人には、それぞれに使命が与えられています。
人には、果たさなければならない使命があるのです。
それは、どのような理由があるとしても、果たさなければならないことです。
人生において、使命を無視することは出来ないのです。
それぞれの使命とは、人生の目的を果たすための"鍵"のことです。
人生の目的とは、あなたが開かなければならない扉なのです。
その扉を開かない限り、人は、天の国に入ることが出来ないのです。
人生の目的を果たすことがなければ、人は、荒地を彷徨(さまよ)わなければなりません。
そこでは、飲み物が不足し、住む場所もありません。
荒地を彷徨うことによって、あなたの喉(のど)は渇(かわ)き、腹は飢(う)えるのです。
扉を開けて天の国に入らなければ、あなたの渇きと飢えが満たされることはありません。
あなたが満たされるためには、自らの使命を果たす以外には方法がないのです。
荒地とは、人生のことです。
すべての人は、荒地を彷徨っているのです。
すべての人は、人生において渇いています。
そして、すべての人は、人生において飢えているのです。
人生において、渇きと飢えを知らない人はいません。
人生においては、すべての人が渇きと飢えを得なければならないのです。
しかしながら、多くの人は、その渇きと飢えに気が付いていません。
多くの人は、人生が良いものだと思い込んでいるのです。
本当は渇き、飢えているのに、それを理解してはいないのです。
どれだけ飲んでも渇きます。
どれだけ食べても飢えるのです。
それは、渇き、飢えているということなのです。
渇く前に飲み、飢える前に食べているために、満たされていると錯覚(さっかく)を起こしているに過ぎません。
しかしながら、そのことには気が付かないのです。
与えられた使命を果たす以外のどのような方法を用いても、人生における渇きと飢えを離れることは出来ません。
荒地に種を蒔(ま)いても、水分が無いために芽が出ません。
そこで、桶(おけ)に水を汲(く)んできて撒(ま)くと、種は発芽します。
しかしながら、芽が育つためには、安定した水分が必要です。
しかしながら、人が桶で水を運び続けることは出来ません。
それは、一生涯続く仕事だからです。
始めの頃は懸命に行っていた水遣(みずや)りも、徐々に疎(おろそ)かになってしまいます。
多くの人の忍耐(にんたい)は、長くは続かないものなのです。
そこで、井戸を掘ります。
しかしながら、水は出ません。
何度も掘って漸(ようや)く掘り当てた水も、すぐに枯渇(こかつ)してしまうのです。
そこで、水路を引きますが、それでも同じことなのです。
残念ながら、人生において満たされることは出来ません。
荒地において潤(うるお)いは、すぐに渇いてしまうのです。
荒地を彷徨っているのであれば、渇きは避けられません。
あなたが満たされるためには、天の国へと向かわなければならないのです。
あなたには、使命が与えられています。
それは、人それぞれに異なる形をしています。
人は、それぞれに異なる使命を果たさなければならないのです。
果たすべき使命は、人生が教えてくれます。
他者は、あなたの果たすべき使命を知りません。
どのような人物に尋(たず)ねても、あなたの使命を教えてはくれないのです。
人生の導きに従(したが)って歩めば、自分の使命を知ることが出来ます。
しかしながら、人生に逆らえば、それを知ることは出来ません。
あなたは、人生を信用しましょう。
どのような状況にも、意図があるのです。
それを理解しましょう。
そうすれば、使命を知ることが出来るのです。
使命を知ることが出来れば、それを果たすだけです。
結果のことは気にする必要はありません。
報酬(ほうしゅう)のために働いてはならないのです。
結果はどうなるか誰にも分かりません。
やるべきことをしたら、後は結果を待つしかないのです。
そして、それがどのような結果であろうとも、受け入れなければなりません。
結果は、人生に任せておきましょう。
使命を果たし、人生の目的を果たしましょう。
この世の煩(わずら)いに捕らわれてはなりません。
あなたはそれを手放しましょう。
荒地を抜けて、天の国へと辿り着かなければなりません。
0 件のコメント:
コメントを投稿