この世界は、歪んでいます。
それは、あなたが歪んでいるからです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟であるが故(ゆえ)に無知であるのです。
無知は偏見(へんけん)を生じさせます。
偏見は誤解を導くのです。
人は、世界を自分自身を通じて認識します。
世界は、自分自身を通じて認識しなければならないのです。
世界がどのような形をしていたとしても、それは認識によって変換されるのです。
あなたは、自分自身が知覚する世界を受け取らなければならないのです。
あなたにとっての世界とは、自分自身の知覚です。
それ以外の世界は存在しないのです。
この世界がどれだけ広大であったとしても、あなたは自分自身の知覚を抜け出すことは出来ません。
すべての人は、自分自身の知覚を生きなければならないのです。
知覚とは、あなたの認識することの出来る範囲です。
あなたの認識は、知性によって照らし出されます。
暗闇を認識することは出来ません。
無知では何かを認識することは出来ないのです。
大切なのは、知性を磨くことです。
あなたは、知性によって認識することが出来るのです。
知性とは、知識と経験によって築かれる感性のことです。
人は、知識と経験を通じて、知性を磨くことが出来るのです。
知性に乏しい状態というのは、水が濁(にご)っているようなものです。
濁水(だくすい)の中では、何も認識することは出来ません。
そして、濁水を飲料として用いることは出来ません。
濁水を飲めば、腹を痛めてしまうのです。
残念ながら、多くの人は無知を生きています。
多くの人は偏見を抱え、誤解を生きているのです。
それは、暗闇の中で濁水を飲むような生活です。
多くの人に対して、真実は隠されています。
それは、認識が歪んでいるために、真実を知覚することが出来ないのです。
多くの人は、見ても見えず、取り入れても痛めるのです。
多くの人は、苦悩を生きなければなりません。
それは、本質を捉(とら)えることが出来ないからです。
残念ながら、あなたの世界に対する認識は歪んでいます。
あなたの飲んでいる水は濁っているのです。
喉(のど)が渇(かわ)いたからといって、濁水を飲んではなりません。
濁水を飲めば、腹を痛めてしまうのです。
濁水を飲むためには、濾過(ろか)しなければなりません。
濁水を濾過するために必要なのは、知識と経験、そして、感性と知性なのです。
知性によって濾過しなければ、何を飲んでも腹を痛めます。
知性が乏しければ、何をしても苦悩を実現するのです。
あなたは、傲慢(ごうまん)に生きてはなりません。
自分が正しいと思い込んだり、欲求に負けて濁水を飲み込んではならないのです。
濾過には時間が掛かります。
濁水がすぐに清まることはないのです。
濾過を通じて、少しずつ清まるのです。
濾過された清水(せいすい)は、容易(ようい)には溜まりません。
欲求に負けて、濁水を飲んではならないのです。
良いものは、容易には手に入りません。
あなたが手にするものは、残念ながら悪いものなのです。
この世界をそのまま取り入れてはなりません。
知性によって濾過しなければなりません。
腹を痛めることは簡単ですが、それを治すのは難しいのです。
良いものは簡単には手に入りません。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
都合の良いことを安易(あんい)に信用してはならないのです。
あなたの認識は歪んでいるのです。
自分にとって都合の良いことばかりを追い求めていれば、本質を得ることは出来ないでしょう。
都合の良いことが、最善であるとは限りません。
自分にとって都合の悪いことであっても、それが最善であるということもあるのです。
重要なのは、あなたの認識が歪んでいるということです。
自分自身を安易に信用してはなりません。
喉が渇いたからといって、安易に濁水を飲んではなりません。
喉が渇いたとしても、濾過された清水が溜まるまでは我慢しましょう。
それは、あなたにとって都合の悪いことかも知れませんが、腹には優しいのです。
都合の良いことで腹を痛めるよりも、都合の悪いことで腹に優しい方が良いということを理解しなければなりません。
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