すべての人は、幻想を生きています。
すべての人は、幻想を現実だと思い込んで生きているのです。
残念ながら、この世界は幻想です。
この世界は、実存しているように思うかも知れませんが、すべてが幻想に過ぎないのです。
この世界には、実存は存在しません。
それは、この世界があなたの認識に過ぎないからです。
すべての人が、幻想を生きています。
それは、すべての人が未熟に生まれるからです。
未熟な者は、無知を生きなければなりません。
無知は、誤解を生み出すのです。
すべての人が未熟に生まれます。
それは、すべての人が誤解を生きているということなのです。
誤解とは、幻想です。
すべての人は、幻想を生きなければならないのです。
この世界において、幻想を離れることの出来る人はいません。
誰もが、幻想を生きなければならないのです。
幻想の中では、認識は歪みます。
幻想の中では、人は正しく認識することが出来ないのです。
これは、あなたの人生です。
この人生には、あなたしか存在してはいないのです。
この世界の実存とは、あなただけです。
あなた以外の誰かや何かは、あなたの作り出した幻想なのです。
実際には、この世界には、あなた以外の何も存在しません。
しかしながら、あなたにはそのようには思えないのです。
自分自身が実存するのと同じように、自分以外の誰かや何かも実存すると信じて疑わないのです。
残念ながら、この世界は幻想です。
なぜなら、あなたの認識によって、世界は形を大きく変えるからです。
"昨日の敵は今日の友"という言葉があります。
昨日までは争っていた相手と、今日は協力しているのが人間です。
それは、本来ならば、敵も仲間も存在しないということを示しています。
敵や仲間というのは、自分の認識が一方に偏っただけに過ぎません。
人は、偏見(へんけん)によって、他者を敵や仲間に仕立てているということなのです。
偏見は、都合に左右されます。
人は、自分にとっての都合でしか物事を考えることが出来ません。
人は、自分にとって都合の良い相手を仲間と呼び、自分にとって都合の悪い相手を敵と呼ぶのです。
ただ、それだけのことなのです。
人は、自分にとっての利害に支配されています。
人は、自分にとって都合の良いものを利益と考え、自分にとって都合の悪いものを損害と考えるのです。
残念ながら、あなたが考える利害も幻想に過ぎません。
残念ながら、あなたには、何が利益であり、何が損害であるかを判断することが出来ないのです。
なぜなら、あなたは幻想を生きているからです。
これは、あなたの人生です。
実存は、あなただけなのです。
あなた以外の存在は、あなたのために存在しているのです。
それが、どのようなものであれ、あなたのために存在しているということを理解しなければならないでしょう。
あなたの都合で考えてはなりません。
あなたの都合など、簡単に覆(くつがえ)って
しまうからです。
あなたには、敵と仲間の判断すら出来ないのです。
利益と損害の判断すら出来ないのです。
人生が何であり、自分が何であるかも分からないのです。
あなたには、何が何だか分からないのです。
そのような状態で、何かを分かった気になって、自分が正しいと思い込んでしまうのです。
残念ながら、あなたは何も知りません。
この世界は、目の前の快楽や欲望や苦悩を貪(むさぼ)る場所ではないのです。
敵と仲間に分けて、利害を争う場所ではないのです。
この世界は、あなたの考えているような世界ではありません。
あなたの考えは、根本的に間違っているということを理解しなければならないのです。
多くの人が陥(おちい)る幻想に陥ってはなりません。
自分以外の誰かや何かを実存と考えてはなりません。
この世界における自分以外の存在は、自分の認識の反映に過ぎないのです。
あなたは、自分以外の存在を通じて、自分自身を知り、学び、改善することが出来るのです。
自分以外の存在は、自分自身を知らせるための材料に過ぎません。
それは、形の無い幻想なのです。
人生においては、実存である自分自身を変えていくしかありません。
幻想である自分以外の誰かや何かを変えようとしても無駄なのです。
なぜなら、それは幻想だからです。
あなたは、自分を大切にしなければなりません。
幻想を大切にしたとしても、人生が好転することはありません。
どのような状況においても、あなたは自分を改めましょう。
自分を改めていく者だけが、自分以外の存在が幻想であることに気が付くでしょう。
人生に豊かさを求めるのであれば、幻想である誰かや何かを改めようとせず、実存である自分を改めましょう。
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