すべての人は、苦しみと共に生きています。
すべての人は、苦しみと共に生きなければなりません。
人生において、苦しみを避けることの出来る人はいません。
誰もが、苦しまなければならないのです。
人生が苦しいのは、すべての人が未熟に生まれるからです。
未熟であるのは、無知であるからです。
すべての人が無知を生きています。
無知は、偏見(へんけん)を生み出します。
偏見は、物事を限定的にしか捉(とら)えることが出来ません。
それは、やがて誤解となるのです。
誤解とは、歪(ゆが)んだ認識です。
すべての人は、目の前の状況を歪んで認識しているのです。
認識が間違っていれば、人生の意図を理解することが出来ません。
人生の意図を理解するためには、認識を改める必要があるのです。
正しく認識しなければ、人は間違った選択をしなければなりません。
間違った選択とは、人生の目的に反する選択のことなのです。
すべての人が、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人が、人生に果たすべき目的を以て生まれるのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
それは、それぞれに異なり、独特な形をしているのです。
そのため、誰かの真似をしても果たすことは出来ません。
誰かに聞いても教えてはもらえないのです。
人生の目的は、自分自身で見付けるしかありません。
あなたは、自分自身の力によって、それを知らなければならないのです。
認識が歪んでいるのであれば、人生の目的を知ることは出来ません。
人生は、常にあなたに対して人生の目的を投げ掛けています。
しかしながら、あなたには、そのことが分からないのです。
残念ながら、多くの人は、人生の目的よりも、個人的な快楽や欲望や苦悩を優先してしまうのです。
多くの人が、目の前の快楽や欲望や苦悩を貪(むさぼ)るように生きているのです。
不安や心配、不満や恨(うら)みを抱えて生きるのも同じことです。
多くの人は、人生の目的を見失い、間違った道を進んでいるのです。
人生において、苦しみは避けられません。
すべての人生において、苦しみとは自然のことです。
あなたが苦しむのは自然のことなのです。
そのため、それが悪いということはありません。
苦しむこと自体を問題視する必要はないのです。
しかしながら、それは間違った方向性なのです。
人は、人生の目的から離れる程に苦しみを味わうようになっているのです。
あなたが苦しんでいるのは、人生の目的を生きてはいないからです。
人生の目的を生きれば、そこに苦しみは存在しません。
苦しみを手放すためには、人生の目的に目覚めなければならないのです。
”溺れる者は藁(わら)をも掴む”という言葉があります。
それは、苦しみの中にいる時、人は、普段頼りにしていないものまでも頼りにするということです。
溺れていなければ、藁を掴んで岸に上がろうなどとは思いません。
なぜなら、藁では自分の体重を支えられないと思っているからです。
多くの人は、もっと丈夫なものを探してそれを掴むのです。
多くの人は、物質的に生きています。
多くの人は、救いを物質の中に求めるのです。
藁とは、人生のことです。
多くの人は、人生に反発します。
多くの人は、人生が気に食わず、それに反抗するのです。
多くの人は、人生を信用していません。
人生の提案(ていあん)よりも、自分自身の愚(おろ)かさを信用しているのです。
その結果が苦しみなのです。
しかしながら、そのことには気が付きません。
人生が苦しいのは、誰かや何かのせいだと思い込んでいるのです。
多くの人は、苦しみの中にあっても、自分が正しいとさえ思っているのです。
あなたには、人生の目的が分かりません。
あなたは、自分が何のために生まれたのか?何のために生きているのか?ということを知らないのです。
何も知らないのに、正しい訳がありません。
自分の愚かさを信じた結果、苦しんでいるのです。
自分という存在は、信用する価値がありません。
なぜなら、未熟であるからです。
あなたが信用すべきは、”藁”なのです。
人生の提案は、未熟なあなたにとっては都合の悪いものです。
しかしながら、それは、あなたにとっての最善です。
苦しんでいる者は、人生の提案を受け入れなければなりません。
それ以外に、苦しみを手放す方法は存在しないのです。
人生の提案は、あなたにとっては都合の悪いものです。
しかしながら、それは、あなたがその価値を理解していないからに過ぎません。
親は、子どもに良いものを与えようとします。
しかしながら、子どもにはその価値が分かりません。
そこで、子どもは自らの欲望を優先し、親の善意を拒否(きょひ)するのです。
そして、子どもは、後に自らの愚かさに悔(く)いることになるのです。
子どもが親が与えようとした良いものに気が付くのは、自身が親になった時です。
それまでは、気が付かないのです。
人生について考えようとしない者が、人生の意図に気が付くことはありません。
あなたは、自分が人生において何をしているのか?何をしなければならないのか?と考えましょう。
溺れなければ、藁の価値に気が付かないようではならないのです。
悔いる前に、人生の目的に気が付きましょう。
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