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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2019年7月19日金曜日

見えない取引

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人は、人生の目的が存在することすら忘れているからです。
残念ながら、多くの人は、人生に目的が存在することを知りません。
多くの人の考えている後天的な目的は、人生の目的ではありません。
多くの人の抱く将来に実現したい夢や目標は、人生の目的ではないのです。
そのような目的は、人生の目的としては余りにも貧弱なのです。
人生の目的は、より単純で、より本質的であるということを知らなければならないのです。
後天的な目的のように複雑で、末梢的(まっしょうてき)で表面的なものではないのです。
人生の目的は、あなたが生まれる前に決めたものです。
それは、肉体を通じて決められた目的ではないのです。
そのため、肉体を通じて導かれる快楽や欲望が人生の目的であるはずがないのです。
しかしながら、多くの人は、肉体を通じて導かれる快楽や欲望を人生の目的であると思い込んでいます。
肉体(心)を満たせば、人生が満たされると思い込んでいるのです。
残念ながら、肉体(心)を満たすことは出来ません。
例えば、食欲に従って多くの食物を摂(と)ることは、肉体を満たしません。
食欲に従って食物を摂り過ぎれば、胸と腹が痛むのです。
そして、やがて肉体が病むということも理解しなければなりません。
例えば、肉体(心)眠りを欲していたとしても、長く眠っていれば、頭と腰を痛めます。
そして、やがて肉体は病むのです。
それは、燃え盛る情欲にも同じことが言えるのです。
傲慢(ごうまん)や怠惰(たいだ)、名声や財産に対する快楽や欲望も同じなのです。
肉体を通じて導かれる目的に従っていれば、あなたはやがて苦しみへと辿り着いてしまうのです。
肉体を通じて導かれる目的を果たそうとすることは、人生に苦しみを実現してしまうということだと理解しなければなりません。
大切なのは、あなたが肉体を得る前に決めた目的を果たすことです。
あなたは、肉体を超えた欲求に従って進まなければならないのです。
肉体は、汚れています。
それは、濁水(だくすい)のように、陽の光を歪めてしまうのです。
そのため、多くの人は、歪んだ考えに従っています。
例えば、多くの人は、損得勘定(そんとくかんじょう)に動かされているのです。
多くの人は、(歪んだ)自分(肉体)にとっての得を手に入れようと必死です。
得を手に入れることによって、満たされると思い込んでいるのです。
先述(せんじゅつ)したように、肉体(心)を満たそうとすれば、苦しみに辿り着くのです。
自分にとっての得だけを考えているのであれば、人は、苦しみを得なければならないのです。
多くの人は、損を嫌います。
自分が少しでも損をすることや、少しでも不利な立場に立たされることを恐れているのです。
それは、幸福の基準が肉体(心)であるからです。
多くの人は、肉体(心)という歪みを中心に価値を決めているのです。
損得勘定に従って生きることは、人生を幸福にはしません。
なぜなら、損得勘定というものが、肉体(心)を基準とした歪んだ解釈(かいしゃく)に過ぎないからです。
人生は、必ず調整されます。
得を得ようとしても、得は得られません。
損を得ようとしても、損を得ることは出来ないのです。
なぜなら、この世界には、因果の仕組みと、陰陽の仕組みが存在しているからです。
あなたは、この世界には”取引”が存在しているということを理解しなければなりません。
あなたは、何をするにしても、取引をしているのです。
原因は、それに相応しい結果を導きます。
あなたの選択に相応しい状況が与えられるのです。
商品を取って、代価を支払わない訳にはいきません。
何かを得れば、何かを損なわなければならないのです。
あなたは、得だけを取ることは出来ません。
もちろん、損だけを取ることも出来ないのです。
判断を焦ってはなりません。
人生は長い目で見ましょう。
損得勘定によって、目の前の小さな取引に動揺(どうよう)してはなりません。
損得勘定に従わずに、あなたは誰かや何かに親切にしなければなりません。
損をしたと思い込んではなりません。
人生は、常に最善を導くのです。
あなたが誰かや何かに良いものを与えておいて、最善を受け取れないということなどないのです。
得をする者は損をします。
損をする者は得をするのです。
その時に、肉体(心)を基準に価値を判断してはなりません。
物質的に見れば、損をしたように思えるかも知れません。
しかしながら、物質的なものよりも、良いものを与えられるのです。
心配は必要ありません。
例えば、金銭などの物質によって得られるものは末梢的なものだけです。
本質的である真(まこと)の価値は、金銭などの物質をどれだけ積んでも得ることが出来ないのです。
目の前の小さな取引に執着してはなりません。
見えない取引のことを考慮(こうりょ)しなければなりません。

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