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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2019年12月26日木曜日

純粋な愛

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
どのような人物も、成熟には程遠いのです。
この世界には、未熟者だけが存在しています。
誰一人として、成熟に至(いた)ってはいないのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
誰もが、未熟を生きているのです。
未熟者が未熟であるのは、無知と無力が原因なのです。
未熟者は、無知であり、無力であるのです。
未熟者は、無知と無力によって、理(ことわり)を離れます。
理を離れることは、人生に問題を引き起こすのです。
理とは、この世界を統(す)べる法則です。
この世界の一切は、理に従(したが)って成り立っているのです。
理を無視することは、人生に問題を引き起こすということなのです。
すべての人は未熟に生まれます。
それは、すべての人の人生に問題が生じるということなのです。
問題を避けることの出来る人生は存在しません。
すべての人生に問題は生じるのです。
問題は、苦しみを覚えさせます。
そのため、すべての人が人生に苦しみを抱えることになるのです。
すべての人に苦しみは妥当(だとう)です。
それは、その人に相応しい苦しみが導かれるからです。
すべての苦しみは、適切なのです。
あなたは、そのことを知らなければなりません。
しかしながら、多くの人は、そのことを理解しません。
苦しみを悪いものだと考えているのです。
そのため、多くの人は、苦しみから逃れようとします。
その時に、”神”に縋(すが)るのです。
”神”とは、理の管理者のことです。
多くの人は、”神”を認識したことも無いのに、”神”が助けてくれると信じているのです。
それは、苦しみから逃れるための苦肉(くにく)の策(さく)なのです。
”神”であれば、目の前の苦しみを取り除いてくれると考えるのです。
多くの人は、”神”が”良い人”だと思っています。
”神”は、良いものだけを与えてくれる素敵な存在だと考えているのです。
しかしながら、”神”が苦しみを取り除くことはありません。
なぜなら、”神”が作った因果の仕組みによって、その苦しみが導かれているからなのです。
苦しみは、”神”が与えた必要なのです。
苦しみが存在しなければ、それ以上の成長は実現しません。
停滞(ていたい)を容認(ようにん)するのであれば、苦しみを否定していれば良いでしょう。
しかしながら、あなたは成長しなければなりません。
成長しなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたが成長を実現するためには、苦しみを容認しなければなりません。
苦しみは、決して無意味に導かれている訳ではないのです。
意味があって、あなたは苦しむのです。
苦しみが存在しなければ、あなたが成長を実現することは出来ません。
苦しみとは、思い通りにならない状況のことです。
思い通りにならないからこそ、自らを改め、より深く考え、より良く工夫するのです。
苦しみは、あなたを改めさせ、成長させるのです。
”神”が無意味に苦しみを導くことはありません。
すべては、あなたに必要だからなのです。
”神”は、夜と同時に昼を作ったのです。
闇と光は同時に生じ、同時に存在するのです。
一方が存在しなければ、一方は存在しません。
苦しみと喜びは、同時に存在するのです。
苦しみを否定することは、喜びを否定することでもあります。
苦しみ無くして喜びは無いのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
残念ながら、この世界には、純粋に”神”を愛する人は多くありません。
大抵の人は、苦しみを嫌うのです。
そして、その苦しみに耐えられずに”神”に縋るのです。
”苦しい時の神頼み”という言葉があるのです。
多くの人は、”神”を愛してはいません。
それは、褒美(ほうび)を期待する子どものようなものなのです。
褒美を期待する子どもは、褒美欲しさに親の言い付けを守ります。
褒美を期待する子どもは、褒美のために媚(こ)び諂(へつら)うのです。
”神”は、あなたにとって必要であり、最善の苦しみを与えます。
しかしながら、利己的に生きる者には、その意図(いと)を理解することが出来ないのです。
苦しみは、決して悪いことではありません。
そのことに気が付く時、あなたは”神”に対する純粋な愛に気が付くでしょう。
そして、純粋に”神”を愛する時、あなたの人生は完成するでしょう。

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