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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2021年2月4日木曜日

苦悩の理由

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことは、すべての人にとっての宿命です。
どのような人物も、人生の目的を果たすという宿命から逃れることは出来ません。
どのような理由があろうとも、人生の目的は果たさなければならないのです。
人生の目的を無視して生きることは出来ません。
なぜなら、それが人生に生まれた理由だからです。
すべての人には、果たすべき目的があります。
すべては、人生の目的を果たすための必要なのです。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、すべての人が果たすべき人生の目的を知らないからです。
すべての人には、人生に果たすべき目的があるのに、それを知らないのです。
果たすべき目的があるにもかかわらず、それを知らないから苦悩するのです。
どのような人生も、苦悩に満ちています。
苦悩の存在しない人生はありません。
どのような人も、人生に苦悩を抱えるのです。
苦悩し続けるという訳ではありませんが、苦悩は避けられないのです。
それは、苦悩することによって、人生の真(まこと)の目的に目覚めるためなのです。
初めから人生の目的を知っているのであれば、人生の目的と真剣に向き合うことは出来ません。
当たり前に存在していると、その価値に気が付かないからです。
当たり前に存在する酸素に感謝している人がどれだけいるでしょうか?
人は、酸素がなければ、すぐに命を失ってしまいます。
酸素は、人生において何よりも重要な要素ですが、その存在は当たり前であるために、感謝をしている人はいないのです。
呼吸を止めてみれば、容易(たやす)く酸素の価値に気が付くことが出来ます。
しかしながら、酸素が存在することは当たり前であるために、その価値には気が付かないのです。
すべての人は、未熟に生まれます。
人は、未熟であるために、初めから与えられているものに価値を見出すことが出来ないのです。
初めから与えられていなくても、慣(な)れることによっても価値を見失います。
慣れると、それも当たり前になってしまうのです。
本来ならば、どのような状況に対しても、不平不満など吐けるはずがないのです。
なぜなら、当たり前に存在しているものなど存在しないからです。
どのような人にも、人生の目的は与えられていますが、それが当たり前となっているために見失っているのです。
見失ってしまえば、それは最早(もはや)当たり前ではありません。
見失ってしまえば、それは苦悩と成ってしまうのです。
苦悩を得れば、それから逃れようとして、その方法を必死に探します。
そして、見付ければ、それに感謝するのです。
酸素の存在を発見すれば、酸素に感謝するでしょう。
しかしながら、発見するまでは、酸素に感謝することはないのです。
すべての人は、人生に目的を与えられています。
しかしながら、それを見失ってしまいます。
人生の目的を見失って生きることは、苦悩を引き起こします。
苦悩によって、人は人生の目的を探し、思い出すのです。
苦悩の助けがなければ、人生の目的を探すことも、それを思い出すこともないのです。
苦悩こそが、あなたから当たり前を取り除いてくれます。
当たり前に浸(ひた)っていると、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
酸素の存在に気が付き、感謝することによって、生き方は変わります。
感謝によって、志(こころざし)が生まれるのです。
志がなければ、人生の目的を果たそうとする気持ちも起きません。
現状に不平不満を吐くか、苦悩によって絶望しているかのどちらかなのです。
そのような状態では、人生の目的を知ることも出来なければ、それを果たすことも出来ないのです。
あなたは、当たり前を許してはなりません。
何一つとして、当たり前に存在しているものなどありません。
何一つとして、当たり前に与えられているものなど存在しないのです。
酸素が当たり前に与えられているからといって森を犯せば、呼吸することが出来なくなってしまうのです。
当たり前でなくなった時に、当たり前の有り難さに気が付くのです。
あなたは、当たり前に生きてはなりません。
当たり前の上に胡座(あぐら)をかいてはなりません。
当たり前を当たり前に生きることは空しいのです。
あなたは、人生を空しく生きてはなりません。
感謝を以て生きなければならないのです。
不平不満を吐くような詰(つ)まらない生き方をしてはなりません。
感謝の気持ちで生きましょう。
そうすれば、人生の目的にも気が付くでしょう。
当たり前を当たり前とするのは傲慢(ごうまん)です。
当たり前に生きることが、人生の目的ではないのです。

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