あなたは目の前の景色に情緒を観ることを努めましょう。
心を動かし、情緒を感じることがなければ、目の前の景色からは「色」が奪われてしまいます。
「色」とは感情です。
心が動かなければ、目の前の景色に必要な学びを得ることはできないのです。
それは、目の前の景色に学びが存在している訳ではなく、自分自身の心の中にこそ学びが存在しているからなのです。
外に存在しているものは、気付きのきっかけでしかないのです。
あなたの心がそれを学びであると捉えることがなければ、それは学びとはならないのです。
人生は認識によって築かれます。
あなたの人格の成長や、状況や環境の向上は認識によって築かれるのです。
認識が存在しなければ、どのような成長も向上もないということを理解しなければならないでしょう。
認識の数ほど人は学び、成長します。
認識の数ほど状況や環境は向上することでしょう。
あなたが認識を様々な方面へと伸ばし、様々な学びに触れることで成長することができるのです。
あなたが認識を伸ばすためには、心を動かしておかなければなりません。
心が動かないのであれば、認識が動くことはありません。
認識が動くことがなければ、その景色の気配に触れることはできません。
そこに情緒は生まれません。
目の前の景色の中に心の様々な側面で触れ、その奥に存在している景色を観ることが情緒を感じるということです。
あなたの心(感情)を様々な角度によって景色に触れさせるのです。
あなたの心が様々な角度によって景色に触れることができれば、あなたはそこに見た目の景色の奥に存在している別の「素敵な景色」に触れることができるでしょう。
そこに大切な学びは存在しているのです。
目の前の景色をただ眺めているだけでは大切な学びを得ることはできません。
日常が退屈に思うのもそのためです。
あなたが退屈に思うのは、ただ眺めているだけだからです。
毎日は同じことの繰り返しではないのです。
それを同じものだと決め付けて眺めているから、退屈になってしまうのです。
目の前に景色に情緒を観ようとするのであれば、毎日が繰り返しではないことに気が付くはずなのです。
景色はあなたに学びを運んではくれません。
もともと、目の前の状況は「色付き」ではないのです。
自分自身で色を付け、学びにしていかなければならないのです。
人生は主体的です。
向こうから勝手にプレゼントが届くということはありません。
自分がプレゼントを贈るか、自ら手に入れるしかないのです。
変化のある素敵な時間をただ待っていてはなりません。
自らが主体となって素敵な時間を作るのです。
目の前の平凡な景色に自ら色を付けなければならないのです。
お腹が減ったとして、口を開けて待っていても空腹は満たされません。
更には喉が渇くだけです。
お腹が減ったのならば、食べ物を手に取って口に運ばなければならないのです。
あなたはただ目の前の景色を眺めていてはなりません。
景色の奥に存在している「素敵な景色」を観なければなりません。
表面的、平面的に景色を見てはなりません。
潜在的、立体的に景色を観るのです。
そこに情緒を感じましょう。
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