この世界には、当たり前は存在しません。
どのようなことにも、それに相応(ふさわ)しい代償(だいしょう)を払っているのです。
当たり前に思えることにも、それを実現するためには、それに相応しい代償を払う必要があるのです。
報酬(ほうしゅう)には、それに相応しい代償が存在するのです。
当たり前は、当たり前には存在しないのです。
当たり前と思っていることも、努力の上に成り立っているということを忘れてはなりません。
何一つとして、当たり前には存在しないのです。
“良いもの”を得るためには、努力が必要です。
努力しなければ、良いものを得ることは出来ないのです。
あなたの目の前に存在する当たり前のことは、“良いもの”です。
しかしながら、あなたはそれが“良いもの”であることを見失っています。
あなたは、当たり前の有り難さを知らないでいるのです。
多くの人は、贅沢(ぜいたく)に暮らします。
多くの人は、当たり前の有り難さに気が付かない程に豊かな暮らしをしているのです。
多くの人は、感謝の気持ちを持たずに生きています。
当たり前に与えられて来たことに対して感謝の気持ちを抱ける人は少ないのです。
多くの人は、基本的な生活に苦労することはありません。
多くの人は、基本的な生活の有り難さに気が付かない程に贅沢に生きているのです。
基本的な生活を営(いとな)むことが出来ることは、有り難いことです。
当たり前に生きていられるのは、有り難いことなのです。
しかしながら、多くの人は、その有り難さに気が付かずに、不平不満を吐きます。
多くの人は、自分が贅沢に生きていることを知らないのです。
本来ならば、生きていられることさえ有り難いのです。
しかしながら、多くの人は、生きているだけでは不満なのです。
多くの人は、より贅沢な暮らしを求めているのです。
それが、どのような状況であろうとも、あなたにとっては有り難い学びです。
あなたは、どのような状況からも大切なことを学び取ることが出来るのです。
目の前の状況は、あなたにとっての最善であり、必要です。
あなたがどのように考えようとも、それはあなたにとっての“良いもの”なのです。
しかしながら、贅沢に慣(な)れてしまった人には、そのことが分からないのです。
多くの人は、有り難いことにも文句を吐きます。
大切な学びに対して不平不満を吐くのです。
当たり前を当たり前としている人は、その有り難さを理解する必要があります。
そうでなければ、贅沢に歯止めが掛からないからです。
感謝の気持ちを忘れてしまうと、人は欲深くなってしまいます。
それは、心を曇らせ、魂を汚すのです。
魂の汚れた者は、苦しまなければなりません。
なぜなら、すべての人は、人生に崇高(すうこう)な目的を以(もっ)て生まれたからです。
あなたには、果たすべき目的があるのです。
それを果たすためには、曇りのない心と美しい魂が必要です。
当たり前を有り難いと思える純粋(じゅんすい)な心が必要なのです。
贅沢な心には、目の前の状況の意図(いと)を見極める力はありません。
意図を見極めることが出来ないから、不平不満を吐いているという訳なのです。
目の前の状況の意図を見極めることが出来れば、感謝の気持ちを抱くことが出来るはずなのです。
あなたが不平不満を吐いているのであれば、その心は曇り、魂は汚れています。
それでは、満たされないのです。
欲深い人は、贅沢を極めたとしても満たされません。
当たり前に感謝することが出来ないような人は、決して満たされないのです。
あなたの抱えている不平不満は、贅沢な悩みです。
それは、欲深くなければ生まれない苦しみなのです。
あなたは、苦しみを手放しましょう。
大き過ぎる欲を手放すのです。
目の前の状況に対して不平不満を吐いている時には、あなたは大き過ぎる欲を抱えているのです。
どのような状況に対しても、感謝の気持ちを抱くことが最終的な目的です。
感謝の気持ちを抱く時には、必要な学びを得ることが出来ているからです。
必要を学び取るまでは、その状況は続きます。
不平不満を手放し、感謝の気持ちを抱くまでは、その状況(学び)は続くのです。
当たり前は当たり前ではありません。
当たり前の有り難さに気が付かなければなりません。
目の前の当たり前は、誰かの努力によって成り立っています。
それは、有り難いことなのです。
感謝の気持ちで生きましょう。
人生の目的を果たすためには、曇りのない心と、美しい魂が必要なのです。
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