すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
誰一人として、未熟を避けて生まれることは出来ません。
すべての人が未熟なのです。
あなたは未熟を生きなければなりません。
未熟とは、無知を抱えているということです。
無知は偏見(へんけん)や誤解を招(まね)きます。
偏見や誤解は問題を引き起こします。
問題は、苦しみを導くのです。
未熟とは、苦しみのことです。
未熟を離れなければ、苦しみを離れることは出来ません。
未熟を手放さなければ、苦しみを取り除くことは出来ないのです。
苦しみの原因は自らの未熟です。
誰かや何かのせいで苦しんでいる訳ではありません。
あなたは、苦しみを誰かや何かのせいにしてはなりません。
誰かや何かのせいにしていると、苦しみは解決しないのです。
苦しみは自分のせいです。
あなたが未熟であるために苦しんでいるのです。
それ以外の原因は存在しません。
あなたは、自分自身と向き合いましょう。
自分自身と向き合うことによって、未熟さに気が付く必要があるのです。
自分自身の未熟さに気が付くことが出来なければ、誰かや何かのせいにするだけで、苦しみを解決することは出来ないのです。
それでは、寧(むし)ろ苦しみを強めてしまうのです。
あなたは、苦しみの原因が自分自身であるということを理解しなければなりません。
自分自身と向き合わなければ、苦しみは解決しないということを理解しなければならないのです。
重荷を背負っているから苦しいのです。
重荷を降ろせば良いだけなのです。
あなたが大事に抱えている重荷を手放しましょう。
苦しみを吐き出せば良いのです。
苦しみに執着してはなりません。
苦しみを手放せば楽に成るのです。
執着を離れると自然に成るのです。
残念ながら、あなたは不自然に生きています。
苦しみに執着するのは、不自然な行為なのです。
なぜなら、あなたには、果たさなければならない人生の目的があるからです。
人生の目的を果たすためには、気楽に生きなければなりません。
人生の目的を果たすためには、どのような状況においても、心を穏やかに生きることが求められるのです。
重荷を背負ったままでは、目的地に辿り着くことは出来ません。
目的地に辿り着くためには、身軽でなければならないのです。
重荷を背負っているのは不自然です。
何も持たないのが自然なのです。
何かに執着してはなりません。
執着は苦しみを生むのです。
どのような荷物も重荷と成ります。
すべての執着を手放さなければなりません。
あなたは、自然体で生きなければなりません。
執着によって、人生を苦しむものではありません。
手放せば楽に成ります。
簡単なことなのです。
すべての執着は重荷です。
何事に対しても気楽に生きましょう。
特別な思いを抱えてはなりません。
それは、不自然を実現するのです。
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