人の精神が未熟である以上、世界には嘘が存在します。
人は嘘を吐きます。
どのような人も未熟であるために、必ず嘘を吐きます。
嘘を吐かない人はいません。
どのような人も、例外なく嘘を吐くのです。
あなたは人が嘘を吐くということを理解しなければなりません。
人の表現のすべてを信用してはなりません。
何の疑いもなく、すべてを見た目によって信用してしまえば、そこに隠された真実を見極めることはできないでしょう。
あなたが信用しているどのような人物も、あなたに対して必ず嘘を吐きます。
どのような人も嘘から逃れることはできません。
例え、悪気が無くても人は嘘を吐くのです。
嘘が悪いという訳ではありません。
この世界では、行えることのすべてが許されています。
嘘を吐くことも、実際に嘘を吐くことができるのだから許されているのです。
ただし、その代償は支払わなければなりません。
どのようなことも、その代償を支払うということを条件として許されているのです。
すべての人に嘘を吐くという行為が許されています。
どのような人も嘘を吐くことができるのです。
多くの人は保身のため、また少数の人は相手への配慮として嘘を吐きます。
どのような理由があろうとも嘘は嘘です。
それは真実をねじ曲げる行為であるのです。
ここでは、嘘に対して糾弾(きゅうだん)することはしません。
あなたには、世界には嘘が溢れているということを理解しておいて欲しいのです。
真実はねじ曲げられ、歪(いびつ)な形を以て表現されます。
その歪な形を真実であると考えてはならないということを伝えたいのです。
真実は常にシンプルな形をしています。
物事の本質はとても純粋であるのです。
その嘘を見抜き、真実(本質)を見極めることができるのであれば、あなたがこの世界のことについて煩(わずら)うということはないのです。
嘘に気が付かず、真実に辿り着くことができない者が苦しむのです。
あなたは嘘を見抜き、真実を見極めなければなりません。
何が正しくあって、何が邪(よこしま)であるのかを知らなければならないのです。
その見極めができなければ、人生を苦しむということを理解しましょう。
人生には嘘が溢れています。
人は誰でも嘘を吐きます。
嘘を吐かない人は存在しません。
自身の保身のため、相手への配慮として嘘を吐くのです。
あなたは疑うことを覚えなければなりません。
物事を純粋に捉えるということは良いことですが、見極められないというのでは正しくありません。
疑心のフィルターによって嘘を振り落とし、純粋な真実を抽出(ちゅうしゅつ)しましょう。
どのようなことも初めは疑うべきでしょう。
物事を簡単に信用してはなりません。
相手が笑顔で良いことを言っていたとしても、あなたは自身でその人を判断しなければなりません。
誰かがその人を良い人だと言ったとしても、自分自身でそれが真実であるのかを確かめなければならないのです。
あなたは自分で、相手の心根を探らなければなりません。
相手が用意したものを何の疑いもなく飲み込んでしまってはならないのです。
毒薬を笑顔で差し出してくる人がいるということを知らなければならないのです。
安全は、自分自身で確保しなければなりません。
物事の真実を見極めるというのは、安全を守るための最低条件であるということを覚えておきましょう。
この世界に溢れている嘘を見極め、正しい道を進んで豊かさを得ましょう。
見極めができなければ邪道を行くことになるでしょう。
信用する気持ちは、疑いの後に用いましょう。
先ずは疑うことです。
誰が何と言おうとも、自身の腹の中には疑いを持ちましょう。
ただし、それを口に出す必要はありません。
真実を見極めるために、疑いを含めた様々な可能性を用いるのです。
その人は、善意で嘘を吐いているかも知れません。
その嘘が善意からのものであるなら、あなたにもたらされる被害は知れているでしょう。
しかしながら、それが悪意によって吐かれた嘘であれば、あなたは甚大(じんだい)な被害を被(こうむ)ることになるのです。
人が嘘を吐くということ。
嘘によって真実が歪んでいるということを忘れてはなりません。
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