すべての物事には必要な意味があります。
無意味に存在しているものはありません。
それがどのようなものであれ、そこに存在する理由があるのです。
その存在がそこに存在するためには、その理由を満たす必要があります。
意味を満たすことがなければ、それはそこに存在することができないのです。
その存在がそこに存在する時、それはそこに止まる理由を必要とします。
その理由を満たすためには、「エネルギー」が必要なのです。
どのような存在もエネルギーを持っています。
それは命であり、力であり、時間であり、形であり、繋がりであり、必要性であったりします。
どのような存在もそこに存在するためには、そこに存在するためのエネルギーを消費しているのです。
物事が何のリスクもなくそこに存在しているということはないのです。
存在しているということ自体がエネルギーを必要としているのです。
生命を維持するためには、食事をしなければなりません。
それは周知の事実であり、今更それを覆(くつがえ)そうと言う者はいないでしょう。
食事をし、それを命に代えて生きているのです。
生きるためには食事として、他の命を消費しなければなりません。
その他に、体力、精神力、時間、寿命を消費しなければ人生を保つことはできないのです。
命は何かを消費しながら生きているのです。
この世界においては、何かを消費しなければ、何かを得ることはできないのです。
何も消費することなく、何かを得ることはできません。
それは絶対です。
何かを得るためには、何かを犠牲にしなければならないのです。
あなたは、何かを得るためには何かを手放さなければならないということを理解しなければならないでしょう。
何かを得ても、それを維持することにも何かを消費する必要があるということも忘れてはならないのです。
必要なものを得るためには、必要なものを支払わなければなりません。
代金を支払わずに商品を得ることはできません。
何かを得るためには、何かを犠牲にする必要があるのです。
何も犠牲にすることなく、何かを得ることなどできません。
この世界に完全な「美味しい話」というものは存在しないのです。
完全な利益などあり得ません。
その時は分からなくても後に支払わなければならない犠牲があるのです。
自らの認識の範囲外において支払わなければならないものもあります。
何かを得るためには、それ相応の代償が存在しているということを知らなければ、必要な支払いが滞り、やがては自ら首を縊(くく)ることになってしまう可能性もあるでしょう。
どのようなことにも責任が求められます。
人生は自己責任です。
自らの行い(生き方)に沿った責任が導かれます。
どのような人物も自分自身の生き方を否定することはできません。
自らの過去(行い)を消すことなどできないのです。
あなたが得たものには、すべて責任というものが備わっています。
それを手元に止めるには、それを手元に止めるためのエネルギーを支払わなければならないのです。
すべてには責任が働いているということを理解しなければならないでしょう。
果たせない責任は、負債となります。
人生への負債から逃れることはできません。
それは如何なる理由があろうとも、何が何でも支払わなければならないものなのです。
あなたは自らの果たせる範囲の責任を抱えるようにしましょう。
果たすことのできない責任を抱えてはなりません。
ただし、負債が悪いと言っている訳ではありません。
果たすことができる負債は抱えても構わないのです。
自らの力量(果たすことのできる責任)に見合った欲を持ちましょう。
力量以上の大欲は身を滅ぼします。
必要でないものまで欲することに注意しなければなりません。
それが本当に必要であるのか?ということを確認しましょう。
必要が満たせれば事足りるということを知らなければなりません。
自らの必要、そして力量を見極めなければなりません。
計画も無く何かを求めてはなりません。
必要以上の欲に注意しなければなりません。
足るを知りましょう。
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