このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2021年2月28日日曜日

喜びの助け

この世界には、因果の仕組みが存在します。
この世界のすべてが、因果の仕組みに従っているのです。
因果の仕組みとは、結果には、それに相応(ふさわ)しい原因が存在し、原因は、それに相応しい結果を実現するというものです。
この世界に実現するすべての状況が、当然の結果であるということを覚えておかなければなりません。
原因は、すべて自分にあるのです。
人生における原因は自分です。
人生におけるすべての状況は、自分が原因となって実現しているのです。
残念ながら、多くの人は、原因が自分にあることを知りません。
多くの人は、目の前の状況が、誰かや何かによって引き起こされていると思い込んでいるのです。
表面的に見れば、目の前の状況が誰かや何かによって引き起こされているように思えるでしょう。
しかしながら、人生におけるすべての状況は、自分によって引き起こされています。
すべての状況には、あなたが関わっているのです。
残念ながら、あなたに関係のない状況は存在しません。
あなたは、すべての状況に携(たずさ)わっているのです。
なぜなら、あなたが選んだからです。
すべての状況は、あなたが選んだから導かれたのです。
状況が勝手に導かれるということはありません。
因果の仕組みが間違えることはないのです。
それが、どのような状況であろうとも、あなたが選んだのです。
導かれた状況に対してリコールを求めても、一度導かれた状況は変わらないのです。
どのような手を尽くしても、現実を否定することは出来ません。
時間を戻すことも出来ないのです。
結果は、受け入れなければなりません。
それは、すべての結果が最善だからです。
人生には、最善の状況が導かれます。
残念ながら、あなたにはそのようには思えないでしょう。
しかし、すべての状況はあなたに最善の学びを導くのです。
苦しいからこそ学ぶことが出来るのです。
最高の学びとは、最高の苦しみなのです。
苦しい程に、学びの質は高いということを理解しましょう。
人生には苦しい状況が導かれるのです。
残念ながら、それを避けることは出来ません。
なぜなら、あなたは学ぶために生まれたからです。
あなたは、遊ぶために生まれたのではないのです。
残念ながら、あなたはそのことを忘れているのです。
あなたは、学ぶために生まれたのです。
それは、苦しみを経験するために生まれたということなのです。
人生は、苦しむための時間なのです。
多くの人は、喜びを中心に人生を築こうとします。
しかしながら、人生の中心には苦しみが存在するのです。
苦しみを学ぶために、喜びの助けが必要なのです。
喜びの助けがなければ、苦しみを学ぶことが出来ないのです。
あなたは、自分で選んで生まれたのです。
あなたは、自分で選んで苦しむのです。
自分で選んだ状況に文句を吐いてはなりません。
文句を吐いても、良い結果を得ることは出来ません。
なぜなら、文句が原因となるからです。
文句を吐くのであれば、それに相応しい結果を得ることになるでしょう。
苦しみは良い学びとなりますが、文句を吐いているのであれば、喜びの助けを得ることが出来ません。
それでは、苦しみを学びに変えることが出来ないのです。
苦しみは避けられません。
あなたは何(ど)の道苦しむのです。
文句を吐いても苦しみは消えません。
しかしながら、文句を吐けば、喜びは消えてしまうのです。
あなたは、苦しみを喜びで迎(むか)え入れましょう。
もちろん、どうするか?は、あなたの自由です。
自分で選んで生まれたのだから、どう生きるかは自分で選べば良いのです。
出来れば、文句を吐かずに良い道を探しましょう。
今に最善を尽くすべきなのです。
人生は思い通りにはなりません。
苦しいことが自然です。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
喜びの助けを借りて、十分に苦しみましょう。

2021年2月27日土曜日

狭い道

すべての人には、果たさなければならない人生の目的が存在します。
どのような人物も、無駄に生まれることは出来ません。
無駄に生まれることが出来る程、この世界は容易(たやす)い場所ではないのです。
すべての人生に意味と価値が存在します。
すべての人生には、果たすべき目的が存在しているのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生を空しく生きてはなりません。
人生を空しく生きるというのは、生まれた意味を考えずに、目の前の快楽や欲望に根差(ねざ)して生きるということです。
残念ながら、多くの方が目の前の快楽や欲望に翻弄(ほんろう)され、人生を空しく生きているのです。
多くの人は、人生の目的を考えません。
人生とは何か?という問いを持たないのです。
あなたは、人生が何か?気になりませんか?
人生が何か?を知らずに年老いて良いのでしょうか?
人生が何か?を知らずに、死を迎えても良いのでしょうか?
多くの人は、目の前の快楽や欲望を満たすことを考えています。
多くの人は、”仮”の目的として、目の前の快楽や欲望を満たそうとするのです。
残念ながら、利己的に生きては、人生の目的を果たすことは出来ません。
それは、人生の目的は、あなたが生まれる前に決めたものだからです。
因果の仕組みの存在するこの世界においての人生の目的は、生まれる前から存在しているルールのようなものなのです。
利己的に生きるということは、そのルールを守らないということなのです。
それでは、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生には、目的というルールが存在しているのです。
あなたは、そのルールの範囲で生きなければなりません。
好き勝手に生きることも出来ますが、それでは、人生は空しくなってしまうのです。
人生の目的を果たすために生きることは、決して可能性を狭(せば)めるということではありません。
好き勝手に生きることが可能性を広げるということはないのです。
好き勝手に生きるということは、ルールを無視するということです。
道を外れてしまえば、可能性を広げることは出来ないのです。
可能性は、ルールの中に存在しています。
ルールを破ってしまえば、可能性も何もありません。
人生の目的を果たすための道幅は限られています。
それは、とても狭(せま)い道なのです。
しかしながら、狭い道にこそ可能性が存在しているのです。
すべての人は、人生の可能性を生きなければなりません。
それは、自由に生きることでも、自分勝手に生きることでもありません。
人生の目的という狭い道を進むことなのです。
人生の目的を果たそうとする時、人生には可能性が導かれます。
人生に目的が存在することを知らずに、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)っている人生には、可能性はないのです。
あなたは、何のために生まれたのでしょうか?
あなたは、人生に生まれた理由を考えなければなりません。
無駄に生まれることは出来ません。
無駄に生まれることの出来る人はいないのです。
誰もが、果たすべき人生の目的を持つのです。
人生を思い通りに生きる必要はありません。
人生を自由に生きる必要はありません。
人生を自分勝手に生きる必要はないのです。
人生が思い通りにならず、苦しみを得たとしても、それだけで間違っているとは言えません。
人生が苦しいことは問題ではありません。
問題は、人生が空しいことなのです。
空しさを感じるような生き方は間違っています。
そのような時には、自分が生まれた理由を考えましょう。
自分が生まれた理由を考えるのであれば、自分の役割が見えて来ます。
自分の役割が見えて来ると、人生の目的が見えて来るものなのです。
人生の目的が見えて来れば、狭い道が見えて来るでしょう。
狭い道が見えたら、勇気を出してそこに一歩を踏み出してみましょう。
狭い道を進むことには勇気が必要です。
それは、皆と一緒の大きな道から、独り脇道に逸(そ)れることだからです。
多くの人は、集団に安心を覚えます。
誰かと同じ生き方に安心を覚えるのです。
しかしながら、それでは人生は空しいのです。
それは、あなたが人生に目的を以(もっ)て生まれているからです。
あなたは、出来るだけ狭い道を行きましょう。
そして、人生の目的を果たしましょう。

2021年2月26日金曜日

人生は計画通り

すべての人は、人生に目的を以て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
それは、人生に生まれた理由が、人生の目的を果たすことだからです。
人生の目的を果たすことによって、人生は完成するのです。
人生の目的を果たすことがなければ、満たされないということを覚えておきましょう。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
人生の目的は、人それぞれに異なっています。
誰一人として、同じ目的のために生まれることは出来ません。
誰一人として、同じ道を進み、同じ目的地に辿り着くことは出来ないのです。
進むべき道も、辿り着くべき目的地も、人それぞれに異なるのです。
人生が同じものになることはありません。
目的が同じものになることはないのです。
価値観が同じものになることはありません。
幸せが同じものになることはないのです。
人は、それぞれの価値観によって、それぞれの幸せを掴まなければなりません。
幸せは、人それぞれに異なります。
あなたには、あなただけの幸せが存在しているのです。
あなたは、それを探さなければなりません。
無理に別の幸せを嵌(は)め込もうとしても無駄です。
別の幸せによっては満たされないのです。
あなたには、あなただけの幸せが存在します。
それ以外の幸せでは満たされないのです。
幸せは、人それぞれです。
あなたは、そこのことを覚えておきましょう。
自分の幸せに挑戦しなければなりません。
それは、唯一の幸せであるため、実現するのは難しいでしょう。
幸せを実現するためには、自分を生きなければならないのです。
自分を生きるということは、目の前の現実を受け入れるということなのです。
目の前の現実を受け入れることで、必要を満たすことが出来るのです。
多くの人は、目の前の現実を否定します。
より良い現実が存在すると探し回っているのです。
目の前の現実が、あなたにとっての最善です。
人生は、それでも上手くいっているのです。
人生は、計画通りに展開しています。
あなたには、それが理解出来ないだけです。
理解することが出来ないからといって、間違っている訳ではありません。
人生には、必要が実現します。
人生には、無駄は実現しないのです。
どのような展開にも動揺してはなりません。
すべてが必要な変化なのです。
あなたは、人生が計画通りに展開しているということを理解しましょう。
納得する必要はありません。
なぜなら、今のあなたにはその価値を理解することが出来ないからです。
しかしながら、後にはそれで良かったのだと理解することが出来ます。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
幸せは、それぞれに異なるのです。
皆が良いと思うものが、あなたに良いとは限りません。
常識に捉(とら)われずに生きましょう。
人生が計画通りに展開しているということを理解しましょう。

2021年2月25日木曜日

歪んだ幸せ

すべての人は、人生に目的を以て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由なのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
人は、それぞれの目的のために生まれるのです。
どのような理由があろうとも、人生の目的は果たさなければなりません。
人生は、当初の目的を果たすために展開するのです。
人生は、目的を果たさせるために展開します。
無意味や無価値に思えることも、あなたが人生の目的を果たすための必要なのです。
人生を思い通りにすることは最善ではありません。
なぜなら、あなたは未熟であり、無知であるからです。
残念ながら、あなたは自らの果たすべき人生の目的を知りません。
目的を知らないから、目の前の状況が無意味や無価値だと思えるのです。
都合の良いことに意味があり、価値があるのではありません。
都合の悪いことにも意味があり、価値があるということを知らなければならないのです。
残念ながら、多くの人は、自分の都合で人生を考えています。
目の前の問題を理想的に解決することを求めているのです。
都合とは、理想のことなのです。
理想とは、未熟者の都合なのです。
多くの人にとって、幸せとは苦しみです。
すべての人は、幸せを求めていますが、それは苦しみなのです。
なぜなら、多くの人が幸せだと思っているものは、真(まこと)の幸せではないからです。
幸せは、やがて苦しみへと変わってしまいます。
欲するものを得た喜びは、それを維持(いじ)する苦しみへと変わるのです。
例えば、大きな喜びで迎えた我が子によって、大きな苦しみが導かれます。
子育ての苦労や、子を失う苦しみは、子を持つという大きな喜びによってもたらされるのです。
しかしながら、子育ての苦労は贅沢(ぜいたく)な悩みです。
本来ならば、有り難い悩みのはずが、そのことを忘れているのです。
子を失うことは完全な苦しみのように思えますが、子を失うことでしか学ぶことが出来ないこともあるのです。
子を失うことは確かに苦しみですが、苦しみだけが存在している訳ではないのです。
歪んだ心が、幸せを苦しみに歪ませるのです。
心が歪んでいる以上、幸せは苦しみに歪んでしまうのです。
大切なのは、真っ直ぐに見ることです。
都合によって見方を変えてはなりません。
真っ直ぐに見るということは、都合に関係なく感謝するということです。
有りの儘(まま)を認めることが出来れば、幸せは幸せのままです。
人生は、幸せな場所です。
苦しみも、それを学べるということは幸せなのです。
理想を追い求めて、最善や必要を手放してはなりません。
幸せを歪めてはなりません。
感謝して学びましょう。

2021年2月24日水曜日

あればあることで苦しみ、無ければ無いことで苦しむ

人生は、苦しみの道です。
すべての道に苦しみが存在しています。
苦しみを避けることの出来る道は存在しません。
あなたは、どの道を進んでも苦しむということを覚えておきましょう。
生きることは苦しみなのです。
それは、あなたが未熟に生まれるからです。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
すべての人は無知なのです。
すべての人は、知らずに生きなければなりません。
あなたは、人生の意味を知っているでしょうか?
あなたは、何のために生まれたのでしょうか?
何のために生きるのでしょうか?
人生には、果たすべき目的が存在しています。
あなたは、無意味に生まれることは出来ません。
無価値に生まれることなど出来ないのです。
人生には、意味と価値が存在するのです。
人生には、意味と価値がありますが、未熟さや無知によってそれを忘れているのです。
多くの人は、人生の目的を知りません。
自分が何であり、何のために生まれたのか?を知っている人は少ないのです。
そのため、本来の目的とは異なる目的のために生きることになってしまうのです。
人生の目的とは、魂の目的です。
因果の仕組みの存在するこの世界では、肉体に宿る前の魂の段階で決めた目的が存在するのです。
魂の段階で目的を以ていなければ、人生を始めることは出来ません。
人生を始める前に目的を定めていなければ、人生を始めることは出来ないのです。
人生の目的は先天的なものであるために、それを見出すためには、魂の視点が必要なのです。
魂の視点でなければ、人生の目的を見極めることは出来ません。
しかしながら、魂の視点を生きることの出来る人は少ないのです。
多くの人は、肉体の視点を生きています。
それは、生きるために満たさなければならない欲求なのです。
肉体の欲求は、すべての人に与えられているのです。
肉体の欲求が無ければ、命を保つことは出来ないのです。
そのため、多くの人が肉体の欲求を重要視します。
肉体は、不足への恐怖を抱えています。
肉体は、命を継続させるために、不足を恐れるのです。
肉体は、より多くを求めるのです。
肉体の欲求は尽きません。
肉体は無限に欲するのです。
欲は尽きません。
欲するものを手に入れたとしても、また別のものが欲しくなるのです。
肉体の欲求に従っている人は、欲を増すのです。
そして、増長した欲によって苦しむのです。
すべての人が、肉体の欲求に翻弄(ほんろう)されます。
すべての人が、欲深いのです。
そのため、すべての人生は苦しみの道なのです。
すべての人は苦しまなければなりません。
苦しむことによって、肉体の欲求と魂の欲求との違いを知ることが出来るのです。
苦しむことがなければ、そのままを続けてしまうのです。
苦しむからこそ、肉体の欲求に抵抗することが出来るのです。
人生が苦しいのは自然なのです。
人生が苦しい時、多くの人は、間違いだと思います。
そして、苦しみを避けて別の欲の道を行くのです。
肉体は、より多くを得ることで苦しみを避けることが出来ると考えているのです。
肉体は、苦しみは不足から生じると思い込んでいるのです。
しかしながら、人は、どうやっても苦しむのです。
あればあることで苦しみ、無ければ無いことで苦しむのです。
それは、欲深いからです。
欲深くあることでは、苦しみを避けることは出来ないのです。
あなたは、”正しく”苦しみましょう。
苦しみを避けることは出来ません。
欲は尽きません。
そのため、肉体の欲求を認識し、翻弄されないようにしましょう。
肉体の欲求を無くすことは出来ません。
共に歩まなければなりません。
肉体の欲求と共に魂の欲求に従(したが)いましょう。
そして、人生の目的を果たしましょう。

2021年2月23日火曜日

後悔

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、無知を生きているのです。
誰一人として、未熟や無知を離れることは出来ません。
あなたは、いつの時にも未熟や無知を生きなければならないのです。
どれだけ成長を実現したとしても、やはり未熟なのです。
そして、いつまでも無知なのです。
あなたは、未熟や無知を手放すことは出来ません。
未熟や無知を生きることは、避けることの出来ないことなのです。
あなたは、未熟や無知を生きています。
今、この瞬間にも知らないことや出来ないことを見付けるのです。
知識や技術に終わりはありません。
あなたはいつも未熟であり、いつも不足しているのです。
いつも、これだけしか出来ないと力不足に嘆(なげ)くでしょう。
残念ながら、あなたはいつも力不足です。
あなたはいつも足りないのです。
出来ることは限られます。
満足は出来ません。
今は、それで精一杯なのです。
あなたは必ず後悔するのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
人生は、後悔の連続です。
それは、仕方のないことなのです。
なぜなら、あなたは未熟に生まれなければならないからです。
そして、この世界は余りにも広くて深いのです。
あなたには、理解することが出来ないのです。
何かを知った先に、知らないことが見えます。
何かが出来た先に、出来ないことが見えるのです。
目的地に辿り着くと、更に先へと伸びる新たな道を見付けるのです。
しかしながら、それは目的地に辿り着くまでは見えません。
あなたは、成長すれば、自らの未熟さに気が付くのです。
そのため、自らの未熟さに気が付くことは良いことです。
自らの未熟さに気が付かないことは問題なのです。
後悔することは良いことなのです。
自らの未熟さに気が付くことは良いことなのです。
問題は、後悔することもなく、自らの未熟さにも気が付かないことなのです。
それは、傲慢(ごうまん)を育ててしまうからです。
傲慢は、世界から光を奪ってしまうのです。
傲慢は、道を見えなくさせてしまうのです。
後悔こそが、人を傲慢から救います。
後悔を悪いものと考えてはなりません。
それは、悪いように思えるでしょうが、世界を照らす光なのです。
後悔は、道を照らす街灯のようなものなのです。
あなたは、後悔に向かって歩みましょう。
そうすれば、正しく道を進むことが出来るでしょう。
後悔の無い人生を生きようとしてはなりません。
そのような人生を生きることは出来ないのです。
人生には、後悔が付き物です。
後悔のない人生はありません。
どのように生きても必ず後悔するのです。
それは、あなたが未熟であり、傲慢であるからです。
後悔によって、あなたは小さく誠実になるのです。
都合の良いことばかりであれば、増長し、道を外れてしまうでしょう。
それでは、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生には、果たすべき目的が存在しているのです。
人生の目的を果たすためには、謙虚(けんきょ)であり、誠実でなければならないのです。
あなたは、自分が正しいと思い込んではなりません。
あなたは未熟なのです。
あなたは、不足しているくらいが丁度良いのです。
満たされないとしても、苦しんではなりません。
後悔することは、決められていることなのです。
後悔しない人などいません。
後悔しない人生など存在しないのです。
あなたは、後悔を楽しみましょう。
後悔は救いであるということを覚えておきましょう。

2021年2月22日月曜日

因果

この世界には、因果の仕組みが存在します。
因果の仕組みとは、すべての結果には、それに相応(ふさわ)しい原因が存在し、すべての原因は、それに相応しい結果を実現するというものです。
すべての状況が、因果の仕組みに関わります。
何一つとして、因果を離れた状況は存在しないのです。
すべてが、因果の仕組みの中に存在するということを理解しましょう。
すべての状況は、因果の導きです。
目の前の結果に相応しい原因が必ず存在するのです。
因果関係の存在ない状況は存在しません。
この世界には、”奇跡”というものは存在しないのです。
すべてが、当然の結果です。
奇跡に見えたり、思えるのは、その結果に相応しい原因を見出すことが出来ないからです。
よく見れば、見付かるのです。
見付かるまで探せば良いのです。
すべての原因は、それに相応しく実現します。
しかしながら、それはすぐには実現しません。
相応しい結果を実現するまで、原因が消滅することはありません。
結果は、すぐには実現しません。
必要な原因が揃(そろ)うまでは、結果として実現することはないのです。
その間、原因は取り残されるのです。
そして、”芽吹き”を待つのです。
どれだけ時間が経っても、因果が消えることはありません。
因果は、続きからなのです。
蒔(ま)いた種は、収穫しなければなりません。
収穫の時に芽吹いていなければ、次の収穫の時に芽吹いていることでしょう。
因果を避けることは出来ません。
どのような方法を用いても、因果は巡るのです。
悪事を働いてしまえば、その悪事に相応しい罰が与えられます。
罰を逃れることは出来ません。
罰はどこまでも追って来て、あなたに収穫させるのです。
人生を豊かなものにするためには、善行を働かなければなりません。
善行も、因果の仕組みで収穫することが出来ます。
しかしながら、善行も悪事と同じで、すぐには結果として現れないかも知れません。
すぐに結果として現れないからといって、諦めてはならないのです。
収穫するためには、収穫に必要な世話があるのです。
種を蒔いただけで収穫に漕(こ)ぎ着ける訳ではありません。
その後の世話が、収穫を左右するのです。
世話とは、継続のことです。
善行を継続すれば、恵みを収穫することが出来るでしょう。
しかしながら、継続しなければ、収穫することは出来たとしても、満足することは出来ない程のものになってしまうのです。
継続は、蒔いた種に水を遣(や)り、肥料を遣り、守り育てることなのです。
それは、善行でも悪事でも変わることはありません。
世話をすれば、収穫は豊かなものになるのです。
悪事を継続すれば、大量の罰を収穫することになります。
それは、人生に問題を引き起こし、苦悩を導き、空しさをもたらします。
悪事の代償(だいしょう)は空しさなのです。
人生に豊かさを実現するためには、善行を継続する必要があります。
善行を継続すれば、大量の恵みを収穫することが出来るのです。
それは、人生に喜びを引き起こし、感謝を導き、満足をもたらします。
人生が思い通りにいかないことには変わりありませんが、空しさを得るか?満足を得るか?を決めることは出来るのです。
悪事を働く者は、その場では得をしたと思えます。
しかしながら、最終的には損をするのです。
悪事を継続しては、人生に満足を得ることは出来ないのです。
毒の作物も、育っている時には嬉しいものです。
しかしながら、悪事を継続している者には、その作物が毒であることを知りません。
毒であることを知らないために、懸命に世話を続けるのです。
育てている時には、毒の作物であっても喜びがあるのです。
しかしながら、収穫後には苦しみが待っているのです。
善行は、無農薬栽培のようなものです。
世話を続けることは大変です。
しかしながら、収穫後には大きな喜びがあるのです。
それは、その作物が毒ではないからです。
農薬塗(のうやくまみ)れの作物を食べていれば、やがて病に犯されてしまうのです。
因果は、時間差で必ず導かれるのです。

2021年2月21日日曜日

個性

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生に目的も無く生まれることの出来る人はいません。
すべての人が、人生の目的を果たすために生まれるのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
誰一人として、他者と同じ目的のために生まれることは出来ません。
人は、それぞれに異なる目的を以て生まれるのです。
あなたは、そのことを知らなければなりません。
あなたの人生の目的は、この世界に唯一のものなのです。
誰かの真似をしても、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的は、真似することが出来ないのです。
そして、誰も、他者の人生の目的を教えることは出来ません。
人生の目的は、自分で見付ける必要があるのです。
なぜなら、誰にも、他者の人生の目的を理解することが出来ないからです。
自分の人生の目的を見出すことですら難しいのです。
他者の人生の目的など、知るはずがないのです。
あなたは、自分の人生の目的を探さなければなりません。
何のために生まれたのか?を考えなければならないのです。
自分で考えなければ、自分の人生の目的を見出すことは出来ません。
人生の目的は、誰かが教えてくれるようなものではないのです。
誰も、あなたの人生の目的を教えられません。
あなたは、他者に期待することをやめましょう。
自分の人生の目的は、自力で探すのです。
人生の目的を理解するためには、自分を知ることが最も有効な手段です。
自分を知ることがなければ、人生の目的を理解することは出来ないのです。
人生の目的を果たすためには、それに相応(ふさわ)しい役割が与えられています。
役割を果たすことによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
人には、出来ることと出来ないことがあるのです。
出来ることはできますが、出来ないこと出来ないのです。
魚は、空を行くことが出来ません。
鳥は水を行くことは出来ないのです。
魚らは水を行き、鳥は空を行きます。
出来ないことを無理に行えば、命を失ってしまうのです。
あなたは、出来ないことを無理に行う必要はありません。
もちろん、努力や辛抱(しんぼう)は必要です。
出来ないこととは、役割に相応(ふさわ)しくない行いのことです。
魚は、泳ぐ努力と辛抱をしなければなりませんが、空を行く努力と辛抱は必要ありません。
鳥は、飛ぶ努力と辛抱をしなければなりませんが、水を行く努力と辛抱は必要ないということなのです。
人には、それぞれの役割があります。
向き不向きというものがあるのです。
無理矢理に不向きを克服しようとするよりも、向いていることを更に伸ばすことの方が有意義です。
人は、同じに成る必要はないのです。
人は、それぞれに異なる方が良いのです。
それぞれが、それぞれの能力を伸ばすことが求められます。
出来ないことが出来るようになるよりは、出来ることが上達する方が役に立つのです。
あなたは、貢献(こうけん)しなければなりません。
貢献するためには、力が必要なのです。
知識や技術の向上が求められます。
良い仕事が求められるのです。
良い仕事をしなければ、貢献することは出来ません。
”餅(もち)は餅屋”ということなのです。
人には、それぞれに役割が与えられています。
そして、その役割を果たすための能力が与えられているのです。
それは、個性として現れます。
あなたは、自らの個性を伸ばさなければならないのです。
それが、どのような個性でも構いません。
人と異なるように生きれば良いのです。
やることはたくさんあります。
それなのに、同じことをしようと並んでいてはなりません。
誰かがやっていることは、誰かに任せ、自分が出来ることをやるのです。
列を成していると、物事は成り立ちません。
あなたは、自分に出来ることをしなければなりません。
個性を生かしましょう。

2021年2月20日土曜日

思考停止

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
誰一人として、無駄に生きることは出来ません。
すべての人に、果たすべき目的が与えられているのです。
人生は決して無意味なものではありません。
そして、無価値なものでもないのです。
あなたは、人生には、果たすべき目的が存在するということを理解しなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)るために生まれたのではありません。
様々な問題によって苦しむために生まれたのでもないのです。
目的も無く、空しく生まれたのでもないのです。
あなたには、果たすべき目的が存在するのです。
因果の仕組みが存在するこの世界において、人生という結果を実現するためには、目的という原因が必要なのです。
人生の目的は、人生を始める前に決められたものです。
あなたは、人生の目的を以て生まれるのです。
人生の目的が無ければ、生まれることは出来ないのです。
あなたは、人生に対して、意味や価値を見出さなければなりません。
無意味や無価値に生きてはなりません。
ただ生きるだけでは、人生に対して、目の前の状況に対して、意味や価値を見出すことは出来ません。
ぼうっと生きてはならないのです。
あなたは、目の前の状況や人生の意味や価値を考えなければなりません。
思考を止めてはなりません。
何のためにその状況や人生が存在するのか?ということを考える必要があるのです。
流されてはなりません。
流れに乗るのです。
流れに逆らうことは最善の方法ではありません。
流れに乗り、それを利用しなければならないのです。
あなたは、目の前の状況や人生の意味や価値を探し続けましょう。
人生は、決して思い通りになりません。
何一つとして、あなたの理想は実現しないのです。
しかしながら、それで良いのです。
思い通りにならない現実にこそ意味や価値があるのです。
思い通りの現実からは、それ以上に学ぶことはありません。
予想が外れるからこそ、より深く考えることが出来るのです。
より深く考えることによって、より豊かに生きることが出来ます。
考えることがなければ、人生は空しいのです。
もしも、思い通りに生きることが出来れば、考える必要はありません。
悩むことも、苦しむことも無いでしょう。
多くの人は、苦悩の存在しない状態を幸福や豊かさだと思うかも知れませんが、それは空しさなのです。
人生は、苦悩することが出来る程に良いのです。
苦悩することが出来る程、良い人生です。
何も考えることの無い順風満帆(じゅんぷうまんぱん)な人生には、豊かさは存在しないのです。
考えることがなければ、空しくなって苦しむのです。
すべての人は、人生に苦悩するようになっています。
人生は、決して思考停止を許しません。
人生は、思い通りにならないようになっているのです。
思考しなけえれば、いつの間にかに空しさに陥(おちい)ってしまうのです。
人生の意味や価値を考えることがなければ、苦悩することになるのです。
努力を続けなければ、いつの間にかに堕落(だらく)してしまうでしょう。
それは、掃除をしなければ、いつの間にかに汚れているのと同じことなのです。
苦悩とは、心の汚れです。
あなたは、心の汚れをそのままにしてはならないのです。
汚れた心でいつまでも生きることは出来ません。
それは、あなたが人生の目的を果たすために生まれたからです。
目的も無く、無意味や無価値に生まれたのであれば、汚れた心で生き続けることは出来ます。
しかしながら、あなたには果たすべき目的があるのです。
美しい心でなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生は、定期的に苦悩を導くことによって、あなたの心を掃除しているのです。
苦悩を嫌ってはなりません。
掃除を嫌うと、豊かに暮らすことは出来ないのです。
あなたは、生まれた意味と価値を考えましょう。
あなたには、生まれた意味と価値があるのです。
そのことを忘れてはなりません。
思考停止によって空しく生きてはなりません。

2021年2月19日金曜日

栄枯盛衰

すべてには、時が存在します。
あなたは、時が存在することを知らなければなりません。
時とは、時期のことです。
何かを実現するためには、それに相応しい時期があるのです。
時期を逃してしまえば、それを実現することは出来ません。
時を無視して、何かを実現することは出来ないということを理解しましょう。
何事にも時があります。
時が満ちなければ、どのように努力しても実現しません。
時が満ちれば、特別な努力を必要とせずに実現するのです。
すべてには時があり、すべてが時に左右されるのです。
あなたは、時と共に生きなければなりません。
時を無視してはならないのです。
あなたは、時を大切にしましょう。
時を軽んじてはなりません。
すべては、時に従って動くのです。
人生が時を無視することはありません。
あなたは、時の中に存在するのです。
時を無視して事を運ぶことは出来ないのです。
時が満ちれば、従わなければならないのです。
すべては時に従います。
種は、時によって発芽します。
苗は、時によって枝や根を伸ばします。
樹は、時によって花を咲かせます。
花は、時によって実を付けます。
実は、時によって熟します。
実は、時によって収穫されるのです。
時が満ちなければ、何事も成すことが出来ません。
樹は、時によって枯れます。
それもまた、避けられないことです。
万物(ばんぶつ)は、栄枯盛衰(えいこせいすい)を繰り返すのです。
時に従って栄えたものは、時に従って衰えなければなりません。
時に従って衰えたものは、時に従って栄えるのです。
季節が夏と冬を繰り返すように、物事は繁栄と衰退を繰り返すのです。
あたたは、時に従わなければなりません。
何事も続きません。
すべては、時に従って変化するのです。
あなたは、変化を食い止めることは出来ません。
栄える時には、栄えなければなりません。
衰(おとろ)える時には、衰えなければならないのです。
残念ながら、人生は思い通りにはならないのです。
それは、あなが最善を知らないからです。
夏には無数の葉を茂らせていた樹も、冬にはすべての葉を落とします。
樹は、季節に逆らうことをしません。
それは、季節に逆らうことが最善でないと知っているからです。
季節に逆らってしまうと、枯れてしまうのです。
そのため、樹は季節に従うのです。
あなたも、樹のように時に従わなければなりません。
人生を思い通りにしようとして、時に逆らってはならないのです。
時は、最善を導きます。
あなたには、それを理解することは出来ないかも知れません。
しかしながら、時が間違えることはないのです。
栄える時には栄え、衰える時には衰えましょう。
栄えようとする時に、衰えようとしてはなりません。
衰えようとする時に、栄えようとしてはならないのです。
夏に葉を落とし、冬に芽吹いてはなりません。
すべてには時が存在するのです。
無理をしてはなりません。
あなたは、流れに従って生きなければなりません。
人生を思い通りに生きられるなどと思い込んではなりません。
人生においては、何一つ思い通りにはならないのです。
樹が時を思い通りにすることが出来るでしょうか?
樹は、季節を受け入れるだけです。
あなたも、時を受け入れなければなりません。

2021年2月18日木曜日

比較

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
どのような人生にも、果たすべき目的が存在するということを理解しなければなりません。
無意味な人生など存在しません。
あなたには、生まれた意味と価値があるのです。
大切なのは、人生を繙(ひもと)くことです。
人生の意味と価値を知らなければならないのです。
人生に意味と価値を探さなければ、空しく生きなければなりません。
無意味や無価値な人生を生きることは空しいのです。
ただ生きているだけでは、人生に意味や価値を見出すことは出来ません。
探さなければならないのです。
探さなければ存在しないのです。
あなたは、人生を空しく生きてはなりません。
人生に明確な意味と価値を見出す必要があるのです。
人生に意味と価値を見出すことが出来れば、自分の人生に対して真剣に向き合うことが出来るようになるのです。
残念ながら、多くの人は、自分の人生に対して真剣に向き合うことが出来ません。
自分の人生と真剣に向き合うことをせずに、他者のことを気にしているのです。
自分の人生と真剣に向き合っているのであれば、他者のことなど気にならないはずなのです。
自分と他者を比べているのは、自分の人生を真剣に生きてはいないからなのです。
多くの人は、他者との比較を生きています。
多くの人は、他者との比較の中に、優越感や劣等感を覚えるのです。
他者と比較することは間違っています。
本来、人生というものはすべてが特別なのです。
一つとして同じものは存在しません。
人生は、比較することが出来ないものなのです。
そのため、他者との比較によって得られる優越感や劣等感というものは、間違った感情なのです。
残念ながら、人と比較することは無意味です。
あなたは、誰とも比較することが出来ないのです。
花はどれも美しいのです。
花の美しさを比較することは出来ません。
花は、“一番”を目指して咲いている訳ではありません。
美しい花であっても、美しさを比較したり、競うことはありません。
何かを比較したり、競っているのは不自然な人間だけなのです。
自然は比較をしません。
花は、自らの目的を果たすために咲いているのです。
あなたは、必要のために生きなければなりません。
人には、それぞれの必要があります。
そこには、苦労も含(ふく)まれているのです。
人には、それぞれの苦労があるのです。
他者の人生を羨(うらや)むことは最善の選択ではありません。
どの人生にも苦労があります。
他を見ずに、自分の人生を生きましょう。
あなたには、果たさなければならない目的があるのです。
それは、あなたでなければ果たすことが出来ないのです。

2021年2月17日水曜日

人生はどうなるか分からない

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、知らないのです。
そのため、すべての人は、偏見(へんけん)を生きなければなりません。
偏見は、誤解を生みます。
あなたは、誤解しているのです。
自らの判断が正しいなどと思い込んではなりません。
残念ながら、あなたは自分が何か?ということすら知らないのです。
自分が何か?ということすら知らないのに、どうやって正しいことを知ることが出来るのでしょうか?
あなたには、正しいことを判断することは出来ません。
何が正しいか?あなたには分からないのです。
それは、他の人にも同じことが言えます。
誰もが、正しいことを知らないのです。
誰にも、正しい判断を下すことが出来ません。
人生が思い通りにならないのは、判断が正しいものではなかったからです。
人生を思い通りに生きることの出来る人はいません。
どのような人生も、思い通りにはならないのです。
誰一人として、思い通りの人生を生きることは出来ません。
すべての人が、人生に翻弄(ほんろう)されるのです。
人生は、どのように展開(てんかい)するか分からないものです。
誰にも、先のことは分かりません。
予測は当てになりません。
人生は、あなたの予測を超えた展開を見せるのです。
人生は、どうなるか分かりません。
今が良くても、後が悪いこともあります。
今が悪くても、後が良いこともあるのです。
今が良くて、後が更に良いこともあれば、今が悪くて、後が更に悪いこともあるのです。
あなたには、人生の行き先は分からないのです。
あなたに出来ることは、目の前の現実を変えることではありません。
残念ながら、あなたに目の前の現実を変える力はありません。
どのように否定しても、目の前の現実は変わらないのです。
あなたは、それがどのような現実であったとしても、真摯(しんし)に受け入れなければなりません。
人生には、必要が実現するのです。
それが、どのような現実であったとしても、あなたにとっての必要です。
あなたには、受け入れることが出来ないことであるかも知れませんが、受け入れなければなりません。
それは、あなたには分からない必要だからです。
人生がどう展開するか分からない以上、損得勘定に従(したが)った利己的な選択は無意味です。
多くの人は、得だけを手に入れようと考えています。
多くの人は、得を手に入れることが必要であり、最善だと考えているのです。
しかしながら、得を集めると幸福や豊かさを手に入れられるとは限りません。
大抵の場合、損得勘定に従って得を集めると、大きな損をしてしまいます。
人生には、学ぶべきことがあるのです。
人は、必要を学び、人生の目的を果たすことが求められているのです。
すべての学びは、人生の目的を果たすために必要な過程なのです。
あなたは、自らの都合で学びを選ぶことは出来ません。
必要な学びは、あなたの都合には関係ないのです。
あなたにとっての必要な学びが、あなたの都合に悪いものであれば、人生は迷わずにあなたにとって都合の悪い状況を導きます。
人生は、必要な学びに従って展開しているだけです。
あなたの都合では展開しないのです。
そのため、思い通りに生きようとしても無駄なのです。
必要を無視して、思い通りに生きようとすれば、何かしらの問題が生じてバランスが取られるのです。
あなたは思い通りに生きることが出来ません。
しかしながら、それが最善の生き方なのです。
人生は、必要に従って展開すれば良いのです。
現状がどのようなものであっても、不平不満や苦悩に苛(さいな)まれてはなりません。
先のことは分かりません。
過度な期待や心配によって苦しんではならないのです。
人生は、どうなるか分かりません。
目の前の必要な学びに対して感謝して生きましょう。
都合で考えると、必要な学びを得ることが出来ません。
それでは、都合が悪くなってしまうのです。
都合に関係なく、感謝して生きましょう。

2021年2月16日火曜日

最善を受け入れる

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人は、人生の目的を果たすために生まれます。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由なのです。
人生に目的を持たずに生まれることの出来る人はいません。
どのような人物にも、果たすべき目的が存在するのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
そして、生まれた理由を明らかにしなければならないのです。
無駄に生まれることの出来る人はいません。
人生は、無意味なものでも、無価値なものでもないのです。
どのような人生も、生きる価値のあるものなのです。
残念ながら、人生に生きる価値を見出すことが出来ずに苦しむ人もいます。
人生に空しさを感じながら生きている人は多くいるのです。
あなたは、人生を空しく生きてはなりません。
すべての人生は、楽しく豊かに生きるべきものなのです。
しかしながら、多くの人にとっては、人生を楽しく豊かに生きることは難しいのです。
なぜなら、すべての人が未熟に生まれるからです。
未熟に生まれるために、楽しく豊かに生きることが出来ないのです。
それは、未熟であるが故(ゆえ)に誤解を抱えなければならないからです。
残念ながら、あなたには人生の目的が分かりません。
自分が何のために生まれたのか?を知らないのです。
元より、自分が何か?ということさえ知らないのです。
自分が何で、何のために生まれ、何のために生きているのか?ということを知らないために、人は苦しみ、空しく生きているのです。
多くの人は自分を知らず、人生の目的も知りません。
そのため、人は思い思いに生きています。
信念は、それぞれに異なるのです。
そのため、多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ります。
“好き”に生きることが最善であると信じているのです。
好きに生きることは、良いことのように思えます。
それは、多くの人が憧(あこが)れる生き方なのです。
しかしながら、多くの人が憧れるからといって、それがあなたにとっての最善であるとは限りません。
それは、あなたが自分の人生の目的を知らないからです。
人生は、好きに生きれば良いとは限りません。
人生の目的が分からない以上、好きに生きることが最善であるとは限らないのです。
人生は、思い通りに生きることは出来ません。
人生には、嫌なことが導かれるのです。
それは、嫌なことが必要であるからです。
人生には、無駄なこと、無意味なことや無価値なことは実現しません。
それがどのようなものであったとしても、最善であるから導かれるのです。
残念ながら、人生を思い通りに生きることの出来る人はいません。
好きなことだけで生きられる人はいないのです。
人生には、嫌なことも必要です。
残念ながら、未熟なあなたには、人生における最善を理解することが出来ません。
最善を理解することが出来ないために、目の前の最善を嫌うのです。
目の前の状況は、それがどのようなものであったとしても、あなたにとっての最善です。
人生には、受け入れ難(がた)いこともあります。
しかしながら、あなたにとっての最善でなければ、そのような状況が導かれることもないのです。
好きとは偏見(へんけん)です。
嫌うことも偏見なのです。
最善を好きと嫌いに分けてはなりません。
好きなことも嫌いなことも、目の前に導かれるのであれば最善なのです。
人生の目的を果たすためには、好きなことだけで生きることは出来ません。
人生の目的を果たすためには、嫌いなことも受け入れる必要があるのです。
理由は後に分かります。
嫌なことを安易(あんい)に否定してはなりません。
目の前には、意味と価値のある状況しか導かれないのです。
好きなことも、嫌なことも、目の前に導かれるのであれば最善なのです。
都合の良いことが最善ではありません。
最善は、あなたの都合には関係ないのです。
最善を受け入れ、人生の目的を果たしましょう。

2021年2月15日月曜日

信仰の範囲

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことは、何よりも重要なことです。
なぜなら、あなたは人生の目的を果たすために生まれたからです。
あなたは、人生の目的を果たしましょう。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、あなたには人生の目的が分からないからです。
分からないことを果たすことは難しいのです。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を知らなければなりません。
果たすべきことを知らずに、それを果たすことは出来ないのです。
人生の目的を知るためには、自分自身を知らなければなりません。
自分が何か?ということを知らなければ、自分が何をすれば良いか?分からないのです。
あなたは、自分を知らなければなりません。
自分を知ることは重要なのです。
あなたは自分を探しましょう。
自分を見付け出すためには、視野を広げる必要があります。
狭(せま)い視野では、自分を見付け出すことは出来ません。
一点を見詰(みつ)めると見えてくるようなものではないのです。
大切なのは、視野を広げ、全体を眺めることです。
全体を見ることが出来れば、自分以外のものを知ることが出来ます。
自分以外のものを知ることが出来れば、漸(ようや)く自分を知ることが出来るのです。
自分だけを見付け出すことは出来ませんが、自分以外のものを見ることは出来るのです。
自分以外のものを見れば、自ずと自分というものが浮かび上がるのです。
大切なのは、好奇心を以て全体を眺めることです。
狭い範囲を見詰めていても、何が何だか分からないのです。
一部を知ったとしても、全体を知ることは出来ません。
全体を知った後に自分を知ることが出来るのです。
あなたは、自分を知るために全体を見ましょう。
多くの人は、限定的な信仰(しんこう)を生きています。
多くの人は、信仰を限定しているのです。
信仰の範囲は、視野を現します。
信仰が限定されているのであれば、視野も限定されるのです。
限定された視野では、世界を知ることは出来ません。
世界を知ることが出来なければ、自分を知ることは出来ません。
あなたは、信仰の範囲を広げましょう。
信仰を限定してはならないのです。
信仰を限定してしまえば、その範囲のことしか知ることは出来ません。
それは、無知を生きるということなのです。
無知を生きる者には、人生の目的を理解することは出来ないのです。
あなたは、視野を狭めてはなりません。
様々なことに興味を持ちましょう。
知るべきこと、学ぶべきこと、信じるべきことはたくさんあるのです。
あなたは、小さな世界を生きてはならないのです。
出来るだけ大きな世界を生きましょう。
損得勘定や好き嫌いで視野を狭めてはなりません。
良し悪しにかかわらず、知らなければならないことはあるのです。
気に入らないからといって学ばなければ、視野は狭まり、世界は小さくなってしまうのです。
狭い視野で小さな世界を生きることは空しいのです。
豊かさとは、視野や世界の広さなのです。
あなたが豊かな人生を望むのであれば、信仰の対象を広げましょう。
信じるものは、多い方が良いのです。
そうすれば、人生に起きる様々な問題のことも信じることが出来るでしょう。
問題から学ぶことはたくさんあります。
どのような問題にも意図(いと)があるのです。
信仰を限定しているのであれば、意図を読み解くことは出来ないでしょう。
あなたはすべてを信仰しましょう。
人生には、無意味なことも、無価値なこともありません。
人生には、無駄がないのです。
すべての状況が、人生の目的を教えています。
すべての状況を信仰し、人生の目的を知りましょう。
そして、人生の目的を果たしましょう。
それが、生まれた理由だからです。

2021年2月14日日曜日

生きる価値のある現実

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
誰一人として、無意味な人生を生きることは出来ません。
すべての人生には、果たすべき目的が存在するのです。
目的を果たすことが、人生を生きる意味なのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生に目的が存在することを知らず、無意味に生きてはならないのです。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれます。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれる理由なのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を無視して生きることは出来ないのです。
人生は、自分勝手に生きることは出来ません。
あなたは、目的を果たすために必要な過程を経なければならないのです。
必要な過程を経なければ、目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、人生の目的を果たすのに必要な過程を経るように生きなければならないのです。
そのため、人生を思い通りに生きることは出来ません。
なぜなら、あなたは人生の目的を知らないからです。
人生の目的を知らないために、目の前の必要な過程を受け入れることが出来ないのです。
必要な過程を拒否(きょひ)することは出来ません。
必要な過程は経なければならないのです。
すべてが必要な過程なのです。
人生には無駄は存在しません。
人生を思い通りに生きようとすれば、必要から離れてしまうのです。
それでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
そのため、あなたは人生を思い通りに生きることは出来ないのです。
人生における必要は、あなたの都合には関係のないものなのです。
人生を都合で考えてはなりません。
あなたの都合が、人生の目的であることはないのです。
人生は、思い通りにはならないのです。
すべてには時があります。
時が満たされなければ、何事も実現しないのです。
あなたがどれだけ望んでも、時が満たされなければ何も始まりはしないのです。
望んだからといって、理想が実現する訳ではありません。
時が満たされると、必要が実現するのです。
必要は、あなたの理想とは異なるものです。
それは、あなたが未熟に生まれるからです。
残念ながら、あなたは人生の目的を知りません。
人生の目的を知らなければ、必要を理解することは出来ないのです。
人生の目的を果たすための必要が実現するのです。
それが、最善なのです。
人生は、思い通りにならなくても良いのです。
無理に理想を実現しようとしなくても良いのです。
人生は、必要が実現すれば良いのです。
人生は、必要を実現するために動いているのです。
残念ながら、あなたの理想は必ずしも実現する必要はないのです。
そのため、理想が実現しなくても、苦しむ必要はありません。
理想は実現しないのが自然です。
人生の目的を理解していれば、理想は実現するでしょう。
しかしながら、人生の目的を理解している人は少ないのです。
多くの人は、人生を思い通りに生きる必要はありません。
必要を生きれば良いのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
すべてには時があります。
時は、必要を満たすのです。
目の前には、必要な学びが展開されます。
必要な学びにあなたの都合は関係ありません。
苦しみもまた、必要なのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生が思い通りにならないからといって、不貞腐(ふてくさ)れてはなりません。
どのような現実にも、生きる価値があるのです。
どのような状況にも、学ぶ価値があるのです。
人生は思い通りにはなりませんが、それで良いということを理解しましょう。

2021年2月13日土曜日

限られた光

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的は、何よりも優先すべきことなのです。
どのような理由があろうとも、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことなく、人生を完成させることは出来ないのです。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由です。
それ以外の理由では生まれてはいないのです。
しかしながら、すべての人は、人生の目的を知りません。
残念ながら、人生において最も大切な目的を忘れてしまうのです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、知らないのです。
因果の仕組みの存在するこの世界においては、人生の目的は人生を始める前に決めています。
あなたは、人生を始める前に人生の目的を決めたのです。
しかしながら、肉体を以て生まれる時には、それを忘れてしまうのです。
それは、魂に対して、肉体は未熟だからです。
肉体を通じては、すべての感覚が鈍(にぶ)くなってしまいます。
肉体に宿れば、見えるものも見えなくなります。
聞こえるものも聞こえなくなります。
触れられるものにも触れられなくなってしまいます。
感じられることも感じられなくなってしまうのです。
肉体に宿れば、すべての能力が制限されます。
それは、人生の目的を果たすためには、それに相応(ふさわ)しい役割を担(にな)う必要があるからです。
役割とは、偏(かたよ)りです。
役割を果たすためには、偏らなければならないのです。
何かに特化することによって、役割を果たすことが出来るのです。
魂は、肉体を通じて能力を抑(おさ)えているのです。
その関係で、人生の目的を忘れてしまうということなのです。
大切なのは、人生の目的を思い出すことです。
あなたは、偏って抑えられた状態から、人生の目的を思い出さなければなりません。
そのためには、自分を磨くことです。
あなたは、偏って抑えられた状態ですが、同時に曇っています。
偏った隙間(すきま)から、光を放たなければならないのです。
隙間からでも光を放てば、十分に照らすことが出来るのです。
光が強ければ、人生の目的を照らし出すことが出来るのです。
しかしながら、光が曇っていれば、人生の目的を照らし出すことは出来ません。
暗闇に目を凝(こ)らしても、見えないのです。
触れても分からないのです。
光が無ければ、人生の目的を知ることは出来ないのです。
あなたは、自分を磨かなければなりません。
偏って抑えられ、限られた状態であったとしても、磨けば光は増すのです。
限られた光であっても、それが明るいのであれば、十分に照らし出すことが出来るということを理解しなければなりません。
あなたは、自分を磨きましょう。
自分を磨くためには、苦しむ必要があります。
人は、苦しみによって自分を磨くことが出来るのです。
曇りとは、傷口の膿(うみ)のようなものです。
傷口が膿んでいる間は疼(うず)くのです。
傷口が疼いている間は、傷口のことが気になります。
人生の目的を探さなければならないのに、傷口の痛みに執着(しゅうちゃく)してしまうのです。
膿を出し切るまでは、傷口は疼くのです。
曇りが取れるまで、苦しみは続くのです。
あなたは、苦しみを嫌ってはなりません。
苦しみは、傷口から膿を絞(しぼ)り出す痛みのようなものなのです。
傷口から膿を絞り出していることを理解すれば、苦しみを嫌うことはないでしょう。
寧(むし)ろ、痛みに耐(た)えて傷口から膿を絞り出すはずなのです。
苦しみは、あなたの抱えている誤解や偏見(へんけん)を直します。
それは、曇りを取り除くことなのです。
役割を果たすことによって、あなたは光を増します。
そうすれば、人生の目的を理解することが出来るでしょう。
苦しみの助けがなければ、人生の目的を理解することは出来ません。
都合の良いことばかりでは、人生の目的を理解することは出来ないのです。
あなたは、精一杯に生きましょう。
役割によって、完全に成ることは出来ません。
あなたは、役割によって偏って抑えられるからです。
偏って抑えられ、限られた分だけ、余計に磨く必要があるということを理解しましょう。
感謝の気持ちで生きましょう。
そうすれば、自分が磨かれるのです。

2021年2月12日金曜日

孤独な道

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生は、目的を果たすための時間なのです。
あなたは、人生の目的を果たしましょう。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
人は、同じ目的のために生まれることが出来ません。
人は、それぞれに果たすべき目的が異なっているのです。
皆が同じ道を進むことは出来ません。
人には、それぞれに歩まなければならない道があるのです。
孤独であったとしても、その道を歩まなければならないのです。
人は、違いを以て生まれます。
人は、違うのが自然なのです。
違いを恐れてはなりません。
違いを恐れてしまうと、人生の目的を果たすことが出来ないのです。
あなたには、果たすべき目的があります。
人生の目的を果たすためには、自分の人生に挑戦しなければならないのです。
それは、違いを受け入れるということです。
人と違うことが、自分であるということなのです。
自分であるということは、人と違うということだと理解しましょう。
多くの人は、人生に目的が存在することを知りません。
そのため、自分であることの重要性を理解しないのです。
自分であることを重要視しないから、他者との差別化を重要視しないのです。
多くの人は、他者と同じであることに安心感を覚えます。
皆と同じ道を進んでいるから間違ってはいないと考えるのです。
多くの人と同じ道を進んでいるからといって、それがあなたにとっての最善だとは限りません。
あなたの果たすべき目的は、孤独の道の先に存在するのです。
それは、あなただけが進むことが出来る道の先に存在するのです。
多くの人が進んでいるような大きな道の先には、あなたの辿り着くべき目的地は存在してはいないのです。
人には、それぞれの道が与えられています。
それは、人独りが漸(ようや)く進むことの出来る小道なのです。
大きな道を進んだとしても、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、自分でなければ人生の目的を果たすことは出来ません。
他の誰かでは、自分の人生の目的を果たすことは出来ないのです。
扉を開くためには、それに相応(ふさわ)しい鍵が必要です。
別の扉の鍵によっては、扉は開かないのです。
あなたは、自分でなければ人生を完成させることは出来ません。
別の誰かでは、人生は完成しないのです。
あなたは、自分を生きなければなりません。
自分を生きることは孤独です。
多くの人が、孤独に耐(た)えることが出来ません。
独りで進むことが出来ずに、多くの人の進む大道(おおみち)に合流するのです。
大道を進んだとしても、人生の目的を果たすことは出来ません。
それは、満たされないということなのです。
あなたは、何のために生まれたのですか?
金持ちに成るためですか?
地位や名声を得るためですか?
競争に勝つためですか?
目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)るためでしょうか?
与えられた責任を果たすためでしょうか?
子孫繁栄(しそんはんえい)のためでしょうか?
このような一般的な目的(大道)によっては、あなたが満たされることはありません。
あなたの人生の目的は、一般的なものではないのです。
どのような人物の目的も、特殊(とくしゅ)なものであるということを知らなければなりません。
独りで進まなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
皆と同じ大道を進んでも、辿り着くべき目的地はありません。
長い距離を歩いて来ても、目的を果たすことが出来ないのです。
多くの人は、それを空しく思うのです。
一般的な幸福を追い求めた結果、空しさを得るのです。
それは、とても辛いことなのです。
皆と同じように大道を進めば、空しさに辿り着きます。
あなたが、豊かな人生を生きるためには、孤独に小道を進まなければならないのです。
あなたには、果たさなければならない目的があるのです。
それは、特殊な目的であるために、孤独に進まなければ果たすことは出来ないのです。
あなたは、自分を生きましょう。
自分の役割を見極め、それを果たすのです。
違いは自然です。
違うことによって、貢献(こうけん)することが出来ます。
違うことによって助け合い、支え合うことが出来るのです。
皆が同じであれば、助け合うことも支え合うことも出来ないのです。
同じであるからこそ助け合い、支え合うことが出来ると考えるのは間違いです。
同じであれば、解決することの出来ない問題も同じであるのです。
もしも、その問題が生じてしまえば、誰も助けられないのです。
違うからこそ、様々な問題に対応することが出来るのです。
人生には、様々な問題が生じます。
それぞれが自分を生きているのであれば、どのような問題が生じたとしても解決することが出来るのです。
違うことは素晴らしいことです。
あなたは、違いを認めましょう。
違うことは良いことなのです。
孤独の道を進みましょう。

2021年2月11日木曜日

誰かのために生きる

すべての人は、人生に豊かさを求めています。
すべての人は、人生を豊かに生きたいと願っているのです。
誰にとっても、人生は豊かな方が良いでしょう。
空しく生きたいと願う人はいないのです。
人は、それぞれの豊かさを願います。
豊かさとは、充足感です。
すべての人は、満たされたいと願うのです。
しかしながら、多くの人は、豊かさを得られません。
多くの人は、空しく生きているのです。
多くの人は、満たされずに生きています。
満たされていないから、満たされようとするのです。
残念ながら、多くの人は、満たされていません。
満たされていないから、豊かさを求めるのです。
すべての人が空しく生きているのです。
あなたが豊かさを求めるのは、満たされてはいないからです。
満たされている者が、それ以上に求めることはありません。
満腹な者が、それ以上に食を求めることはないのです。
満たされると、求める必要がなくなるのです。
大切なのは、確実に満たすことです。
あなたは、満たさなければなりません。
自らの内に満足を実現し、人生に豊かさを実現しなければなりません。
そうすれば、自分のために求めることをやめるのです。
あなたは、自分のために求めることをやめなければなりません。
自分のために求めても、満たされることはないのです。
自分のために生きることは空しいのです。
あなたが満たされるためには、誰かのために生きなければならないのです。
この世界では、自分のために生きても、自分のためにはなりません。
誰かのために生きることが、自分のためになるのです。
貢献(こうけん)することによって、満たされるということを知りましょう。
あなたは、貢献しなければなりません。
誰かのために生きなければならないのです。
自分のことを心配する必要はありません。
あなたが誰かのために生きるように、誰かがあなたのために生きるのです。
残念ながら、自分のために生きても、自分のためにはなりません。
自分のために生きても、豊かさを実現することは出来ないのです。
誰かのために生きることで豊かさを実現することが出来るのです。
あなたの豊かさは、誰かによって実現します。
豊かさは、待たなければなりません。
無理矢理に捥(も)ぎ取ることでは、豊かさを手に入れることは出来ません。
それは、青い果実を得るようなものなのです。
青い果実は口にも腹にも苦いのです。
果実は熟れて、自然に落ちるのを待たなければなりません。
自然に落ちる果実は、口にも腹にも甘いのです。
豊かさは、与えられるまで待たなければなりません。
あなたは、豊かさを焦(あせ)ってはなりません。
焦っても、豊かさを得ることは出来ないのです。
自分のために生きても、青い果実を得るだけなのです。
捥ぎ取られた青い果実が色付くと、見た目は良くなります。
しかしながら、木に付いたまま熟された果実とは明らかに味が異なるのです。
多くの人は、偽りの豊かさを豊かさだと思い込んでいます。
青い果実が色付いたからといって、美味しいことはないのです。
それしか食べたことがなければ、それを美味しいと思い込んでしまうのです。
真(まこと)の味を知らないのは空しいのです。
残念ながら、多くの人は真の豊かさを知りません。
真の豊かさとは、与えることによって与え返されるもののことなのです。
自分のために生きても空しいということを覚えておきましょう。
あなたは、誰かのために生きましょう。
そして、豊かさは待たなければなりません。
与えられるもので満足しましょう。
思い込みでは、人生を豊かなものにすることは出来ないのです。
偽りの豊かさで満足してはなりません。
真の豊かさを得ましょう。

2021年2月10日水曜日

正しい生き方

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生に目的もなく生まれることの出来る人はいません。
どのような人物の、どのような人生にも、果たすべき目的が存在するのです。
目的が存在するということは、意味や価値が存在するということです。
あなたの人生には、大切な意味や価値が存在するのです。
あなたには、存在意義があるのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
あなたは、自分の存在する意味や価値を探さなければなりません。
現状がどのようなものであったとしても、人生に悲観してはなりません。
現状がどのようなものであったとしても、それは、人生の目的を果たすために必要な過程(かてい)なのです。
それは、とても苦しく辛いことであるかも知れません。
しかしながら、それでも、その経験にも大切な意味と価値が存在するのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
人生においては、無意味な経験や無価値な経験は存在しません。
多くの人が、目の前の状況に対して、無意味や無価値だと考えています。
人生においては、意味や価値を見出すことの出来るような状況ばかりではないのです。
しかしながら、無意味や無価値に思えたとしても、事実は異なります。
人生においては、無意味や無価値な状況など存在しないのです。
すべてが必要であり、最善なのです。
現状から人生を判断するのは間違っています。
現状から人生を判断することは出来ないのです。
物語の途中で結末を理解することは出来ないのです。
しかも、人生というものは人間の創造物ではありません。
人生は、“神”の創造物なのです。
あなたには、現状から結末を理解することは出来ないのです。
あなたに理解することが出来る程、人生は浅いものではないのです。
人生がどうなるか?あなたには分からないのです。
現状から人生を判断してはなりません。
現状がどのようなものであったとしても悲観してはなりません。
もちろん、現状から人生を楽観し、自分勝手に生きてはならないのです。
人生を判断することは間違っています。
人生は、あなたの思い通りにはならないのです。
人生には、人生の目的が存在しています。
しかしながら、人生の目的はそれぞれに異なります。
人は、それぞれに異なる目的のために生まれるのです。
人は、それぞれに異なる目的を果たさなければならないのです。
人生の目的がそれぞれに異なるために、正しい生き方というものは存在しません。
型に嵌(は)めた生き方では、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、正しい生き方に拘(こだわ)ってはなりません。
正しい生き方など存在しないのです。
人生の正解はそれぞれに異なります。
世の中には、正しい生き方というものが存在し、多くの人を惑(まど)わせています。
人生の目的がそれぞれに異なるのだから、生き方もそれぞれに異なるのが自然なのです。
しかしながら、世の中には、人の真似をして安心している人がいます。
誰かのように生きれば、幸福や豊かさが得られるなどと信じているのです。
何を信じても構(かま)いませんが、誰かのように生きたとしても、幸福や豊かさを得ることは出来ないのです。
人は、それぞれの目的に従(したが)った生き方をしなければなりません。
目的に関係のない生き方をしても、目的を果たすことは出来ないのです。
人とは異なる生き方であったとしても、人生の目的を果たすための生き方を選択しましょう。
誰かの真似をして、見当外れな生き方を選択してはならないのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
正しい生き方など存在しません。
あなたは、自分を生きましょう。
自分の魂に対して素直に生きるのです。
正しい生き方というものに拘ってはなりません。
あなたは、人と違っていて良いのです。
寧(むし)ろ、人と違う方が良いのです。
あなたは、自分を生きて、人生の目的を果たしましょう。
真(まこと)の幸福や豊かさを得るためには、自分を生きる以外に方法はありません。
正しい生き方に惑わされてはなりません。
あなたは、この世に唯一の生き方に挑戦しなければならないのです。

2021年2月9日火曜日

曇りのない心と美しい魂

この世界には、当たり前は存在しません。
どのようなことにも、それに相応(ふさわ)しい代償(だいしょう)を払っているのです。
当たり前に思えることにも、それを実現するためには、それに相応しい代償を払う必要があるのです。
報酬(ほうしゅう)には、それに相応しい代償が存在するのです。
当たり前は、当たり前には存在しないのです。
当たり前と思っていることも、努力の上に成り立っているということを忘れてはなりません。
何一つとして、当たり前には存在しないのです。
“良いもの”を得るためには、努力が必要です。
努力しなければ、良いものを得ることは出来ないのです。
あなたの目の前に存在する当たり前のことは、“良いもの”です。
しかしながら、あなたはそれが“良いもの”であることを見失っています。
あなたは、当たり前の有り難さを知らないでいるのです。
多くの人は、贅沢(ぜいたく)に暮らします。
多くの人は、当たり前の有り難さに気が付かない程に豊かな暮らしをしているのです。
多くの人は、感謝の気持ちを持たずに生きています。
当たり前に与えられて来たことに対して感謝の気持ちを抱ける人は少ないのです。
多くの人は、基本的な生活に苦労することはありません。
多くの人は、基本的な生活の有り難さに気が付かない程に贅沢に生きているのです。
基本的な生活を営(いとな)むことが出来ることは、有り難いことです。
当たり前に生きていられるのは、有り難いことなのです。
しかしながら、多くの人は、その有り難さに気が付かずに、不平不満を吐きます。
多くの人は、自分が贅沢に生きていることを知らないのです。
本来ならば、生きていられることさえ有り難いのです。
しかしながら、多くの人は、生きているだけでは不満なのです。
多くの人は、より贅沢な暮らしを求めているのです。
それが、どのような状況であろうとも、あなたにとっては有り難い学びです。
あなたは、どのような状況からも大切なことを学び取ることが出来るのです。
目の前の状況は、あなたにとっての最善であり、必要です。
あなたがどのように考えようとも、それはあなたにとっての“良いもの”なのです。
しかしながら、贅沢に慣(な)れてしまった人には、そのことが分からないのです。
多くの人は、有り難いことにも文句を吐きます。
大切な学びに対して不平不満を吐くのです。
当たり前を当たり前としている人は、その有り難さを理解する必要があります。
そうでなければ、贅沢に歯止めが掛からないからです。
感謝の気持ちを忘れてしまうと、人は欲深くなってしまいます。
それは、心を曇らせ、魂を汚すのです。
魂の汚れた者は、苦しまなければなりません。
なぜなら、すべての人は、人生に崇高(すうこう)な目的を以(もっ)て生まれたからです。
あなたには、果たすべき目的があるのです。
それを果たすためには、曇りのない心と美しい魂が必要です。
当たり前を有り難いと思える純粋(じゅんすい)な心が必要なのです。
贅沢な心には、目の前の状況の意図(いと)を見極める力はありません。
意図を見極めることが出来ないから、不平不満を吐いているという訳なのです。
目の前の状況の意図を見極めることが出来れば、感謝の気持ちを抱くことが出来るはずなのです。
あなたが不平不満を吐いているのであれば、その心は曇り、魂は汚れています。
それでは、満たされないのです。
欲深い人は、贅沢を極めたとしても満たされません。
当たり前に感謝することが出来ないような人は、決して満たされないのです。
あなたの抱えている不平不満は、贅沢な悩みです。
それは、欲深くなければ生まれない苦しみなのです。
あなたは、苦しみを手放しましょう。
大き過ぎる欲を手放すのです。
目の前の状況に対して不平不満を吐いている時には、あなたは大き過ぎる欲を抱えているのです。
どのような状況に対しても、感謝の気持ちを抱くことが最終的な目的です。
感謝の気持ちを抱く時には、必要な学びを得ることが出来ているからです。
必要を学び取るまでは、その状況は続きます。
不平不満を手放し、感謝の気持ちを抱くまでは、その状況(学び)は続くのです。
当たり前は当たり前ではありません。
当たり前の有り難さに気が付かなければなりません。
目の前の当たり前は、誰かの努力によって成り立っています。
それは、有り難いことなのです。
感謝の気持ちで生きましょう。
人生の目的を果たすためには、曇りのない心と、美しい魂が必要なのです。

2021年2月8日月曜日

悪いもの

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
誰一人として、未熟を否定することは出来ません。
どのような人物も未熟なのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
すべての人が未熟なのです。
誰一人として、成熟に生まれることはないのです。
大切なのは、すべての人が未熟に生まれるという前提(ぜんてい)なのです。
この前提を忘れてしまえば、判断を誤ってしまうでしょう。
すべての人が未熟に生まれます。
そして、未熟を生きているのです。
あなたは、そのことを忘れてはなりません。
すべての人が未熟であるために、すべての人が”悪い”のです。
当然、人の作り出すものも”悪い”のです。
あなたは、悪いものの中から選ばなければなりません。
あなたは、良いものの中から選ぶことは出来ないのです。
人の作り出すものは、すべてが未熟であり、”悪い”のです。
それが、どのようなものであっても悪いのです。
何を手にしても、それは悪いものです。
あなたは、完璧を手に入れることは出来ません。
そのことを覚えておきましょう。
人生を難しく考える必要はありません。
何を選んでも悪いのです。
悪いものの中から選ぶしかないのです。
どのように悩んでも、選ぶのは悪いものなのです。
どのように選んでも悪いのです。
そのことを理解していれば、選択に悩むことはなくなるのです。
問題に対して、苦悩することもなくなるのです。
すべてが悪いことを知れば、過度に期待することもありません。
多くの人は、それが良いものだと思い込んでいるから苦しむのです。
過度の期待が苦しみの原因なのです。
それが悪いものだと知っていれば、苦しむことはないのです。
あなたは、それを良いものだと思い込み、過度に期待してはなりません。
すべての人が”悪い”のです。
そして、人の生み出すすべてのものが”悪い”のです。
あなたは、完璧を手に入れることは出来ません。
何を選んでも、良いこともあれば、悪いこともあるのです。
良いことだけを得ようとするから苦しむのです。
どれを選んでも、良いことだけを得ることは出来ないのです。
この世界には、陰陽(いんよう)の仕組みが存在するのです。
良いことだけでは成り立たないのです。
良いことがあれば、同時に悪いことが存在するのです。
そうやってバランスを保っているのです。
良いことだけを得ようとすれば、バランスが崩れてしまいます。
それでは、悪いものとなってしまうのです。
あなたは、欲を出してはなりません。
悪いものの中から、良いものだけを得ようとしてはならないのです。
それは実現しないからです。
あなたは、欲を出してはなりません。
良いことも悪いことも同時に受け取りましょう。
あなたが成長すれば、悪いことを楽しめるようになるのです。
そうすれば、悪いことがあるからこそ、豊かさが実現することに気が付くのです。
良いことだけでは、豊かさに気が付くことが出来ません。
あなたは、悪いことも大切にしましょう。
良いことと悪いことのバランスを大切にしましょう。
良いことだけを追い求めてはなりません。
悪いことに苦悩してはなりません。
一方を重んじ、一方を軽んじてはならないのです。
それでは、豊かさを得ることは出来ないのです。
悪いことも必要だから存在するのです。
あなたは、悪いものの中から、悪いものを選びます。
あなたが得るものは、どちらにしても悪いものなのです。
良いものを得ようとするから苦しむのです。
あなたが、どれだけ努力を重ねても悪いものしか得ることが出来ません。
この世には、悪いものしか存在しないのです。
悪いものを楽しみましょう。

2021年2月7日日曜日

人生は、思い通りにはなりません。
人生を好き勝手に生きることは出来ないのです。
すべての人が、思い通りにならない人生を生きなければなりません。
残念ながら、すべてを思い通りにすることは出来ません。
すべてを満たすことは出来ないのです。
人生には、得るものがある一方で、諦めなければならないものがあるのです。
すべてを手に入れようとしても、手に入れられるものではありません。
あなたが手に入れられるものは、何かを諦(あきら)めた対価なのです。
あれもこれも手に入れることは出来ないのです。
あなたが手に入れられるものには限りがあるということを理解しましょう。
すべてを手に入れることは出来ません。
それは、すべてを手に入れる必要がないからです。
あなたは、人生に目的を以(もっ)て生まれるのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、必要を満たさなければならないのです。
人生の目的を果たすためには、それに必要な条件があるのです。
それは、限定的なものです。
好き勝手に生きても人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすためには、それに相応(ふさわ)しい生き方をしなければならないのです。
それは、必要を求める生き方です。
必要以外は諦めなければならないのです。
あなたは、人生の目的を果たしましょう。
そのために、不要は諦めましょう。
あなたは、最も大切なものを手に入れることを考えなければなりません。
最も大切な一つだけを手に入れるのです。
大切なものを手に入れるためには、それ以外を諦めなければなりません。
時化(しけ)の時には、出航を諦めなければなりません。
それは、船が沈んでしまうからです。
船が沈んでしまえば、本末転倒(ほんまつてんとう)なのです。
大切なのは、安全な航海を実現することです。
あなたは、船を目的地へと辿り着かせなければならないのです。
残念ながら、あなたには時化をどうすることも出来ません。
時化は、それが自然に凪(な)ぐまで待たなければならないのです。
人生には、あなたには、どうすることも出来ないことがあるのです。
どうすることも出来ない状況に出会った時には、無理に進もうとしてはなりません。
どうすることも出来ない時には、無理をせずに待てば良いのです。
無理をしても良いことはありません。
焦(あせ)る気持ちが出てくるかも知れませんが、あなたはそれを抑(おさ)えましょう。
人生には、待たなければならない時があるのです。
時が来るまでは、どうすることも出来ないのです。
天候を操ることが出来ないように、時を操ることは出来ません。
焦らずに待ちましょう。
人生を思い通りにすることは最善ではありません。
人生は、思い通りにはならないのが自然なのです。
多くの人は、人生を思い通りにすることが最善と考えますが、それは誤解です。
なぜなら、あなたは未熟だからです。
時化に船を出すことが最善でないことは理解することが出来るはずです。
人生には、待つことも大切なのです。
どうすることも出来ないことがあるのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
待つことは、もどかしいかも知れませんが、仕方のないことなのです。
生き急ぐ必要はないのです。
誰かと自分の人生を比較してはなりません。
時は、人それぞれに異なるのです。
あなたは、自分の時に従いましょう。
時に逆らってはなりません。
待つことは苦しいかも知れません。
しかしながら、待たなければならない時には、待つ必要があるのです。
人生に無意味なことはありません。
その時には、待つことの意味や価値は分からないかも知れませんが、後には分かるのです。
あなたは、安心して待ちましょう。
どうすることも出来ないことは、どうもしなくて良いのです。
”待てば海路の日和あり”ということなのです。
時化に船を出してはなりません。
無理をしてはなりません。
気長に生きましょう。
気楽に考えるのです。