人生とは孤独な旅路です。
人は独りで生まれ、独りで死にゆきます。
あなたを助け、支え、導く人はいますが、そのような人たちも独りで人生を歩まなければなりません。
互いに支え合うことができるのは一時的な時間だけです。
常に相手を支えることはできません。
もちろん、常に相手に支えてもらうこともできません。
これはあなたの人生です。
そして、相手には相手の人生があります。
どのような人物にも自分独りの学びがあり、自分独りの闘いがあるのです。
自分の力で挑まなければならない問題があり、自分独り力で乗り越えなければならない壁があります。
誰ひとりとして例外はありません。
誰もが自分独りの力で闘わなければならない状況があるのです。
あなたは様々な人たちに支えられているでしょう。
あなたも様々な人たちを支えなければならないかもしれません。
しかしながら、中には相手を支えるということを誤解している人もいるでしょう。
もちろん、支えられるということにも誤解を持っている可能性はあるでしょう。
多くの人は支えることと、依存することを混同している傾向にあります。
支えることと、依存することは本来ならば全く違うものですが、その定義を理解していなければ支えることが何時の間にかに依存することへと変わっているということにもなり兼ねません。
支えることは相手を持ち上げますが、依存することは相手の負担になってしまうでしょう。
あなたは相手の負担にならず、相手を支え持ち上げられるような人物にならなければならないのです。
あなたが相手を支えるためには、先ずは自立することを目指す必要があります。
実は、相手を支えるということは、相手の手を取り足を取るということではありません。
自分自身のことは自分自身で解決すること、相手に余計な心配や手間を取らせないこと、自分自身が輝き、充実していることこそが、相手にとっての支えとなるのです。
相手のために何か世話を焼くことが支えになると決め付けてはなりません。
あなたの世話を焼く行為が、相手の中に依存心や甘えを生み出してしまう可能性は十分にあります。
自分独りで闘わなくても乗り越えられると思い込んでしまうと、人は自立する努力をしなくなってしまいます。
親切のつもりで差し出した手が、相手を苦しめるという結果になり得るのです。
あなたが自分自身のことをこなし、自立する努力を怠らない姿勢は、それだけで相手に勇気や希望を与えます。
あなたが努力して輝いている姿を見せることこそが、相手にとって最高の支えとなることでしょう。
相手のことを本当に大切に思い、支えたいと思うのであれば、余計な世話を焼いてはなりません。
相手の闘いに手を出してはなりません。
あなたはあなたの闘いを勝ち抜かなければなりません。
相手のことを本当に大切に思うのであれば、「間接的に」助けてやらなければなりません。
相手のことを思うがあまり手取り足取り尽くせば、相手は自由と自立する力を失ってしまうでしょう。
それでは相手の支えとなることはできません。
良き支えとは心の支えとなることです。
相手をさり気なく、最低限に助けることが最善な支えとなるでしょう。
過剰な手出しはあなたの相手に対するただの依存です。
相手の中にも依存心を植え付けてしまいます。
人生とは孤独な旅路であることを理解しなければなりません。
自分独りで闘い、乗り越えなければならない状況も独りで乗り越えていかなければなりません。
相手の支えとなるために強くならなければなりません。
相手の支えとなるために余計な世話を焼くことをやめなければなりません。
自分のことに精一杯に励(はげ)み、その輝きを相手の支えとしましょう。
相手に依存し、相手の力を奪ってはなりません。
誰もが独りであっても闘わなければならないのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿