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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2019年7月31日水曜日

一つの道

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれました。
すべての人は、目的を果たさなければなりません。
目的を果たすことは、何よりも大切な仕事です。
なぜなら、あなたはその目的を果たすために生まれたからです。
人生の目的を果たすこと以上に、大切なことはありません。
何よりも、人生の目的が重要であるということを理解しなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人生の目的を果たすためには、それに必要な役割を果たさなければならないからです。
役割を果たすことなく、人生の目的を果たすことは出来ません。
大切なのは、役割を果たすことなのです。
すべての人は、役割を与えられています。
しかしながら、すべての人がそれを忘れています。
すべての人は、人生の思い煩(わずら)いによって、自らに与えられた役割と、人生の目的を見失ってしまうのです。
すべての人は、取り敢(あ)えずの対応に追われます。
取り敢えずの対応に追われ、人生という大きなものを見失ってしまうのです。
多くの人にとって、人生とは、目の前の現状です。
目の前の現状は大切なものではありますが、人生という全体の方が大切です。
多くの人は、現状によって、人生を判断しています。
多くの人にとっては、現状こそが人生なのです。
残念ながら、人生がどのようなものであるかは、人生を終えた後でなければ分からないものです。
全体を知らなければ、判断を下すことなど出来ないのです。
あなたは、死後に人生を理解するでしょう。
そのため、現状によって人生を判断することは出来ません。
あなたは、現状を人生だと考えてはならないのです。
あなたは、全体を見るように努めましょう。
残念ながら、どのように努めても、全体を見ることは出来ません。
しかしながら、視野は広げることが出来るのです。
視野は広い程に、人生への理解は深まるのです。
視野が狭ければ、人生に対する理解は深まりはしないのです。
視野を広げることが大切です。
あなたは、出来る限り視野を広げましょう。
目の前の狭い現状を人生だと考えてはなりません。
人生というものは、あなたやあなたの周囲の人が考える程、狭いものでも、小さなものでも、詰まらないものでもありません。
人生は、あなたやあなたの周囲の人が考えるよりも、広く、大きく、楽しいものなのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
しかしながら、人生には目的と、それを果たすための役割が与えられています。
あなたは、無限の可能性の中から、一つの道を選択しなければなりません。
一つの道を見極めるためには、それ以外のすべての道を知る必要があるのです。
すべての可能性を見るまでは、一つの道を選択することは出来ません。
すべての可能性を見るまでは、人生の目的とその役割を理解することは出来ないのです。
あなたは、人生の目的とその役割を理解することは出来ないかも知れません。
しかしながら、それに近い選択をすることは出来るのです。
あなたは、出来る限り広い視野を以て世界を眺めましょう。
そして、より多くの可能性の中から、自分に制限を設けるのです。
自らに与えられた役割を果たすためには、その役割に徹(てっ)する必要があります。
一つの役割に徹するためには、その他の可能性を手放さなければならないということです。
自らに制限を設けなければ、自らに与えられた役割を果たすことは出来ないのです。
あなたが、役割を果たすためには、制限が必要です。
すべてを手に入れようなどと考えてはならないのです。
何かを得れば、何かを失わなければなりません。
多くの人のように、無い物ねだりをしてはならないのです。
制限こそが、道を作ります。
鳥は飛ぶために、牙(きば)を失いました。
魚は泳ぐために、肺を失いました。
あなたは目的を果たすために、他者との同一を失ったのです。
しかしながら、多くの人は、自分と他者を比較します。
優劣は、誰にも判断することが出来ないのです。
人は、比較することが出来ません。
すべての人は、異なる目的と役割を以て生まれたのです。
比較することには意味がありません。
大切なのは、自らの役割を見極めることです。
そして、それに不相応な選択を手放すことです。
あなたは、制限の中を生きなければなりません。
何もかもを欲しがってはなりません。
役割に徹するためには、諦めなければならないこともあるのです。
そのことを忘れてはなりません。

2019年7月30日火曜日

足元

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を以て生まれなければならないのです。
すべての人は、目的を果たすために生まれます。
この世界には、目的の存在しない人生はないのです。
あなたは、目的を果たさなければなりません。
目的を果たすことは、誰にとっても宿命なのです。
それは、人生が目的によって生じたからです。
目的が存在しなければ、人生は実現しないのです。
人は、目的によって行為するのです。
人生が存在するのは、その目的が存在したからです。
あなたは、そのことを理解しなければならないのです。
あなたは、目的も無く存在しているのではありません。
人生を経験している以上、そこには、目的が存在するということを忘れてはならないのです。
すべての人は、目的を果たさなければなりません。
人生に目的が存在するということを忘れている人も、目的を果たさなければなりません。
誰一人、人生の目的を無視することは出来ないのです。
すべての人が、人生の目的を果たすために行為しなければなりません。
人生におけるすべての経験が、あなたに人生の目的を思い出させます。
そして、人生の目的を果たすために働きかけるのです。
人生の目的を果たすためには、成長しなければなりません。
現状を保っていても、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
すべての人が、成長を求められています。
誰一人として、成長を無視することは出来ないのです。
あなたは、成長を実現しなければなりません。
しかしながら、成長を実現することは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人は、今に生きることが出来ないからです。
成長を実現するにおいて、今を生きることは重要です。
なぜなら、成長は今にしか実現することが出来ないからです。
過去や未来を探しても、成長は存在しません。
今というこの瞬間にだけ、成長を実現することが出来るのです。
多くの人は、今を否定します。
多くの人は、過去や未来に執着するのです。
過去や未来に執着すれば、今を奪われます。
後ろを振り返ったままで歩むことの出来る人はいません。
また、遠くを眺めたままで歩むことの出来る人もいないのです。
これは、過去や未来を否定しているのではありません。
過去や未来も大切な経験です。
しかしながら、今を疎(おろそ)かにしては、過去や未来の経験が破綻(はたん)してしまうのです。
あなたは、今という時に生きているのです。
過去や未来は、過去や未来の自分に任せておきましょう。
過去や未来がどのようなものであれ、それにこだわってはなりません。
過去や未来にこだわったところで、あなたが成長を実現することは出来ないのです。
過去や未来に成長は存在しません。
過去や未来は楽しむものです。
それを操作する必要はありません。
大切なのは、今を懸命に生きることです。
無理をする必要はありません。
懸命に生きるとは、学びを受け入れるという生き方のことなのです。
過去や未来にこだわる余り、今の学びを否定してはなりません。
現状にこそ、大切な学びが存在しています。
それは、あなたの成長を助けます。
過去や未来を気にする必要はありません。
必要は満たされるのです。
人生には、最善のみが実現します。
しかしながら、過去や未来にこだわっている者には、そのことを理解することが出来ません。
今を懸命に生きて、過去や未来は楽しみとしましょう。
今を懸命に生きることによって、過去や未来は大きく変わります。
そこには、不幸も幸福も存在しません。
存在するのは、必要と最善だけなのです。
過去と未来は景色と考え、足元に注意して歩みましょう。

2019年7月29日月曜日

継続は力

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を果たさなければならないのです。
人生に、目的も無く生まれる者はいません。
すべての存在が、果たさなければならない目的を以て生まれるのです。
あなたには、あなただけの目的が与えられているのです。
あなたは、自分に与えられた目的を果たさなければなりません。
それは、あなたにしか果たすことが出来ないのです。
これは、あなただけに与えられた、あなたのための人生です。
他の誰の目的でも、人生でもないのです。
人生の目的を果たすためには、目的地へと辿り着かなければなりません。
目的地へと辿り着くことによって、あなたは目的を果たすことが出来るのです。
あなたは、目的地へと歩みを進めなければなりません。
どのような人物も、容易(ようい)に人生の目的を果たすことは出来ません。
どのような人物にとっても、人生の目的を果たすことは難しいのです。
なぜなら、人生の目的を果たすためには、積み重ねなければならないからです。
どのような目的も、多くの積み重ねを必要とします。
容易に果たすことの出来る目的など与えられはしないのです。
誰にとっても、人生は険しく、長い道程(みちのり)なのです。
すべての人は、その寿命を限りなく使って、目的地へと旅を続けるのです。
与えられた寿命の長さは異なりますが、その質は等しいのです。
寿命の短い者は、険しい坂道を歩みます。
寿命の長い者は、緩やかな坂道を歩みます。
どちらも、目的地の標高は同じです。
時間の関係によって、勾配(こうばい)は大きくなるのです。
しかしながら、穏やかな坂道を歩む者が楽をして、目的地へと辿り着くことが出来るという訳でもないのです。
緩やかな坂道では、長く歩まなければなりません。
大きな苦しみは無くても、小さな苦しみをより多く受けなければならないということなのです。
苦しみは、等しく導かれます。
険しいから苦しいとか、穏やかだから楽であるということはありません。
人は、等しい苦しみを受けるのです。
しかしながら、苦しみは無駄な経験ではありません。
あなたは、苦しむことによって、必要な学びを得ることが出来るのです。
ただ、歩むだけでは、目的地へと辿り着くことは出来ません。
あなたは、必要な経験を経なければならないのです。
人生は、そのすべてが学びです。
あなたは毎日、必要な学びを得ることが出来るのです。
一日が一歩です。
一歩一歩の積み重ねが、やがてあなたを目的地へと辿り着かせるのです。
一歩一歩の積み重ねが大切です。
あなたは、一日一日を大切にしなければならないのです。
それが、どのような一日であったとしても、大切な一歩に違いありません。
その一日を、あなたが気に入るか?どうかは問題ではありません。
大切なのは、それも必要な学びであると理解することなのです。
人生は、決して思い通りにはなりません。
あなたには、何一つとして、好きには出来ないのです。
人生は、あなたの理想を裏切ります。
人生は、あなたの思い通りにならないからこそ、学びであるのです。
思い通りのことからは、それ以上何かを学ぶことは出来ないのです。
あなたは、思い通りにならない人生を楽しみましょう。
毎日の学びを疎(おろそ)かにしてはならないのです。
継続は、必ず大きな力と成ります。
一つは小さな力でも、集まれば大きな力となるのです。
一歩は短い距離ですが、それが積み重なれば、長い距離となるのです。
人生に無駄は存在しません。
それがどのような問題であれ、大切な一歩です。
一歩一歩を積み重ねなければ、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
あなたは、それがどのような一日であれ、大切な学びだと信じて学びましょう。
すべては目的を果たすためです。
人生における豊かさは、目的を果たすことによって実現する当然の結果なのです。
継続は力です。
あなたは、日々を大切に生きましょう。

2019年7月28日日曜日

避けられない学び

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
これは、避けられないことです。
なぜなら、この世界には、因果の仕組みが存在しているからです。
因果の仕組みとは、すべての結果には、それに相応しい原因が存在するという法則のことです。
人生とは、結果です。
あなたが人生を始めるためには、それに相応しい原因が存在するということなのです。
人生を始めるために相応しい原因とは、人生の目的です。
あなたは、人生の目的を果たすために、人生を始めたのです。
目的という原因が存在するからこそ、人生という結果が存在するのです。
あなたには、果たさなければならない目的が存在するのです。
あなたは、それを果たさなければなりません。
しかしながら、多くの人は、そのことを忘れています。
多くの人は、人生に目的など存在しないと考えているのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
誰一人として、人生の目的を同じにしている人は存在しないのです。
そのため、人は、それぞれに異なる人格を以て生まれます。
人は、それぞれに異なる興味、能力、身体的特徴、環境、人間関係・・・
様々な違いを以て生まれるのです。
たまたま、そのような人生を与えられた訳ではありません。
あなたは、自分の目的に沿(そ)った人生を、選んだのです。
どのような問題も、不運や不幸などではありません。
同じように、どのような幸運も幸福も存在しないのです。
すべては、必要に応じて与えられます。
そのため、人生におけるすべては、必要であるということなのです。
しかしながら、多くの人は、その必要性に気が付いてはいません。
多くの人は、必要を理解しないのです。
それは、人生の目的を忘れているからです。
人生の目的を忘れているために、人生の必要を理解することが出来ません。
大切なのは、人生には目的が存在し、あなたはそれを果たさなければならないということです。
あなたは、人生の目的と共に生きなければなりません。
そこから離れてはなりません。
人生の目的から離れることは、豊かさから離れることです。
人生の目的から離れて、豊かさを実現することの出来る人はいないのです。
それは、美しく咲き誇(ほこ)る花が、枝を離れて地面に落ちれば、朽(く)ちてしまうようにです。
どれだけ美しく咲き誇ろうとも、枝を離れれば、朽ちてしまうのです。
花は、枝と繋がっている時にだけ美しく咲き誇るのです。
枝とは、人生の目的です。
花は、あなたのことなのです。
あなたが人生の目的と繋がっている時には、豊かさを実現することが出来るでしょう。
しかしながら、人生の目的を見失い、そこから離れる時には、乏しさを実現しなければなりません。
人生に豊かさを実現することは、容易(ようい)ではありません。
なぜなら、多くの人が人生の目的を知らないからです。
多くの人は、人生の目的を知らないために、目の前の快楽や欲望や苦悩に陥(おちい)ってしまいます。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩を喜んでいるのです。
目の前の快楽や欲望や苦悩を貪(むさぼ)ったとしても、人生の目的を果たすことは出来ません。
それは、目の前の快楽や欲望や苦悩というものが、後天的なものであるからです。
人生の目的とは、人生を始める前から定めていたもののことです。
人生の目的が後天的なものであるはずがないのです。
目の前の快楽や欲望や苦悩を貪ることでは、人生の目的を果たすことも、人生に豊かさを実現することも出来ないのです。
あなたは、人生の目的から離れてはなりません。
人生の目的とは、人生の必要です。
人生の必要とは、避けられない学びのことです。
あなたは、避けられない学びを受け入れなければならないのです。
否定や拒絶を用いる程に、人生は乏しさへと近付きます。
避けられない学びは、受け入れなければなりません。
人生には、避けられないことがあるのです。
あなたは、それを学びましょう。

2019年7月27日土曜日

真と偽り

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
この世界に、目的も無く生まれる人はいません。
すべての人は、目的と共に生まれるのです。
あなたには、果たさなければならない目的があります。
あなたは、それを果たさなければなりません。
しかしながら、すべての人は、人生の目的を見失います。
そして、多くの人は、人生に目的が存在することすら忘れているのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩に従って生きています。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩に流されるのです。
誘惑(ゆうわく)は避けられません。
誰に対しても、快楽や欲望や苦悩は語り掛けるのです。
それは、とても素晴らしい演説です。
多くの人は、それに聞き惚(ほ)れ、魅了されてしまいます。
多くの人は、快楽や欲望や苦悩の誘惑に陥(おちい)ってしまうのです。
多くの人は、快楽や欲望や苦悩に従って選択します。
選択肢は、快楽や欲望や苦悩が用意するのです。
多くの人は、限定的な選択肢の中から選ばなければなりません。
多くの人は、悪いものの中から、悪いものを選ばなければならないのです。
多くの人は、悪いものを選びます。
悪いものとは、偽りのことです。
偽りとは、不自然のことです。
それは、乏しさを導くもののことなのです。
多くの人は、偽りを生きています。
多くの人は、不自然を生きているのです。
多くの人は、乏しさを生きているということを理解しなければなりません。
多くの人は、人生の目的を知りません。
多くの人は、人生が何であるのか?分からないのです。
そして、多くの人は、自分が何か?を知らないのです。
自分が何であるのか?を知らず、人生が何であるか?を知らなければ、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
多くの人は、豊かさを知りません。
多くの人は、真(まこと)と偽りの区別が出来ないのです。
真とは、自然のことです。
それは、豊かさを実現します。
すべての人は、真を求めているのです。
人は、真によって、人生の目的を果たし、幸福と豊かさを実現することが出来るのです。
あなたが求めなければならないのは真です。
しかしながら、多くの場合、偽りを選択しています。
それは、あなたが未熟に生まれ、選択を誤るからです。
すべての人は、選択を誤ります。
すべての人は、真を求めながら、偽りを得るのです。
それは、真と偽りが良く似ているからです。
その違いを判断するのは難しいのです。
なぜなら、偽りは、限りなく自分を真に似せるからです。
未熟であるあなたには、その区別が出来ないのです。
多くの人には、真と偽りは同じものに見えます。
例えば、あなたには、他者の吐く嘘を見破ることが出来ません。
その言葉は、偽りであるにもかかわらず、それを真と思ってしまうのです。
世の中には、偽りが溢れています。
残念ながら、多くの人は、真を見極めることが出来ません。
多くの人は、偽りに埋もれるのです。
多くの人は、人生の目的を見誤っています。
そのために、目の前の快楽や欲望や苦悩に従って生きることが出来るのです。
残念ながら、そのような生き方によっては、人生の目的を果たし、豊かさを実現することは出来ません。
真は、快楽や欲望や苦悩を従えません。
真は、必要だけを従えているのです。
真を選択するということは、必要を受け入れるということです。
多くの人は、必要を否定します。
多くの人は、自分にとって都合の良いように解釈(かいしゃく)します。
自分にとって都合の悪いことは切り捨てるのです。
必要は、都合の良いものではありません。
都合が悪くても、必要であれば、それを受け入れなければならないのです。
あなたは、都合に関係なく必要を選択し、実現しなければなりません。
真と偽りは良く似ています。
真を見極めるためには、注意深く見定めなければなりません。
あなたは、偽りに注意を払いましょう。
偽りの人生を生きてはなりません。
偽りの目的のために生きてはなりません。
あなたは、真の人生を生きましょう。
真の目的を果たさなければならないのです。

2019年7月26日金曜日

疑問

多くの人は、偽りを生きています。
多くの人は、偽りを真(まこと)だと思い込んでいるのです。
真を生きることは容易(ようい)ではありません。
それは、多くの人が未熟を生きているからです。
多くの人は、自分が何であるのか?を知りません。
多くの人は、自分の本質が分からないのです。
自分の本質を知らずに、真を生きることなど出来ないのです。
多くの人は、偽りを生きています。
しかしながら、偽りを真だと信じているのです。
残念ながら、多くの人の信じる真は真ではありません。
それは、偽りなのです。
多くの人は、偽りの人生を生きているのです。
しかし、それに疑問を抱きません。
多くの人は、偽りを当たり前に受け入れているのです。
残念ながら、偽りを生きたところで、人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたには、果たさなければならない目的があるのです。
あなたは、それを果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、真を生きる必要があります。
真を生きなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
すべての人が、未熟に生まれます。
そして、すべての人は、無知を生きているのです。
すべての人の認識が歪んでいるのです。
そのため、偽りを真だと思い、真を偽りだと思うのです。
世の中の”当たり前”をそのままの形で受け入れてはなりません。
それは、歪んだ認識が見せる幻想です。
多くの人の考える”当たり前”とは、真の道ではないのです。
あなたは、多くの人の考える”当たり前”が、当たり前ではないと理解しなければなりません。
多くの人の考える”当たり前”に従えば、あなたは偽りに陥(おちい)ることになるのです。
大切なのは、疑問を抱くことです。
疑問を抱かなければ、偽りに陥ることになるのです。
あなたが歩まなければならないのは、真の道です。
あなたは、真の道を歩み、人生の目的を果たさなければならないのです。
多くの人は、そうとは知らずに、偽りを生きています。
あなたの歩みも、偽りに対するものです。
”当たり前”を受け入れているのであれば、あなたは偽りに辿り着いてしまうでしょう。
あなたが辿り着くべきは、真です。
あなたは、真へと辿り着かなければなりません。
あなたが真へと辿り着くためには、”当たり前”という偽りに対して、疑問を持ち、否定しなければならないのです。
あなたは、疑問を抱かなければなりません。
”当たり前”を当たり前として受け入れてはなりません。
疑問を抱くことによって、あなたは、”当たり前”の世界を否定することが出来ます。
あなたが信じて疑わない”当たり前”を出来るだけ早く手放しましょう。
偽りを疑うことによって、”当たり前”を手放すことが出来ます。
あなたは、”当たり前”を疑いましょう。
多くの人は、疑問を抱きません。
それは、小さな綻(おきて)を破る行為だからです。
多くの人は、偽りに対して、従順に生きています。
多くの人は、真を知りません。
それは、光を知らずに生きるようなものなのです。
暗闇の中では、能力を発揮することはできません。
あなたには、果たさなければならない目的が存在しています。
人生の目的を果たすためには、疑うことです。
そして、真を生きることなのです。
偽りをどれだけ生きたとしても、真へと辿り着くことは出来ません。
あなたは真を歩みましょう。
自分に対して、偽りを吐いてはなりません。
偽りを得てはならないのです。
あなたが目指すべきは真です。
あなたは、自分自身に対して、人生に対して、世の中に対して疑問を抱きましょう。
そして、真を手に入れましょう。

2019年7月25日木曜日

答えは直ぐには見付からない

すべての人は、問題を抱えます。
すべての人は、問題と向き合わなければなりません。
すべての人は、問題によって苦しまなければならないのです。
問題によって、すべての人は苦しみます。
それは、問題によって、状況が停滞するからです。
すべての人にとって、停滞は苦しみです。
なぜなら、すべての人は、人生に果たさなければならない目的を抱えているからです。
人生の目的を果たすためには、人生の目的地へと辿り着かなければなりません。
すべての人は、目的地へと辿り着くことを使命としています。
すべての人は、目的地へと到達し、人生の目的を果たさなければならないのです。
それは、人生の目的を果たすことが、生まれた目的であり、理由であるからです。
そのため、すべての人は停滞を苦しみと認識するのです。
すべての人は、目的地へと歩むことを求めています。
すべての人は、停滞を嫌うのです。
問題は、状況を停滞させます。
そのため、人は問題を解決しようとするのです。
しかしながら、問題を解決することは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、問題を解決するためには、答えが必要だからです。
問題とは、鍵の掛かった扉のようなものなのです。
人は、問題に阻(はば)まれて、目的地へと歩みを進めることが出来ないのです。
大切なのは、問題を解決する答えを得ることです。
問題を解決しなければ、あなたは目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
しかしながら、答えは簡単には見付かりません。
答えを得るためには、必要な経験を経(へ)なければならないからです。
必要な経験を経ずに、答えを得ることは出来ないのです。
必要な経験を経ることは、容易ではありません。
なぜなら、何が必要な経験か?誰にも分からないからです。
それが、必要な経験だったと理解するのは、問題を乗り越えた後のことなのです。
問題を乗り越えている最中には、それが必要な経験だとは分からないのです。
あなたは、多くの経験の中から、必要な経験を集めなければなりません。
残念ながら、問題を解決するための”鍵”は、多くの経験を集めて得られる少量の希少(きしょう)な経験値なのです。
一つの経験によって、一つの問題が解決する訳ではありません。
それは、海水から塩を取り出すのと同じことなのです。
大量の海水でも、取り出せる塩の量は少しです。
様々な経験を経ても、問題を解決するために必要な経験値は、簡単には得られないのです。
しかしながら、海水も、煮込み続けていれば、最終的に塩を取り出すことが出来ます。
塩は、終盤になって初めて、姿を現わすのです。
問題を解決するための経験値は、多くの経験を経て、苦しみが限界に達した時にこそ得られるのです。
どのような問題の答えも、簡単には見付かりません。
あなたは、簡単に答えが見付かるなどと考えてはなりません。
誰かや何かに頼ることで、簡単に問題が解決するなどと考えてはならないのです。
これは、あなたの人生です。
あなたが必要な経験値を得るまでは、問題を解決することは出来ないのです。
必要な成長を実現しなければならないのです。
あなたが成長を実現するまで、問題は解決しません。
問題を解決するためには、あなたが変わらなければならないのです。
誰かや何かが変わることでは、問題は解決しないということを理解しなければなりません。
あなたの人生の問題は、自分で解決するしかありません。
誰も、あなたの人生に介入(かいにゅう)することは出来ないのです。
あなたは、経験を経ましょう。
答えは直ぐには見付かりません。
それが自然です。
安易に答えを求めてはなりません。
インスタントな答えには、問題を解決する力はありません。
あなたには、何が必要な経験なのか分かりません。
しかしながら、必要な経験値を得れば、問題は解決するのです。
答えは直ぐには見付かりません。
辛抱強く、経験を重ねましょう。

2019年7月24日水曜日

最も大きな喜び

すべての人は、役割を与えられています。
すべての人は、役割を果たさなければならないのです。
役割は、この世界に必要であるために与えられたのです。
あなたは、役割を果たし、必要を実現しなければならないのです。
あなたは、この世界にとって必要な存在です。
この世界には、不要な存在などないのです。
すべての存在が、必要であるために実現するのです。
あなたがこの世界に実現したのは、あなたが必要であったからです。
それは、あなたの果たす役割が必要であるということなのです。
あなたは、役割を果たすことによって、世界に必要を実現することが出来るのです。
あなたは、自分に与えられた役割を果たさなければなりません。
人は、それぞれに異なる役割を与えられています。
あなたに与えられた役割と、他者に与えられた役割は異なるのです。
しかしながら、多くの人は、自分の役割と他者の役割を混同して考えてしまいます。
そのため、一つの役割を奪い合うようになってしまうのです。
一つの役割を奪い合うことは不毛です。
そこには、何の成果も導かれないのです。
人は、それぞれの役割を果たすことによって、必要という成果を実現することが出来るのです。
あなたは、自分の役割を果たさなければなりません。
他者の役割が良く見えたとしても、あなたには、果たさなければならない別の役割が与えられているのです。
他者と異なるのは仕方のないことです。
それは、与えられた役割が異なるからです。
人は、役割によって、性格や能力などの個性が与えられているのです。
人は、その役割を果たすに相応しい個性によって生まれるのです。
そのため、他者と異なることは仕方ないのです。
あなたが、自分であるのは仕方のないことなのです。
他者と自分を比較しても、答えは見付かりません。
他者と比較する程に、答えからは遠ざかってしまうのです。
あなたは、自分の役割を以(もっ)て生まれました。
それは、あなたが自分という存在であるということを意味しているのです。
あなたは自分であり、他の誰でもありません。
あなたがどれだけ努力しても、自分以外には成れません。
あなたは、他者には成れないのです。
あなたは自分です。
どのような努力も、自分に成るためのものであると理解しなければなりません。
人生において、最も大きな喜びは、自分の役割を果たすことです。
自分の役割を果たすことで得られる喜びに比べれば、それ以外の喜びは粗末(そまつ)な作りをしています。
多くの人は、他者のように成れば、大きな喜びが得られるのではないか?と考えています。
しかしながら、自分の役割を果たすこと以上の喜びなど、世界中のどこを探しても見付かりはしないのです。
なぜなら、他者の立場や役割というものは、あなたが考える程良いものではないからです。
あなたは、自分に与えられた役割を果たすために生まれたのです。
そのことを忘れてはなりません。
それは、鳥が海を行き、魚が空を行くようなものなのです。
初めは良いように思えても、後にその考えが過ちであったということに気が付くのです。
人は、自分の役割を果たすための個性を以て生まれたのです。
自分の役割以上に相応しいものは存在しません。
あなたは、自分を生きなければなりません。
他者が良く見えたとしても、良く見えているだけです。
思考に騙(だま)されてはなりません。
あなたは、自分を追求しましょう。
そうすれば、自分で良かったと、心からそう思える時が必ずやって来るのです。
他者と異なることは仕方のないことです。
あなたが自分であることは、仕方のないことなのです。
他者を生きることを諦めましょう。
自分であることを受け入れましょう。

2019年7月23日火曜日

生き辛さ

すべての人は幻想を生きています。
すべての人は、幻想を生きなければならないのです。
それは、すべての人が未熟に生まれるからです。
それは仕方のないことなのです。
すべての人は、何も知りません。
すべての人は、無知を生きなければなりません。
この世界においては、誰一人として、無知を離れることは出来ません。
どれだけ知ったつもりでいても、すべての人は知らないのです。
どのような知識も、決して無知を満たしたりはしないのです。
無知は、幻想を作り出します。
幻想は、無知によって作り出される偏見(へんけん)と誤解です。
すべての人は、偏見と誤解を生きているということなのです。
しかしながら、多くの人は、そのことに気が付きません。
多くの人は、真実を生きていると思い込んでいるのです。
残念ながら、誰一人として、真実を生きてはいません。
すべての人は、偏見と誤解という幻想を生きているのです。
それは、あなたの未熟さが作り上げた幻想なのです。
あなたは、自分の未熟さを体験しているのです。
多くの人は、自分の未熟さを世界だと思い込んでいます。
しかしながら、自分の未熟さは世界ではありません。
世界は、そのように小さなものではないのです。
真(まこと)の世界は、あなたの考えが及(およ)ばない程の大きなものなのです。
無知を抱えたままでは、真の世界を見極めることは出来ません。
しかしながら、どれだけ努力をしても、無知を離れることは出来ないのです。
そのため、あなたは真の世界を見極めることは出来ません。
残念ながら、それは仕方のないことです。
しかしながら、あなたは幻想に抵抗しなければなりません。
幻想を受け入れてはならないのです。
多くの人は、幻想に屈(くっ)します。
なぜなら、それが楽だからです。
幻想に従って生きることは、生き易(やす)いのです。
この世界は、幻想によって築き上げられています。
多くの人にとって、幻想は真実であり、現実なのです。
そのため、幻想に従って生きれば、生活は容易(たやす)いのです。
しかしながら、あなたは、生活のために生まれたのではありません。
あなたには、生活よりも崇高(すうこう)な目的があるのです。
あなたは、それを果たすために生まれたのです。
真の目的は、真の中に存在します。
幻想の中に探しても、決して見付かりはしません。
多くの人は、幻想の中に目的を探します。
そのため、生き易い生き方を追い求めるのです。
残念ながら、生き易い生き方に真は存在しません。
長いものに巻かれても、真の目的を果たすことは出来ないのです。
この世界は、無知が作り出した幻想です。
それは、汚れ、歪んでいるのです。
あなたは、汚れや歪みの世界を生き易い人に成ってはなりません。
あなたの心が美しくある時、生き辛(づら)いのが自然です。
あなたが生き辛さを感じる時、本質と共に生きているということを理解しなければなりません。
本質とは、真のことです。
あなたは真と共に生きましょう。
心が美しくあることが、何よりも大切なことです。
心を美しく保とうとすれば、ここは、生き辛い世界になってしまいます。
あなたは決断しなければなりません。
心を美しく保ち、人生の真の目的を果たさなければならないのです。
生き辛いことを悩む必要はありません。
真の人生を生きれば、誰もが生き辛いものなのです。

2019年7月22日月曜日

夢中

これは、あなたの人生です。
あなたは、自分の人生を生きるために生まれたのです。
あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
あなた以外には、あなたの人生を生きることの出来る人はいません。
あなたは、自分の人生を生きなければならないのです。
あなたには、自分の人生を生きる責任があります。
これは、あなたが始めた人生なのです。
人生は、あなたの意志で始めたものなのです。
あなたは、自らの志(こころざし)によって人生を始めたのです。
人生が、あなたの意志に反して、勝手に始まっていたということはないのです。
あなたが始めなければ、人生は存在しません。
人生の原因は、あなたです。
自分という存在が存在するために、人生が存在するのです。
自分という存在が存在しなければ、人生は存在しないのです。
そのため、あなたは、自分の在り方の重要性を理解しなければならないのです。
自分の在り方が人生を左右します。
多くの人は、自分を嫌います。
多くの人は、人生に背を向けるのです。
これは、あなたの人生です。
人生は、あなたが思っている程、無駄なものではありません。
人生には、無意味な時間や状況は存在しないのです。
すべてが必要であり、不要は存在しないのです。
人生においては、必要が実現し、不要は実現しません。
不要に思える状況が実現するだけなのです。
人生における必要は、人それぞれに異なります。
あなたは、目の前の状況に対して、必要を選ばなければならないのです。
あなたにとっての必要が、他者に必要だとは限りません。
あなたにとっての不要が、他者に不要だとは限らないのです。
これは、あなたの人生です。
すべての人が、自分の人生を生きているのです。
残念ながら、多くの人は、自分と他者の人生を混同して考えるのです。
あなたは、自分にとっての必要と、他者にとっての必要を区別して考えなければならないのです。
そのため、あなたが他者を羨(うらや)む必要などありません。
また、同じように、他者を蔑(さげす)む必要などないのです。
自分と他者を比較することは容易(ようい)ではありません。
多くの人は、自分と他者を比較することによって、誤解を強めるのです。
あなたは、これが自分の人生であるということを理解しなければなりません。
自分の人生を生きることは、人生の目的を果たす唯一(ゆいいつ)の生き方なのです。
自分と他者を安易に比較することなく、夢中になって自分の人生を生きましょう。
大切なのは、我(われ)を忘れることなのです。
我とは、自我意識のことです。
自我意識とは、自らの弱さや歪みなどの誤解です。
多くの人は、誤解を生きているのが”普通”なのです。
多くの人は、人生を夢中に生きてはいません。
多くの人は、真(まこと)の人生を追い求めてはいないのです。
多くの人は、目の前の災難を逃れることを目的として人生を生きています。
多くの人は、目の前の災難を逃れることが出来ればそれで良いのです。
残念ながら、自分の人生を生きる時、災難を避けて通ることは出来ません。
なぜなら、自分の人生を生きる時には、我を忘れなければならないからです。
それは、自我意識を手放し、それを解決するということでもあるのです。
災難を逃れることは、自我意識を解決することではありません。
災難を受け入れ、それを乗り越えることこそが、自我意識を解決するということなのです。
目の前の災難とは、自我意識の結果です。
そのため、目の前に災難が導かれる時には、人は自我意識と向き合っているということなのです。
あなたは、夢中になれることを探しましょう。
そして、それを夢中になって行いましょう。
あなたが夢中に生きている時、自我意識を忘れています。
その時、あなたは自我意識の支配を受けないのです。
他者という存在も自我意識の現れです。
自我意識が、他者との比較を始めるのです。
あなたは、夢中に生きなければなりません。
夢中になれるものを探しましょう。
夢中になれるものによって、あなたは、人生を完成させるでしょう。

2019年7月20日土曜日

嘘吐き

すべての人生には、果たさなければならない目的が存在しています。
人は、誰もが人生に目的を与えられ、それを果たさなければなりません。
残念ながら、多くの人は、人生に目的が存在することを忘れています。
多くの人は、人生の目的を見失い、空しく生きているのです。
空しく生きるとは、人生の目的を見失ったままで生きる状態のことです。
残念ながら、多くの人は、空しく生きているのです。
何かしらの目的に向かって懸命に努力し、充実した日々を生きている人も、いつかは空しさに辿り着きます。
なぜなら、多くの人が果たそうとしている目的は、人生の目的ではないからです。
多くの人は、空しさから逃れるために、何かしらの目的を設定したり、誰かや何かからの命令に従います。
何かしらの目的を設定し、誰かや何かからの命令に従うことによって、空しさを紛らわすことが出来るのです。
多くの人は、空しさに追い付かれることを恐れています。
多くの人は、人生の空しさに気が付きたくないのです。
残念ながら、多くの人は空しさを生きなければなりません。
それは、人生の目的を見失っているからです。
あなたは、人生の目的を理解していますか?
あなたは、自分が何のために生きているのか?を知っていますか?
多くの人は、この問いに答えることが出来ません。
人生の目的を理解しないために、偽りによって空しさから逃れようとしているのです。
多くの人は、苦しむことを恐れます。
人生が、乏しいことを恐れるのです。
そのため、偽りを積み重ねることによって、空しさが見えないようにするのです。
しかしながら、偽りを積み重ねることは、真(まこと)の目的を更に見失わせてしまうということを理解しなければなりません。
多くの人は、偽りによって真を見失うのです。
しかしながら、そのことを理解しません。
多くの人は、偽りを積み重ねることによって、いつしか偽りを真だと思い込んでしまうのです。
そのため、多くの人は、空しさから逃れるための人生だと思い込んでしまうのです。
多くの人は、恐怖心に従って生きることを当たり前だと思い込んでしまうのです。
恐怖心は、容易(ようい)に偽りを選択します。
恐怖に支配されている心は、簡単に嘘を吐(つ)くのです。
多くの人は、簡単に嘘を吐きます。
嘘を吐くことによって、空しさから逃れようとするのです。
誠実に生きれば、損をするように思えます。
確かに、物質的な観点だけを見れば、損をしてしまうでしょう。
人の世では、不正を働く者が物質を専有(せんゆう)することが出来るからです。
物質は、全体のものです。
どのような物も、皆で共有する財産なのです。
それが真であり、自然です。
しかしながら、多くの人は、偽りによって共有である物質を専有し、不自然を築き上げるのです。
多く所有する者は、一時的に空しさから逃れることが出来ます。
それは、快楽や欲望を満たすことによって、細(ささ)やかな喜びや優越(ゆうえつ)を得ることが出来るからです。
しかしながら、それは、潮が引くように、すぐに消え去ってしまうのです。
多く持っている者は、空しさを否定する分だけ、人生の目的を見出すことに遅れます。
少なく持っている者は、空しさと向き合うことが出来る分だけ、人生の目的を見出すことが早いでしょう。
あなたは、無理をして、偽りを生きてはなりません。
他者がそうしているように、無理に何かしらの目的を設定したり、誰かや何かの命令に従って生きる必要はないのです。
あなたが、空しさを感じる道は、進むべき道ではないのです。
自分に嘘を吐いたり、偽りを積み重ねたとしても、人生の目的を果たすことは出来ません。
嘘吐きが、人生の目的を果たすことなど出来ないのです。
嘘吐きは、歪んで汚れます。
残念ながら、多くの人は嘘吐きです。
偽りを積み重ねています。
そのため、多くの人は歪んで汚れているのです。
多くの人は、長く生きる程に歪んで汚れます。
多くの人の人生は、次第に空しさを増すのです。
あなたは、空しさに気が付いているはずです。
その道(方法)をいつまでも続けていてはなりません。
あなたは、道(方法)を改めなければなりません。
偽りから真へと、改めなければなりません。
嘘吐きに成ってはなりません。
空しい道を歩んではなりません。

2019年7月19日金曜日

見えない取引

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人は、人生の目的が存在することすら忘れているからです。
残念ながら、多くの人は、人生に目的が存在することを知りません。
多くの人の考えている後天的な目的は、人生の目的ではありません。
多くの人の抱く将来に実現したい夢や目標は、人生の目的ではないのです。
そのような目的は、人生の目的としては余りにも貧弱なのです。
人生の目的は、より単純で、より本質的であるということを知らなければならないのです。
後天的な目的のように複雑で、末梢的(まっしょうてき)で表面的なものではないのです。
人生の目的は、あなたが生まれる前に決めたものです。
それは、肉体を通じて決められた目的ではないのです。
そのため、肉体を通じて導かれる快楽や欲望が人生の目的であるはずがないのです。
しかしながら、多くの人は、肉体を通じて導かれる快楽や欲望を人生の目的であると思い込んでいます。
肉体(心)を満たせば、人生が満たされると思い込んでいるのです。
残念ながら、肉体(心)を満たすことは出来ません。
例えば、食欲に従って多くの食物を摂(と)ることは、肉体を満たしません。
食欲に従って食物を摂り過ぎれば、胸と腹が痛むのです。
そして、やがて肉体が病むということも理解しなければなりません。
例えば、肉体(心)眠りを欲していたとしても、長く眠っていれば、頭と腰を痛めます。
そして、やがて肉体は病むのです。
それは、燃え盛る情欲にも同じことが言えるのです。
傲慢(ごうまん)や怠惰(たいだ)、名声や財産に対する快楽や欲望も同じなのです。
肉体を通じて導かれる目的に従っていれば、あなたはやがて苦しみへと辿り着いてしまうのです。
肉体を通じて導かれる目的を果たそうとすることは、人生に苦しみを実現してしまうということだと理解しなければなりません。
大切なのは、あなたが肉体を得る前に決めた目的を果たすことです。
あなたは、肉体を超えた欲求に従って進まなければならないのです。
肉体は、汚れています。
それは、濁水(だくすい)のように、陽の光を歪めてしまうのです。
そのため、多くの人は、歪んだ考えに従っています。
例えば、多くの人は、損得勘定(そんとくかんじょう)に動かされているのです。
多くの人は、(歪んだ)自分(肉体)にとっての得を手に入れようと必死です。
得を手に入れることによって、満たされると思い込んでいるのです。
先述(せんじゅつ)したように、肉体(心)を満たそうとすれば、苦しみに辿り着くのです。
自分にとっての得だけを考えているのであれば、人は、苦しみを得なければならないのです。
多くの人は、損を嫌います。
自分が少しでも損をすることや、少しでも不利な立場に立たされることを恐れているのです。
それは、幸福の基準が肉体(心)であるからです。
多くの人は、肉体(心)という歪みを中心に価値を決めているのです。
損得勘定に従って生きることは、人生を幸福にはしません。
なぜなら、損得勘定というものが、肉体(心)を基準とした歪んだ解釈(かいしゃく)に過ぎないからです。
人生は、必ず調整されます。
得を得ようとしても、得は得られません。
損を得ようとしても、損を得ることは出来ないのです。
なぜなら、この世界には、因果の仕組みと、陰陽の仕組みが存在しているからです。
あなたは、この世界には”取引”が存在しているということを理解しなければなりません。
あなたは、何をするにしても、取引をしているのです。
原因は、それに相応しい結果を導きます。
あなたの選択に相応しい状況が与えられるのです。
商品を取って、代価を支払わない訳にはいきません。
何かを得れば、何かを損なわなければならないのです。
あなたは、得だけを取ることは出来ません。
もちろん、損だけを取ることも出来ないのです。
判断を焦ってはなりません。
人生は長い目で見ましょう。
損得勘定によって、目の前の小さな取引に動揺(どうよう)してはなりません。
損得勘定に従わずに、あなたは誰かや何かに親切にしなければなりません。
損をしたと思い込んではなりません。
人生は、常に最善を導くのです。
あなたが誰かや何かに良いものを与えておいて、最善を受け取れないということなどないのです。
得をする者は損をします。
損をする者は得をするのです。
その時に、肉体(心)を基準に価値を判断してはなりません。
物質的に見れば、損をしたように思えるかも知れません。
しかしながら、物質的なものよりも、良いものを与えられるのです。
心配は必要ありません。
例えば、金銭などの物質によって得られるものは末梢的なものだけです。
本質的である真(まこと)の価値は、金銭などの物質をどれだけ積んでも得ることが出来ないのです。
目の前の小さな取引に執着してはなりません。
見えない取引のことを考慮(こうりょ)しなければなりません。

2019年7月18日木曜日

辛抱

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たすために生きているのです。
あなたには、果たさなければならない目的があります。
あなたは、様々な経験を通じて、人生の目的を果たさなければならないのです。
あなたは、人生には果たすべき目的が存在するということを覚えておきましょう。
しかしながら、すべての人は人生の目的を忘れています。
果たさなければならない目的であるにもかかわらず、それを忘れてしまうのです。
あなたは、人生の目的を思い出さなければなりません。
様々な経験を経ることによって、あなたは、少しずつ人生の目的を思い出すことが出来るのです。
人生とは、目的を果たすための旅路です。
あなたは、目的地へと辿り着かなければならないのです。
しかしながら、人生の目的を忘れているために、容易(ようい)には目的地へと辿り着くことは出来ません。
あなたは、目的を探りながら歩まなければならないのです。
その歩みは辛抱(しんぼう)なものです。
あなたは、辛抱強く歩まなければなりません。
思うような結果が得られなくても、歩み続けなければならないのです。
残念ながら、人生は思い通りにはなりません。
あなたの行為には、即効性(そっこうせい)は無いのです。
どのような行為の結果も、後になって現れるのが自然なのです。
種を蒔(ま)いても、直ぐに芽は出ません。
発芽するまでは、しばらく待たなければなりません。
発芽すれば、成長を待たなければなりません。
枝が分かれるのを待ち、花が咲くのを待たなければなりません。
花が咲いたのであれば、実りを待たなければならないのです。
収穫までには、長い年月が必要です。
種を蒔いてから収穫までには、しばらく待たなければならないのです。
それが、自然なのです。
どのような行為も、それが必要な結果として現れるためには、しばらく待たなければなりません。
結果を焦る者には、自然を得ることが出来ません。
自然を得ることが出来なければ、不自然を得なければならないのです。
不自然とは、人生の目的とは異なる目的です。
残念ながら、多くの人は、人生の目的とは異なる目的のために生きています。
そのため、苦しみや空しさを得てしまうのです。
多くの人にとって、人生とは苦しみであり、空しさなのです。
多くの人は、人生の目的を無視して生きているのです。
焦ってはなりません。
人生が思い通りにならなくても、人生を信用しなければなりません。
人生は、あなたが人生の目的を果たすことが出来るように調整しているのです。
残念ながら、あなたには、人生の目的が分かりません。
人生の目的を知っているのは、人生だけなのです。
あなたの目的を知っている人生を信用することが出来なければ、あなたが人生の目的を果たすことなど出来るはずがないのです。
あなたは、人生を信用しなければなりません。
人生は、上手く進んでいるのです。
しかしながら、結果が出るまでに時間が掛かるため、人生が上手く進んでいることを信用することが出来ないのです。
あなたが人生を信用することが出来ないのも無理はありません。
なぜなら、あなたは未熟であるからです。
未熟者には、理解が及(およ)ばないのです。
ただ、それだけのことです。
あなたが、どのように考えようとも、人生は上手く進んでいます。
あなたには、理解することが出来ないだけなのです。
人生においては、行為は直ぐに結果を導きません。
それに、導かれた結果は思い通りのものではないでしょう。
しかし、それは最善です。
結果は直ぐには導かれません。
信用が無ければ、必要を受け取ることは出来ないのです。
あなたは、人生を信用しなければなりません。
あなたには、最善を理解することが出来ません。
不運に思えることも、必要によって実現しているのです。
苦しみや空しさを得なければ、気が付くことが出来ないこともあるのです。
人生は、必要を導きます。
人生を信用しましょう。
人生が、あなたを苦しめることはありません。
焦ることなく待ちましょう。
焦ることなく、何事も経験しましょう。
そうすれば、必要を得ることが出来るのです。

2019年7月17日水曜日

現在

人生には、必要が導かれます。
人生には、常に最善が実現するのです。
あなたは、いつも必要を受け取ることが出来ます。
それは、人生の目的を果たすための必要なのです。
すべての人生には、目的が存在しています。
目的が存在するために、人生が存在しているのです。
この世界には、目的のない人生は存在しません。
すべての人は、目的を果たさなければならないのです。
大切なのは、必要を受け入れることです。
あなたは、最善を理解しなければならないのです。
すべてが必要であり、最善であるということを理解すれば、人生を信用することが出来るのです。
人生を信用することが出来なければ、必要を受け入れることは出来ません。
必要を受け入れることが出来なければ、最善が実現することはないのです。
残念ながら、多くの人は、必要を否定し、最善を妨げます。
人生に必要が導かれ、最善が実現しようとしても、それを邪魔するのです。
必要を否定するのであれば、不要を得なければなりません。
最善を妨げるのであれば、最悪が実現するのです。
多くの人は、苦しみを生きています。
すべての人生には問題が生じ、決して思い通りにはなりません。
しかしながら、同じ問題が導かれようとも、それを苦しみに変換しない人もいるのです。
問題を喜びへと変換する人もいるのです。
問題を苦しみにする人と、問題を喜びにする人には、人生に対する対応に大きな違いがあるのです。
問題を苦しみにする人は、人生を信用しません。
どうしても、人生を自分の思い通りにしようとして、傲慢(ごうまん)に生きようとするのです。
それは、必要を否定し、最善を妨げる生き方なのです。
問題を喜びにする人は、人生を信用します。
思い通りにならない人生を受け入れ、そこから学ぼうと努めるのです。
それは、必要を受け入れ、最善を実現する生き方なのです。
誰にとっても、人生は思い通りにはなりません。
大切なのは、どうして人生が思い通りにならないのか?を考えることです。
それは、あなたが未熟であるからです。
間違っているのは、人生ではありません。
誰かや何かが間違っているのではないのです。
間違っているのは、未熟である自分自身です。
自分以外は、必要と最善なのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
多くの人は、過去に不満や嘆(なげ)き、栄光や誤解を以(もっ)て生きています。
そして、未来に不安や絶望、期待や願望を以て生きているのです。
多くの人は、過去や未来が存在すると思い込んでいます。
しかしながら、どこを探しても、過去や未来というものは存在しないのです。
人生において、存在しているのは、現在という今だけなのです。
過去も未来も、現在という今に同時に存在しているのです。
そのため、過去に不満や嘆き、栄光や誤解を以て生きることは間違っています。
未来に対して、不安や絶望、そして、期待や願望を以て生きることも間違っているのです。
過去や未来に対して、思いを馳(は)せる必要はないのです。
過去と未来は、現在に同時に存在しています。
そのため、過去や未来は、現在と同じなのです。
残念ながら、多くの人は、過去と現在と未来を分けて考えます。
そのため、苦しまなければならないのです。
大切なのは、過去も未来も現在に存在しているということです。
あなたは、過去や未来に生きることは出来ません。
しかしながら、あなたは現在を生きることが出来るのです。
あなたは、現在から過去や未来を変えることが出来るのです。
同時に存在しているのだから、それが可能なのです。
過去や未来は、現在の生き方によって大きく左右されます。
人生を信用し、必要と最善を受け入れているのであれば、過去は糧(かて)となり、未来は可能性に満ち溢れるのです。
あなたは、過去や未来に無い物ねだりをしなくても良いのです。
現在の必要と最善を数えましょう。
そして、感謝しましょう。
人生を信用することが重要です。
残念ながら、多くの人は人生を信用してはいません。
人生よりも、未熟である自分を信用しているのです。
信用する相手を間違えてはなりません。
人生を信用するのです。
あなたの人生の目的は、人生のみが知っているのです。

2019年7月16日火曜日

繰り返し

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を果たさなければならないのです。
人生は、ただ生き延びるための退屈な時間ではありません。
あなたは、何のために生まれたのか?を考えなければならないのです。
無駄に始まる人生は存在しません。
無意味に生まれる人はいません。
この世界には、無価値なものは存在しないのです。
すべてに意味があり、価値があるということを理解しなければなりません。
しかしながら、多くの人は、意味と価値に気が付きません。
残念ながら、多くの人は、空しく生きているのです。
多くの人は、不満や心配を生きています。
それは、目の前に存在する状況の意味や価値を見失っている状態です。
目の前に存在する状況の意味や価値を理解しているのであれば、そこには感謝や喜びが生じるはずなのです。
不満や心配を生きているのであれば、人生を信用してはいないということです。
それでは、人生は空しいのです。
残念ながら、すべての人が人生の目的を見失っています。
すべての人が、果たすべき目的を忘れているのです。
あなたが果たすべき目的は、人生が覚えています。
人生は、あなたが目的を果たすことが出来るように導こうとしているのです。
そのため、あなたが人生の目的を果たすためには、人生を信用しなければならないのです。
人生は、あなたが人生の目的を果たすための最善の状況を導きます。
人生の目的を果たすためには、それに必要な過程を経なければなりません。
必要な過程を経ることなく、人生の目的を果たすことなど出来ないのです。
あなたは、目の前の状況を経験することによって、人生の目的を果たすために必要な過程を経ようとしているのです。
そのことを理解しなければなりません。
残念ながら、多くの人は、そのことに気が付きません。
多くの人は、目の前に導かれる状況に対して、不満や心配を抱くのです。
人生が、あなたを苦しめることはありません。
苦しみが導かれるというのであれば、それは、あなたが勝手に苦しんでいるということなのです。
苦しみとは、一つの認識に過ぎません。
思考が苦しみという状態に偏(かたよ)る時、苦しいという感情が生じるのです。
思考を偏らせる権限は、あなたに与えられています。
あなたは、自分の意思で思考を操ることが出来るのです。
苦しんでいる人は、自分の意思によって、思考が苦しみに偏るように操ったのです。
それは、人生への反抗です。
人生は、あなたが目的を果たすために必要な過程を経るように助力しています。
人生の導きに従えば、人は感謝と喜びに辿り着くことが出来るのです。
しかしながら、人生に反抗している者は、苦しみに辿り着かなければならないのです。
大切なのは、人生の導きに気が付くことです。
人生は、あなたを最善へと導こうとしているのです。
残念ながら、多くの人は、そのことに気が付きません。
多くの人は、その先に最善が存在することを知らないのです。
目的を果たすために必要な過程を経なければ、もう一度、目的を果たすために必要な過程を経なければなりません。
あなたが目的を果たすための必要な過程を経るまで、人生は何度も同じ状況を導くのです。
人生の決定を否定することは出来ません。
残念ながら、人生は思い通りにはならないのです。
人生は、あなたの思い通りにはなりません。
それは、最善を知っているのは人生だけだからです。
あなたは、必要を得るまで繰り返さなければなりません。
あなたは、必要に気が付かなければならないのです。
必要に気が付くまでは、人生に展開はありません。
あなたは、同じことを繰り返し学ばなければならないのです。
すべては、人生の目的を果たすためです。
繰り返しを嫌ってはなりません。
繰り返さなければ、あなたは先へ進むことが出来ません。
繰り返さなければ、あなたは気が付かないのです。
必要に気が付くまで、辛抱(しんぼう)して繰り返しましょう。

2019年7月15日月曜日

気楽に歩む

すべての人生には、果たさなければならない目的が存在しています。
あなたには、あなたの目的が存在しているのです。
すべての人が、自分が果たすべき目的を以(もっ)て生まれるのです。
人生において、目的もなく生まれる人はいません。
どのような人物にも、果たすべき目的が与えられているということを理解しなければならないのです。
大切なのは、目的を果たすことです。
それは、あなたは目的を果たすために生まれたからです。
あなたは、目的を果たさなければなりません。
しかしながら、目的を果たすことを焦る必要はありません。
あなたは、人生を終える時までに、目的を果たせば良いのです。
人生は、長い旅路です。
あなたは、生涯を通じて目的を果たせば良いのです。
多くの人は、目的を果たそうと懸命です。
それは、決して悪いことではありません。
目的意識を持たず、怠惰(たいだ)に生きるよりは、目的を果たそうと懸命に生きる方が良いのです。
しかしながら、懸命に生きることによって、人生の目的を果たせるとは限りません。
先述(せんじゅつ)したように、人生とは長い旅路なのです。
あなたは、遠くに存在する目的地へと辿り着く必要があります。
大切なのは、目的を果たすことです。
人生の目的を果たすためには、継続が必要なのです。
気紛(きまぐ)れな態度では、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
焦りを抱く者には、目的地に到着し、人生の目的を果たすことが出来ません。
それは、焦りが継続の妨げになってしまうからです。
大切なのは、どのような状況においても、歩みを継続することです。
あなたは、晴れの日も、雨の日も、目的地へと歩み続けなければなりません。
何があろうとも、目的地へと歩み続けられる者だけが、目的地へと辿り着くことが出来るのです。
気紛れに歩みを進めようとする者には、少しの困難によって、その歩みは妨げられてしまうのです。
大切なのは、力み過ぎないことです。
余計な力を抜いて臨(のぞ)まなければなりません。
気楽に歩むことが大切なのです。
多くの人は力んでいます。
多くの人は、自分の理想や願望を叶えるために息を荒くしているのです。
残念ながら、あなたの考えている目的地は、あなたが辿り着くべき目的地ではありません。
すべての人は、未熟に生まれます。
そのため、すべての人は、目的地を見誤るのです。
人生における目的は変わりません。
未熟であるあなたが目的地だと思っている場所は、目的地ではないのです。
そこへ辿り着けば、すぐに別の目的地が現れるのです。
あなたは、余計な力を抜かなければなりません。
人生を真剣に考える必要はありません。
もう少し気楽に考えても良いのです。
真剣に考える程に苦しみが増します。
人生を真剣に考える程に、乏(とぼ)しさが増すのです。
人生を軽んじてはなりませんが、重んじてもならないのです。
大切なのは、対応することです。
あなたは、次の目的地に対して柔軟に対応しなければならないのです。
目的地は変わります。
あなたは、目的地に合わせて、自分を変えなければならないのです。
気楽に歩まなければ、歩みを進めることは出来ません。
あなたが思っている目的地は、人生の目的地ではありません。
人生の目的地は、あなたには想像することも出来ない場所なのです。
あなたは、目の前の状況、問題や苦しみ、幸福や喜びに対して、真剣に考えてはなりません。
あなたは、目の前の状況を真(ま)に受けてはなりません。
俯瞰(ふかん)して、楽しみましょう。

2019年7月14日日曜日

愚行を許す

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
しかしながら、すべての人は、人生の目的を忘れてしまいます。
人は、自分が何のために生きているのか?を知らずに生きるのです。
すべての人の人生は、当ての無い旅です。
すべての人は、人生に目的を見失うのです。
目的を見失うことによって、偽りの人生を生きなければなりません。
残念ながら、すべての人は、偽りの人生を生きなければならないのです。
この世界において、真(まこと)の人生を生きている人はいません。
どのような人物も、偽りの人生を生きているのです。
それは、自分が何であり、人生の目的を知らないからです。
すべての人は、自分が何であり、人生の目的が何であるかを知らないのです。
すべての人が盲目的(もうもくてき)に生きています。
すべての人は、暗闇の中を生きなければならないのです。
すべての人は、愚(おろ)かに生きています。
しかし、そのことに気が付いてはいません。
すべての人は、愚かなのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
すべての人は、愚かであるが故に、愚行(ぐこう)を選択するのです。
すべての人が、失敗しなければなりません。
すべての人が、苦しまなければならないのです。
それは、目を覚ますためです。
人は、苦しみによって、自らの愚行に気が付くのです。
残念ながら、多くの人は、自分が愚かであることに気が付きません。
残念ながら、多くの人は、自らの愚行に気が付かないのです。
人は、誰もが自分の愚かさに気が付きません。
それは、仕方の無いことです。
なぜなら、人は、自分が何かを知らないのです。
自分が何かを知らずに生きることは危険です。
それは、毒を飲み込むようなものだからです。
毒を毒と認識している者は、毒を飲まずに済みます。
しかしながら、毒を毒と認識していない者は、毒を飲まなければならないのです。
すべての人は、自分が何かを知りません。
そのため、愚行を選択するのです。
残念ながら、それは、仕方のないことです。
あなたは、人の愚行を許(ゆる)しましょう。
すべての人は、自分が何であるか?を知らないのです。
そして、自分が何をしているのか?を知らないのです。
罪に対する罰を免れることは出来ませんが、あなたには、それを許すことは出来るのです。
あなたも、他者と同じです。
人は、同じように愚かであり、同じように愚行を働くのです。
愚行に執着(しゅうちゃく)するのは愚行です。
あなたは、自分自身や他者の愚行を許しましょう。
誰にとっても、人生は思い通りにはなりません。
人生を思い通りにしようとするのは愚行なのです。
あなたは、そのような思い上がりを手放さなければなりません。
人生は、思い通りにならないものなのです。
愚かであるあなたには、人生を思い通りにすることなど出来るはずがないのです。
人生は、思い通りにはならないということを認めましょう。
誰にとっても、人生は思い通りにはならないのです。
すべての人は、人生を良いものにしようと努めています。
あなたには、そのように見えないかも知れません。
しかしながら、すべての人が、現状のままではならないと、それぞれの水準(すいじゅん)で考えているのです。
自分や他者の愚行を許すことが出来なければ、可能性を摘み取ることになります。
なぜなら、人は、失敗による苦しみを経験することによって、自らの愚かさを改めることが出来るからです。
すべての人は失敗します。
そして、すべての人は苦しむのです。
愚行を許しましょう。
そうすれば、愚行は許されます。
そこには、新たな可能性が存在しているでしょう。

2019年7月13日土曜日

嘆き

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を果たすために生きているのです。
あなたは、目的を果たさなければなりません。
目的を果たすことが、生まれて来た目的なのです。
しかしながら、人生の目的を見出すことは容易(ようい)ではありません。
すべての人は、人生の目的を見失った状態から人生を始めなければならないのです。
そして、生きて行く過程で、偽りの目的を上書きしてしまいます。
多くの人は、偽りの目的のために生きているのが現状です。
偽りの目的を果たすことによって、満足を得ようと考えていますが、残念ながら、偽りの目的を果たすことによって得られるものは空しさだけなのです。
多くの人は、偽りを得て喜びます。
その喜びに偽りはありません。
人は、偽りに対して、本気で喜ぶのです。
しかしながら、偽りは偽りに過ぎません。
偽りが真(まこと)に成ることは有り得ないのです。
そのため、喜びは空しさに辿り着くのです。
あなたの喜びは、やがて空しさに辿り着きます。
残念ながら、それを避けることは出来ません。
あなたは、空しさへと辿り着くために、偽りの目的を果たそうと努めているのです。
大切なのは、真の目的のために生きることです。
真の目的を果たせば、満足を得ることが出来るからです。
あなたは、真の目的を果たすために生まれたのです。
そのことを理解しなければなりません。
しかしながら、人は、真の目的を知りません。
真の目的を知っているのは、人生だけなのです。
あなたは、人生に導かれなければ、真の目的を見出すことも、それを果たすことも出来ないのです。
残念ながら、多くの人は傲慢(ごうまん)を生きています。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいるのです。
残念ながら、それは誤解です。
あなたには、自分が何であるか?人生が何であるか?ということすら分からないのです。
自分が何であり、人生が何であるかを知らない者が、どうやって人生の目的を果たすことが出来るのでしょうか?
残念ながら、あなたは何も知りません。
あなたには、真を見極めることが出来ないのです。
あなたは誤解を生きています。
自分を正しいと思い込んではなりません。
あなたが信じるべきは、人生なのです。
人生以外を信じる必要はありません。
人生以外の何かを信じたとしても、あなたを満足させることはないでしょう。
人生だけが、あなたを満足させることが出来るのです。
人生は、決して思い通りにはなりません。
人生は、あなたの理想を無視し、あなたの期待を裏切るでしょう。
あなたは、思いも寄らず、何かを失います。
そして、思いも寄らず、何かを得るのです。
何を失っても、何を得ても、それが人生の導く必要であり最善です。
あなたは、それ以外を失うことが出来ず、それ以外を得ることが出来ません。
何を失っても、嘆(なげ)いてはなりません。
何を得ても、嘆いてはならないのです。
あなたが失うものは、あなたが失うべきものです。
あなたが得るものは、あなたが得るべきものなのです。
それがどのようなものであれ、人生は、あなたに必要を導くように調整しているのです。
あなたがそれを失い、それを得ることで、それ以上の重大な問題を回避することが出来たのです。
あなたには、目の前の小さな視野しか与えられていません。
残念ながら、あなたの見ている現実は、あなたにとっての現実であり、人生における現実ではないのです。
小さな世界を生きていれば、必要と最善を見失います。
多くの人には、導かれる必要と最善を理解することが出来ないのです。
人生に、嘆きは必要ありません。
あなたには、必要と最善が導かれます。
それ以外はありません。
人生を信じることが出来る者だけが、満足を得るでしょう。
人生を信じることが出来ない者は、不満を生きなければなりません。

2019年7月12日金曜日

不要は断たれる

人生には、果たさなければならない目的が存在します。
あなたは、ただ、生まれたのではありません。
どのような人物のどのような人生にも、果たさなければならない目的が存在するのです。
しかしながら、人は、果たさなければならない目的を見失っています。
人は、人生の目的を忘れるのです。
人は、自分が何のために生きているのか?を知りません。
取り敢(あ)えずの目的なら見出していますが、それが人生の目的であることはないのです。
そのため、多くの人の掲げる目的というものは、変化し続けているのです。
変化するということは、それが本質ではないということです。
大切なのは、本質を得ることです。
あなたは、本質的な目的を見出さなければならないのです。
本質的な目的とは、それ以上変化することのない目的のことです。
生涯を通じて追い求められる目的を見出す必要があるのです。
あなたには、本質的な目的が必要です。
なぜなら、あなたはそのために生まれたからです。
本質的な目的こそが、あなたが果たさなければならないものなのです。
しかしながら、多くの人が本質的な目的に辿り着くことは容易(ようい)なことではありません。
なぜなら、すべての人が未熟に生まれるからです。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
それは、人生の目的を果たすためです。
人が人生の目的を果たすためには、人生の目的に対する信念を強めなければならないのです。
人生の目的に対する信念を強めるためには、自力が必要です。
自力が育つまでは、失敗や惨(みじ)めさや後悔を繰り返さなければならないのです。
人は、失敗や惨めさや後悔を繰り返すことによって、自力を育むのです。
失敗や惨めさや後悔を繰り返さなければ、与えられたものに満足したり、無気力が育ってしまうのです。
それでは、本質的な目的を見出すことが出来ません。
取り敢えずの目的に満足するか、目的を探すこともなく、目の前の快楽や欲望や苦悩を貪(むさぼ)って生きるだけになってしまうのです。
多くの人は、自分が未熟であることを知りません。
多くの人は、どこかで自分が正しいと思い込んでいるのです。
愚(おろ)かである程に、人は、自分が正しいと思い込むのです。
多くの人は、理想が最善だと思い込んでいます。
そのため、多くの人が理想の実現に注力するのです。
多くの人の理想は、決して最善ではありません。
寧(むし)ろ、それは最悪です。
未熟者の理想が最善であるはずがありません。
あなたは、自分自身の未熟さに騙(だま)されてはなりません。
未熟者の理想など、実現しない方が良いのです。
未熟者の理想が実現するということは、多くの問題が実現するということだからです。
未熟者の理想は、人生の目的などではありません。
未熟者の理想は実現しません。
それは、実現しても価値が無いからです。
そのため、理想が実現することはありません。
人生においては、あなたにとって価値の無いことは実現しないのです。
人生において実現するのは、あなたにとっての最善です。
理想の道は必ず断たれますが、あなたはそれで良いということを理解しておきましょう。
理想の道が断たれた後に、必要な道が現れます。
理想という偽りが終わり、現実という真(まこと)が始まるのです。
理想とは、不要です。
現実とは、必要のことなのです。
人生の目的を果たすためには、不要を手放さなければなりません。
それは、不要を手放さなければ、必要を得ることが出来ないからです。
不要は、様々な形で手放します。
それは、健康という形であるかも知れません。
それは、絆(きずな)という形であるかも知れません。
それは、財産という形であるかも知れません。
あなたは、様々な形で不要を手放します。
しかしながら、あなたには、そのことを理解することが出来ません。
多くの人は、未熟であるが故(ゆえ)に、不要を必要と思い込んでいるからです。
あなたには、必要を理解することが出来ません。
なぜなら、あなたには、人生の目的を理解することが出来ないからです。
人生の目的を理解することが出来ないために、必要を理解することが出来ないのです。
あなたは、不要を手放すことに苦労します。
簡単には、手放すことが出来ません。
その覚悟をしておきましょう。
あなたは、不要を手放すために、失敗や惨めさや後悔を経験しなければなりません。
あなたは必ず、失敗や惨めさや後悔を経験します。
あなたは、何のためにそのような経験をするか?を考えましょう。
苦しむためではありません。
それは、あなたが必要を満たし、人生の目的を果たすためなのです。

2019年7月11日木曜日

思い掛けない人生

すべての人生には、果たさなければならない目的が存在しています。
すべての人生は、目的が存在することで実現したのです。
目的が存在しなければ、人生が存在することはありません。
目的のない人生など、存在しないのです。
どのような人物の、どのような人生にも、果たさなければならない目的が存在しています。
人生に目的を見出すことが出来ていない人の人生にも、果たさなければならない目的が存在するのです。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を見失っています。
多くの人は、人生の目的を見失ったまま生きているのです。
大切なのは、人生の目的を思い出すことです。
あなたは、人生に目的が存在するということを思い出さなければならないのです。
しかしながら、人生の目的を思い出すことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人生の目的は、人生を始める前に決めたものだからです。
多くの人は、生まれる時に、生まれる前の記憶を忘れてしまいます。
多くの人は、目的を見失った状態から、人生を始めなければならないのです。
そして、人生の目的を見出し、それを果たさなければならないのです。
人生を完成させることは、容易ではありません。
そのため、長い年月(としつき)を与えられているのです。
あなたは、長い年月を使って、人生の目的を見出し、それを果たさなければなりません。
人生は、目的もなく生きる場所ではないのです。
無気力に、空しく生きてはならないのです。
すべての人が、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
しかしながら、人生の目的は、それぞれに異なります。
誰一人として、同じ目的のために生まれる人はいないのです。
人は、それぞれに異なる目的を果たすために生きているのです。
あなたには、あなただけの目的が存在しています。
あなたは、自分の目的を果たさなければならないのです。
しかしながら、人生の目的は難解であるということを覚えておかなければならないでしょう。
人生の目的は、あなたにとっては難解なのです。
それは、あなたが未熟に生まれたからです。
あなたは、未熟に生まれます。
それは、無知を生きるということです。
未熟者の認識は歪(ゆが)んでいます。
認識が歪んでいるために、人生の目的を見出すことが出来ないのです。
未熟者にとって、人生の目的は難解です。
それは、思いも寄らないものなのです。
人生の目的は、あなたの想像を上回ります。
人生の目的は、あなたが考えているものとは、大きく異なっているのです。
人生は、訳の分からない状況に至(いた)ります。
人生は、あなたの理想とは異なるのです。
あなたは、理想が実現するなどと考えてはなりません。
人生に実現するのは、あなたにとっての必要だけなのです。
理想とは、未熟者の歪んだ認識に過ぎません。
理想とは、誤解なのです。
理想が実現したとしても、人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたが人生の目的を果たすためには、必要が実現しなければならないのです。
必要は、あなたの都合に影響されません。
あなたにとって都合が悪くても、それが必要であれば実現します。
あなたにとって都合が良くても、それが必要であれば実現しないのです。
それが、どのような状況であれ、実現するのであれば、あなたにとっての必要です。
人生は、あなたの理想通りにはなりません。
人生は、思いも寄らない状況へと辿り着くのです。
人生が思い掛け無いのは、あなたが未熟であるからです。
人生の目的を見失っているからこそ、必要に対して思い掛け無いのです。
今のあなたには、人生の必要を理解することが出来ません。
あなたは、長い年月を使って、人生の目的を思い出しましょう。
人生が思い掛け無い展開をしたとしても、それが必要であるということを知りましょう。
人生には、無駄は存在しません。
そのように見えるのは、あなたの認識が歪んでいるからです。
あなたには、人生の目的が分かりません。
分からない者が、人生を非難してはなりません。
謙虚(けんきょ)に学ばなければなりません。

2019年7月10日水曜日

恵み

すべての人は、豊かな人生を求めています。
豊かな人生を生きるためには、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人が、目的を以(もっ)て生まれます。
それは、目的が存在しなければ、人生は存在しないからです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
どのような結果にも、原因が存在しています。
原因は、それに相応しい結果を実現するのです。
人生という結果は、目的という原因によって実現するということを理解しなければならないのです。
人生のすべての時に、因果の仕組みが働いています。
あなたは、常に原因と結果の中を生きているのです。
人生の目的を果たすことがなければ、人生に豊かさを実現することは出来ません。
人生の質という結果は、自らの生き方という原因に左右されるのです。
人生に豊かさを実現するためには、人生の目的を果たそうとする生き方が必要です。
それは、人生の目的を果たさなければ、人生に豊かさは実現しないからです。
しかしながら、多くの人は、人生の目的を果たそうとは考えません。
多くの人は、目の前の問題と向き合うことに精一杯なのです。
多くの人は、目の前の問題を解決することに専念する余り、視野が狭くなってしまいます。
視野が狭くなれば、人生の目的という大きなものを見ることが出来なくなってしまうのです。
その結果、多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩を貪(むさぼ)るようになるのです。
人生の目的は、人生を始める前に決めたものです。
後天的な目的や目標が、人生の目的であるはずがないのです。
しかしながら、多くの人は、後天的な目的や目標を人生の目的だと考えています。
大切なのは、人生の目的というものが、あなたの頭や心では理解することが出来ないということを理解することです。
多くの人は、頭や心によって、人生の目的を考えるのです。
しかしながら、どのような考えも、人生の目的を捉えることは出来ません。
あなたの頭や心では、人生の目的を思い付くことはないのです。
そのため、あなたが頭や心で考えている目的や目標は、人生の目的には成り得ないということを理解する必要があるのです。
人生の目的は、あなたが考え付くような小さなものではありません。
人生の目的は、あなたの想像を凌駕(りょうが)した、壮大(そうだい)なものなのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
あなたの考える目的や目標は、人生の目的ではありません。
そして、あなたの考える悩みや苦しみは、人生の目的に対して障壁(しょうへき)となることはないのです。
寧(むし)ろ、あなたの考える悩みや苦しみは、あなたの人生の目的の助けとなります。
それは、あなたを人生の目的へと案内するかも知れませんし、障壁を乗り越える助けになるかも知れません。
残念ながら、すべての人が無知を生きています。
すべての人が、誤解を生きているのです。
人生の目的は、あなたには想像することも出来ません。
あなたの興味や生き方は、次の瞬間には大きく変わっているものなのです。
あなたは、一年後の自分を当てることが出来ますか?
一年後の興味や生き方を当てることが出来るでしょうか?
どのように無気力に生きている者も、一年後の自分を当てることは出来ません。
どのような人物も、後の自分を当てることは出来ないのです。
人生の目的は、人生を終えた後にしか分かりません。
人生の目的は、人生を離れた後で分かる仕組みなのです。
あなたが人生の目的を果たすための必要は、いつの時にも導かれています。
それは、人生から導かれるのです。
人生の目的は、人生が知っているのです。
人生以外の誰にも、人生の目的は分からないのです。
自分自身ですら知らないものを、どうして他者が知っているのでしょうか?
他者には、あなたの人生の目的が分からないのです。
そのため、”恵み”は人生からもたらされます。
それは、人からはもたらされないのです。
恵みとは、人生の目的を果たすための必要です。
人は必要によって、人生の目的を果たすのです。
しかしながら、多くの人は、恵みは人からもたらされると思い込んでいます。
残念ながら、人からもたらされるものは誤解です。
誤解を所有している人からは、誤解を得なければならないのです。
誤解を所有している人からは、人生の目的が与えられるはずがありません。
自分の人生の目的も分からないのです。
どうして、他者の人生の目的が分かるでしょう?
他者が、あなたを導いてくれることはありません。
これは、あなたの人生なのです。
人から恵みを得ようとしている者は、誤解を強めるでしょう。
人生から恵みを得ようとしている者は、人生の目的へと導かれるでしょう。
人生は、選択です。
人からの恵みは良く見えます。
人生からの恵みは悪く見えます。
しかしながら、あなたは誤解を抱えているということを忘れてはなりません。
あなたは、見極めなければなりません。
人生に豊かさを求めるのであれば、人生から与えられる恵みを大切にしましょう。