目に映るものだけを重視しているのであれば、あなたは大切なものを見失ってしまうでしょう。
世界は目に映るものと、そうではないものによって構成されています。
それがどのような状況であろうと、目に映るものと目には映らないものによって構成されているのです。
あなたはどのような状況にも、そこにはそれら目には映らないものが存在しているということを覚えておかなければならないでしょう。
世界は本質とそれを包む「表現」によって構成されています。
すべての事象、すべての状況が、本質の表現です。
すべての事象や状況には理由が存在しています。
その理由が本質であるのです。
しかしながら、その本質が直接的な表現を用いて事象や状況に現れる訳ではありません。
人間の肉体は骨格によって支えられていますが、それを視覚によって捉えることはできません。
目視によって骨格を捉えることはできませんが、それは確実に存在しているのです。
肉体を支えているのは目に映る筋力ではありません。
肉体を支えているのは骨格であるということは理解することができるでしょう。
筋力が無くても肉体を支えることはできます。
しかしながら、骨格が存在しなければそれは叶わないのです。
肉体においては、筋力と骨格の両方が重要なのです。
目に映るものだけを重視しているのであれば、大切なことを見失ってしまいます。
あなたは目に映るものだけを重視してはなりません。
目には映らないものであっても重要であるということを理解しなければならないのです。
あなたが目的を達するためには、知識、技術、想像力、努力、という力が必要です。
それらに欠けてしまえば、どのような目的も達成することはできないでしょう。
あなたが豊かな人生を望むのであれば、必要な目的を果たさなければならないのです。
先にも述べたように、物事には目に映る部分と目には映らない部分が存在しています。
すべてが本質とその「表現」によって構成されているのです。
本質というのは理由(原因)です。
「表現」というのは結果であるのです。
あなたにとっての本質とは基本力です。
「表現」とはそれの応用のようなものです。
互いが混じり合って実力になります。
物事の本質は、大抵が目には映らないような謙虚な姿をしています。
どのような物事の基本も地味で目立ちません。
それに比べて「表現」というものは派手な姿をしていて目立ちます。
基本を応用した時、それは何倍にも膨れ上がり、華やかになるのです。
そのため、多くの人は物事の基本よりもその応用に魅了されます。
本質は地味で目立たないために軽視されがちなのです。
しかしながら、地味で目立たないことほど重要なものはありません。
筋肉は派手で目立ちます。
しかしながら、骨格が弱っていたらどうでしょうか?
どのように立派に見える建造物も、柱が朽ちていたとしたら・・・
大切なのは骨格がしっかりしていることです。
地味で目立たない基本が盤石(ばんじゃく)であることが重要であるのです。
目に映るものばかりを重視していてはなりません。
上澄みだけを啜(すす)るようではならないのです。
「表現」ばかりを重視していると、上辺をつくろうような人間になってしまします。
目には映らない基本(芯)を充実させておかなければ、薄っぺらな人間になってしまうのです。
どのようなことにも地味な基本が存在しています。
あなたはその重要性を忘れてはなりません。
秋になると樹木は葉を落とします。
その時に樹木の本当の姿が露(あらわ)になります。
樹木の美しさは葉にあらず、葉に隠れている樹形にあるということを覚えておかなければならないでしょう。
表情が優れていても、心が汚れているなら、本当の豊かさを得ることはできません。
目には映らないことを軽視してはなりません。
どのような本性も必ず露になる時がやってきます。
基礎がしっかりしていれば、外壁が崩れ落ちたとしても再建することができるでしょう。
しかしながら、基礎が使い物にならなければ、建て替えなければならないのです。
あなたは物事の基本を軽視してはなりません。
どのようなこともその本質を見失ってはならないのです。
傲慢(ごうまん)に生きてはなりません。
謙虚に生き、万全な基本を築きましょう。
優れた基本は優れた応用を導きます。
目に映らないものの大切さを忘れてはならないでしょう。
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