すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人には、果たさなければならない目的が与えられているのです。
人生に、目的もなく生まれる者はいません。
すべての人は、目的を果たすために生まれたのです。
あなたには、果たさなければならない目的があります。
しかしながら、それを果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人生の目的を果たすのは、人生を終える時だからです。
人生の終焉(しゅうえん)まで、人生の目的を果たせるかどうか?ということは分かりません。
人生を終えていないのに、どうして人生の目的を果たしたということが分かるのでしょうか?
人生を終えるまでは、人生の目的を果たしたかどうか?ということは分からないのです。
大切なのは、人生は”長距離走”であるということを理解することです。
人生は、”短距離走”ではありません。
人生の途中で目的を果たすことなど出来ないのです。
人生の途中で人生の目的を果たしてしまえば、残りの人生は何のために存在するのでしょうか?
人生は、無意味な時間ではないのです。
すべての人生には、意味が存在するのです。
人生は、始まりから終わりまで、すべての瞬間に意味があるということを理解しましょう。
人生の目的を、人生の途中で達成することは出来ないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
人生の目的や意味を見出したつもりで生きてはなりません。
何かを知ったつもりで生きてはならないのです。
残念ながら、あなたは何も知りません。
あなたは、人生の終わりまで、何も知ることは出来ないのです。
あなたには、人生の目的を果たしたかどうか?ということさえ知ることは出来ないでしょう。
なぜなら、人生の目的を果たしたかどうか?ということは、死後に分かることだからです。
残念ながら、人生の目的を果たしたかどうか?ということは、死後にしか分かりません。
長距離走を完走したかどうか?は、それを完走した後にしか分からないものなのです。
道の途中で、完走したかどうか?を知ることは出来ません。
それと同じように、人生の目的を果たしたかどうか?ということは、人生を終えた後にしか分からないのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれました。
あなたは、人生の目的を果たすために生きているのです。
それは、死後のために生きているということなのです。
多くの人は、生前のために生きています。
多くの人は、豊かな暮らしのために生きているのです。
豊かな暮らしは良いものです。
しかしながら、人生の目的という観点で見れば限定的なものです。
人生の目的は、必ずしも豊かに暮らすことではありません。
乏しく暮らすことが、人生の目的の場合もあるのです。
人生には、様々な可能性を考慮(こうりょ)しなければなりません。
自分達の思い付くことだけが正しい訳ではないのです。
自分にとって都合の良いことが人生の目的であるということはありません。
自分にとって都合の悪いことが、人生の目的であるということもあるのです。
残念ながら、あなたには、人生の目的が分かりません。
人生の目的が何かを知らずに、どうして現状の都合で人生を考えるのでしょうか?
そのような判断は、何の役にも立ちません。
すべての人は未熟に生まれます。
すべての人は、不安定な状態を生きているのです。
都合など、すぐに変わってしまいます。
今まで都合良かったものが、次の瞬間には都合の悪いものへと変わってしまうのです。
都合に振り回されてはなりません。
大切なのは、人生の目的が分からないということなのです。
人生は”長距離走”です。
人生を終えるまでは、何が正しいのか?分かりません。
道の途中に成果を求めてはなりません。
成果は、死後に生まれるのです。
人生は、死に行き着くまで終わらないのです。
あなたは、人生の成果を死後に楽しみましょう。
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