すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
どのような人物も、成熟には程遠いのです。
この世界には、未熟者だけが存在しています。
誰一人として、成熟に至(いた)ってはいないのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
誰もが、未熟を生きているのです。
未熟者が未熟であるのは、無知と無力が原因なのです。
未熟者は、無知であり、無力であるのです。
未熟者は、無知と無力によって、理(ことわり)を離れます。
理を離れることは、人生に問題を引き起こすのです。
理とは、この世界を統(す)べる法則です。
この世界の一切は、理に従(したが)って成り立っているのです。
理を無視することは、人生に問題を引き起こすということなのです。
すべての人は未熟に生まれます。
それは、すべての人の人生に問題が生じるということなのです。
問題を避けることの出来る人生は存在しません。
すべての人生に問題は生じるのです。
問題は、苦しみを覚えさせます。
そのため、すべての人が人生に苦しみを抱えることになるのです。
すべての人に苦しみは妥当(だとう)です。
それは、その人に相応しい苦しみが導かれるからです。
すべての苦しみは、適切なのです。
あなたは、そのことを知らなければなりません。
しかしながら、多くの人は、そのことを理解しません。
苦しみを悪いものだと考えているのです。
そのため、多くの人は、苦しみから逃れようとします。
その時に、”神”に縋(すが)るのです。
”神”とは、理の管理者のことです。
多くの人は、”神”を認識したことも無いのに、”神”が助けてくれると信じているのです。
それは、苦しみから逃れるための苦肉(くにく)の策(さく)なのです。
”神”であれば、目の前の苦しみを取り除いてくれると考えるのです。
多くの人は、”神”が”良い人”だと思っています。
”神”は、良いものだけを与えてくれる素敵な存在だと考えているのです。
しかしながら、”神”が苦しみを取り除くことはありません。
なぜなら、”神”が作った因果の仕組みによって、その苦しみが導かれているからなのです。
苦しみは、”神”が与えた必要なのです。
苦しみが存在しなければ、それ以上の成長は実現しません。
停滞(ていたい)を容認(ようにん)するのであれば、苦しみを否定していれば良いでしょう。
しかしながら、あなたは成長しなければなりません。
成長しなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたが成長を実現するためには、苦しみを容認しなければなりません。
苦しみは、決して無意味に導かれている訳ではないのです。
意味があって、あなたは苦しむのです。
苦しみが存在しなければ、あなたが成長を実現することは出来ません。
苦しみとは、思い通りにならない状況のことです。
思い通りにならないからこそ、自らを改め、より深く考え、より良く工夫するのです。
苦しみは、あなたを改めさせ、成長させるのです。
”神”が無意味に苦しみを導くことはありません。
すべては、あなたに必要だからなのです。
”神”は、夜と同時に昼を作ったのです。
闇と光は同時に生じ、同時に存在するのです。
一方が存在しなければ、一方は存在しません。
苦しみと喜びは、同時に存在するのです。
苦しみを否定することは、喜びを否定することでもあります。
苦しみ無くして喜びは無いのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
残念ながら、この世界には、純粋に”神”を愛する人は多くありません。
大抵の人は、苦しみを嫌うのです。
そして、その苦しみに耐えられずに”神”に縋るのです。
”苦しい時の神頼み”という言葉があるのです。
多くの人は、”神”を愛してはいません。
それは、褒美(ほうび)を期待する子どものようなものなのです。
褒美を期待する子どもは、褒美欲しさに親の言い付けを守ります。
褒美を期待する子どもは、褒美のために媚(こ)び諂(へつら)うのです。
”神”は、あなたにとって必要であり、最善の苦しみを与えます。
しかしながら、利己的に生きる者には、その意図(いと)を理解することが出来ないのです。
苦しみは、決して悪いことではありません。
そのことに気が付く時、あなたは”神”に対する純粋な愛に気が付くでしょう。
そして、純粋に”神”を愛する時、あなたの人生は完成するでしょう。
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