです。
あなたはより大きく考えなければなりません。
あなたはより大きく感じなければなりません。
あなたはより大きく思わなければなりません。
あなたはより大きく動かなければなりません。
あなたはより大きく見なければなりません。
あなたはより大きく捉えなければなりません。
あなたはより大きな世界を目指さなければなりません。
あなたはより大きく生きなければならないのです。
人を築くのは価値観です。
どのような才能に恵まれ、どのような力を持っていようとも、価値観に乏しい者には豊かさを築くことはできないのです。
頭が良く、思考に長けた者が人生に成功する訳ではありません。
どれだけテストの成績が良くても、それだけでは力不足なのです。
人生とは、予(あらかじ)め教えられ、予習することができるテストのような容易なものではないのです。
決められた問題に対して、決められた回答をしていけば良いというものではありません。
人生とは、不定であり、創造的なものなのです。
テストは100点満点の評価の内にあなたを縛ります。
しかしながら、人生とはそのようなものではありません。
あなたの価値観に合わせて無限的に広がりを見せるものなのです。
小さな価値観は、あなたを小さな世界に縛り付けます。
あなたが豊かさを求めるのであれば、より大きな価値観を所有することができるように努めなければなりません。
世界はすべての人物に平等です。
世界が人の価値観を否定することはありません。
あなたの価値観に従い、それに見合った状況を導くことでしょう。



2012年11月22日木曜日

損と得

あなたが豊かさを求めるのであれば、受け取るものよりも与えるものを多くする必要があります。
受け取るものよりも与えるものを多くしなければ、豊かさを手にすることはできません。
それは、与えるものに従って、受け取るものが決まるからです。
あなたが何を与えるのか?によって、何を受け取るのか?が決まります。
あなたが与えるものの質と量によって、
受け取るものの質と量は決まるのです。
豊かさとは、自分以外の存在から与えてもらうしか、それを受け取る方法はありません。
何かを受け取るためには先立って与えなければなりません。
何もせず、何も与えることなく何かを受け取ることなどできません。
待っているだけで得ることのできる豊かさなど存在しないのです。
どのような人物も、与えなければ豊かさを手にすることはできないのです。
食事をするためには、生物から命を受け取ら(与えてもらわ)なければなりません。
受け取ることのできる命が存在しなければ、自らの命を存続することはできないのです。
命を搾取するだけでは、やがてそれは得られなくなるのです。
どのようなものも奪うだけでは絶えるのです。
すべては有限な資源なのです。
受け取るだけでは底を突くのです。
当たり前のことです。
命を守り、育てることがなければ、自らの命も続かないのです。
奪うだけではならないのです。
収入よりも支出が上回れば破綻です。
支出に対して収入が上回る状況を築かなければなりません。
収入を上げるためには、より良いものを提供する必要があります。
良質のサービスや商品を提供することができなければ、収入が増すこともないのです。
良質のサービスや商品に対して、人は好意を持ちます。
自分が支払うものよりも、得るものが多いと感じるのであれば、出資することを選択するでしょう。
しかしながら、自分が得るものが少ないと思うのであれば、出資することなどないのです。
あなたは自らが与えるものは、相手から受け取るものよりも良質のものになるように心掛けなければなりません。
相手に得や満足をさせることこそが、自らが得をする方法なのです。
自らが得をしようとして、相手から搾取するだけでは損をしてしまうのはあなたの方なのです。
より良いものを提供し、相手に喜んでもらうことが大切です。
物事はとても単純に動いていきます。
当たり前のことが見えなくなってしまえば、道を踏み外してしまうでしょう。
相手のために働きましょう。
相手の喜ぶ姿を想像しましょう。
相手に貢献しましょう。
相手により良いものを与えましょう。
受け取るものよりも与えるものの方が良いものであると思うことができたのであれば、それは成功です。
物事はその場限りで動いているのではありません。
先を見据えなければならないでしょう。
目先の利益に捉われ、相手に対する礼儀を忘れてはなりません。
相手から搾取するだけでは詐欺と同じことです。
相手により多くの利益を与えるように努めましょう。
そうすれば、あなたは豊かさを手にすることができるでしょう。





2012年11月21日水曜日

価値を生み出す

豊かさを手にするためには、価値を手にしなければなりません。
価値を所有しない者は豊かさを手にすることはできません。
なぜなら、豊かさとは価値であり、価値とは豊かさだからです。
この二つが矛盾することはありません。
豊かさと価値は一対なのです。
あなたが豊かさを求めるのであれば、価値を所有する以外に方法がないということを理解しなければなりません。
価値こそが豊かさを導くということを理解することなく、豊かさを手にすることはできません。
価値とはどのようなものなのでしょう?
値段が高い物、それは価値です。
価値を数値で現しているのです。
値段が高いのには理由があります。
その理由こそが価値なのです。
もちろん、値段に反映されることのない価値も存在しています。
ある者にとっては、値段の安いものでも十分な価値があったりします。
価値の本質は、その人にとって貢献するかどうか?というものなのです。
その人の抱える問題を解決したり、何らかの利益をもたらすものこそが価値であるのです。
人は自らに有益なものを価値と見なします。
自らにとって有益でないものに価値を見出すことなどないのです。
人は価値を求めます。
自らにとって有益なものを探しているのです。
ならばあなたが提供しなければならないものは、人の問題を解決し、何らかの利益を与えることのできる、人にとって有益なものなのです。
貢献するものでなければ価値がありません。
あなたが自ら価値があると信じ、それを主張しても、人が求めないのであれば価値など無いのです。
あなたが所有しているものの価値は人が決めます。
あなたは人に何らかの利益を与える有益なものを所有するように努め、提供しなければなりません。
何かに貢献することができるものは質の高いものです。
高質なものでなければ有益に働くことはできません。
利益を導くものはすべて高質の「良いもの」なのです。
あなたは価値(質)を高める努力をしなければなりません。
向上心を持ち、より良いものを求めなければならないのです。
向上心を捨て去り、向上を放棄した者に価値を生み出すことはできません。
価値を生み出すことができなければ豊かさを手にすることなどできないのです。
あなたがどのような状況でどのような状態であろうとも、より良いものを生み出す努力を諦めてはなりません。
豊かさを手にする者は、価値を生み出すことを諦めなかった者だけです。
人々にとって有益に働く価値のあるものが何であるのか?
あなたはそれを考え、生み出し、提供しなければならないでしょう。

2012年11月20日火曜日

自己防衛本能

感情では、あなたを正しく導くことはできません。
感情に任せても、あなたは豊かさへと辿り着くことはできません。
なぜなら、感情とは一過性のものであり、状況によって左右されるからです。
物事の表層をなぞり、その本質、本意を得ることはできません。
感情に従えば、あなたは道に迷ってしまうでしょう。
大切なのは、物事の本質を見極めることです。
その本意を得ることです。
物事の本意を見極めることがなければ、人は豊かさへと辿り着くことはできません。
うわべを舐める者には無理なのです。
大切なことはすべて深い場所に存在しています。
それは一見して分かるものではありません。
豊かさとは意地悪な性格をしています。
隠された本意を見極める者にのみ、豊かさを与えるのです。
そのため、感情に支配され、表層を右往左往している者には豊かさへと辿り着くことはできないのです。
感情はあなたを左右に動かすことはできても、深くに導くことはできません。
深部に届くためには、物事の表層に動じることの無い冷静な判断力が必要なのです。
冷静さに欠けてしまえば深さを得ることはできません。
感情を制御することができずに飲み込まれてしまう者には不可能なのです。
あなたは感情に支配されることを避けなければなりません。
感情とは、自らを擁護し、正当化する自己防衛本能です。
感情的な状態において、人は自らが正しいとしか思っていません。
不満を抱え、敵を作り、自我を通そうとする行為に克己心などありません。
自らが正しい、自分以外は間違っている。
このような表面的で幼稚な考えこそが、人を感情に駆り立てるのです。
感情的な思考は、自らが見たいと思うものを見るように努めます。
それは感情によって湾曲された事実です。
事実は自らに対して反省を促しているかもしれません。
謙虚さを知れと叱っているかもしれません。
反省すべき時に反省することなく、豊かさを得ることなどできないでしょう。
豊かさへと辿り着くためには、その条件を満たさなければなりません。
その条件こそが物事の本質であるのです。
感情的な者が豊かさへと辿り着くことができないのはそういう理由があるのです。
見たいものを見ているだけでは世界は歪みます。
偏見ではならないのです。
中には見たくない事実もあるでしょう。
人生なんて、ほとんどが見たくない事実かもしれない。
しかしながら、そこから逃げ出すために感情に頼って暴れても、行き着く先は破滅的な状況なのです。
自分にとって都合良く、心地好い見たいものしか見たくないというような幼稚な考え方は捨てなければなりません。
子どもは人生を豊かにする術を持ちません。
子どもは人生を打開する力を持たないのです。
残念ながら、子どものように感情的な振る舞いは通用しません。
事実(問題)と向き合うことでしか、人生は豊かにはならないのです。
あなたは感情に従ってはなりません。
自らの大切な選択を感情に任せてはならないのです。
すべてが紛れもない事実です。
認めなければなりません。
認めなければ冷静な判断はできません。
すべてを認め、どうすればその問題を解決することができるのかを考えなければならないでしょう。
感情に任せて自分を擁護し、正当化する時間こそ何も生み出すことはなく、無駄であるということを理解しなければなりません。
見たいもので世界は構成されてはいません。
その本質や本意、物事の深くに隠された事実を見極めようと努めましょう。




2012年11月19日月曜日

居場所

あなたを作るのは、あなたの意思です。
あなたの精神こそがあなたのすべてを作るのです。
あなたの価値観、考え方、受け取り方、
感情、文化、方向性…
あなたが所有している精神こそがあなたを作るのです。
それは、あなたの居場所をも作ります。
人は自らの居場所を求めて生きています。
居心地の良い場所に辿り着くために生きているのです。
あなたにとって居心地の良い居場所というものは、その精神が違和感を覚えることのない場所だと言えるでしょう。
あなたの精神が違和感を覚え、居心地が悪く感じる場所はベストな居場所であるとは言えません。
あなたは、自らの精神が違和感を覚えることのない場所を求めなければならないでしょう。
ここで言う違和感とは、自らの精神が退屈を覚える状態のことをいいます。
精神が刺激を受けないという状態は、精神にとっては違和感のあることです。
精神は常に何らかの刺激を受けているのが自然的であり、その刺激が途絶えてしまうというのは違和感以外の何ものでもないのです。
それは、人の精神というものは向上的な変化に触れていることが自然だからです。
人生の目的は成長にあります。
すべての存在は向上しなければならず、人はその精神を成長させなければなりません。
向上的な変化(成長)から脱することは、不自然なことなのです。
そこに居心地の良い場所はあり得ません。
あなたにとって本当の意味での居心地の良い場所というものは、あなたに対して向上的な変化を所有する場所のことをいうのです。
あなたは、退屈は最大の違和感であるということを理解しなければなりません。
退屈する場所はあなたの居場所ではありません。
あなたがそこで苦しみを感じることは大した問題ではありません。
それは苦しみを感じる時に、人は成長する過程にあるからです。
しかしながら、どのような人物も退屈からは成長を引き出すことはできません。
成長に対して退屈は最大の敵であるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは退屈こそが違和感であるということに気が付かなければなりません。
しかしながら、多くの人はその事実に気が付いてはいません。
中にはそれに気が付いている人物はいても、惰性や破滅的、消極的、否定的な考え方によってその場にとどまるのです。
苦しみ(変化)を感じる場所にとどまることは決して簡単なことではありません。
退屈を感じるくらいの場所ならば、怠慢も許されるし、ある種の安心感を受け取ることもできるでしょう。
しかしながら、退屈な場所にとどまる者に可能性はありません。
自らを律し、自らに対して向上的な変化を導くことのできる者にしか、豊かさを掴むチャンスは巡らないのです。
安心や安全の中に引きこもり、退屈の虜になってはいてはなりません。
成長することは決して気楽なことでも、簡単なことでもありません。
向上的な変化を求めていくということは
苦しいことでしょう。
しかしながら、あなたはそれを求めなければならないのです。
それが、人生の意義だからです。
幸福になるためには成長する以外に方法はないのです。
今あなたがいる場所は、あなたに退屈を覚えさせてはいませんか?
その場所は、あなたの成長を助けてくれますか?
それは本当に居心地の良さでしょうか?
あなたが退屈を覚えるのであれば、それは既に居心地の良い場所ではありません。
退屈することの無い場所を目指しましょう。
向上的な変化の中に自らを置きましょう。
そのような場所を探しましょう。

2012年11月18日日曜日

加法と減法

価値が生み出される過程は大きく分ければ二つの方法に辿り着きます。
一つは、新たな形の価値を生み出していく方法です。
これは加法の考え方です。
そこに存在しない形を投入することによって、全く新しい価値を創造するというやり方です。
加算的な考え方なのです。
その場に存在しない形には価値があります。
希少なものには自ずと価値が付属するのです。
残念ながら、有り触れているものには価値がありません。
「慣れ」という感覚は価値を殺すからです。
平凡なものに対して、人は価値を見出すことができないのです。
非凡であり、希少なものに対して、人は価値を見出すのです。
そのため、その場に存在しない形を投入すれば、そこには新たな価値が生み出されるのです。
あなたが何かしらの価値を生み出したいと考えているのであれば、その場に存在しない形を投入することで生み出すことのできる価値が存在しているということを知らなければならないでしょう。
もう一つの方法は、その場に存在している「問題」を解決することで価値を生み出していくというものです。
これは減法の考え方です。
つまり、価値を見出すことに繋がらない形(問題)を潰していくのです。
問題を減らしていくことによって価値を生み出すものが残ります。
問題が解決することによって生み出される価値もあるのです。
例えば、あなたが抱えている病気を取り除いてくれる医術に対して、あなたは価値を見出すことができるはずです。
あなたが病という問題を抱えるのならば、それを解決してくれる病院という場所や医者という存在、それに医学や医術という技術に対して価値を見出すことになるでしょう。
問題を解決することは、価値を生み出していくということなのです。
加法と減法の二つの方法によって、人は価値を生み出していくことができるのです。
あなたが目の前の状況に対して何らかの価値を生み出したいと考えているのであれば、加法と減法を用いてその状況や環境に対して貢献することのできる方法を探さなければなりません。
状況や環境に対して新たな形を投入することも、その場に存在している問題を解決することも、貢献という条件を満たすことができなければ価値を生み出すことはできないのです。
加法によって新たな形を投入しても、その状況や環境に貢献することがないのであれば、価値を生み出すことなどできません。
減法によって問題だと「思われる」ものを解決しても、その行為がその状況や環境に対して貢献することがないのであれば、価値などないのです。
結局は、貢献することができるのか?ということなのです。
何かに対して役立つものは価値を持ちます。
あなたは自らの選択が、状況や環境に対して貢献するかどうかを考えなければなりません。
誰にとっても病気は苦しく、その状況や環境から解き放ってくれる医術は、病と闘う人にとっては貢献するものであるでしょう。
病と闘う人にとって、医術は価値のあるものなのです。
人に必要とされるものには価値があります。
人に必要とされないものには価値がありません。
必要とは貢献です。
あなたは状況や環境に対して貢献する新たな形を投入しましょう。
そして、状況や環境に存在している問題を解決することによって貢献しましょう。
貢献することを心掛ければ、あなたは価値を生み出し、そこに必要な豊かさを手にすることができるでしょう。



2012年11月17日土曜日

意思の在り方

人の本質は意識にあります。
意識こそが人の本質です。
その中の意思こそが人を作ります。
どのような考え方を持ち、どのような感情を持ち、どのような価値観や信念を持って生きるのかによって、人は自らと自らの状況を作るのです。
あなたの中に存在している意思こそが、あなたとあなたの状況を作るということを理解しなければならないでしょう。
どのような人物も、自らの意思によって作られます。
環境や他人によって影響を受け取るのはあなたの中に存在している意思です。
環境や他人があなたを直接的に変えることなどできません。
受けた影響を自らの意思が反映させることによって、あなたと状況は新たな形として作られるのです。
どのような人物も、自らの意思によって作られます。
意思が変われば人は変わり、意思が変わらなければ人も変わることはないのです。
どのような環境にいて、どのような相手との関係を持っていても、あなたを作るのは自らの意思です。
内に在る意識こそがあなたを作るということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたを導くのはあなたの中に存在している意思です。
あなたは自らの意思によって世界を見ています。
自らの意思によって世界に触れています。
自らの意思によって世界を進んで行くのです。
あなたの中に存在しないものは、見ることも、触れることも、辿り着くこともできないのです。
あなたは自らにとって興味があることに対して、それを見ようとするでしょう。
または、そのようなものに触れようとし、そのような場所に辿り着くために歩みを進めることでしょう。
あなたの意思の中に存在しないものに対して、あなたは興味を持ちません。
無関心とは、意思が認識していない状態を言うのです。
人は自らの意思の中に存在しないものに対しては、それを認識し、掴むことができないのです。
あなたは自らの意思の中に存在しているもの以外を受け取ることはできません。
その思考、感情、価値観、想像力…
あなたの意思に在るものを得るということを理解しなければならないでしょう。
あなたは自らの想像力以上のものを生み出すことなどできないのです。
自らの価値観よりも大きなものを手にすることはできません。
自らの思考よりも大きなものを動かすことはできません。
自らの感情よりも大きくはなれません。
あなたは自らの意思をより大きなものとして育てなければなりません。
あなたは自らの理想に辿り着くことができます。
しかしながら、それを自らの意思が求めていなければなりません。
あなたの意思はどのようなものを所有していますか?
理想よりも小さな意思(思考、感情、価値観…)ではそれを掴む(実現させる)ことはできません。
あなたが自分自身と状況を理想へと近付けるためには、自らの意思がその理想に対してどのような位置付けであるのか?を確認しなければならないでしょう。
あなたとあなたの状況は意思を超えることはできません。
もしも、あなたが自らや状況に対して不満を抱えているのであれば、自らの意思の在り方に対して気を配りましょう。
意思の在り方が変われば、自己と状況には自然と変化が現れるはずです。



2012年11月16日金曜日

人の罪

すべての存在は向上を目的としています。
すべての存在に対して成長こそが正義であり、それ以外を正しいと位置付けることはできません。
向上し、成長することこそが義に正しいということを理解しなければならないのです。
向上や成長を求めないのは罪です。
向上や成長を求めない者は罪人であるのです。
それは、向上や成長を求めないことがこの世界の意義に反しているからです。
義に反する者は罪を背負います。
どのような主張を持ち、どのように自らを正当化しようとも、向上や成長を求めず、それを実現させようとしない行為は罪以外の何ものでもないのです。
状況が変化を失い停滞し、後退するのは自身の甘えが成せる業です。
自らの精神が停滞し、後退し、人格的な成長を実現させることができないのは自身の怠慢なのです。
自身の人格的な成長と状況の向上的な変化。
これらを得ることができないのは、自らに対する甘えや怠慢に他ならないのです。
自分自身や状況に対して成長や向上を求めないということは、自らの存在そのものを否定する行為に他なりません。
生命が生きるということは、進化を実現させるということです。
環境に対して適応し、そこから豊かさを得ることが進化なのです。
人は自らを進化させる必要があります。
それは、自らの置かれた状況や環境がめまぐるしく変化しているからです。
状況や環境の変化に取り残されてしまうと、そこから豊かさを得ることはできません。
豊かさを得ることができないというのは、停滞や後退を得ているからです。
それでは、目的や意義を果たすことはできていないのです。
そこに得るものは、苦しみなのです。
あなたは豊かさを得なければなりません。
すべての存在は幸福になるために生まれて来たのです。
幸福を手にしないことは罪なのです。
人は幸福になるために生きているのです。
あなたは幸福を手にしなければならないのです。
幸福を手にするためには状況に対する向上的な変化と、自分自身の人格的な成長が必要となります。
それらを所有することなく、幸福は手に入らないのです。
あなたは自らに対しての教育を怠ってはなりません。
自分自身に教養を与え、人格的な成長を実現させなければならないのです。
状況や環境に対して、向上的な変化を与えることも怠ってはなりません。
状況に対してマンネリを導いてはなりません。
いつまでも同じことを繰り返していてはならないのです。
自分自身や状況に対して常に変化(刺激)を与え、それを感じていなければ、状況は豊かさを生み出すことはできないのです。
どのような物事に対しても、停滞と後退は罪です。
あなたはその罪の重さを理解しなければなりません。
あなたが甘え、怠けることで、全体の向上と全体が受け取ることのできる豊かさの量は減少します。
あなたの甘えや怠慢が、全体や誰かの受け取るはずの豊かさを減少させてしまうのです。
あなたが向上し、成長しているのであれば、全体や誰かは何らかの豊かさを受け取ることができるのです。
プロが多く在住する街は豊かなのです。
しかしながら、プロ意識に欠ける怠慢で堕落した人間が多く在住する街は豊かさとは対極に位置しているのです。
プロ(意識)とは向上や成長を諦めないということです。
あなたはプロにならなければなりません。
プロ意識を持たなければなりません。
向上や成長を常に念頭においておかなければならないのです。
進化は生命であるあなたの責任です。
向上や成長を放棄するのは罪です。
あなたは罪を犯してはなりません。
罪を犯しては幸福を得ることはできないのです。

2012年11月15日木曜日

「超」快楽主義

過去と未来は、あなたを分岐して繋がっています。
すべての過去(原因)は、あなたを通過して未来(結果)へと向かうのです。
すべての過去がひとつに繋がり、未来を形成します。
無駄なことなどありません。
無意味なことなどありません。
すべてが必要性を帯びて存在しているのです。
人生とは、決して短絡的なものではありません。
人生においては、無関係なものなど存在しないのです。
「すべてはひとつ」に繋がっているのです。
どのような事象も必ず未来へと向かいます。
あなたはすべてが必要性を帯びて繋がっているということを理解しなければならないでしょう。
すべてがひとつに繋がっているということを理解する人物と、それを理解することのできない人物では、その言動と選択に違いが現れます。
すべてがひとつに繋がっているということを理解する人物は、物事を長期的な視点によって眺めることができます。
そのような人物は、人生が場当たりのギャンブルでは成り立たないということを理解しているのです。
一方、すべてのことがひとつに繋がっているということを理解することができない人物は、物事を短絡的にしか捉えることができません。
「今が楽しければ良い」などという短期的、場当たり的、博打的な視点でなければ物事を捉えることができないのです。
ギャンブルで富を成す人はいません。
短絡的な視点や考えでは人生の豊かさは成り立ちはしないのです。
短期的な視点では、物事の表層しか捉えることはできません。
それは、快楽主義を導きます。
自らの中に苦しみを避ける価値観を植え付けるのです。
快楽を求めることが悪い訳ではありません。
むしろ人は、快楽を追わなければ心は満たされません。
しかしながら、苦悩を無視するような快楽主義ではならないのです。
本当の快楽とは、苦しみを原料として生み出されます。
苦しみがなければ本当の快楽は生まれないのです。
苦しみを避け、楽しいこと(責任逃れ)ばかりを求めているのであれば、本当の快楽を理解することなどできないのです。
苦悩し、苦労し、そのような状況の中において生み出される快楽こそが、あなたの心を満たす力を持つのです。
苦しみに耐えて努力できない者、辛抱できない者は幸福を掴むことはできません。
物事を短絡的にしか捉えることができない人物は総じて苦しみから逃げ出します。
場当たり的な価値観によって自らの方向性を決定するのです。
場当たり的な生き方を選ぶ者には蓄えた財産(実力)が無いため、人生に対する可能性が少なく、すぐに行き詰まってしまうのです。
あなたが人生に可能性を求めているのであれば、物事を短絡的な視点によって眺めていてはなりません。
今が良ければ良いとする「超」快楽主義を所有してはなりません。
すべての物事に繋がりを見定め、長期的な視点によって物事を眺め、向き合わなければならないのです。
ギャンブル脳では絶対に勝てません。
物事の本質を見極め、確実に実力を磨きましょう。





2012年11月14日水曜日

大切な可能性

人生におけるすべての事象には大切な意味が込められています。
あなたがその意味に気付くことがなくても、そこには必ず大切な意味が込められているのです。
人生におけるすべての事象はあなたにとって大切なものであるということを理解しなければなりません。
意味の無いものなど有りはしないのです。
すべてには必ず大切な意味が込められているのです。
そのことを決して忘れてはなりません。
あなたの目の前にどのような事象が起ころうとも、その意味を探る努力を怠ってはならないのです。
人は自らの価値観によって物事を見ます。
価値観に従って物事を判断するのです。
価値観の中に無いものを見ることはできません。
あなたの中に無いものを外に認識することはできないのです。
人は未熟です。
全方位に対して長けている訳ではありません。
どのような人物の価値観も必ず独自性を持ち、長短によって歪に形成されているのです。
そのため、どのような人物であろうとも盲点を持つのです。
その盲点は、物事に対しての偏見を生み出し、自らにとっての善悪を作り出してしまうのです。
そして、自らにとっての善を求め、自らにとっての悪を淘汰(とうた)するという選択を始めます。
物事に判断基準を設け、理想を実現させるためには物事に対する判断が必要になります。
物事の性質を判断することなく飲み込んでいるのであれば、理想を実現化することはできないでしょう。
自らの理想を実現化するために必要なものを選択するということが重要になりますが、物事を善と悪に隔てるという価値観ではならないのです。
嫌いな物も食べなければ健康は保てないのです。
無意味に思えること、無駄に思えること、無関係に思えること…
多くの人は理想の実現に対して直接的に作用しないものを「悪」として捉える傾向にあります。
そして、それを嫌い、争い、遠ざけるのです。
すべての事象には大切な意味が込められています。
それは、人が必要な成長を果たすための意味です。
それは、人が人生を切り拓いていくための意味です。
意味を読み取ることができるほど、人は強くなり、状況を打開する力を得ることができるのです。
あなたが苦しいと思うことや、嫌悪することにも、あなたにとっての大切な意味が込められています。
その意味を捨てることはもったいないことなのです。
それを効率的だとは言えないのです。
自らにとっての「悪」を創り出してはなりません。
わざわざ、善悪という形にする必要などないのです。
どのような事象からも学ぶべきことはあります。
苦しみや嫌悪を拒絶してはなりません。
それらには多くの可能性が込められています。
喜びや楽しみだけが可能性ではないということを覚えておかなければならないでしょう。
苦しみを知らない者は強くなれません。
苦しみ知らない者は状況を打開する力を持ちません。
あなたが「悪」と決め付けるものから、大切な可能性を引き出すことの大切さを知り、それを覚えなければならないでしょう。

2012年11月13日火曜日

大切な荷物

人生とは旅路のようなものです。
生きるということは道を行くということです。
自らの理想や目標という目的地に向かって突き進むということです。
しかしながら、その道のりは平坦なものではありません。
簡単に進むことができるほど、人生の道のりは気楽なものではないのです。
人生とは、誰しもが道なき道を行かなければならないのです。
人生の道のりは誰にとっても悪路であるということを覚えておかなければならないでしょう。
しかしながら、人生における苦はそれだけではありません。
悪路に加え、荷物を抱えなければならないのです。
あなたが大切に思い、守りたいと思う存在はあなたが抱える大切な荷物です。
しかしながら、守りたい荷物を抱えるのならば、それを守るためのリスクも同時に抱えることになります。
あなたが大切な荷物を抱える度に、問題や苦悩も抱えなければならないのです。
悪路に加え、大きな荷物を抱えなければならないのが人生です。
そして、そのような状態でも目的地へと向かって歩みを進めなければならないのが人生なのです。
生きるということは歩みを進めること。
生きるということは荷物を背負うということ。
生きるということは苦しいこと。
なのです。
生きるということを気楽に考えてはなりません。
真剣に生きる者ほど、人生は簡単ではなく、気楽なものではないことを理解するでしょう。
責任感を持ち、真剣に生きる者は、自然と大切に思い守りたいと思うものが増えていきます。
その度に苦しみは増すことでしょう。
責任感を持たず、いい加減に生きる者は、背負う荷物も少なく済みます。
足元だけ気にしているなら、難なく先へと進むことができるでしょう。
しかしながら、人生における意義は、早く進むことだけでは果たすことはできません。
どれだけの荷物を目的地へと運ぶことができたのか?
ということが重要なのです。
それは、人の成長を現しているのです。
どんなに素早く目的地に辿り着くことができても、何の荷物も持っていなければどうすることもできません。
目的地に辿り着くことができても、テントも無い、食料も無い、燃料も無いでは話にならないのです。
人はどれだけの荷物を背負い、どれだけの荷物を目的地に運ぶことができるのか?によってその価値が決まります。
責任感に欠け、大切に思う存在が少ない人間には、人生の意義は果たせないのです。
自分のことだけ気にして生きるのは気楽です。
しかしながら、それだけでは豊かさを得ることはできません。
大切なものをたくさん見付け、それを背負うことのできる人物こそが豊かさを手にするのです。
あなたは人を助けなければなりません。
多くの荷物を背負わなければなりません。
生きることは決して気楽なものではありません。
どのような悪路においてどれほどに荷物を抱えていたとしても、その状態において自分にできることをこなさなければならないのです。
耐えることしかできなければ耐えなければなりません。
一歩でも進めるのならば進まなければなりません。
現状がどれほど苦しくても、逃げ出してはなりません。
例え失敗する恐れがあっても、立ち向かわなければなりません。
苦を除外視して、初めから人生に楽を求める者は大成することはできません。
真剣に生きる者の人生は苦しいのが当たり前なのです。
いい加減に生きて苦しいのは救いようがありませんが、あなたが自分なりに真剣に生きているのに苦しいというのであれば、その苦しみを踏まえて自分にできることをこなし続けなさい。
あなたを救うのはあなたでしかありません。
より多くの大切な荷物を目的地へと運びましょう。




2012年11月12日月曜日

時間の使い方

時間の経過を早いと感じる時、あなたの時間の使い方は正しく、それは充実しています。
時間に対する認識は、その経過が早いと感じるくらいが丁度良いのです。
それは、時間の中にやるべきことを多くこなすことができている証しだからです。
行動することができている状態の時ほど、時間の経験は早いと感じるのです。
それは、行動することによってあなたが時間を認識する機会を奪われるということにあります。
時間を気にする機会が少なければ、人は時間の経過が早いと感じるのです。
時計の秒針をただじっと睨(にら)んでいるなら、例え1分間の時間でも長いものだと感じるはずです。
あなたは10分、1時間とただ秒針を眺めることを苦痛に感じてしまうでしょう。
行動を伴わない時間に対する認識は「長い」のです。
時間を長く感じる時、あなたの状態が充実しているとは限りません。
何も行動していない時、時間に対する認識は自ずと長くなるのです。
暇な時ほど時間を長く感じるでしょう。
何かを行動しているのならば、1分など刹那(せつな)に感じてしまうのです。
行動状態に在るあなたは、1分間という時間を認識すらしないかも知れません。
何かを行動し、それを楽しいと感じる時には、何時の間にかに何時間も過ぎていたという経験があるでしょう。
それは、その楽しいと感じる時間が充実していたということができるのです。
時間の長さを気にする時、人は時間の使い方を間違えています。
あなたの時間に対する認識は早いと感じるほど良いのです。
それが例え楽しいと感じる状態ではなくとも、時間に対する認識が早いと感じるのであれば、その時間の使い方は間違ってはいないでしょう。
あなたが充実を求めるのであれば、時間を認識することができないほどに行動していなければなりません。
時間を眺めている暇な時間を過ごしてはならないのです。
所有する時間の中により多く行動して、自らの理想や目標の実現に努めなければならないのです。
時間はとても貴重なものです。
しかしながら、それは手放すほどに輝きを増します。
貴重なものだからと抱え込んではならないのです。
行動することによって時間を消費しなければなりません。
行動することによって消費する時間は輝きを放ち、あなたの財産となるでしょう。
貴重な時間をぞんざいに扱ってはなりません。
行動することによって時間を正しく消費しましょう。
時間を正しく消費するということは、それを良い経験へと昇華するということです。
あなたの時間の使い方、消費の仕方がその時間を良い経験とするか?暇とするのか?を決めます。
良い経験を多く得た者は人生に充実を得ることができるでしょう。
暇を持て余し、時間を潰しているような者には人生に充実など得ることはできません。
時間をどのように使い、どのような時間を過ごすのか?
それを考えなければなりません。
あなたは、時間に対してどのような認識を持っていますか?
時間が足りないと感じたり、早いと感じますか?
暇を感じ、持て余していますか?
あなたが前者であるのならば、時間の中により多くの成果を上げることも可能でしょう。
その調子で努めましょう。
もしも、あなたが後者であるのならば、時間の使い方に気を付けなければならないでしょう。






2012年11月11日日曜日

まっすぐに進む方法

目的地に素早く辿り着くための最善の方法は、最短の距離を選ぶことにあります。
最短の距離を選ぶことができれば、最速を得ることもできるでしょう。
目的地に素早く辿り着くための最善な方法は、近道を選択することにあるということを覚えておかなければならないでしょう。
近道を選択することなく、素早く目的地に辿り着くことはできません。
人生には時間の制限というものが存在しています。
時間の制限がないのであれば、いくらでも寄り道をすれば良いですし、脇道に逸れても良いのです。
しかしながら、時間とは有限です。
時間は常に制限へと近づいていくのです。
あなたは制限時間の中で目的地に辿り着き、必要な成果を上げなければなりません。
必要な成果を上げることなく、人生が豊かさを讃えることはありません。
より多くの目的地に辿り着き、より多くの成果を上げる者が、人生に豊かさを得ることができるのです。
目的地に辿り着くことなく、成果を上げることもなければ、人生を豊かなものにすることができないということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたはより多くの目的地に辿り着き、より多くの成果を上げなければなりません。
そのためには、素早く進むことが重要です。
目的地に対して遠回りをしていたり、寄り道や脇道に逸れてしまうのであれば、時間の制限内に目的地に辿り着くことはできません。
目的地に対してはより最短の道を選ぶように心掛けなければならないのです。
あなたは考えなければなりません。
辿り着きたい目的地に対して、その方向性や方法が最善であるのか?ということをです。
あなたが辿り着きたいと願う目的地に対して、最善の方法は違います。
山の頂上なのか?
野原の中心なのか?
海の果てなのか?
目的地に対して素早く進む方法は違っているはずです。
しかしながら、どこへ向かうにしても最短の道を選ぶ原理は同じです。
物事に対しては素直に向き合わなければなりません。
何事においても、その方法をよりシンプルにすることが最善なのです。
余計な考えや打算は必要ではありません。
余計な荷物は足を遅らせます。
余計な考えは物事を複雑にし、まっすぐに進むことができなくなります。
余計な動きは安定性を欠くことになります。
余計な考えや打算を捨て、素直な気持ちによって物事を選択することができれば、あなたはきっと目的地に辿り着くための最短の道と最善の方法を選ぶことができるでしょう。
極まるほどに物事はシンプルになります。
雑なほどに余計な考えや動きが付きまとうのです。
余計に考えてはなりません。
余計に動いてはなりません。
その考え方も行動も、よりシンプルなものにするように心掛けましょう。
時間も労力も貴重なものです。
余計な無駄を削り、よりシンプルに仕上げましょう。
どのような目的地にも、まっすぐに進む方法があるはずです。
それを探しましょう。


2012年11月10日土曜日

葉は紅く

紅葉が鮮やかに色付くためには、昼夜の気温差が欠かせません。
昼夜の気温差が激しいほどに、紅葉は激しさを増すのです。
昼夜の気温差が少なければ、葉が紅く色付くことはありません。
葉が紅く色付くためには暖かい日差しと、冷たい夜風が必要になるのです。
これは、あなたの人生にも似ています。
人生をより鮮やかに輝かせるためには、人生に対してより大きな変化を必要とします。
変化の乏しい人生においては、それが鮮やかに輝くことはできないということを理解する必要があるでしょう。
多くの人は変化を嫌います。
変化とは不定を意味し、安定とは対極に位置しています。
多くの人は安定を求めるのです。
それは、安定こそが豊かさであると信じる価値観や考え方を所有しているからです。
そして、変化によって導き出されるであろう苦しみを悪いものとする価値観や考え方もあります。
立ち止まっているなら安定を得ることができます。
歩き出せば転んでしまう可能性もあるのです。
しかしながら、安定に立ち止まっているなら何も得ることはできません。
何かを得るためには不定を覚悟して歩き出さなければならないのです。
しかしながら、多くの人は苦しみが不定から導き出されると信じているのです。
すべての不定が苦しみを導き出すとは限りません。
安定が苦しみを導き出すという可能性も十分に存在しているのです。
しかしながら、多くの人は安定こそが豊かさであると信じる価値観や考え方から離れようとはしません。
そのため、変化を恐れ、苦しみを嫌うようになってしまったのです。
あなたが変化を恐れ、苦しみを嫌う気持ちを所有しているというのであれば、その価値観や考え方には注意が必要です。
変化や苦しみがあなたに対して悪影響を及ぼすとは限らないのです。
子どもを独り立ちさせるためには過保護は禁物です。
子どもを過保護に扱い、すべてを手助けし、すべてを与えるのであれば、その子どもは判断力や行動力に欠けてしまい、独り立ちすることなどできないのです。
過保護は子どもの自立心と自力を奪ってしまいます。
守られる人は守れないのです。
安定ばかりを求めるのであれば、安定させる力を失います。
寒風にさらされることのない葉は紅く染まることはできません。
紅く染まる時を持たずに枯れゆくのです。
人生を輝くものにしたいと思うのであれば、変化に対して好感を持たなければなりません。
人生には様々なことがあるでしょうが、厳しい環境も、苦しい状況も良しとして、それを受け入れて乗り越えていかなければならないのです。
変化を嫌い、苦しみを避けているような人物は、物事の真理を理解することはできません。
様々な経験を通じて、人はそれを悟っていくのです。
変化の大きい人生こそがあなたを成長させ、輝く人生を約束するものなのです。
安定は安心を生み出します。
それはとても気分が良いでしょう。
しかしながら、安定や安心の中にいるのならば力を失ってしまうということも覚えておかなければなりません。
人に飼われた動物は自然界で自らの命を守ることはできません。
過保護に育てられた人間は自立することはできません。
屋内で育てられた植物は紅葉しません。
苦労を伴い、喜びを噛み締めるような変化のある人生こそ素晴らしいということを理解しなければならないでしょう。
自らの安定や安心ばかりを守ろうと考えてはなりません。
厳しい環境に身を置いてこそ、牙は尖(とが)り、爪は鋭く研ぎ澄まされるのです。
豊かで輝く人生を求めるのであれば、変化という苦しみを避けていてはならないでしょう。


2012年11月9日金曜日

生きる者の責任

生きることとは、道を進むことです。
生きているあなたにとって大切なことは、道を進むということなのです。
道を進むということは、生きている者の責任です。
あなたは道を進まなければなりません。
どのような状況があなたの行くてを阻んでも、あなたが生きているのならば道を進まなければならないのです。
道を進むことなく、生きている者が果たすことのできる責任はありません。
生きている者は何があろうとも、先を目指してその歩みを進まなければならないのです。
過去に捉われる者に、果たすことのできる責任はありません。
生きている者が果たす責任とは、生きることでしか果たすことができないのです。
生きることは道を進むことです。
あなたは何があろうとも、道を進まなければなりません。
しかしながら、人生には様々な問題が生じます。
問題は苦しみを以てあなたを引き止め、高い壁として行くてを阻みます。
人は問題に対して苦しみの感情を生み出し、苦しみを以て過去に捉われるのです。
過去に捉われてしまうと、道を進むことはできません。
道を進むことができないということは、生きている責任を果たすことができないということなのです。
それは、あなたから豊かさや幸福感や人生の意義を奪い去ってしまうことになるのです。
過去に捉われる者は豊かさを手にすることはできません。
過去に捉われる者は幸福感を得ることはできません。
過去に捉われる者は人生の意義に気が付くことができないのです。
それでは、心は満たされないのです。
あなたは自らの心を満たすことの大切さを知らなければなりません。
心を満たすことができなければ、何も報われないのです。
この厳しく苦しい人生において報われるためには、責任を果たさなければなりません。
責任を果たすためには、やはり道を進まなければならないのです。
あなたは何事にも捉われてはなりません。
大切なことはすべてまだ見ぬ前方(未来)に存在しています。
未来という場所は本来、希望によって満ち溢れているのです。
今が辛く苦しくても、未来が同じ状況であるとは限りません。
過去に捉われ、苦しみの中に生きるから苦しいのです。
まだ見ぬ前方を目指し、今を希望溢れる未来へと繋げるように生きることができれば、あなたは必ず希望溢れる状況に辿り着くことができるのです。
何があろうとも、苦しみに捉われてはなりません。
理由が分からなくても道を進む努力をしなければなりません。
人は立ち止まってはならないのです。
すべてには必要性があります。
それがどのような状況であれ、あなたに
とっては掛け替えのない大切な経験なのです。
あなたが生きているのであれば、道を進まなければなりません。
自らの責任を果たさなければなりません。
立ち止まってはなりません。
甘えてはなりません。
あなたにはやらなければならないことがあります。
支えなければならない人がいます。
強く在らなければなりません。
生きることは、「何があろうと道を進むことである」ということを覚えておかなければなりません。

2012年11月8日木曜日

美しい労働

あなたが自らの人生に豊かさを求めるのであれば、美しく働かなければなりません。
「美しい労働」なしに、美しい人生などあり得ないのです。
人生に最も多大な影響力を持ち、それを左右するものは労働であるということを理解しなければなりません。
人生とは労働です。
働くことこそが人生であると知らなければなりません。
働くことで社会や誰かや何かに貢献することなく、豊かな人生を得ることなどできません。
貢献し、価値を与えることがなければ、価値のあるもの(豊かさ)を受け取ることなどできないのです。
あなたが社会や誰かや何かに対して貢献することができる場と言えば、労働以外にはありません。
賃金が発生しようがするまいが、あなたが何かに働きかけること、即ち行動は労働となるのです。
労働とは、あなたのライフスタイルであり、ライフワークであるということを理解しなければなりません。
人生における労働が占める時間と労力というものは膨大です。
それはとても大きなエネルギーです。
その質を良くするということは、あなたの人生にとってとても有意義なことなのです。
労働の質によって、人生の質は決まります。
あなたが自らに課せられた労働に対して、どのような心掛けであるのか?ということはとても重要なことなのです。
あなたは自らの労働に対して、どのような気持ちで向き合っているでしょうか?
美しさとは、建設的な性質のものを指します。
「美しい労働」とは、建設的であり、生産的な労働のことを指します。
自らに課せられた労働に対して、建設的であり、生産的な仕事や感情が存在している状態こそが「美しい労働」の条件なのです。
どのような仕事をしていたとしても、その仕事に対して建設的であり、生産的な心掛けでなければ美しく働くことはできません。
建設的であり、生産的な「美しい労働」でなければ社会や誰かや何かに対して貢献することなどできないのです。
貢献することができなければ豊かさを得ることはできません。
あなたの労働に対する心掛けひとつで、状況というものは一変します。
状況を打開したい。
より良い環境が欲しい。
人生を豊かな場所にしたい。
そう願うのであれば、美しく働かなければなりません。
文句や不満などを所有したところで、状況は好転することはありません。
破滅的な思考や感情に捉われる者にチャンスなど無いのです。
人生をどのような場所にするのかを決めるのはあなたです。
自らの心掛けが最も重要であるということを理解しなければなりません。
美しい人生のために、美しく働きましょう。

2012年11月7日水曜日

大切な財産

あなたが先を目指したいと思い、より高く登りたいと願うのであれば、人の意見に左右されてはなりません。
あなたが先を目指すために必要なのは己の意見であり、意思です。
己の意見や意思を失ってしまった者に、その先へと向かう道は用意されることはありません。
あなたの人生におけるあなたの道は、あなた自身の意思によって築いていかなければならないのです。
人の意見は確かに大切なものではあります。
それは、あなたの視点とは別の視点を所有しているからです。
あなたにとっての盲点に気付かせてくれるのが、人の意見なのです。
あなたは人の意見に耳を傾け、ある程度は譲歩しなければなりません。
しかしながら、自らの主体性を失い、人に左右されることには注意を払わなければならないのです。
人の意見を鵜呑みにし、それに従うようではならないのです。
人の真似事をしたところで、あなたに可能性など有りはしないのです。
あなたに可能性を導くのは、あなた自身の意思であることを理解しなければなりません。
二番煎じが通用するほど、世界は甘くはありません。
あなたが先や高みを目指す必要がないというのであれば主体性を捨て去り、人の意見に身を委ねていれば良いでしょう。
人の意見に左右され、主体性を無くして長いものに巻かれることは楽なことです。
ただ、乗っかって流されていけば良いのだから気楽でしょう。
それであなたが幸せを感じるというのであれば構いません。
これ以上何も言うことはないでしょう。
しかしながら、あなたが先を目指し、向上したいと思うのであれば、自らの意思を大切にしなければなりません。
主体性とは「自分」です。
「自分」を持たない者は群集の中に埋れてしまいます。
群集の中に埋れないためには、個性を持たなければならないのです。
人と同じであるのに、どうやって区別しろというのでしょう?
個性を持たなければ先や高みを目指すことはできません。
あなたは妥協や諦めによって、「自分」という大切な財産を捨ててはいませんか?
これは、あなたの人生なのですよ。
船頭はあなたです。
あなたの主体性こそが導くべきです。
群集の中に埋れたくなければ自らを押し通し、「自分」として生きていきましょう。
あなたは「あなた」で良いのです。

2012年11月6日火曜日

忍耐の先に

実現化させたい目標を持つのならば、あなたは耐えなければなりません。
耐え忍ぶこともできずに実現化する目標など存在しないのです。
忍耐こそが人に与えられた最大の力です。
耐え忍ぶことができる者は強いということを理解しなければならないでしょう。
忍耐とは力です。
しかしながら、残念なことに忍耐の力を信用することができない者は多いのです。
忍耐とは、理解することであるということを知らなければなりません。
世界に豊かさを求めるのならば、物事の本質を理解することは必至です。
物事の本質を理解することなく、世界に豊かさを求めることはできないのです。
表層を撫でて分かった気でいる愚か者が得ることのできる豊かさなど、どこにも存在しないということを理解しなければならないのです。
物事の深部へと出向き、それを学んだ者でなければ語ることはできません。
知識だけではお粗末なのです。
物事の本質を理解するためには、その深部へと進む必要があります。
しかしながら、物事の深部へと進むことは決して簡単なことではありません。
物事の深部へと進むためには、その度に待ち構える困難を乗り越える必要があるからです。
簡単に物事の本質を理解することなどできません。
表層の気楽な部分を撫でるだけでは何も分からないのです。
本質を理解するために重要なことは、物事の苦しい部分を理解するということなのです。
苦しい部分を理解することなく、物事の本質を理解することなどできません。
どのような本質も、苦しみを乗り越えなければ理解することはできないのです。
どのような本質を目指しても、困難は待ち構えています。
そこから逃げ出しては何も分からないのです。
困難を耐え忍び、それを乗り越えた先にこそ本質は存在しています。
忍耐を持たない者には決して辿り着くことなどできないのです。
耐え忍ぶほどに理解は深まります。
それを理解しなければなりません。
あなたはその苦しみに背を向け、逃げ出すことが最善だと思いますか?
どのような選択をするのかはあなた次第です。
逃げ出したければ逃げ出しても良いのです。
理解が必要ならば耐え忍び、理解が必要でなければ背を向けましょう。
しかしながら、忍耐の先に物事の本質が存在しているという事実を忘れてはならないでしょう。

2012年11月5日月曜日

客観的な評価

原因は結果として実現化します。
どのような原因であれ、それが原因であるのならば、必ず結果へと結び付くのです。
存在する原因が結果へと結び付かないことはありません。
すべての原因は例外なく結果として実現化することを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは自らの人生を築くための原因を所有しています。
それは、あなたの意思(思考や感情)と行動(選択や決定)です。
あなたがどのような意思を持ち、どのような行動を取るのかによって、どのような原因を所有するのかが決まります。
あなたの生き方の一つ一つが原因となり、結果として人生に反映されるのです。
あなたの意思と行動の一つ一つが原因として認識され、それに伴った結果が実現化するのです。
人生をどのような場所にするのかはあなたの生き方次第です。
何を考え、どのような感情を抱き、何をして、何をしないのか?
それによって人生という場所が決まるのです。
あなたの生き方の一つ一つは「人生」によって評価されています。
ここでの「人生」とは、あなたの人生を形成する上で多大な影響力を持つもののことです。
それは、「人」です。
あなたの生き方は人によって評価されています。
そして、人はあなたの生き方を実現化するために働くでしょう。
「人」が持つ人生への影響力は多大であるということを理解しなければなりません。
それは、「神」です。
ここでの神とは、意識的な存在のすべてを指します。
人生は目には映らない意識的な存在の加護や導きによって影響を受けています。
良しも悪しも、意識的な存在からの影響力は多大なのです。
「神」はあなたの生き方を評価し、それが実現化するように手助けをします。
「神」が持つ人生への影響力も多大であるということも理解しておかなければならないでしょう。
「人」も「神」も例外なくあなたのことを見て(評価して)います。
しかしながらそれは、あなたが持つ自分自身への評価とは違うものかもしれません。
「人」や「神」は、あなたが自分自身を正当化し、美化していることを知っています。
客観性を持つ「人」や「神」からの評価こそが真実のあなたの評価なのです。
現状のあなたの人生がどのような場所であるのか?それを見ればあなたがどのような評価を受けているのか?ということを理解することができるのです。
そうすれば、自らの持つ原因をどのような形にすることが最善であるかを理解することができるでしょう。
現状とは、結果です。
あなたの持つ一つ一つの原因が現状を築きました。
あなたは現状をどのように捉えますか?
満足していますか?
それとも不満ですか?
現状から導き出される気持ちに従って自らの生き方を改善しなければならないでしょう。
あなたは現状という「客観的な評価」と向き合わなければなりません。
現状がどのような場所であろうとも、そこから逃げ出してはなりません。
その場所からより良い場所へと結び付けなければなりません。
あなたの所有する一つ一つの原因が客観的に評価されています。
一つ一つの原因が結果として実現化します。
現状から学び、次に生かさなければならないでしょう。



2012年11月4日日曜日

最も大切なもの

あなたは自らにとって最も大切だと思えるものを大切にしなければならないでしょう。
自らにとって一番大切なもの、一番大切にしなければならないものが何であるのかを定めることができたのならば、道は開けます。
自らにとって最も大切にしなければならないものが何であるのかを理解することなく、道が開けることはないと心得なければならないでしょう。
人生を先へと進めるためには、目標を持つ必要があります。
目標を持たない者は、人生を先へと進めることはできないのです。
目標を持たない者は、その場で足踏みをしているようなものです。
所有する時間や労力を先の目的地(目標)に対して傾けることのない者は、先へと進むことはできないのです。
すべての目標は、自らの立つ場所よりも先に存在しています。
目標を持って生きるということは、先へと進むために生きるということなのです。
目標を持つためには、自らにとって最も大切なものが何であるのかを知る必要があります。
目標に向かい、それを達成するためには多くの時間と労力が必要となる訳です。
それが自らにとって大切だと思えるものではない限り、それを達成することなどできないのです。
目標を持ち、それを達成するほどに人生は先へと進みます。
目標を達成するほどに人生は先へと進みますが、目標に対する熱意が強いほどにそれを達成する可能性は上がるのです。
あなたが別段大切に思うことができないものに対して目標を掲げたとしても、それを達成する可能性は低いと言わざるを得ません。
目標の達成に対する熱意と、そこに注ぐことのできる時間と労力の量が重要なのです。
あなたが自らにとって最も大切だと思えるものを理解していたのならば、そこに生み出される目標に辿り着くことのできる可能性は高いと言うことができるのです。
自らにとって最も大切なものが何であるのか?それを知らないものは先へ進むことはできません。
目標を達成することができる者は、皆何が自らにとって最も大切なものなのか?ということを理解しているのです。
中途半端な気持ちで目標を達成することなどできません。
目標を達成するためには、真剣に向き合うことが求められるのです。
あなたは自らにとって最も大切なものが何であるのかを知る必要があります。
今のあなたにとって最も大切なものは何であるのか?を考えましょう。

2012年11月3日土曜日

理想との距離

あなたは理想との距離を計らなければなりません。
理想との間に存在する距離というものは、あなたにとってとても大切なものなのです。
誰もが自らの理想を所有しています。
理想を持たない者は存在しません。
すべての者が大なり小なり自らの理想を所有しているのです。
誰もが自らの理想の実現を目指し、それを願っているのです。
それは、理想を実現させることこそが自らにとって至上の幸福であると知っているからです。
あなたも何らかの理想を所有していることでしょう。
そして、その理想を実現させたいと願い、そのように行動していることでしょう。
あなたが理想を実現させるためには、理想との距離感がとても大切です。
自らの立つ場所と実現させたいと願う理想が離れ過ぎたり近過ぎてしまうと、それを実現させることや、そこから豊かさを得ることはできないのです。
自らの立つ場所と実現させたいと願う理想との距離が遠過ぎれば、それは大き過ぎて叶わぬ理想となってしまいます。
理想が大き過ぎてその距離が離れ過ぎてしまえば、それを自らの力によって実現させることは難しくなってしまうのです。
誰もが自らの理想を実現させるために努力を始めますが、その理想が大き過ぎたり遠過ぎれば、必要な努力の量は大きなものになります。
当たり前ですが、理想が大きいほどにより多くの努力が必要になるのです。
大きなものを築くためには、大きな労力と多くの時間が必要になります。
その分、理想が実現するまでの時間は長くなり、可能性は狭まります。
理想が実現するまでの間に達成感を味わうことができるのなら良いですが、そうも簡単にはいきません。
理想に辿り着く時間が長いほど、人は卑屈になり悩みもします。
理想が大きいほどに、人は苦悩や諦めを覚えてしまうのです。
理想が大き過ぎては、実現させることは難しくなるのです。
逆に理想との距離が狭いことにも問題があります。
理想との距離が狭くなると、向上心に欠けてしまうことになります。
小さな理想や現状に満足し、そこより先へと進もうとしなくなるのです。
理想が小さく、すぐに辿り着くようであれば、人は怠慢や堕落に溺れ兼ねないのです。
理想は大き過ぎても小さ過ぎてもなりません。
遠過ぎても、近過ぎてもなりません。
現状における自らの力において、ギリギリ辿り着くことのできる理想を見極めなければならないのです。
あなたは自らの実力を知らなければなりません。
そうすることによって、現状におけるあなたが自らの理想に対して何をするべきなのか?何ができるのか?ということを理解することができるのです。
自らの現状を知ろうともしないで大きな理想を追い求めてはなりません。
現状に怠けて小さな理想に満足してはなりません。
「努力すれば実現させることができるかもしれない」という理想を求めましょう。
自分の立っている場所から現状の力で辿り着くことのできる最長の距離にある理想を追い求めましょう。
身の程を知り、自分に合った理想を実現させていきましょう。
一つ一つの理想の現状があなたを先へと進めます。
より遠くにある理想に辿り着くことが理想的ですが、辿り着けなければ意味がありません。
自らの現状と理想との距離感のバランスを見極めなければならないでしょう。






2012年11月2日金曜日

変化する心

人の心は止まることを知りません。
どのような状況においても、その心は常に変化し続けているのです。
人は心を止めることはできません。
何があろうとも、心は変化し続けるのです。
あなたは変化にさらされています。
時間が決して止まることがないように、あなたの心も止まることはありません。
自らが変化の中に存在しているということを理解しなければなりません。
そして、それを忘れてはならないのです。
あなたの心は状況の変化に対して何らかの変化をします。
状況が変わり経験を経れば、それにつられて心は必ず変化をするのです。
それは、価値観の変化を導きます。
状況の変化や新たな経験を経る度に、価値観も変化し続けるのです。
価値観というものは、あなたの指針を示すものです。
あなたの大切なものや目指すべき場所を示すのが価値観なのです。
あなたにとって、価値観というものは人生を築く上ではとても大切なものです。
それは価値観こそが、あなたの方向性を決めるからです。
あなたは自らの価値観に従って人生を描くことでしょう。
自らの価値観に反した人生を描き、築くことはできません。
あなたは価値観によって選択を決めていくのです。
価値観は心に繋がっています。
それは、心が決めるものです。
価値観は絶え間なく変化し続けますが、あなたはその変化を否定してはならないでしょう。
あなたの価値観は、あなたの経た状況や得た経験から導き出された結果です。
それは、あなたにとっては掛け替えの無いものなのです。
価値観は経た状況や得た経験によって自然に築かれるものです。
それは、あなたの過去を未来へと結び付けるために重要な役割を担っているのです。
人は過去を原因として、未来という結果を得ます。
過去から未来を築く以外に方法はないのです。
自らの価値観を否定したところで未来を良い方向へと導くことはできません。
今、あなたが持っている価値観を以て、未来を良い方向へと導かなければならないのです。
あなたの価値観は絶えず変化しています。
今のあなたが自分自身で大切に思えるものを大切にすることが重要なのです。
自らの価値観が導く方向へと進んで行くことが大切です。
あなたは自らの価値観を大切にしなければなりません。
好きなものは好きと思えば良いのです。
自分自身が進みたい方向へと進んで行けば良いのです。
自らの価値観を大切にすることができない者は、自らの人生を大切にすることなどできません。
自らの人生を大切にすることができないのであれば、幸福を手にすることはできないでしょう。
心は絶えず変化しています。
その変化を大切にし、今の価値観を誇りましょう。

2012年11月1日木曜日

美しさを生み出す

あなたは感性を磨かなければなりません。
感性を磨くことによって美しさを生み出さなければならないのです。
美しさを生み出すことは、豊かさを生み出すことです。
豊かさを導くものは必ず美しさを備えています。
ここで言う美しさとは、その方向性において有益に働き、豊かさを生み出すことのできる洗練された状態を現しています。
ある方向性において有益に働くものは、必ず洗練された形状をしています。
洗練された形状はすべからく美しさを備えています。
早く走る者は、早く走るための形状に洗練されています。
力を持つ者は、力を生み出すための形状に洗練されています。
洗練させたものは美しさを持ちます。
それは、その方向性に対して洗練されるほどに美しさを増すのです。
美しさを増すほどに有益に働くことになります。
物事を洗練する努力をしていれば美しさを生み出すことができます。
美しさは状況に対して必ず有益に働きます。
美しく在るほどに多くの豊かさを得ることができるのです。
あなたは美しさを磨かなければなりません。
物事を洗練し、美しさを磨くためには感性を磨かなければなりません。
感性を磨かなければ美しさを磨くことはできません。
センスがなければ美しさを生み出すことなどできないのです。
美しさを生み出すことができなければ、豊かさを得ることはできません。
あなたは美しさを生み出すために、自らの持つ感性を磨かなければならないでしょう。
感性を磨くためには、向上心を以てより良いものを生み出す努力をしなければなりません。
向上心を以てより良いものを生み出す努力こそが、物事を洗練していきます。
向上心を持たず、いい加減な気持ちによって物事に向き合っているのであれば、良いものを生み出すことなどできません。
そのような状態では物事を洗練させることも、美しさを生み出すこともできないのです。
あなたはすべての状況に対して美しさを求めていなければなりません。
そして、自らが生み出すものに対して美しさを求めなければなりません。
向上心を持たずに物事に向き合ってはなりません。
そのような状態で向き合ったところで、美しさや豊かさを生み出すことはできません。
美しさや豊かさを求めないのであれば、無理に何かを生み出そうとしない方が良いでしょう。
真剣に向き合うことができないものが、あなたを幸福にすることなどできないからです。
あなたが生み出すものは、より良いものでなければなりません。
どのようなものに向き合うにしても、向上心を持たなければなりません。
より良いものを生み出そうとする努力をしなければなりません。
いい加減な気持ちでいい加減なものを生み出そうとするのならば、あなたはそれが自らにもたらす破滅的な結果というものを覚悟しなければなりません。
自らが生み出したものが返ってきます。
自分で作った料理は、自分自身が責任を以って食べなければならないのです。
それを誰かに振舞うにしても、それはあなたが調理したものだと言うことを理解しておかなければなりません。
あなたが生み出すものが、あなたの大切な人々に対して何らかの影響力を持っているのです。
あなたが向上心を以てより良いものを生み出せば、あなたの大切な人々にはより良いものを提供することができます。
あなたがいい加減な気持ちでいい加減なものを生み出せば、あなたの大切な人々にはいい加減なものを提供することになるのです。
いい加減な気持ちで生み出したいい加減なものを受け取った相手はどう思うでしょう。
最悪の場合、あなたは信頼を失ってしまうかもしれません。
その時に後悔しても遅いのです。
あなたが現状でどのようなレベルのものを生み出すことができるのかは大した問題ではありません。
それをどのような意気込みで生み出したのか?ということが重要なのです。
下手でも良いのです。
向上心を以てより良いものを生み出そうとする気持ちが大切なのです。
その気持ちがあれば、物事は必ず洗練されていきます。
そこにはいつしか美しさが備わるでしょう。
あなたは感性を磨かなければなりません。
美しさを生み出す努力を怠ってはなりません。
向上し、洗練させるほどに美しさが磨かれます。
どうすれば美しさを生み出すことができるのかを考えなければならないでしょう。