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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2012年9月30日日曜日

努力の賜物

あなたは努力をしなければなりません。
すべては努力の賜物(たまもの)であるということを忘れてはならないでしょう。
そこに努力がなければ、成果を受け取ることはできません。
どのような成果も、努力によってのみ導かれるということを理解しなければならないのです。
努力なしにはどのような成果も受け取ることはできません。
どのような努力も決して無駄にはなりません。
すべての原因はすべからく結果へと結び付くからです。
しかしながら、すべての努力が直接的な結果として成果を導くとは限りません。
あなたの努力は全方位的に広がり、成果として導き出しやすいものを状況に表現するのです。
あなたの努力が導き出す結果は、あなたの求めるものと同じものだとは限らないということです。
そのことも踏まえて状況を見極めるのであれば、あなたは人生に落胆することはなく、一層の努力を楽しむことができるようになるのです。
あなたが努力を積み重ねることを楽しむことができるのであれば、状況に対して様々な方向からの成果が集い、それはとても豊かな場所になるのです。
努力があなたを裏切るということは有り得ないことです。
努力が実らないと思うのであれば、それはあなたには目の前の状況が見えていないということでしょう。
それに加えて、努力が決定的に足りないのです。
努力が実らないと思う人物は、自分自身では努力をしているつもりではあれど、すべからく努力が足りてはいません。
本当に努力を積み重ねている人物は、その努力が状況に繁栄されていることを実感することができるので、その実感が無いというのは努力不足の何ものでもないのです。
己に対して甘えが残る者は、何かに付けて不満を抱え込みます。
不満を抱える者は総じて努力が足りないのです。
あなたは人生(状況)をどのように感じますか?
それが充実していると感じるのであれば、努力が足りているでしょう。
その調子で努力を積み重ねれば良いでしょう。
人生(状況)に不満を感じているのであれば、甘えを捨て去り更なる努力を積み重ねなければなりません。
努力こそが豊かな人生(状況)を築きます。
人は努力無しには幸せにはなれないということを理解しなければなりません。
努力こそがものを言います。
努力していない者は豊かさを手にする権利はありません。
あなたができる精一杯の努力が必要です。
できないことや無理なことなど必要ないのです。
誰かと比べる必要もありません。
自分自身の精一杯が重要なのです。
甘えてはなりません。
誰も助けてなどくれません。
皆、自分のことで手一杯です。
あなたが豊かな人生(状況)を望むのであれば、自分なりに精一杯の努力をしましょう。
それ以外に方法などありません。

2012年9月29日土曜日

えにし

人と人との間には、縁(えにし)が存在しています。
縁が人と人とを結び付けるのです。
人と人との間に縁が存在しなければ、そこに結び付きはなく、互いに協力して何かを生み出すことはできません。
縁は目には映りませんが、それがそこにあるからこそ、人と人とは結び付き、協力して何かを生み出すことができるのです。
縁は目には映りませんが、人生においてとても大切なものであるということを理解しなければならないでしょう。
縁とは自らの力によって築いていくものです。
縁は自らの意思によって築かれます。
例えば、あなたが何かを志し、それを始めようとします。
その志はあなたの目標となり、意思はそれを実現させようと努めるでしょう。
縁は、そのような目標に向かって突き進む意思によって築かれるのです。
あなたが目標に向かって突き進む意思を持てば、そこには縁が築かれます。
あなたが目標に向かう意思を持たなければ、そこに縁は築かれないのです。
人生とは、あなたが築かなければなりません。
あなたが人生の主人公です。
あなたが動かなければ人生は動きません。
あなたが部屋の中に閉じこもっているのに、そこにどうやって縁が生まれるというのでしょうか?
あなたが部屋を抜け出して、目的地に向かう時には人に道を尋ねるかもしれません。
一緒の目的地に向かう人に出会い、一緒に歩むかもしれません。
歩き疲れて休憩し、水を馳走になる人もいるかもしれません。
目的地に辿り着き、一緒に喜びを分かつ人がいるかもしれません。
あなたが部屋を抜け出して目的地に向かうだけで、どれだけの縁が生まれるでしょう?
あなたが目標に向かって突き進む意思を持つ時、そこには必ず必要な縁が生み出されるのです。
縁を求めるのであれば、志や目標を持たなければなりません。
そして、その目標を実現させるために突き進む意思を持たなければならないのです。
何もしない者が手にすることのできる縁などありはしません。
人と人との結び付きが、状況を豊かなものにします。
そして、人生を充実させるのです。
縁は必要を満たします。
無駄に人と人とを結び付けることはありません。
あなたが志した目的地に向かって歩む過程において生み出される縁がどのようなものであろうとも、それはあなたが目的地に辿り着くためには必要な縁であるということを理解しなければなりません。
縁に良いも悪いもありません。
縁は総じてあなたの役に立つものなのです。
あなたはどのような縁も決して無駄にしてはなりません。
どのような人との結び付きも、それを生かせば力となります。
どのようなことも、うわべを舐めただけで判断してはなりません。
必要だからこそ結び付き、必要だからこそ縁が生まれるのです。
その人との縁を生かすも殺すもあなた次第です。
どのような心持ちで向き合うのか?
確認しておかなければならないでしょう。

2012年9月28日金曜日

心の交流

あなたは人と関わらなければなりません。
人との関わりがあなたを豊かさへと導くのです。
それは、人という存在の本質は心(意識)にあり、その心が豊かになるほどに状況と人生は豊かさを得ることができるからです。
あなたの心が豊かさを得るためには、心を動かす必要があります。
心は動くほど豊かさを得ることができるのです。
自らの努力によって自らの心はある程度動かすことができます。
しかしながら、どのように努力をしても自力では動かすことのできない部分が、心の中には存在しているのです。
自力で動かすことのできない部分は、自分以外の誰かの力によって動かしてもらう以外に方法はありません。
自力では動かすことができない心の一部は、あなたが心と人生を豊かなものにするためにはどうしても動かす必要のある部分です。
あなたが自らの心と人生を豊かなものにするためには、どうしても自分以外の誰かの助けが必要になるのです。
自分以外の誰かの力(協力)がなければ、人は豊かさを得ることができません。
人は独りでは幸福にはなれないのです。
人は人と繋がり、互いに協力することでしか幸せにはなれないということを理解しなければならないでしょう。
あなたは人との交流を持たなければなりません。
人との交流を疎かにしてはなりません。
人との交流を恐れる必要はありません。
人と交流する度に、相手によってあなたの心は刺激を受け、動かされることでしょう。
それはあなたの力では動かすことのできない部分であるため、自分では予想もしなかった心境の変化を受け取ることもできるかもしれません。
その変化はあなたの思想や価値観や生き方に対して大きな変化をもたらすことにもなるでしょう。
その結果、人生は予想だにしない展開を見せることもあるのです。
人との交流から生み出されるものは、自力では生み出すことのできない影響力です。
独りではできないことが、二人だと可能であるのと同じように、人との交流があなたの可能性を拡張してくれるのです。
人と交流しましょう。
そして、心を通わせなければなりません。
互いに自力では動かすことのできない心の部分を刺激し合いましょう。
人との間に生み出されるものは、予想もつかない影響力であるということを忘れてはならないでしょう。

2012年9月27日木曜日

誰といるか?

人は独りでは生きてはいけません。
人は独りの力では人生を築くことはできないのです。
あなたが人生を築くためには、自分以外の誰かの支えが必要です。
自分以外の誰かの協力がなければ人生を築くことはできないのです。
人は人と協力し、支え合うことによって人生を築き、生きていくことができるのです。
あなたが自らの人生を理想に向けて築いていくためには、それを支えてくれる「人」の存在が欠かせないのです。
あなたにとって、「人」というものがどれほど重要であるのか?ということに気が付かなければなりません。
すべての人は絆を所有しています。
人と人は絆という繋がりを持って一つのグループ(人間関係)を形成するのです。
そのグループというものは、あなたにとってとても重要な役割を持っています。
そのグループによってあなたの人格、価値観、活力、夢、仕事、思想…
そして、人生までもが影響を受け、変わっていくでしょう。
あなたが関わる(繋がる)人たちが、あなたの今を支えています。
あなたの周りにはどのような人物がいますか?
どのような繋がりを持っているでしょう?
支えとなる人によって人生は大きく変わります。
どのような人物と絆によって繋がるのか?
あなたにとって、それはとても重要なことなのです。
人を選ぶ訳ではありません。
あなたは、その人物の持つ思想を見極めなければなりません。
その人物が持つ思想を選ばなければならないのです。
あなたの理想を支えるのに適している人物もいれば、そうではない人物もいます。
残念ながら、どのような人物と交流を持つのか?ということは選ばなければならないのです。
どのような思想を持つ人物とグループを形成するのかによって、あなたの理想が人生にどのように繁栄されるのかが決まるのです。
理想を人生に対して実現させるためには、残念ながら、交流を絶たなければならない人物もいることでしょう。
しかしながら、それは仕方のないことです。
互いに利益を生み出そうとしない関係に依存してはなりません。
惰性(だせい)や同情でグループを築いてはなりません。
状況が変わればグループも変わります。
価値観や理想が変わればグループが変わるのは当たり前のことなのです。
あなたは互いに利益を生み出せる関係を築かなければなりません。
支え合える関係こそがあなたを救うでしょう。
誰と一緒にいるか?
それはとても重要なことなのです。

2012年9月26日水曜日

尽くす

あなたは尽くすために生まれて来ました。
あなたは尽くすために存在しています。
あなたが生きる意味を知りたいと思うのであれば、尽くすことをしなければなりません。
尽くすことをしなければ生きる意味を知ることなどできないのです。
何事も、その理由を知るためには表面を舐めるだけでは分かりません。
見た目を眺めるだけでその真髄を理解することができれば簡単ですが、そうもいきません。
すべての理由、すべての意味、すべての本質、すべての真髄はその深部にこそ存在しているということを理解しなければなりません。
どのようなことも、その深くに向かうことがなければ理解など得られません。
うわべを舐めて分かった気でいてはなりません。
本当に大切なことは簡単には手に入らないのです。
苦労を掻き分けて深さを知る者でなければ、物事の真髄には辿り着くことはできず、その意味を理解することなどできないのです。
あなたがその意味を知りたいと思うのであれば、苦労を掻き分けて深さを知る必要があるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは尽くさなければなりません。
尽くすことこそ、あなたが深さを知る唯一の方法です。
尽くすことのない者には深さは理解できません。
しかしながら、何事においても尽くすことは簡単ではありません。
尽くすことは辛いことです。
そこには必ず苦労があるのです。
しかしながら、あなたは尽くさなければなりません。
目の前の人に尽くさなければなりません。
目の前の仕事に尽くさなければなりません。
目の前の全体(集団や社会)に尽くさなければなりません。
そして何より、自分自身に尽くさなければなりません。
力を尽くさなければならないのです。
何事においても力を尽くすことのない者は、うわべを舐めるだけで物事の真髄を理解することはできません。
物事の真髄を理解することができなければ、ルールを知らないのと同じです。
ルールを知らない者が勝てるゲームなど存在しないのです。
あなたが豊かさを必要とするのであれば、力を尽くさなければなりません。
楽をしたいなどと考えてはなりません。
自分だけ利益を貪(むらぼ)ろうなどと考えてはなりません。
あなたは尽くさなければなりません。
間違えてはなりません。
尽くすということは、貢献するということです。
貢献していれば、あなたが必要とする意味や理由を知ることもできるでしょう。
尽くすことの重要性を理解しなければなりません。
そして、その行為があなたにもたらす結果を理解しなければならないでしょう。

2012年9月25日火曜日

価値ある者

どこにいてもあなたは「あなた」でしかありません。
場所があなたの価値を決めることはありません。
あなたが本当の価値を持っているのであれば、どこであろうとも最高の価値を生み出すことができるのです。
場所が悪いという者に本当の価値はありません。
本当に価値のあるものであるのならば、場所など選びません。
その価値を必要とする人なら、どこであろうとその価値を求めて足を運ぶことでしょう。
どのように好条件な場所に恵まれたとしても、価値のないものはその場所を維持することはできないのです。
大切なのは、自分がどのような価値を持ち、如何に価値を生み出すのか?ということなのです。
場所があなたの価値を決めることはありません。
あなたの価値はあなたが自ら決めることなのです。
価値とは、役立つもののことです。
役立つものとは力のあるものです。
どのようなものでも力のあるものに価値があるのです。
価値を持つためには力を身に付けなければなりません。
あなたが力を身に付けるためには、力を身に付けるために必要な目標を一つひとつ達成していく必要があるのです。
自らの掲げた目標を達成していくことこそが、力を身に付けることに繋がります。
力を身に付けることが価値を高めることに繋がるのです。
目標を達成するために難しいことは必要ではありません。
どのような目標を達成するにも、単純作業の繰り返しであることを覚えておかなければならないでしょう。
ダイエットしたければ、必要以上に食べなければ良いのです。
試験に合格したければ、勉強すれば良いのです。
目標を達成することに難しいことをしなければならないと考える人は、それを達成することは先ずできないでしょう。
小さなことや単純作業の繰り返しこそが目標の達成に繋がっているということを理解しなければなりません。
しかしながら、そこには努力と忍耐とちょっとした想像力が必要です。
それらを嫌う者が、価値のない理由を場所や何かや誰かのせいにするのです。
すべては自分がどうするのか?ということだけです。
やるか?ならないか?ただそれだけのことです。
本当の価値を身に付けた人物は、場所からはスタートしません。
場所とは選択肢の一つに過ぎないのです。
あなたはどこにいても「あなた」でしかありません。
あなたは「あなた」なのです。
あなたが場所を変えることはあれど、場所があなたを変えてはくれません。
自らの意思こそが、あなたを本当の価値へと導くことを覚えておかなければならないでしょう。



2012年9月24日月曜日

ナンセンス

すべてのことには意味があります。
あなたはそれを忘れてはなりません。
どのようなことがあろうとも、冷静にその意味を探らなければなりません。
意味を知ることであなたは大切なことを学び取ることができるでしょう。
物事の中に存在している意味を知ることができなければ、あなたは大切なことを学び取ることができずに可能性を失ってしまうでしょう。
人生における豊かさとは可能性です。
あなたが可能性を手にするためには、目の前の事象に対して意味を知る必要があるのです。
目の前の事象の意味を知ることで、あなたはそれを可能性として扱うことができるでしょう。
目の前の事象の意味を知ることができなければ、あなたはそこに不満や悲壮感を覚えてしまいます。
そのような感情があなたに可能性を導くことはないのです。
冷静さや建設的な思考の中で有事に対処しなければ、そこから可能性を引き出すことなどできないのです。
あなたは物事の中に存在している意味を探らなければなりません。
あなたの目の前の出来事には大抵の場合、人が関わっています。
誰かとの間に物事は進行していきます。
人と人が関われば、そこには衝突が起こるものです。
それぞれが違う正義、価値観、主義、思想、教育を所有しているのだから、互いにすれ違い、衝突し、対立することはある意味仕方のないことです。
しかしながら、その衝突を破滅的なものとして扱うのはナンセンスです。
あなたが誰かと衝突し、対立したとしても、その中に存在している意味を探る努力を怠ってはならないのです。
誰かを嫌うこと。
誰かを敵視すること。
誰かを恨むこと。
あなたはこれらの選択を避けなければなりません。
あなたは人を嫌ってはなりません。
人を敵視してはなりません。
人を恨んではなりません。
それらの行為(感情)は確実にあなたの心を蝕(むしば)み、やがて歪めてしまうでしょう。
あなたの人生を築くのはあなたの心に他なりません。
すべての判断はその心の中にこそ存在しているのです。
心が歪めば人生は必ず歪みます。
そこに可能性など存在しないのです。
誰かとの間に何があろうとも、あなたは決して相手を非難してはなりません。
不満や悲壮感を選択するのは、その時点において諦めです。
意味を探す人は不満や悲壮感の中になど結論を見出しはしないのです。
必ずその有事の中に可能性を見出すのです。
あなたは人を恨んではなりません。
そんな感情は何の役にも立ちません。
すべての原因は必ず結果へと繋がります。
あなたが正しければ相手は勝手(自然)に倒れるでしょう。
しかしながら、相手が正しければ責めを受けるのはあなたです。
思いやり、優しさ、感謝、礼儀。
これらから外れることがなければ大丈夫です。
人を恨むことで豊かさの可能性から外れてはなりません。
あなたはどのような状況においても感謝の気持ちを持たなければならないのです。


2012年9月23日日曜日

本人の選択

人生を選択するのは、その人生を生きている本人の仕事です。
本人以外に人生を選択する権利はありません。
また、あなたが人の人生を決めることはできません。
すべては本人が決めることなのです。
あなたは間違えてはなりません。
自分自身の人生は自分自身で決めなければなりません。
どのように生きて、どのような人物になるのかは、あなたが決めなければならないことなのです。
あなたがどのような状況や立場にあり、どのような人物であっても、自分自身の人生を決めるのは自分自身以外には有り得ないのです。
自分自身の選択が人生を築いていくことを理解しなければならないでしょう。
それは、あなた以外のすべての人物にも当てはまることです。
すべての人物が自分自身の人生を所有し、自分自身の選択によって自分自身の人生を築いていくのです。
あなたは人の人生を築いていくことはできません。
あなたができるのは相手に対する補佐だけです。
あなたが変わりに相手の人生を築いていくことなどできないのです。
口を出すことは叶いますが、手を出すことはできないのです。
相手の人生に対して、あなたは無力です。
相手を導くことなどできません。
相手を救い出すことなどできません。
相手の変わりになることなどできないのです。
あなたがどれほど尽力したとしても、相手の人生を決めるのはあなたではありません。
周りが何をしたとしても、決めるのは本人であるということなのです。
あなたは自分自身の人生を他人にとやかく言われたくはないでしょう。
増してや、干渉されることに不満を持つことでしょう。
あなた以外の人物もそのように考えています。
あなたには、人の人生を変える力などありません。
人にはそれぞれに学ばなければならないことがあり、それを追い掛けている人の人生を変えることなどできないのです。
あなたが誰かの人生を変えようとするのは滑稽(こっけい)です。
なぜなら、人の人生を変えることなど不可能だからです。
誰もが自分自身の力によって自分自身の人生を変える以外に方法はないのです。
しかしながら、あなたが相手を思う気持ちや行動は無駄ではありません。
少なくとも相手の中の選択肢の一つとして存在することができるでしょう。
しかしながら、決めるのは本人です。
あなたの気持ちが届かなくても、それはそれで構わないのです。
人は自分自身を、自分自身の力によって変えるしかありません。
そもそも、人を変えることなどできません。
それは、相手の決めることです。
すべては必要によって満たされます。
本人の選択こそが本人にとっては最善なのです。
何事も無理に力を加えれば歪んでしまいます。
人も同じです。
人生の選択肢は本人にのみ与えられているということを忘れてはならないでしょう。

2012年9月22日土曜日

相手の正義

自らの主張が通るほど、人間関係は容易いものではありません。
一人ひとりに主義があり、主張があります。
どのような人物であっても、その人独自の考えがあるのです。
思想を統一することなどできません。
それは、すべての人物が自由を求め、自分自身であることを望んでいるからです。
誰もが自分自身の思想を以って生きていくことを望んでいます。
誰もその欲求から逃れることはできません。
誰もが許されるのならば自分自身でありたいのです。
そのため、人は自分自身の主義や主張を持ち、その思想を大切にします。
そして、その思想が侵されることを嫌うのです。
あなたも、自らの考え方や生き方を否定された時に腹が立った経験があるでしょう。
誰もが自らの思想を侵されると不満を抱くものなのです。
自由な思想を抱くことは、人が人であるための最低限の条件です。
自らの信じるものを信じ、好きなものを好み、大切なものを守ることが、人を人として成り立たせます。
自らの信じるものを信じることもできず、好きなもの好むこともできず、大切なものを守ることもできなければ、人は人としての形を保つことはできないのです。
個性を守ることこそが、自らを守ることであるということを理解しなければならないでしょう。
自分自身を否定されるということは、自分自身が傷付けられるということです。
そのため、自らを否定された人は相手に対して不満を持ちます。
それを建設的に捉えることができる価値観を所有しているのならば、否定も力に変えることができるでしょうが、多くの人は否定を破滅的に捉えてしまいます。
否定を破滅的に捉えてしまった人はそこに不満を抱きますが、その度に心は閉ざされ、聞く耳は塞がれてしまいます。
それでは、互いの間の可能性を潰すことになってしまいます。
自分自身の可能性と相手の可能性の両方を潰してしまうのです。
互いの関係性がうまくいかなければ、そこに生み出されるであろう可能性や豊かさは得られません。
あなたは、どのような人物との関係性においても、より良いものを生み出せるように心掛けなければなりません。
自分勝手に自らの主義主張を押し付け、相手を否定するような真似をしてはなりません。
それぞれが抱えている主義主張はそれぞれの正義であり、悪ではないのです。
それぞれが正義だと思っているのだから、それを否定するのは考えものです。
人にはそれぞれに正しいと思っている主義があり、主張があります。
それは、その人にとっては正義以外の何ものでもありません。
互いの持っているものが正義であるのならば、それらを対立させるのは生産的ではないのです。
正義と正義が協力することができれば、より良い正義が生まれるのです。
あなたは安易に相手の主義や主張を否定してはなりません。
自分自身の主義や主張を押し付けてはなりません。
あなたの主張が通るほど人間関係というものは容易なものではありません。
相手の正義に譲歩する気持ちを持ちましょう。

2012年9月21日金曜日

人に認められる

どのような目的地に辿り着くためにも、そこへと辿り着くための条件が必要です。
条件が整わない者が辿り着くことのできる場所はありません。
すべては必要で満たされています。
どのような目的地にも、必要を満たすことができなければ辿り着くことはできないのです。
例えば、チケット代を準備することができなければ入場ことはできません。
運転免許を持っていなければ、自動車を運転することはできません。
例え、チケットを買わずに入場することが可能であり、運転技術に問題がなくても、法律(ルール)によって罰せられます。
ルールを破ることで目的地に辿り着くこともできるかもしれませんが、それは一時的なものに過ぎず、その後に大きな代償を支払わなければならなくなるのです。
どのような目的地に辿り着くためにも必要な条件を満たす必要があります。
それはとても地道であり、面倒なことだと感じるかもしれません。
どのような条件も一つひとつの段階を踏まなければならず、更には人に認められなければならないため、自分勝手にそれを満たすことはできないからです。
条件を満たすことは簡単なことではありません。
一つひとつの段階を踏み、必要を満していかなければなりません。
そこには勤勉が必要です。
そこには努力が必要です。
そして、何より忍耐が必要なのです。
勤勉と努力、そして、忍耐を持たない者が目的地に辿り着くための条件を満たすことはできません。
どのような目的地に辿り着いた人物も、勤勉と努力と忍耐を積み重ねたからこそ辿り着くことができたのです。
あなたは勤勉と努力と忍耐を以って、目的地に辿り着くために必要な条件を地道に満していかなければならないでしょう。
あなたがやったことが返ってきます。
あなたの選択と実行があなたの状況に反映されるのです。
勤勉と努力と忍耐を以って励(はげ)んだ者は、その条件を満たしていくことができるでしょう。
勤勉と努力と忍耐を重ねた者が必要な成果を上げるのは当たり前のことです。
勤勉も努力も忍耐も無しに、必要な成果を上げることができる者は存在しないのです。
あなたがどのように感じようとも、目的地に辿り着くことができた者は、そこに辿り着くための条件を満たすことができたということなのです。
あなたがその目的地に辿り着くためには、必要な条件を満たさなければなりません。
勤勉と努力と忍耐に励み、必要な成果を上げなければなりません。
そして、人に認められなければならないのです。
人(自分以外の存在)に認められなければどのような環境や状況も存在することはなく、例え存在することができたとしても長続きはしません。
人に認められなければ、何事も存続することはできないのです。
目的地に辿り着くために必要な条件を満たさなければなりません。
目的地に辿り着いてからも必要な条件を満し続けなければなりません。
人の道には常に勤勉と努力と忍耐が付き添います。
そこから離れた時、あなたは道をゆく条件を失ってしまうことを理解しなければならないでしょう。
どのような道においても、どのような目的地に辿り着くためにも、自分なりの勤勉と努力と忍耐を積み重ねることを忘れてはなりません。
あなたがおかれている状況の中で、自分にできることを精一杯に励みましょう。
一つひとつの段階を確実に踏んでいけば、必要な条件を満たすこともできるでしょう。
勤勉と努力と忍耐を忘れて、一つひとつの段階を踏むことの重要性を忘れてしまえば、必要な条件を満たすことはできないということを理解しなければなりません。
道を逸れてはなりません。
人に認められるように励みましょう。

2012年9月20日木曜日

争いの種

自然は強いものを残し、弱いものを淘汰(とうた)します。
強いものは生き残ることはできますが、弱いものが生き残ることはできません。
それが自然や世界を維持する唯一の方法です。
力のあるものだけが生き残ります。
力が無ければ生き残ることはできません。
そこには自然と競争が生み出されます。
あなたがどこにいても、そこにはあなたの競争相手が存在しているのです。
何をしても、独占することはできません。
あなたを模範とする者は必ず現れます。
そして、あなたの立場を脅かすのです。
それは、力をつけるためであり、強くなるためです。
競争とは避けることのできない真理であります。
誰もが競争相手を持ち、それと力比べをしなければなりません。
そこで勝ち抜く者だけが生きる場所を得ることができるのです。
生き残るためには力を欲し、強くならなければなりません。
しかしながら、競争する気持ちが強過ぎ、そのバランスを崩してしまうとそれは競争心ではなく、闘争心へと変わってしまいます。
闘争心へと変わってしまった競争心は、心の中に争いの種を蒔きます。
争いの種は闘争心によって成長し、やがて怒りや怨みを以って心の中を支配することになるのです。
争いによって支配されてしまった心は、弱いものを淘汰することしか考えることはできません。
その結果として、強いものが生き残ることになります。
それは、良いことのように思えます。
しかしながら、強いものしか生き残ることができない世界では、人間社会は機能してはいかないのです。
様々な力を持つ者がいて、様々な立場や環境があるからこそ、人は人として生きていくことができるのです。
過激な競争心によって成り立つ世界には可能性というものは僅(わず)かしか存在することはありません。
競争社会が生み出すものは、強者にとっての可能性なのです。
人は可能性を得ることによって希望を持つことができます。
可能性を失ってしまえば絶望してしまうでしょう。
ある程度の可能性こそが、人の心のバランスを保っているのです。
可能性が存在しない。
可能性を諦めているのであれば、人は心の豊かさを得ることができないのです。
競争することは決して悪いことではありません。
より向上し、発展していくためには競争しなければなりません。
競争することは良いことでしょう。
しかしながら、過剰な競争心が争いを生み出すようではならないのです。
目的は競争相手を潰すことにはないはずです。
互いに協力してより向上し、より発展することが目的であるはずです。
争いに心を奪われてはなりません。
過剰な競争心には注意しなければなりません。
人は可能性を共有する必要があります。
互いに生きていく方法を模索できれば良いでしょう。

2012年9月19日水曜日

支えとなる

人生とは孤独な旅路です。
人は独りで生まれ、独りで死にゆきます。
あなたを助け、支え、導く人はいますが、そのような人たちも独りで人生を歩まなければなりません。
互いに支え合うことができるのは一時的な時間だけです。
常に相手を支えることはできません。
もちろん、常に相手に支えてもらうこともできません。
これはあなたの人生です。
そして、相手には相手の人生があります。
どのような人物にも自分独りの学びがあり、自分独りの闘いがあるのです。
自分の力で挑まなければならない問題があり、自分独り力で乗り越えなければならない壁があります。
誰ひとりとして例外はありません。
誰もが自分独りの力で闘わなければならない状況があるのです。
あなたは様々な人たちに支えられているでしょう。
あなたも様々な人たちを支えなければならないかもしれません。
しかしながら、中には相手を支えるということを誤解している人もいるでしょう。
もちろん、支えられるということにも誤解を持っている可能性はあるでしょう。
多くの人は支えることと、依存することを混同している傾向にあります。
支えることと、依存することは本来ならば全く違うものですが、その定義を理解していなければ支えることが何時の間にかに依存することへと変わっているということにもなり兼ねません。
支えることは相手を持ち上げますが、依存することは相手の負担になってしまうでしょう。
あなたは相手の負担にならず、相手を支え持ち上げられるような人物にならなければならないのです。
あなたが相手を支えるためには、先ずは自立することを目指す必要があります。
実は、相手を支えるということは、相手の手を取り足を取るということではありません。
自分自身のことは自分自身で解決すること、相手に余計な心配や手間を取らせないこと、自分自身が輝き、充実していることこそが、相手にとっての支えとなるのです。
相手のために何か世話を焼くことが支えになると決め付けてはなりません。
あなたの世話を焼く行為が、相手の中に依存心や甘えを生み出してしまう可能性は十分にあります。
自分独りで闘わなくても乗り越えられると思い込んでしまうと、人は自立する努力をしなくなってしまいます。
親切のつもりで差し出した手が、相手を苦しめるという結果になり得るのです。
あなたが自分自身のことをこなし、自立する努力を怠らない姿勢は、それだけで相手に勇気や希望を与えます。
あなたが努力して輝いている姿を見せることこそが、相手にとって最高の支えとなることでしょう。
相手のことを本当に大切に思い、支えたいと思うのであれば、余計な世話を焼いてはなりません。
相手の闘いに手を出してはなりません。
あなたはあなたの闘いを勝ち抜かなければなりません。
相手のことを本当に大切に思うのであれば、「間接的に」助けてやらなければなりません。
相手のことを思うがあまり手取り足取り尽くせば、相手は自由と自立する力を失ってしまうでしょう。
それでは相手の支えとなることはできません。
良き支えとは心の支えとなることです。
相手をさり気なく、最低限に助けることが最善な支えとなるでしょう。
過剰な手出しはあなたの相手に対するただの依存です。
相手の中にも依存心を植え付けてしまいます。
人生とは孤独な旅路であることを理解しなければなりません。
自分独りで闘い、乗り越えなければならない状況も独りで乗り越えていかなければなりません。
相手の支えとなるために強くならなければなりません。
相手の支えとなるために余計な世話を焼くことをやめなければなりません。
自分のことに精一杯に励(はげ)み、その輝きを相手の支えとしましょう。
相手に依存し、相手の力を奪ってはなりません。
誰もが独りであっても闘わなければならないのです。




2012年9月18日火曜日

最善の選択、最高の利益

あなたは自らの感情をコントロールしなければなりません。
何の考えも無しに感情に身を任せてはなりません。
あなたの目の前にどのような状況が存在していようとも、冷静でなければならないのです。
それは、あなたが最善の選択をするためです。
そして、そこから最高の利益を得るためです。
利益を生み出さないものは罪です。
すべては利益を生み出すために存在しています。
利益を生み出すことのない選択は、それだけで罪となるのです。
それは、利益は更なる利益を生み出し、多くの人やものを助けるからです。
しかしながら、損失は更なる損失を生み出し、多くの人やものに迷惑がかかります。
あなたの選択が、あなたの利益と損失を決めます。
あなたの選択が、あなたに利益と損失のどちらかを導くのです。
あなたが利益を導く選択をするためには、冷静さを以って利益を導く選択肢を選択しなければなりません。
冷静さを以って見極めることをしなければ、何が利益を導く選択肢であるのかを理解することはできないのです。
言葉一つで相手は機嫌を損ねてしまいます。
行動一つで状況は一変します。
損失を導くことは他愛もないことです。
状況を見極めることなく、ただ感情に従えば良いだけです。
集団という形態が必要である人間社会において、感情を剥き出しにし、それに従って生きるという選択では残念ながら利益を導くことはできないのです。
自分独りで生きていくことができるのであれば、感情を剥き出しにして好き勝手すれば良いですが、あなたは独りで生きていくことはできません。
多くの人との繋がりの中で生きていく以外に方法はないのです。
人は人との繋がりを持たなければなりません。
感情に従い、冷静さを失ってしまえば、相手に対して無礼を働くことにもなります。
相手に無礼を働き、信用を失ってしまえば、その繋がりの中に生み出される利益は泡と消え去り、そこには損失が導き出されることでしょう。
人に対しても、状況に対しても、感情に従って導き出した選択があなたに利益を導くことはないと心得なければなりません。
どのような相手や状況に対しても、決して感情を振りかざしてはなりません。
自らがどのように考え、どのように行動することが最善であり、より多くの利益を生み出すことになるのかを冷静さを以って導き出さなければならないのです。
目先の利益、利己の利益に目が眩(くら)み、大切なことを見失ってはなりません。
どのような時にも冷静に考えなければなりません。
今のあなたが持ち得るすべての力を使い、後のあなたが最高の利益を得るための選択をしましょう。

2012年9月17日月曜日

学び探し

世界は学びで満ちています。
この世界において、学びの存在しない状況は存在しません。
すべての時間、すべての場所に意味と必要性が存在しています。
すべての状況に学ぶべきことがあるのです。
あなたはそこに対して意識を傾けなければなりません。
目の前の状況には必要な学びが溢れていますが、それを学ぶことができるのかはあなたの意識次第です。
いくら目の前に必要な学びが溢れているからと言って、そこに存在している学びに対して意識を傾けることがなければ、それを学び取ることはできません。
世界に必要な学びは溢れているのに、それを学び取ることができないのであれば、あなたの意識の持ちように問題があるということです。
状況の中に必要な学びを受け取ることのできる人物は、その状況を充実させることができます。
満足感を以って状況を受け取ることができれば、あなたは成長を実現させることができます。
成長を実現させることができれば、選択肢や生き方がより豊かな状況を導くことができるようになるのです。
人生をどのような場所にするのかはあなたの自由であり、あなたの仕事でもあります。
あなたの成長度が、状況や人生に対する影響力を持つのです。
あなたが豊かな人生を望むのであれば、より多くの成長を実現させる必要があります。
人は成長すれば価値観が変わります。
そして、思想が変わり、生き方が変わるのです。
どのような意識を以って生きるのか?によって、どのように成長することができるのか?が変わります。
状況に対して、そこに存在する必要な学びを学び取る意識が低いと、成長することは難しくなります。
状況に対して必要な学びを学び取る意識が高い人物ほど、より多くの成長を実現させることができるのです。
あなたはどのような状況に対しても気(意識)を抜いてはなりません。
意識を傾けることを忘れてはなりません。
意識を傾けることがないのは、そこに存在している学びを自ら放棄していることに違いありません。
学びを放棄している人物には、成長は見込めないのです。
あなたはどのような状況の中にも、学びとなる部分を見出さなければなりません。
自分なりの解釈で良いのです。
目の前の状況の中に何かを発見しなければなりません。
状況の中に学び取ることが多いほど、成長する可能性は増します。
どのような状況の中にも必要な学びは存在しています。
それに気が付くことができるのか?そこに気が付かずにいるのか?によって、あなたの状況は変わるでしょう。
どのような状況の中にも、学びを探しましょう。







2012年9月16日日曜日

道に迷わないために

あなたの目の前には無数の選択肢が存在しています。
人生における可能性は無限大です。
あなたは好きな選択肢を選ぶことができるのです。
どのような可能性にも挑戦することができるのです。
どのような夢も叶えられる可能性はあるのです。
あなたがどのような夢を持ち、どのような目標を掲げ、どのような選択をし、どのように時間と労力を使い行動するのかによって、その夢が実現する可能性は変動します。
初めから叶うことのない夢などありはしません。
どのような夢にも可能性はあるのです。
あなたは自らの可能性を信じなければならないでしょう。
なぜなら、自らの可能性を信じることなく実現する夢はないからです。
多くの人は人生という道に迷います。
自らの進むべき道がこれで良いのか?と自問するのです。
どのような夢を持ち、どのような現状を生きる人にも迷いはあります。
それは未知に対する不安がもたらす自然な感情なのです。
誰もが迷うのです。
しかしながら、迷いという状況が成り立つためには、そこに大切なものを見失っている状態があるということも覚えておかなければならないでしょう。
そして、見失っている大切なものを探すための迷いであるということも覚えておかなければなりません。
自らにとって、その道にとって大切なものを認識している人は迷いを知りません。
大切なものを認識していることで、自分が何をするべきなのか?何をしなければならないのか?を理解しているからです。
目的意識を持つ人は動き(行動)の中に我が身を置きます。
動きの中に我が身を置く人は迷いません。
人は目的意識を見失い、立ち止まった時に迷うものなのです。
目的意識を見失い立ち止まった人は、次に自分が何をするべきなのかを理解することができません。
自分が何をするべきなのかを理解することができなければ、目の前にどれだけ多くの選択肢が存在していてもそれを選択することはできないのです。
大切なのは目的意識を持って道を進むことです。
道を進み、目標に辿り着くことです。
目標に辿り着くことがなければどのような豊かさも手にすることはできません。
人生を豊かなものにするためには、目標を達成し、夢を叶えなければならないのです。
あなたが人生に迷うのは、次に何を選択するべきなのかを迷っているからです。
それはとても単純なことです。
何が欲しいのか?
何のために行動するのか?
何を目指すのか?
何が目的なのか?
自分が何のために生きているのかを知らなければ大切なものを見失います。
その結果、道に迷うのです。
自分が何のために生きているのかを知りたければ、自らの心に従うことです。
あなたが本当に求めているものは、あなたの心が知っています。
あなたがどれ程自分自身を誤魔化そうとしても、心がある限りそれを騙すことはできません。
あなたは自らの心が求める道を行けば良いのです。
心が求めるものを選択すれば良いのです。
あなたの心が求めるものが、あなたが本当に求めているものです。
ただし、どのような目標や夢にも、そこへ辿り着くことは容易ではありません。
それは、どのような道にも厳しさと苦しみが存在しているのです。
心が求める目的地に向かう道のりには、厳しさと苦しみが必ず存在しています。
そこで覚えておくべきは、重要なのは目先の苦しみなどではなく、辿り着くべき目的地であるということなのです。
自らの心が求める目標や夢を実現させることを最重視しなければなりません。
それを実現させる過程の厳しさと苦しみに捕らわれ、目標や夢を実現させるという目的を見失ってはならないのです。
自らの心に従えば、あなたは常にどこかを目指していることでしょう。
あなたの心の中には、理想が導き出す目標や夢が溢れているのです。
目標や夢が無いという人は自らの心に意識を傾けましょう。
あなたの心はとても大切なものを求めているはずです。
どのような状況にあろうと、どれだけ歳を重ねても、人は目標や夢を実現させるために生きていなければなりません。
命が尽きて人生が終わりを迎えるまで、あなたは生きているのです。
そこには責任があります。
命や人生の目的を見失ってはならないでしょう。
自らの心を大切にしましょう。
自らの心に従いましょう。
そうすれば、道に迷わないはずです。

2012年9月15日土曜日

セルフサービス

あなたが必要だと思うものを手にするためには、それを欲する気持ちが必要です。
欲する気持ちもなしに必要なものを手にすることはできないのです。
人生は自分次第です。
生きることはセルフサービスなのです。
必要は自らの力によって満たさなければならないのです。
必要なものを手にするためには欲求を持つことが必要なのです。
それも、できる限り強い欲求が求められます。
欲する気持ちが強い程に、それを手にすることのできる可能性は増します。
欲する気持ちが弱ければ、それだけ可能性は少なくなってしまうでしょう。
それは熱意として現れます。
あなたは自らにとって必要だと思うものを欲する気持ちを強く持たなければなりません。
欲するものをどうすれば手にすることができるのかを考察しなければなりません。
気持ちも考えも無しに手にすることのできる必要はありません。
人生において、あなたにとって大切なものを手にするということは簡単なことではないのです。
あなたにとってさほど重要でもないものは簡単に手にすることができます。
あなたにとってさほど重要ではないものは目の前に溢れているのです。
しかしながら、あなたの目の前に存在しているものの中で本当に重要なものは、その中の一握りでしかないのです。
多くの人が自らにとって重要な一握りではなく、さほど重要でもないものを掴んで自らをごまかしたり、偽りの満足に溺れているのです。
求めるものすべてを手にすることはできません。
すべてが満たされることはないでしょう。
しかしながら、その中で欲する気持ちが大きい程に手にすることができるものは多くなるのです。
あなたは自らが必要だと思うものを欲する気持ちをでき得る限り強く持たなければなりません。
熱意を以って欲する必要があります。
無関心ではなりません。
すぐに諦めるようではなりません。
幸福や豊かさというものは満足感に比例しています。
満足感が大きい程に、幸福や豊かさを強く感じることができるのです。
満足感を得るためには、自らにとって必要だと思うものを手にする必要があります。
妥協や諦めの中には決して満足感は生まれないのです。
熱意を以って生きる者はより多くの必要を満たすことができます。
無関心を以って生きる者はより多くの不満を抱くことでしょう。
欲する気持ちを持たなければなりません。
無関心や無気力ではなりません。
欲求があなたを強くするでしょう。

2012年9月14日金曜日

中途半端な人間

あなたは自分で決めたことは、何があっても貫かなければなりません。
自分が決めたことならば、最後までやり遂げなければならないのです。
自分で決めたことを中途半端な形で投げ出してはなりません。
あなたが自分自身で決めたことです。
あなたには責任があるのです。
あなたは自らの抱える責任の重要性を理解しなければなりません。
自らの抱える責任の重要性を知らなければ、あなたは可能性を失ってしまうことでしょう。
すべては原因が導き出す結果です。
それはとても自然で、当然の流れです。
あなたの受け取る結果の原因は、あなたの中に存在しています。
あなたの考え方、捉え方、生き方というものがあなたの原因であり、どのような結果を受け取るのかを決めるのです。
あなたが受け取る結果こそがその状況や環境を築いていきます。
あなたにとって、状況や環境というものはとても大切なものでしょう。
それが少しでも向上し、自分自身にとって有益なものとするために選択し、行動しているはずです。
あなたが受け取る結果によって、状況や環境には変化が生まれます。
より有益な結果を受け取ることが、より有益な状況や環境を築くことになるのです。
より有益な結果を受け取るためには、より有益な原因を所有する必要があります。
原因の質が結果の質を決めるからです。
あなたが所有する原因が無責任なものであるとするのなら、あなたが受け取る結果も無責任なものであるでしょう。
無責任な結果は無責任な状況や環境をあなたに与えます。
無責任な状況や環境では、豊かさは約束されないのです。
あなたが自らの決めたことに対して責任を持たずにいるのであれば、状況や環境があなたに責任を果たすことなど有り得ないのです。
あなたの人生に奇跡など存在しません。
あなたの働き掛けが自らに帰ってくるだけです。
原因以上の結果など受け取ることはできません。
あなたは自らに対して責任を持たなければならないでしょう。
どのような状況にあっても、自らの決めたことを貫く信念を持ちましょう。
信念を持たずに生きてはなりません。
自分で決めたことを中途半端な形で投げ出してはなりません。
それが正しいか間違っているのかは問題ではありません。
それが正しいことだと分かればそのまま進めば良いし、間違いだと気が付いたなら修正すれば良いのです。
しかしながら、中途半端な形で投げ出しては結論には至りません。
それが正しいことだったのか?それとも間違いであったのか?という大切な点を理解することはできないのです。
そのような薄っぺらな人生を生きてはなりません。
人生とは「気付き」です。
自分自身で決めたことを貫く信念を持つ者だけが、その貴重な「気付き」に到達することができるのです。
中途半端を好むような人間になってはなりません。
自分で決めたことなら、最後まで貫かなければなりません。


2012年9月13日木曜日

理想の延長

あなたが人生において描くことのできる夢に制限はありません。
あなたは思うがままに夢を描けば良いのです。
それがどれほど現実(現状)離れしているものでも構いません。
どれほど小さなものでも構いません。
夢を描いて生きることは、それだけでとても意義のあることなのです。
どのような大きさの夢であれ、夢を持つということが立派なのです。
夢を持たずに生きてはなりません。
夢が見付からないというのは言い訳です。
それは、どのような夢も理想の延長でしかないからです。
誰しもが何らかの理想を持っています。
それに熱意を加えれば夢になるのです。
何も難しいことではありません。
あなたがその理想に対してどのような立場であるのか?ということなのです。
夢を持たない人物は、自らの持つ理想に対して真剣に向き合っているとは言えません。
真剣に向き合っているなら、そこには熱意が生まれるからです。
熱意が生まれれば理想は夢となり、人はそれを実現させるために歩き出すのです。
夢を持たずに生きることは退屈です。
理想に対して無気力であり、無関心であり、努力することがないため、人生には張りがでません。
夢を持つことがなければ「好きなこと」はやれないのです。
あなたは「好きなこと」をしなければなりません。
「好きなこと」ができる環境を整えなければなりません。
何かを「好きなこと」という状態に保つことは簡単なことではありません。
熱意がなければそれは「好きなこと」としての形を保つことができないからです。
好きで始めたことであっても、熱意の喪失と共に「好きなこと」ではなくなってしまいます。
多くの人は熱意を持続させることができずにいます。
そのため、実現する前にその夢を諦めてしまうし、夢というものが分からなくなってしまうのです。
好きで始めたことに対して熱意を忘れることがなければ、あなたは夢を叶えることができるでしょう。
一つの夢を叶えたあなたは、夢の探し方、そして、その叶え方を理解することができます。
夢を叶える習慣を持てば、一生夢に困ることはないでしょう。
あなたは人生に「好きなこと」をやらなければなりません。
あなたがやりたいと思うことに対して熱意を抱くことを忘れてはなりません。
熱意を持たない者が実現させることのできる夢など存在しないのです。
あなたがやっていることは「好きなこと」ですか?
そこに情熱を抱くことができていますか?
好きでもない、熱意を抱くこともできないものに可能性などありはしません。
夢を持たずに生きてはなりません。
人生を退屈なものにしてはなりません。
どのような夢でも構いません。
夢を持って生きることに執着しましょう。
夢がないなどと甘えていてはなりません。
何のため、誰のために生きているのかを考えなければなりません。

2012年9月12日水曜日

目先の欲

人は選ばなければなりません。
あなたは自らの力によって、目の前の選択肢の中から好きなものを一つ選ばなければなりません。
それがあなたの状況と人生を築いていきます。
あなたの選択が次の状況を決めるのです。
あなたの人生を築くのはあなたの選択なのです。
無数に存在している選択肢の中からあなたが何を選ぶのかによって、展開は変わってくるのです。
重要なのは、あなたが自らの意思によって決める選択肢があなたの状況や人生を築いていくという事実です。
あなたの状況や人生は、あなたが自分で決めているということを理解しなければなりません。
人生が他人や自分以外の力などの、自らの意思以外の何かによって築かれていると考えているのならば、その考え方には注意が必要です。
あなたの状況や人生を他人や自分以外の何かの責任にしたところで、何かが好転することはありません。
自分以外の何かに責任をなすり付ければ、その状況を築いた原因を理解することはできないからです。
原因は自分の中にこそ存在しているというのに、それを外に探しても状況の改善に役立つものなど見付かりようもないのです。
自分自身の選択が、自分自身の状況や人生に大きな影響力を持っているということを理解しなければなりません。
あなたが何を選択するのかによって、状況や人生は大きく変わります。
人生というものは、何を選択するのかによって決まるのです。
あなたが選ぶ選択肢は、可能性を持っているものでなければならないのです。
可能性を持たない選択肢を選んでしまっては、状況や人生に可能性は見えてこないのです。
可能性とは、目先に存在しているというものではありません。
あなたはその選択肢がどのような形の可能性を持っているのかを見極めなければならないのです。
目先の小さな利益(欲)に目が眩み、その先の可能性を考えていなければ状況は大きく傾いてしまうでしょう。
目先の小さな利益に打ち克ち、その先に存在しているもっと大きな可能性を信じてそれに繋がる選択をするのであれば、状況はより大きな可能性を持つことができるでしょう。
あなたの選択肢はあなたにどのような状況を導いてくれますか?
その選択肢から何を得ようとするのでしょう?
目先の欲に目が眩み、大切なものを見失ってはなりません。
うまくはいかない状況があります。
しかしながら、大きな可能性を手にするためには耐えなければならない時もあるのです。
うまくはいかない状況に耐えることが嫌だからと言って、目先の小さな利益を掴んでいるようなら、あなたが本当に望むものは手には入らないでしょう。
得ようとするものが大きいほど、支払うべき代償も大きなものとなります。
勝負に焦ってはなりません。
急ぐ必要はありますが、心を乱してはならないのです。
心を乱して焦り、目先の小さな利益を掴んではなりません。
あなたの理想や目的の実現に必要な選択肢を選ぶように心掛けましょう。
より大きな可能性を見極めなければなりません。
より向上し、成長し、展開していけるような可能性を持つ選択肢を選択しなければなりません。
あなたが何を選ぶのかによって状況は決まります。
そして、その状況が積み重なって人生を築くでしょう。

2012年9月11日火曜日

状況を変える

目的を持たないどのような意思も、そこに辿り着くことはできません。
目標を持たない努力がそれを実現させることがないようにです。
あなたが目的を果たし、目標を実現させるためには、その意思の中に目的意識を持たせなければなりません。
目的意識を持たない意思ではどのような状況に対しても力不足であるということを理解しなければならないでしょう。
人生において、あなたが必要として求めるものを手にするためには、それを求める気持ちが必要です。
欲しいものを欲しい気持ちがなければ、
欲しいものを手にすることは難しいでしょう。
勝手に叶う夢などありません。
誰かが代わりに果たしてくれる目標や目標などありはしないのです。
あなたが自らの力によって辿り着くか、自らの力によって導く以外にそれを手にする方法はないのです。
状況というものの(基本的な)原因はあなたの意識の中に存在しています。
あなたがどのような意識(意思、思考、気持ち…)を持っているのかによって、どのような状況が築かれるのかが決まるのです。
大切なのは、意識が状況を築くということです。
あなたは自らの持つ意識の大切さ、そして重要性に気が付かなければならないでしょう。
努力の量だけでは状況に決定的な差は生まれません。
努力の量だけでは、状況に革新的な変化は生まれないということです。
大切なのは、どのような意識の中で努力をするのか?ということなのです。
ただ単に努力を重ねるだけでは、求める成果や状況を導くことなどできないのです。
何のために努力をするのか?
その努力がどのような可能性を持っているのか?
努力によって何を導くのか?
どのような目的意識の中で努力をするのか?ということがとても重要なのです。
何の目的意識を持たずに10の努力をこなすよりも、目的意識を持って6の努力をこなす方が成果を上げたりします。
努力はとても大切です。
努力することがなければ何も始まりません。
しかしながら、努力の量だけではならないのです。
あなたが自らの状況に革新的な変化を求めているのであれば、目的意識の中に努力を重ねましょう。
人一倍の努力をしても、目的地を知らなければ時間と労力の無駄です。
目的地を知っていれば、最短のルートで目的地に辿り着く可能性もあります。
目的地を知っていれば、時間と労力を必要以上に消耗する必要はないのです。
人の時間と労力は有限的なものです。
限られた時間と労力の中で必要を満たしていかなければならないのです。
夢や目標を持たない人物は、人生における時間と労力を無駄にしてしまうことでしょう。
夢や目標のない人生は空虚です。
人はどのような時にも夢や目標を持ち、それを実現させるための目的意識を持たなければならないのです。
努力は目的意識と合わさる時、初めて状況に対して力を発揮します。
ただ単に努力するだけではなりません。
何のために努力するのか?
目的意識を持たなければなりません。

2012年9月10日月曜日

努力に始まり努力に終わる

どのような人物も努力を避けることはできません。
すべての人物が努力をしなければならないのです。
それは、生きていくこと自体が努力の積み重ねであるからです。
生きていくということは、生きていくという状態を保たなければなりません。
変化を求められるこの世界において、一つの状態を維持するということは決して簡単なことではありません。
流れる川の中でその場所にとどまるためには、流れに逆らって泳ぎ続けなければならないのです。
その場にとどまるという状態を維持することにも、人は努力を積み重ねなければならないのです。
そこに目的や目標を見出したのなら、更なる努力は必至なのです。
人生とは川の流れのように常にあなたを押し流そうとしています。
その力に気が付くことなく努力を避ければ、流されてしまうのは必至なのです。
あなたは人生がどのような状況にあろうとも、努力を続けなければならないということを忘れてはなりません。
川の流れは穏やかな時もあれば、激しい時もあります。
人生にも、穏やかな時もあれば激しい時もあります。
しかしながら、努力を避ければどちらの状況においても流されてしまうのです。
あなたが当たり前だと思っていた(いる)ものは、当たり前にそこにとどまっている訳ではなく、あなた自身やあなた以外の誰かの努力によってそこにとどまっているということを理解しなければならないのです。
当たり前を当たり前だと決め付けてしまい、努力を避ければその当たり前すら当たり前ではなくなってしまうということなのです。
努力を避ければ人生は簡単にあなたを下流へと押し流してしまいます。
流されるのはとても簡単であり、とても早いものですが、流れに逆らって進むのは決して簡単なことではありません。
流される時よりも非常に大きな労力と、非常に多くの時間を必要とするのです。
あなたはどのような状況においても努力が必要であるということを忘れてはなりません。
当たり前の状況の上に胡座(あぐら)をかき、努力を忘れているのであれば、あなたは知らず知らずの内に信じられない程の距離を流されていることでしょう。
あなたは当たり前すら努力の積み重ねによって成り立っているということを理解しなければなりません。
努力を忘れた時、人は必ず大切なものを失ってしまいます。
夢や目標があるのならば尚更です。
人はどのような状況においても努力していなければならないのです。
あなたは自分なりの努力を積み重ね、少しでもその理想に近付きましょう。
あなたは自分なりの努力を積み重ね、一つでも多くの目標を達成しましょう。
あなたは自分なりの努力を積み重ね、より多くの夢を叶えましょう。
努力を避けることによって導き出される状況は停滞や後退でしかありません。
努力を避ける者が得るものは破滅だけなのです。
努力をすることなく欲するものは得られません。
人生は努力に始まり努力に終わります。
人生を豊かなものにするために、どのような状況においても努力を避けてはならないでしょう。
努力を積み重ねましょう。

2012年9月9日日曜日

道を極めん

道をゆく者、その技を極めるべし。
すべての存在は我が道をゆきます。
すべての存在が究極へと向かい、その歩みを進めます。
すべての存在が究極へと近付くために道をゆくのです。
その技を極めんとすることこそ、自然の習わしです。
究極へ近付くことこそ、真理なのです。
あなたは我が道における技を極めんと努めなければなりません。
技を極めんとすること、それは道を極めんとするということです。
道を極め、究極へと辿り着くためには、技を極めなければなりません。
技の極まりを以ってのみ、道が極まるということを忘れてはなりません。
技を極めるためには、技に向き合い、それを磨く以外に方法はありません。
技は磨く程に極まるのです。
磨くことのない技が極まることはありません。
技を磨くことのできない者が道を極めることなどできないということです。
あなたは自らの進む道においてその技を極めんとし、磨いていますか?
技を極めるためには毎日磨かなければなりません。
日々の精進を怠って極まる技などありません。
技を極め、道を極めるということは簡単なことではないのです。
そこには厳しさや苦しみが存在しています。
技を極めるためには、厳しさや苦しみを乗り越えなければならないのです。
厳しさや苦しみを避けて極まる技など存在しないということを覚えておかなければなりません。
道における厳しさや苦しみから顔を背けること、それは道に背くということです。
道に背く者が極めることのできる技などありません。
技とは、厳しさや苦しみの中で極まるからです。
穏やかさや甘えの中に極まる技など存在しないのです。
技を極めるということは、厳しく苦しい道のりなのです。
そのため、生きること、道を歩むということは厳しく苦しいものなのです。
しかしながら、あなたは生きてゆかなければなりません。
道を歩み続けなければなりません。
技を磨き、道を極めなければなりません。
それは、極まる程に「役立つ」からです。
貢献こそがあなたを救います。
貢献こそが人々を救います。
貢献こそが豊かさへと続いてゆくのです。
役に立たない技では誰も救えません。
誰も救うことができない者が豊かさを得ることはありません。
人は己を救い、自分以外を救うために道をゆくのです。
技が極まる程に己やそれ以外の存在を救うことができます。
あなたはどのような道をゆくにも、その技を極めんと努めなければなりません。
日々の精進を怠ることなく、技を磨き、己を磨き、より究極へと近付かなければなりません。
あなたは恐れを抱いてはなりません。
恐れはあなたを殺します。
恐れはあなたの足を仕留めるのです。
恐れを抱く者、道をゆくことはできません。
恐れを抱く者、技を極めることはできません。
恐れを抱く者、究極に辿り着くことはできません。
恐れは人を殺すということを覚えておかなければなりません。
技を極めんとする意識を見失ってはなりません。
日々を怠慢に惰性的に過ごしてはなりません。
技を極め、道を極めんとする大志を抱き生きなければなりません。
残りの人生であなたがどれ程極まるのか?
楽しみです。

2012年9月8日土曜日

うまくはいかない時

状況がうまくいかない時、あなたは自らを省みなければなりません。
状況が停滞していると感じる時、もしくは後退していると感じる時、人は自らにとって大切なものを見失っています。
自らにとって大切なものを見失っているからからこそ、状況がうまくは進まないのです。
誰にでもうまくはいかない時があります。
どれだけの努力を重ねてもうまくいかない時はうまくはいきません。
それは、自らにとって大切なものを見失っているという原因が存在しているため、結果が理想に伴わないのです。
どのような人物にも生まれてきた意味と目的があります。
意味も無く人生を生きることはできません。
目的も無く人生に存在することなどできないのです。
誰もが自らの持つ意味や目的を果たすために人生という道を歩んでいるのです。
人によってその意味や目的は違います。
残念なことに、その意味や目的は生きていく中で知る必要があり、初めから覚えていることはないでしょう。
そのために人は人生に迷い、間違い、悩み、苦しむのです。
誰もがそのようにうまくはいかない状況を抱えるのです。
すべてが順風満帆に進むことなどありません。
うまくいく時もあれば、うまくはいかない時もあるのです。
しかしながら、人はどのような状況においても前進しなければなりません。
うまくいく時であろうが、うまくはいかない時であろうが、自らの持つ意味や目的を果たすために人生を進み続けなければならないのです。
うまくいく時に進むのは簡単なことです。
しかしながら、うまくはいかない時に進むことは容易なことではありません。
しかも、人生というものを進めるためには、ただ歩みを進めるだけではならないのです。
努力の量だけでは人生というものを先へと進めることはできないのです。
あなたの価値観が自らの持つ意味や目的を捉えることができなければ、先へと進めることはできないのです。
あなたの持つ意味や目的とは、あなたにとって、あなたの人生にとって本当に大切なものです。
それは人それぞれに違うものですが、それを見失ってしまった時、そこから外れてしまった時に、状況はうまくはいかなくなるのです。
状況がうまくはいかない時、あなたは自らを省みなければなりません。
うまくはいかない時を、自らの思想や生き方を見直すきっかけとしなければなりません。
あなたが現在求めているものと、本来持つ意味や目的が一致しているとは限りません。
あなたは、自らにとって本当に大切なものを、本当に大切にしなければならないものを見失ってはいませんか?
あなたが何かうまくはいかない状況を抱えているのであれば、自らの思想や生き方や価値観を省みなければならないでしょう。
そこでは必ず何か大切なものを見失っているはずです。
あなたが大切なものを思い出し、それに加えて新たな視点や価値観を身に付けた時、状況は進展するでしょう。
状況がうまくはいかない時、自らの思想や生き方や価値観を省みることを忘れてはならないでしょう。

2012年9月7日金曜日

「本物」

あなたは「本物」を目指さなければなりません。
あなたがどのような道に立ち、どのような道を歩もうとも、目指さなければならないものは「本物」です。
それは、「本物」でなければ活躍の場を得ることができないからです。
どのような道においても、活躍の場を得るということがとても重要なことです。
どのように立派な理想を掲げていたとしても、活躍の場を得ることができなければ何の役にも立ちません。
どのような力も活躍の場を得ることができなければ意味がないのです。
あなたが進もうとするどのような道も、活躍することは決して簡単なことではありません。
すべての道に競争相手が存在し、あなたを評価する人がいるからです。
活躍の場を得るためには、競争相手よりも優っていなければなりません。
競争相手よりも劣っているのであれば、活躍の場を得ることはできません。
それは、あなたに活躍の場を提供するのは、あなたを評価する人たちに他ならないからです。
あなたが独りで自分勝手に活躍の場を得ることはできません。
あなたの活躍の場は、自分以外の人たちによって築かれるのです。
どのような道も甘いものではないのです。
提供する商品やサービスを評価する客がいなければ、どのような商売も成り立ちはしないのと同じです。
あなたを評価する人たちがいなければ、あなたは活躍の場を得ることはできないのです。
どのような道においてもそこに活躍の場を得るためには、あなたのことを評価する人たちの存在が大きく関わってくるということを理解しなければならないでしょう。
評価を無視して活躍の場を得ることはできません。
傲慢な者、怠慢な者、偽者は評価を受けることはできません。
評価を受けることができなければ、活躍する場を得ることはできないのです。
店が提供する商品やサービスが客に評価されなければ、商売は続きません。
店が良い商品やサービスを提供することができれば、客は満足し、店を評価するのです。
客に評価を得ることができれば、店は愛され客が商売を続けさせてくれるでしょう。
どのような道においても、提供する側と提供される側が存在しています。
互いの関係性こそが大切なのです。
良いもの(「本物」)とは、役に立つものです。
良い商品やサービスとは、客に満足を与えられるものです。
相手に満足を与えるためには、提供するものが「本物」である必要があります。
偽物を提供されて喜ぶ人はいないでしょう。
黄金と金メッキのどちらが相手に満足を与えることができるでしょうか?
それは、「本物」である黄金に決まっています。
偽物の金メッキを掴まされた人は不満を抱くことでしょう。
「本物」は評価され、偽物は評価の対象にはなりません。
メッキが剥がれれば評価されることも無いのです。
活躍の場を得ることができるのは、相手に満足を与え、評価を得ることのできる「本物」だけです。
あなたはどのような道においても、「本物」を目指さなければなりません。
「本物」とは相手にとって役に立つものです。
相手の役に立つことを考えながら進まなければなりません。
それは、志です。
あなたは志を持って生きなければなりません。
「本物」以外は消えます。
あなたが活躍の場を欲するのであれば、「本物」を目指さなければならないでしょう。

2012年9月6日木曜日

役に立つもの

あなたが大切にしなければならないものは、あなたにとって役に立つものです。
あなたにとって役に立ち、有益に働くものを大切にするのは当たり前のことでしょう。
自分にとって役に立ち、有益に働くものに対して感謝をすることには違和感を覚えることも、変に抵抗することもないでしょう。
あなたはこれからも自分にとって役に立ち、有益に働くものに対して感謝することを忘れてはなりません。
それは、感謝する気持ちこそがあなたに物事の本質を導き、結果として豊かさを与えるからです。
感謝の気持ちを忘れた場所に、豊かさを導くことはできません。
人生における豊かさとは、あなたの持つ感謝の気持ちに比例しているのです。
感謝の気持ちが多い程、人生は豊かさを増します。
それは、感謝することが多い方が、あなたの役に立ち、有益に働くものを多く認識しているということを現しているからです。
あなたの役に立ち、有益に働くものが多い程に人生が豊かさを導くのは当たり前のことでしょう。
あなたが人生を豊かなものにするためには、あなたにとって役に立ち、有益に働くものをより多く見付け出すということが重要なのです。
しかしながら、多くの人は自らにとって役に立ち、有益に働くものを見付け出すことに不慣れです。
本当はそれが自らにとって役に立ち、有益に働くものであっても、それをそのように認識することができてはいないのです。
それは、人の価値観の中には必ず偏見が存在し、物事を自分にとって都合の良い形に解釈する習慣というものが備わっているからです。
そのため、人は自らにとって本当は役に立ち、有益に働くものをそのようには認識することなく、不満や嫌気の中に感謝の気持ちを忘れてしまっているのです。
ご都合主義では人生は豊かさを得ることはできません。
自分にとって都合の良いものだけに感謝し、都合の良いものだけを信じたところで人生が豊かになることなど有り得ないのです。
あなたにとって役に立ち、有益に働くものがあなたにとって都合の良いものだけとは限りません。
ほとんどの場合、あなたにとって都合の悪いものが役に立つことを理解しなければならないでしょう。
あなたにとっての厳しさ、苦しみ、悩み、悲しみ、嫌いなもの…
などの、都合の悪いものがあなたの役に立たないと決め付けてはなりません。
あなたが成長するために大切なもののほとんどが、あなたの都合の悪いものの中に存在しているのです。
あなたに優しいもの、気楽なもの、甘いものがあなたの成長に対して役に立つでしょうか?
冷静に考えてみれば、問題や壁が存在しているからこそ、あなたは成長することができたはずです。
あなたにとって本当に役に立ち、有益に働くものは、あなたにとって都合の良いものだけではないということを理解しなければなりません。
人生には都合の悪いものが溢れています。
気楽なことよりも、厳しいことの方が多いのです。
自分にとって都合の良いものだけに感謝しているのであれば、あなたが得ることのできる豊かさは偏見に満ちて歪んだものになってしまうでしょう。
そのような豊かさでは幸福になることは難しいのです。
感謝の気持ちの量が人生の豊かさを決めます。
感謝することが多い人程、豊かな人生を歩むことができるでしょう。
ご都合主義で、自分にとって都合の良いものだけに感謝するような考え方では、人生の本当の豊かさを得ることはできないということを忘れてはなりません。
あなたが大切にしなければならないものは、あなたにとって役に立つものです。
あなたにとって本当に役に立ち、有益に働くものがどのようなものであるのか?を見極めなければならないでしょう。

2012年9月5日水曜日

独りで立つ

人生の意義は、成長を果たすことにあります。
人は誰しも、成長を果たすために人生を生きているのです。
すべての時間、すべての状況、すべての体験、すべての思想は、あなたが成長を果たすための必要な要素として、そこに存在しているということを忘れてはなりません。
成長とは、力を身に付けることを意味します。
たくましく力を増すことが成長です。
成長する程に人は力を持ち、様々な困難を乗り越えて行くことができるようになります。
人は成長する程に可能性と自由を得ることができるのです。
成長を果たすことができなければ、そこに可能性や自由を得ることは難しいでしょう。
子どもが得ることのできる可能性や自由と、大人が得ることのできる可能性や自由には大きな違いがあるのは周知の事実です。
人は成長する程に可能性や自由を手にすることができるのです。
豊かな人生というものは、この可能性や自由に満ち溢れています。
可能性や自由が少ない人生を豊かなものだと認識する人物はいないでしょう。
豊かさとは、可能性や自由を得るということなのです。
あなたが可能性や自由を手にするためには、自らの成長を果たす必要があるということを理解しなければなりません。
成長することができなければ、可能性や自由は得られないのです。
あなたが求め、目指すべきは自らの成長であるということを忘れてはならないでしょう。
どのような状況においても自らの成長のためのヒントを模索し、それが実際に成長へと繋がるように努めなければなりません。
成長を求めることの無い者が可能性や自由を手にすることはできません。
成長を諦めた者が得ることのできる豊かさは存在しないのです。
成長とは力を身に付けること。
しかしながら、力を身に付けることは決して簡単なことではありません。
成長のためのヒントを探し続けなければならないですし、努力と辛抱と継続に努めなければなりません。
目の前の困難から逃げることは許されず、たとえ一人であっても立ち向かわなければならないのです。
成長は独立へと繋がっています。
成長することができれば、誰かや何かに依存する必要はなくなります。
独りで立つこと、独りで立ち向かうことができるようになるのです。
誰かや何かに依存しているのであれば、独りで立つことや立ち向かうことはできないでしょう。
そこには可能性や自由など存在しないのです。
それぞれが独りで立ち、それぞれが協力することができれば、それは大きな力になります。
大きな力は大きな可能性や自由を導くことができるのです。
依存心の抜けない弱い者には、目の前の状況に対して可能性や自由を導くことができないということを理解しなければならないでしょう。
あなたは独りで立つことを目指し続けなければなりません。
独りの力で立ち、自分の目の前にある困難に立ち向かい、それを乗り越えなければなりません。
人生には、あなたが独りで立ち向かわなければならないことがあります。
誰の手も借りることなく、独りで闘わなければならない闘いもあるのです。
あなたは人生に可能性や自由を手にするために、成長を果たすための努力を続けなければなりません。
いつの時も自らの成長を意識し、可能性や自由を手にすることを忘れないようにしなければならないでしょう。




2012年9月4日火曜日

人との違い

あなたは、自分という存在に誇りを持たなければなりません。
自らに対して誇りを持つことができない者が貢献することのできる場所など存在しないのです。
それは、どのような人物も自分自身の魅力を発揮することで、状況や誰かに対して貢献することができるのです。
自分自身の魅力を発揮することができなければ、状況や誰かに対して貢献することは難しいでしょう。
あなたは自らの持つ魅力を発揮しなければなりません。
どのような人物にも必ず魅力は備わっています。
魅力を持たない人物は存在しません。
それは、一人として同じ人物など存在してはいないからです。
それぞれが違う容姿を持ち、違う思想と価値観を持っています。
違うということが既に魅力であると言うことです。
皆が同じものなら、そこに魅力など存在しません。
魅力とは「違い」であり、差別的なものなのです。
周囲と同じという状態に魅力を感じているのであれば、魅力というものがどのようなものであるのかを理解することができてはいないでしょう。
あなたは魅力とは、「違い」であると言うことを理解しなければなりません。
あなたが自らの持つ魅力を発揮するためには、人との違いを理解する必要があるでしょう。
周囲の人と同じ部分を探し求めている時には、自らの所有している魅力になど気が付くことはできません。
魅力とは「違い」にこそ存在しているのに、同じ部分を探し求めるのであれば見当違いなのです。
人はそれぞれに大切な魅力(個性)を抱えて生まれてきました。
人がそれぞれに違う魅力を抱えているのは、その違いがあなたと世界(状況)を救うことができるからです。
それぞれが抱える違う魅力こそが、貢献を導くのです。
人はそれぞれに違うものです。
同じであることの退屈さに気が付かなければなりません。
そして、人と違うことの面白さに気が付かなければなりません。
それぞれが特別な存在になれば、世界はどれだけ素敵な場所になるでしょう。
オーケストラはそれぞれが違う楽器であり、違う楽譜を弾き、違う音を鳴らす特別な存在の集まりであるから壮大なのです。
それぞれが違う音を鳴らしても、目的が同じであれば素晴らしい音楽を提供することができるのです。
しかしながら、それぞれが違う楽器であるにも関わらず、同じ楽譜を弾き、同じ音を鳴らそうとすれば、音は不調和を導き、耳障りな雑音が生み出されてしまうでしょう。
自分の魅力とは違う音を鳴らしても素敵な音楽を奏でることはできません。
自らの魅力が最大限に引き出される楽譜によって、音楽を紡ぎ出さなければならないのです。
人との同じを探し求めているのならば、それは不可能です。
人との「違い」や自らの独自性を探し求めるのならば可能でしょう。
あなたが人生を豊かなものにするためには、自らの持っている魅力(個性)、人との「違い」に誇りを持たなければなりません。
人と違うことに誇りを持つことができれば、あなたはあなただけの形で世界に貢献することができるでしょう。
周囲の目など気にする必要はありません。
しかしながら、自分勝手や傲慢になってはなりません。
周囲と違う形を持ち、それぞれが協力することのできる世界を築くように努めなければならないのです。
自らに対して、人と違うことに誇りを持たなければならないでしょう。

2012年9月3日月曜日

今回で最後

この世界に永遠は存在しません。
始まりがあるものはどのようなものであっても、いつかは必ず終わりを迎えるのです。
この世界に永遠に存在し続けるものなど何一つとして存在することは無いのです。
あなたはすべてに終わりが訪れるということを理解しなければなりません。
人生を豊かなものにするためには、できる限り後悔を残さないことです。
後悔の少ない人生は満足感の多いものとなり、満足感の多い人生は豊かなものでしょう。
あなたが人生を豊かなものにするためには後悔が少なく、満足感の多い人生を築く必要があるということを覚えておかなければならないでしょう。
人生に対して後悔を残さないためには、そこに満足感を残す必要があります。
状況に対して満足感を残すためには、その状況に対して力を尽くさなければなりません。
力を尽くすことなく満足感を得ることなどできないのです。
状況に対する結果がどのようなものであれ、力を尽くすことがなければ(できなければ)その心を満たすことはできないのです。
満足感とは結果にではなく、力を尽くしたかどうか?という所に現れるのです。
たとえ、結果が理想とは違っていても、あなたがそこに力を尽くすことができたのならば満足感を得ることはできるのです。
しかしながら、あなたが理想の結果を得ることができたとしても、そこに力を尽くすことができなかったのであれば、満足感を得ることはできないのです。
力を尽くすことのできない状況に対して人は不満を覚えます。
そこに人は欲求不満や退屈や物足りなさを感じてしまうのです。
不満を感じている状態で状況を、人生を豊かなものにすることはできません。
あなたが人生を豊かなものにするためには、力を尽くすことのできる状況にその身を置かなければならないのです。
あなたは今の状況に対して力を尽くすことができていますか?
何かしらの不満を感じているのであれば、力を尽くすことができていないということが言えるでしょう。
状況に対して「不足」を感じることは良いですが、不満を感じてはならないのです。
不満を感じているのであれば、それを解消するために力を尽くさなければなりません。
あなたが状況に対して力を尽くすためには、その心持ちの質が重要です。
環境を変えることは簡単なことではありません。
しかしながら、心持ちならすぐに変えることができます。
代わり映えのしない毎日の中に力を尽くすことが難しくなったているあなたは、その心持ちを変えることによって日常に変化を与えましょう。
あなたは様々なものに触れています。
たくさんの物や状況や人に触れています。
それらに初めて触れた時から、それらとの別れは決まっています。
どのようなものとの出会いも、いつかは必ず終わりを迎えるのです。
あなたが触れるものとの別れの形が、その出会いと時間があなたにとってどのようなものであったのかを決めます。
満足感を得ることができるのか?
後悔を残すことになるのか?
それが別れ方によって決まるのです。
あなたがその出会いや時間に満足感を得るためには、それが「今回で最後である」とする心持ちでいなければなりません。
向き合う度に最後であると考えれば、あなたは自然と力を尽くすことになるでしょう。
次があると思うから力を尽くさずに手を抜くのです。
毎回真剣に取り組んでいるのであれば、あなたの中に不満など生まれることは無いのです。
何かに対して一生懸命に向き合っている者は不足は感じれど、不満を持つことはありません。
何かに対して力を尽くしていない者だけが不満を感じるのです。
あなたはそれに触れることができるのは今回で最後であるとする心持ちでいなければならないでしょう。
その人と共有することのできる時間がこれで最後であると考えた時、あなたの相手に対する態度は変わるはずです。
人生はどうなるか分かりません。
いつ別れや終わりが来るかもしれません。
もしかすると、今日で人生が終わりを迎えてしまうかもしれません。
力を尽くすことなく別れや終わりを迎えることになったら、あなたはその別れ方や終わり方に満足する自信がありますか?
どのような人も力を尽くすことなく満足感を得ることはできません。
あなたはどのような状況にあろうとも、精一杯の力を尽くすことのできる状態でいなければなりません。
力を尽くすことなく、手を抜いて得ることのできる満足感など存在しません。
毎回、今回が最後であると考え、力を尽くすことのできる状態を自ら築きましょう。
目の前の状況に対して真剣に向き合い、力を尽くすことができたなら、あなたは不満ではなく、満足感と不足を得ることができるでしょう。
満足感はあなたの心に力を与え、不足は道を示すでしょう。
「最後」を意識することによって、あなたは大切なものを得るでしょう。






2012年9月2日日曜日

本当に大切なもの

あなたにとって本当に大切なものは、あなたの目の前にこそ存在しています。
あなたが大切にしなければならないものは、あなたの手の届く場所にこそ存在しているのです。
あなたの手の届かない場所に存在しているものがあなたにとって本当に大切なものなのでしょうか?
夢や理想や目標は、そこへ向かうための指針としては役に立ちますが、それ自体が本当に大切であるとは言い切れません。
なぜなら、夢や理想や目標というものは単なる目的地であり、目的地が遠くに存在していてもあなたにとっては有益ではないからです。
あなたにとって目的地が有益なものとなるためには、あなた自身が目的地に辿り着く必要があるのです。
目的地に辿り着くことがなければ、何も得ることはできないでしょう。
あなたに対して、目的地が目の前に存在している状況こそが、目的地があなたにとって有益であると言うことができるのです。
目的地へと辿り着くためには、目の前の地面を踏み締めて確実に歩みを進めなければなりません。
地面を踏み締めて確実に歩みを進めることができなければ、あなたは目指す目的地へと辿り着くことはできないでしょう。
道を踏み外すのであれば、目的地へと辿り着くことはできないのです。
あなたが確実に歩みを進めるためには、目の前の地面を確実に捉える必要があります。
次に出す足が地面を確実に捉えることができなければ、奈落の底へと転落してしまうということもあるからです。
目的地は遠くに存在しています。
遠くに存在しているものはとても美しく見えます。
夢や理想や目標は、あなたにとってはとても美しく映っていることでしょう。
しかしながら、現実と理想とは必ずしも同じものではありません。
遠くに見ると美しい場所も、実際に辿り着くと違う印象を受けます。
そのため、人は遠くにあるものに魅力を感じ、それを求めようとするのです。
目の前の現実を受け入れた状態で新たな目的地へと進むのならば良いですが、目の前の現実(苦しみ)から逃れるためだけに遠くを見るのであれば、それは問題です。
なぜなら、あなたにとって本当に大切なものはあなたの目の前の現実にこそ存在しているからです。
苦しい現実から逃れるために遠くの理想を追い求めるなら、次に出す足が地面を踏み締める保証はありません。
目の前の現実から逃れようとする者が辿り着くことのできる理想は無いということです。
目的地に辿り着くことのできる者は、目の前の現実をしっかりと受け止め、目の前のことを大切にすることができる人物だけなのです。
目の前のことを大切にすることができなければ、目的地へと辿り着くことなどできないのです。
あなたがどのような状況にいようとも、大切にしなければならないのは目の前の現実です。
今のあなたができることが大切なのです。
できないことを追い求めるよりも、確実にできることを精一杯にこなしましょう。
飛び越えられもしない崖を飛び越えようと努力をするよりも、回り道だと感じても今あなたが確実に踏み出せる一歩を積み重ね、遠回りをしてでも前に進むことが重要なのです。
多くの人は目の前に存在している現実の大切さに気が付いてはいません。
大切な学びは目の前にこそ存在しているというのに、それを知らずにいるのです。
遠くに存在しているものなどあなたに対して何の利益ももたらしません。
目の前の確実な一歩の方がよっぽど価値のあることなのです。
あなたにとって本当に価値のあるものは、目の前にこそ存在しています。
その現実があなたにとって苦しいものだからといって蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
あなたが踏み出さなければならない場所に苦しみが存在していたとしても、他に踏み出せる場所がなければ踏み出さなければならないのです。
人生には避けて通ることができない状況が存在しています。
しかしながら、その苦しみもあなたのために存在しています。
苦しみを踏まなければ進めないということもあるのです。
見極めなければならないでしょう。
現実から逃避して辿り着くことのできる理想など存在しません。
大切なのは目の前の確実な一歩であることを理解しなければなりません。
目の前の現実から逃げてはならないのです。


2012年9月1日土曜日

航海

人生というものはあなたにとって都合の良い場所ではありません。
どちらかと言えば、人生というものはあなたにとって都合の悪い場所であるということを理解しなければならないでしょう。
人生とは、楽な場所ではありません。
それは誰にとっても厳しく、苦しい場所なのです。
人生を気楽に生きていくことができる人物は存在しません。
誰もが問題や悩みを抱え、厳しさと苦しみを背負わなければならないのです。
人生とは学びの場所、修練の場所であるため、問題や悩み、それに厳しさや苦しみを受け取ることなく生きていくことができる人物は存在することができないのです。
そのため、誰もが必ず厳しさや苦しみの中に人生を描かなければならないということを理解しなければならないでしょう。
人生とは、あなたにとって都合の良い場所ではありません。
すべてがあなたの都合に合わせて進むことなど有り得ません。
むしろ、あなたの都合を避けて通るのが人生というものです。
人生は大海に似ています。
あなたという存在を船とし、人生をその航路としましょう。
海には海流があります。
そして、海上には風が吹いています。
船は何もしなくても動きます。
風に吹かれればその方向に、海流に流されればその方向に動きます。
ここで理解しなければならないのは、船は動いてはいるものの、進んではいないということです。
自然の力によって何もしなくても船は動きますが、あなたが辿り着きたい目的地に辿り着くことはできません。
しかも、陸地に辿り着くことができなければ、食糧が底をついてしまうでしょう。
食糧が底をついてしまえば、もはや航海は望めません。
航海(人生)すら終わりを迎えるということもあるでしょう。
人生を豊かなものとし、その意義を果たすためには、自分以外の何かによって動かされ(流され)ているだけではならないのです。
それらを活用しながらも、自らの力によって自らの望む目的地へと進んでいかなければならないのです。
航路を進むことは簡単なことではありません。
航路(順路)を見極めなければならないし、天候や海流などの不可抗力をも見極めなければなりません。
嵐もあれば霧もありますが、目的地に辿り着くためにはそれでも進まなければならないのです。
あなたが抱える夢や目標という目的地に辿り着くのは決して簡単なことではありません。
どのような状況においても努力を怠ることのない者だけが、自らの夢や目標を達成することができるのです。
夢や目標を諦めている者、人よりも多くの努力をすることができない者には辿り着くことができないでしょう。
天才など、存在しません。
そこには、人よりも時間と労力と熱意を注ぐことのできる者がいるだけです。
嵐の中でも諦めなかった者がいるだけです。
あなたには辿り着きたい場所がありますか?
叶えたい夢や達成したい目標がありますか?
何かによって動かされ(流され)ているだけでは辿り着くことはできません。
自らの力によって目的地に向けて進まなければならないのです。
あなたはそのための努力をしていますか?
自らの道に対して真っ直ぐに進むことができているでしょうか?
人生には厳しい状況や苦しい場面が多くあるでしょう。
道を進むことは簡単なことではありません。
しかしながら、人生を前進させ、夢や目標に辿り着く者はそのような状況においても努力を諦めなかった者だけです。
人生をどのように生きていくのかはあなた次第ではあります。
しかしながら、あなたが人生の意義を果たしたいと思うのであれば、努力を怠ってはならないことを理解しなければなりません。