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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2012年9月20日木曜日

争いの種

自然は強いものを残し、弱いものを淘汰(とうた)します。
強いものは生き残ることはできますが、弱いものが生き残ることはできません。
それが自然や世界を維持する唯一の方法です。
力のあるものだけが生き残ります。
力が無ければ生き残ることはできません。
そこには自然と競争が生み出されます。
あなたがどこにいても、そこにはあなたの競争相手が存在しているのです。
何をしても、独占することはできません。
あなたを模範とする者は必ず現れます。
そして、あなたの立場を脅かすのです。
それは、力をつけるためであり、強くなるためです。
競争とは避けることのできない真理であります。
誰もが競争相手を持ち、それと力比べをしなければなりません。
そこで勝ち抜く者だけが生きる場所を得ることができるのです。
生き残るためには力を欲し、強くならなければなりません。
しかしながら、競争する気持ちが強過ぎ、そのバランスを崩してしまうとそれは競争心ではなく、闘争心へと変わってしまいます。
闘争心へと変わってしまった競争心は、心の中に争いの種を蒔きます。
争いの種は闘争心によって成長し、やがて怒りや怨みを以って心の中を支配することになるのです。
争いによって支配されてしまった心は、弱いものを淘汰することしか考えることはできません。
その結果として、強いものが生き残ることになります。
それは、良いことのように思えます。
しかしながら、強いものしか生き残ることができない世界では、人間社会は機能してはいかないのです。
様々な力を持つ者がいて、様々な立場や環境があるからこそ、人は人として生きていくことができるのです。
過激な競争心によって成り立つ世界には可能性というものは僅(わず)かしか存在することはありません。
競争社会が生み出すものは、強者にとっての可能性なのです。
人は可能性を得ることによって希望を持つことができます。
可能性を失ってしまえば絶望してしまうでしょう。
ある程度の可能性こそが、人の心のバランスを保っているのです。
可能性が存在しない。
可能性を諦めているのであれば、人は心の豊かさを得ることができないのです。
競争することは決して悪いことではありません。
より向上し、発展していくためには競争しなければなりません。
競争することは良いことでしょう。
しかしながら、過剰な競争心が争いを生み出すようではならないのです。
目的は競争相手を潰すことにはないはずです。
互いに協力してより向上し、より発展することが目的であるはずです。
争いに心を奪われてはなりません。
過剰な競争心には注意しなければなりません。
人は可能性を共有する必要があります。
互いに生きていく方法を模索できれば良いでしょう。

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