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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2020年1月14日火曜日

感情を往なす

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生に目的を果たさなければなりません。
すべての人は、目的を果たすために生まれたのです。
人生は、目的を果たすための場所なのです。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
誰にとっても、人生の目的を果たすことは難しいのです。
それは、すべての人が未熟に生まれるからです。
誰一人として、未熟を避けることは出来ません。
未熟を避けることが出来るのであれば、人生に生まれる必要はないのです。
未熟であるからこそ、人は目的を果たすことが出来るのです。
完全であれば、果たすべき目的など存在しないのです。
未熟であるということは、無知であるということです。
無知であれば、人生の目的を知らずに生きなければならないのです。
誰もが、人生の目的を知りません。
そのため、すべての人は、人生の目的を探さなければならないのです。
あなたは、人生の目的を探すことから始めなければなりません。
あなたは、人生の目的を探しましょう。
それは、人生を生きる上でとても大切なことなのです。
人生の目的を果たすこと以上に大切なことはありません。
あなたは、どのような理由があろうとも、人生の目的を果たさなければならないのです。
そのために、先ずは人生の目的を探しましょう。
人生の目的は、すべての状況に存在しています。
それは、あなたの意思に関係なく、すべての状況が人生の目的を果たすためのものなのです。
あなたは、常に人生の目的を果たすための状況を生きているのです。
重要なのは、それを果たすために見出すことなのです。
探さなければ見付かりません。
それが、目の前に存在しても、探さなければ分からないのです。
あなたは、探さなければなりません。
残念ながら、多くの人は人生の目的を探しません。
多くの人は、人生の目的を探す前に、感情に飲み込まれてしまうのです。
人生の目的を探すためには、冷静でなければなりません。
感情に飲み込まれてしまえば、人生の目的を探す場合ではなくなってしまうのです。
感情に飲み込まれてしまえば、感情に翻弄(ほんろう)されてしまいます。
感情に翻弄されてしまえば、感情に溺(おぼ)れてしまうのです。
感情に溺れてしまえば、人生の目的を探すという考えをとどめておくことは出来ないのです。
残念ながら、多くの人は、感情に溺れてしまいます。
多くの人は、冷静に生きることが出来ないのです。
例えば、不満に飲まれてしまいます。
人生というものは、思い通りにならないものです。
それが自然なのです。
思い通りになる人生というものは有り得ないのです。
多くの人にとって、人生というものは自分にとって都合の悪いものです。
人生が自分にとって都合が悪いのは、自分が未熟であるからなのです。
それ以外の理由はありません。
多くの人は、未熟であるが故(ゆえ)に、目の前の状況を受け入れることが出来ないのです。
そして、多くの人は、不満に飲まれてしまいます。
自分にとって都合の悪い状況に腹を立て、安易(あんい)に反発するのです。
そして、それを正義だと思い込んでいるのです。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいます。
そして、自分以外が間違っていると思い込んでいるのです。
誰が正しいだとか、誰が間違っているなどということには価値がありません。
誰が正しく、誰が間違っていても構わないのです。
そのような議論に価値はありません。
大切なのは、目の前の状況に対して、自分がどのように行動したのか?ということです。
不満に飲まれて安易に反発してはなりません。
なぜなら、反発すれば、それだけで学ぶ機会を失うことになるからです。
反発は、傲慢(ごうまん)による支配です。
反発によって、心の中から謙虚(けんきょ)さを失わせます。
謙虚でなければ、学ぶことは出来ません。
反発している状態では、何も学ぶことは出来ないのです。
あなたは、感情を往(い)なさなければなりません。
感情を往なさなければ、学びを得ることは出来ないのです。
感情に溺れてはなりません。
あなたは、自分が未熟であり、学ぶ必要があることを理解しましょう。
理不尽(りふじん)に思えることに対して、安易に反発してはなりません。
それを理不尽に思うのは、自分が未熟であるからと疑わなければならないのです。
どのように考えても、理不尽という結論にしか至らないとしても、自分が未熟であるという事実を見失ってはなりません。
あなたには、果たすべき目的が存在しています。
人生の目的を知るために、目の前の状況を学びましょう。
感情に飲まれてはなりません。
冷静を保ちましょう。

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