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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2013年4月30日火曜日

自分自身の確立

人生はそのすべてが自分自身へと向かっています。
どのような事象も自分自身へと繋がり、それを実現に近付けます。
人生の最大の目的は自分自身を確立するということ。
自分自身で、自分自身の人生を生きるということであるということを理解しなければならないでしょう。
どのようなことであっても、それは自らの内に存在している自分自身を知るためのものであるということなのです。
あなたは人生の目的を忘れてはなりません。
自分自身という存在を見失ってはなりません。
あなたは自分自身を確立することに努めなければならないのです。
自分自身を見失い、自分自身の人生を生きることができないのは不幸です。
人は誰もが自分自身というものを潜在的に持っています。
それを人生に確立することによってのみ、本当の幸福を得ることができるのです。
どのようなものを手に入れようとも、自分自身を手に入れることができなければ、人生に本当の幸福を手にすることができないということを知る必要があるでしょう。
自分自身といういう存在こそが、あなたにとっての本当の豊かさというものを知っているのです。
あなたにとっての本当の豊かさや幸福というものは、誰に聞いても分かるものではありません。
その答えは自分自身から得る以外に有効な方法はないのです。
あなたが大切にしなければならないのは、自分自身という存在です。
自分自身という存在を知っているのであれば、自らにとって何が価値のあるもので必要なものであるのか?という判断を得ることができます。
自分自身を知らなければ、価値と必要を理解することはできないのです。
自分自身を知ることがなければ余計なものを掴む結果となります。
人生に無駄はありませんが、できる限り先へと進まなければならないのも事実なのです。
人生は限られた時間の中で、より多くの豊かさを築かなければならない場所であるのです。
人生に焦る必要はありませんが、時間と労力を必要以上に浪費して、後悔を残してはならないのです。
満足のいく人生にしなければなりません。
人生を満足のいくものにするためには、限りある時間の中で自分自身に必要な豊かさを手にしなければならないのです。
自分自身にとって価値のないものをどれだけ集めることができたとしても、人生が豊かになることはないのです。
何よりも大切なことは、自分自身という存在を理解するということであるのです。
あなたは自分自身を理解することに努めなければなりません。
人生はそのすべてが自分自身へと向かい、繋がっています。
しかしながら、あなたがそれを知ることがなければ、必要な認識は生まれません。
必要な認識が生まれることがなければ、必要を満たすことはできないのです。
それは、人が人生に手にするものは、認識によって導かれているからです。
人は認識の外にあるものを手にすることはできないということを覚えておかなければならないでしょう。
そのため、あなたが本当の意味での豊かな人生を求めているのであれば、人生のすべてのことが自分自身へと向かい、それに繋がるということを認識していなければならないのです。
人生のすべてが自分自身へと繋がっているということを知れば、目の前の状況の中に潜むその意味を見出そうと努めることでしょう。
それは可能性の拡張へと繋がっていきます。
すべてが自分自身へと繋がり、そこに関係性や意味が存在していることを知れば、何か一つの道や方法に縛られることがなくなります。
柔軟な姿勢によって、どのような状況においても自分自身を追求することができるようになるのです。
それが直接的に関係のないように思えるものであれば、人は無駄なものだと考えるのです。
そして、自らの進む道に直接的に関わりのないと思われる時間と経験を活用することなく廃棄してしまうのです。
しかしながら、廃棄が必要な時間も経験も、人生には決して存在しません。
どのような時間も経験もあなたにとって必要なものなのです。
すべてのことが自分自身に繋がっていて、それが自分自身を知るための手掛かりであるということを知れば、あなたはそれを蔑(ないがし)ろにすることはなくなるでしょう。
あなたは一生懸命に生きなければなりません。
そして、自分自身の役割と仕事をこなさなければならないのです。
どのような人物も自分自身を確立するために努めなければなりません。
どのような状況の中にも自分自身を知るためのヒントを探し、それを実現させなければならないのです。
どのような人物であっても自分自身というものを持っています。
それは掛替えのない貴重な宝なのです。
それがなければどのような豊かさも影を潜めてしまうのです。
人生を豊かなものにするためには、あなたが自分自身であるということが最低条件なのです。
あなたの豊かさは、あなたにしか手にすることはできません。
自分自身を確定することなく、人生に満足を得た者は存在しないということを理解しなければなりません。
特別に何かを持たずとも、自分自身さえ持っていれば人生は豊かなものになります。
あなたは自分自身という存在を見失ってはなりません。
あなたは人生に対して、自分自身を確立することに努めることを忘れてはならないでしょう。

2013年4月29日月曜日

美しい世界

あなたは何事に対しても執着してはなりません。
あなたは何があろうとも一所にとどまってはならないのです。
何かに対して固執し、一所にとどまってしまうのならば、大切なものを見失ってしまうということを覚えておかなければならないでしょう。
世界は変化の上に成り立っています。
変化を受け入れなければ、どのような世界も成り立ちはしません。
変化というものは世界を左右するほど大切なものであるということを知らなければならないでしょう。
世界は常に変化を求めています。
変化を与え続けることができなければ、その存在を世界に保つことはできません。
世界を保ちたければ、変化を続けなければならないのです。
残念ながら、人は器用な存在ではありません。
その心は感情によって強く縛られ、例えそれが自身のものであっても簡単には言うことを聞こうとはしないものです。
感情が一つの場所(価値観や考え)に取り付くと、それを引き剥がすのは容易なことではありません。
それは、感情は成長するからです。
一つの考えから導き出される感情は一つの場所に根を下ろし、その場所を守ります。
一度覚えた感情に心は執着し、人はそれを簡単には覆すことができないのです。
人の心は不器用であるということを覚えておかなければなりません。
一度信じたことを改めることの難しさを知らなければならないのです。
心に一度根を下ろした感情を簡単には手放すことができないということを理解した上で、感情を心に根差さなければならないということなのです。
あなたの感情は植物の種のようなものです。
それは小さな考え方から始まり、育つに従って大きく強靭なものになります。
育つ程に強くなるそれは、それが大きく育った時には手に負えないものとなります。
それが正しい場所で正しく育てば良いですが、正しはない場所で歪んで育ってしまった場合には、それによって苦労するということを理解する必要があるでしょう。
どのような樹木も、大きく育つ程に人間の力では引き抜くことができなくなります。
若木であれば簡単に引き抜くことができます。
それは根が十分に育ってはいないからです。
根が十分に育ってしまえばびくともしなくなってしまうのです。
それが正しくない場所に根を下ろしたのであれば、自力で何とかなる時間内に正しい場所に植え替える必要があるのです。
正しくない場所に根を下ろした樹木は、大切な日光を遮り、作業の進行を阻み、あなたに苦しみを覚えさせることでしょう。
どのような感情も正しく抱かなければなりません。
正しくない形に感情を抱くものではないのです。
ここで言う正しくない形というのは、思いやりに欠ける破滅的な状態(怒りや不安など)であるということです。
多くの人は、感情が持つ人生への影響力を軽んじています。
人生に対して、自らの感情が及ぼす影響は、あなたが考えているよりも大きなものであるということを知らなければならないのです。
感情のコントロールができずに、善悪の区別もつかずに身勝手に振る舞っていると、人からの信用を失ってしまいます。
気分に任せて考えを決めるということは、理由を持たず、区別もせずに、樹木の種を散撒(ばらまく)くというこに等しいということを覚えておかなければならないでしょう。
それがどのような気分によって蒔かれた種であれ、人生に落ちれば芽を出し、根を伸ばすのです。
成長した感情は、あなたに必要な実りをもたらすでしょう。
あなたはその実りを受け取らなければなりません。
それを拒絶することはできないのです。
どのような理由があっても、それを頬張(ほおば)って飲み込まなければならないのです。
どのような感情も実を付け、それは自らの血となり肉となり、人生になります。
あなたは自らの感情の置き場所に注意を払わなければならないのです。
執着心が強ければ、一度蒔いた感情の種を植え替えることが難しくなってしまいます。
固執する者は植え替えることを嫌います。
植え替える、やり直す、組み替える、非を認めることができないために、固執せざるを得ないのです。
あなたは強過ぎる執着心に気を付けなければなりません。
強過ぎるこだわりにも注意を払わなければなりません。
大切なのは何か一つのことに執着することではなく、柔軟に変化を求めて進んでいくことなのです。
その感情が豊かさの障害になると理解したのであれば、素早くそれを正しい場所に植え替えなければなりません。
山に育つ植物があります。
川に育つ植物があります。
里に育つ植物があります。
海に育つ植物があります。
感情にも適した場所があるのです。
山のものが海では育ちません。
どのように素晴らしい感情も、正しい場所に育たなければ(本当の意味での)実りを結ばないのです。
必要な場所に必要な種類の感情を植えましょう。
正しい感情が正しい場所に育つように管理しなければなりません。
感情や心境を放置してはなりません。
美しい世界(心)を育てましょう。

2013年4月28日日曜日

正しい人

人生を豊かなものにするためには、富を積まなければなりません。
富を積むことなく、豊かさは得られないのです。
豊かな人生を得るためには、有形無形にかかわらず、人生に富と呼べるものを積み上げなけらばならないということを忘れてはならないでしょう。
富とは、善行によって導かれる副産物のようなものです。
どのような富であっても、正しい行いによってもたらされます。
それは、正しくない方法によって得ることになったものが、あなたに豊かさをもたらすことはないからです。
あなたに豊かさをもたらすものは、善行によってのみ導かれるということを心にとめておかなければならないでしょう。
善行とは、貢献することのできる行いのことです。
すべての状況に共通する善とは、その状況に役立つものであるということを知らなければなりません。
向上、発展、成長などに貢献することがあなたに富をもたらすのです。
あなたは自らの行いが、何かや誰かに対して貢献しているかどうかを確認しておかなければなりません。
貢献することこそ正しいと知らなければならないでしょう。
どのように道理を説き、正論を吐いても、それによって何かや誰かに対して実際に貢献することができていなければ、それは偽善であるのです。
見た目には正しく見えなくても、状況に対して貢献している方が余っ程善行であるということを理解しなければなりません。
綺麗事を並べ立てるだけで実際には貢献しないのであれば、それを善行であると理解することはできないでしょう。
多くを語らずとも、実際に貢献している方が本当の意味で役に立っているということが理解できます。
善行を取り繕うのは人の罪です。
偽りの善行(偽善)では人生に富を積むことはできないのです。
大切なのは、あなたが事実として何を行ったのか?ということです。
人生に必要なのは、頭の中でどのように考えているのか?ではなく、実際にどのように行ったのか?ということであるのです。
偽善者は人生に富を積むことはできません。
それは、どのように努めても、それが偽善であっては豊かさを手にすることはできないからです。
この世界では原因が相応の結果を導きます。
それは絶対です。
あなたは原因に相応する結果のみを受け取ることが許されているのです。
それ以外を受け取ることはできないのです。
あなたの人生の原因とは、その行いです。
何を行うか?によって、どのような状況を手にするか?ということが決まるのです。
あなたは評価されていますが、それは自らの思想を形として所有した時になって初めて下されるものであるということを忘れてはなりません。
どのような思想を所有していたとしても、それが形として現れた時にこそ評価されます。
それは、思想が不安定なものであり、形になるまでは不規則に変化し続け、正しく評価することができないからです。
思想が行いとして実際の形を形成すれば、それを正しく評価することもできるのです。
そのため、人生はあなたの行いを待っているのです。
あなたがどのような行いをするのか?ということを見ているのです。
あなたの行いに従って人生はあなたに与えるものを決めます。
あなたが善行を行えば富を。
あなたが悪行を行えば戒めを。
それぞれに相応する結果を与えるのです。
口で正しいことを言うのは簡単です。
しかしながら、それを実際に行うのは難しいことです。
なぜなら、善行を行うためには恐怖に打ち勝ち、自らの弱さを克服しなければならないからです。
自分自身のことも律することのできない者には、誰かや何かに貢献することなどできないのです。
人生に富みを積む人は、恐怖に打ち勝ち、自らの弱さを克服した人であるということを理解しなければならないでしょう。
あなたは自らの弱さを克服しなければなりません。
偽善に満ちた生き方をしてはなりません。
あなたの行いは常に正しくなければならないのです。
自らのその行いが、誰かや何かに対して貢献することを願いましょう。
表面を繕って、その中身が疎(おろそ)かになってはならないのです。
あなたはどのようなことも偽ってはなりません。
人生に正直でなければならないのです。
人生に正直な人は、何に対しても、誰に対しても素直で正直な気持ちを持つことができるでしょう。
正直者は善を偽ることはできません。
素直で正直な行い(善行)ほど、人生の富として数えられることはありません。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、正しい人でなければなりません。
善行は必ず必要な富をもたらせてしまいます。
偽善者としての己を捨て去り、正しい人でありましょう。

2013年4月27日土曜日

羨望(せんぼう)

他人を羨(うらや)むものではありません。
あなたが他人を羨んだところで、どのような問題が解決するというのでしょう。
あなたが他人を羨んだところで、どのような豊かさがもたらされるというのでしょう。
あなたが他人を羨むことは、あなたにとっての何の利益ももたらしません。
あなたが他人を羨むことはあなたにとって有益ではなく、むしろ損害を導くということを知らなければなりません。
人は自分自身とそれ以外の人を比較しながら生きています。
どのような人物も他人のことが気になるのは仕方のないことです。
それは、自分自身と他人を比較することによって自分自身というものを理解しようと努めているからです。
人は自分自身という存在を知る必要があります。
それは、自分自身を知ることによって、人生が意義を見出すからです。
自分自身を知ることこそが、人に自らの人生の意味と役割を教えるのです。
どのような人物も自分自身を知るということはとても大切なことであるのです。
自分自身を知ることがなければ、人生における選択に迷いが生じます。
自分自身を知っているのであれば、自分自身が何をするべきであるのか?ということに迷うことはないのです。
自分自身を知るということは、人生を豊かなものにするためには欠かせないということを覚えておかなければならないでしょう。
自分自身を知るということは、自分自身の必要を知るということです。
あなたが自分自身という存在を知れば、自らにとって何が必要であり、何が大切であるのかを知ることができるのです。
それはあなたの人生を本当の意味で満たすものであり、それはあなたが本当に求めているものであるのです。
大切なのは、自分自身を知るということです。
自分自身を(で)生きるということです。
あなたは自分自身という存在を知るために時間と労力を費やさなければならないでしょう。
あなたは自分自身を見つめ、それに向き合わなければならないのです。
大切なのは自分自身という存在です。
大切なのは他人ではありません。
ただし、誤解してはなりません。
最も大切にしなければならないのは他人です。
あなたは他人のために尽くすことができるようになるために自分自身を知るのです。
他人に尽くすために自分自身を知ることが、巡り巡って自分自身のためになるのです。
自分自身と他人のために自分自身を知る必要があるのです。
自分自身を知ることができなければ、あなたは他人や自分自身に対して貢献することはできません。
貢献することができなければ、人生を豊かなものにすることはできないのです。
自分自身を知るためには、自分自身を追求しなければなりません。
自分自身を知るには、自分自身について調査する以外に方法はないのです。
自分自身という存在を研究することが求められるのです。
他人を羨む人がいます。
それは他人が自分よりも優れているように見えることがあるからです。
しかし、あなたはその感情に注意を払わなければなりません。
他人を羨むということは、自分自身に対する調査に怠けているということが言えるからです。
それは、自分自身に対する熱意に欠けるということも言えるでしょう。
自分自身を知る努力を怠り、他人を羨んでいるようならば、自分自身のことに事欠く事態を招いてしまいます。
それは避けなければなりません。
なぜなら、自分自身のことに満足がいかない状態であるにもかかわらず、人生の豊かさを得ることなどできないからです。
自分自身の充実こそが豊かさに繋がるということを忘れてはならないのです。
あなたは自分自身に情熱的でなければならないでしょう。
自分自身という存在に熱意を持ち、それを理解しなければならないのです。
他人を羨んでいるような時間はありません。
また、他人を羨むための労力があなたにとって有益に働くということはないのです。
他人を羨む時間と労力によって、自分自身を磨き高めることが求められるのです。
あなたは豊かな人生を生きなければなりません。
自分自身の必要と大切を満たすように生きなければならないのです。
生きていれば何らかの問題を抱えます。
しかしながら、そのような状況の中で必要な豊かさを手にしなければなりません。
人生に必要を満たすためには、自分自身であるということが重要であるのです。
あなたは人を羨む必要はありません。
あなたにとって本当に価値のあるものは、あなたの中にこそ存在しているのです。
あなたにとって本当に価値のあるものは、あなたにしか手にすることはできないのです。
他人を羨むよりも、自身の価値を探しましょう。
それを探し当てたら、他人を羨む必要がないことを悟るでしょう。
あなたが誰かを羨んでいるのであれば、自分自身という存在を知らないということを理解しなければならないでしょう。

2013年4月26日金曜日

汚れなき眼差し

人生の豊かさを実現させるためには、人生に豊かさを見なければなりません。
人生に豊かさを見ることもなく、人生が豊かなものになるということはないのです。
人生を豊かなものにするためには、その目が豊かさを捉えなければならないのです。
あなたはその目にできるだけ多くの豊かさを映すように心掛けましょう。
すべての結果は原因から導かれます。
あなたが見ているものから価値観が導き出され、価値観が選択を導き、選択が生き方を決めます。
生き方は人生を決めるのです。
すべてはあなたの見ているものから始まります。
それは、あなたが見ているものが認識を生むからです。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、先ずはその目が豊かさを捉えなければなりません。
豊かさを捉えることができなければ、豊かな人生を築くことなどできないということを覚えておかなければならないでしょう。
人生は認識によって築かれていきます。
自分自身がそれをどのように捉えるのかによって、状況や人生が決まるのです。
豊かな認識は豊かな生き方に繋がるということです。
どれだけ豊かな原因を持つことができるか?ということが重要なのです。
目の前の状況や人生というものを豊かに捉えるのであれば、それらは豊かさを湛(たた)えることでしょう。
あなたは目の前の状況や自らの人生の中に存在している豊かさを捉えなければなりません。
豊かさをその目に映し、豊かな生き方をしなければならないのです。
目の前の状況や人生の豊かさを捉えることができず、その苦しみを捉えているのであれば、人生が豊かになるということはないのです。
目の前の状況や人生に苦しみを見出しているのであれば、その心が休まることはありません。
苦しみによって不満や不安が心を縛り、やがては恐怖が人生を支配してしまうでしょう。
恐怖に根差した心であっては、どのような方法を用いようとも、人生を豊かに生きることはできないのです。
その心が豊かさを見ることなくして、人生は豊かなものにはならないということを忘れてはならないでしょう。
あなたが人生に豊かさを見るためには、どのような偏見も所有してはなりません。
人は自らの価値観によって物事を判断しますが、人の価値観というものは常に未熟であるということです。
完璧な価値観などというものは存在しません。
人は誰もが未熟であるということです。
どのような人物も、未熟な価値観によって物事を判断しているために、何らかの偏見を持つことは否めないのです。
誰もが自身の正義というものを持っており、そこから世界を見ているのです。
そのため、人の判断には何かしらの過ちがあるということも加味しなければならないのです。
偏見は物事の本質を濁らせてしまいます。
偏見を以て物事を見れば、その本質に辿り着くことはできなくなります。
一方からの視点では分からないものです。
表と裏では全く異なる姿をしていることもあるということを知らなければなりません。
人は自分自身の正義を信じています。
それが悪いことだと言うのではありません。
もちろん、人は自分自身の正義を信じていなければなりません。
それは、自分自身を信じることができないのであれば、何も果たすことができないからです。
注意しなければならないのは、自分自身の正義を強く信じる余りに、それに陶酔(とうすい)してしまって、自らの考えや価値観を歪めてしまうことなのです。
偏見を持てば目が濁り、真実が見えなくなってしまいます。
情という偏見に流されて冷静さを欠いてしまえば、必要な判断をすることはできないのです。
あなたは偏見なく世界をその目に映さなければなりません。
どのような状況に対しても、そして、人生に対しても「汚れなき眼差し」を向けなければならないのです。
あなたがどのような正義の立場にあろうとも、物事に偏見を持ってはなりません。
仲間や敵などという偏見によって物事を見ているのであれば、大切なことを見失ってしまうでしょう。
もしも仲間が間違っているとしたら、あなたはどうするつもりでしょう?
仲間が間違っている時に正してやるのが本当の仲間というものではないでしょうか?
どのような状況にも豊かさを見る目を養わなければ、それを手にすることはできません。
状況が発展し、人が成長する選択をしなければならないでしょう。
豊かさというのは、好転的な変化であるということを忘れてはなりません。
偏見は必ず判断を誤らせます。
偏見は過ちを過ちのままで正当化してしまうこともあるということを覚えておかなければなりません。
あなたが何かに傾いてしまった時には偏見が生まれ、その時点において既に正しいものは目には映っていないということを理解しなければならないでしょう。
あなたは偏見なく、物事を判断しなければなりません。
素直に、純粋に、物事をその目に映さなければならないということを覚えておきましょう。
どのように見るか?人生においてはそれがとても重要であるということを忘れてはならないでしょう。

2013年4月25日木曜日

美しい富

穏やかな心こそがあなたの求める至上の豊かさであるということを覚えておかなければならないでしょう。
この地上でどのようなものを手に入れようとも、穏やかな心を手に入れることができなければ、決して幸福を手にすることはできないのです。
あなたが人生の幸福を望んでいるのであれば、何よりも穏やかな心を手に入れることに力を入れるということを忘れてはならないでしょう。
どのような富も、穏やかな心の前には霞(かす)んで見えます。
どのような富も、豊かな心の輝きには遠く及ばないのです。
あなたが求めているものは何ですか?
何に価値を見出していますか?
何のために働き、何のために生きているのでしょうか?
あなたが求めるものは何であろうと与えられるでしょう。
それは、それを手に入れるための原因を所有するからです。
原因は必要な結果を導きます。
あなたが求めるものはいつの日か必ず与えられるということを覚えておかなければならないでしょう。
しかしながら、あなたが地上に存在しているすべてを手に入れたとしても、そこに穏やかな心が伴わなければそれらを豊かさとして認識することはできないのです。
心が貧しく、飢えや苦しみを抱えているのであれば、どのような富もあなたに豊かさを与えることができないということを知らなければならないでしょう。
大切なのは自分自身がどうであるのか?ということです。
自分自身の状態こそが重要であるということを覚えておかなければなりません。
自分自身が飢えや苦しみを抱えている状態で富を得ることができたとしても、それによって満たされるものは仮初(かりそ)めです。
一時的に満足を得ることができたとしても、それは直ぐ様あなたの手元を去ってしまうでしょう。
それは、手元にある富を有効的に扱うことができないからです。
どのような富も、それを十分に扱うことのできる者のところに集まります。
有効活用することができないものは無駄です。
それでは世界に矛盾してしまうのです。
すべての存在は生きる場所を探しています。
どのような存在もより有利に自分を生かす場所を探して動いているのです。
自分を生かすことのできない場所にとどまることはできません。
それがどのような富であるにしても、それを十分に扱うことができなければ、とどまることがないということを忘れてはならないのです。
人の力はその心から導き出されます。
心に力がみなぎれば、所有する様々な力はその能力を十分に発揮します。
心に力が不足しているのであれば、どのような力もその能力を発揮することはできないのです。
心が貧しく、そこに飢えや苦しみを抱いているのであれば、何をやっても満足のいく結果を残すことはできないでしょう。
あなたが満足のいく結果を残すためには、その心が力に満ちていなければならないのです。
心が力にみなぎっているのであれば、何をやっても(最終的には)必要な結果を得ることができるでしょう。
人にとって大切なのは、その心の状態です。
心がどのような状態であるのかによって、受け取る結果が決められます。
心が力にみなぎり、穏やかであり、豊かであるのならば、その選択は自ずと洗練されていきます。
研ぎ澄まされた選択は理を貫き、更なる豊かさを導き出します。
穏やかな心(冷静さ)を以て事に当たれば、「良い結果」を得られるということは理解することができるでしょう。
乱れた心が導き出すのは混乱と苦しみなのです。
乱れた貧しい心を以て何かを求める時、人は既に大切なことを見失っています。
求める結果を得るためには、物事の本質に触れなければなりません。
穏やかで満たされた心でなければ、物事の本質を見極めることなどできないということを知る必要があるでしょう。
どのように努力を重ねようとも、やり方が間違っているのであれば、必要な結果を得ることはできません。
努力の量が少なくても、やり方が正しければ要領よく必要な結果を得ることができるのです。
乱れた心で富に触れることは間違った方法です。
汚い心で富に触れれば、美しい富はたちまちの内に汚れてしまうでしょう。
美しさを増やすためには、美しい心によって美しい富に触れなければならないのです。
美しいものは、美しいものによってしか増やすことはできないのです。
汚れたものは汚れたものを増やすということを忘れてはなりません。
あなたがどのような心で触れるのかによって、どのような結果が得られるかが決まります。
この世界では、あなたが触れるものを得るのです。
世界はあなたの手(心)によって築かれるのです。
どのような結果や豊かさが必要ですか?
そのためにはどのような心が必要でしょう?
何よりも心の状態が重要であるということ。
心の豊かさに比べれば、地上のどのような富も取るに足らないということを理解しなければならないでしょう。
心の平穏を保つことを第一として考えなければならないでしょう。
心を犠牲にしてはなりません。

2013年4月24日水曜日

喜びの種

人の罪が消えることはありません。
人は誰しも過ちを犯し、その責任を負わなければなりません。
どのような人物も自分自身の行いからは逃れられないのです。
人は未熟な存在です。
誰もが失敗をします。
初めから成功を、誤りもしないのに豊かさを手にすることなどできないのです。
人は物事の理を見誤り、選択に失敗した後に成功に近付くのです。
どのような人物も必ず何らかの過ちを犯します。
過ちを犯さない者は存在しません。
人という存在は必ず過ちを犯します。
それは避けられないことだということを覚えておかなければならないでしょう。
過ちは罪、それは人に罰を与えます。
原因が必要な結果を導くこの世界において、それは仕方のないことです。
人が生きている内は、罪から逃れられないということを理解しなければならないでしょう。
人はどこかで過ちを犯し、それに相応する罰を負います。
その罪は償(つぐな)わなければなりません。
罪を償うことがなければ、罪に対する苦しみがその身を離れることはないのです。
過ちを犯し、罪を背負うということは、苦しみを受け取らなければならないということを理解しなければならないのです。
そのため、人生は苦しいものです。
人はいつの時も未熟であり、その過ちを避けることはできません。
人生とは、自らの犯した罪への償いであるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは自らが犯した罪を償わなければなりません。
罪をやり過ごすことはできません。
どのような人物も、自らの行いによって発生する責任を果たさなければならないのです。
あなたは自らの罪を償いましょう。
抱える苦しみと向き合うということが、罪の償いに繋がります。
苦しみと向き合い、それを乗り越えることが罪を償うということなのです。
罪を償えば、それは必要な利益としてあなたにもたらされます。
それは自身の成長であったり、必要な状況(好機)であったりします。
罪を償った後には、必ず何らかの豊かさが与えられるのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
苦しいことが損害だけを導くと思い込んではなりません。
罪が罰だけを与えるなどと考えてはならないのです。
苦しみや罪が、喜びや利益へと変わるということを知らなければなりません。
あなたは自らの罪やその苦しみから逃れる必要はありません。
失敗こそが成功の扉を開く鍵であるということです。
人の罪が消えるということはないのです。
人はその罰をすべからく受け取らなければならないのです。
あなたは考えなければなりません。
自らの罪や苦しみが、自分自身にとってどのような意味があり、どのように作用するのかを。
感情に任せて自らの抱える罪や苦しみの意図に気が付かずに、それから逃れようとしてはなりません。
すべてのものには必要な意味があります。
あなたに有益に働かないものなど、あなたの人生には存在してはいないのです。
それがどのような過ちであり、罰であろうとも、それが自らにとって有益に働くことを想像しなければなりません。
自らがどのようにすればそれがそう働くのかを考えましょう。
人は決して罪から逃れることはできず、その責めや苦しみを受け取らなければなりません。
受け取らなければならないものであるのならば、それがどのように自らに有益に働くのかを考えることは大切なことなのです。
人生から逃げているのであれば、可能性は狭まります。
苦しみであろうともそれは人生であり、逃げることは可能性を狭めてしまう行為なのです。
自らの犯した罪によって生じた苦しみであるのならば、それを受け入れることが可能性を広げる方法であるということを理解する必要があるでしょう。
苦しいのは当たり前です。
残念ながら、人生は気楽な場所ではないのです。
苦しみも必要であるということを理解しなければなりません。
人生には苦しいことが多々あるでしょうが、それが例外なく喜びの種であるというこを忘れてはならないでしょう。

2013年4月23日火曜日

自分自身

原因はそれに相応する結果を導き出します。
すべての結果は必要な原因によって導き出され、人生はそれを避けることができません。
原因が存在するのであれば、結果は必ず存在するのです。
原因を所有しているのであれば、結果を受け取らなければなりません。
どのような人物もそれを拒絶することなどできないのです。
必要な結果はどのような理由があろうとも受け取らなければならないということを覚えておかなければなりません。
原因とはあなたの選択です。
その思考、感情、言葉、行動などの生き方がそれに当たります。
どのような人物も自らの生き方に責任を持たなければなりません。
それは、自らの生き方こそが人生であなたが受け取ることを決めるからです。
あなたは自らの選択を軽んじてはなりません。
どのような選択も間違いなく自らの受け取る状況に繋がっています。
自らの選択と関係のないものが人生にもたらされるということはないのです。
人生に受け取る状況というものは、そのすべてが自分自身に関係のあるものであるということなのです。
その原因は自分自身にあります。
自らの生き方の中にそれの原因というものが存在しているのです。
あなたは人生に受け取る状況の中に、自らの思考、感情、言葉、行動などを見ることでしょう。
自分自身の選択によって人生は築かれます。
自分自身の選択から導き出される結果から逃れることができる人物は存在しません。
どのような人物も自分自身を拒絶することはできないのです。
人生とは、自分自身そのものです。
自らの生き方がそれを築きます。
正しく生きる者は正しい人生を受け取り、正しく生きない者は正しくはない人生を受け取らなければならないのです。
あなたはそのことを理解した上で自分自身の在り方を決めなければならないのです。
正しい人生を生きたければ、その選択を正しいものとし、正しい者でなければなりません。
正しい選択ができない者が正しい人生を受け取ることなどできないということを理解しなければならないのです。
人は人生の選択に迫られています。
人は選ばなければなりません。
選択の期限は押し迫り、人生は展開を求めます。
その時に自らの求める結果(人生)に対して相応の選択をしなければならないのです。
恐怖に支配されることのない自由な心に従えば、必要な選択をすることができるでしょう。
しかしながら、多くの人は恐怖に支配されてしまい、自らの心に従うことができません。
そのため、求めている結果とは異なる原因を選択してしまい、やがては道に迷ってしまうのです。
すべての原因はそれに相応する結果を導き出します。
自分自身の求める結果を受け取るためには、自分自身の求める原因を選択しなければなりません。
それが鉄則です。
自分自身に従うことができない者には、自分自身の求める人生を受け取ることはできないということを覚えておかなければならないでしょう。
どのような選択も必ず状況に反映されます。
自らの選択が導き出す結果を拒絶することなどできないのです。
あなたは自分自身の生き方によって人生を築きます。
自分自身の心に従わなければならないのです。
自分自身を信じることができず、それに従うことができないというのであれば、必要な結果を得ることなどできないのです。
人生の豊かさは、心の豊かさにあります。
心の豊かさが人生に反映されることがなければ、人生が豊かなものになるということはないのです。
大切なのは、自らの心を人生に反映させるということです。
自分自身が求める結果を手にするということなのです。
必要な結果を得るためには、必要な原因を用意しなければなりません。
それを達するためには、それに相応しい生き方をしなければならないのです。
あなたは自らの思考、感情、言葉、行動などに注意を払いましょう。
その生き方が、自らの求める結果の原因に成り得るのか?ということを考えておかなければなりません。
人生にどのような結果を受け取るのかはあなた次第であるということを忘れてはなりません。
あなた以外の何者も、あなたの人生を左右する力は持ち合わせてはいないのです。
人生は自分自身の所有する原因によって導き出される結果によって築かれているのです。
あなたが人生に不満を持つのであれば、先ずは自分自身の選択(生き方)を改めましょう。
自分自身に落ち度がないか?を確認する術を身に付けましょう。
人生とは自分自身であるということを忘れてはならないでしょう。

2013年4月22日月曜日

豊かさの実体

人生にとって大切なことは、自らの心を人生に実現させるということです。
自らの心の中に存在している理想を状況に反映することこそ、あなたが重要視しなければならないことでしょう。
どのような人物も、自らの心が持つ理想の重要性に気が付かなければなりません。
自らの心が持つ人生への影響力を知らなければならないのです。
心が持つ人生への影響力というものは計り知れないものがあります。
人生を豊かなものにするためには、心との協力が欠かせません。
心の豊かさが人生の豊かさに直接的に結び付いているということを理解する必要があるでしょう。
心と人生の関係性を理解することなく、豊かさを得るということはできないのです。
人生の豊かさは心の豊かさにあるということを忘れてはなりません。
人生とは、心の状態であるということです。
心が豊かなものであるのであれば、人生は豊かなものであるでしょう。
心に豊かさが足らなければ、人生は豊かさを得ることはできないのです。
それは、豊かさというものが満足度でしかないからです。
人生の豊かさの実体は、心の充実であるということを理解しなければならないでしょう。
人生の豊かさは物質的な豊かさだけでは達することができないということを知らなければならないのです。
心が満足すれば、人はそれを豊かであると感じることができるのです。
人生を豊かなものにするために必要なことは、心に満足感を与えるということなのです。
人生を豊かなものにするためには、心を満たすことの必要性を理解しなければならないでしょう。
心を満たすためには、心が求めるもの(理想)を与えなければなりません。
心が求めるものを心に与えるためには、それを人生に実現させる必要があるのです。
どのような人物のどのような心も、必ず理想を持っています。
どのような人物のどのような心にも、人生に実現させたいと思う欲求が存在するのです。
誰もが理想を持ち、それを実現させたいと願っていますが、それを実際に実現させるための労力を惜しむということがあります。
多くの人は一方では理想を実現させるための労力を惜しみながら、一方では豊かな人生を手にしたいと願っているのです。
それは矛盾であり、それは実現することのできない豊かさなのです。
理想と豊かさを実現させたければ、それを実現させるための労力を惜しむことはできません。
世界は原因を必要としています。
人生では、実際にやったこと(事実)だけが実現し、やっていないことは実現することがないのです。
人生の豊かさを求めているのであれば、心に従って生きなければなりません。
自らの理想に沿って人生を選択しなければならないのです。
夢を持ち、理想を追いかけなければならないのです。
理想を実現させようとすれば、そこには夢が生まれます。
あなたは夢を持たなければならないでしょう。
どのような人生を生きようとも、夢を追わなければならないのです。
夢から逃げるように生きてはなりません。
あなたの理想はどのようなものですか?
自らの心に反抗する必要はないのです。
単純に理想に従えば良いのです。
余計なことを考えて自分を誤摩化し、理想を押し殺してはならないのです。
理想は生かすことが重要です。
あなたは決して自らを裏切ってはなりません。
自らの理想に背いて生きても、何一つ楽しいことなどないのです。
楽しいと思い込むことはできるでしょうが、そこに充実感は得られないでしょう。
心が求めるものを実現することが重要です。
人生を難しく考える必要などないのです。
欲しいものを求め、いらないものを捨てる・・・
ただそれだけで良いのです。
あなたは心のままに生きましょう。
夢を持ち、理想を追いましょう。
理想を追うことの必要性を理解しなければなりません。
好きなことを追うこと以外で人生が楽しくなる方法はないのです。
自らの心に背いても楽しいことはありません。
人は誰もが、自らの心を実現させるために生きています。
好きなことをするため、理想の世界(人生)を築くために生きているということを忘れてはならないでしょう。
ただ心に従い、生きましょう。

2013年4月21日日曜日

完全な利益

すべての物事には必要な意味があります。
無意味に存在しているものはありません。
それがどのようなものであれ、そこに存在する理由があるのです。
その存在がそこに存在するためには、その理由を満たす必要があります。
意味を満たすことがなければ、それはそこに存在することができないのです。
その存在がそこに存在する時、それはそこに止まる理由を必要とします。
その理由を満たすためには、「エネルギー」が必要なのです。
どのような存在もエネルギーを持っています。
それは命であり、力であり、時間であり、形であり、繋がりであり、必要性であったりします。
どのような存在もそこに存在するためには、そこに存在するためのエネルギーを消費しているのです。
物事が何のリスクもなくそこに存在しているということはないのです。
存在しているということ自体がエネルギーを必要としているのです。
生命を維持するためには、食事をしなければなりません。
それは周知の事実であり、今更それを覆(くつがえ)そうと言う者はいないでしょう。
食事をし、それを命に代えて生きているのです。
生きるためには食事として、他の命を消費しなければなりません。
その他に、体力、精神力、時間、寿命を消費しなければ人生を保つことはできないのです。
命は何かを消費しながら生きているのです。
この世界においては、何かを消費しなければ、何かを得ることはできないのです。
何も消費することなく、何かを得ることはできません。
それは絶対です。
何かを得るためには、何かを犠牲にしなければならないのです。
あなたは、何かを得るためには何かを手放さなければならないということを理解しなければならないでしょう。
何かを得ても、それを維持することにも何かを消費する必要があるということも忘れてはならないのです。
必要なものを得るためには、必要なものを支払わなければなりません。
代金を支払わずに商品を得ることはできません。
何かを得るためには、何かを犠牲にする必要があるのです。
何も犠牲にすることなく、何かを得ることなどできません。
この世界に完全な「美味しい話」というものは存在しないのです。
完全な利益などあり得ません。
その時は分からなくても後に支払わなければならない犠牲があるのです。
自らの認識の範囲外において支払わなければならないものもあります。
何かを得るためには、それ相応の代償が存在しているということを知らなければ、必要な支払いが滞り、やがては自ら首を縊(くく)ることになってしまう可能性もあるでしょう。
どのようなことにも責任が求められます。
人生は自己責任です。
自らの行い(生き方)に沿った責任が導かれます。
どのような人物も自分自身の生き方を否定することはできません。
自らの過去(行い)を消すことなどできないのです。
あなたが得たものには、すべて責任というものが備わっています。
それを手元に止めるには、それを手元に止めるためのエネルギーを支払わなければならないのです。
すべてには責任が働いているということを理解しなければならないでしょう。
果たせない責任は、負債となります。
人生への負債から逃れることはできません。
それは如何なる理由があろうとも、何が何でも支払わなければならないものなのです。
あなたは自らの果たせる範囲の責任を抱えるようにしましょう。
果たすことのできない責任を抱えてはなりません。
ただし、負債が悪いと言っている訳ではありません。
果たすことができる負債は抱えても構わないのです。
自らの力量(果たすことのできる責任)に見合った欲を持ちましょう。
力量以上の大欲は身を滅ぼします。
必要でないものまで欲することに注意しなければなりません。
それが本当に必要であるのか?ということを確認しましょう。
必要が満たせれば事足りるということを知らなければなりません。
自らの必要、そして力量を見極めなければなりません。
計画も無く何かを求めてはなりません。
必要以上の欲に注意しなければなりません。
足るを知りましょう。

2013年4月20日土曜日

理由

人生を豊かなものにするためには、自らに与えられた役割を果たさなければなりません。
役割を果たすことなく、必要な豊かさを得ることはできないでしょう。
人は誰もが自分自身というものを持っています。
それは、世界に一つとして同じものは無く、唯一の存在であるのです。
あなたにはあなただけの役割というものが存在しています。
あなたはそれを果たさなければならないのです。
どのように平凡に見える人物の平凡な人生にも、その人物だけの役割というものがあるのです。
あなたがどのような立場の、どのような人物であったとしても、その役割を果たすために生きているということを理解しなければならないでしょう。
自らに与えられた役割を果たすこと無く、人生を豊かなものにすることはできません。
それを豊かなものだと思い込むことはできますが、自らに与えられた役割を果たすことがなければ、本当の意味においての豊かさを満たすことはできないのです。
どのようなものを手にしようとも、心を満たすことができなければ人生が満たされることはありません。
あなたの心を満たすものは、自らに与えられた役割であるということを理解しなければならないでしょう。
自らの役割を忘れた状態で何かを求め、それを得たとしても、それが本当の意味であなたの心と人生を満たすということはないのです。
大切なのは自分自身がどのような理由で人生に存在しているのか?ということを探ることです。
自らの命に理由を付け、人生を有意義なものにすることを目指すということです。
何のために生きているのかを(自分なりの解釈で構わないので)理解することがなければ、何をやっても空しいだけであるということに気が付かなければならないでしょう。
どのような人物のどのような人生にも必ず意味が存在しています。
それを知ることが求められるのです。
あなたは自分自身が何のために生きているのか?という人生の意味を知らなければならないでしょう。
人生は暇つぶしなどではありません。
命も時間も堪え忍ぶものではないのです。
命も時間も必要な役割(仕事)を果たすために使わなければならないのです。
あなたが命を所有し、人生を生きているのは何のためですか?
何を得て、何を与え、何を遺すためですか?
今のあなたが思い付く理由を並べ立てましょう。
あなたの思い付く理由を追求することが大切なのです。
残念ながら、人生の本当の理由や、自らに与えられた本当の役割などは、誰にも理解することはできません。
そうではないかと推測することや、そう思い込むことはできますが、残念なことに本当のそれは理解することができないのです。
そのため、自らに与えられた役割、人生の理由に対して少しでも近付くことが求められるのです。
理由は後になって分かるものです。
あなたが人生を生きた本当の理由は、あなたの命が尽き果て、人生を終えて初めて理解することができるでしょう。
しかしながら、それを理解しようと努め、少しでもそれに近付いていなければ、人生を終えたところでその理由を理解することはできないでしょう。
近くのものは理解することができますが、遠くのものは理解することはできないのです。
生きている時には、自分なりの解釈によって理由を付ければ良いでしょう。
むしろ、無理をしてもそれを見出さなければなりません。
自分が何のために生きているのか?という理由を自分なりに持っていなければならないのです。
目的を持たなければ、何も果たすことはできません。
目的がなければ、どこへも辿り着くことはできないのです。
人生の目的は自分自身の変化によって変わるものです。
それは価値観の変化によって目的は自由に変わるからです。
人は経験を重ねる度に価値観を変えます。
それが成長です。
成長して価値観が変われば、当然のことながら、見える景色が違ってくるのです。
そのため、人生に対する目的や理由というものは一貫していることはなく、自由に変化するものであるのです。
それで良いのです。
人生が変化を失ってしまえば、それは停滞を意味してしまいます。
停滞は自らの役割を果たすことができない状態にあるのです。
人生を生きる者としては、その状態は避けなければならないのです。
人は誰もが、人生を豊かなものにするべく、その役割を果たそうと心掛けなければならないのです。
あなたは自らの選択や行動、そして、目の前の状況に理由を付けましょう。
それは、自分なりの解釈でかまいません。
無いものは勝手に作れば良いのです。
あなたの理由付けが、与えられた役割を果たすためには重要なのです。
人生の理由、与えられた役割がどのようなものなのか分からなくても、自分で付け加えればそれが理由になります。
理由を追い続けているのであれば、自らに与えられた役割も見えてくるでしょう。
何のために生きているのか?その理由を探し続けましょう。

2013年4月19日金曜日

忘れること

人生において大切なことは、それを展開させることです。
人生の豊かさは、状況をどれだけ展開させたかにあります。
状況が展開するということが人生の豊かさに繋がるということを理解しなければならないでしょう。
状況を展開させるためには、立ち止まっていてはなりません。
どのような状況にも立ち止まってしまえば停滞が待っています。
状況が停滞してしまえば、状況が展開することはなく、新たな変化がなければ必要を満たすことができないということは理解することができるはずです。
同じことを繰り返しているだけでは時代(状況や環境)に乗り遅れてしまい、豊かさを得られなくなってしまうのです。
時代遅れではなりません。
どのようなものも新たな変化を得ながら発展していかなければならないのです。
人生を豊かなものにするためには、新たな変化を求めて進み続けなければなりません。
進歩しなければならないのです。
進歩するためには変化に対して進み続ける必要があります。
歩みを止めてしまえば、進歩も豊かさも得ることができないということを理解しなければならないでしょう。
あなたはどのような状況にも立ち止まってはなりません。
あなたを縛るものを振り切って先へと進まなければならないのです。
人生には様々なことがあります。
人生の状況はあなたにとって都合の良いものばかりではありません。
自らにとっては辛く苦しいことも多々あるのです。
苦しみによって、時に人はそれに縛られてしまいます。
苦しみが大きいほどに、その重さにひざを着くのです。
人生には苦しいと感じる状況というものが多々あることでしょう。
それはどのような人物のどのような人生であろうと同じことです。
人生を生きる誰もが、苦しみという重荷を背負うのです。
苦しみを大切にしていると、その重さに堪え兼ねてやがては歩くことができなくなってしまいます。
先へと進むことができなければ、自らの進歩はなく、状況の展開も、人生の豊かさも得ることはできないのです。
大切なのはどのような状況にあろうとも、先へと進むことです。
どのような問題、苦しみを前にしたとしても、それらに捉われること無く進み続けることが重要なのです。
苦しみは忘れることです。
それがどのような苦しみであろうとも、それが過去のものに違いはありません。
出来事は消えることはありませんが、感情を消すことはできるのです。
人生は必要で満ちており、本来、苦しみというのは個人の感情の中だけのものなのです。
世界に苦しみが存在している訳ではありません。
苦しみというものは「形の無い」感情なのです。
意識は存在しますが、その形は決められたものではありません。
感情の形は自由に選ぶことができるのです。
出来事に対する反応が感情です。
どのように反応するのか?という選択肢はあなたの自由です。
それが制限されている人間など存在しないのです。
状況(過去も含めて)に対してどのような反応をし、どのような感情を持つのかはあなた次第なのです。
状況に対して苦しみという感情を抱いてしまえば、あなたは重荷を背負わなければならないことになるでしょう。
状況を展開させ、人生を先へと進めるためには、余計な荷物は持たない方が身のためです。
先へと進むためには身軽な方が良いのです。
余計なこと(苦しみなどのネガティブな感情)は考えないことが得策です。
後ろ向きに考えたところで状況が発展することはないからです。
余計なことは考えないことです。
苦しみの感情をいつまでも覚えていてはなりません。
いつまでも捉われていてはならないのです。
苦しいことは忘れるのです。
切り替えて先へと進まなければ、いつまで経っても同じ場所を旋回するだけになってしまうのです。
それでは時代に取り残されてしまいます。
環境に適応することができない生物が手にするのは滅亡です。
環境に対応することができないものは生き残れないのです。
あなたは常に先へと進む方法を考えていなければなりません。
いつまでも苦しみに捉われていてはなりません。
苦しみの感情を忘れましょう。

2013年4月18日木曜日

骨格

目に映るものだけを重視しているのであれば、あなたは大切なものを見失ってしまうでしょう。
世界は目に映るものと、そうではないものによって構成されています。
それがどのような状況であろうと、目に映るものと目には映らないものによって構成されているのです。
あなたはどのような状況にも、そこにはそれら目には映らないものが存在しているということを覚えておかなければならないでしょう。
世界は本質とそれを包む「表現」によって構成されています。
すべての事象、すべての状況が、本質の表現です。
すべての事象や状況には理由が存在しています。
その理由が本質であるのです。
しかしながら、その本質が直接的な表現を用いて事象や状況に現れる訳ではありません。
人間の肉体は骨格によって支えられていますが、それを視覚によって捉えることはできません。
目視によって骨格を捉えることはできませんが、それは確実に存在しているのです。
肉体を支えているのは目に映る筋力ではありません。
肉体を支えているのは骨格であるということは理解することができるでしょう。
筋力が無くても肉体を支えることはできます。
しかしながら、骨格が存在しなければそれは叶わないのです。
肉体においては、筋力と骨格の両方が重要なのです。
目に映るものだけを重視しているのであれば、大切なことを見失ってしまいます。
あなたは目に映るものだけを重視してはなりません。
目には映らないものであっても重要であるということを理解しなければならないのです。
あなたが目的を達するためには、知識、技術、想像力、努力、という力が必要です。
それらに欠けてしまえば、どのような目的も達成することはできないでしょう。
あなたが豊かな人生を望むのであれば、必要な目的を果たさなければならないのです。
先にも述べたように、物事には目に映る部分と目には映らない部分が存在しています。
すべてが本質とその「表現」によって構成されているのです。
本質というのは理由(原因)です。
「表現」というのは結果であるのです。
あなたにとっての本質とは基本力です。
「表現」とはそれの応用のようなものです。
互いが混じり合って実力になります。
物事の本質は、大抵が目には映らないような謙虚な姿をしています。
どのような物事の基本も地味で目立ちません。
それに比べて「表現」というものは派手な姿をしていて目立ちます。
基本を応用した時、それは何倍にも膨れ上がり、華やかになるのです。
そのため、多くの人は物事の基本よりもその応用に魅了されます。
本質は地味で目立たないために軽視されがちなのです。
しかしながら、地味で目立たないことほど重要なものはありません。
筋肉は派手で目立ちます。
しかしながら、骨格が弱っていたらどうでしょうか?
どのように立派に見える建造物も、柱が朽ちていたとしたら・・・
大切なのは骨格がしっかりしていることです。
地味で目立たない基本が盤石(ばんじゃく)であることが重要であるのです。
目に映るものばかりを重視していてはなりません。
上澄みだけを啜(すす)るようではならないのです。
「表現」ばかりを重視していると、上辺をつくろうような人間になってしまします。
目には映らない基本(芯)を充実させておかなければ、薄っぺらな人間になってしまうのです。
どのようなことにも地味な基本が存在しています。
あなたはその重要性を忘れてはなりません。
秋になると樹木は葉を落とします。
その時に樹木の本当の姿が露(あらわ)になります。
樹木の美しさは葉にあらず、葉に隠れている樹形にあるということを覚えておかなければならないでしょう。
表情が優れていても、心が汚れているなら、本当の豊かさを得ることはできません。
目には映らないことを軽視してはなりません。
どのような本性も必ず露になる時がやってきます。
基礎がしっかりしていれば、外壁が崩れ落ちたとしても再建することができるでしょう。
しかしながら、基礎が使い物にならなければ、建て替えなければならないのです。
あなたは物事の基本を軽視してはなりません。
どのようなこともその本質を見失ってはならないのです。
傲慢(ごうまん)に生きてはなりません。
謙虚に生き、万全な基本を築きましょう。
優れた基本は優れた応用を導きます。
目に映らないものの大切さを忘れてはならないでしょう。

2013年4月17日水曜日

道端の花

大切なのは何をするのか?ということです。
物事を進めるためには目的意識が存在しなければなりません。
どのような状況も、目的意識なくしては展開することはありません。
何をするのか?ということが重要であるということを理解しなければならないでしょう。
どれ程の時間と力(労力)があったとしても、それだけでは状況が展開するということはありません。
時間と力は必要に応じて使わなければならないのです。
あなたが時間と力などの持てる力を必要に応じて使うためには、そこに目的意識がなければなりません。
何のためにそれを使うかも分からずに、必要を満たすことはできません。
目的もなく、何かを達することはできないのです。
必要を満たすことで人生は豊かさを増していきます。
必要を満たすことがなければ、人生が豊かに展開するということはありません。
人生を豊かなものにするためには、必要を満たさなければならないのです。
あなたは必要を満たすために時間と力を使わなければなりません。
目当てを持たずに時間と力を浪費していてはならないのです。
どのようなことでも良いのです。
自分自身が興味を抱くことができるものに対して目的意識を持つことに努めなければなりません。
大切なのは何をするのか?ということです。
あなたが意識しなければならないのは、自らが何を成さなければならないのかを知ることです。
自分自身が何を成すべきなのかも知らずに、必要を満たすことなどできる訳がないのです。
目的を意識するだけで、方法は自然と導かれます。
多くの人は方法や手段が分からないと感じ、自らの持つ時間と力を浪費している実情があります。
方法や手段などの、細々したものに捉われ過ぎてしまい、二の足を踏んでいるのです。
細々したことに捉われ過ぎてしまうと、人は時間と力をどのように使うべきなのかを素直に知ることができなくなってしまうのです。
余計な考えが頭を過り、自らがどこへ向かっているのか?何をするべきなのか?を見失ってしまうのです。
目的意識は結果を求める意識です。
それは方法や手段などの細々したものには捉われません。
意識自体が結果に対して向けられているために、小さなことにこだわりを持つことがないのです。
目的意識は結果を求めます。
それは自らが何をするのか?という意識なのです。
どのようにするのか?という方法や手段に向けられた意識ではないということなのです。
結果を求めるのであれば、自ずと必要な方法や手段が見えてきます。
大きく考えれば、必要が見えてくるのです。
しかしながら、小さく考えているのであれば、小さなことが大きく見えてしまい、大きなもの(必要)は見えなくなってしまうということがあるのです。
必要を満たすためにはできる限り大きく考える必要があるということを覚えておかなければならないでしょう。
大きく考えることを忘れてしまえば、細々したことに時間と力を割くことを余儀なくされてしまうのです。
大きな目的を前にした時、細々したことは問題ではないのです。
細々したことはいくらでも変更することができます。
それは、人生には無限の可能性が存在しているからです。
どのような方法や手段であっても、目的を達することはできるのです。
しかしながら、目的自体を見失っているのであればどうすることもできないのです。
人生を発展させ、それを豊かなものにするためには、大きな目的意識を持ち、方法や手段などの細々したものに捉われずに進んで行かなければならないということを覚えておかなればならないでしょう。
道端の花に見惚れているのであれば、いつまで経っても目的の場所には到着しないのです。
花が気になる気持ちを抑えて先へと進まなければならない(場合もある)ということも忘れてはならないのです。
人生における時間と力(労力)は有限です。
残念ながら、時間も力も底を突くということを覚えておかなければならないでしょう。
細々したことに捉われ、それに時間と力を使い過ぎてしまい、それらが底を突いてしまえば、当然のことながら目的を果たすことはできないのです。
時間と力を使う必要のないこともあります。
考える必要がないことや、余計な作業というものもあるのです。
目的意識がしっかりとしているのであれば、今の自らにとって何が必要であり、何が不要であるのか?ということが理解できるはずなのです。
目的が曖昧(あいまい)であれば、決断力に欠け、選択に悩むことでしょう。
あなたは自分自身が「何をする(べきな)のか?」という目的意識を所有しなければなりません。
方法や手段を限定する必要はありません。
目的を果たすための方法や手段はいくらでもあるのです。
どうするか?ということはどうでも良いのです。
大切なのは何をするのか?です。
大切なのは目的を達成するということなのです。

2013年4月16日火曜日

将来の備え

物事はすべて順調に進んでいます。
どのような状況も必ず必要に辿り着きます。
状況が必要を逸れることはありません。
あなたはそのことを理解しなければならないでしょう。
すべての物事が順調に進み、それが必要に辿り着くことを知ることは、あなたの人生にとっては重要なことであるということを忘れてはならないでしょう。
人生に無駄は存在しません。
すべてのことに意味が存在します。
どのような選択も将来の備えとなるのです。
あなたはそのことを忘れてはなりません。
あなたの選択のすべてが、あなたとあなたの将来にとっての備えとなるのです。
あなたがどのような選択をしようとも、それは必ず自分自身の将来(人生)の布石となります。
自らの選択や行為が無駄になることはありません。
すべては必要な意味を以て将来へと引き継がれるのです。
あなたは自らの選択が将来の備えであるということを理解しなければなりません。
あなたの選択がすぐには結果として実を結ぶことがなくとも、それはいつか必ず成果として現れるのです。
それがあなたにとって有利なものであるのか?
それとも、不利なものであるのか?
ということは自分自身が知っているはずです。
あなたが自らの豊かな将来を考えて行った選択が思ったような結果に結び付くことがなくても、あなたはそれに落胆する必要はないのです。
あなたの行為が必要な結果として状況に反映されることが今すぐにではなくても、それは必要な条件を揃えて間違いなくあなたの人生に対して反映されるのです。
あなたの理想と人生の必要が必ずしも同じであるということはありません。
あなたの理想と人生の必要との間に隔たりがあるのが普通です。
それは、あなたの理想に対する選択が、理想の実現に対して的外れであるということがあるからです。
あなたが善かれと思った選択や行為が、理想や必要に対して最善であるとは限らないのです。
例えあなたの選択が理想的なタイミングで状況に反映されることがなくても、あなたは自らの信じた選択をし続ける必要があるでしょう。
あなたが信じた選択は、いつの日か必ず実を結ぶということを信じていなければならないでしょう。
あなたの選択は必ず自らの人生に対して反映されます。
それが、あなたの理想に反することであってもです。
あなたの選択は紛れもなく人生に反映されます。
あなたの選択に無駄というものは存在しません。
あなたの行為は、いつの日にか必ず現実するのです。
あなたが何かに対して貢献したとします。
それは建設的な原因(豊かさ)となって将来の備えとなります。
あなたが何らかの不正を働いたとします。
それは破滅的な原因(罪)として将来の備えとなります。
あなたの貢献が明るみに出ることがなかったとしても、あなたは必要な報酬を受け取ります。
あなたの不正が明るみに出ることがなかったとしても、その代償は必ず支払わなければなりません。
あなたのどのような選択にも必ず意味が存在し、それは自らにとって有効なのです。
自らにとっての無効など存在しないのです。
それは、これがあなたの人生だからです。
あなたの生きる世界のことで、あなたに関係の無いものなど存在しないのです。
あなたの行為は巡り巡って自分自身に返ってくるということを忘れてはなりません。
物事は順調に進んでいきます。
それがあなたの望む結果であるとしても、そうではなかったとしても、必要を満たしながら確実に進んでいくのです。
そして、いつの日か必ず必要に辿り着くのです。
あなたの行いのすべてが自らの将来の備えとなります。
自分自身の選択から逃れることはできません。
いつか自らの選択が状況に反映されることになり、それを受け取らなければならない状況を前にしてそれを否定し、拒絶したとしても、その状況から逃れることはできないのです。
自らの原因によって導き出された結果は、どのような理由があろうとも受け取らなければならないのです。
人生には回避することのできない状況というものがあります。
世界には絶対が存在するのです。
あなたは必ず死を迎えることになります。
命が死を拒絶することはできません。
それと同じように、あなたが自らの選択によって導き出された結果を拒絶することはできないのです。
あなたは自らの選択や行為を忘れてしまうでしょう。
しかしながら、人生がそれを忘れることはありません。
あなたが受け取るすべての状況は、自らの選択や行為が将来に備えた当たり前の結果であるということを思い出さなければならないでしょう。
すべての必要は満たされます。
自らの選択や行為以外が状況に反映されることがないということを理解しなければならないでしょう。

2013年4月15日月曜日

情熱を傾けることができる道

あなたは自分にとって大切なものを見付けなければなりません。
大切だと思えるものを見付けることが人生にとっては重要なのです。
それは、あなたが大切だと思えるものを見出すことこそが、人生の豊かさへと繋がっているからです。
あなたは人生を豊かな場所にしなければなりませんが、人生を豊かな場所にするためには、それを深く知る必要があります。
人生を深く知ることこそが、人生に豊かさを導くのです。
すべての道は人生の核心へと向かって進んでいます。
あなたがどのような道に進もうとも、それは人生を知るためのものなのです。
あなたは自らの道を探究することによって、人生を探究するのです。
人生の真理を得ることができれば、人生は豊かになることでしょう。
人生の真理を理解することがなければ、道に迷い、豊かさに辿り着くことはできないのです。
人生の真理を得るためには、人生を深く掘り下げなければなりません。
人生を深く掘り下げることができなければ、人生を深く知ることはできないのです。
どのような道であっても人生を掘り下げます。
あなたはどのような道を選択しても構いませんが、その道に対しての探究心を持ち、その道を深く探ることをしなければならないのです。
道に対しての探究心が重要です。
どうでも良いという軽い気持ちで進む道に対しては、どのような人物も探究心を保つことはできません。
その道に対する熱意こそが探究心を持続させるのです。
あなたが人生を掘り下げ、その核心へと辿り着くためには、その道に対する熱意が必要なのです。
あなたが何かに対して熱意を持つためには、それが好きなものでなければなりません。
それが大切に思えるものでなければならないのです。
とても単純なことです。
好きでもなく、大切にも思えないものに対して熱意を抱くことができる人は存在しません。
熱意というものは探究心から導き出される感情です。
それは、強制されて出てくるものではありません。
熱意とは、自分自身の意思によってのみ導き出される強い感情であるのです。
熱意とはやる気です。
人がやる気を出すためには、自らの心に対する自主的な働き掛けが必要なのです。
強制されて生み出される熱意などありません。
熱意は必ず自分自身の意思によってのみ導き出されるのです。
あなたは自分自身が好きなことや大切なことを知らなければなりません。
それを知らない限りは何をやっても熱意を持つことはできないでしょう。
嫌だと思いながら、もしくはこれといった目的もないままに道を進んでも、熱意を持つことはできないのです。
強制的に一瞬の熱意を燃やすことはできるかもしれませんが、それが持続することはないでしょう。
熱意は持続しなければなりません。
それは、人生の核心(真理)への道のりが長いという理由があるのです。
人生の核心(真理)への道のりは容易なものではありません。
それは一生を掛けて辿り着くことができるかどうかも分からないほど長い道のりなのです。
ひたすらに一本の道を行く必要はありませんが、道に対する熱意を失ってはなりません。
どのような道を行くにしても、常に熱意を失うことなく燃やし続けておかなければならないのです。
エンジンの火が消えてしまえば車は走らないのです。
それは、あなたにも同様のことが言えるのです。
その心に熱意が灯らなければ、道を進むことはできないのです。
あなたはその心に熱意を保ち続けなければなりませんが、そのためには熱意を保ち続けることができる状況の中に自らを置かなければならないのです。
自分にとって大切に思えるもの、好きでいられることがどれほど重要であるのか理解することができたでしょう。
あなたは好きなことがありますか?
あなたが大切に思えるものはなんでしょうか?
どのような犠牲を払ってでも必要だと思える道がありますか?
あまり頑になる必要はありませんが、自分の好きなことや大切に思うもの(熱意を抱けるもの)くらいは知っておかなければなりません。
人生には無限の可能性が存在しています。
あなたの目の前には無限の可能性、無限の道が存在しているのです。
あなたが好きだと思え、大切に思え、必要だと思える道が必ず存在しています。
それを探すことに力を惜しんではなりません。
人生はいつでも進路変更ができます。
情熱を傾けることができる道を進みましょう。
それ以外の道を進んでも本当の豊かさへは辿り着くことができないでしょう。
人生に後悔を残すものではありません。
あなたは自分にとって大切なものを見付けなければならないのです。

2013年4月14日日曜日

清々しい気分

あなたは清々しい気分でいなければなりません。
あなたは心を汚してはなりません。
いつの時も清々しい気分で、美しい心でなければならないのです。
心の平穏こそが大切です。
それは、あなたの心こそが人生を築いているからです。
どのような人物のどのような人生も、その心が原因となっているということを忘れてはならないでしょう。
心が抱える気分というものが人生にとっては重要なのです。
気分を害すれば、あなたの見る世界は汚れます。
あなたは目で世界を捉えている訳ではありません。
あなたは心によって世界を捉えているのです。
あなたは見たものを頭で考えている訳ではありません。
あなたはそれを心で判断しているのです。
心によって判断された選択によって、人生を築いているのです。
どのような人物も心(気分)によって人生を築いているということを理解しなければならないでしょう。
あなたは自らの心の重要性を理解しなければなりません。
あなたの心の状態こそが人生を左右するということを覚えておかなければならないでしょう。
人は自らの気分によって状況を選択しています。
どのような人物も、気分(心)に逆らうことはできません。
人は自らの抱える心とその気分に従わなければならないのです。
あなたは自らの気分に従って状況を選択します。
気分がポジティブで建設的なものであるのであれば、その選択はポジティブで建設的なものとなります。
気分がネガティブで破滅的なものであるのであれば、その選択はネガティブで破滅的なものになるのです。
自らの心に逆らうことのできる人は存在しません。
あなたの心の選択こそが人生を築きます。
それは、不変の法則です。
どのような状況も、それはあなた自身の選択が導き出した結果でしかないのです。
受け取る状況に対して身の覚えがなくても、それは身に覚えがないだけであって、あなたが気付かぬ内にそのような原因を選択しているということはあるのです。
あなたが自らの原因と結果について理解していないということがあるのです。
それがどのような結果であったにしても、それが目の前に存在しているのには歴(れっき)とした理由があるのです。
理由も縁もゆかりもない状況が目の前に存在するということはありません。
あなたの受け取る状況は、あなたの心(気分)が呼び寄せた当然の結果であるということを理解する必要があるでしょう。
あなたはどのような気分でいますか?
あなたにとって自らの抱える気分がどのようなものであるのか?ということは重要です。
あなたが自らにとって「良い結果」を得たいと考えているのであれば、ポジティブで建設的な気分でいなければなりません。
清々しい気分でなければ、清々しい状況を得ることはできないのです。
あなたは自らが受け取りたいと考える状況と「同じ」気分を所有するように心掛けましょう。
あなたは、清々しい気分を得るためには自らがどのような選択をすることが望まれるのかを考えなければなりません。
清々しい気分になるためには、周りがどうこうではなく、自分自身がどうするべきなのかを考えなければならないのです。
自分自身がどうあるべきなのか?ということを忘れてしまうと、清々しい気分を得ることはできないのです。
あなたが清々しい気分でいるためには、正しくなければなりません。
誠実さを以て正直でなければならないのです。
道理に反して嘘や偽りを所有しているようであるのならば、清々しい気分を保つことなどできはしないのです。
あなたはどのような時にも実直でなければなりません。
自分自身や誰かに対して嘘や偽りを用いているのであれば、清々しい気分を得ることはできないでしょう。
あなたが嘘や偽りを用いれば、気分は晴れずに楽しめないのです。
あなたが実直であるのならば、どのような状況であっても胸を張っていることができます。
それは気分の良いことです。
あなたが清々しい気分であるためには、正しくある必要があります。
正しくなければ清々しい気分を得ることはできません。
どのようなことに対しても実直であることを心掛けなければなりません。
嘘や偽りを用いて自分自身や誰かを裏切ってはなりません。
正しくあることこそ、人生を豊かなものにする唯一の方法であるということを理解しなければなりません。
後ろめたい気持ちを以て人生が豊かなものになるなどと考えてはなりません。
人生における原因と結果の法則は絶対です。
残念ながら、どのような人物もこの「絶対」を無視することなどできないのです。
豊かな人生を求めるのであれば、正しくあること、清々しい気分であることです。
あなたは正しくなければなりません。
どのような誘惑を前にしても、正しさを犠牲にしてはなりません。
自分自身がどうあるのか?それはあなたが決めることです。

2013年4月13日土曜日

人生の裏切り

人生には何が起きるのか分かりません。
あなたは人生を自分自身の想像の範囲内で生きていることでしょう。
しかしながら、人生はあなたの想像通り、又は理想通りに進むということはないのです。
すべてはあなたの想像や理想を超えた動きによって築かれているということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは自らの受け取る状況や人生がどのようなものであったとしても、経験則だけに縛られていてはなりません。
過去に起きたことはあなたにとって大切な学びとなり、教訓にもなったでしょうが、これから起ることに対してその経験が役に立つとは限りません。
人生があなたに対して、これまでの経験が全く役に立たないという状況を導くということもあるのです。
経験則に縛られているのであれば、乗り越えられない状況もあるのです。
しかしながら、大抵のことは経験則によって対処することのできる状況であるでしょう。
それは、あなた自身の選択や生き方が人生を築いているからです。
あなたが人生を選択する時、大抵は自らの経験則によってそれを選んでいます。
人は安心感を求めているために、経験したことの無いものは選びたがらないものなのです。
そのため、人生が同じような状況を得るということが多々起っているのです。
人生に変化がないと感じて退屈を覚えている人は、安心感を求めて経験則に従って人生を選択しているということが言えます。
一度経験したことを再度経験するのであるから、それは繰り返しに他なりません。
同じことを繰り返すのであれば、どれだけ初めは新鮮な状況であったとしても、いずれはそれも退屈によって支配されてしまうのです。
退屈から抜け出すためには、経験則から抜け出す必要があるでしょう。
安心や安全を求めることをやめて、未開の地に足を踏み入れるのです。
同じことを繰り返さなければ退屈を回避することができます。
心に何らかの新鮮な刺激があれば、人生はあなたに退屈を覚えさせることはないのです。
あなたが退屈だと感じているのであれば、経験則から抜け出し、安心や安全を選ぶのをやめて、新しいことを試みなければならないでしょう。
変化を用いなければ退屈はなくならないのです。
人は無意識の内に安心感を求めています。
それは決して悪いことではありません。
人は如何なる状況においても安心感を所有しておかなければならないのです。
しかしながら、安心感の中に長く浸っていると、そこから抜け出すのが恐くなってしまい、新たな可能性を得ることができなくなってしまいます。
新たな可能性を選択することができなければ、新鮮な状況を得ることはできません。
新鮮な状況はあなたに変化を与え、退屈からあなたを救います。
自分自身が変わらずにいるのであれば、人生はあなたに刺激を与えることができないのです。
人生というものが初めから決められており、すべてが予測することができるなどと考えてはなりません。
すべてのことが自分の中の想像や理想通りに進むということは有り得ないことなのです。
人生はあなたを裏切ります。
あなたにとって、すべてが予定調和であるということはないのです。
しかしながら、人生はそれで良いのです。
予(あらかじ)め何が起きるか分かっている人生ほど退屈なものはありません。
人生は何が起きるか分からないからこそ楽しいのです。
人生はあなたの想像を上回りながら進んでいきます。
あなたがそれを最善と思うことがなくても、それは最善の方向へと進んでいるのです。
人生はあなたを裏切りますが、それはあなたの期待や想像を裏切るだけであって、あなたの豊かさや幸福を裏切っている訳ではないということを理解しなければならないでしょう。
あなたは予定通りに進まないことに対して心を乱してはなりません。
予定が狂うことに対して焦りを感じることがあるでしょうが、それはあなたの中だけの予定であって、状況や人生の予定ではないのです。
あなたの状況や人生の予定は、何事もなく順調に進んでいるということを理解し、それを忘れてはならないのです。
物事がうまく進まないと考えることがあるでしょう?
しかしながら、残念なことにあなたの心配は意味を成しません。
あなたが信じていなくても、人生は最善な方向へと進んでいるからです。
あなたは受け取った状況に対して意味を見出さなければなりません。
目の前の状況に対して必要な意味を付け加えなければならないのです。
人生はあなたを良い意味で裏切るために、目の前の状況を素直に受け取ることだけでは人生を豊かなものにすることはできません。
人生の裏切りを糧(かて)にして、豊かさを手に入れなければならないのです。
人生の裏切りを真に受けることは危険です。
人生は思い通りに進まないことが当たり前です。
それで良いのです。
人生には何が起きるか分からないから素敵なのです。
予定調和な人生など、何の魅力も感じないでしょう。
あなたが素敵な人生を求めているのであれば、自らを習慣や経験則の中にとどめることをやめましょう。
変化を求めることは、安心や安全を手放すことであるために恐いことでしょう。
しかしながら、安心や安全と楽しみは共存することはできません。
予想通りに進まない人生を楽しみましょう。
そうすれば、人生はいつの時もあなたに素敵に微笑みかけてくれることでしょう。

2013年4月12日金曜日

目先の誘惑

あなたは自らの本当に得たいものを見失ってはなりません。
本来の目的を見失ってしまえば、豊かな人生など存在しないのです。
大切なのは自らが何を求めているのか?
何を得るために事を成すのか?
ということです。
あなたが求めているものは何ですか?
あなたにとって本当に価値のあるものは何でしょう?
自分自身にとっての本当の価値を見失ってしまえば、あなたは同時に豊かさをも失ってしまうのです。
あなたが得なければならないものは、目先の小さなものではなく、将来の大きなものです。
目的を果たすことが重要であり、方法はたいして重要ではありません。
目の前の小さなことに気を取られていると、本来の目的を見失ってしまいます。
本来の目的とは、あなたの本心が求める豊かさです。
それはあなたが手にしなければならないものであるのです。
あなたは人生を豊かなものにしなければなりません。
人生を豊かなものにするためには、それを豊かなものにするための目的を果たさなければならないのです。
目的を果たすことが大切です。
あなたは目的を見失ってはなりません。
目の前の事象はあなたを様々な方向へと導きます。
それは誘惑にも似た導きです。
本来の目的を忘れて、目先のことに惑わされて道を誤るのであれば、あなたは本来進むべき道を進むことはできません。
道を見失えば、道に迷うのです。
人生の目的、自分自身の目的を見失うことは、人生や自分自身に希望を見出すことができない状況を作り出すということです。
人生や自分自身に希望が見出せず、怒りや悲しみや無気力の中に存在するのであれば、苦しみを得る以外に方法は無いのです。
人生や自分自身には希望を見出さなければなりません。
それができなければ、人生は決して豊かな場所にはならないのです。
人生や自分自身に希望を見出すためには、自らの本来の目的を決して見失わないことです。
本当に欲しいものを手に入れた時にだけ、人は喜びの感情を得ることができます。
それは満足感です。
欲しくないものをどれだけ手にしようとも、満足感はおろか喜びの感情も得ることはできません。
人は本当に欲しいものを手にするために生きていかなければなりません。
欲しくないものをどれだけ手に入れたとしても、人生は豊かなものにはなり得ないのです。
あなたが本当に欲しいものは、「本来の目的」です。
しかしながら、多くの人は自身が掲げた本来の目的を少しずつ見失っていきます。
目の前の状況に対して目や耳を塞ぎ、顔を背けて逃げ出します。
それでも、自らの行為を正当化して省みることをしません。
人は自分自身の意思によって本来の目的を遠ざけ、見失っていくのです。
あなたは自らの本当に欲しいもの、本当に求めているもの、本来の目的を見失わないようにしておかなければなりません。
あなたにとって最も価値のあるものが何であるのかを判断しなければなりません。
自らにとって最も価値のあるものが何であるのか?という判断を見誤れば、満足感や豊かさへと辿り着くことはできないのです。
目的を達することが重要です。
目的を達するためにはどのような状況からも逃げることはできません。
逃げずに乗り越えることのできる方法を探さなければならないのです。
目的を果たすために方法が変わることは良くあることです。
目先のことに惑わされてはなりません。
方法に捉われているのであれば、果たすべき目的を見失ってしまうでしょう。
あなたは辿り着きたい目的地を持たなければなりません。
人生を当ても無くさ迷ってはなりません。
あなたは本当に欲しいもののために生きるべきなのです。
あなたの本心が求めているものはなんですか?
あなたにとって最も価値のあるものはなんですか?
それを知らずに生きてはなりません。
自分自身の成長と共に、求める価値(目的)は変化します。
その時のあなたが最も大切だと思えるもので良いのです。
あなたは自らの最も価値のあるもののために生きましょう。
本当に欲しいものだけを求め、人生に満足感を得ましょう。
本来の目的を見失ってはなりません。
本来の目的を見失ってしまえば、豊かな人生など存在しないのです。

2013年4月11日木曜日

欲と器

大欲に溺れてはなりません。
大き過ぎる欲望はあなたを破滅させてしまいます。
足るを知ることができなければ、その大き過ぎる欲望に溺れ、それより先へと進むことができなくなってしまうでしょう。
人は「欲」を無視することはできません。
それは生きることの原動力が欲によって導き出されているからです。
欲が存在しなければ心が動くことはできません。
どのような人物の心も、欲によって動いているのです。
人生にとって、あなたにとって、欲は欠かせない心の働きです。
欲が存在しなければ、人は生きていくことができないのです。
どのような人物も欲を持ち、それに導かれて人生を築くことが自然であるのです。
欲を持つのは人として当然のことです。
人は欲を所有しなければなりません。
欲が存在しなければ、夢や志も存在することはないからです。
あなたは欲を上手に扱わなければなりません。
必要に応じて欲を導かなければならないのです。
欲には大きさが存在します。
その人物の考えによって、欲の大きさは変化します。
大切なのは欲に溺れないことです。
欲とは人が扱うことのできる大きな力です。
力に飲み込まれ、溺れてしまっては、必要を満たすことはできないのです。
必要を満たすことができなければ、人生には豊かさを得ることができなくなってしまいます。
あなたが必要を満たすためには、自らの扱う力を制御し、人生(状況)の必要を満たすように努めなければならないのです。
必要を満たすためには、必要を満たすために状況をうまく運ばなければなりません。
大き過ぎる力を持てば、人は大切なことを見失ってしまいます。
うまく操縦することのできない自動車では、安全に道を進むことはできないのです。
大切なのは自分自身が制御することのできる力を扱うことです。
担ぐことができる以上の重量の荷物を抱えたとしても歩くことはできないのです。
足るを知るとは、満足を知るということです。
ある程度の満足を知らなければ、荷物は大きくなる一方です。
大欲によって抱えた必要以上の荷物を目的地へと無事に運ぶことなどできないのです。
足るを知るということは、責任を果たすということです。
大欲によって果たすことのできない責任を抱え込んだところで、それを果たすことができなければ信用を失ってしまうでしょう。
責任を果たせない者が得ることのできる豊かさなど存在しないのです。
自分自身という器を超えた大欲を持つものではありません。
人生は責任によって成り立ちます。
それがどのような欲であろうとも、あなたが求めるものには必ず責任が存在しているのです。
それは、世界との約束です。
社会や他人、そして、自分自身との約束であるのです。
あなたは約束の大切さを知っているでしょう。
それを守れば必要なものが得られ、それを破れば大切なものを失います。
あなたが必要なものを得るためにはすべての約束を守らなければならないのです。
約束とは責任です。
それを果たすことができなければ、大切なものを失うことは当然の報(むく)いであるということを知らなければならないでしょう。
大欲によって果たすことのできない責任を抱え込んではなりません。
処理することのできない問題を抱え込んではなりません。
あなたは足るを知っていますか?
大欲に溺れてはいませんか?
そのことによって大切なことを見失ってはいませんか?
大切なものを失ってはいませんか?
人は欲を無視することはできません。
欲というものは人にとって必要な力です。
足るを知ることによって、その欲が意欲にとどまるように制御しなければなりません。
足るを知らずに欲望を抱えてはなりません。
抱え切れない大欲は身を滅ぼすということを覚えておかなければならないでしょう。

2013年4月10日水曜日

小さな部品

人生に焦る理由など存在しません。
すべては必要によって満たされ、不要なものなどないのです。
あなたの選択が状況を築き、状況が結果を導きます。
あなた自身が人生を築いている訳ですから、何等焦る必要はないのです。
人生はあなたの指示通りに動いています。
人生があなたの指示を無視して勝手に状況を築くことなど有り得ないのです。
あなたは自らにとって必要なことをやっていれば、何等不安になることはありません。
少しも焦る必要はないのです。
必要だと思うことを十分にこなし、後は結果を待っていれば良いのです。
焦る必要などありません。
焦ったところで結果が原因よりも良いものになある訳でもありません。
あなたはどのような状況にも慌てふためかずに、穏やかな気持ちによって状況を捉えなければならないでしょう。
起点や作業を急ぐことは良いことですが、それを焦っては何事も上手くは進まないのです。
焦れば大切なことを見失います。
多くを見ようとして焦れば、多くのものを見落とします。
多くのことを成そうと焦れば、多くのことを破滅させてしまうことになるのです。
多くを求めるのは人の性ではありますが、その気持ちを辛抱し、確実にこなすことのできることをこなさなければならないのです。
できないことを抱え込んではなりません。
焦ってやるようなことが十分にこなすことなどできはしないのです。
責任を果たすことができないようでは、大切なものを失ってしまうということを理解しなければならないでしょう。
この世界は信用によって成り立っています。
信用、信頼が成り立たない場所に世界が成り立つことはないのです。
信用が失われた場所には世界は成り立たないのです。
そこには恐怖と苦しみが支配する破滅のみが存在するだけです。
あなたは信用を大切にしなければなりません。
自分自身に対しても、人に対しても、人生に対しても、あなたは誠実であり、正直でなければならないのです。
自分自身や人や人生に対しての約束事を守ることができないのであれば、それらに対する信用は失われてしまいます。
焦りを持って進める作業には、必ず見落としている大切なことがあります。
それは小さなことかもしれません。
あなたにとっては小さなことだと思うかもしれません。
しかしながら、人から見て、それはあなたが思う程小さなことなのでしょうか?
あなたと人の価値観というものは違うものです。
あなたが小さなことだと軽視していることが、相手にとってはとても大きなものであることもあるのです。
精密な機会は大小の様々な部品によって構成されています。
その中には、落としたら見失ってしまうようなとても小さな部品も含まれているのです。
それが小さな部品だと軽んじて粗末に扱い、組み込まなかったとしましょう。
小さな部品くらい無くても平気だろうと高を括れば、機会は正常に作動しなくなり、やがては故障してしまうでしょう。
小さなあなどりが、大きな代償に繋がるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは小さなことを見くびってはなりません。
焦りというネガティブで破滅的な感情を侮ってはならないのです。
小さな焦りが大きな失策に繋がります。
焦りはあなたから視野を奪ってしまいます。
焦りを持って進めた作業には、何らかの見落としが存在しているということを理解しなければなりません。
あなたが作業を進めたいと考えているのであれば、焦りを以て作業に当たってはならないでしょう。
自分自身や人や人生から信用を失うことは簡単です。
失策を繰り返せば良いだけだからです。
誠実に正直に対応しなければ良いだけです。
しかしながら、一度失ってしまった信用を取り戻すことは決して簡単なことではないのです。
マイナスからのスタートは、ゼロからのスタートの何倍も、何十倍もの努力が必要となるからです。
焦れば周りが見えなくなり、大切なことを見失います。
人生には必要なこと以外は起きません。
あなたは焦る必要はないのです。
ただし、急ぐ必要はあります。
どのような状況に対しても、心を乱さないように心掛けなければならないでしょう。
焦りに魅入られること無く、冷静に必要を満たしていきましょう。
生き急ぐことはなりません。
いつの時も、十分の余裕を以て作業を進められるようにしておく必要があるでしょう。
余裕の無さが焦りを生み、焦りが自らの首を絞めるということをおぼえておかなければならないでしょう。

2013年4月9日火曜日

自分のやるべきこと

人は自分のやるべきことをやっていれば良いのです。
自らの必要を満たすことが重要です。
人は人。
あなたはあなたです。
それ以上でもなく、それ以下でもないのです。
あなたは自らの必要を満たすことの重要性を考えておかなければならないでしょう。
しかしながら、自分自身の必要を満たすことは決して容易なことではありません。
なぜなら、自分自身の必要を見出す必要がありますし、それを満たす方法を見出さなければならないからです。
自分自身を知り、それを世界に実現させる方法を探らなければならないのです。
あなたが求める必要は何ですか?
あなたは自分自身の求める必要を満たすことが求められるのです。
あなたは自分自身であるということを忘れてはならなでしょう。
それ以外の何者にもなる必要はないのです。
あなたはただ自分自身であることを目指しましょう。
自分以外の何者かになろうとすれば、自分自身という存在を見失います。
それは、自らの人生とその幸福を見失うことだと心得なければならないでしょう。
誰もが不安を抱えています。
誰もが孤独を恐れているのです。
孤独を恐れ、不安から逃れるために、多くの人は自分以外の存在になろうとするのです。
孤独や不安から逃れることは自分自身から逃れることです。
自分自身になることが孤独や不安を抱えるということではありませんが、それらを克服する必要があるのです。
孤独や不安から逃れることはできません。
誰もが孤独や不安を抱えながら生きているのです。
あなたが自分自身を確立したとしても、孤独や不安が完全に消えることはありませんが、孤独や不安から逃げるだけであるのならば、それらに怯(おび)えながら生きていかなければならなくなるのです。
人は孤独や不安の恐怖を脅威にすることもでき、それらを原動力にすることもできるのです。
自分自身から逃げている人は、孤独や不安を自らの脅威とし、それらに怯えながら生きていかなければなりません。
それは苦しいことです。
あなたがどこにいて、何をしていようとも、孤独と不安は襲います。
それらから逃れることはできないのです。
大切なのは孤独や不安から逃れる方法を探すことではなく、それらを自らにとって有益なものに変える方法を探すということです。
自分にとっての必要を満たすこと、それは孤独や不安を原動力へと導く唯一の方法です。
あなたが自らの必要を満たす行為こそが、孤独や不安を力に変えます。
あなたがいつまでも自分自身から目を背けているのであれば、孤独や不安があなたにとって有益なものになるということはないのです。
人は器用な存在ではありません。
自分自身に嘘をついて幸福を得ることはできません。
人は人としてあること、あなたはあなたとしてあることが求められるのです。
自分自身を得ることができない人は、幸福な人生を得ることはできません。
自らの必要を満たせなければ、人生を豊かな場所だと感じることはできないのです。
あなたは多くの人に囲まれて生きています。
それぞれに違う価値観や考えを持って存在しています。
それが自然な状態です。
しかしながら、人は孤独と不安を抱えているためにその自然を壊そうとしてしまいます。
それぞれが違う価値観や考えを所有することを恐れるのです。
自らもそれに反するべきではないと考え、自らを全体(他人)に合わせて個(自分自身)を失うのです。
全体の調和というものはとても大切です。
しかしながら、調和というものは現状に安定をもたらす力はあっても、それを発展させる力はないのです。
協力することは大切ですが、自分自身を失うことよりも大切ではありません。
協力することで自分自身が脅かされるのであれば、自分自身を確立した後で協力することを選択すればいいでしょう。
自分自身でない者が協力しても良いものは生まれません。
素人が多く集まるよりも、玄人(くろうと)が少数集まる方が良いものが生まれる事実を認めなければなりません。
あなたは自分自身のやるべきことをやりましょう。
自らの必要を満たしましょう。
あなたはあなたです。
それ以下でも、それ以上でもありません。
自分以外のことにまで手を出す必要はありませんが、自分自身のことは完璧に(を目指す気持ちで)こなすことが求められるでしょう。
あなたは、あなたが求める必要を満たしましょう。

2013年4月8日月曜日

素直な欲求

人生を豊かなものにするためには、その心を豊かなものにしなければなりません。
心が豊かさを得ることができなければ、人生が豊かさを得ることはないのです。
人生の原因はその心にあります。
心が原因となり、結果を導き出しているのです。
あなたは自らの心が人生に与える影響と、その重要性について考えなければならないでしょう。
心の状態があなたの状態を決めます。
あなたこそが状況を選択し、人生を築いているのです。
人生にとってあなたという存在は、とても重要であるということを理解しなければならないでしょう。
あなたは自分自身のために生きなければなりません。
それは、自分自身のために生きることができない人物が、人のために生きることなどできないからです。
泳げない者が溺れる者を救うことなどできないのです。
人のことをするのは、自分自身のことが済んでからであるということを覚えておかなければならないでしょう。
自分のことを満たせない者が、人のことを満たすことはできません。
しかしながら、人生の利益というものは人助けから導き出されます。
人を助けることができなければ、得られる利益はないのです。
人は人を助けること、社会に貢献することによって必要な利益を得ているのです。
人を助けることもできず、社会に貢献することもできないようであるのならば、必要な利益を得ることはできません。
必要な利益を得ることができなければ、人生を豊かなものにすることはできないのです。
人を助けるためには、先ずは自分自身を助けなければなりません。
自分自身のことを助けることができて初めて、人は人を助けることができるのです。
あなたが自分自身を助けるということは、自分自身を満たすということです。
自分自身のことを満たすことができなければ、人のことを満たすことはできないのです。
あなたは自らのことを満たすことを考えておかなければなりません。
あなたの心が満たされ、そこに余裕があるのであれば、自ずと人のことを助けることができます。
しかしながら、自らの心が満たされることがなく、余裕がない状態であるのであれば、人のことを考えている余力はありません。
自分以外のことを考えることができるのは、自分自身に問題が存在していない、自分自身に手を掛ける必要がない状態の時だけなのです。
自分自身のことを満たすことができず、何らかの問題を抱えているのであれば、人のことを心配している暇などないのです。
自分自身のことを済ませてからでなければ、人のことになど力を使うことはできないのです。
あなたは自分自身を満たすように心掛けましょう。
自分自身を満たすためには、自らの心が求める欲求に対して素直に従い、それを実現させる必要があります。
心の中に導き出される欲求を実現させることができなければ、自分自身を満たすことなどできないのです。
あなたは自らの心の欲求に従わなければなりません。
自らの欲求に従うことができなければ、心を満たすために必要な条件を満たすことはできません。
大切なのは自らの欲求に従うことです。
あなたは自らの欲求を蔑ろにしてはならないのです。
自らの欲求を満たすことができなければ、心を満たすことはできないのです。
心を満たすためには、心が持つ欲求を満たさなければなりません。
あなたは自分自身の心が本当に求める欲求にのみ従い、それを実現させるように努めなければならないのです。
あなたの心には「嘘と本音」が存在しています。
それは混在しており、その欲求が「嘘」であるのか?「本音」であるのか?を理解することは簡単なことではありません。
あなたは見せかけの「嘘」の欲求に従うことなく、「本音」としての欲求に従い、それを実現させなければならないのです。
あなたは心の「嘘」と「本音」を見極めなければなりません。
「嘘」の欲求とは、表面的で不安定な欲求です。
それは、自らの弱い心をその場しのぎによって満たそうとする浅はかな欲求のことです。
「本音」の欲求とは、本質的で安定的な欲求です。
それは、自らの強い心を信念によって満たそうとする奥深い欲求なのです。
あなたの心が求める欲求というものは、そのどちらとも言えます。
残念ながら、心はどちらも必要としているのです。
しかしながら、あなたは信念によって導き出される欲求に従い、人生にそれを実現させなければならないでしょう。
「本音」は深いところに存在しています。
あなたは自らの心の深いところを探らなければなりません。
あなたが本当に求めているものは何ですか?
純粋な欲求こそがあなたの心を満たすでしょう。
それ以外の欲求は、一時的にあなたの心を満たすことはできても、結果的にはそれ以上の後悔を導いてしまうことでしょう。
あなたは心の「本音」が所有する欲求を見極めなければなりません。
自分の欲求には素直に従い、それを果たしましょう。
素直な自分こそが人生を豊かなものにするということを覚えておかなければならないでしょう。

2013年4月7日日曜日

立ち位置

人は自らの立ち位置から世界を見ています。
あなたが見ている世界は、あなたの立場からのものです。
あなたの立ち位置は、あなたの成長によって決められます。
あなたの立ち位置は、あなたの現状を現しているのです。
あなたが見ているものは、あなたの成長に比例しています。
人は誰しも、自らに釣り合った世界を見ているのです。
あなたの成長に伴って見えるものは違ってくるのです。
それは着眼点の変化であるということが言えるでしょう。
人は成長に伴って必要な視点を得ることができます。
成長によって得られるものは、「新たな観点」であるということを理解しなければならないでしょう。
どのような人物にとっても、観点というものはとても重要です。
それは、観点こそが人生を築いていると言っても過言ではないからです。
どこから見るかによって世界は大きく印象を変えることでしょう。
あなたは自らの意思によって人生を選択しています。
その意思を決めているのは自らの着眼点なのです。
人は自らの観点からもたらされる認識によって物事を決めています。
そして、認識は新たな観点を導きます。
人は自らの立ち位置からしか世界を見ることができず、それ以外は想像に過ぎません。
どのような人物も自らの立ち位置から導き出される観点によって縛られているということを理解しなければならないのです。
あなたは自らの観点によって世界を見ています。
そして、その場所から世界を築いているのです。
あなたが見ているものは、あなたの立ち位置から見えるものに他ならないのです。
立ち位置が変われば見えなくなるものがあります。
そして、立ち位置が変われば見えてくるものもあるのです。
あなたがより豊かな人生を求めているのであれば、より多くの観点を所有するように心掛けなければなりません。
立ち位置が向上という変化を実現し、それに比例して視点が増えるほどに、あなたは状況の中に存在している可能性に気が付くことができます。
状況の中に存在している可能性に気が付くことができたなら、それを活用して広げることによって人生に豊かさを導くことができるのです。
立ち位置が変わらないのであれば、見える景色が変わることがありません。
観点に変化や拡張がなければ、人生に変化や拡張は得られないのです。
あなたの心(価値観、思考、感情)の変化こそが、人生に変化を与えるのです。
あなたは自らの心を成長させなければなりません。
それは、自らを磨くことです。
目の前に存在しているどのような状況の中にも、自らを磨き成長させるための材料が存在しています。
それを見出すことが自らを磨き、成長させることに繋がるのです。
状況の中に自らを成長させるための可能性を見出すためには、柔軟な心が必要です。
どのような状況にも対応し、それを受け入れる度量がなければならないのです。
狭量な人間には観点を増やすことはできません。
人はいつの時も間違っています。
人はいつの時も未熟であるのです。
今のあなたの観点は、未来のあなたの観点には劣っています。
あなたが状況を経験するほどに、観点を増やし拡張するチャンスを得ることになりますが、自分自身がそれを受け入れ、柔軟に対応することができなければそれも叶いません。
あなたは今の自分が完璧などと思い込んではなりません。
あなたは今以上にいくらでも観点を増やし、拡張することができるのです。
残念ながら、あなたには常に観点が不足しています。
どのような状況にあろうとも、観点を増やし続け、拡張し続けることが求められるのです。
成長をやめてしまったものが世界に存在することはできません。
あなたの観点が拡張をやめてしまったのであれば、それ以上の豊かさを得ることはできないのです。
存続すらも危うくなってしまうのです。
あなたは自らの持つ観点の重要性を理解しなければなりません。
幸いなことに、観点はどのように歳を取ろうとも拡張することができます。
しかしながら、そのためには柔軟な心を維持する努力が必要です。
既にそこにあるものが、観点の違いによって見えるようにもなり、見えなくもなります。
そこにあっても見えなかったものが、観点の拡張によって見えるようになるのです。
あなたは観点を増やし、拡張しなければなりません。
見えるものが変われば、あなたの選択は変わります。
あなたの選択が変われば人生が変わります。
人生はあなたが何を見ているのか?によって決まります。
あなたが見ているもの、見えているものの重要性を理解しなければならないでしょう。

2013年4月6日土曜日

人と人

人はそれぞれに違う価値観を所有しています。
それぞれが持つ価値観は、それぞれの人生の原因となります。
人は誰しも、自らの持つ価値観によって人生を描くのです。
同じ価値観を所有している人は存在しません。
それぞれが違うのが当たり前なのです。
あなたは人が同じ価値観を持つと考えてはなりません。
同じ目的に向かって歩むことはできますが、同じ価値観を所有することはできないのです。
人はそれぞれなのです。
どのように交わろうとも、同じになることはないのです。
自分は自分、人は人なのです。
それぞれが独自の価値観や文化の中に人生を生きているのです。
必ずしも、人と人とが分かり合う必要はありません。
それぞれが違う価値観であるものを強制的に同じものにしようとしたところで、それは到底無理な話なのです。
人と人は違っていて良いのです。
人は人、自分は自分で良いのです。
あなたは誰かになろうとする必要はありません。
誰かと同じである必要はありません。
あなたは必ずしも人と分かり合う必要もありません。
誰かを自分の意見に引き摺り込む必要もないのです。
お互いの距離が平行線を辿り、やがては離れてしまったとしても、それはそれで構わないのです。
残念ながら、誰もが同じ目的に向かって歩んでいくことなどできません。
人は同じ価値観を所有することなどできないのです。
あなたは自分自身であればそれで良いのです。
自分自身であるのであれば、必要を満たすことができるでしょう。
あなたが自分自身であるためには、自分自身の価値観によって生きなければなりません。
あなたは自分自身という存在を守らなければならないのです。
あなたが自分自身という存在によって人生を築くことができれば、人生という場所は豊かなものになるでしょう。
自分自身という存在を見失ってしまえば、自分自身にとって何が豊かさであるのかを理解することはできないのです。
自分自身でなければ、自分自身にとっての豊かさを理解することはできません。
自分以外の誰かを目指し、自分自身を守ることをやめてしまえば、それは叶わないことなのです。
人はそれぞれに違うのが当たり前です。
誰かが自分と同じでなければならない、自分が誰かと同じでなければならないという考えを手放しましょう。
あなたは誰かと同じでなくても良いのです。
誰かがあなたと同じである必要などないのです。
それぞれが違う自分自身を持っているのだから、それを実現させなければならないのです。
自分以外の人になっても、自分自身の本当の豊かさを得ることはできません。
誰かの真似事では、自らの心を本当の意味で満たすことはできないのです。
誰かと同じでなければならない。
自分という存在を人に理解させたい、認めさせたい。
そのような考えには縛られないようにしなければならないでしょう。
人生を豊かな場所にするためには、あなたは自分自身であれば良いだけです。
それ以外の方法は必要ではないのです。
人生の豊かさは特別な方法や場所によって得られる訳ではありません。
何も持たずに生まれてきたあなたが豊かになるのに、自分自身という存在以外を必要とはしないのです。
あなたは常に自分自身を目指さなければなりません。
自分自身を目指し、それを実現させることこそが、人生を豊かなものにするためには最短距離であるということを理解しなければならないでしょう。
大切なことは自分自身に聞けば良いのです。
あなたが必要とする答えは、あなたの中に存在している自分自身という存在が知っているのです。
人がそれぞれに違うことを理解しなければなりません。
人と人とが必ずしも理解し合う必要はないということを覚えておきましょう。
人に執着すれば、自分自身を見失います。
自分自身を見失ってしまえば、人生の豊かさを見失ってしまうのです。
あなたは目の前の人と分かり合えることがなくても、自分自身を追求することを諦めてはなりません。
あなたが自分自身を追求しているのであれば、いつか必ずあなたを理解する人が現れます。
自分自身を持っていなければ、あなたを理解する人は決して現れないでしょう。
どのような時も、自分自身を大切にすることを忘れてはならないでしょう。

2013年4月5日金曜日

一時の快楽

あなたはその時の感情によって自らを選択してはなりません。
感情は一時のものです。
それは移ろい、姿を変えます。
あなたは感情というものが状況に対する反射であるということを理解しなければならないでしょう。
感情は状況の表面的な部分に反応します。
それは条件反射であると言えます。
過去の経験から導き出された反応こそが感情であるでしょう。
過去のやり方に縛られているのであれば、移り行く状況の中に理想を実現させることはできないでしょう。
あなたの過去のやり方は、現在の状況にそぐわない古いものであるということを理解しなければならないのです。
過去のあなたは未熟です。
未熟な自分自身に従っても、物事がうまく進むはずもないのです。
感情に縛られ、それに人生の選択を委ねているのであれば、大切なことを見失ってしまうのです。
状況の中に存在している豊かさに気付き、それを反映させることがなければ、あなたは必要な豊かさを得ることはできないのです。
状況の中に存在している豊かさに気付くためには、それに気が付くことのできる自分自身が必要です。
豊かさに気が付くことができない者が豊かさを得ることができないのは当たり前の話なのです。
あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、状況の中に存在している豊かさを探さなければならないのです。
どのような状況の中にも、あなたにとっての必要な豊かさが存在しています。
それを見極めるためには、表面的な部分に捉われているようではなりません。
その状況が持つ豊かさは、本質的な部分にのみ存在しているのです。
状況の本質に触れるためには、状況に対する表面的な考え方を払拭(ふっしょく)しなければなりません。
過去のあなたは、現在のあなたに比べて未熟です。
それは、物事に対する考え方が浅いということが言えるでしょう。
しかしながら、人は過去の自分の考え方(習慣、トラウマ)に捉われてしまいます。
そのために、革新的な変化を得られずにいるのです。
過去の自分に捉われることなく状況を選択することができるのであれば、あなたは必要な変化(豊かさ)を得ることができるのです。
あなたが感情を用いる時、それは過去の自分に捉われている時です。
それは未熟な考えです。
未熟な考えは未熟な状況を導きます。
未熟な状況はあなたに苦しみを伝えるでしょう。
あなたは苦しみを受け取りたいとは思わないはずです。
あなたは苦しみを受け取らずに済む方法があります。
それは、一時の感情によって状況を選択しないということです。
感情は一時の心の高揚です。
そこに持続力はありません。
熱し易いが冷め易いのです。
気持ち(心、考え、方向性)がころころと変わるようであれば、どのような目的も達することなどできないのです。
気持ちは一貫していなければなりません。
それがぶれるようであれば、何かを達成することなどできはしないのです。
感情は直ぐさま違う感情に取って代わり、決して一貫性を持つことはありません。
一貫性のない心が状況の本質に辿り着くことはできないのです。
あなたは決して感情によって物事を判断してはなりません。
そして、感情によって選択してはなりません。
感情による浅はかな考えによって導き出される選択は、あなたに一瞬の優越感を与えるかもしれませんが、その一瞬の優越感を得るために裏で失っているものはその何倍も大きなものであるのです。
あなたが失っているものの価値を知れば、どのような自分自身に頼り、状況の中にどのような選択をすることが重要であるのかを理解することができるでしょう。
物事はできる限り大きく考え、できる限り長く見つめなければならないでしょう。
小さく(浅はかに)考え、短絡的に見ているのであれば、必要な豊かさを手にすることはできないのです。
あなたは感情によって左右されるような「小物」になってはなりません。
どのような状況にも感情が左右されない大きな人間にならなければなりません。
後先のことを考えておかなければなりません。
思考が働いていない時は感情が我が物顔であなたに選択を迫るでしょう。
あなたは考えなければなりません。
自分の選択がそれで良いのかを判断しなければならないのです。
あなたには手にする必要がある豊かさがあるはずです。
あなたは常に目の前の状況からそれを引き出すことができるのです。
そのためには本質に触れることです。
ただ、それだけです。
感情ではなく、思考によって状況に差し向かいましょう。
そうすれば、あなたはどのような状況の中にも必要な豊かさを得ることができるでしょう。

2013年4月4日木曜日

自分自身の幸福

大切なのはこれがあなたの人生であるということです。
あなたは自分自身の人生を生きているのです。
人生を築いているものは他ならないあなた自身であるのです。
自分自身が定まらなければ、人生を豊かに築くことはできないでしょう。
大切なのはあなたが主役であるという認識を持つことです。
この世界においては、何よりも自分自身というものが重要になります。
あなたは自分自身を追求し、それを実現させなければならないでしょう。
自分が一番大切です。
自分というものが定まっていなければ、どのような理想も果たすことができないからです。
あなたの人生を築くのは自分自身です。
自分以外の存在からの様々な影響を受けながら人生は進んでいきますが、それを最終的に築いているのはあなた自身であるのです。
あなたが自分自身というものをしっかりと持ち、自己を実現させるのであれば、その理想を実現させることも可能です。
しかしながら、自分自身が定まらず、自己を実現することができないようなら、人生に理想を実現させることはできないでしょう。
あなたにとって最も大切にしなければならないのは、自分自身であるということを理解しなければならないでしょう。
自分のことが充実していなければなりません。
自分のことも満足がいかない者が、人のことを満足させることなどできないのです。
自分自身を助けることもできない者が、人のことを助けることができると思いますか?
自分自身のことに手が回らない者が、人のことにまで手が回るはずもないのです。
あなたは自分自身のことを最優先に考えなければなりません。
自分自身のことができてから、その他のことに手を付けなければならないでしょう。
あなたが最も大切にしなければならないものは自分自身の満足です。
あなたは自分自身の満足を実現させなければなりません。
人のことはそれからです。
あなたは自分以外の存在を幸せにしなければなりません。
そのためには、自分自身の問題を解決し、そこに価値を創出しなければなりません。
それができたなら、自分以外の存在が抱える問題を解決し、そこに価値を創出することもできるでしょう。
人は自分自身のことだけをやっていれば良いという訳ではありません。
自分自身のことができたら、自分以外のことをやらなければならないのです。
自分だけが満足したところで、人は幸福を手にすることはできません。
自分を含めた周囲の人や存在が幸福になることがなければ、本当の意味での幸福が実現することはないのです。
あなたはきっと、誰かを思い、その誰かに幸せになって欲しいと願っていることでしょう。
その考えは立派です。
しかしながら、自分自身が幸福でない人に幸福を願われた人はどのように思うでしょう?
相手があなたを大切に思っているのならば、先ずは自分自身の幸せを考えて欲しいと思うことでしょう。
誰かを思う余り、自分自身という最も大切な存在を忘れてはならないのです。
あなたが自分自身の幸せを願うことは罪ではありません。
他人の幸せよりも自分自身の幸せを考えなければならないのです。
人のことを考えるのは、自分自身のことに満足がいった後のことです。
先ずは自分自身であるということを忘れてはなりません。
どのような存在も自分自身のために存在しています。
どのような人も自分自身のために生きなければならないのです。
自分自身の幸福の追求が、結果的に人のためになります。
人のことばかりを気にかけて、自分自身を追求することができない者が人のためになることは稀(まれ)です。
残念ながら、自分自身を差し置いて、第一に人の幸福を願う人は幸福を手にすることができず、人を幸福にすることもできないでしょう。
あなたが人を幸せにしたいと願うのであれば、自分自身が幸せであることが条件なのです。
自分自身が幸福でない者が、人の幸福を実現することなどできないのです。
人は自分自身が持っているものだけを人に与えることができます。
自分自身が持っていないものを与えることなど不可能なのです。
あなたが人を幸福にしたいと願うのであれば、自分自身が幸福でなければならないのです。
あなたは自分自身のことを考えていましょう。
自分自身のことが十分にできていないのであれば、人のことを考えている余裕などないのです。
幸福は自らの手によって掴み取らなければなりません。
どのような人物も例外ではありません。
あなたは人を幸せにしなければなりませんが、人を幸せにしようなどと考えてはなりません。
自分が幸せであれば、あなたの大切な人も幸せに近付くということを理解しなければなりません。
自分自身が満たされているのであれば、自ずと人を満たすことができるでしょう。

2013年4月3日水曜日

失うものと得るもの

あなたは状況から認識を得ています。
その認識があなたに状況を伝え、新たな選択と行動を導くのです。
人は目の前の状況を認識することによって新たな状況を築いていくのです。
現状に対応することで、新たな状況を導き出します。
あなたは自らの認識の重要性を理解しなければならないでしょう。
あなたは認識に対応することで世界を築きます。
結果に対して原因が生まれ、原因に対して結果が生まれるのです。
あなたが状況をどのように捉えるのか?ということがあなたの受け取る状況の原因となるのです。
幸いなことに、あなたは自分自身の力によって状況を認識することができます。
どのような状況にも、好きな色を塗ることができるのです。
あなたがそれをどのように感じ、どのように考え、どのように対応するのかを決めることができます。
それによって、あなたの得る次の状況が決まるのです。
あなたは自らの認識が次の状況を導き出しているということを理解しなければならないでしょう。
あなたは自らの人生をコントロールしなければならないのです。
それができないと考えている人が多いですが、人生というものは本来、自分自身の力によって築いていくものなのです。
そのことを忘れてはならないのです。
あなたが求めているものはどのような状況ですか?
どのような人生を求めているでしょうか?
きっとあなたは幸福で豊かな人生を求めていることでしょう。
あなたが幸福で豊かな人生を得るためには、幸福で豊かな認識を持たなければならないのです。
幸福で豊かな認識というものは、どのような状況においてもそこに幸福や豊かさを見出す捉え方のことです。
それがどのような状況であったとしても、そこに何らかの幸福や豊かさを捉えることが、後の幸福で豊かな状況や人生を導くためには必要なことなのです。
状況に対して幸福で豊かな認識を得るためには、そこからあなたが得ることができるであろうものを数えなければなりません。
そこで失うであろうものを数えているのであれば、幸福で豊かな認識を得ることはできないのです。
それがどのような状況であっても、あなたは何かを失い、同時に何かを得ています。
ただ失うだけの状況は存在しません。
ただ得るだけの状況も存在しないのです。
どのような状況においても何かを失い、何かを得ているということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたがどのように努めようとも、何かを得るためには何かを失わなければなりません。
何かを受け取り続けるのであれば、あなたはその重さに耐えることができないでしょう。
失うからこそ、バランスが取れているのです。
何かを失うことが悪いことなどと考えてはなりません。
何かを失っても構わないのです。
それは、どのような状況においてもそれに見合う、もしくはそれ以上のものを得ることができるからです。
人生は必要によって満たされています。
あなたにとって必要なものはすべて満たされるのです。
必要で満たされることを知っているのであれば、失うことに対して恐怖を抱く必要はありません。
何かを失う悲しみに縛られる必要もないのです。
何を得ても、何かを失います。
それは避けられないことなのです。
あなたは失うことを数えていてはならないのです。
それはネガティブで破滅的な思考や感情に発展してしまうでしょう。
そのような意思によっては幸福で豊かな人生を築くことなどできないのです。
失うことは当たり前のことであり、それに見合う、もしくはそれ以上のものを受け取ることができるのだから、それを数える重要性を理解しなければならないのです。
得るものを数えていれば、人はポジティブで建設的な思考や感情を所有することができます。
あなたの認識が世界を築くのは紛れもない事実です。
あなたは自分自身の考える人生を生きていくのです。
あなたが幸福で豊かな人生を生きていきたいと考えているのであれば、失うものを数えていてはなりません。
それよりも、得るものを数えなければならないでしょう。
どのような方向性に認識を合わせるかによって状況は大きく変化します。
認識は、あなたの中の小さな決定かもしれません。
しかしながら、その小さな決定が世界を築くのです。
あなたは自分自身の力を軽んじてはなりません。
あなたには自らの人生を動かす力が存在しているのです。
失うものよりも、得るものを数えましょう。
得るものこそがあなたの可能性です。
得るものこそがあなたの未来を建設するのです。

2013年4月2日火曜日

自己実現

あなたは自らのやるべきことをしなければなりません。
あなたは自らの役割を果たさなければなりません。
自らの成すべきことを成さなければ、人生には幸福も豊かさも得ることはできないのです。
人はそれぞれに抱えている役割というものがあります。
その役割は人生の意味であるのです。
目の前の状況における小さな役割から生涯に渡る大きな役割まで、あなたにはやらなければならないことがたくさんあるのです。
自らの役割を果たし、やるべきことをやり、果たすべきことを果たすのであれば、人生はあなたに幸福と豊かさを導くでしょう。
あなたの役割というものは、あなた自身が一番知っています。
あなたのことなら、あなたが誰よりも良く知っているのです。
あなたは自らの抱える役割というものを理解するために、自分自身にその問いを投げ掛けなければなりません。
自己を知ることなく、世界を知ることはできません。
自己を知ることなく、道は見えてはこないのです。
あなたの心は、あなたに何をしろ、何を成せと投げ掛けていますか?
あなたは何をしている時が最も幸せを感じますか?
どのような状況や自分自身を欲しているでしょうか?
あなたは自己を実現させなければならないのです。
自己を実現させることが人生の幸福と豊かさを導くということを理解しなければならないのです。
自分自身のやりたいこともできない人生が幸福であり、豊かであると言えるでしょうか?
自分自身に嘘を強要し、本音を曲げて我慢するような人生ではならないのです。
あなたは自らの人生に対して、自己を実現させなければなりません。
本当にやりたいと思うことを実現しなければなりません。
本当にやりたいと思うことを実現させるための苦労や苦悩はいくらでもして良いのです。
それは、あなたを成長させる重圧と成り得るからです。
しかしながら、明確な理由もない苦しみは、あなたを押し潰してしまう重荷となってしまうので注意が必要です。
人生は楽しむべきものです。
一度しかない人生なのです。
それを苦悩の中に生きていてはならないのです。
喜びの多い人生にしなければ「骨折り損」なのです。
人生は幸福や豊かさを得るために存在しています。
人生は苦しむ場所ではないのです。
どのような問題も価値へと変えていく必要があるのです。
あなたにとっての価値というものは、自己実現に他なりません。
人生に自由ほどの価値が他にあるでしょうか?
自分自身で生きることは、好きなことをして生きるということです。
好きなことに囲まれた人生はあなたに幸福と豊かさを運ぶのです。
人生のキーポイントは自己実現であるということを覚えておかなければならないでしょう。
自分自身の欲する自由を得ることこそが人生の幸福であり、豊かさに他ならないのです。
あなたはどのような状況においても、自己実現に努めなければなりません。
周り(人の目)を気にして、自分自身が本当にやりたいことができないのであれば、あなたは幸福と豊かな人生を諦めなければならないでしょう。
どのような状況や環境にいようとも、自己を実現させることができなければ、人生には幸福も豊かさも存在しないということを覚えておかなければならないでしょう。
しかしながら、自己実現と身勝手を混同してはなりません。
自己を実現するために争いの感情は必要ではありません。
誰かを傷付けて得るものなどに価値はないのです。
あなたは自分以外の存在を手助けしながら、自己を実現させる方法を探さなければなりません。
自己の実現は、幸福や豊かさあってのものです。
それらを両立することなく本当の自己実現は果たせないのです。
あなたにはやるべきことがあります。
果たすべき役割があるのです。
それは幸福や豊かさを動機とする心の働きです。
あなたがやりたいことが自分自身とそれ以外を幸せにすると思ったのであれば、何も気にすることなくそれを実行しましょう。
あなたの心は幸福と豊かさを求めています。
それは自分だけに向けられたものではありません。
自分と自分以外に幸福と豊かさをもたらす自己を実現させなければならないのです。
幸福や豊かさは奪うものではありません。
互いに分け合うものであるということを覚えておかなければならないでしょう。

2013年4月1日月曜日

動機

人生は選択と決断によって成り立っています。
あなたは人生を選択し、決断しなければなりません。
あなたはそれを自らの力によって決めなければならないのです。
人生はあなたの選択と決断によって成り立ちます。
あなたが何を選択し、何を決断するのかによって人生は決まります。
あなたの選択と決断によって人生は多様に変化するのです。
あなたの選択と決断は動機によって決定されます。
どのような選択と決断にも、それをあなたに選ばせる動機というものが存在しているのです。
動機とは原因です。
あなたはどのような場合も何らかの原因によって動きます。
その原因の質が、もたらされる結果の質を決めるのです。
あなたがどのような動機によって動くのかによって、導く結果が違いを見せます。
あなたは自らが求める結果に相応する動機によって動かなければならないのです。
あなたはどのような結果を求めていますか?
それを得るための正当な動機が必要です。
その動機が求める結果に反しているのであれば、必要な結果を導き出すことはできないのです。
あなたが求めているのは幸福であり、豊かさであるでしょう。
どのような状況においても幸福と豊かさを得たいと思うのが人の本音です。
あなたはどのような状況に対しても、自らにとっての幸福と豊かさを追求しなければなりません。
あなたが幸福と豊かさという結果を求めているのであれば、幸福や豊かさに根差した動機を持っていなければなりません。
幸福や豊かさに根差した動機を持っていなければ、幸福や豊かさという結果を得ることはできないのです。
あなたはいつの時も、幸福や豊かさについて考え、それを動機として動くということを実行しなければならないでしょう。
その動機が幸福や豊かさに根差したものであるのならば、状況がどのように変化しようとも辿り着くのは幸福や豊かさです。
原因は必ず結果へと続いています。
原因を持たない結果は存在しません。
どのような原因も必ず必要な結果となって実現するのです。
あなたが幸福や豊かさを必要としているのであれば、それに根差す動機を得なければなりません。
求める結果に反している動機を所有してはなりません。
しかしながら、多くの人は求める結果に対して、それに反する動機を所有しているのが現状です。
幸福や豊かさを手にしたいと思いながら、その動機は恐怖に根差したものなのです。
あなたにはきっと心当たりがあるでしょう。
恐怖から逃れることを動機として動いていることがあるはずです。
それが恐怖から逃れることであったにしても、恐怖を動機として動けば、辿り着く先は恐怖が導く苦しい場所に他ならないのです。
恐怖を考えてはならないのです。
あなたが何かを選択し、決断する動機というものは、恐怖以外の選択肢を用いなければならないのです。
恐怖から逃れるために恐怖を考えていても、それを実現させることはできないのです。
人は自らが考えることを実現させてしまいます。
あなたが恐怖について考えるのであれば、あなたは恐怖を実現させるのです。
人生には様々な状況が存在し、それはあなたにとって厳しく、苦しいものであるでしょう。
厳しく苦しい経験が人に恐怖を植え付けているのです。
そして、人はその恐怖を回避しようと考えるのです。
恐怖を回避しようとする考えが動機となり、状況を選択し、決断し始めます。
それは、決して幸福や豊かさに根差したものでもなく、それらを目指すものでもありません。
恐怖を回避しようとする考えは、恐怖に根差し、恐怖を目指すものにしかなり得ないのです。
あなたが幸福や豊かな状況を求めているのであれば、幸福や豊かさを考え、それに根差し、それを目指すものでなければならないのです。
あなたはいつの時にでも、幸福と豊かさを考えていましょう。
幸福と豊かさのために動くのです。
それ以外の動機を所有してはなりません。
その動機が恐怖を離れ、幸福や豊かさによって動こうとするまで待たなければなりません。
動機によって人は人生を築きます。
あなたの人生は紛れもなく、自らの動機によって築かれたものであるのです。
あなたはどのような人生を求めていますか?
動機を軽んじてはなりません。
あなたは自らの言動の力を軽視してはならないのです。
人生は自らの選択と決断によって決まります。
あなたの選択と決断を決めているのは動機です。
あなたはどのような理由よって動くのかを考えていなければならないでしょう。