この世界には、因果の仕組みが存在します。
因果の仕組みとは、すべての結果には、それに相応(ふさわ)しい原因が存在し、すべての原因は、それに相応しい結果を実現するというものです。
すべての状況が、因果の仕組みに関わります。
何一つとして、因果を離れた状況は存在しないのです。
すべてが、因果の仕組みの中に存在するということを理解しましょう。
すべての状況は、因果の導きです。
目の前の結果に相応しい原因が必ず存在するのです。
因果関係の存在ない状況は存在しません。
この世界には、”奇跡”というものは存在しないのです。
すべてが、当然の結果です。
奇跡に見えたり、思えるのは、その結果に相応しい原因を見出すことが出来ないからです。
よく見れば、見付かるのです。
見付かるまで探せば良いのです。
すべての原因は、それに相応しく実現します。
しかしながら、それはすぐには実現しません。
相応しい結果を実現するまで、原因が消滅することはありません。
結果は、すぐには実現しません。
必要な原因が揃(そろ)うまでは、結果として実現することはないのです。
その間、原因は取り残されるのです。
そして、”芽吹き”を待つのです。
どれだけ時間が経っても、因果が消えることはありません。
因果は、続きからなのです。
蒔(ま)いた種は、収穫しなければなりません。
収穫の時に芽吹いていなければ、次の収穫の時に芽吹いていることでしょう。
因果を避けることは出来ません。
どのような方法を用いても、因果は巡るのです。
悪事を働いてしまえば、その悪事に相応しい罰が与えられます。
罰を逃れることは出来ません。
罰はどこまでも追って来て、あなたに収穫させるのです。
人生を豊かなものにするためには、善行を働かなければなりません。
善行も、因果の仕組みで収穫することが出来ます。
しかしながら、善行も悪事と同じで、すぐには結果として現れないかも知れません。
すぐに結果として現れないからといって、諦めてはならないのです。
収穫するためには、収穫に必要な世話があるのです。
種を蒔いただけで収穫に漕(こ)ぎ着ける訳ではありません。
その後の世話が、収穫を左右するのです。
世話とは、継続のことです。
善行を継続すれば、恵みを収穫することが出来るでしょう。
しかしながら、継続しなければ、収穫することは出来たとしても、満足することは出来ない程のものになってしまうのです。
継続は、蒔いた種に水を遣(や)り、肥料を遣り、守り育てることなのです。
それは、善行でも悪事でも変わることはありません。
世話をすれば、収穫は豊かなものになるのです。
悪事を継続すれば、大量の罰を収穫することになります。
それは、人生に問題を引き起こし、苦悩を導き、空しさをもたらします。
悪事の代償(だいしょう)は空しさなのです。
人生に豊かさを実現するためには、善行を継続する必要があります。
善行を継続すれば、大量の恵みを収穫することが出来るのです。
それは、人生に喜びを引き起こし、感謝を導き、満足をもたらします。
人生が思い通りにいかないことには変わりありませんが、空しさを得るか?満足を得るか?を決めることは出来るのです。
悪事を働く者は、その場では得をしたと思えます。
しかしながら、最終的には損をするのです。
悪事を継続しては、人生に満足を得ることは出来ないのです。
毒の作物も、育っている時には嬉しいものです。
しかしながら、悪事を継続している者には、その作物が毒であることを知りません。
毒であることを知らないために、懸命に世話を続けるのです。
育てている時には、毒の作物であっても喜びがあるのです。
しかしながら、収穫後には苦しみが待っているのです。
善行は、無農薬栽培のようなものです。
世話を続けることは大変です。
しかしながら、収穫後には大きな喜びがあるのです。
それは、その作物が毒ではないからです。
農薬塗(のうやくまみ)れの作物を食べていれば、やがて病に犯されてしまうのです。
因果は、時間差で必ず導かれるのです。
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