すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人が、未熟に生まれなければならないのです。
未熟を抱えずに生まれる人はいません。
すべての人が、未熟なのです。
未熟とは、無知のことです。
すべての人は、知らないのです。
あなたは、自分が何も知らないということを理解しましょう。
しかしながら、多くの人は、自分が何かを知っていると思い込んでいます。
中には、自分が正しいと思い込んでいる者までいるのです。
残念ながら、すべての人が間違っています。
誰一人として、正しい人は存在しないのです。
それは、すべての人が無知であり、未熟であるからです。
あなたは、自分を正当化してはなりません。
自分を美化してはならないのです。
未熟であり、無知である人は、それ故(ゆえ)に歪んでいます。
歪みを有する人は、世界を歪めて見ます。
すべての人は、世界を歪めて見ているのです。
しかしながら、そのことには気が付きません。
それは、すべての人が主観を生きているからなのです。
主観とは、誤解です。
すべての人が見ているのは、誤解なのです。
どのような認識も歪んでいます。
どのような認識も、間違っているのです。
多くの人は、誤解を正解だと思い込んでいます。
それは、とても愚(おろ)かなことなのです。
しかしながら、多くの人は、自分が愚かであることを知りません。
多くの人は、自分の愚かさを認めず、他者を愚かだと思い込むのです。
多くの人は、他者を愚かだと考えています。
多くの人は、他者が存在すると思い込んでいるのです。
残念ながら、それは、誤解です。
この世界には、あなた以外には存在しないのです。
これは、あなたの人生です。
存在しているように思える自分以外の存在は、自分自身の反映に過ぎません。
あなたは、人生において、自分自身を体験しているのです。
他者という存在は、あなたに自分自身を教えるための教材に過ぎないのです。
あなたは、自分以外の存在を通じて、自分自身を学びます。
自分以外の存在とは、客観なのです。
それは、あなたの中の客観なのです。
主観も客観も、あなたの中に存在している視点に過ぎません。
それは、他者も自分の中に存在しているということを意味しているのです。
自分以外の存在は、あなたの本性を暴きます。
あなたは、自分以外の存在によって、自らの本性と向き合わなければならないのです。
自らの本性とは、未熟さです。
それは、無知であり、歪みなのです。
それと向き合う時、あなたは苦しむでしょう。
誰にとっても、自分の本性は苦しみなのです。
人は、自分を正当化し、美化しています。
それは、自分の本性と向き合うことで苦しむことを恐れているからです。
誰もが、苦しみを嫌うのです。
そのため、自分以外の存在を悪者に仕立て上げることで、自分の本性と向き合うことを避けているのです。
この世界には、自分だけが存在しています。
自分以外には、誰もいません。
あなたは、自分自身が作り上げた幻想を生きているのです。
幻想を手放しましょう。
そうすれば、あなたは真実を生きることが出来るのです。
しかしながら、幻想を手放すことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、幻想を手放すことは苦しいからです。
幻想を手放す苦しみよりも、誰かや何かのせいにして、虚偽(きょぎ)を生きる方が楽なのです。
しかしながら、それでは、苦しみは消滅しません。
慢性的(まんせいてき)な苦しみは、積み重なっていきます。
積み重なって大きくなれば、潰されてしまうということを理解しましょう。
あなたは、自分以外に対する恨(うら)みを手放しましょう。
それは、あなたが幸福を得るためです。
恨みを手放さなければ、幸福を得ることは出来ないのです。
何事も、手放す時が最も苦しいのです。
しかしながら、手放した後には、それで良かったと思えるでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿