どのような選択をしても、あなたは自分自身を責める必要はありません。
どのような選択をしても、それは現状のあなたが考え得る最善の方法であるからです。
あなたは常に最善だと考える選択をしています。
どのような人も、それが最善だと考えてそれを選択するのです。
あなたの選択は、それ以外になかったのです。
どのような理由があろうとも、あなたは自分自身が最善だと考える選択をしています。
最善だと考え得るから、それを選択することができるのです。
例え意図的に最善だとは考えない選択をしたとしても、最善だと考えないということを最善だと考えているのです。
人は最善の考えを実現します。
人は自らの選択を最善だと考えているのです。
あなたのどのような選択も、現状のあなたにとっては最善であったのです。
そのことを理解しなければなりません。
あなたは常に最善を選択するのです。
あなたは自分自身を責める必要はありません。
それが理想に反する結果を導き、常識とは違っていたとしても、あなたにとってはそれが最善であったのです。
すべての選択がどのような結果に繋がるのかは分からないものです。
想像することはできますが、少なくともあなたにはそれを知ることはできません。
想像して選択しても、結果は違うということは良くあることなのです。
結果が理想とは違うからといって、あなたが自分自身を責める理由にはなりません。
どのような人にも結果は分からないものです。
その結果がたまたま想像と一致していた時に、「やはりもう一方を選ぶべきであった」「あの人の言っていることが正しかった」などと、自分自身を責めてはなりません。
結果に対する所感(しょかん)はすべて結果論に過ぎないからです。
結果を見て意見を述べることは誰にだってできることです。
あなたは自分自身の選択がどのような結果に結び付くことになったとしても、それによって自分自身を責めてはなりません。
人生は自由に選択することが許されています。
あなたは自分自身の好きな選択をすることができるのです。
そのため、どのような結果を得ようとも、それは許されているのです。
問題や不足が悪いものだと考える人がいますが、人生におけるすべてのものには意味があり、価値があるのです。
それが問題や不足であったとしても、それらに意味や価値がない訳ではないのです。
問題や不足が生じたとしても、人生は素晴らしいということを理解しましょう。
人生には、問題や不足があって良いのです。
それらがあるから素晴らしいのです。
人生は簡単ではありません。
人は万能ではありません。
失敗もしますし、困難にも巡り合うのです。
しかしながら、それが悪いということはありません。
問題や不足を抱えているなら貧しい人生であるということはないのです。
問題や不足などは、豊かに生きる人も所有しているのです。
人生から問題や不足が枯渇(こかつ)することはありません。
どのような人のどのような人生も必ず苦しみに巡り合うのです。
自らの選択によって、物事が理想的に進まないことは良くあることです。
すべてが理想的に進むことなど有り得ません。
それは、どのような人も未熟であるからです。
どのような人も失敗し、苦悩して豊かな人生に辿り着きます。
失敗も苦悩も知らない人など存在しないのです。
状況が理想的な展開を導かないと自分を責めているなら、益々状況は悪化してしまうでしょう。
それは、自分を責めるという自傷行為が、次の良い選択の邪魔をしてしまうからです。
どのような選択をしても、あなたは自分自身を責める必要はありません。
あなたは最善だと考えてそれを選択したのです。
ならば、そこから導き出される結果とは、あなたにとっての最善であるのです。
あなたはそのことを忘れてはなりません。
自分自身を責めたところで、惨(みじ)めな気分になるだけです。
そのような気分では、物事をより良くすることなどできないのです。
いつの時も胸を張りましょう。
すべては最善なのです。
すべての結果を喜んで受け入れるようにしなければならないでしょう。
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