あなたは敵対心に注意を払わなければなりません。
あなたは敵を作り出してはなりません。
本来、あなたの敵となる存在はいません。
この世界に存在するすべてのものが、必要によって存在しているのです。
すべてがあなたにとって必要です。
すべてがあなたにとって大切な意味を持ちます。
すべてがあなたにとって相応しいのです。
敵という概念が、この事実を打ち壊します。
敵という概念が、あなたを真実から遠ざけてしまうのです。
あなたが敵だと思っている存在は、あなたにとって本当に不利な存在なのでしょうか?
それは、本当に排斥(はいせき)しなければならない存在なのでしょうか?
簡単に考えてみてください。
幸福とは気分によってどうとでもなります。
楽しい気分の時には、あなたはどのような状況を得ようとも幸福であるのです。
どこで、誰と、何をしていようとも、楽しい気分さえあれば、それだけで幸福であるのです。
しかし、苦しい気分の時にはどうでしょう?
苦しい気分の時には、あなたはどのような状況を得ようとも不幸であるのです。
どこで、誰と、何をしていようとも、苦しい気分の時には、それだけで不幸を感じなければならないのです。
敵がいれば、それだけであなたは気分を害することになるでしょう。
敵がいなければ、それだけであなたは穏やかな気分で生きることができるのです。
敵対心は、あなたの気分を害するのには優れた力なのです。
敵対心によって、あなたの気分は一瞬で害されるのです。
あなたが幸福を求めているのであれば、敵対心を生み出さないように心掛けなければなりません。
敵がいる時点において、あなたの幸福は崩れ去るのです。
物事を浅く捉えてしまうと、人は敵対心を好むようになります。
そのため、表面的で浅い考えを信じている者どもの間にのみ、争いが生じ、敵対心が育つです。
浅い考えによって生きている人は、争いから抜け出すことができず、苦しい人生を生きています。
思慮深く生きる人々が争いによって豊かさを損なうことはないのです。
知恵がなければ豊かな人生を生きることはできないのです。
知恵とは、争いを生み出さない考えです。
人は知恵によってのみ、豊かに生きることができるのです。
あなたは浅い考えによって、不利を得たなどと思い込み、敵を作ってはなりません。
争いは消耗と衰退を導きます。
争いが幸福と豊かさを導くことはないのです。
あなたは違いを持つ人との間に協力という懸け橋を渡し、互いに交流を深めて、高め合えるような関係性を築きましょう。
乏しい人生を生きる人は、敵を作ることによって自らを正当化し、敵を踏み台にして幸福を得ようと考えています。
そのような方法であっては、この世界で幸福を得ることは叶いません。
あなたは敵対心を煽(あお)るような人には注意しておかなければなりません。
あなたに争いをすすめてくる人がいますが、そのような人の言うことを鵜呑みにしているのであれば、あなたが幸福を得ることはできないのです。
思いやりや理解の無い世界が、どうすれば豊かなものになるというのでしょう?
あなたは騙されてはなりません。
争いを好む人は、争いによって自分だけの空しい利益を得ようと企んでいます。
争うことによって、歪んだ自尊心を保ち、相手を犠牲にすることによって一人勝ちを狙っているのです。
他人を不幸にする者は、その行いによって不幸になります。
他人を幸福にする者は、その行いによって幸福を得るのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
その人があなたの敵対心を煽るのであれば、その人の話を聞く価値はないでしょう。
その人があなたの敵対心を取り除き、心を軽くするのであれば、その人の話を聞きましょう。
あなたは敵対心に注意を払わなければなりません。
多くの人の中では、敵を作ることが当たり前になっていますが、その多くの人は豊かな人生を生きているでしょうか?
精神が高まるほどに争いは無くなります。
それは知恵が付くからです。
争わない人は精神的な強者なのです。
敵を作ることによって、空しい虚栄を張る人は精神的な弱者であるのです。
余裕が無いから強く見せようと必死なのです。
弱い者の話を信じるのであれば、あなたは弱い者になることができるでしょう。
強い者の話を信じるのであれば、あなたは強い者になるのです。
敵を作ってはなりません。
敵対心を煽る都合の良い言葉を信じてはなりません。
あなたは楽しい気分によって、幸福に生きなければなりません。
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