すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人には、それぞれに異なる目的が与えられています。
誰一人として、同じ目的のために生まれることはありません。
あなたには、あなただけの目的が存在するのです。
人は、自分の人生の目的を果たさなければなりません。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
残念ながら、大抵の人は、人生の目的を見失っています。
大抵の人は、人生において、自分が何をするべきなのか?分からないのです。
そのため、大抵の人が迷いの中に生きています。
大抵の人が、暗闇の中を手探りで生きているのです。
あなたは、人生において、自分が何をするべきなのか?分かりますか?
大抵の場合、この問いに答えることが出来ないでしょう。
答えたとしても、その答えはやがて変わってしまいます。
答えが変わるということは、答えを知らないということなのです。
残念ながら、あなたには、人生の目的が分からないでしょう。
それは、仕方のないことです。
大抵の人が分からないのです。
あなただけが知らなければならないということではありません。
人生の目的への理解は、人生を終えるまでに実現すれば良いのです。
しかしながら、大抵の人が、人生を終えるまで人生の目的を理解することは出来ません。
人生を終えた後に、漸(ようや)く、人生の目的に気が付くのです。
そのため、現状のあなたには、人生の目的が分からなくて当然なのです。
それを悩む必要はありません。
しかしながら、あなたは人生の目的を探し続けなければなりません。
人生の目的を探すことを休んではなりません。
あなたは、どのような状況においても、人生の目的を探し続ける必要があるのです。
仕事は休んでも構いません。
遊びも休んで構いません。
なぜなら、それ等は人生の目的ではないからです。
しかしながら、人生の目的を探すことは、休む訳にはいかないのです。
何をしている時にも、そこに人生の目的を探しましょう。
それを休んではなりません。
人生の目的を探し続けていると、人生の目的を果たすためには、役割が必要であることが分かってきます。
そして、役割は、人生の目的と同じで、人それぞれに異なることも理解するのです。
あなたには、あなただけの役割が与えられているのです。
あなたは、それを果たさなければなりません。
しかしながら、多くの人は、役割を混同して考えてしまいます。
多くの人が、誰かのように生きようとするのがその証です。
多くの人は、誰かのことを羨(うらや)みます。
多くの人は、自分ではない他者とその人生に憧(あこが)れるのです。
そして、自分も同じように成りたいと考え、その生き方を真似ようとするのです。
同じようにすれば、自分も憧れの誰かのように成れると考えるのです。
誰かの真似をすれば、誰かに近付くことは出来るでしょう。
しかしながら、誰かに近付いた分、自分からは遠ざかってしまいます。
あなたが目指すべきは、自分なのです。
大切なのは、自分に成るために、誰かを参考にすることです。
真似が悪いということではありません。
動機が不純であってはならないということなのです。
あなたは、自分の人生の目的を果たすために生まれたのです。
誰かのように成るためには生まれていないのです。
人は、それぞれに役割を担(にな)っていますが、それを果たすためには、それぞれの課題を解決しなければなりません。
人には、それぞれに解決しなければならない課題が与えられます。
それは、大抵の場合、問題という形で導かれるのです。
人は、それぞれに問題を抱えているのです。
誰かのように成ろうと考えている多くの人は、自分ではない誰かの課題や、そこに生じる感情に共感します。
そして、それに従(したが)うのです。
それは決して、自分の課題や感情ではありません。
それは、あなたが解決すべきものではないのです。
そのことを理解しておかなければなりません。
多くの人は、必要なことを不要とし、不要なことを必要とします。
それが、不自然を生み、違和感となるのです。
それは、空しさであり、乏しさであるということを理解しましょう。
多くの人は、自分ではない誰かの課題に苦しんでいます。
そのことに気が付きましょう。
あなたが解決しなければならないのは、自分の課題です。
そして、果たさなければならないのは、自分の役割であり、自分の目的であり、自分の人生なのです。
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