このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2019年10月31日木曜日

すべての人は、苦しみと共に生きています。
すべての人は、苦しみと共に生きなければなりません。
人生において、苦しみを避けることの出来る人はいません。
誰もが、苦しまなければならないのです。
人生が苦しいのは、すべての人が未熟に生まれるからです。
未熟であるのは、無知であるからです。
すべての人が無知を生きています。
無知は、偏見(へんけん)を生み出します。
偏見は、物事を限定的にしか捉(とら)えることが出来ません。
それは、やがて誤解となるのです。
誤解とは、歪(ゆが)んだ認識です。
すべての人は、目の前の状況を歪んで認識しているのです。
認識が間違っていれば、人生の意図を理解することが出来ません。
人生の意図を理解するためには、認識を改める必要があるのです。
正しく認識しなければ、人は間違った選択をしなければなりません。
間違った選択とは、人生の目的に反する選択のことなのです。
すべての人が、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人が、人生に果たすべき目的を以て生まれるのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
それは、それぞれに異なり、独特な形をしているのです。
そのため、誰かの真似をしても果たすことは出来ません。
誰かに聞いても教えてはもらえないのです。
人生の目的は、自分自身で見付けるしかありません。
あなたは、自分自身の力によって、それを知らなければならないのです。
認識が歪んでいるのであれば、人生の目的を知ることは出来ません。
人生は、常にあなたに対して人生の目的を投げ掛けています。
しかしながら、あなたには、そのことが分からないのです。
残念ながら、多くの人は、人生の目的よりも、個人的な快楽や欲望や苦悩を優先してしまうのです。
多くの人が、目の前の快楽や欲望や苦悩を貪(むさぼ)るように生きているのです。
不安や心配、不満や恨(うら)みを抱えて生きるのも同じことです。
多くの人は、人生の目的を見失い、間違った道を進んでいるのです。
人生において、苦しみは避けられません。
すべての人生において、苦しみとは自然のことです。
あなたが苦しむのは自然のことなのです。
そのため、それが悪いということはありません。
苦しむこと自体を問題視する必要はないのです。
しかしながら、それは間違った方向性なのです。
人は、人生の目的から離れる程に苦しみを味わうようになっているのです。
あなたが苦しんでいるのは、人生の目的を生きてはいないからです。
人生の目的を生きれば、そこに苦しみは存在しません。
苦しみを手放すためには、人生の目的に目覚めなければならないのです。
”溺れる者は藁(わら)をも掴む”という言葉があります。
それは、苦しみの中にいる時、人は、普段頼りにしていないものまでも頼りにするということです。
溺れていなければ、藁を掴んで岸に上がろうなどとは思いません。
なぜなら、藁では自分の体重を支えられないと思っているからです。
多くの人は、もっと丈夫なものを探してそれを掴むのです。
多くの人は、物質的に生きています。
多くの人は、救いを物質の中に求めるのです。
藁とは、人生のことです。
多くの人は、人生に反発します。
多くの人は、人生が気に食わず、それに反抗するのです。
多くの人は、人生を信用していません。
人生の提案(ていあん)よりも、自分自身の愚(おろ)かさを信用しているのです。
その結果が苦しみなのです。
しかしながら、そのことには気が付きません。
人生が苦しいのは、誰かや何かのせいだと思い込んでいるのです。
多くの人は、苦しみの中にあっても、自分が正しいとさえ思っているのです。
あなたには、人生の目的が分かりません。
あなたは、自分が何のために生まれたのか?何のために生きているのか?ということを知らないのです。
何も知らないのに、正しい訳がありません。
自分の愚かさを信じた結果、苦しんでいるのです。
自分という存在は、信用する価値がありません。
なぜなら、未熟であるからです。
あなたが信用すべきは、”藁”なのです。
人生の提案は、未熟なあなたにとっては都合の悪いものです。
しかしながら、それは、あなたにとっての最善です。
苦しんでいる者は、人生の提案を受け入れなければなりません。
それ以外に、苦しみを手放す方法は存在しないのです。
人生の提案は、あなたにとっては都合の悪いものです。
しかしながら、それは、あなたがその価値を理解していないからに過ぎません。
親は、子どもに良いものを与えようとします。
しかしながら、子どもにはその価値が分かりません。
そこで、子どもは自らの欲望を優先し、親の善意を拒否(きょひ)するのです。
そして、子どもは、後に自らの愚かさに悔(く)いることになるのです。
子どもが親が与えようとした良いものに気が付くのは、自身が親になった時です。
それまでは、気が付かないのです。
人生について考えようとしない者が、人生の意図に気が付くことはありません。
あなたは、自分が人生において何をしているのか?何をしなければならないのか?と考えましょう。
溺れなければ、藁の価値に気が付かないようではならないのです。
悔いる前に、人生の目的に気が付きましょう。

2019年10月30日水曜日

濾過

この世界は、歪んでいます。
それは、あなたが歪んでいるからです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟であるが故(ゆえ)に無知であるのです。
無知は偏見(へんけん)を生じさせます。
偏見は誤解を導くのです。
人は、世界を自分自身を通じて認識します。
世界は、自分自身を通じて認識しなければならないのです。
世界がどのような形をしていたとしても、それは認識によって変換されるのです。
あなたは、自分自身が知覚する世界を受け取らなければならないのです。
あなたにとっての世界とは、自分自身の知覚です。
それ以外の世界は存在しないのです。
この世界がどれだけ広大であったとしても、あなたは自分自身の知覚を抜け出すことは出来ません。
すべての人は、自分自身の知覚を生きなければならないのです。
知覚とは、あなたの認識することの出来る範囲です。
あなたの認識は、知性によって照らし出されます。
暗闇を認識することは出来ません。
無知では何かを認識することは出来ないのです。
大切なのは、知性を磨くことです。
あなたは、知性によって認識することが出来るのです。
知性とは、知識と経験によって築かれる感性のことです。
人は、知識と経験を通じて、知性を磨くことが出来るのです。
知性に乏しい状態というのは、水が濁(にご)っているようなものです。
濁水(だくすい)の中では、何も認識することは出来ません。
そして、濁水を飲料として用いることは出来ません。
濁水を飲めば、腹を痛めてしまうのです。
残念ながら、多くの人は無知を生きています。
多くの人は偏見を抱え、誤解を生きているのです。
それは、暗闇の中で濁水を飲むような生活です。
多くの人に対して、真実は隠されています。
それは、認識が歪んでいるために、真実を知覚することが出来ないのです。
多くの人は、見ても見えず、取り入れても痛めるのです。
多くの人は、苦悩を生きなければなりません。
それは、本質を捉(とら)えることが出来ないからです。
残念ながら、あなたの世界に対する認識は歪んでいます。
あなたの飲んでいる水は濁っているのです。
喉(のど)が渇(かわ)いたからといって、濁水を飲んではなりません。
濁水を飲めば、腹を痛めてしまうのです。
濁水を飲むためには、濾過(ろか)しなければなりません。
濁水を濾過するために必要なのは、知識と経験、そして、感性と知性なのです。
知性によって濾過しなければ、何を飲んでも腹を痛めます。
知性が乏しければ、何をしても苦悩を実現するのです。
あなたは、傲慢(ごうまん)に生きてはなりません。
自分が正しいと思い込んだり、欲求に負けて濁水を飲み込んではならないのです。
濾過には時間が掛かります。
濁水がすぐに清まることはないのです。
濾過を通じて、少しずつ清まるのです。
濾過された清水(せいすい)は、容易(ようい)には溜まりません。
欲求に負けて、濁水を飲んではならないのです。
良いものは、容易には手に入りません。
あなたが手にするものは、残念ながら悪いものなのです。
この世界をそのまま取り入れてはなりません。
知性によって濾過しなければなりません。
腹を痛めることは簡単ですが、それを治すのは難しいのです。
良いものは簡単には手に入りません。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
都合の良いことを安易(あんい)に信用してはならないのです。
あなたの認識は歪んでいるのです。
自分にとって都合の良いことばかりを追い求めていれば、本質を得ることは出来ないでしょう。
都合の良いことが、最善であるとは限りません。
自分にとって都合の悪いことであっても、それが最善であるということもあるのです。
重要なのは、あなたの認識が歪んでいるということです。
自分自身を安易に信用してはなりません。
喉が渇いたからといって、安易に濁水を飲んではなりません。
喉が渇いたとしても、濾過された清水が溜まるまでは我慢しましょう。
それは、あなたにとって都合の悪いことかも知れませんが、腹には優しいのです。
都合の良いことで腹を痛めるよりも、都合の悪いことで腹に優しい方が良いということを理解しなければなりません。

2019年10月29日火曜日

暗闇を照らす光

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生に目的を以て生まれなければならないのです。
この世界には、無意味に生まれる者はいません。
どのような人物であろうとも、人生に目的を以て生まれるのです。
人生の目的は、それぞれに異なります。
それは、それぞれが辿り着くべき目的地が異なることを意味しているのです。
人は、目的を果たすために、目的地へと歩まなければなりません。
人生とは、目的を果たすための旅路です。
あなたは、歩みを続けなければならないのです。
人生における歩みとは、成長のことです。
あなたは、成長することによって、目的地へと向かって歩むことが出来るのです。
成長を実現するためには、真(まこと)を生きる必要があります。
真を生きることによって、人は成長を実現することが出来るのです。
真とは、自分自身に対しての真実を生きることです。
それは、偽(いつわ)らず、欺(あざむ)かず、真摯(しんし)に生きるということです。
偽りや欺きによって、人は真を失います。
真を失ってしまえば、道を見失ってしまうのです。
真とは、目的地へと辿り着くための道です。
目的地へと辿り着くための道が真なのです。
真を生きなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
真こそが、人生の目的を果たすための手段なのです。
しかしながら、多くの人は、真を失ってしまいます。
すべての人生には、問題が生じます。
それは、すべての人が未熟に生まれるからです。
人は、人生に目的を以て生まれるために未熟なのです。
未熟でなければ、目的を以て生まれることは出来ないのです。
未熟であるということは、無知であり、その認識を歪(ゆが)めているということです。
そのため、すべての人が失敗します。
それは、真を失い、偽りや欺きを選択するということなのです。
残念ながら、真を生きることの出来る人はいません。
誰もが、偽りや欺きを生きなければならないのです。
それは、仕方のないことです。
しかしながら、仕方がないからといって、放置していてはなりません。
あなたが生まれたのは、目的を果たすためです。
あなたは、偽りや欺きを退けて、目的を果たさなければならないのです。
多くの人は、真の尊(とうと)さを理解しません。
そして、偽りや欺きの影響力を理解してはいないのです。
なぜなら、この世界においては、真は不利を導き、偽りや欺きは有利を導くと思えるからです。
この世の富は、偽りや欺きによって集めることが出来ます。
”物質”が欲しければ、偽りや欺きを生きれば良いのです。
しかしながら、この世の富を集めたところで、人生の目的を果たすことは出来ません。
どれだけの富を積んでも、人生の目的の達成を買い取ることは出来ないのです。
真の道を進むことなく、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
真の道に富が存在するのであれば、何の問題もありません。
しかし、富を求めて真の道を外れることは避けなければならないのです。
あなたは、偽りや欺きを軽んじてはなりません。
それ等は、やがて自分の真実を塗り替え、本当に成ってしまうのです。
偽りや欺きを選択していれば、いつの間にかに真実が分からなくなってしまうのです。
人は、自分自身を説得しています。
真を選択すれば、真によって自分自身を説得し、偽りや欺きを選択すれば、それによって自分自身を説得することになるのです。
偽りや欺きを真実だと思い込んでしまえば、積極的に偽りや欺きを行うことになります。
多くの人は、積極的に真の道を踏み外し、道に迷ってしまうのです。
多くの人は、迷いの生存を続けています。
自分が何であるのか?
自分は何のために生きているのか?
人生は何なのか?
多くの人は、これ等の問いに答えることが出来ないのです。
偽りや欺きが導く迷いの中に人生の目的は存在しません。
あなたは、迷いを抜け出し、真を生きなければならないのです。
自分を偽り、自分を欺いてはなりません。
あなたは、自分の良心である真に従うのです。
そこには、思いやりが存在しています。
思いやりに従って生きることによって、人は真の道を歩むことが出来るのです。
思いやりの無い者に、人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたは、贅沢(ぜいたく)に暮らすために生まれたのではないのです。
他者を軽んじるために生まれたのではありません。
自分自身を苦しめるために生まれたのでもないのです。
思いやりを以て生きることが大切です。
偽りや欺きは、あなたの思いやりを覆い隠してしまいます。
思いやりとは、暗闇を照らす光です。
あなたは、それを大切にしなければならないのです。
暗闇に覆われてはなりません。
光を放ちましょう。

2019年10月28日月曜日

荒地

人には、それぞれに使命が与えられています。
人には、果たさなければならない使命があるのです。
それは、どのような理由があるとしても、果たさなければならないことです。
人生において、使命を無視することは出来ないのです。
それぞれの使命とは、人生の目的を果たすための"鍵"のことです。
人生の目的とは、あなたが開かなければならない扉なのです。
その扉を開かない限り、人は、天の国に入ることが出来ないのです。
人生の目的を果たすことがなければ、人は、荒地を彷徨(さまよ)わなければなりません。
そこでは、飲み物が不足し、住む場所もありません。
荒地を彷徨うことによって、あなたの喉(のど)は渇(かわ)き、腹は飢(う)えるのです。
扉を開けて天の国に入らなければ、あなたの渇きと飢えが満たされることはありません。
あなたが満たされるためには、自らの使命を果たす以外には方法がないのです。
荒地とは、人生のことです。
すべての人は、荒地を彷徨っているのです。
すべての人は、人生において渇いています。
そして、すべての人は、人生において飢えているのです。
人生において、渇きと飢えを知らない人はいません。
人生においては、すべての人が渇きと飢えを得なければならないのです。
しかしながら、多くの人は、その渇きと飢えに気が付いていません。
多くの人は、人生が良いものだと思い込んでいるのです。
本当は渇き、飢えているのに、それを理解してはいないのです。
どれだけ飲んでも渇きます。
どれだけ食べても飢えるのです。
それは、渇き、飢えているということなのです。
渇く前に飲み、飢える前に食べているために、満たされていると錯覚(さっかく)を起こしているに過ぎません。
しかしながら、そのことには気が付かないのです。
与えられた使命を果たす以外のどのような方法を用いても、人生における渇きと飢えを離れることは出来ません。
荒地に種を蒔(ま)いても、水分が無いために芽が出ません。
そこで、桶(おけ)に水を汲(く)んできて撒(ま)くと、種は発芽します。
しかしながら、芽が育つためには、安定した水分が必要です。
しかしながら、人が桶で水を運び続けることは出来ません。
それは、一生涯続く仕事だからです。
始めの頃は懸命に行っていた水遣(みずや)りも、徐々に疎(おろそ)かになってしまいます。
多くの人の忍耐(にんたい)は、長くは続かないものなのです。
そこで、井戸を掘ります。
しかしながら、水は出ません。
何度も掘って漸(ようや)く掘り当てた水も、すぐに枯渇(こかつ)してしまうのです。
そこで、水路を引きますが、それでも同じことなのです。
残念ながら、人生において満たされることは出来ません。
荒地において潤(うるお)いは、すぐに渇いてしまうのです。
荒地を彷徨っているのであれば、渇きは避けられません。
あなたが満たされるためには、天の国へと向かわなければならないのです。
あなたには、使命が与えられています。
それは、人それぞれに異なる形をしています。
人は、それぞれに異なる使命を果たさなければならないのです。
果たすべき使命は、人生が教えてくれます。
他者は、あなたの果たすべき使命を知りません。
どのような人物に尋(たず)ねても、あなたの使命を教えてはくれないのです。
人生の導きに従(したが)って歩めば、自分の使命を知ることが出来ます。
しかしながら、人生に逆らえば、それを知ることは出来ません。
あなたは、人生を信用しましょう。
どのような状況にも、意図があるのです。
それを理解しましょう。
そうすれば、使命を知ることが出来るのです。
使命を知ることが出来れば、それを果たすだけです。
結果のことは気にする必要はありません。
報酬(ほうしゅう)のために働いてはならないのです。
結果はどうなるか誰にも分かりません。
やるべきことをしたら、後は結果を待つしかないのです。
そして、それがどのような結果であろうとも、受け入れなければなりません。
結果は、人生に任せておきましょう。
使命を果たし、人生の目的を果たしましょう。
この世の煩(わずら)いに捕らわれてはなりません。
あなたはそれを手放しましょう。
荒地を抜けて、天の国へと辿り着かなければなりません。

2019年10月27日日曜日

常識を疑う

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生に目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことは重要です。
なぜなら、それが生まれた理由だからです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
それ以外の理由は無いのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
これは、とてもシンプルなメッセージですが、とても大切なことなので、何度も伝えなければならないのです。
誰もが果たすべき目的を以て生まれます。
この世界において、人生に目的もなく生まれる者は存在しないのです。
誰もが、人生の目的を果たさなければならないのです。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、この世界において、すべての人は様々な思い煩(わずら)いに悩まされることになるからです。
すべての人は、人生の思い煩いに翻弄(ほんろう)され、人生の目的を見失ってしまいます。
すべての人にとって、目の前の問題は大きな出来事です。
それがどのような問題であろうとも、その人にとっては一大事なのです。
目の前の問題とは、解決しなければならない課題です。
残念ながら、問題を避けて通ることの出来る人はいません。
すべての人が、問題と向き合わなければならないのです。
どのような方法を用いても、問題を避けて通ることは出来ません。
それは、誰にとっても、目の前の問題が重要なものであるからです。
目の前の問題は、自分自身の歪(ゆが)みを現しています。
人は、目の前の問題を通じて、自分自身の歪みを体験することが出来るのです。
自分自身の歪みを体験するのは、それを解消するためです。
あなたは、目の前の問題を通じて、自分自身の歪みを解消することが求められているのです。
目の前の問題は、決して悪いことではありません。
あなたは、それを軽んじてはならないのです。
あなたは、目の前の問題を通じて、人生の目的に気が付くことが出来るのです。
あなたが人生の目的を思い出すためには、自分自身の歪みを解消する必要があります。
自分自身の歪みを解消することによって、あなたは人生の目的を思い出すことが出来るのです。
歪みは、人生に対して思い煩いを引き起こします。
あなたが、人生に対して思い煩っているのであれば、それは、歪んでいるということなのです。
ただ、それだけなのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
しかしながら、歪みを抱えたままでは不可能です。
レンズが歪んでいるのであれば、何を見ても歪んでいるのです。
あなたは、正しい認識を手に入れなければなりません。
大切なのは、人生の目的を考えることです。
人生という壮大(そうだい)な物語の根本を探らなければならないのです。
あなたは、人生の目的を見失ってはなりません。
あなたは、何のために人生を始めたのでしょうか?
誰かに褒(ほ)められるためではないのです。
報酬(ほうしゅう)のために始めたのではありません。
報酬のために働くことには限界があります。
報酬は、人生の目的ではなく、人生の通過地点に過ぎないのです。
報酬は、結果として受け取りましょう。
報酬を目的としてはなりません。
すべての人が人生の目的を見失ってしまいます。
大切なのは、人生の目的を思い出そうとする気持ちです。
報酬のために働くという常識を疑いましょう。
人生の目的は、常識によって計(はか)れるほど、容易(たやす)いものではないのです。
当たり前を当たり前としてはなりません。
常識に従っていてはなりません。
あなたは、自分が何のために生まれたのか?ということを考えましょう。
あなたには、果たさなければならない目的があるのです。
人生の目的は、人生を始める前に決めなければなりません。
因果の仕組みが存在するこの世界においては、原因である目的が存在しなければ、結果である人生は存在しないのです。
人生の目的は、常識の影響が及ばない場所で決められたのです。
常識に従うことに価値はありません。
あなたは、常識を疑いましょう。
そして、人生に対する価値観を改めるのです。
当たり前に生きていれば、人生の目的を見失ってしまいます。
人生の目的は、常識によっては見出すことが出来ないのです。
そのことを覚えておかなければなりません。

2019年10月26日土曜日

偽善

人生において大切なことは、人生の目的を果たすことです。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
なぜなら、それが生まれた理由だからです。
あなたは、人生に目的を以(もっ)て生まれたのです。
そして、それを果たさなければならないのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
あなたの人生の目的と、他者の人生の目的は異なります。
誰一人として、同じ目的のために生まれることはないのです。
そのため、人生の目的を誰かに尋(たず)ねても分かりません。
人は、自分の人生の目的を探すことで精一杯なのです。
あなたは、それを自分で見出す必要があるのです。
しかしながら、人生の目的を見出すことは、誰にとっても容易(ようい)ではありません。
なぜなら、誰も自分の人生の目的を知らないからです。
それは、忘れているに過ぎませんが、忘れていることは、知らないことなのです。
そのため、すべての人が人生に困惑(こんわく)します。
すべての人は、自分がどう生きれば良いか?ということに迷うのです。
どのような人物も、迷いと共に生きています。
何かしらの信念を以て生きているような人物も、迷いと共に生きているのです。
偉(えら)そうにしている人物であれ、迷いを退(しりぞ)けることは出来ません。
誰も、人生の目的を知らないのです。
多くの人は、知ったつもりになっているだけなのです。
すべての人が、迷いと共に人生の目的を探さなければなりません。
それは、河原(かわら)の石の中から一つを見付け出すような作業です。
それは、気の遠くなるような作業なのです。
そのため、あなたには、一生涯という時間が与えられているのです。
あなたは、生涯を通じて、人生の目的を探さなければなりません。
人生の目的を見出すためには、人生の目的を知っていなければなりません。
人生の目的を知らずに、人生の目的を見出すことは出来ません。
しかしながら、あなたには人生の目的が分かりません。
そこで、人生の目的を知っているものに教えてもらう必要があるのです。
あなたの人生の目的を知っているのは、あなたの人生です。
あなたの人生は、あなたが忘れてしまった目的を覚えているのです。
あなたの人生の目的は、人生に聞かなければならないのです。
人生は、あなたに目的を教えます。
人生は、目の前に導かれる状況という形で、あなたに人生の目的を教えるのです。
ただし、人生の目的を理解するのは、人生を終えた後です。
あなたに示されるのは、人生の目的までの道標(どうひょう)なのです。
人生に導かれて、あなたは人生の目的へと辿り着くことが出来るでしょう。
しかし、人生に逆らえば、人生の目的へと辿り着くことは出来ないのです。
人生は、あなたに善行(ぜんこう)を促(うなが)します。
それは、人生の歩みとは善行だからです。
あなたは、善行によって人生の目的へと近付くことが出来るのです。
善行を行わなければ、人生の目的へと辿り着くことは出来ないのです。
そのため、あなたは人生において善行を行わなければなりません。
善行とは、人を救う行為です。
善行とは、この世界に貢献(こうけん)する行いのことなのです。
しかしながら、多くの人は、偽善を行います。
多くの人は、他者に知られようとしたり、褒(ほ)められようとして、善行という名の偽善を行うのです。
自分を救おうとする行為は偽善です。
あなたは、自分を救おうとしてはならないのです。
どのような理由があっても、自分を救おうとすれば偽善です。
大切なのは、自分を自分で救おうとしないことです。
あなたは、他者を救うために行うのです。
報酬(ほうしゅう)は、人生に任せておけば良いのです。
あなたが報酬を決める必要はないのです。
なぜなら、あなたには、何が最善であるのか?分からないからです。
あなたの欲するものを手に入れるよりも、人生が与える必要を手に入れる方が最善です。
あなたは、そのことに気が付かなければならないのです。
偽善を行ってはなりません。
自分を救おうとせず、他者を救おうとしましょう。
そうすれば、あなたは人生によって正しく導かれるでしょう。
自分を救おうとする者は、道に迷い、崖(がけ)を滑り落ちてしまうでしょう。

2019年10月25日金曜日

不揃い

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、果たすべき目的を以て生まれるのです。
あなたには、果たさなければならない目的があります。
あなたは、人生の目的を果たさなければならないのです。
それは、人生の目的を果たすことが、人生を始めた理由だからです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
それ以外の理由は存在しないのです。
人生における様々な理想は、人生の目的を果たすための道標(どうひょう)に過ぎません。
道標が目的地であるはずがありません。
あなたの掲げるどのような理想も、人生の目的では有り得ないということを理解する必要があるのです。
多くの人は、理想を実現することに心血を注ぎます。
理想を実現することこそが、人生の目的だと思い込んでいるのです。
残念ながら、どのような理想も、人生の目的ではありません。
人生の目的というものは、無知なあなたが理解出来る程、容易(たやす)いものではないのです。
誰にも、自分の人生の目的を理解することは出来ません。
あなたは、人生の目的を理解することは出来ませんが、それを果たさなければなりません。
矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、あなたはそれを果たさなければならないのです。
人生の目的を理解することが出来るのは、死を受け入れた後です。
あなたは、死を得るまでは人生の目的を理解することが出来ないのです。
それは、人生は、死を受け入れるまで終わることがないからです。
何事も、終わらなければ理解することは出来ません。
終わらなければ、他の情報が現れるかも知れないのです。
新たな情報が出現しない状況において、それを判断することが出来るのです。
人生の目的は、人生を終えた後でなければ理解することが出来ません。
しかしながら、あなたは、人生の目的を果たすために生きなければならないのです。
大切なのは、人生の目的を果たすために生きることです。
人生の目的を果たそうと生きることが求められているのです。
人生の目的を果たすためには、自然を受け入れなければなりません。
あなたが、この世界に存在するのは、自然の導きです。
あなたは、自然に生まれたのです。
人生の目的は、自然なものなのです。
しかしながら、この世界には、無知な人々が生み出した不自然というものが存在しています。
不自然とは、誤解のことです。
多くの人は、誤解によって、自然を歪めたのです。
不自然は、自然を歪めます。
あなたは、歪んだ自然を不自然としか認識することが出来ないのです。
そのため、多くの人は人生の目的を見失ってしまうのです。
多くの人は、不自然を生きています。
多くの人は、偽りの目的を果たそうとしているのです。
無知なあなたの掲げる理想とは、誤解によって歪められた不自然です。
そのようなものを実現しても、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
人生の目的を果たす以外に、人生に豊かさを実現することは出来ません。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
そのためには、自然を生きなければなりません。
自然とは、不揃(ふぞろ)いです。
自然には、同じものがありません。
すべてが異なる形をしているのです。
異なっていて良いのです。
異なっていることが最善なのです。
しかしながら、多くの人は、不揃いを直そうとします。
揃っていなければならないと思い込んでいるのです。
歪(いびつ)な岩を組み上げれば良いのです。
同じ形をしている煉瓦(れんが)を積み上げるよりも、歪な岩を組み上げる方が強いのです。
無知な者の考える合理は歪んでいます。
無知な者は、同一化することが合理的だと思い込んでいるのです。
あなたは、自分の人生と、その目的を以て生まれたのです。
あなたにしか、自分の人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたが自分でなければ、果たすことは出来ないのです。
自分であるということは、自然であるということです。
それは、不揃いであるということを理解しましょう。
個性を大切にしなければなりません。
無個性など存在しません。
あなたは、誰とも同じではないのです。
自然を生きましょう。

2019年10月24日木曜日

限定

この世界には、命が存在しています。
この世界に存在するすべてに、命が与えられているのです。
命とは、限定のことです。
命によって、すべては限定されるのです。
命によって、始まりは終わりへと辿り着きます。
命が存在しなければ、始まりは終わりへと辿り着くことが出来ないのです。
すべての始まりは、必ず終わりへと辿り着きます。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
この世界における一切(いっさい)は限定的なのです。
この世界には、永遠というものは存在しません。
永遠に思えるものであっても、いつかは終わりへと辿り着きます。
それは、この世界の一切が命を宿しているからなのです。
命を宿していないものは存在しません。
それが、どのような存在であっても、命を宿しているのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
この世界において、すべては限定的です。
すべてのことは、必ず終わりを迎えるのです。
あなたは、永遠を手にすることは出来ません。
この世界には、いつまでも続くものは存在しないのです。
それが、どのようなものであろうとも、必ず終わるということを覚えておきましょう。
大切なのは、すべてが限定的であることを理解することです。
永遠に続くと思えるようなことも、いつかは必ず終わるのです。
あなたにとって都合の良いことも、都合の悪いことも、必ず終わりを迎えます。
都合の良いことも、都合の悪いことも、いつまでも続かないのです。
あなたは、どのようなことも限定的であるということを理解しておきましょう。
すべては、一時的なことや一時的なものに過ぎないのです。
幸福が、いつまでも続くことはありません。
同じように、苦悩がいつまでも続くことはないのです。
幸福も苦悩も、やがて終わりを迎えるということを覚えておきましょう。
暮れない陽はありません。
明けない夜はないのです。
夏は必ず冬を迎えます。
冬は必ず夏を迎えるのです。
すべては変化の中に存在します。
すべては、流転(るてん)するのです。
あなたは、目の前の状況に対して、思い込みを強めてはなりません。
それが永遠に続くなどと思い込んではならないのです。
気負(きお)わずに生きましょう。
人生に無理をする必要はないのです。
あなたがどのように努めても、それは必ず終わりを迎えるのです。
もちろん、怠(なま)けても、それは必ず終わりを迎えます。
人が努力するのは、その終わり方を良くするためです。
終わりは避けられません。
しかし、終わりは次に始まるのです。
努力は、その始まりを左右するのです。
終わりは避けられません。
多くの人は、終わりを避けるために努力するのです。
しかしながら、それは無駄なことです。
あなたは、次の始まりのために努力をしましょう。
終わることは仕方のないことなのです。
避けられないことのために努めるのは間違っています。
あなたは、終わりを受け入れましょう。
すべてには、命が与えられているのです。
あなたは、すべてが限定的であることを理解しましょう。
永遠は存在しないのです。

2019年10月23日水曜日

摩擦

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を果たさなければなりません。
人は、それぞれに異なる目的を以て生まれます。
人が果たさなければならない目的は、それぞれに異なっているのが自然です。
あなたは、誰かと同じ目的のために生きることは出来ません。
誰かと同じ目的を果たすことなど出来ないのです。
人は、それぞれに異なる目的を果たさなければならないために、それぞれに異なる生き方が必要となります。
異なる生き方のためには、異なる考え方や価値観、そして、異なる選択が必要なのです。
誰かと同じように考え、同じように思い、同じように行為したとしても、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、自分の目的のために考え、思い、行為しなければなりません。
そうしなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生において大切なのは、目的を果たすということです。
あなたは、人生において、その目的を果たさなければならないのです。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を果たすことが出来ないのです。
なぜなら、多くの人は、人生の目的を見失っているからです。
多くの人は、自分が何のために生まれたのか?自分が何のために生きているのか?ということを知りません。
そして、それを思い出そうともしないのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ります。
それが心地好いからです。
人生の目的を果たすためには、険(けわ)しい道を進まなければなりません。
人生の目的を果たすためには、都合の悪いことも受け入れなければならないのです。
なぜなら、人生の目的は、あなたの都合に関係ないからです。
多くの人は、険しい道を進みたがりません。
多くの人は、気楽に生きていたいのです。
多くの人は、都合の良いことを好みます。
多くの人は、自分にとって都合の悪いことを嫌うのです。
そのため、人生の目的から目を逸(そ)らし、目の前の快楽や欲望を貪るのです。
目の前の快楽や欲望を貪ることは、良い結果を導くように思えます。
目の前の快楽や欲望を貪ることによって、この世の富を得ることが出来るからです。
この世の富は、多くの人にとって魅力的なものです。
なぜなら、この世の富によって、更なる快楽や欲望を貪ることが出来るからです。
目の前の快楽や欲望を貪ることは、人生の目的を見失わせます。
この世の富に魅了(みりょう)され、目の前の快楽や欲望を貪っているような者には、人生の目的を果たすことは出来ません。
そのような者が、険しい道を進むことなど出来るはずがないのです。
人生の目的を見失い、目の前の快楽や欲望を貪っている者は、やがて苦悩に溺れてしまうのです。
人生の目的を見失い、目の前の快楽や欲望を貪っている者は、必ず苦悩へと辿り着きます。
人生の目的を果たす以外の方法によって、満足を得ることは出来ません。
人生の目的を果たす以外の方法によって、幸福を得ることは出来ません。
人生の目的を果たす以外の方法によって、豊かさを得ることは出来ないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければならないのです。
険しい道であったとしても、進まなければならないのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
そのためには、役割を果たさなければなりません。
役割を果たすことによって、人生の目的を果たすことが出来るからです。
役割とは、偏(かたよ)りです。
それは、特化するということなのです。
役割を担(にな)うということは、限定的に生きるということなのです。
農夫は畑を耕(たがや)し、漁夫は網を引かなければなりません。
畑を耕す漁夫は無く、網を引く農夫もありません。
役割とは、限定的なものなのです。
農夫には、漁夫のことが分かりません。
同じように、漁夫には、農夫のことが分かりません。
人は、役割によって隔(へだ)たっているのです。
すべてを理解することは出来ません。
人は、役割によって理解し合うことが出来ないのです。
それは決して悪いことではありません。
それが自然なのです。
何を成すにしても、反対意見は必要です。
あなたが歩みを進めるためには、摩擦(まさつ)が必要不可欠なのです。
摩擦という抵抗が存在しなければ、あなたは歩みを進めることは出来ないのです。
嫌われることを気にし過ぎてはなりません。
あなたが自らの役割を果たそうとすれば、それを嫌う者が現れるものなのです。
どのように努めても、一部の人たちには必ず嫌われるのです。
万人に愛される人は存在しません。
人は、嫌われることがなければ、歩むことは出来ないのです。
自分勝手に生きることは最善ではありません。
しかし、嫌われることを気にし過ぎてはなりません。
あなたは、嫌われても良いのです。
しかしながら、嫌われるからといって、その相手と敵対してはなりません。
反対者は、あなたにとっての摩擦(抵抗)であり、それは、無くてはならないものなのです。
あなたは、何をしても一部の人たちからは嫌われます。
それを嫌ってはなりません。
あなたを嫌う人が存在するのは、あなたが自らの役割を果たそうと努めているからなのです。
八方美人では、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすためには、都合の悪いことも受け入れなければならないのです。

2019年10月22日火曜日

追い風

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
この世界に、目的を持たずに生まれる人はいません。
どのような人物の、どのような人生にも、目的は存在するのです。
あなたは、目的を果たさなければなりません。
それは、目的を果たすことが、人生を始めた理由だからです。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
すべての人にとって、人生の目的は大切なものなのです。
あなたは、人生の目的を無視することは出来ません。
すべての人は、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的とは、辿り着かなければならない目的地です。
あなたは、人生の目的を果たすことによって、目的地へと辿り着かなければならないのです。
目的地へと辿り着くためには、目的地へと向かって歩まなければなりません。
どのような目的地にも、道が存在するのです。
その道を辿ることによって、目的地へと到着することが出来るのです。
道に反すれば、目的地へと辿り着くことは出来ません。
あなたが目的地へと辿り着くためには、道に反してはならないのです。
目的地へと通ずる道とは、目的のことです。
人生の目的は、あなたを人生の目的地へと導くのです。
あなたが人生の目的地へと辿り着くためには、人生の目的を果たさなければならないのです。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人生の目的というものは、必ずしも、あなたにとって都合の良いものではないからです。
残念ながら、人生の目的は、あなたにとって都合の悪いこともあるのです。
人生の目的は、あなたの都合には関係ありません。
あなたの都合に関係なく、人生の目的は存在するのです。
都合は、後天的なものです。
現状に対しての理想が都合です。
しかしながら、人生の目的は先天的なものなのです。
人生の目的は、人生を始める前に決めたものなのです。
人生を始めるためには、人生の目的を決める必要があったのです。
因果の仕組みが支配するこの世界では、目的が存在しなければ、人生は実現しないのです。
あなたの都合が存在するよりも早く、人生の目的は存在したのです。
早くに存在した人生の目的が、自分よりも遅くに生まれた都合を考慮(こうりょ)する必要はないのです。
人生の目的は、あなたの都合を考慮しません。
あなたは、自分の都合に関係なく、人生の目的を果たさなければならないのです。
多くの人は、条件が整うのを待ちます。
条件が整わなければ、人生の目的を果たすことが出来ないと思い込んでいるのです。
条件とは、都合のことです。
多くの人は、自分にとって都合の良い条件が整うのを待っているのです。
しかしながら、自分にとって都合の良い条件が整うことはありません。
人生は、いつも都合の悪いものなのです。
あなたは、都合に関係なく、人生の目的を果たそうと努めましょう。
人生の目的に逆らう者は、風に逆らって航海する帆船(はんせん)のようなものです。
風に逆らえば、帆船は進むことが出来ません。
風に逆らえば、帆船は押し戻されてしまうのです。
帆船が風に逆らうことは最善ではないのです。
それでは、進むことが出来ないのです。
風とは、人生の目的です。
あなたが人生の目的に逆らうことは、最善ではありません。
人生の目的に従って生きましょう。
そうすれば、人生の目的は追い風となり、あなたの背を押すでしょう。
多くの人は、人生の目的に逆らいます。
そのため、人生は苦しいのです。
人生を苦しまずに生きるためには、人生の目的に従うことです。
人生は、常にあなたを人生の目的に引き合わせます。
あなたは、常に人生の目的と共に生きているのです。
目の前の状況こそが、人生の目的を果たすための道なのです。
しかしながら、多くの人は、都合によって目の前の状況を否定します。
気に入らない道ばかりです。
人生には、やりたくないことばかりなのです。
しかしながら、それが人生の目的を果たすための道なのです。
人生は、思い通りにはなりません。
しかしながら、それで良いのです。
人生を受け入れましょう。
人生が、あなたを苦しめることはありません。
人生において苦しめるのは、自らの愚(おろ)かさなのです。
人生の目的に逆らうことは愚行(ぐこう)です。
人生の目的を考えましょう。
何のために生まれたのか?ということを考え続けるのです。

2019年10月21日月曜日

腹で考える

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければならないのです。
誰一人として、完全に生まれる人はいません。
どのような人物であれ、未熟に生まれるのです。
すべての人は、未熟であるが故(ゆえ)に、その認識を歪めます。
すべての人の認識は歪んでいるのです。
認識の歪みは、誤解を生じさせます。
すべての人は、誤解を生きているということを理解しましょう。
すべての人は、誤解を抱えています。
すべての人は、誤解によって、本質を見極めることが出来ないのです。
あなたは、自分の認識が歪んでいることを知りましょう。
残念ながら、あなたは何も知りません。
あなたには、何も分からないのです。
何かを知った気になってはなりません。
あなたは、自分が何であるのか?ということすら知らないのです。
あなたは、自分を疑いましょう。
あなたは、自分の認識を疑わなければならないのです。
自分を信じてはなりません。
自分は未熟なのです。
多くの人は、認識を目に頼ります。
多くの人は、目によって受け取る情報によって物事を判断するのです。
しかしながら、目は何の役にも立ちません。
あなたは、見ているものを信じてはなりません。
例えば、その食物が腐っているかどうかを目では見分けられないのです。
目で見ても、その食物が腐っているかどうか?を見極めることが出来ません。
残念ながら、目は役に立たないのです。
あなたは、目に頼ってはなりません。
目よりは、鼻の方がましです。
見るよりも、匂(にお)う方がましなのです。
見るよりも匂う方が、正確な判断を下すことが出来るのです。
しかしながら、鼻よりも舌の方がましです。
匂うよりも、味わう方が正確な判断を下すことが出来るのです。
しかしながら、舌よりも腹の方がましなのです。
味わうよりも、腹の状態の方が正確な判断を下すことが出来るのです。
腹が苦(にが)ければ、その食物が痛んでいたことは明白です。
あなたは、腹によって、その食物の本質を見極めることが出来るのです。
本質とは、そのものの中心に存在する真(まこと)なのです。
あなたは、真を見極めなければなりません。
真を見極めるためには、より深いところにあるものによって見極めなければならないのです。
目に頼ってはなりません。
鼻に頼ってはなりません。
舌に頼ってはなりません。
腹に頼らなければならないのです。
深くなる程に、本質を見極める能力が増すのです。
あなたは、より深い部分の感覚を大切にしましょう。
自分の思考を安易(あんい)に頼ってはならないのです。
人生をより深く観察しましょう。
そして、より深く考慮(こうりょ)するのです。
頭ではなく、腹で考えましょう。
感情に流されてはなりません。
深く考察(こうさつ)することによって、真を見極めるのです。
見た目に騙(だま)されてはなりません。
あなたが考えている程、目は役に立たないのです。

2019年10月20日日曜日

約束

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を果たさなければなりません。
人には、それぞれに果たさなければならない目的が与えられるのです。
あなたには、あなたの目的があり、他者には自分の目的があるのです。
人生に生まれた理由は、目的を果たすことです。
どのような人物も、目的を果たさなければなりません。
それが、どのような目的であろうとも、それを果たさなければならないのです。
多くの人は、人生の目的を知りません。
それは、自分が何であるのか?ということを知らないからです。
自分が何であるのか?ということを知らなければ、与えられた目的が何であるのか?ということは分からないのです。
あなたは、自分が何か分かりますか?
自分が何か分からない者には、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
大切なのは、自分を知ることです。
すべての人は、人生を通じて、自分を知らなければならないのです。
しかしながら、自分を知ることは容易(たやす)いことではありません。
それは、この世の思い煩(わずら)いによって、盲目(もうもく)と成ってしまっているからです。
あなたの目は光を失っています。
あなたには、何も見えないのです。
すべての人は、暗闇を歩んでいます。
すべての人の人生は暗いのです。
暗闇の中では、何も見えません。
暗闇の中では、何も分からないのです。
自分を知ることによって、暗闇は去ります。
夜が徐々に開けるように、あなたは、少しずつ自分を知る必要があるのです。
人生を通じて、あなたは自分を知ることが出来ます。
それは、長い時間を掛けて知らなければならないものなのです。
あなたは、人生の目的を通じて、自分を知ります。
すべての人は、目的に逆らうことは出来ません。
すべての人は、人生の目的を果たすための道を歩まなければならないのです。
否定(ひてい)には意味がありません。
あなたが、どれだけ自らの目的を否定しようとも、必ず目的を果たすための道を歩んでいるのです。
あなたは、自分を否定することは出来ないのです。
それは、あなたが生まれる前からあなただからです。
人生の目的は、人生を始める前に決めた約束です。
因果の仕組みに支配されたこの世においては、原因が存在しなければ結果は実現しないのです。
人生の目的という原因が存在しなければ、人生という結果は存在しないということなのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれました。
あなたは、人生の目的を果たすことを約束して生まれたのです。
人生の目的が存在しなければ、生まれることが出来なかったのです。
そのことを理解しなければなりません。
あなたは、目的に従って生きなければなりません。
鳥は、鳥として生まれました。
鳥は、鳥として生きなければなりません。
魚として生まれた魚は、魚として生きなければならないのです。
鳥が魚として生きようとすれば、その鳥は容易く命を失ってしまうでしょう。
魚が鳥として生きようとしても同じことなのです。
あなたは、あなたとして生きなければなりません。
人生の目的を否定すれば、命を失うでしょう。
あなたの都合は関係ありません。
あなたの理想も関係ないのです。
都合や理想に関係なく、目的を果たさなければならないのです。
人生が思い通りに展開(てんかい)するなどと思い込んではなりません。
何も知らないあなたの思い通りになど展開するはずがないのです。
しかしながら、目的を果たす道を振り返ってみれば、それが最善であったことに気が付くでしょう。
都合や理想は、雲のように簡単に移ろいます。
それ等は、一瞬も形をとどめておくことは出来ないのです。
しかしながら、人生の目的は、生まれる前から決められており、死を得るまで変わることがありません。
どちらを信用すべきかを考えましょう。
あなたは、人生を通じて自分を知るでしょう。
人生の目的が、あなたを教えてくれるのです。
あなたが自分を知る時、人生の目的は果たされるでしょう。
それは、人生を終えた時なのです。

2019年10月19日土曜日

成果は死後に現れる

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人には、果たさなければならない目的が与えられているのです。
人生に、目的もなく生まれる者はいません。
すべての人は、目的を果たすために生まれたのです。
あなたには、果たさなければならない目的があります。
しかしながら、それを果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人生の目的を果たすのは、人生を終える時だからです。
人生の終焉(しゅうえん)まで、人生の目的を果たせるかどうか?ということは分かりません。
人生を終えていないのに、どうして人生の目的を果たしたということが分かるのでしょうか?
人生を終えるまでは、人生の目的を果たしたかどうか?ということは分からないのです。
大切なのは、人生は”長距離走”であるということを理解することです。
人生は、”短距離走”ではありません。
人生の途中で目的を果たすことなど出来ないのです。
人生の途中で人生の目的を果たしてしまえば、残りの人生は何のために存在するのでしょうか?
人生は、無意味な時間ではないのです。
すべての人生には、意味が存在するのです。
人生は、始まりから終わりまで、すべての瞬間に意味があるということを理解しましょう。
人生の目的を、人生の途中で達成することは出来ないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
人生の目的や意味を見出したつもりで生きてはなりません。
何かを知ったつもりで生きてはならないのです。
残念ながら、あなたは何も知りません。
あなたは、人生の終わりまで、何も知ることは出来ないのです。
あなたには、人生の目的を果たしたかどうか?ということさえ知ることは出来ないでしょう。
なぜなら、人生の目的を果たしたかどうか?ということは、死後に分かることだからです。
残念ながら、人生の目的を果たしたかどうか?ということは、死後にしか分かりません。
長距離走を完走したかどうか?は、それを完走した後にしか分からないものなのです。
道の途中で、完走したかどうか?を知ることは出来ません。
それと同じように、人生の目的を果たしたかどうか?ということは、人生を終えた後にしか分からないのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれました。
あなたは、人生の目的を果たすために生きているのです。
それは、死後のために生きているということなのです。
多くの人は、生前のために生きています。
多くの人は、豊かな暮らしのために生きているのです。
豊かな暮らしは良いものです。
しかしながら、人生の目的という観点で見れば限定的なものです。
人生の目的は、必ずしも豊かに暮らすことではありません。
乏しく暮らすことが、人生の目的の場合もあるのです。
人生には、様々な可能性を考慮(こうりょ)しなければなりません。
自分達の思い付くことだけが正しい訳ではないのです。
自分にとって都合の良いことが人生の目的であるということはありません。
自分にとって都合の悪いことが、人生の目的であるということもあるのです。
残念ながら、あなたには、人生の目的が分かりません。
人生の目的が何かを知らずに、どうして現状の都合で人生を考えるのでしょうか?
そのような判断は、何の役にも立ちません。
すべての人は未熟に生まれます。
すべての人は、不安定な状態を生きているのです。
都合など、すぐに変わってしまいます。
今まで都合良かったものが、次の瞬間には都合の悪いものへと変わってしまうのです。
都合に振り回されてはなりません。
大切なのは、人生の目的が分からないということなのです。
人生は”長距離走”です。
人生を終えるまでは、何が正しいのか?分かりません。
道の途中に成果を求めてはなりません。
成果は、死後に生まれるのです。
人生は、死に行き着くまで終わらないのです。
あなたは、人生の成果を死後に楽しみましょう。

2019年10月18日金曜日

発見

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人には、果たさなければならない目的が存在するのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人は、それぞれの目的のために生まれるのです。
あなたが生まれたのは、目的を果たすためです。
目的とは、人生の理由なのです。
そのため、人生の目的を無視することは出来ません。
人生の目的を無視しようとすることは出来ますが、無視することは出来ません。
なぜなら、人生の目的を果たす以外には、人生に豊かさを実現する方法は存在しないからです。
すべての人は、人生に豊かさを求めます。
豊かさの形はそれぞれに異なりますが、すべての人が豊かさを求めているのです。
豊かさの形が異なるのは、目的の形が異なっているからです。
人生の豊かさは、目的に従(したが)います。
人生の目的は、生まれる前に定められたものです。
それは、この世界には因果の仕組みが存在するために、目的という原因が存在しなければ、人生という結果を実現することが出来なかったからです。
生まれる前の目的が存在しなければ、人生を生きることが出来ないのです。
あなたは、人生の豊かさの形は、生まれる前に決めているということを理解しなければなりません。
生まれる前に決めた豊かさの形は、生まれた後には変えることが出来ないのです。
それは、人生の目的を変えることが出来ないようにです。
残念ながら、豊かさの形は、初めから決まっています。
あなたは、初めから決まっているものを発見しているに過ぎないのです。
それは、原石から宝石を削り出すような作業なのです。
人生とは、発見です。
多くの人は、それを創造と呼びます。
残念ながら、この世界において、人が創造したものは存在しません。
どのようなものも、この世界に存在したものを発見したに過ぎないのです。
この世界に存在しなければ、それを扱うことは出来ないのです。
傲慢(ごうまん)に陥(おちい)ってはなりません。
あなたは、何も創造しないのです。
あなたは、宝石を創造することは出来ません。
それは、初めから原石の中に存在したのです。
あなたは、それを発見したのです。
あなたは探さなければなりません。
人生の豊かさは、人生の目的に従います。
人生の目的という名の宝石は、この世の思い煩(わずら)いによって覆(おお)われています。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩によって、人生の目的を見失っているのです。
多くの人は、足りないものに執着(しゅうちゃく)します。
多くの人は、足りないと思い込んでいるのです。
しかしながら、足りないのではありません。
発見することが出来ていないだけなのです。
足りないものを探し、所有を見失ってはなりません。
原石は、目の前にあるのです。
あなたは、それを初めから所有しているのです。
原石は、削らなければなりません。
余計を削り落とし、宝石である人生の目的を発見しましょう。
足りないものを探し続けている人は、目の前に存在する原石に気が付きません。
今あるものが大切なのです。
人生の目的は、傲慢や思い煩いなどによって覆われています。
あなたは、それ等を削り落とさなければならないのです。
あなたは、自らの余計を手放しましょう。
多くを求める生き方を手放し、満足して生きましょう。
現状に対して、幸福を発見することが出来ない者に、人生の目的や豊かさを発見することは出来ません。
今、幸福を得ない者は、いつになっても幸福を得ることは出来ないのです。
人生の目的や、豊かさの形は、人それぞれに異なります。
あなたは、自分の人生の目的や豊かさを発見しなければなりません。
それが、どのような現状であろうとも、それを大切にしましょう。
ないものを強請(ねだ)り、現状を否定してはなりません。
一歩を踏み出すことの出来ない者には、目的地は存在しないのです。

2019年10月17日木曜日

利益の虜

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生に目的を以て生まれなければならないのです。
人生を始めるためには、その理由が必要です。
理由が明確でなければ、人生を始めることは出来ないのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
人生という結果を実現するためには、目的という原因が必要なのです。
人生の目的は、人生を始める理由と成ります。
人は、人生の目的によって、人生を始めることが出来たのです。
人生に目的がなければ、人生を始めることなど出来ないのです。
大切なのは、人生には目的が存在しているということを理解することです。
あなたには、果たさなければならない目的が存在するのです。
目的を無視して生きることの出来る人はいません。
すべての人が、人生の目的を果たすために生まれました。
すべての人は、人生の目的を果たす必要があるのです。
なぜなら、それが生まれた理由だからです。
あなたは、人生の目的を果たすために生きなければなりません。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
人は、それぞれの目的を果たさなければならないのです。
あなたには、あなただけの人生の目的が存在するのです。
しかしながら、すべての人は、人生の目的を見失っています。
すべての人は、人生の目的が分からないのです。
すべての人は、自分が何のために生きているのか?を知りません。
すべての人は、自分が何をしているのか?を知らないのです。
すべての人は、自分が何であるのか?ということすら知りません。
すべての人は、何も知らないのです。
そのため、常に迷いの中を歩んでいます。
人生に迷いは避けられません。
どのような人物も、人生に迷わなければならないのです。
残念ながら、すべての人が迷わなければなりません。
人生において、迷うことなく生きられる人は存在しないのです。
それは、自然なことであるために、決して悪いことではありません。
あなたは、自分が迷いの生存を続けることを責(せ)める必要はないのです。
あなたは、迷うことが自然です。
寧(むし)ろ、あなたは、迷わなければならないのです。
迷わなければ、人生の目的を思い出すことが出来ないのです。
迷いとは、誘惑(ゆうわく)です。
あなたは、様々な誘惑に会うのです。
誘惑は、様々な形によって、あなたを惑(まど)わします。
誘惑によって、人は、人生の目的を見失ってしまうのです。
しかしながら、誘惑は、同時に人生の目的を思い出す切っ掛けを与えてくれるのです。
あなたは、様々な誘惑を経験することによって、偽りの道に気が付き、真(まこと)の道を見極めることが出来るのです。
本物を見極めるためには、多くの偽物に触れていなければなりません。
偽物に触れたことのない者は、本物と偽物との区別が付きません。
人生において、様々な誘惑を経験していなければ、人生の目的を見極めることが出来ないのです。
偽物しか見たことのない者には、本物を見極めることは出来ません。
人は、多くの偽物を経験することによって、本物を見極めることが出来るのです。
あなたは、多くの間違った道を進まなければなりません。
残念ながら、迷うことなく、真の道を見極めることの出来る人などいないのです。
あなたには、進まなければならない道が存在します。
しかしながら、そこに確証(かくしょう)はありません。
多くの人は、誰かに準備された道を歩まなければなりません。
そして、褒(ほ)められることを続けなければならないのです。
それは、進むべき道が分からず、褒められることが最善だと思い込んでしまうからです。
多くの人は、褒められるものを手放すことが出来ません。
利益(快感)を得れば、それを離れることが出来ないのです。
多くの人は、利益の虜(とりこ)に成ってしまいます。
多くの人は、利益を得ることが最善であると思い込むのです。
残念ながら、利益を得ることが最善だとは限りません。
煽(おだ)てられて、道を見失ってはならないのです。
あなたは、利益に関係なく、果たさなければならないことがあるのです。
例え、損失を被(こうむ)ることになったとしても、果たさなければならないことがあるのです。
それが、人生の目的なのです。
利益に騙(だま)されて、真の道を見失ってはなりません。
人生の目的とは、利益や損失に影響されないものなのです。
利益や損失に関係なく進みたい道こそが、人生の目的であるということを知りましょう。
人生の目的の前では、損得など決して気にならないのです。

2019年10月16日水曜日

偽善

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人は、それぞれに目的を以て生まれます。
あなたには、あなただけの目的というものが存在しているのです。
あなたは、それを果たすために生まれたのです。
人生は、目的を果たすための場所であり、時間なのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を見失っています。
多くの人は、人生の目的を見失い、迷いの生存を続けているのです。
あなたには、果たさなければならない目的が存在しているのです。
多くの人は、自らの果たすべき目的を知りません。
そのため、適当な目的を見付け出し、それを果たすことで人生の目的を果たした気持ちになっているのです。
多くの人は、偽りの目的を果たそうと努めています。
偽りの目的を果たすことによって、真(まこと)の目的を果たすことの出来ない罪悪感から逃れようとしているのです。
人生の目的は、真の目的を果たすことです。
真の目的とは、人生の原因です。
あなたには、真の目的を果たすために人生という場所や時間が必要であったのです。
人生は、目的によって成り立ちます。
すべての人生には、目的が存在するのです。
それは、それぞれに異なる目的です。
人は、それぞれに異なる目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人生の目的がそれぞれに異なるからです。
それぞれに異なる目的を果たすために生まれるのです。
あなたは、人生の目的を別個のものとして考えなければならないでしょう。
この世界において、同じ目的のために生まれる者はいません。
すべての人が、独自の目的のために生まれるのです。
あなたには、果たさなければならない目的が存在します。
それを、他の目的と混同してはなりません。
あなたの目的は、他者の目的とは異なるのです。
あなたが人生の目的を果たすためには、他者からの評価や意見を気にしている訳にはいかないのです。
残念ながら、多くの人は、自分の人生の目的を理解しません。
残念ながら、多くの人は、偽りの目的のために尽力しているのです。
多くの人は、偽善を生きています。
上部を取り繕(つくろ)うことによって、最善を果たしたと思い込みたいのです。
最善を果たすためには、自分の果たすべき目的を探さなければなりません。
例えば、多くの人は、世界平和を望みます。
世界が平和であることは、良いことのように思えます。
しかしながら、それは偽善です。
世界平和を願うことは容易(たやす)いのです。
なぜなら、それは他人事であるからです。
難しいのは、敵を祝福することです。
残念ながら、多くの人は、世界平和を願いながらも、心の中に敵を作ります。
遠くのことを良くすることは容易(ようい)ですが、近くを良くすることは難しいのです。
すべての人の心の中には敵が存在しています。
すべての人は、敵を所有しているのです。
大切なのは、敵を祝福することです。
世界平和を願うことは良いことですが、敵を思う時に、自らの心の平和を願うことの方が大切なのです。
偽善を生きてはなりません。
多くの人がそうするように、考えも無く従ってはなりません。
あなたには、果たさなければならない目的があるのです。
偽善に努めてはなりません。
自分の果たすべきことを見極めましょう。

2019年10月15日火曜日

朽ち果てるもの

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければならないのです。
誰一人として、人生の目的を無視して生きることは出来ません。
すべての人は、人生の目的と共に生きなければならないのです。
人生の目的を果たすためには、価値を見出さなければなりません。
価値を見出すことがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
価値とは、本質のことです。
この世界においては、本質にこそ価値があるのです。
しかしながら、多くの人は、本質に価値を見出してはいません。
多くの人は、物事の表面的な部分に価値を見出しているのです。
大切なのは、中身です。
しかしながら、多くの人は、外側に価値を置きます。
多くの人は、その中身ではなく、装飾(そうしょく)に目を奪われているのです。
多くの人は、美しい装飾に価値を見出します。
外側が美しければ、中身は気にしないのです。
それは、中身にまで認識が及(およ)ぶことが無いからです。
残念ながら、多くの人は、中身を認識することが出来ません。
多くの人は、外側が美しければ、中身も美しいと思い込んでしまうのです。
残念ながら、外側と中身は比例(ひれい)しません。
外側が美しければ、中身も美しいということはないのです。
この世には、美しい見た目の毒が存在し、醜(みにく)い見た目の薬が存在するのです。
あなたは、美しい見た目の毒と、醜い見た目の薬のどちらを選びますか?
本質を見極めなければ、あなたは価値を失ってしまうでしょう。
残念ながら、多くの人は価値を見極めることが出来ません。
多くの人は、価値の無いものに価値を見出し、価値のあるものの価値を無視しているのです。
あなたは、朽(く)ちるものに価値を見出してはなりません。
真(まこと)の価値は、朽ちることのないものにこそ宿るのです。
本質は朽ちることがありません。
朽ちるのは、いつも外側の装飾です。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
この世の一切(いっさい)は朽ち果ててしまいます。
この世において、朽ち果てることのないものは存在しません。
なぜなら、この世は生と同時に死が存在するからです。
この世には、陰陽(いんよう)の仕組みが存在しています。
どのようなものにも、相反(あいはん)する二つの性質が宿るのです。
生には死が備わります。
昼には夜が備わり、幸福には苦悩が備わるのです。
すべてが朽ち果てます。
永遠に続く生は存在しません。
生は、必ず死へと辿り着くのです。
永遠に続く昼や、永遠に続く幸福など存在しません。
昼は夜に、幸福や苦悩へと辿り着かなければならないのです。
それが、この世の規則であるということを理解しなければなりません。
そして、生にも、昼にも、幸福にも、価値は無いということを知らなければなりません。
朽ち果てるものは本質ではありません。
朽ち果てるものに価値を期待しても、それを失うだけなのです。
あなたは、朽ち果てることのないものに価値を見出さなければなりません。
例えば、思い遣(や)りです。
誰かや何かに対する思い遣りが、朽ち果てることはありません。
なぜなら、それは本質だからです。
思い遣りから生じる行為は朽ち果ててしまいます。
思い遣りから得た報酬(ほうしゅう)も朽ち果ててしまうのです。
しかし、思い遣りは朽ち果てません。
思い遣りには、本質的な価値があります。
あなたは、思い遣りを見失ってはなりません。
思い遣りを以て生きれば、本質を得ることが出来るでしょう。
思い遣りを以て生きることが出来ない者は、朽ち果てる装飾を得るのです。
それは、空しさなのです。
残念ながら、多くの人は、苦労をして空しさを手にします。
この世の富を集めてどうするのでしょう?
それ等はすべて朽ち果ててしまうのです。
徳(とく)を積むのです。
徳を積むためには、思い遣りが必要不可欠です。
思い遣りの無い者には、徳を積むことなど出来ないのです。
あなたは、徳に価値を見出しましょう。
朽ち果てる空しさに価値を見出してはなりません。

2019年10月14日月曜日

覚めない夢はない

”あなたは何ですか?”
”人生は何ですか?”
あなたには、これ等の問いが与えられています。
あなたは、これ等の問いに答えを導かなければなりません。
人生は、生き長らえるための場所ではありません。
生きていれば良いという時間ではないのです。
すべての人生には、目的が存在します。
すべての人生には、目的が与えられているのです。
目的の無い人生は存在しません。
どのような人生も、目的が存在するからこそ、実現したのです。
すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
目的の存在しない人生はありません。
どのような人物の、どのような人生にも、果たさなければならない目的が存在するということを理解しなければならないのです。
大切なのは、”自分とは何か?”、”人生とは何か?”ということなのです。
これは、あなたに付き従い離れることのない問いなのです。
あなたは、これ等の問いに答えなければなりません。
なぜなら、その答えこそが人生の目的であるからです。
人生に目的もなく生きてはなりません。
生き長らえることを人生の目的にしてはならないのです。
生きることは、当たり前のことです。
すべての存在は、必要が尽きるまでは生き続けなければなりません。
当たり前のことは目的とはなりません。
目的とは、果たすべきものなのです。
あなたには、果たさなければならない目的が存在するのです。
しかしながら、あなたには、人生の目的が分かりません。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を知らないのです。
多くの人は、自分が何のために生きているのか?を知らないのです。
多くの人は、幻想を生きています。
多くの人は、夢を経験しているのです。
多くの人は、人生の目的を無視した暮らしを送ります。
多くの人は、人生の目的などという難しいことは考えないのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩を貪(むさぼ)ることに忙しいのです。
多くの人は、幻想を好むのです。
なぜなら、現実に向き合うことを恐れているからです。
幻想を生きていれば、恐れを遠ざけることが出来るのです。
多くの人は、人生の目的を恐れています。
そのため、詰(つ)まらない目の前の快楽や欲望や苦悩に陥(おちい)るのです。
多くの人が貪っている目の前の快楽や欲望や苦悩は、人生における幻想に過ぎないのです。
多くの人は、幻想を追い掛けます。
多くの人は、幻想を生きているのです。
しかしながら、覚めない夢はありません。
どのような夢も、いつかは必ず覚めるのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
多くの人にとって、人生とは夢なのです。
そのため、迷いの生存を続けます。
目の前の快楽や欲望や苦悩を追い掛ける生き方には限界があります。
覚めない夢はないのです。
どのような夢も、必ず覚めてしまうのです。
あなたは、目の前の快楽や欲望や苦悩を貪る生活が、幻想であるということを理解しなければなりません。
あなたが当然と思ってる生き方によっては、人生の目的を見出すことは出来ないのです。
目を覚ましましょう。
あなたは、幻想を手放すのです。
目の前の快楽や欲望や苦悩を貪る生活を続けてはなりません。
あなたは、当然の暮らしに疑問を抱きましょう。
当たり前は、決して当たり前ではないのです。

2019年10月13日日曜日

理想を手放す

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を無視することの出来る人はいません。
すべての人は、人生の目的を許(ゆる)されないのです。
あなたに意欲が無くても、人生の目的を果たさなければなりません。
人は、人生の目的を果たすこと以外では、人生に満足することは出来ないのです。
人生に満足を得るためには、人生の目的を果たさなければなりません。
それ以外には方法はありません。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を果たす以外の方法によって、人生に満足しようとしています。
例えば、目の前の快楽や欲望を満たし続けることによって、人生に満足を得ようとしているのです。
目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)れば、満足に似た感覚を得ることが出来ます。
しかしながら、それは、一瞬のものであり、後には後悔を引き起こしてしまうものなのです。
多くの人は、人生に偽りの満足を積み重ねます。
それは、麻薬のように一瞬の高揚感を与えてくれます。
しかしながら、それ以上の空しさを奪っていくのです。
偽りの満足を積み重ねることは、空しさを積み重ねていくことであると理解しなければなりません。
例えば、食欲を満たすことによって満足を得られると考えたとしても、食べ続けることは出来ません。
どのように美味しい食事であったとしても、腹が張れば嫌悪すら感じてしまうのです。
睡眠欲や性欲を満たし続けることも出来ません。
肉体の欲求には限界があるのです。
それも、その限界は思っているよりも早くに訪(おとず)れるということを理解しなければなりません。
肉体の衰(おとろ)えに従って、欲求も衰えます。
金銭欲や名誉欲に衰えはありませんが、それ等をある程度(安心出来る程)手に入れると、それ以上に必要ではないことを理解し、意欲を失ってしまうのです。
人生の目的以外には、限界が訪れます。
偽りの満足では、腹を痛めてしまうのです。
偽りの満足は、理想という形で現れます。
多くの人の実現したい理想は、偽りの満足なのです。
人生の目的と理想は異なります。
なぜなら、人生の目的とは、先天的なものであり、理想とは後天的なものであるからです。
人生の目的は、人生を始める前に定めておく必要があります。
あなたは、何をするにしても、目的を以て始めなければなりません。
目的もなく始められることなど存在しないのです。
人生を始めるためには、人生の目的が必要不可欠なのです。
人生の目的が存在しなければ、人生は存在しません。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
大切なのは、人生の目的が先天的なものであり、理想ではないということです。
理想を追い求めても、得られるのは空しさなのです。
大切なのは、人生の一部を切り取って考えることではなく、人生の全体を考えることなのです。
死を迎える時になって、人生に満足することが出来るのか?ということを考えていなければならないのです。
あなたは、今の考え方や生き方で良いと思いますか?
積み重ねているものは、人生に満足を与えるでしょうか?
世の中の価値観や、他者の価値観に従わず、自分の価値観によって人生を俯瞰(ふかん)しなければなりません。
これは、あなたの人生なのです。
残念ながら、理想を手放さなければ、本来の進むべき道は見えて来ないでしょう。
理想は、人生の目的を隠します。
どのような理想も決して実現しません。
なぜなら、理想とは偽りの満足であるからです。
理想を実現することは、最善ではありません。
人生には、理想の実現よりも大切なことがあるのです。
理想よりも、目の前の避けられない現実の方が大切なのです。
なぜなら、理想から学びを得ることは出来ませんが、目の前の避けられない現実からは学びを得ることが出来るからです。
人生においては、学ぶことが重要です。
あなたにおいて最善なのは、学びを得られる状況です。
あなたに学びを与えるものが重要なのです。
あなたは、目の前の現実を大切にしなければなりません。
人生の目的を果たすためには、成長を実現しなければなりません。
現実に向き合うことによって、あなたは、成長を実現することが出来ます。
思い通りにならない人生を楽しみましょう。
避けることの出来ない状況を学ぶしかないのです。
理想を手放し、目の前の現実に従うのです。
そして、人生の目的を果たしましょう。

2019年10月12日土曜日

必要に従う

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生において、目的を果たさなければならないのです。
すべての人は、目的を果たすために生まれます。
人生において、目的を無視することの出来る人はいないのです。
大切なのは、目的を果たすことです。
あなたは、目的を果たさなければなりません。
人生の目的とは、人生の原因です。
人生が存在するのは、目的が存在した結果なのです。
人生の目的は、人生を始める前に定められたものです。
人生の目的は、あなたが生まれる前に定めたものなのです。
後天的に生じる人生の目的は存在しません。
人生の目的は、先天的に決められているものなのです。
あなたは、人生の目的を無視して生きることは出来ません。
どのように否定しても、人生の目的と向き合わなければならないのです。
すべての人は、人生の目的のために生きなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たさなければならないのです。
大切なのは、人生の目的という道が存在するということです。
それは、あなたの認識の外に存在します。
残念ながら、あなたは人生の目的を忘れています。
あなたは、人生の目的を見失ったままで生きなければならないのです。
人生の目的を思い出すことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、すべての人は、目の前の快楽や欲望や苦悩に塗(まみ)れているからです。
すべての人の道は、暗闇に覆われています。
すべての人は、暗闇の中を歩まなければならないのです。
人生は、思い通りにはなりません。
それは、人生の目的を知らないからです。
すべての人の認識は歪(ゆが)んでいます。
人生の目的を知らないために、目の前の快楽や欲望や苦悩に陥(おちい)らなければならないのです。
どのような欲求も、人生の目的とは異なります。
残念ながら、あなたには、人生の目的を見出す力は備わってはいないのです。
あなたに備わっているのは、人生の目的を学ぶ力なのです。
あなたは、学ぶことによって見出すことが出来るのです。
人生の目的を教えるのは、人生です。
あなたは、人生から学ぶことが出来るのです。
人生においては、あなたの欲しいものは手に入りません。
あなたが手に入れることが出来るのは、必要なものだけなのです。
人生においては、あなたがいらないものを手放すことは出来ません。
あなたが手放すことが出来るのは、必要なものだけなのです。
人生は、あなたに必要を実現します。
人生においては、必要以外が実現することはないのです。
それが、どのような状況であっても、あなたにとっての必要であるからこそ実現するのです。
人生においては、必要なものが手に入るのです。
人生には、諦(あきら)めも必要です。
不要なものは一切手に入れられないのです。
どのように努力を重ねても、必要以外を手に入れることは出来ないのです。
人は、必要を生きなければなりません。
理想が必要であるはずがありません。
あなたは、人生の目的を知らないのです。
人生の目的を知らない者が、人生を判断することなど出来ません。
あなたには、何が必要であり、何が不要であるか?分かりません。
自分の都合だけで人生を小さく考えてはなりません。
あなたの考えでは計り知れない程、人生は深くて広いものなのです。
あなたは、自分が何であるのか?ということさえ知らないのです。
自分が何か?ということさえ知らない者が、何を判断するというのでしょうか?
残念ながら、あなたには、何の判断も出来ません。
自分勝手に判断することなく、人生から学びましょう。
人生に従いましょう。
必要が実現し、必要が破滅します。
必要に逆らってはなりません。

2019年10月11日金曜日

夢中

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人には、果たさなければならない目的があるのです。
それは、人それぞれに異なる目的です。
あなたは、自分の目的を果たさなければなりません。
残念ながら、それは他者の目的とは異なるものなのです。
あなたは、他者に追従(ついじゅう)することは出来ません。
あなたは、他者とは異なる道を進まなければならないのです。
これは、あなたの人生です。
これが自分の人生であることを覚えておきましょう。
大切なのは、自分の人生を生きることです。
あなたは、自分の道を歩まなければなりません。
自分の人生を生きることが、この世界においては重要なことなのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
他者の真似をしても、自分の人生を生きることは出来ません。
これは、他者を無視しろと言っているのではありません。
あなたは、他者を観察(かんさつ)し、手本として学ばなければなりません。
他者から学ぶことは非常に多いのです。
しかしながら、他者から学ぶ余り、他者の道を自分の道だと誤解してしまう可能性が高いのです。
あなたは、他者と自分の道を区別しなければなりません。
あなたは、自分の人生を生きなければなりませんが、そのためには、一生懸命に打ち込めることを探す必要があるのです。
一生懸命に打ち込めることこそが、あなたの道なのです。
飽きずに探求することの出来る道が良いのです。
あなたは、そのような道を探しましょう。
探せば見付かります。
なぜなら、あなたはその道を歩むために生まれたからです。
目的が存在しなければ、人生は存在しないのです。
人生は、何も無いところから偶然に生じた訳ではありません。
人生は、目的が存在したから生じたのです。
目的が存在しなければ、人生が存在することはないのです。
あなたには、進むべき道が存在します。
あなたは、それを探さなければなりません。
探せば見付かります。
しかしながら、探さなければ見付かりはしないのです。
どのようなことでも構(かま)いません。
他者にどのように思われようとも構わないのです。
なぜなら、これは、あなたの人生だからです。
結果など気にしなくても良いのです。
どうなるのか?誰にも分からないのです。
何が成功であるのか?誰にも分かりません。
何が幸福であるのか?誰にも分からないことなのです。
夢中になれることが大切なのです。
あなたには、一生懸命に打ち込めることがあります。
すべての人に、やりたいことがあるのです。
それが無いというのであれば、ただ見付かっていないだけです。
この世界には、目的も無く生まれる者はいません。
この世界には、無意味に生まれる者はいないのです。
すべての人が、目的を以て生まれます。
そして、すべての人が、何らかの役割を担(にな)っているのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
あなたには、夢中になれることがあります。
一生懸命に打ち込めることがあるのです。
それを探しましょう。
見付かるかどうかなど気にしてはなりません。
結果を期待せずに探すのです。
そうすれば、必ず見付かります。