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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2013年11月30日土曜日

イメージ

あなたは良いイメージを所有しなければなりません。
どのような対象物に対しても、それを良いイメージによって捉えなければならないのです。
人は自らの認識によって世界を築きます。
あなたの思考や感情といった意識によって状況が築かれるのです。
あなたは自らの意識の重要性と、人生における影響力に気が付かなければなりません。
あなたの人生を築いているのは、他の何でもなくあなたの意識であるのです。
あなたが所有する意識こそが、人生を決めるのです。
あなたが対象物に対して所有するイメージが、あなたの所有する意識です。
対象物に対して良いイメージを所有するのであれば、あなたはそれと対峙する時間を素敵なものにすることができるでしょう。
良いイメージを所有することができるのであれば、自ずと良い気分が湧き起るのです。
良い気分で過ごす時間は、あなたに豊かさを提供してくれるのです。
良い気分によって過ごすことがなければ、豊かさを感じることはできないのです。
人が豊かな人生を生きるためには、良い気分によって時間を過ごすということが求められるのです。
あなたは良い気分によってすべての時間を過ごさなければなりません。
どのような対象物に対しても、良い気分によって向き合わなければならないのです。
良い気分によって時間を過ごすためには、良いイメージを所有することが不可欠です。
良いイメージを所有し、それを保持することができないのであれば、良い気分を所有することなどできないのです。
あなたはどのような対象物に対しても、良いイメージを所有し、それを保持するように努めましょう。
良いイメージを所有するためには、物事に対して良い所を探す力が必要です。
対象物の良い所を探すことができなければ、良いイメージを所有することなどできるはずがないのです。
あなたはどのような対象物に対しても、良い所を探しましょう。
どのようなものにも、必ず良い所が存在しています。
それが無いというのであれば、それはあなたがそれを探せていないだけです。
どのようなものにも良い所は必ず存在しています。
必ず見付かるので、見付けるまで探し続けましょう。
偏見を所有しているのであれば、良い所を見付けることはできません。
偏見はものの本質を歪めてしまう価値観です。
歪んで見えているものの良い所を探すことなどできないでしょう。
どのように美しい景観であっても、ものが歪んで見える眼鏡をかけて眺めるのであれば、それを美しいと感じることはないのです。
偏見を所有しているのであれば、良い所を探し当てることはできないのです。
あなたはリラックスして、余計な力を抜きましょう。
損得を考えているから偏見が生じるのです。
損得勘定によって対象物を見るのであれば、あなたは都合の良いことばかりをピックアップすることになります。
それでは、物事の本質である、そのものの存在価値や存在理由を知ることはできないのです。
本質を見極めることができない者は失敗します。
本質を見極めることができない者には、豊かさを得ることができないのです。
人が人生の豊かさを得るためには、その心が豊かさで満ち溢れている必要があります。
あなたの心(意識)が人生を現すのです。
豊かな心は対象物に対して良いイメージを所有するでしょう。
心に豊かさが不足するのであれば、対象物に対して悪いイメージを所有するようになるのです。
例えば、不満や不安です。
心が豊かさによって満たされる者は不満や不安を覚えることはありません。
良いイメージによって満たされているために、そのような状態に陥る必要がないのです。
どのようなイメージを所有するのかによって、人生は大きく変わります。
あなたが豊かな人生を切望するのであれば、対象物の良い所を探しましょう。
不満や不安などの悪いイメージによって人生が豊かなものになることはありません。
喜びや安心などの良いイメージによってのみ、人生は豊かなものになるのです。
あなたが偏見によって対象物を歪んだ姿として認識しているのであれば、今すぐにそのような悪いイメージを払拭(ふっしょく)しましょう。
良い所を見付け、良いことを考え、良いことを思い、良いことを行う。
人生を豊かなものにするためには、最低でもこれだけのことが必要なのです。
誰が何と言おうとも関係ありません。
他人のネガティブな言葉に騙されてはなりません。
どのような理由があろうとも、他人のネガティブな言葉に賛同してはなりません。
これはあなたの人生です。
自分自身の人生を守ることができるのは、本人であるあなた自身なのです。
どのような対象物に対しても必ず良いイメージを所有し、何があっても必ずそれを保持しましょう。

2013年11月29日金曜日

世界はあなたの心を現しています。
あなたが考えること、思いを寄せるものによって構成されています。
それは、あなたが考えることや思っていることを自分自身の行動によって実現してしまうからです。
あなたがそれを選択し、そのように行い、実際に築いたので実現するのです。
すべてはあなたがやったことです。
人生は、とても自由なものなのです。
あなたが自分の好きなように築くことが許されています。
あなたの現状は、あなたが自分自身で選択したものであるのです。
あなたはそれを信じることができないかもしれません。
しかしながら、すべてあなたが決めたことなのです。
あなたの心がそうしたのです。
人は主観という認識(自分自身の価値観)を使って人生を築いています。
その主観によって得られる認識というものは、とても狭い範囲しか捉えることはできません。
主観による認識というものには、世界の本質を捉える力はないのです。
あなたが見えているものよりも、見えてはいないものの方が多いということを理解していますか?
あなたが聞いているものよりも、聞いてはいないものの方が多いということを知っていますか?
あなたが触れているものよりも、触れてはいないものの方が多いということに気付いているでしょうか?
あなたの主観は、狭隘(きょうあい)を捉えることには優れていますが、広闊(こうかつ)を捉えることには劣っているのです。
あなたは自分自身が不幸など考えていないと感じているかもしれません。
問題や苦しみのことなどに思いを寄せてなどいないと考えるでしょう。
しかしながら、あなたが現状に対して不幸を感じていたり、問題や苦しみが存在していると認識するのであるなら、あなたの心の中には確実にそれらを考える思考や、それらを思う心の働きが存在しているのです。
あなたは不満を持ってはいませんか?
悲観的に物事を捉えてはいませんか?
自信もなく、諦めていることはないですか?
夢は叶わないと思ってはいませんか?
誰かに嫌われていると考えてはいませんか?
誰かや何かを嫌ってはいませんか?
誰かや何かが悪いと思ってはいませんか?
自分には相応しくないと考えてはいませんか?
将来に対しての不安や心配に対して、思いを巡らせてはいませんか?
人生は詰まらないと思ってはいませんか?
人は誰もが幸福を求めています。
幸福を求めていながら、心の中にはそれ以外の相対する思考や感情を所有しているのです。
不満や不安が心の中に存在し、あなたはそれに苦悩しているのに、どうやって幸福になる方法を考え、幸福な気分によって、幸福を実現するために行動するのでしょう?
心の中に不満や不安などの不幸の種が存在しているのであれば、あなたは幸福を手にしたいと思いながらも、不幸になる方法を考え、不幸な気分によって、不幸を実現するために行動してしまうのです。
人は心の中に強く存在する気分(思考や感情)に従うのです。
不満や不安を抱えていたとしても、気分が幸福に対して傾倒しているのであれば、不満や不安などの破滅的な気分を一掃し、幸福を手にする方法を考えて行うでしょう。
世界はあなたの心を如実(にょじつ)に現します。
あなたの状況は嘘を吐きません。
それは、状況はあなたの選択の結果だからです。
その選択は自らの心によって決めているのです。
あなたは心の中にどのようなものを所有しているのかをしっかりと見詰めましょう。
自分自身に嘘を吐いてはなりません。
自分を正当化したり、美化しているのであれば、あなたの認識が主観を離れることはないでしょう。
ありのままの自分自身を受け止める時です。
自分の弱さ、汚さを見詰めましょう。
人は万能ではありません。
人は弱く、汚いものです。
自分自身もそうであるということを理解しなければ、あなたが自らの心を正しく導くことはできないでしょう。
美しい心であれば、世界は美しいものになります。
汚い心であれば、世界は汚いものになるのです。
どのような世界を築き、どのような人生を生きるのかは自分自身が決めることです。
綺麗な考え、綺麗な思い、綺麗な言葉、綺麗な文章、綺麗な選択、綺麗な行動、綺麗な生き方を実現しなければなりません。
何が綺麗であり、何が汚いのかは、自分自身で判断すれば良いでしょう。
どのような状況に至ろうとも、世界が自らの心を現しているということを忘れてはなりません。
それを理解した上で、自らの心を定めましょう。

2013年11月28日木曜日

精神の独立

孤独に生きることは素晴らしい恩恵をもたらすということを知っておかなければなりません。
人は独りです。
どのような人間も孤独の中に存在しているということを理解しなければならないでしょう。
人は独りで生まれ、独りで去ります。
独りで選択し、独りで行うのです。
人間という存在は、本来孤独であるということを理解していなければ、あなたは人間の持つ本来の力をその状況に引き出すことはできないでしょう。
孤独に生きるということは何も、誰にも頼らず、誰とも触れ合わずに生きるということではありません。
ここで言う孤独とは、精神的な独立を指しています。
大切なのは、自己というものを孤独の観点から見詰め、それを理解するということなのです。
あなたが自らの人生を決断する時、それを決めなければならないのは自分自身であるのです。
どのような決断も、最終的には自分自身が決めなければならないのです。
あなたの人生を誰かに任せることはできません。
どのような人物も、最終的には自分自身で決めるのです。
人が孤独な存在であるということを理解することがなければ、その決断を誰かや何かに委(ゆだ)ねてしまいます。
自分自身が決断するべきものを誰かや何かに委ねているのであるなら、自力が育まれることはないのです。
使わないのであるから、錆び付くのは当たり前のことなのです。
大切なのは、自己がどのような力をどれほど持っているのか?ということです。
最終的には、人は自力なのです。
自力が備わっていないのであれば、人生が豊かさを得ることはないのです。
豊かさとは、豊かさを感じるということです。
どのようなものに囲まれていたとしても、そこで豊かさを感じることがなければ豊かではないのです。
あなたは必ず状況や環境、そして、所有物を失います。
あなたは自己以外のすべてのものを失うのです。
あなたが自らの所有物が永遠に自分のものであると考えるのであれば、それは大きな間違いであるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたが本来所有しているものは、自己だけであるということを覚えておかなければならないのです。
状況や環境、所有物に執着し、それらに頼ることによって豊かさを保っているのであれば、それらを失った時にあなたは豊かさを感じることはできないでしょう。
人が孤独であるということを理解し、自己に頼るようになると、それ以外のすべてを失ったとしても、豊かさを得ることができるのです。
状況や環境、そして、所有物というものは、豊かな自己によって形成されます。
豊かな自己が損なわれるのであれば、それらを失い、再建することはできないのです。
あなたは人が孤独であるということを理解しなければなりません。
孤独であるということを理解し、自分自身である自己を頼りにしなければならないのです。
自己を頼りにする人は、自力を育むことができます。
それは、自己が学ぶからです。
誰かや何かに頼り、依存している人の自力が育まれることはありません。
自分自身が経験するということが重要なのです。
人が孤独の中に生きているということを理解するなら、頼ることができるのは自分自身ということになります。
自分自身に頼る人は、経験を積み重ねる過程において自力を育むのです。
自力が育まれるなら、人は自分で決断することができるのです。
あなたは自力を育み、自己を高めなければなりません。
自力によって人生を築きましょう。
自力を以て他人と協力しましょう。
他人と協力する時に、できる限り対等な立場を築きましょう。
ただ任せるだけでは協力ではないのです。
互いに助け合い、支え合う関係を協力というのです。
人が孤独に生きる時、自力によって目の前の問題を解決せざるを得ません。
自力によって問題に向き合う時、人はより勤勉になります。
誰かや何かに頼らないのであれば、人は努めざるを得ないのです。
それは、簡単な道ではありませんが、それが大切なのです。
誰かや何かに頼ることによって問題を解決することは簡単ではありますが、人が本来持っている自己の力を育てるという面においては難しいのです。
自己に力がなければなりません。
それは、大切な決断はいつも、自分独りで決めなければならないからです。
それが重要であるほど、自分自身の力が求められるのです。
人生は自己責任です。
すべてはあなたが選択しています。
どのような状況を引き込んだとしても、決して文句を言ってはなりません。
それが不満を感じる状況であるのならば、それはあなたに実力が足りなかったのです。
ただそれだけです。
誰かや何かのせいではないのです。
自力が非力であるからこそ、問題が解決しないのです。
あなたは孤独に生きることによって自力を育みましょう。
多くの人と協力する中でも、孤独を忘れてはなりません。
精神を自己以外のものから独立させ、自力によって生きましょう。

2013年11月27日水曜日

好きに生きる

人生はあなたのものです。
あなたが好きにすれば良いのです。
あなたの人生は、あなたが好きに築くことができます。
あなたが自らの人生に自由が存在しないと考えているのであれば、それは、あなたが自分の人生を他人や何かのせいにしているということなのです。
あなたはその事実を受け入れましょう。
あなたが自分自身で責任を負っていないから、自由が奪われるのです。
自分自身で好きに築いていないから、好きに築くことができないのです。
その苦しみは、不自由さから導き出されます。
人は、自由を失うために苦しむのです。
あなたの人生は、他の誰かや何かのものではありません。
あなたの人生は、あなたのものであるのです。
あなたが責任を負い、あなたが自由に築くべきものであるのです。
人生は選択です。
自らがどのような選択をするのかによって、状況が築かれます。
自らが思い、考え、実行することによって人生は決定するのです。
あなたが思うこともなく、考えることもなく、実行することもないものが、人生に実現することなど有り得ないのです。
人生におけるすべての状況は、あなたが自ら選択したものであるのです。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
あなたは自分自身にとって、最も優れたものを選択することができます。
あなたがどのように思い、どのように考え、どのように実行しようとも、それはあなたの自由なのです。
誰も、あなたを制限してはいません。
あなたが自ら、最も良いものを自分自身の責任によって選んでいるのです。
それがどのような結果を導く選択であるにしても、あなたがそれを選んだのです。
あなたには、それ以外の選択もできたのです。
しかしながら、あなたはそれをしませんでした。
意識的、無意識的に関係なく、あなたは事実そのような結果を欲したのです。
人生を幸福によって満たすのも、苦悩によって満たすのも、それはあなたの自由であるのです。
すべてはあなたが好きに選んだ結果であるということを理解しましょう。
あなたが人生を選択する場合、あなたが好きなものを自分で決めれば良いのです。
今の自分にとって、最も優れている選択をすれば良いだけです。
あなたが最も欲しているものを想像し、それが得られる道を選びましょう。
あなたが最も欲しているものが、その感情、思考、行動の中に存在していなければなりません。
嫌いなものを考えていたり、不安や心配を思い、迷いの行動をするのであれば、あなたはそれらを実現してしまいます。
そのような状態であっては、理想を実現することはできないのです。
あなたが選択に迷った時には、目先の利益に捉われてはなりません。
目的地に辿り着くための合理的な道筋を、主観を離れて探しましょう。
遠回りをしたとしても、目的地に辿り着く道が最も優れているのです。
主観という偏見によって最高の道が見えることはありません。
客観によって物事を捉えることができなければ、合理的な考え方(知恵)には至らないのです。
自分自身のことを知るためには、客観性を所有しなければなりません。
自分自身がどのような性質を持っているのかを理解するためには、主観という偏見を離れる必要があります。
自己を客観視することができる者だけが、自分自身を理解することができるのです。
人生を好きに選択するにも、自己が求めているものを知らず、自分自身の状態も疎(おろそ)かであるのならば、幸福を実現することはできないのです。
理想を口に出すことはあれ、それを実現させることはできないのです。
あなたは人生を好きに築かなければなりません。
あなたの好きにするべきなのです。
あなたが自由にすることが最も優れているのです。
あなたは好きに決めましょう。
あなたがやりたいことをやりましょう。
あなたの本当に欲するものを手に入れましょう。
誰かと比べる必要はありません。
あなたが素直に欲するものが、あなたには必要であるのです。
ただし、願うだけでは叶いません。
祈るだけでは実現しないのです。
自らが思い、考え、実行することが重要です。
人生はあなたのものです。
自分自身が選択し、自分自身が決めれば良いのです。
好きに生きましょう。
好きな人生を実現しましょう。

2013年11月26日火曜日

新しい世界

人は成長することによって人生を切り開きます。
人は自分自身を変化にさらしているのです。
変化を実現することがなければ、人生がそれよりも豊かなものになるということはないのです。
変化とは、最高の結果であるのです。
変化しないということは苦しみであるということを覚えておきましょう。
すべては変化していかなければならないのです。
あなたは変化しなければならないということを覚えておきましょう。
一所に止まろうとするのであれば、可能性を失い、滅びを待つだけです。
変化の中にあって、可能性を見続けることが重要なのです。
あなたは変化を実現しなければなりません。
変化を受け入れることがなければ、可能性は絶たれてしまうのです。
変化にこそ、可能性が存在しているということを覚えておきましょう。
人は成長しなければなりません。
どのような状況も向上を必要としているのです。
あなたは自身の成長を求めなければなりません。
成長し、変化の中に可能性を見出さなければならないのです。
変化するということは、住み慣れた場所を離れ、一から居場所を築くということです。
それは、簡単なことではなく、そこには不安や心配などの恐怖が芽生えるでしょう。
人は安定を求め、変化を恐れています。
変化するということは、その安定を一時的にでも崩してしまう行為であるため、どのような人であっても変化に対する恐怖を抱えるのです。
それが、嬉しい変化であったとしても、その陰では恐怖を覚えているのです。
嬉しさに隠れて恐怖が見えなくなっているだけです。
恐怖は常に付きまとうのです。
不安や心配などの感情は、人にとって必要不可欠なものです。
不安や心配などの恐怖が心になければ、人は意欲を所有することはできないのです。
恐怖を克服するために、人は意欲を持つのです。
恐怖が存在しなければ、成長もないのです。
大切なのはバランスを見極めることです。
甘いだけの料理では、それを美味しいと感じることはないでしょう。
甘さの中に酸味や苦みなどの相反する味が混在していることによって、その料理は調和を以て美味しいと感じることができるのです。
ただ嬉しいだけでは成長はないのです。
楽しいことにあっても、そこには必ず悩みやストレスというものがあるのです。
恐怖に飲み込まれてしまってはなりませんが、恐怖を毛嫌いしてはならないのです。
恐怖も大切な感情です。
恐怖の感情が存在しなければ、危険を見失ってしまうでしょう。
危険を理解していなければ、計画が傾いていたとしてもそのバランスを保つことはできないのです。
恐怖の本質を見極め、それを丁寧に扱うのであれば、あなたの心のバランスは保たれるのです。
あなたの心のバランスが保たれれば、人生のバランスが保たれるのです。
世界は成長を余儀なくしています。
成長することがないものは滅びます。
世界は惰性的(だせいてき)に動くほど平和なものではないのです。
この世界では常に闘い(競争)が繰り広げられているのです。
強い者が勝ち、弱い者は滅びるのです。
それが当たり前のことであり、この世界の理(ことわり)であるのです。
あなたは当たり前のことを忘れてはなりません。
人は成長するものです。
それが当たり前のことなのです。
あなたは成長するという目的を見失ってはなりません。
あなたはいつの時にも成長しなければならないのです。
変化を受け入れることには勇気が必要ですが、思い切ってやってみましょう。
あなたが頭の中で考えているほど、それは難しいことではありません。
それに、あなたが困っている時には、助けになってくれる誰かの存在が必ずあるのです。
そのことを忘れてはなりません。
あなたは独りで人生を生きているのではないのです。
すべての人、すべての存在が成長を求めています。
目的は同じなのです。
そのため、意図せずともあなたを助けるのです。
恐怖を乗り越えて挑戦しましょう。
新しい世界にこそ、可能性が存在しているのです。

2013年11月25日月曜日

精神段階

あなたは自己を高めなければなりません。
自己の在り方が自分自身の行く先(方向性)、そこで得るもの(状況)、そして、辿り着く場所(環境)を決めるのです。
自己がどのように在るのか?ということが重要なのです。
あなたは自己を高めなければなりません。
自己を高めることによって、自己の在り方を良いものにしなければならないでしょう。
自己を高めることによって、あなたは有利な立場を得ることができるのです。
それは、理想に近付くということです。
あなたにとって有利な状況というものは、あなたの理想に近い状態であるということが言えます。
あなたが自らの思う理想に近付くことが、最も優れた道筋なのです。
理想に近付くことができないのであれば、それは失敗であるでしょう。
あなたは人生を成功させなければなりません。
自分自身の持つ理想を実現しなければならないのです。
そのためには、自己の高まりが必要なのです。
自己がその環境に適していなければ、あなたはその環境に存在することはできません。
現在、あなたが存在している環境、状況、付き合っている人間、所有しているもの・・・
あなたが携わっているこれらは、あなたの自己の状態を現しています。
あなたの自己が適している場所に、あなたは存在しているのです。
あなたの自己が適していない場所であっては、あなたは存在することはできないのです。
自分に釣り合っていない場所にいては、あなたは違和感や負い目を感じてしまいます。
人はその精神に負担が掛かるような場所にはいられないのです。
人は自らの心地の好い場所に存在するのです。
人には精神的な段階があります。
その段階によって、人は区切られているのです。
自ら区切るのです。
この世界は平等です。
自分がどのような場所にいるのも、どのような状況を抱え、どのような人間と付き合っても、それは自分自身の自由なのです。
自己という精神的な段階によって、人は自らの在り方を決めているのです。
あなたの精神がその段階にいるのは、あなたの自由であり、責任なのです。
この世界は平等です。
誰に対しても同じに世界は動いているのです。
あなただけが何かを取り上げられているのではありません。
あなたがどのように感じていようとも、この世界は平等なのです。
つまりは、人生は自己責任であるのです。
それを理解することができない内は、あなたは理想を実現することはできないでしょう。
表面的なものには違いがあります。
人の顔や骨格は違う形をしているのです。
しかしながら、臓器は同じ造形をしているのです。
多少の違いはあれ、その違いも他の部分によって均等が保たれるのです。
どのような人にとっても、世界は平等に動いています。
しかしながら、得るものには違いが現れるのです。
根本的なことは平等ですが、その中で成果を上げるかどうかはその人次第であるからです。
誰にとっても一秒という時間の長さは変わりません。
しかし、同じ時間を費やしても、得るものには違いが生じるのです。
それは、自己に違いがあるからなのです。
人生を決めるのは、自己の在り方です。
自分自身がどのような精神段階にあるのか?ということが重要なのです。
どのような道を、どのように進み、どのような場所に辿り着くのか?
人生においてはとても大切なことです。
あなたは自己の在り方によってそれを決めることができます。
あなたが自己を高めるためには、学ぶことによって成長することです。
ただそれだけです。
様々な知識と経験によって知性が生じます。
その知性が人格を高め、自己を高尚なものにするのです。
あなたが理想を実現させたいと願うのであれば、知性によって自己を高めましょう。
様々なものから自己を高める学びを得ましょう。
自己の在り方によって人生は決まります。
人生は自己責任であり、あなた次第であるのです。

2013年11月24日日曜日

人生への参加

あなたが人生を豊かなものにしたいと考えているのであれば、傍観者になってはなりません。
それは、この世界で利益を得るためには、成果を上げる必要があるからです。
成果を上げることができないのであれば、利益を得ることはできません。
成果を上げるためには、自らが行動しなければならないのです。
自分自身の仕事(実際に行ったこと)が成果に繋がります。
自分自身がやっていないこと、携わっていないものが成果として現れることなどないのです。
自分自身が実際に携わり、行ったことの成果による利益だけが権利として与えられるのです。
利益を得る資格は、それを実際に行って成果を上げた者にのみ与えられるのです。
傍観者にはどのような成果も上げることはできません。
どのような利益も得られません。
傍観者はただ端から眺めているだけだからです。
仕事をしていない者が、利益を得る権利など与えられません。
実際にその事柄に携わり、汗水たらして働き、苦労を乗り越えた者でなければ、成果を上げ、利益を得ることはできないのです。
あなたは勘違いしてはなりません。
実際にやったことでなければ、どのようなものも与えられないのです。
あなたが実際にやったことが成果となり、あなたに必要をもたらします。
あなたが努め励んでいるのであれば、それは成果と利益を必要としてあなたの目の前にもたらすでしょう。
あなたが怠けてただ眺めているだけであれば、それは不足と苦しみを必要としてもたらすことになるのです。
人生においては、自分自身が行ったことが返ってきます。
しかしながら、それがすぐさま返る(実現する)ことはありません。
期が熟した時になって初めて、それが必要としてもたらされるのです。
あなたは自らの良い行いによる利益が、すぐさま得られないからと言って悲観してはなりません。
あなたが自らの悪い行いによる責めを、すぐさま受けることがないからと言って安心していてはなりません。
すべての成果は、必要に応じてもたらされます。
あなたが必要だと思う時にではなく、人生が最も必要だと判断した時にそれはもたらされるのです。
あなたは気を抜いてはなりません。
自分自身が行ったことのすべてが、必要に応じて実現します。
人生があなたの行いを忘れるということはありません。
あなたが行ったことのすべては記憶され、その成果は確実にもたらされるのです。
あなたが人生を豊かなものにしたいと考えるのであれば、良いことだけを行わなければなりません。
誰かや何かに貢献することこそ、良いことであると言えるでしょう。
行った後に気分が良いと感じるものが、良いことであるのです。
あなたは気分の良くなる良いことを行わなければなりません。
良いことによって、良い成果を上げましょう。
あなたは良い状況を受け取らなければならないのです。
そうすれば、良い人生が手に入るでしょう。
傍観者として見ているだけのものには、良い状況が与えられることはありません。
それは、何もしていないからです。
仕事をしていないものには、給金は支払われません。
仕事をした者だけが、利益を得るのです。
あなたは見ているだけの人になってはなりません。
与える立場の人間にならなければならないのです。
残念ながら傍観者が幸せになることはありません。
それは、何もしていないからです。
何もしていなければ、あなたが誰であるのか?あなたに何ができるのか?あなたが何をしてくれたのか?そのようなことが誰にも知れないのです。
あなたが貢献しているということを知る人が、あなたを支えてくれます。
あなたは誰かや何かに対して、自分自身が貢献しているということを理解させなければならないのです。
そのためには、自分自身が実際に良い仕事をし、成果を上げなければならないのです。
見る立場に甘んじていてはならないのです。
見る立場から、見せる立場にならなければならないのです。
与える人だけが受け取ることができます。
あなたは勘違いしてはなりません。
欲する人が与えられるのではありません。
人が欲するだけでは、人生に受け取ることはできないのです。
与えたという成果を上げる者だけが、必要を受け取ることができるのです。
傍観者のように生きてはなりません。
あなたは自らの人生に参加しましょう。
あなたが参加しないのであれば、あなたの人生が豊かなものになるということは有り得ないのです。
傍観者にならないように注意しなければなりません。

2013年11月23日土曜日

素敵な人生

想像力によって、人は人生に対して建設的な変化を導くことができます。
想像力によって、あなたは状況に対して革新的な変化を導きましょう。
人は想像力を働かせることによって、状況をより良く導くことができます。
想像力を使うことがないのであれば、状況をより良く導くことはできないでしょう。
あなたは想像力を働かさなければなりません。
想像力によって未開拓の土地を切り開き、新たな道によって新たな可能性を手にするのです。
想像力とは、あなたの経験を繋ぎ合わせることによって導き出される新たな可能性です。
あなたの所有する情報が組合わさることによって、そこには新たな可能性が見えてくるのです。
想像力を働かせるためには、より多くの情報を所有しておかなければならないのです。
情報の量によって、想像力に違いが現れます。
様々な経験によって、様々な情報を所有しているのであれば、あなたは多くの材料によって料理を作ることができるのです。
豊富な材料がそこにあれば、あなたは様々な料理を思い付くことができるでしょう。
それは、そこに多くの食材が存在しているからなのです。
乏しい材料によって料理を作ろうとしても、想像することのできる料理は限られてしまうのです。
材料の量が料理のレパートリーを生み出すのです。
経験が豊富であるなら、様々な方法と結果を仮定することができるのです。
経験が乏しければ、仮定することのできる方法と結果は限られるのです。
それは、目的地に到着するためにはいくらでも好きな道を選べるにもかかわらず、無知によって道を限定されるという不自由を生み出してしまうのです。
あなたが求めている結果を確実なものとするためには、できる限り多くの道を用意する必要があるでしょう。
一つの道が寸断されても、次の道によって目的地へと向かうことができるのであれば、いつかはそこに辿り着くことができるのです。
人生には様々な困難が待ち構えているものです。
問題や壁によって道が塞がれてしまうのです。
そのような危機的な状況を乗り越えるためには、柔軟な発想力と革新的な想像力が必要となるのです。
道が寸断されているにも関わらず、その道を頑に進もうとするのであれば、目的地には辿り着けないのです。
道が寸断されているのであれば、他の道を探して進むのです。
大切なのは方法にこだわることではありません。
必要とする結果を実現することが重要なのです。
美味しい料理を作るという結果を欲しているのであれば、多くの材料が必要となります。
料理を作ったとしても途中で材料が足りなければ、美味しい料理が完成することはないのです。
材料が豊富なのであれば、予定とは違う食材によって、予定とは違う料理になったとしても、美味しい料理を作るという目的を果たすことができるのです。
予定と同じ材料や方法にこだわり、柔軟に想像することができないのであれば、料理が完成することがないため、あなたは責めを受けることになってしまうでしょう。
既成の概念に捉われる人は想像力に欠けています。
想像力に欠ければ、人生を進み続けることができないのです。
人生とは変化によって形成されていくものです。
変化することがないのであれば、人生は可能性を見出しはしないのです。
可能性を失った人生は豊かさを失うのです。
あなたはより多くの経験を得なければなりません。
様々な状況の中で考え、感じ、動くことによって想像力が鍛えられます。
いつもと同じ状況の中では、人が考え、感じ、動くことはないのです。
慣れ親しんだ状況の中にいるだけでは、人が想像力を育むことはできないのです。
あなたは様々な状況に触れましょう。
その中で、より多くの刺激を受け取りましょう。
良く考え、良く感じ、良く動きましょう。
人は想像力によってのみ、人生を建設的に築いていくことができます。
想像力を駆使して生きることがない者には、建設的に人生を築いていくことはできないのです。
生きるとは、想像していくということです。
道を切り開いていくことこそ、生きるということなのです。
ただ示された道を進んでいくことが生きるということではないのです。
あなたには想像力が必要です。
変化を楽しみましょう。
あなたは常に変化の中にいましょう。
様々な刺激を受け取ることによって、あなたの想像力は刺激されます。
想像力の欠如によって、人生を詰まらないものにしてはなりません。
常に道を切り開き、素敵な人生を創造しましょう。

2013年11月22日金曜日

成功と失敗

人生を豊かなものにするためには、どのような方法を用いればそれが豊かなものになり、どのようにすれば乏しくなるのかを知らなければなりません。
自分自身の選択によって築かれる人生は、自分自身の選択によってのみ豊かにもなり、乏しくもなるのです。
自分自身の選択が重要であるということを理解することがなければ、人生が理想に従って進むということは有り得ないということを理解しなければならないのです。
あなたは自分自身の選択の重要性を理解しましょう。
自分自身こそがこの人生をコントロールしているということを理解するのです。
自分自身の選択によって人生は変化するということを前提に、物事に対する判断を下しましょう。
あなたが豊かさを求めるのであれば、豊かさを実現させるための方法を理解しなければなりません。
豊かさを実現するための方法に従って人生を選択するのであれば、人生は豊かさを実現することができるのです。
豊かさを実現するための方法に従うことがないのであれば、豊かさを実現することはできないのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、人生を豊かにする方法を学びましょう。
思いやり、優しさ、愛情を選択する者は成功します。
不満、悲しみ、非情を選択する者は失敗します。
物事の本質を見極める者は成功します。
物事の外見に捉われる者は失敗します。
利益を与える者は成功します。
損失を与える者は失敗します。
大きく考える者は成功します。
小さく考える者は失敗します。
行動する者は成功します。
怠慢な者は失敗します。
好奇心を持つ者は成功します。
無関心な者は失敗します。
楽しみを所有する者は成功します。
苦しみを所有する者は失敗します。
貢献する者は成功します。
邪魔する者は失敗します。
他人を尊敬する者は成功します。
他人を軽蔑する者は失敗します。
目的、目標、夢を持つ者は成功します。
目的、目標、夢を持たない者は失敗します。
自己を理解し、認める者は成功します。
自己を知らず、嫌っている者は失敗します。
信念のある者は成功します。
疑念を持つ者は失敗します。
素直な者は成功します。
反抗的な者は失敗します。
感謝する者は成功します。
悪態を尽くす者は失敗します。
可能性を追い求める者は成功します。
可能性を諦める者は失敗します。
学ぶ者は成功します。
学ばない者は失敗します。
自力を育てる者は成功します。
依存する者は失敗します。
想像力を駆使する者は成功します。
既成概念に縛られる者は失敗します。
自然を理解する者は成功します。
自然を知らない者は失敗します。
意欲のある者は成功します。
忌避(きひ)する者は失敗します。
責任を果たす者は成功します。
無責任な者は失敗します。
建設的に考える者は成功します。
破滅的に考える者は失敗します。
ルールに従う者は成功します。
ルールに逆らう者は失敗します。
理解する者は成功し、無知な者は失敗します。
あなたは人生をどのようなものにしたいと願うでしょう?
その願いは自分自身で実現するものです。
人生は自分自身が築いているということを理解し、自分自身で決めましょう。

2013年11月21日木曜日

言い訳

あなたは人生が自己責任であるということを理解しなければなりません。
人生が自己責任であるということを理解することがないのであれば、あなたが人生を豊かなものにすることはできないのです。
人生とは、自分自身の力によって築いていくものです。
自分自身の力によって切り開かなければならないのです。
どのような人にも同じことが言えるのです。
どのような人にとっても、人生とは自力によって築かれるものであるのです。
人生では、自力がなければ何も得られないのです。
人が何かを得るためには、それを得るための条件を整えることが必要であるのです。
その条件を満たす人には、それが与えられるのです。
何かを得るための条件を満たすためには自力が必要になるのです。
あなたが欲するものを得るためには、その条件を整える必要があります。
自力がなければ条件は整いません。
自力とは、あなたの持つ実力です。
あなたがどのような能力を所有しているのか?ということが重要であるのです。
あなたの思考力、感情、行動力、熱意、意欲、集中力、勇気、想像力、理解力、忍耐力、発想力・・・
あなたの所有する力が条件を整えるのであれば、あなたは必要を満たすことができるのです。
あなたの自力が、必要を得るための条件を満たすためには必要な要素なのです。
人は自力によって条件を整えるのです。
自力が及ばなければ条件が整うことはないのです。
大切なのは実力を身に付けることです。
実力がなければ必要を満たすことはできないのです。
この世界では強い者が勝つのです。
秀でる者が得るのです。
弱い者は負け、劣っている者は失うのです。
それは当たり前のことです。
今更、そのようなことに悩んでも意味がないのです。
要は実力があるか?もしくはないか?ということなのです。
あなたが必要を満たしたいと考えるのであれば、実力によって条件を整えましょう。
その時に、すべてが自己責任であるということを忘れてはならないのです。
人生が自己責任であるということを忘れてしまうと、物事がうまくいかない原因や責任を自分以外の何かや誰かに押し付けてしまうのです。
原因が自分以外に存在するという考えは見当違いなのです。
あなた以外の誰も悪くはないのです。
あなた以外の何も悪くはないのです。
あなたは自らの特徴がどのようなものであろうと、自分自身の置かれた状況や環境がどのようなものであろうとも、それらが悪いなどと考えてはなりません。
あなたがどのように感じていようとも、自分以外に責任を押し付けるような考えを所有してはならないのです。
多くの人は、物事が上手くいかない原因を誰かや何かのせいにしています。
そのような考え方は、自らの欠点(弱さや問題)から目を逸らすことに繋がります。
あなたの中に問題が存在しているのであれば、状況には必ず問題が生じることになるのです。
自分自身に問題があるのであれば、あなたがどこで何をしようとも、そこには問題が付きまとうことは当たり前のことなのです。
それに気が付かずに、誰かや何かのせいにしてはならないのです。
誰かや何かのせいにして、恨みを抱いたところで抱えている問題は何一つとして解決しません。
あなたが自分自身のために行動することがないのであれば、状況には何の変化もないのです。
責任を転嫁しているのであれば、あなたの人生が前進することも向上することもないということを覚えておかなければならないでしょう。
甘えてはなりません。
誰かや何かのせいにするのは簡単です。
そのようにすれば一時の安心感を得られるでしょう。
しかしながら、それでは苦しみが増すだけなのです。
大きな問題や障害や病を抱えながらも、人生を豊かなものとして築いている人は多くいます。
何の問題も障害も病も抱えていないにも関わらず、乏しい人生を生きる人がいるのです。
言い訳は何の役にも立ちません。
言い訳では自分の弱さを隠せないのです。
あなたが言い訳によって誰かや何かを恨むのであれば、自ら愚かな人間であると公言しているようなものなのです。
あなたが苦しむ時、その原因を作ったのは自分自身です。
あなたが苦しむなら、それはあなたが弱いからなのです。
あなたは決してそれを忘れてはなりません。
人生は自己責任です。
どのように生きるかは自分自身で決めるのです。
誰もがそのようにしているのです。
あなたはいつまで誰かや何かに甘えているのでしょう?
自分の人生の責任くらい、自分が負いましょう。
惨(みじ)めな人物になってはなりません。
自分自身に誇りを持って生きてゆきましょう。

2013年11月20日水曜日

自分の道

人は自らの道をただひたすらに進まなければなりません。
あなたは自らの進むべき道を見付けましょう。
人生を豊かなものにするためには、自分がどこへ向かうのか?何をするのか?どうなるのか?ということが重要です。
自分がどこへ向かいたいのか?何をしたいのか?どのような人物になりたいのか?ということを知らないのであるなら、人は人生を豊かなものにすることはできないのです。
あなたは自分が進む道を見付ける必要があるのです。
やることがあるということは幸いです。
目的があり、目標に向かって進むことができるということは素晴らしいことなのです。
自分のやるべきことが定まっているのであれば、あなたは詰まらないことに足を止める必要はありません。
自分がやるべきこと、進むべき道が見えているのであれば、心を満たす思いに従ってただ進めば良いのです。
何をしようか?どこへ向かおうか?など、物事の基本的なことに時間と労力を使わずに済むのです。
自分がやるべきこと、進むべき道が見えているのであれば、それに従って豊かさを実現すれば良いだけなのです。
自分の進むべき道が見えなければ、何をしようか?どこへ向かおうか?というように基本的なことに迷わなければならず、自らの方針を決めあぐねているのであれば、そこより一歩も先へは進むことができないのです。
停滞は最も強い苦しみです。
それがどのような道であっても、進み続けるのであれば、そこには可能性が見えるのです。
しかし、立ち止まっているのであれば、どのような可能性も得られることはないのです。
あなたは自らの道を見付けなければなりません。
常に自らの道を探し続けなければならないのです。
人は未熟な生き物です。
誰だって迷い、誰だって悩みます。
それに、誰だって失敗するのです。
迷うことも、悩むことも、失敗することも良いのです。
寧ろ、それらがなければ見付かりません。
あなたは様々なことで迷い、悩み、失敗すれば良いでしょう。
そのような状況の中で可能性を見出し、道を見付けるでしょう。
しかしながら、迷いや悩みや失敗を恐れて、それらに立ち向かうことがないのであれば、人が自らの道を見出すことはできないのです。
どのような人も、失敗を重ねた先に成功の秘訣を理解します。
自らの人生の成功の方法は、自分自身にしか分かりません。
自分自身が経験を重ねることによってのみ、自分自身を知り、その結果として自分自身の道が見えてくるのです。
経験から逃げているような愚か者には理解することができないのです。
どのような苦しみを前にしても、目の前の状況、自らの人生から逃れてはなりません。
苦しみの中に道を見出さなければならないのです。
あなたがそれに耐えられないのであれば、それはあなたの進むべき道ではありません。
すぐさま違う道を探しましょう。
その人にとっての道とは、どのような苦労や苦悩も喜びに変えることができるものなのです。
その苦労や苦悩に耐えられないのであれば、それはあなたが進む道ではありません。
耐えられないのであれば退きましょう。
退きたくないのであれば努めましょう。
醜態(しゅうたい)をさらしてはなりません。
怠慢や惰性(だせい)によって見苦しく執着していてはならないのです。
道を進むのであれば、その道に対して礼を尽くす必要があるのです。
迷うことも、悩むことも、失敗することも見苦しくはありません。
しかし、意欲も持たずにただ執着することは見苦しいのです。
闘うことの無い者は必要ないのです。
意欲の持たない者は去るべきなのです。
真剣に努めている人がいます。
真剣に取り組むことができないのであれば、自らの名が汚れない内に立ち去りましょう。
あなたが真剣に取り組むことができる道があるのです。
それが見付かるまで探し続けましょう。
誰もがプロフェッショナルを目指さなければならないのです。
誰よりも上手く、誰よりも貢献することができるような地位を確立しなければならないのです。
自分の進むべき道を見付けることができるのであれば、それも可能なのです。
自分の進むべき道を知らず、偽りの自分を演じて生きるのであれば、誰よりも上手く、誰よりも貢献することはできないでしょう。
どのように必死に努めても、好きで努めている者には適いません。
好きな道を進むことが最も優れているのです。
あなたには、真剣に進むことができる道が見えていますか?
その上を歩んでいますか?
すぐには見付からなくても良いのです。
しかし、見付ける努力を怠ってはなりません。
人は自分の道を進むために人生を生きているのです。
自分を偽って生きているのであれば、あなたが豊かさに辿り着くことはないでしょう。

2013年11月19日火曜日

当たり前のこと

当たり前のことが当たり前にできることは幸いです。
あなたの知っている当たり前が当たり前に存在していることは素晴らしいことなのです。
あなたは、当たり前のことが当たり前に存在している幸福について知っておかなければなりません。
当たり前のことは当たり前に存在しているため、その価値に気が付くことは難しいのです。
多くの人は当たり前のことに対して、その価値を理解してはいません。
常に目の前に存在しているものであるから、その価値に気が付かないのです。
しかしながら、それはとても価値のあるものです。
残念なことではありますが、当たり前のことに対する価値を見失っている人が多いのです。
人は習慣に左右される生き物です。
人は習慣という慣れによって価値を見失います。
常に目の前に存在していることに対しては、常に目の前に存在しているという安心感があるがために、そこには慢心が生じます。
慢心は退屈を心に引き込むのです。
退屈した心は、その状況に対して価値を見出すことはできないのです。
見慣れた景色に対しては、それを見慣れているが故に蔑(ないがし)ろにしてしまうのです。
しかしながら、どのような人にとっても慣れ親しんだものというのは愛おしいものです。
当たり前に対しての価値を見失ってはいても、いざとなってそれを失うと苦しいものなのです。
あなたは当たり前のことに対して、その価値を再認識するように努めなければなりません。
当たり前のことに対しての価値を見失ってしまう人は、慢心という贅沢によって苦しむでしょう。
当たり前を当たり前とすることなく、意欲的にその価値を見出そうと努めるのであれば、慢心を取り除き、幸福を得ることができるでしょう。
あなたは当たり前の持つ価値について考えなければなりません。
当たり前のことを退屈だと考えていてはならないのです。
当たり前のことを退屈だと考える時点において、あなたの思考は停止しています。
停滞する人が習慣に対して退屈を覚えるのです。
同じことをしていても、そこから何か新しいものを発見したり、工夫によってそれを停滞させることがないのであれば、退屈を覚えることはないのです。
思考が停滞している人には苦しみが忍び寄るのです。
あなたは苦しみが追い付かないようにしておかなければなりません。
当たり前のことを当たり前だと思い込まないように気を付けましょう。
あなたが生きていることは当たり前のことではありますが、その当たり前のことの価値を知らない人がいます。
その価値を理解していないから、簡単にそれを投げ出そうとしてしまうのです。
命は、生きることが当たり前なのです。
命は自らその活動を途絶えさせはしません。
何かに対してあなたが諦めようとも、命は決して諦めたりはしないのです。
それは、命が生きているという当たり前のことの価値を知っているからなのです。
あなたは当たり前に生きています。
当たり前に働き、食べ、寝ます。
それらは当たり前のことです。
しかしながら、その当たり前のことがそこに当たり前に存在しているからこそ、あなたは当たり前の上に幸福を築くことができるのです。
当たり前という土台が存在しないのであれば、あなたが幸福を得ることはできないのです。
人が苦しみの中に幸福を得ることはできません。
当たり前のことが当たり前に存在しているという状況の中にしか、幸福を得ることはできないのです。
基本がなければ応用はありません。
しっかりとした基礎がなければ、建造物は安定しません。
あなたが当たり前に働き、食べ、寝るという、当たり前に生きているという状況が存在しなければ、幸福は得られないのです。
あなたは当たり前のことを大切にしましょう。
当たり前という状況に慣れて、贅沢によって不満を抱いている場合ではないのです。
一生懸命に生きることができない者には幸福を手にすることはできないのです。
あなたは当たり前のことを精一杯にこなしましょう。
当たり前のことに文句を言っているようなレベルの者には、幸福を理解することはできないのです。
幸福に飢えて生きたければ、当たり前のことに対して不満を持っていましょう。
基礎がしっかりとしていないのに、その上の建造物が磐石(ばんじゃく)である訳がないのです。
当たり前のことも満足にできないのに、幸福が欲しいなどと騒いではなりません。
そのような愚かな者にはどう足掻こうが手に入りません。
幸福を欲しているのであれば、当たり前のことを一生懸命にこなしましょう。
当たり前が当たり前に存在していることの有り難みに気が付きましょう。
当たり前のことが当たり前にできることは幸いなのです。

2013年11月18日月曜日

変化を繋ぐ

人生を豊かなものにするためには、変化を導く必要があります。
変化が途絶えてしまうと、人生に供給される豊かさも途絶えてしまいます。
人生が豊かさを得るためには、変化が必要であるのです。
あなたは変化を導く必要があるということを覚えておきましょう。
それがどのような変化であれ、状況が変化しようとするのに、それを妨げてはなりません。
自然界では、変化によって豊かさが引き継がれます。
卵から幼虫になり、幼虫から蛹(さなぎ)となり、蛹から成虫になるのです。
変化が存在しなければ、豊かさは有り得ないのです。
年老いた者は退き、若さによって交配が進むからこそ、命は豊かさを得るのです。
誕生と成長、老いと死という変化がなければ、豊かさは有り得ないのです。
あなたはそれがどのような変化であろうとも、決して否定してはなりません。
変化は物事の向上の為に存在しているのです。
あなたの理想は関係ありません。
あなたは全体の一つに過ぎません。
物事がすべて思い通りに進むなどと考えていてはなりません。
そのようなうぬぼれは苦しみを引き込むばかりです。
物事が理想に反した変化を行おうとしても、状況がそれを求めているのであれば、それに逆らうことは懸命ではありません。
あなたの理想に反した変化によって、あなたの気分が害されたとしても、物事は向上へと向かって進み続けているのです。
あなたには分からないことがあります。
あなたのような未熟な人間には、この世界の利益を理解することはできないのです。
自分自身の利益ばかりを追い求めるのであれば、この世界の理(ことわり)を理解することはできないでしょう。
利己的な考えに陶酔(とうすい)している人物は、その理想に叶う変化以外を受け入れようとはしないものです。
その結果、変化を嫌い、醜い執着によって過去に生きるのです。
そのような人には喜びはありません。
そのような人が得るのは不満や不安や絶望などの苦しみだけであるのです。
変化に対応する人は、常に可能性と共に在ります。
それが理想に反した変化であるにしても、変化することがないのであれば、それ以上の可能性を望むことはできないのです。
あなたは変化を妨げてはなりません。
変化しなければただ破滅を待つだけなのです。
変化がなければ可能性は途絶えてしまいます。
人生を豊かなものにするためには、変化し続ける以外に方法はないのです。
あなたは立ち止まらずに歩き続けましょう。
人は変化を恐れるものです。
どのような人も変化を恐れています。
それがステップアップとなる変化であるにしても、そこには不安が生じるものです。
人はどのような変化も恐いものなのです。
自分にとって不利になりそうな変化にだけ怯えているのではないのです。
認識の外では、有利になりそうな変化に対しても恐れを抱いているのです。
ただ、有利になりそうな変化には喜びが溢れているために気が付かないだけです。
どのような変化にも人は恐れるのです。
あなたは変化を受け入れなければなりません。
状況がどのように変化したとしても、あなたはそれに慣れます。
初めは違和感を覚え、苦しみを感じるものの、あなたはそれに慣れるのです。
人は変化に順応することができます。
あなたは変化に対して恐れを抱く必要はありません。
それがどのような変化であっても、慣れ(順応)によってあなたは心地好くなるのです。
慣れるまでの辛抱なのです。
慣れたら快適です。
変化を受け入れることがなければ、何も前に向いては進みません。
前に向いて進むことがなければどうしようもないのです。
人は常に利益を手にしなければなりません。
命を繋ぐということは、変化を繋ぐということであるということを覚えておきましょう。
変化を食い止めてはなりません。
それがどのような変化であっても、状況がそれを求めているのであれば実現しましょう。
変化を途絶えさせてはなりません。

2013年11月17日日曜日

素敵な時間

あなたが成すべきことは、素敵な時間を過ごすということです。
あなたは素敵な時間を過ごさなければなりません。
素敵な時間を過ごすことを心掛け、素敵な一日を生きましょう。
素敵な一日が積み重なれば、素敵な人生が手に入るのです。
小さなことの積み重ねが、大きな結果に結び付きます。
人生の豊かさが奇跡的に突然手に入るなどと考えてはならないのです。
その結果を受け取るためには、その結果を受け取るに価する原因を積み重ねておかなければならないのです。
どのような結果も、それに裏打ちされる原因を必要としています。
積み重ねられたものが無いのであれば、そこには何も無いのです。
積み重ねられたものがあるのであれば、そこにはそれが存在するのです。
何も無いのに、何かが存在するということはありません。
どのような結果にも、必ずそれに価する原因が存在しているということなのです。
あなたは豊かな人生を生きるために、素敵な一日を生きるように努めなければなりません。
素敵な一日を生きるために、素敵な時間を過ごさなければなりません。
物事はすべて小さなものの集合体なのです。
それが大きな結果であるほど、多くの原因を必要としています。
あなたの時間と労力には限りがあります。
それらは常に消費され、あなたはそこからの結果を受け取ります。
あなたがどのような時間を過ごそうとも、結果は必ず得られます。
その結果はあなたの過ごした時間という原因によってもたらされるのです。
あなたは素敵な時間の過ごし方を探しましょう。
その時間を素敵に過ごす方法がどこかには必ずあるはずです。
あなたはそれを探し続けなければならないでしょう。
することがないと暇を持て余していてはならないのです。
時間を潰してはなりません。
あなたが過ごす時間の中には、できる限りの達成感や充実感を得るようにしなければならないのです。
あなたが達成感や充実感を感じることができる時間こそが、素敵な時間となるのです。
あなたは達成感や充実感を得るためにはどうすれば良いものかと思案しましょう。
何によって達成感や充実感を得るのかを考えましょう。
あなたが何によってそれらを得たいのか?ということが重要なのです。
なぜなら、それはあなたの目的となるからです。
目的は目的意識を芽生えさせます。
目的意識に従って努める人は、その目的の達成に至るでしょう。
それが達成感や充実感を導くのです。
何かの目的を掲げ、それを実現させるために努める人には、その結果がどのようなものであるにしても、素敵な時間を過ごしたという実感が手に入るでしょう。
何の目的も持たず、ただいたずらに時間を過ごしているだけの人には、素敵な時間を過ごしたという実感は手に入りません。
そのような人には、何のために時間を過ごしたのか分からないという悩みが生じるのです。
どのような人も幸福を求めています。
幸福を実現するためには、時間が必要であるということはどのような人も知っています。
そのため、人は自らの時間の使い方や過ごし方に対しての関心があるのです。
それが理想と反したものであるのならば、人は自らの行いについて悩み、自己批判や自己嫌悪に陥るのです。
そのような状態では、以前にも増して、時間の使い方が乱れてしまうでしょう。
大切なのは目的を掲げることです。
目的意識に従って時間を使うのであれば、あなたは必ず達成感や充実感に辿り着くことができるでしょう。
あなたは目的を探さなければなりません。
あなたがその時間を過ごす理由は何ですか?
あなたは何のためにその一日を使いますか?
あなたは何のために人生を生きるのでしょう?
それが小さな目的でも構いません。
所詮(しょせん)、すべてが小さなものの積み重ねであるのです。
自分自身が見出した目的が取るに足らないものであると考え、それを蔑(ないがし)ろにしてはならないのです。
それがどのような目的であろうとも、見出したのであればそれを達成するために全力で取り組みましょう。
小さなことができない者には、それ以上大きなことはできないのです。
素敵な時間を過ごすことができない者には、素敵な一日は過ごせません。
素敵な一日を生きることができない者には、素敵な人生を生きることはできないのです。
あなたは一番小さなものを大切にしましょう。
あなたが成すべきことは、素敵な時間を過ごすということです。
それを忘れないようにしておきましょう。

2013年11月16日土曜日

過去の清算

あなたは受け取る結果を変えることはできません。
あなたには、自らの受け取る結果を変える力などないのです。
あなたはその結果を受け取らなければなりません。
その結果を変えることもできなければ、それを回避することもできないのです。
あなたは自らの受け取る結果を受け入れましょう。
あなたはそれをどうすることもできないのです。
結果は結果として受け入れましょう。
それ以外の結果を欲したところで、それ以外の結果が用意されることはありません。
あなたには自らの受け取るべき結果が存在しているのです。
それを避けられないということを覚悟しましょう。
あなたが受け取る結果というものは、あなたが過去に所有した原因により生じます。
あなたが受け取る結果の本質は現在にはなく、それは過去に存在しているのです。
原因はそれ相応の結果を導きます。
原因と結果には必ず何等かの関係性があります。
関係のない結果などが導かれることはないのです。
あなたが受け取る結果というものは、過去にそれに相応しい原因を所有していたということを証明しています。
あなたは現状において、過去の清算をしているのです。
あなたが清算しなければならないのは、自らの責任です。
あなたはいつも自らの責任によって物事を選択しています。
あなたのすべての選択が、あなたの責任となるのです。
あなたは常に原因を所有し、それを未来に清算するのです。
あなたは自らの所有する原因の報いを受けるのです。
あなたが受け取っているのは、過去に自らが所有した原因です。
受け取る結果の本質である原因が過去に存在しているのだから、あなたにはその結果をどうすることもできないのです。
あなたが時間を遡(さかのぼ)り、過去を変えることができるのであれば受け取る結果を変えることもできますが、あなたは過去に帰ることはできません。
あなたがどのような手段を用いようとも、自らの受け取るべき結果からは逃れることはできないのです。
あなたは覚悟を決めましょう。
その結果から逃れることはできません。
あなたはすべての報いを受けなければならないのです。
原因が建設的なものであるのならば、あなたは建設的な結果を受け取ることができます。
原因が破滅的なものであるのならば、あなたは破滅的な結果を受け取らなければならないのです。
自らの原因によって、受け取る報いが違うのです。
あなたが幸福や豊かさを求めているのであれば、建設的な原因を所有するように努めなければなりません。
それ以外に、未来の結果を変える(コントロールする)手立ては存在しないのです。
あなたは現状(原因)に未来(結果)を見ましょう。
あなたの行いが報いとなって必ず現れます。
その報いが現れた時には、あなたはそれを必ず受け取らなければならないのです。
どのような人物も、この因果からは逃れることはできません。
どのような人物が、どのような方法を用いても、結果は変わらないのです。
大切なのは結果を受け入れ、その現状からより良い道を見出すということなのです。
現状がどのような状況であろうとも、あなたはそれを受け入れなければなりません。
受け取る結果を認めることがなければ、その先の可能性(道)は絶たれてしまうのです。
現実を受け入れることでしか、人が道を見出す方法はないということを覚えておきましょう。
清算していない商品を持って店を出ると自由を失います。
それと同じように、清算していない過去を抱えて豊かな人生を生きることはできないのです。
あなたが結果を受け取ることによってやっているのは、過去に所有した原因の清算です。
あなたはその清算を済ませなければなりません。
現状という結果から逃げているのであれば、清算が済むことはありません。
あなたは自らの受け取る結果と向き合いましょう。
あなたがどのような結果を受け取ろうとも、それは過去にあなたが選択したことの報いでしかありません。
現状において受け取る結果を変えることはできませんが、未来に受け取る結果を変えることはできます。
現状を受け入れた状態から、より良い道を探しましょう。
結果を拒絶することはできません。
現実から逃れることはできないのです。
あなたがどこに逃げようとも、結果は必ず追い付きます。
報いからは逃れることはできないということを覚えておきましょう。

2013年11月15日金曜日

弱い生き物

人は弱い生き物です。
どのような人も弱さを抱えています。
どのような人も万能ではないのです。
長所もあれば短所もあるのが人間です。
この世界に万能な人間など存在しないのです。
あなたは人が弱い生き物であるということを前提としておきましょう。
人が弱い生き物であるということを前提としているのであれば、あなたは他人の行為や自らの行為に対して、それを責めることがないでしょう。
他人や自らの行為を責める人は、不満や不安などの破滅的な感情によって自らを滅ぼします。
どのような人物であっても、破滅的な感情による苦しみや破壊に対抗することはできません。
破滅的な感情を所有するのであれば、どのような人物であっても、苦しみと破壊に飲み込まれてしまうのです。
人は弱い生き物です。
人は過ちを犯します。
すべての人が優位な立場を求めています。
すべての人が利益を欲しています。
すべての人が財産を守ります。
すべての人が豊かさを求めています。
それは、すべての人が幸福を求めているからです。
人は幸福を求める生き物であるのです。
あなたはすべての人が幸福を求めているということを覚えておきましょう。
それがどのような幸福であり、どのような手段であるにしても、人は自らの思う幸福を求めているのです。
あなたが自らの幸福を求めて行うように、他人も同じことをしているのです。
人は自らの幸福のために生きているのです。
あなたは自らのその行為を認めるように、他人のその行為を認めなければならないのです。
自分にだけ許されて、他人が許されないことなど存在しません。
あなたが許されているのであれば、他人も同じように許されているのです。
あなたは自分自身に対しても、他人に対しても、その過失を責めてはならないでしょう。
どのような人も間違えます。
どのような人も罪を犯すのです。
人の中に聖者などは存在しないのです。
人が人である以上、その心の中には何等かの弱さを抱えているものなのです。
あなたは自分自身と他人の弱さを許さなければなりません。
人の行為に不満や不安を抱いているのであれば、あなたは破滅的な感情に従って自らを苦しめ、破壊してしまうでしょう。
大切なのは、どのような状況に対しても破滅的な感情に支配されないということなのです。
あなたは思いやりや優しさなどの建設的な感情を見失わないように努めなければならないでしょう。
建設的な感情を見失うことがないのであれば、あなたはそこに何等かの豊かさや幸福を得ることができるでしょう。
あなたは弱さを認め、許さなければなりません。
あなたが人の弱さを責めるのであれば、あなたは自分自身や他人から同じように責められるようになります。
あなたが人の弱さを責めることがないのであれば、あなたが自分自身や他人から責められることはないでしょう。
心の平穏、豊かさ、幸福を守るためには、破滅的な感情を所有しないことです。
ただ、それだけのことです。
心の中に破滅的な感情が存在するのであれば、あなたは苦しむのです。
心の中に建設的な感情が存在するのであれば、あなたは喜ぶのです。
人間とはとても単純な生き物です。
あなたは自らの心の中にどのような感情を所有するべきであるのかを考えておきましょう。
普段から意識して考えていなければ、実際にそれを行うことは難しいのです。
あなたはどのような状況においても、建設的な感情によって物事を選択しましょう。
何かを否定したり拒絶する場合にも、そこに建設的な感情を忘れてはならないのです。
建設的な感情によって物事を選択するのであれば、あなたは良い場所に辿り着くことができるでしょう。
あなたはどのような選択にも可能性を見出しましょう。
人は弱い生き物であるため、不満や不安に支配されてしまいます。
しかしながら、それを責めてはなりません。
人は万能ではないのです。
不満や不安に支配されることもあるのです。
あなたは自分自身や他人に対して理解を示さなければならないのです。
理解によって認めたり、許したりするのであれば、あなたは豊かな心境を保つことができるでしょう。
それは何よりも素晴らしいことであるということを覚えておきましょう。
自分や他人に対して完璧を求めてはなりません。
人は弱い生き物なのです。
力を抜きましょう。

2013年11月14日木曜日

歪んだ価値観

あなたは何事に関してもそれを決め付けてはなりません。
勝手な決め付けによって物事を見るのなら、あなたは偏見によってそれを判断することになるでしょう。
偏見とは少ない情報によって導き出される歪んだ価値観です。
歪んだ価値観によって下された判断が、あなたに最高の結果をもたらすことはありません。
見落としがある仕事があなたに損失をもたらすように、偏見によって下した判断からは、何等かの苦しみがもたらされるのです。
あなたは何事に関してもそれを決め付けてはなりません。
固定観念に縛られないように注意しなければならないでしょう。
あなたはとにかく情報を集めなければなりません。
その情報が豊富なほど、あなたは偏見から遠ざかり、物事の本質に近付くことができるでしょう。
それがどのような情報であろうとも、あなたはそれを集めなければならないのです。
その情報は人によって既に発見され、常識として存在しているかもしれません。
もしくは、常識の中には存在することがない、未発見の情報かもしれません。
あなたがその対象を判断する場合には、それがどのような情報であろうとも集めなければならないのです。
情報の量が多ければ、それだけ多くの視点を持つことになるということを覚えておきましょう。
視点が多いほどに、あなたはそれを深く理解することができます。
物事に対する理解が深いほど、そこから豊かさを引き出せるのです。
それに対する理解が浅いのであれば、あなたはそこから豊かさを引き出すことはできないのです。
あなたがそこに豊かさを求めているのであれば、その対象に対する理解を深めなければならないのです。
誰よりも知っているのであれば、あなたは頼りにされるでしょう。
誰よりも理解しているのであれば、誰よりも貢献することができるでしょう。
あなたは偏見によって物事の表面を舐めてはなりません。
正しい判断と理解によって、そのものの本質を見極めなければならないのです。
物事の本質に辿り着くためには、情報を集める以外に方法はありません。
あなたはそれを多角的に学ばなければならないのです。
学ぶことで理解は深まります。
学ばないのであれば、どのような理解も深まることはないのです。
あなたはそれを知りたいという意欲を持たなければなりません。
そのためには、自らが求める結果に対しての目的意識を持たなければならないでしょう。
何のためにそれを理解するのか?ということを明確に知っておかなければならないのです。
求める結果に対する目的意識は自分自身が好きに決めれば良いでしょう。
ただし、それを明確にしておかなければ意欲は芽生えません。
その目的意識が薄弱であれば、あなたにはそれを知りたいという意欲が芽生えることはありません。
人は何か目標がなければ、努めることができないのです。
あなたが求めているものが豊かさ(幸福感、満足感)であるのならば、学ぶこと、発見することの喜びを理解しましょう。
物事に対する理解が深まることに喜びを見出すことができないのであれば、あなたが豊かさを手にすることはないのです。
どのような方向性の動機であっても、自分自身の喜びや楽しみのために努める人は結果を手にすることができるのです。
それが一般的にいう良いことや立派なことであるにしても、そこに喜びや楽しみを見出すことができないのであれば、どのような豊かさも得ることはできないのです。
あなたは学ぶこと、理解を深めることの喜びや楽しさを知りましょう。
物事を決め付けて考える人は、情報量の不足という状況を所有しています。
既成概念や固執観念に縛られる人は、それ以外の考えを知らないがために、その価値観に執着せざるを得ないのです。
情報があれば、人はその視点から解放されます。
あなたが偏見という苦しみから解放されるためには、とにかく学ぶ必要があるのです。
あなたは勉強することの大切さを理解しましょう。
少ない視点でものを見ても、それが何であるのか理解することはできません。
それを様々な角度で確認することがなければ、それが何であるのかを理解することはできないのです。
意欲を持つことができないのは、それが好きなことではないからです。
好きでもないことに対しての理解を深めるのは難しいことです。
あなたは自らの好きな道に進みましょう。
好きなことでなければ学ぶ(学び続ける)ことはできません。
好きなことでなければ理解を深めることはできないのです。
好きなことに対しては、あなたは自然とその情報を集めるでしょう。
そこに努力を意識することはないのです。
自然と努力しているのです。
大切なのは、好きな道に進むという前提にあります。
好きでもないことに対しては意欲を見出せないため、偏見を捨て去ることは難しいでしょう。
あなたは何事も決め付けないように生きましょう。
偏見が判断を歪めてしまいます。
歪んだ価値観によって世界を見てはならないのです。

2013年11月13日水曜日

人の力

人は自らの能力を使い、人生を構築しなければなりません。
人の能力とは、自らの肉体の中に備わる力です。
思考(脳)、感情(心)、感覚(身体)などの元来備わっている力こそが、あなたの能力です。
あなたは、自分自身の能力を育てなければならないのです。
人が問題を解決し、豊かな人生を構築するためには、自分自身の持つ能力の手助けが必要になるのです。
自らの能力が優れているのであれば、人は目の前の問題を解決し、そこに豊かさを導くことができるでしょう。
自らの能力が劣っているのであれば、人は目の前の問題によって苦しみ、そこには乏しさが導かれるのです。
大切なのは自分自身の能力がどのような状態にあるのか?ということなのです。
人は様々な道具を使い、自らの抱える問題を解決します。
良い道具によってそれなりの成果を上げることはできるでしょう。
そのため、人は道具に依存します。
しかしながら、どれだけの優れた道具を所有していたとしても、自分自身の能力が劣っているのであれば、解決することのできない問題は存在するのです。
道具の優劣は大切です。
道具によって状況が左右されるのも事実です。
しかしながら、大抵のことは道具によって決まるのではないのです。
道具を扱うその人の力量が重要であるのです。
その人に力がなければ、その問題を解決することはできないのです。
あなたは自分自身の能力を磨きましょう。
自己の大切さを知って、自分自身の能力を磨く努力を怠ってはなりません。
どのような助けがあろうとも、最終的には自力が決めるということを覚えておかなければならないのです。
あなたは自力によって道を切り開き、自力によって救われるのです。
あなたは優れた道具に頼る余り、自分自身の能力を軽視してはなりません。
あなたが最も大切にしなければならないのは、人生を構築する上での本質である自分自身の能力であり、力量なのです。
道具が一流であっても、人間が二流であるのならば、結果は知れているのです。
道具が二流であっても、人間が一流であるのならば、良い結果を残すことができるのです。
あなたは自分自身の能力が重要であるということを覚えておかなければならないでしょう。
道具の貢献は大きいですが、人の貢献に比べれば大したことではありません。
人は、自分自身の能力(力量)を以てして、素晴らしい結果を残すことができるのです。
文明がどのように発達しても、最後は必ず人の力です。
どのようなハイテクノロジーの助けがあっても、ローテクノロジーの支え無しには成果を上げることはできないのです。
良い道具を使うことは重要ですが、自らの能力を使うことの方が重要であるということを忘れてはなりません。
道具に左右されてはなりません。
あなたが大切にしなければならないのは、人としての力、自分自身の能力(力量)であるのです。
あなたには様々な力が自然と備わっています。
あなたは自らに備わっている能力を磨き上げ、それを十分に使える状態にしておきましょう。
その機械に付いている素晴らしい機能も、それを使わなかったり整備しないのであれば、錆び付いてしまって使い物にならなくなるのです。
あなたの思考(脳)、感情(心)、感覚(身体)という能力を鍛え上げ、それをより有益に扱うことができるような状態にしておきましょう。
それらが十分に力を発揮しなければ、問題の解決には至らないということを覚えておきましょう。
あなたの目の前に存在している問題が解決しないというのであれば、あなたの力量不足です。
それは思考の能力不足かも知れません。
物事に対する感情の不一致(見当違い)かも知れません。
行動力不足による状況の停滞かも知れないのです。
あなたの脳と心と身体が十分な働きをするのであれば、あなたが問題に対して苦しむことはありません。
すべての苦しみは力不足がもたらす現象であるということを覚えておきましょう。
あなた自身が十分な力を所有しているのであれば、そこに苦しみが生じることなどないのです。
あなたが問題に苦しむのは、そこに自分自身の力不足という原因が存在しているからです。
あなたはその本質を見失い、誰かや何かのせいにして苦しみから逃げてはなりません。
逃げることではどのような問題も解決しないのです。
あなたは自らの能力を最大限に使い、人生を構築しなければなりません。
あなたが受け取る結果のすべての根源には、人の力が存在しているのです。
人が作り、人が受け取るのです。
あなたは人の自力というものが大きな影響力を持っているということを覚えておきましょう。
あなたの自力は、あなたの人生に大きな影響力を持っているのです。
あなた自身の力量によって、人生が決まります。
あなたは自分自身の能力を鍛えましょう。
人間としての力を高めるのです。
自らの能力を偏見なく育てましょう。
人の力とは大切にすべきものなのです。

2013年11月12日火曜日

現状の自分

あなたは今の自分にできることに対して一生懸命に努めることが求められます。
人は自分にできることしかできません。
現状の自分ができることはできますが、現状の自分にできないことは(今は)できないのです。
あなたは現状の自分ができることを一生懸命に努めましょう。
現状の自分にできないことはどうしようもありません。
できないことを考えていても意味がありません。
それをどのように考えても、現状の自分にできる方法が思い付かないのであれば、それはできないことであるのです。
できないことはできません。
できないことに時間を使うのは有益ではありません。
現状の自分にできることを一つでもやる、行動を止めないということが必要なのです。
できないことを考え、それを改善しようとするのは良いことです。
考えることで解決の糸口が見付かるかもしれません。
しかしながら、考えが停滞し、そこに悩みが生じるのであれば、それが有益な結果を導くことは難しいでしょう。
あなたは現状の自分にできないことを考えはしても、現状の自分にできることを止めてはなりません。
現状の自分にはできないことに対する対策を考えながらも、できることに対しての行動に努めなければならないのです。
一歩でも先へと進むのであれば、問題解決の糸口は見えてきます。
しかしながら、その場に立ち尽くし、何の行動もしないで、何の変化も起こさないのであれば、あなたが問題解決の糸口を発見することはできないのです。
パズルを完成させるためには、そのピースがどのピースと適合するのかを実際に宛(あ)てがってみて確認する必要があるでしょう。
実際に宛てがってみなければ、それが正しいのか?それとも間違っているのかも理解することはできないのです。
現状の自分にできることを一生懸命にやるということは、正解が分からないパズルのピースを実際に宛てがって確認する行為と同じことなのです。
現状の自分にできることをやり続けなければ、あなたは自分がどのようなことができるのかを知ることはできません。
人生の可能性、あなたという存在の可能性は無限に広がっているのです。
現状のあなたにはできないことであっても、現状のあなたができることをやり続けているのであれば、それができるようになることさえあるのです。
現状の自分ができることを一生懸命にやる人でなければそれは叶いません。
現状の自分ができることを知っていながら、それを怠慢によって遠ざけているにも関わらず、物事が上手くいかないと不満を持つ人がいます。
そのような人は問題を解決することはできないでしょう。
現状の自分には大したことができなくても、それを一つ一つ積み重ねる人には、その努力に相応しい結果を得ることができるのです。
現状の自分には大したことができないからと、それを積み重ねることを怠ける人には、その怠慢に相応しい結果が与えられるでしょう。
努力に相応しい結果とは幸福です。
怠慢に相応しい結果とは苦しみであるのです。
あなたが幸福を求めているのであれば、あなたがどのような状況にあろうとも、現状の自分にできることを一生懸命にやりましょう。
現状においてできることをやらなければ、決して道は開けません。
それはとても大変な努力かも知れません。
人生に幸福を得るということは決して簡単なことではないのです。
幸福を得るためには、それに相応する努力が必要なのです。
何かを残そう(築こう)と努めている人は幸福を得ます。
何かを残そうと考えず、努めていない人には幸福は得られないのです。
人生とはパズルのようなものです。
乱雑に撒き散らされた一つ一つのピースを繋ぎ合わせて、一つの壮大な絵にしなければならないのです。
あなたの努力によって人生の絵柄は変わります。
怠慢により、ピースを繋ぎ合わせることが少なかった人の人生は、とても小さく、その絵柄すら判別することができないこともあるのです。
あなたの行動(努力)の一つ一つが繋ぎ合わさり、一つの壮大な物語を描きます。
あなたの行動の一つ一つに意味があるのです。
人生に満足するためには、そのパズルが充実したものである必要があるのです。
小さく、何を描いているのか分からないパズルを手にしても、あなたは満足を得ることはできないのです。
あなたは死後、自らの描いた人生を確認します。
そこで後悔しないようにしておきましょう。
あなたは自らの現状を振り返ってみましょう。
あなたは今の自分にできることに対して一生懸命に努めることができていますか?
無理をしろと言っている訳ではありません。
しかし、怠けている訳にもいかないのです。
人生は過酷なレースです。
限られた時間の中で、できるだけ多くのピースを繋ぎ合わさなければなりません。
あなたは現状の自分にできることを一生懸命に努めましょう。
小さなことの積み重ねが重要なのです。
現状の自分にできることはすべて行いましょう。

2013年11月11日月曜日

根気強く

人生には根気が必要です。
人生を豊かなものにするためには、達成を実現しなければならないのです。
達成感を味わうことによってのみ、人生が豊かなものになるということを知っておきましょう。
あなたがどのようなものや状況を手に入れたとしても、そこに達成感(満足感)が存在しないのであれば、あなたはその人生を豊かなものであると認識することはできないのです。
物事に対する達成感(満足感)こそが、あなたの人生を豊かなものにするということを理解しなければならないのです。
達成感を得ることが無いのに、人生が豊かなものになることはありません。
人生を豊かなものにしようと考える人がいるのであれば、人生に達成感を味わおうと心掛けるのが良いでしょう。
達成感を得ることができなければ、その他のどのような方法を用いても人生に豊かさを感じることはできないのです。
あなたは目的を持ちましょう。
どのような目的でも構いません。
くだらない目的でも良いのです。
大切なのは、あなたがそれを自らの目的として意識することにあるからです。
あなたがそれを目的として意識すれば、そこには達成という事実が生じるのです。
目的としなければ、そこに達成が生じることはないのです。
あなたが達成感を得るためには、あなたが自ら行っていることが、自らにとっての目的でなければならないのです。
目的として意識するからこそ、それが完成された時に達成感を味わうことができるのです。
目的として意識することがなければ、ゴールはないのです。
ゴールがないのに、何を以てそれが達成されたことを知るのでしょう?
目指しているゴールに辿り着くことができたから、そこに達成感が芽生えるのです。
あなたは自らの行動に対して、目的意識を持たなければなりません。
目的に従って行動するのです。
あなたが目的を掲げ、それに対して精一杯に努めるのであれば、あなたはゴールすることができるのです。
しかしながら、自らがそのゴールを設定していなければ、終わりの無いマラソンをしているようなものです。
ずっと続いていくのならば、あなたは何を以て達成感を味わうのでしょう?
あなたはゴールに辿り着かなければならないのです。
そのゴールは自分自身で設定することができます。
あなたは自らの辿り着くべきゴールを、自らによって設定しましょう。
あなたは目的を持って生きなければなりません。
目的こそがあなたに達成感を与えるのです。
目的を達成するためには諦めないことが肝心です。
何事においても諦める人には、目的の達成は有り得ません。
諦めない根気こそが、目的の達成を実現させるのです。
あなたは達成することができるであろう目的を設定しましょう。
それは難しいことでなくても良いのです。
自らが確実に達成することができる目的が好ましいでしょう。
実現しない達成に挑み続けることほど苦しいことはありません。
ゴールのないマラソンと聞いただけで卒倒するでしょう。
あなたは自分の判断でゴールをどこに設定するのかを決めることができます。
あなたが確実に達成することができる目的を掲げましょう。
それが簡単でも、難しくても良いのです。
大切なのは、ゴールに辿り着いて達成感を味わうことだからです。
自らの理想が高く、達成することができない目的を設定してはなりません。
ゴールに辿り着くことができなければ、あなたは苦しみを抱えるだけであるのです。
人生には根気が必要です。
あなたは自らの掲げた目的に対して、それを諦めないように努めましょう。
もちろん、目的を掲げたは良いものの、見当違いによってその目的を達成することができないということもあるでしょう。
それはそれで良いのです。
すべての目的が果たされるということは有り得ないのです。
叶わない目的があれば、それを叶う目的に切り替えましょう。
ゴールが遠過ぎれば、それを近付ければ良いだけなのです。
あなたは自分自身の根気が続く範囲にゴールを設定しましょう。
根気が続く限りは、あなたはその目的を達成することができるでしょう。
そして、根気が続く限りは、達成から得られる喜びも大きなものになることでしょう。
あなたは自らの根気の続く範囲を見極め、そこに達成を得なければなりません。
達成することが最も重要です。
小さくても、簡単でも良いのです。
あなたが達成感を味わうことが重要なのです。

2013年11月10日日曜日

苦しいこと

あなたは苦しむ必要などないのです。
あなたは楽しく生きれば良いのです。
人生を苦しいものにする必要などありません。
人生は自由に楽しむべきものなのです。
あなたの人生は苦行などではありません。
あなたは人生に喜び、それを楽しむ権利を持っているのです。
あなたの人生は喜びで溢れ、楽しみによって導かれるべきものであるということを覚えておかなければならないでしょう。
人生を苦しむ必要などないのです。
あなたは人生を苦しいなどと思い込んではなりません。
人生をどのようなものにするのかは、あなたの考え方次第です。
あなたがどのように考えるのかによって、人生はどうにでもなるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたはわざわざ破滅的な思考によって人生を苦しいものにしてはなりません。
人生には目的があります。
あなたはそれを達成しなければならないのです。
楽しくなければ熱意は生じません。
熱意の無い人生に喜びは生まれないのです。
人生には、あなたにとっての苦しいことがたくさん存在しています。
苦しいことに対して苦しいと思うことは仕方のないことです。
そう思うことには罪はありません。
苦しいことに対して、苦しいと思うことは素直で良いことなのです。
しかしながら、心の中に苦しみを停滞させていれば、人は苦しみの感情や考えに捉われ、そのように行動することになるでしょう。
破滅的な感情である苦しみに従って行動すれば、あなたはその苦しみ故に人生を破滅させてしまうでしょう。
どのような人にも、苦しく生きるのは辛いことです。
幸福に囲まれていたいと願うのが人というものです。
どのような人も豊かな人生を生きたいのです。
あなたがどのような苦しみに捉われ、どのように辛くても、幸福に成りたいという願望を手放してはなりません。
命を手放せばすべてが終わると考える人がいます。
命を手放せばすべての苦しみから解放されると考える人がいるのです。
しかしながら、苦しみとはその思考や感情そのものであるため、それが物質としての形を所有してはいません。
命を失うことによって、あなたは身体や所有物などの物質からは遠ざかることができます。
しかしながら、あなたの心の中に存在している苦しみの思考や感情は、そのままの姿で残るのです。
あなたの意識は人生を捨てることでは手放すことはできません。
あなたが自らの努力によって手放すことをしない限りは、それが消え去ることはないのです。
逃げても何も解決しません。
今までの人生において、逃げることで解決した問題が存在したでしょうか?
問題を解決することがなければ、あなたがどこへ逃げようとも、その苦しみは追いかけてきて、あなたの肩に触れるでしょう。
あなたは逃げることなどできないのです。
どのような人も逃げられません。
問題、苦しみを解決するためには、それと向き合って闘わなければならないのです。
闘う勇気の無い者には、苦しみを消し去ることはできないのです。
闘わない者には、いつまでも苦しみが付きまとうでしょう。
あなたは忘れてはなりません。
逃げることでは決して解決しません。
苦しみから逃れることはできません。
自分自身が立ち向かい、それを乗り越えることでしか、人生の豊かさは得られないのです。
あなたは自らの考え方を変えなければなりません。
苦しみに捉われてはならないのです。
あなたが苦しむことを止めれば、あなたが苦しむことはないでしょう。
あなたが苦しむことを止めないのであれば、あなたが苦しみを取り除くことはできないのです。
どうするも自分次第です。
あなたは苦しんではなりません。
苦しみについて考えるのは有益ではありません。
あなたが考えるべきは、喜びや楽しみについてであるということを徹底しましょう。
どのような状況においても、あなたは喜びや楽しみについて考えましょう。
その状況の中にそれらの糸口があるはずです。
それを探さなければなりません。
苦しみに捉われる人は、残念ながら甘えています。
物事の良い所、喜びや楽しみを探すことを諦めているのです。
どのような人も同じように苦しんでいるのです。
あなただけが苦しいのではないのです。
人生に喜んでいる人々は、苦しみに捉われないように努めているのです。
あなたは勘違いしてはなりません。
あなただけが苦しいのではないのです。
表に出さないだけで、すべての人が苦しみを抱えているのです。
安易に苦しいなどと考えてはなりません。
苦しいのが当たり前のことだと考え、苦しみに対する耐久を付けましょう。
苦しみに捉われてはなりません。
苦しのは分かっています。
しかし、苦しいと言って逃げてはなりません。
それでは何も解決しないのです。

2013年11月9日土曜日

遊び

あなたは遊ぶことを忘れてはなりません。
遊びとは、責任感のリセットであるということを覚えておきましょう。
人は自らの抱える責任を果たさなければなりません。
どのような人も、自らの役割によって責任を果たす必要があるのです。
責任を果たすことが人生に豊かさを導くのです。
自らの抱える責任を果たすことができないのであれば、あなたが豊かさを得ることはできないのです。
大切なのは、自らの抱える責任を果たすということです。
あなたは責任を果たさなければなりません。
しかし、責任というものを果たすためには、様々なストレスを抱え、様々な重圧に耐えなければならないのです。
責任を果たすのに、ストレスや重圧から逃れられることはありません。
責任を果たすことは簡単なことではありません。
どのような責任も、それを果たすためには多くの労力が必要となるのです。
簡単に片付く仕事がないように、簡単に果たすことのできる責任は存在しません。
あなたがどのような責任を抱えていたとしても、それを果たすためには多くの労力が必要となり、そこには様々なストレスや重圧が掛かるのです。
あなたはそのことを忘れてはなりません。
責任を果たすということは、ストレスや重圧との闘いであるのです。
ストレスや重圧から逃れて、自らの責任を果たすことができる人は存在しません。
どのような責任も、その人にとっては何等かのストレスや重圧を感じてしまうものなのです。
人は常にストレスや重圧と闘っているのです。
あなたはそのことを認識しておかなければなりません。
あなたが真面目な人であるのならば、常にストレスや重圧にさらされているということを理解しておかなければならないのです。
そこにあなたの認識が及ぶとは限りません。
認識が及んでいなくても、そこに事実は存在し得るのです。
あなたには聞き取れない音があります。
あなたには捉えることのできない光があります。
あなたの認識はすべてを把握している訳ではないのです。
しかしながら、あなたの心や身体はそれらを認識しています。
あなたの認識とは、狭い範囲のものであるということを覚えておきましょう。
あなたは自らの認識がすべてを捉えていると考えてはなりません。
あなたが気付かないところで、あなたは様々なものを受け取り、それに影響を受けているのです。
大切なのはあなたの認識ではなく、影響によってもたらされる結果であるのです。
あなたが認識することができていないストレスや重圧が存在しています。
あなたがそれをストレスや重圧だと感じていなくても、実際にはそれがストレスや重圧として働き掛けているということは多々あるのです。
例え、それがストレスや重圧であると感じていても、人はそれを正当化することによって難を逃れようとします。
本心や素直さを自らが作り出した嘘で覆い隠して、ストレスや重圧から自分自身を防衛しようとするのです。
しかしながら、その方法では問題の先送りに過ぎません。
それをストレスや重圧だと感じる(認識する)ことはなくても、あなたの心や身体はそれをストレスや重圧だと感じているのです。
あなたは自らの認識と、心と身体の認識との差に注意しなければなりません。
あなたの認識が心と身体の認識とかけ離れているのであれば、あなたの心と身体は無理を強いられることになります。
無理をすれば壊れてしまいます。
壊れてしまっても、あなたの心と身体に代用はありません。
あなたは自らの心と身体を変えることはできないのです。
あなたはその心と身体を使って、一生を生きなければならないのです。
一生使うものは、一生大事にしなければなりません。
あなたは自らの心と身体を大切にしましょう。
無理をさせて壊してはなりません。
あなたは自らを正当化して、ストレスや重圧に対して見て見ぬ振りをしてはならないのです。
小さなひびでも、それが全体を崩壊させるのです。
あなたは自らのストレスや重圧に注意しましょう。
遊びはあなたの心と身体をストレスや重圧から解き放ってくれます。
心と身体がストレスや重圧から逃れるためには、責任から一旦距離をおいてやることです。
遊びは大切な仕事です。
遊びは泳いでいる時の息継ぎのようなものです。
息継ぎをしなければ溺れてしまいます。
適度な息継ぎによって早く泳ぎ、目的地に辿り着きましょう。
息継ぎばかりをしていると早くは泳げません。
目的地に辿り着くことがあなたが泳ぐ(生きる)目的です。
長く遊ぶことはできませんが、遊びの大切さを忘れてはなりません。
責任に押し潰されないように注意しましょう。
息継ぎを忘れないように泳ぎましょう。
遊ぶことを忘れてはなりません。

2013年11月8日金曜日

好きな道

人生は好きなことを実現することが最も優れています。
あなたは自らの人生に自分の好きなことを実現しなければなりません。
あなたは自分自身のやりたいことをするべきなのです。
やりたくないことを我慢してやる必要はありません。
あなたはやりたいことをするのです。
あなたがやってみたいことは何ですか?
あなたが好きなことは何でしょう?
あなたはこの人生において、好きに生きる必要があるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは自分の進みたい道へと進みましょう。
誰が何と言おうとも、それがあなたの進みたいと思う道であるのならば進まなければなりません。
他人があなたの人生を決める権利はないのです。
あなたがそうしたいのであれば、そのようにすれば良いのです。
あなたは誰の指図も受ける必要はないのです。
あなたは自らの人生において自由であるということを覚えておきましょう。
あなたがどのような道を選ぼうとも、それはあなたの自由なのです。
あなたがどのように生きるかは、あなたが決めることができるのです。
あなたは忘れてはなりません。
これはあなたの人生なのです。
やりたいこともやらずに、進みたい道にも進むことがなければ、あなたは後悔という苦しみを受けることになるでしょう。
後悔ほどあなたを苦しめるものはありません。
人は後悔を解消することができないのです。
それは、後悔が既に過去に存在しているものだからです。
今という時を逃してしまえば、それを再び手に入れることはできません。
今という時は現在にしか存在しないのです。
機会はまた巡ってくるだろうと考え、進みたいその道に進まないのであれば、後にあなたはその道が既に閉ざされているということを知って後悔します。
時を逃してはなりません。
あなたは自分の進みたい道に進み、そこで好きなことをするべきなのです。
他人があなたにどのようなことを言い、どのように見ようとも、それに支配される必要などないのです。
あなたのことを理解することができる他人は存在しません。
あなたも他人のことを理解することはできないのです。
あなたは自分自身の道(人生)を完成させなければならないのです。
他人の目を気にして好きな道に進むことがない人には、喜びは絶たれてしまうでしょう。
他人に迷惑をかけ、他人を苦しめる方法は間違っていますが、他人を気にし過ぎて自分の道が途絶えてしまうのであれば、その方が間違っているのです。
あなたは自分の好きなように生きましょう。
あなたはいつの日か命を手放さなければなりません。
それは決められたことです。
限りある時間の中で、あなたはやりたいことをしましょう。
あなたの人生が近い内に終わってしまうというのに、その道を進み、そのようなことをしていても良いのですか?
その時間の使い方、そのような生き方で後悔しないのですか?
それで良いのですか?
人は好きなことをするべきなのです。
好きなことは誰にでもあるはずです。
それが分からないというのであれば、それを探しましょう。
必ず見付かるはずです。
見付からないというのは、探していない証拠なのです。
あなたは探しましょう。
好きなこと、やりたいこと、進みたい道を探すのです。
それが嫌いなこと、やりたくもないこと、進みたくもない道であったにしても、そこに進むのはあなたの決定です。
あなたが選んだのです。
あなたがどのような道に進み、どのような状況を手にしていたとしても、それに文句は言えないのです。
それが嫌なら、自ら進みたい道を探し出し、それに進みましょう。
人生において何を手にしようとも、好きな道を実現することができなければ空しいだけです。
人生は好きなことを実現することが最も優れています。
あなたは自らが進みたいと思える道を優先して進みましょう。
やりたいことをやり続けているなら、振り返った時にその人生が豊かなものであったと納得することができるでしょう。

2013年11月7日木曜日

知識の追求

人は知識を求める生き物です。
どのような人も知識を求めています。
あなたは自分自身が常に何等かの知識を求めているということに気が付くでしょう。
人は知識を求める生き物ですが、人が知識を求めるのには理由があります。
それは、知識には価値があるということを知っているからです。
それは意識的であるかもしれませんし、無意識的であるかもしれません。
しかしながら、すべての人が知識には価値があるということを知っているのです。
この世界において、知識というものにはとても大きな価値が備わっています。
人はその知識が持つ価値を求めているのです。
人は自らの理想を所有しています。
どのような人も理想を所有し、その理想を実現したいと考えています。
その理想を実現するためには、その理想を実現するための知識が必要であるという結論に至ります。
どのような理想であっても、それを実現させる知識を所有していないのであれば、それを実現させることはできません。
どれだけ優れた技術や道具を持ち、環境が整っていようとも、知識が無いのであれば、その理想が実現することはないのです。
そのため、知識には価値があるのです。
人はそれを意識的、無意識的に知っているために、知識を求めているのです。
あなたは知識を求めています。
その欲求に従いましょう。
あなたは知識を集めなければなりません。
自らの理想を実現するために必要な知識を集めるのです。
知識が足りないのであれば、理想が実現することはありません。
そのため、あなたは常に知識を求めていましょう。
知識を求めることは、結果としてあなたに喜びをもたらします。
知識が蓄えられると、あなたはその道を切り開いて進むことができるからです。
理想という目的地に向かって進むことができるということが、人生の大きな喜びになるということを忘れてはならないのです。
道を切り開くことができず、それ以上進むことができないのであれば、あなたが喜びを得ることはありません。
あなたは退屈や苦悩によって苦しみを得ることになるでしょう。
人生を退屈や苦悩によって苦しまないためには、道を切り開く知識を得る必要があるのです。
知識とは力です。
あなたは知識を求めなければなりません。
問題が生じたとしても、豊富な知識を所有しているのであればそれは解決します。
問題が生じた時に、知識に乏しければ、それが解決するのは難しいでしょう。
人生という道を切り開き、理想に向かって進み続けるためには、多くの知識が必要なのです。
知識が組合わさることで知恵が生じます。
知識が乏しい人に知恵は生じません。
知恵がなければ進めません。
知恵がなければ喜びを得られないのです。
知識とは、とても価値のあるものであるのです。
知識によって、人は先へと進むことができます。
その扉を開く知識を持っていないのであれば、その先へと進むことはできないのです。
あなたは常に勤勉でなければなりません。
知識を蓄えて知恵を得るのです。
様々なものに興味を持ちましょう。
無関心は知識の停滞と不足をもたらします。
どのようなものにも興味を持ち、それに対する知識を多かれ少なかれ所有していましょう。
少なくても無いよりはましです。
少なくても所有しているのであれば、それによって可能性が生じるのです。
全く持っていなければ、何の可能性もないということを覚えておきましょう。
知らないものを想像することはできないのです。
知識はとても大切なものです。
それが役に立つ知識とは限らなくても、それを学びましょう。
知識はそれぞれに協力し合い、あなたに思いも寄らないアイデアを導いてくれるでしょう。
蓄えられた知識の量が、あなたのアイデアの数となるでしょう。
あなたはアイデアによって道を切り開きます。
知恵がなければ始まらないということを覚えておきましょう。
知識を求めましょう。
自らの求める道があるのならば、それに対する知識の追求を怠ってはなりません。
一生懸命に励みましょう。

2013年11月6日水曜日

自己の目覚め

人は自己によって人生を築いています。
人の人生がどのようなものになるのかは、その人がどのような自己によって生きるのか?ということによって決まるのです。
自己が人生を決めているということを理解しなければなりません。
自己とは、その考え方や捉え方などの価値観を所有する人格です。
それは心であるのです。
あなたの心がどのようなものであるのか?ということが大切であるのです。
人は心に従って状況を判断し、次の行動を決めます。
行動によって状況は動かされ、人生は次の展開を得るのです。
あなたは自己が人生の起源であるということを理解しなければなりません。
自己(心)の状態を無視しては、人生が理想に近付くということは有り得ないのです。
人生を理想に近付けたいと考えているのであれば、その自己を理想に対して近付けなければならないのです。
自己が理想に反しているのに、そのような状況を実現することはできないということを知らなければならないでしょう。
翼が生えていなければ空を行くことはできません。
鰓(えら)がなければ水中にはとどまれないのです。
しかしながら、空を行くための自己に目覚め、それを所有しているのであれば、翼がなくても空を行くことはできます。
水中にとどまるための自己に目覚めているのであれば、鰓がなくても水中にとどまることもできるでしょう。
自己の実現とは、理想を実現するための知恵に目覚めるということです。
知恵に目覚めるためには、その理想に対して常に考えを巡らせておく必要があります。
考えることがなければ知恵に達することはありません。
あなたは常に、どのようにすれば理想が実現するか?ということを考えていましょう。
多面的に物事を捉え、既成の概念に捉われることなく、更にはその考えが煮詰まるまで考えなければならないのです。
考えが煮詰まった先に、知恵が生じるということを覚えておきましょう。
考えることの無い者には豊かな知恵は生じません。
愚かな者は自ら考えることをしません。
誰かや何かに依存し、頼り切っているために、考えを放棄して楽を取るのです。
楽を取るが故に、愚か者であるのです。
賢者は常に考えています。
昼夜を問わずに、理想が実現する方法を追い求めているのです。
その行為が、その理想の実現に適した自己を形成するのです。
理想を実現するためには、その理想を実現するための価値観(考え方と捉え方)が必要です。
それらを所有することがなければ、理想の実現は叶わないのです。
あなたの自己は理想をしっかりと見据えていますか?
あなたが心血を注いだもの以外が実現するなどと考えていてはならないでしょう。
人生を簡単に考えてはなりません。
努力や辛抱や継続や勉強が足りなければ、どのような理想も実現することはないのです。
人は自己によって人生を築いています。
自己の在り方が重要なのです。
あなたは自らの意思によって、自己を決めることができます。
自らの意思によって、自己を変化させることができるのです。
あなたが家を管理するように自己を管理しなければなりません。
あなたが家を修理するように自己を修正しなければならないのです。
努力、辛抱、継続、勉強によって、あなたは自己を理想に対して向けておきましょう。
あなたの自己が、常に理想に対して向かって進むように気を付けておきましょう。
あなたの自己が理想に対して進まないのであれば、理想が実現することはありません。
あなたは自己によってすべてを自らが決めています。
人生をどのようなものにするかは自分次第であるのです。
あなたがそのように選択し、実行したからそのような結果を得たのです。
この世界には奇跡は存在しません。
あなたが受け取る結果は、あなたの所有している何等かの原因からもたらされるものなのです。
あなたは自己の管理をしましょう。
常に自己に対して気を掛け、それが理想から逸(そ)れないようにしておかなければならないのです。
どのように自己をコントロールするのか?ということが重要です。
自己のコントロールなしに、人生に理想は実現しないということを理解しましょう。
あなたは自己の管理を怠らないように努めましょう。

2013年11月5日火曜日

自己嫌悪

あなたは自己嫌悪に陥ることに気を付けなければなりません。
あなたは意識的、無意識的に自分自身のことを評価しています。
その評価が自らの理想に対して遠いほどに、人は自らを嫌悪し、その評価は下がるのです。
自己に対する評価を下げてしまえば、自分自身に対して自信を持つことができなくなってしまいます。
自信を失ってしまった人は、自分自身に対して嫌悪感を抱き、その嫌悪感によって自らを責め、自らを追い込み、自らを苦しめてしまうのです。
自己嫌悪に陥っている人には、喜びや楽しみといった、心を安定させる満足感を得ることができません。
自分自身に対して嫌悪感を所有しているため、何に対しても苦しんでしまうのです。
人は人生を自己によって築きます。
自己が喜んでいれば、世界は喜びに満たされます。
自己が苦しんでいれば、世界は苦しみによって支配されてしまうのです。
自己の在り方が、どのような人物にとっても重要であるということを理解しなければならないのです。
自己嫌悪は自らを嫌う行為です。
自分自身がすべての起源であるのに、それを嫌ってしまうということは、初めから汚い水を飲むようなものです。
汚い水が体内に入れば、様々な要因によって問題が引き起こされるでしょう。
自ら汚い水を飲もうとする人はいません。
綺麗な水と汚い水が並べられていたなら、綺麗な水を飲もうとするでしょう。
あなたは、自らの心(自己)に対しても同じことをしなければなりません。
多くの人が身体に対しては注意を払うのに、心には注意が欠陥(けっかん)しています。
人は身体だけで形成されている訳ではありません。
あなたは心(自己)が重要な役割を担っているということを理解しましょう。
心を蔑(ないがし)ろにするのであれば、あなたが幸福や豊かさを得ることはできないということを知らなければならないでしょう。
心の状態を無視する人には、大きな災いがあるでしょう。
自己を正しく保つことができなければ、人は大きな苦しみに会うことになります。
その苦しみは肉体的な苦痛を遥かに凌くものであるのです。
あなたは自己を正しく守らなければならないでしょう。
どのような理想を掲げていたとしても、現状の自分に対しての評価を下げてはなりません。
理想というものは高く設定されているものです。
それは、すぐさま実現しない事柄であるのです。
其れにも拘わらず、多くの人が理想と現状の違いに不満を持ったり、絶望したりしているのです。
そして、理想と現状の違いが自分自身の責任だと思い込み、自己嫌悪に陥ってしまうのです。
理想を掲げることは大切です。
どのような人も、理想に対して努力しなければなりません。
しかしながら、理想はいつか実現させるものであり、それを現状に対して期待してはならないのです。
現状に対する期待が大き過ぎると、人は自らの力不足に絶望し、自己嫌悪に陥るのです。
自己嫌悪によって自らを責めても、あなたに対して有利に働くことは何一つとしてありません。
自己嫌悪などという破滅的な価値観と行為によっては、豊かさは得られないのです。
自己嫌悪に陥るよりは、自己陶酔によって自らを褒めましょう。
どのような状況においても、自らを反省することはしても、自らを嫌ってはなりません。
省みることと嫌うことは違います。
あなたは自らのことを否定してはなりません。
自己に対しては、それを称(たた)えなければならないのです。
心が人の力です。
その力である心を動かさなければ、人生を豊かに築くことはできません。
人が心を動かすためには、そこにやる気(熱意)が必要です。
やる気は喜びや楽しみなどの意欲によって導かれます。
自己に対して否定的な言葉や思いを投げ掛けているのに、どうしてその心が意欲を持つでしょう?
あなたが意欲的に行動する時には、人から褒められたり感謝されるなどの建設的な言葉や思いが必要であるのです。
人から褒められたり、感謝されることによって、あなたはやる気を起こすでしょう。
反対に相手に否定されたり、怒られたりするのであれば、あなたのやる気は消沈し、意欲は跡形もなく消え去ってしまうでしょう。
それは、自分自身に対しても同じことが言えるのです。
自己嫌悪によって人は意欲を失って苦しむのです。
あなたは自己嫌悪に陥ってはなりません。
どのような状況に対しても、自分自身の褒めるべき部分を見出しましょう。
それが失敗であったにしても、そこには称えるべきことがあるはずです。
それがどのように些細なことであり、一見しただけでは気付かないことであっても、賞賛すべきところは必ず存在しています。
それを探し出しましょう。
あなたは自分自身を嫌ってはなりません。
常に良いところを見ましょう。
ポジティブに、建設的に世界を見ましょう。
自己を嫌ってはなりません。

2013年11月4日月曜日

正義信仰

人は自らの信じる正義に従って事を行います。
どのような人も自分が信じる正義を所有し、それに従って生きているのです。
価値観は正義に基づいて形成されます。
どのような人のどのような価値観であっても、それは正義によって築かれるのです。
あなたは自らの正義に従っています。
他人は他人の信じる正義に従って生きているのです。
人は正義に対する信仰によって生きているということを理解しておかなければならないのです。
どのような人も自らの信じる正義を所有しています。
あなたは自分自身が自らの正義に従って生きているということを理解しましょう。
そして、他人もそのように生きているということを理解しなければならないのです。
すべての選択は、その人が信じる正義によって導き出されます。
それがどのような選択であったとしても、それは正義によって選択された最善であるのです。
自分自身の選択も、他人の選択も、すべてが正義によってもたらされるのです。
あなたは、人が正義を信仰しているということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたが信じるように、他人も信じています。
あなたは人の正義を踏みにじってはなりません。
他人があなたに同じことを行うということを想像しましょう。
そうすれば、あなたは安易に他人の正義を否定することはできなくなるはずです。
人は自らが最善だと思うことを行っているのです。
不幸になろうと考えて行っている人はいません。
どのような人も幸福を求めているのです。
その幸福の形や、そこへ向かう道順に違いがあるだけです。
しかしながら、すべての人が正義に従って幸福を求めているということは同じなのです。
あなたはそれを忘れてはなりません。
他人を批判してはなりません。
他人があなたの信じる正義とは違う理想を掲げていたとしても、それを否定してはなりません。
人は皆、信じることに従って行います。
誰も人の信仰を妨害する権利はないのです。
あなたも他人も、同じことをしています。
求める形と道順が違うだけです。
あなたは決して忘れてはなりません。
自らの正義に陶酔(とうすい)し、視野を狭めてはならないのです。
あなたは他人の正義を認めましょう。
そして、他人の正義を尊重しましょう。
相手に対する思いやりの気持ちを忘れることがないのであれば、あなたは平和を手にすることができるでしょう。
相手に対する思いやりの気持ちを忘れ、自らの正義のために他人を害するのであれば、あなたは争いのために苦しむでしょう。
あなた自身が未熟であるように、所有する正義も偏って歪んでいます。
あなたは自らの正義が正しいなどと思い込んではなりません。
あなたの正義が正しく完成しているということは有り得ないのです。
あなたが本当の豊かさや幸福に辿り着くためには、その正義の中の偏見を取り除かなければなりません。
偏見を抱えている正義は暴力を成します。
暴力によっては、豊かさや幸福を実現することはできないのです。
あなたは正義を正しく育みましょう。
偏見によってそれを歪ませてはなりません。
他人の正義を許すことができなければ、それは実現しません。
他人の正義は、あなたの正義とは違っている部分が存在しています。
違っていることが重要です。
違っているからといって拒絶してはならないのです。
違いを取り入れ、自らの正義を多方に広げなければならないのです。
バランスの取れた正義ほど美しいものはありません。
理解することができないことを理解することの大切さを理解しましょう。
理解することができないことを否定してはなりません。
そこには、あなたの正義を成長させるチャンスが存在しているのです。
人は自らの信じる正義に従って事を行います。
人は誰もが、あなたと同じように正義に従っているということを忘れてはならないでしょう。

2013年11月3日日曜日

豊かな知恵

物事に対して真面目に取り組むことは良いことです。
物事に対しての真剣さが増す程、あなたは核心に近付くことができるでしょう。
物事の本質を理解したければ、それに対して真面目に取り組まなければなりません。
不真面目に、怠慢に向き合うことによって得られる結果というものは核心を得ません。
物事に対して真剣に向き合っていなければ、それを深く掘り下げることはできないのです。
大地を深く掘るなら、それに応じた道具が必要となります。
スコップで掘り進めるのは可能ですが、それは困難を極めます。
地中深く掘り進めるためには、ドリルを有する大型の機械でなければならないのです。
人の道具とは、物のことだけを言うのではありません。
その考え方や心持ちであっても、道具であると言えるのです。
人は有形無形に関わらず、多くの道具を使って事を成さなければなりません。
目的の達成のためには、使うことのできる道具は何でも利用する必要があるのです。
あなたが物事の核心をつき、それを上手く進めたいと考えているのであれば、知恵という名の道具を使う必要があります。
あなたが所有する知恵という道具の善し悪しが、あなたがその事柄をどの程度掘り進めることができるのかを決めます。
豊かな知恵があれば物事の深くに赴(おもむ)き、その本質に触れることができるでしょう。
それは、あなたに物事の成立ちと行く末を教えます。
その理(ことわり)に従って選択するのであれば、あなたは幸福を得ることができるでしょう。
乏しい知恵によって物事に対峙しても、核心へは届きません。
乏しい知恵によっては、物事の本質を得ることはできないのです。
物事の本質を見ないのであれば、物事の成り立ちと行く末を理解することはできず、そこに幸福を導くこともできないでしょう。
物事に対して真剣に向き合うことによって、人は多くの情報、知識、経験を得ようと心掛けます。
真剣に向き合う程に、人はそれらを集めるように努め、やがて知恵を増すのです。
あなたは豊かな知恵を以て生きましょう。
豊かな知恵があれば、あなたが憂(うれ)えることはないでしょう。
苦しみは知恵の消失によってもたらされるということを理解しましょう。
良い道具がなければ、地中深く掘り進むことはできません。
地中深く掘り進むことができなければ、黄金(豊かさ、幸福)を得ることはできないのです。
知恵があれば豊かさや幸福があります。
あなたは知恵を身に付けなければならないのです。
知恵を身に付けるためには真剣さが必要です。
あなたは怠けることのないように努めましょう。
しかしながら、真剣さと無理を混同して考える人もいます。
無理をすることが真剣さだと考えてはなりません。
真剣に向き合うということは、その道から逸(そ)れることなく、その道を追求するということです。
要は、その道から逸れなければ良いのです。
一休みすることでも、ペースを落とすことでも、それを真剣に行うことはできるのです。
真剣に向き合うということは、その道に集中するということです。
そこには、笑顔があり、喜びがあり、楽しみがあるのです。
真剣さということを履き違えてはなりません。
一生懸命に取り組まなければなりませんが、それは苦行ではないのです。
リラックスして楽しみながら知恵を養い、使えば良いのです。
道を進んでいれば、何等かの問題や壁に出会い、簡単ではない状況もあるでしょう。
それは苦しく、辛抱が必要な状況ではありますが、それを楽しく乗り越えようとしても知恵は生じます。
どのような方法によって問題や壁を乗り越えようとも、その結果として豊かな知恵は生じるのです。
そのため、あなたは無理をする必要はないのです。
思い詰めて、行き場のない感情によって縛られる必要などないのです。
結果が良いものであるのならば、その手順などどうでも良いのです。
大切なのは結果なのです。
あなたは物事に対して真剣に向き合わなければなりません。
それが楽しいものであるのならば尚の事素晴らしいということを覚えておきましょう。
無理をすることや、顔に苦しみを浮かべることが真剣さなのではありません。
それをどのように感じていても、より深くに掘り下げ、豊かな知恵を得ることが重要なのです。
あなたは物事を楽しみましょう。
楽しみはあなたに好奇心を導きます。
それは多くの情報、知識、経験をもたらします。
豊かな知恵によって、豊かな人生を生きましょう。

2013年11月2日土曜日

万能な人

人は万能ではありません。
どのような人も弱さを抱えているのです。
あなたは自分自身に対しても、他人に対しても、その弱さを認めなければならないでしょう。
人は弱い生き物です。
あなたは弱さを許しましょう。
物事を堅固に考え過ぎてはなりません。
物事は柔軟に考えなければならないのです。
人は完璧ではありません。
人という存在が完璧であることは有り得ないのです。
どのように人が完璧を目指そうとも、それが達成されることはありません。
どのような人であっても、何等かの弱さを抱え、何等かの欠点を所有しているものなのです。
あなたは人の弱さを許さなければならないでしょう。
完璧主義というものが、発想に対して柔軟性を失わせているということを理解しなければなりません。
物事が完璧であるという考えは、物事の真実を覆い隠してしまいます。
すべての存在は不完全であり、多動的であり、可変的であり、不安定なものなのです。
それが世界の真実なのです。
あなたは完璧を求めてはなりません。
その完璧とは、あなたの中の理想でしかありません。
その理想が「こうでないといけない」というような思い込みの中にあっては、物事が良い結果を導くことはできないということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは完璧主義から導き出される思い込みに対して、それに落ち込まないように注意しておかなければなりません。
理想を追い求める気持ちが強過ぎれば、物事が理想を外れて変化するという事実を受け入れることはできないでしょう。
物事の変化を受け入れることができなければ、状況に対して対応することは難しく、遅れを取ることになってしまうのです。
あなたは物事を完璧に求めてはなりません。
余裕とは、ゆとりからもたらされるのです。
緩んでいるからこそ、物事は余裕を以て変化に対応することができるのです。
物事が緊張し、張り詰めているのであれば、変化に対応することはできないのです。
膝(ひざ)を目一杯に伸ばした状態から、あなたが飛び跳ねることができないように。
張り詰めた弦が切れるように、物事が緊張している状態は有益では有り得ないのです。
あなたは物事を緊張から解き放ちましょう。
その考えを張り詰めてはなりません。
あなたは認め、受け入れ、許さなければならないのです。
それらを実行することができないのであれば、あなたは豊かさを得ることができないということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは人の弱さを認め、受け入れ、許しましょう。
余裕を以て事に当たらなければ、理想の結果を導くことはできないのです。
自分自身や他人の弱さに対して、それを一々気にして腹を立てているのであれば、事が進みはしません。
遅れを取るのであれば、変化に対応することができずに損をすることになるのです。
弱さを認め、理想に反する状況を受け入れて許すことができるのであれば、新たな道を見出して変化の先へと進むこともできるでしょう。
人は万能ではありません。
どのような人も弱さを抱えています。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
自分自身についても、他人の事柄についても、それが理想に反しているからといって不満を覚えてはなりません。
上手くいかないこと、失敗は誰にでもあるのです。
人が未熟であるということを決して忘れてはならないのです。
完璧な人が存在しないのに、完璧主義が成り立つはずがありません。
物事に対して完璧を求め、それを実現することには無理があるのです。
あなたはそのことを忘れてはなりません。
自分自身に対しても、他人に対しても期待し過ぎてはなりません。
自分自身も他人も、あなたの思い通りには動けません。
理想ばかりを追って、現状を把握していないのは苦しいことです。
あなたは客観的な視点によって自分自身や他人を見詰めましょう。
そうすれば、理想に対してどれほどの働きを納めているのかを知ることができます。
残念ながら、物事を完璧にこなすことはできません。
どこかには必ず綻(ほころ)びが生じます。
そのことを忘れてはなりません。
人は万能ではないということを覚えておきましょう。

2013年11月1日金曜日

仲介人

あなたが手にすることのできる豊かさは、人の手を伝ってもたらされます。
あなたが手にすることのできる豊かさは、人から得るものが大半を占めているのです。
すべての豊かさは自然からもたらされますが、それをあなたの元に運ぶのは人の手であるのです。
他人が自然とあなたを仲介しているということを理解しなければならないのです。
どのように自然があなたに豊かさを与えようとしても、その間に人の手がなければそれも叶いません。
自然が直接的にあなたに対して与えることができる豊かさはわずかなものなのです。
そこに人の手が入るからこそ、あなたは自然から多くの豊かさを得ることができるのです。
自然は偉大です。
自然はあなたに惜しげもなく恵み与えてくれます。
しかしながら、自然があなたに届けることができる豊かさとは、あなたが手の届く範囲の豊かさだけであるのです。
他人は、あなたの手の届かない範囲において、そこで与えられる豊かさを所有しています。
その豊かさとは、あなたが与えられる豊かさとはまた違うものであるのです。
あなたは、自身が得ることができる手の届く範囲の豊かさというものが、とても少ないということを理解しておきましょう。
あなたの手の届く範囲は知れているのです。
あなたの手の届かない範囲の豊かさは、他人に頼んで得る以外に方法はありません。
あなたがより多くの豊かさを必要としているのであれば、それを運んでくれるよう他人に頼まなければならないのです。
他人に自然との間を取り持ってもらわなければならないのです。
あなたは他人を大切にしましょう。
それがどのような人物であろうとも、自然の豊かさを運んでくれる仲介人であるということを忘れてはならないのです。
人は皆、自然の中に生きています。
どのような人物も自然と触れ合い、生きているのです。
この世界に自然と触れ合っていない人はいないのです。
どのような人物であっても、自然からの豊かさを運ぶということを知らなければならないでしょう。
あなたは人を嫌ってはなりません。
不満や怒りや恨みを以て、他人を攻撃してはなりません。
自然との仲介人がいないのであれば、あなたが豊かさを手にすることはできないのです。
協力者が多いということは良いことです。
人が多く集まるのは素敵なことです。
多くの人と携わっている人ほど、多くの豊かさを得ることができるのです。
一人一人から得られる豊かさが小さなものであったとしても、多くの人から得ることができるのであれば、抱え切れないほどの豊かさとなるのです。
あなたは人と協力しなければなりません。
人間関係を蔑(ないがし)ろにするのであれば、あなたが自然からの恵みを受けることは難しいでしょう。
あなたは人であるのです。
人であるあなたは、人の中にあって満たされるのです。
どのような人物も何等かの豊かさを導いてくれます。
あなたはそのことを忘れてはなりません。
何一つとして豊かさを運ばない人は存在しないのです。
すべての人は何かしらの豊かさを運ぶのです。
あなたがその豊かさを認識することができているとは限りませんが、あなたはどのような相手からも必ず何等かの豊かさを得ているのです。
あなたはそのことを忘れてはなりません。
他人を蔑ろにする者が、豊かさを得ることはできないのです。
人を大切にする人には、多くの恵みがあるでしょう。
あなたは人を嫌ってはなりません。
人を遠ざけてはなりません。
どのような人もあなたに対する恵みを所有しているのです。
他人を大切に扱い、他人に貢献し、他人を幸福にしなければなりません。
あなたが行ったように他人もあなたに行います。
あなたが他人に豊かさを与えるのであれば、他人はあなたに豊かさを与えるでしょう。
あなたが他人を蔑ろにしているのに、他人が豊かさを運ぶことはありません。
あなたが他人に酷い仕打ちをすれば、せっかく運んできた自然の豊かさをその場に下ろし、あなたには苦しみを置き去りにすることになるでしょう。
相手を思いやれば、相手はあなたを思いやるのです。
他人を大切にしない人物には、本当の意味での豊かさが与えられることはありません。
あなたはどのような他人も大切にしましょう。
あなたが手にすることのできる豊かさは、人の手を伝ってもたらされます。
そのことを理解し、人に尽くしましょう。