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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2019年11月30日土曜日

道具

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人には、果たさなければならない目的が存在するのです。
目的を果たすことが人生の意味です。
あなたは、目的を果たすために生まれたのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
目的を果たすために、すべての人には役割が与えられました。
人は、自らの役割を果たすことによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
自らの役割を果たさなければ、人生の目的を果たすことが出来ないのです。
人生の目的を果たすのは、それが人生を豊かなものにする唯一の方法だからです。
人生の目的を果たす以外の方法によって、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
大切なのは、目的を果たすことです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
人は、それぞれに異なる目的を果たさなければならないのです。
一人として、同じ人物がいないように、一つとして同じ目的は存在しません。
すべての人が、異なる目的のために生まれたのです。
あなたには、あなただけの目的が存在するということを覚えておきましょう。
あなたは、自分の人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、役割を果たさなければなりません。
あなたは、自らに与えられた役割を果たすことによって、結果的に人生の目的を果たすことが出来るのです。
自らに与えられた役割を果たすことがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないということを覚えておきましょう。
残念ながら、多くの人は、自らに与えられた役割を知りません。
多くの人は、自らに与えられた役割を知らずに生きているのです。
役割を無視して生きることは、人生に乏しさを導きます。
なぜなら、それでは人生の目的を果たすことが出来ないからです。
あなたが人生に豊かさを望むのであれば、自らに与えられた役割を探さなければなりません。
あなたには、あなただけの役割が与えられているのです。
そのことを覚えておきましょう。
役割とは、あなたに与えられた”仕事”です。
あなたには、仕事が与えられているのです。
それを果たさなければなりません。
すべての人が、仕事を与えられた道具のようなものです。
あなたには、与えられた能力が存在するのです。
それを十分に発揮し、仕事を果たさなければならないのです。
道具は、自分以外のために作られました。
道具は、貢献(こうけん)するために作られたのです。
例えば、雑巾(ぞうきん)は、自分自身を磨くことが出来ません。
雑巾は、自分以外を磨くために作られたのです。
包丁は、自分を切断することが出来ません。
櫛(くし)は、髪を整えるために作られたのです。
人は、世界のために作られました。
どのような人物であろうとも、世界に貢献するために作られたのです。
誰一人として、自分のためには生まれません。
この世界において、自分自身のために生まれることは出来ないのです。
しかしながら、多くの人は、自分のために生きようとしています。
自分の利益を追求する傲慢(ごうまん)な生き方をしているのです。
それでは、自らの役割を果たすことは出来ません。
役割を果たすことが出来なければ、人生の目的も果たすことが出来ないのです。
あなたは、自分が”道具”であることを悟りましょう。
あなたは決して、自分のために生まれたのではありません。
傲慢に生きてはならないのです。
”道具”は、仕(つか)えるために生み出されたのです。
人生に豊かさを求めているのであれば仕えましょう。
誰かや何かの役に立つのです。
利己的に生きる者には、必ず乏しさが導かれます。
目先の利益を優先して、人生に乏しさを実現してはなりません。
その場では損を得たとしても、最終的に人生が豊かであれば、それで良いのです。
あなたは、役割を果たさなければなりません。
損得を中心とするような、詰(つ)まらない生き方をしてはなりません。
あなたは、自分が何のために生まれたのか?と考えましょう。
あなたは、あなたの方法で、世界に貢献することが出来ます。
あなたがあなたであれば良いだけです。
ただ、それだけのことなのです。
あなたは”道具”です。
それも、唯一の道具なのです。
自分の価値を見誤ってはなりません。
自信を以て生きましょう。

2019年11月29日金曜日

美しい世界

すべての人には、果たさなければならない目的が存在しています。
すべての人は、目的を果たさなければなりません。
すべての人は、目的を果たすために生まれたのです。
そのことを覚えておかなければならないのです。
人生の目的を果たすためには、成長する必要があります。
成長とは、美しく成ることです。
美しさとは、洗練のことなのです。
不自然や余計を削ぎ落とし、本質的に成ることが成長なのです。
本質的であれば、人は人生の目的を果たすことが出来るのです。
本質的とは、必要を満たすということです。
不自然や余計は不要なのです。
必要とは、自然な状態のことなのです。
あなたは、美しく成長しなければなりません。
不自然や余計を積み重ねていくことが成長ではないことを理解しましょう。
すべての人には、果たさなければならない目的が存在しています。
目的を果たすためには、役割を果たす必要があるのです。
役割とは、それぞれの個性です。
役割は、個性という形で示唆(しさ)されているのです。
役割を果たすためには、個性を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、個性を果たす必要があるのです。
しかしながら、多くの人は個性を嫌います。
多くの人は、個性が邪魔なものだと考えているのです。
個性は、あなたに必要不可欠なものです。
そして、それは、この世界においても必要不可欠なものなのです。
あなたは、個性を必要としなければなりません。
あなたには、個性が必要なのです。
この世界にも、あなたの個性が必要です。
なぜなら、それがこの世界における一つの必要だからです。
すべての人が、異なる個性を以(もっ)て生まれます。
それは、個性が異なる必要があるからです。
世界は、違いを求めているのです。
個性が存在しなければ、世界は成り立ちません。
それは、無個性によって同じことを繰り返さなければならなくなるからです。
個性は、それぞれに異なるものです。
それは、世界に変化を導くのです。
世界は、個性によって広がります。
個性が存在しなければ、同じことを繰り返すだけの世界となってしまうのです。
個性が変化を実現することを理解しなければなりません。
違いがあるからこそ、この世界は美しいのです。
すべての人は、違うように生まれたのです。
違うことが自然です。
違うことが良いのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
個性とは、人に与えられた宝です。
あなたは、その宝を磨かなければなりません。
そして、それを守らなければなりません。
そして、それを使って世界に貢献(こうけん)し、豊かさを実現しなければならないのです。
あなたは、樹木のようなものです。
あなたは、良い実を結ぶ木でありましょう。
良い実を結ぶ木が、良い木なのです。
悪い実を結ぶ木は、悪い木として切り倒されてしまうでしょう。
悪い実とは、例えば、蜜柑(みかん)の木が林檎の実を結ぶ状態のことです。
それは、持って生まれた個性や役割を無視する生き方のことだと理解しましょう。
あなたは、良い実を結びましょう。
あなたの言葉は、樹木の葉です。
あなたは、良い言葉によって美しい葉を茂らせましょう。
あなたの努力は、樹木の根です。
それは目立ちませんが、重要なものなのです。
他者に褒(ほ)められることがなくても、努力を続けましょう。
あなたの行為は、樹木の花です。
貢献によって美しい花を咲かせることが出来るのです。
貢献することに乏しければ、美しい花を咲かせることが出来ません。
あなたは、損得を気にすることなく貢献しましょう。
そうすれば、良い実が結ぶでしょう。
良い実とは、良い人生のことです。
良い人生を得るためには、自分として成長する必要があるのです。
自分を洗練しましょう。
不自然や余計を削ぎ落とすのです。
良い実を結ぶ木で世界を満たしましょう。
それは、美しい世界なのです。

2019年11月28日木曜日

小さな扉

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人には、果たさなければならない目的が与えられているのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
因果の仕組みとは、原因には、それに相応しい結果が実現するというものです。
すべての結果には、それに相応しい原因が存在するのです。
人生という結果を得るためには、目的という原因が必要です。
あなたが人生に生まれるためには、人生の目的が必要不可欠なのです。
目的も無く、人生を始めることは出来ません。
どのような人物の、どのような人生にも、果たさなければならない目的が存在するということを覚えておきましょう。
目的は、果たさなければなりません。
それを拒否することも出来ますが、すぐに後悔することになります。
なぜなら、人生の目的を拒否する生き方は、多くの問題と苦しみを実現してしまうからです。
人生の目的に従って生きなければ、問題と苦しみを避けることは出来ないのです。
人生に満足や豊かさを求めているのであれば、人生の目的に従わなければならないのです。
あなたは、この世界において唯一(ゆいいつ)の存在です。
すべての人が、唯一の存在なのです。
誰一人として、同一人物は存在しません。
誰一人として、同じ目的のために生まれることはないのです。
あなたが果たさなければならない目的というのは、あなただけが果たさなければならない目的です。
あなたが果たさなければならない目的というのは、あなたでなければ果たすことが出来ない目的なのです。
他の誰も、あなたの人生の目的を代わりに果たすことは出来ません。
他の誰の人生の目的も、あなたが代わりに果たすことは出来ないのです。
あなたは、自分の人生の目的のために生きなければなりません。
しかしながら、多くの人は、人生の目的を知りません。
そして、それが唯一のものであることも知らないのです。
そのため、多くの人と同じように、同じ目的を果たそうと殺到(さっとう)するのです。
同じ目的を果たそうとしても、一人以外はそれを果たすことは出来ません。
誰かと同じ目的を目指したところで、それを果たすことは出来ないのです。
それは、鍵の掛けてある扉に鍵を持っていない人達が群がるようなものなのです。
鍵を開けて扉の先へ進むことが出来るのは、その扉の鍵を持つ一人だけなのです。
他の大勢は、扉を開けることすら出来ないのです。
多くの人が殺到している扉は、魅力的に映るかも知れません。
しかしながら、そこへ入ることは出来ません。
大切なのは、自分の持っている鍵によって開くことの出来る扉を探すことなのです。
多くの人は、絢爛豪華(けんらんごうか)で大きな扉に群がります。
なぜなら、それが良さそうに見えるからです。
その先には、満足や豊かさがあると思うのです。
大きな屋敷を見れば、そこに豊かな暮らしが待っていると思うものなのです。
しかしながら、人には、分際というものが与えられているのです。
分際に相応しくなければ、大きな屋敷も重荷となってしまうでしょう。
分際とは、鍵のことです。
あなたは、自分に相応しい人生を選ばなければなりません。
見栄を張ったり、無理をするような生き方ではならないのです。
あなたは、自分の分際に相応しい生き方をしなければなりません。
あなたの持っている鍵で、その扉が開くのか?ということを考えなければなりません。
多くの人は、自らの分際を弁(わきま)えません。
多くの人は恥(はじ)を知らず、厚かましいのです。
多くの人が求めているという理由では、あなたにとって良いとは限りません。
残念ながら、多くの人が求めているものは、その程度のものなのです。
あなたが果たさなければならないのは、唯一の目的です。
多くの人が求めているということは、あなたにとっての唯一ではないということなのです。
多くの人は、人生について、その目的について考えません。
何も考えず、本能に従って、多くの人が殺到する生き方に向かうのです。
多くの人がそうしているから、自分も同じようにするというだけです。
多くの人は、作られた価値観や人生観に踊らされているのです。
残念ながら、あなたの鍵では、絢爛豪華なその扉を開くことは出来ません。
あなたは、小さな扉を探しましょう。
誰も入ろうとしないような小さな扉こそが、あなたの鍵で開く扉なのです。
あなたは、自らの分際を弁えましょう。
目的地へと辿り着くためには、空いている道を進まなければならないのです。
混み合った道を進もうとしても、目的へと辿り着くことは出来ないでしょう。
それは、あなたの進むべき道ではないからです。
大切なのは、目的を見極めることです。
見栄を張る必要も、無理をする必要もないのです。
あなたの人生の目的は、あなたにとって唯一自然なものなのです。

2019年11月27日水曜日

美しい心

すべての人は、人生に果たさなければならない目的を持ちます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生に目的を以(もっ)て生まれるのは自然です。
すべての人は、人生に目的を以て生まれるのです。
目的の無い人生というものは存在しません。
どのような人生にも、果たさなければならない目的というものが存在するのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
人生の目的を果たす必要があるのは、それが生まれた理由だからです。
あなたは、目的を果たすために生まれたのです。
それ以外の理由は存在しないのです。
人生の目的を無視することの出来る人はいません。
どのような人物であろとも、それを果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、すべての人が未熟に生まれなければならないからです。
未熟とは、無知のことです。
すべての人は、無知を生きなければなりません。
あなたは、自分の果たすべき人生の目的を知っているでしょうか?
残念ながら、あなたには、自分の果たすべき人生の目的が分かりません。
それは、あなたが自分が何であるのか?ということを知らないからです。
あなたは、何ですか?
あなたには、答えることが出来るでしょうか?
残念ながら、答えることは出来ないでしょう?
それは、無知であり、未熟であるからです。
大抵の人は、自分が何であるか?を知りません。
大抵の人は、自分が何であるか?を一生涯知ることは出来ないのです。
なぜなら、その答えを探し続けないからです。
大抵の人は、自分が何であるか?という問いを見失ってしまいます。
大抵の人は、自分が何のために生きているのか?を知らないのです。
大抵の人は、自分が何をしているのか?を知らないのです。
そのため、大切な問いを見失うのです。
この世界では、何事も変化の影響を受けます。
すべては流転(るてん)し、一所(ひとところ)にとどまることは出来ないのです。
どのように美しく生まれたものも、この世界では汚れてしまうのです。
どのように美しい心も、目的を失えば汚れてしまうのです。
人生の目的を見出すためには、美しい心が必要です。
美しい心で無ければ、人生の目的を見極めることが出来ないのです。
人生の目的を探すことは、心の汚れを清める行為です。
心を清めるためには、特別な場所や特別な方法を用いる必要はありません。
人生の目的を探し続ければ良いだけです。
しかしながら、大抵の人は、人生の思い煩(わずら)いによって人生の目的を探すことを忘れてしまうのです。
大抵の人は、目の前の快楽や欲望や苦悩に陥(おちい)り、溺(おぼ)れてしまうのです。
それは、心を汚すということです。
心が思い煩いに汚れ、濁(にご)ってしまうのです。
濁った心では、正しく見ることが出来ません。
大抵の人は、このような状態に陥っているのです。
大切なのは、心を清めることです。
心を汚してはならないのです。
大抵の人は、心の汚れを放置します。
そして、心の汚れを手強くしてしまうのです。
汚れは放置することで固まってしまいます。
一度固まった汚れを落とすことは容易ではありません。
固まってしまった汚れを落とすためには、大きな力が必要です。
それは、苦しみを伴(ともな)うのです。
あなたは、汚れが固まる前に落とさなければなりません。
そうでなければ、心は濁ったままなのです。
心が美しくなければ、人生の目的を見出すことは出来ません。
心が美しくなければ、あなたは自分が何であるか?分からないのです。
あなたは、心の汚れを放置してはなりません。
汚れが固まる前に落とすのです。
思い煩いに捕らわれてはなりません。
目の前の快楽や欲望や苦悩に陥ってはなりません。
あなたは、人生の目的を探し続けましょう。
問題や苦しみの中にあっても、人生の目的を探し続けるのです。
心が汚れても、すぐに掃除するべきなのです。
目の前の快楽や欲望や苦悩を追い求めそうになった時には、”自分は何か?”と問い掛けましょう。
そうすれば、あなたは冷静さを取り戻すことが出来るでしょう。
そして、人生の目的を果たすための道に戻ることが出来るでしょう。

2019年11月26日火曜日

良いもの

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、持って生まれた目的を果たさなければなりません。
目的を果たすことは、あなたが人生に生まれた理由です。
あなたは、目的を果たすために生まれたのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
すべては、目的を果たすためです。
あなたは、人生の目的を果たすために生きているのです。
どのような経験も、あなたが人生の目的を果たすために必要な経験です。
すべては、あなたが目的を果たすに相応しい人物へと育てるための学びなのです。
あなたは、人生の様々な経験を通じて成長を実現するのです。
あなたが成長を実現するために、目の前の状況は存在しています。
あなたは、目の前の状況から成長の糧(かて)を得なければならないのです。
しかしながら、成長の糧を得ることは容易(ようい)なことではありません。
残念ながら、多くの人は、目の前の状況から成長の糧を得ることが出来ないのです。
多くの人は、人生を通じて必要な成長を実現することが出来ません。
必要な成長とは、人生の目的を果たすに相応しい成長のことなのです。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を果たすことが出来ません。
多くの人が、人生の目的を果たすことなく死を得るのです。
多くの人は、人生の目的が何であるのか?ということを知りません。
人生の目的を知らなければ、それを果たすことなど出来ないのです。
大切なのは、人生の目的を知ることです。
しかしながら、人生の目的を知るためには、それに相応しい自分に成らなければなりません。
人生の目的を知るためには、それに相応しい成長が必要だということです。
成長を実現しなければ、人生の目的を知ることすら出来ないのです。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を知るに至(いた)りません。
多くの人は、人生の目的を知らずに生きなければならないのです。
人生の目的を知ることは容易ではありませんが、それを知る価値はあります。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を知る必要があるからです。
あなたは、人生の目的を知らなければなりません。
そのために、人生の目的の手掛かりを探さなければならないのです。
人生の目的の手掛かりを得るためには、努力しなければなりません。
多くの人は、”良いもの”を得ようとしています。
多くの場合、”良いもの”とは、自分にとって都合の良いもののことです。
あなたが得なければならない”良いもの”とは、自分に都合の良いもののことではありません。
自分に都合の良いものをどれだけ得たとしても、人生の目的を理解することは出来ないのです。
あなたが得なければならないのは、”良いもの”です。
それは、人生の目的を知るための手掛かりなのです。
”良いもの”は、努力によって得ることが出来ます。
努力も無しに、”良いもの”を得ることは出来ません。
あなたは、努力も無しに”良いもの”を得られるなどと考えてはなりません。
努力無くして、”良いもの”は得られないということを理解しなければなりません。
残念ながら、多くの人は楽を好みます。
多くの人は、努力を嫌うのです。
努力とは、継続や辛抱(しんぼう)の結果です。
無理をすることが努力ではないのです。
誤解してはなりません。
続けることこそが努力なのです。
あなたは、続けなければなりません。
何事も、簡単に諦(あきら)めてはならないのです。
そこから”良いもの”を得るまで、あなたはそれを続けなければならないのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
因果の仕組みとは、原因には、それに相応しい結果が導かれるというものです。
努力という原因が存在しなければ、”良いもの”という結果は得られないのです。
努力もせずに幸運を求めても、決して得られないのです。
残念ながら、多くの人が自分では何の努力もしないで、幸運を求めています。
幸運を受ける権利が無いにもかかわらず、それを得ようと努めるのです。
権利が無ければ、どれだけ主張しても得られません。
図々(ずうずう)しく求めるだけでは、”良いもの”は得られないのです。
多くの人は、厚かましく生きています。
努力もせずに”良いもの”を得ようとしているのです。
残念ながら、努力もせずに得られるものは”悪いもの”です。
それは、問題を引き起こし、苦しみを導くのです。
自分の都合で生きてはなりません。
努力(継続や辛抱)は、都合の悪い状況でこそ求められるのです。
あなたは、安易(あんい)に諦めてはなりません。
人生には、都合の悪い状況ばかりですが、努力をしなければなりません。
努力しない者には、”良いもの”は得られません。
”良いもの”を得なければ、人生の目的を知ることは出来ません。

2019年11月25日月曜日

単純

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生に目的も無く生まれる者はいません。
どのような人物にも、果たさなければならない目的というものが存在するのです。
人生の目的を無視して生きることの出来る者は存在しません。
どのような人物であれ、人生の目的と向き合わなければならないのです。
どのような理由があろうとも、人生の目的を拒絶することは出来ないのです。
あなたには、果たさなければならない目的が存在します。
あなたは、それを理解しなければなりません。
あなたは、何のために生まれたのですか?
死ぬまで生き延びるために生まれたのですか?
仕事を続け、生活を営み、欲望を貪(むさぼ)るために生まれたのでしょうか?
残念ながら、人生はそのように空しいものではありません。
あなたには、仕事よりも、生活よりも、欲望よりも、死よりも重い目的が存在しているのです。
人生の目的の前では、仕事も、生活も、欲望も、死も、取るに足らないものなのです。
人生の目的は、すべてを凌駕(りょうが)するのです。
人生の目的とは、人生において、何よりも重要なことなのです。
あなたは、そのことを理解しなければならないのです。
人生の目的を知らずに生きてはなりません。
これは、あなたにとって、とても大切なことなのです。
人生の目的を知ること以上に大切なことはありません。
なぜなら、人生の目的を知らなければ、すべてが空しいからです。
人生から空しさを取り除くためには、人生の目的を知る必要があるということを理解しなければなりません。
それ以外の方法によって、人生に豊かさを実現する方法はないのです。
例え、世界一の金持ちに成ったとしても、あなたが満たされることはありません。
世界で最も愛する対象を手に入れたとしても、それだけであなたが満たされることなどないのです。
何を得ても、何を失っても、人生の目的を果たす以外に満たされる方法は存在しないのです。
人生の目的を知ることは、何よりも大切です。
あなたは、そのことを忘れてはなりません。
しかしながら、すべての人は未熟に生まれました。
誰も、自らの人生の目的を知らないのです。
すべての人が、人生の目的を知らずに生まれます。
そして、人生の目的を知らずに生きているのです。
すべての人の人生が空しいのはそのためなのです。
人生の空しさに気が付いていない者も多いですが、成長に従って必ず気付きます。
誰も、人生の空しさを無視することは出来ないのです。
大切なのは、人生の目的を探すことです。
先(ま)ずは、人生の目的を探す必要があります。
残念ながら、人生の目的を探すこともなく、問題や苦しみや空しさを生き続けている人もいるのです。
大抵の人は、そのように生きるのです。
そして、何も知らずに死ぬのです。
あなたには、そのように成って欲しくはないのです。
これは、”わたし”の願望なのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
あなたには、人生を知って欲しいのです。
人生の目的とは、人生において、最も単純なものです。
それは、最も本質的なものだからです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれました。
それ以外のことは、末梢的(まっしょうてき)なのです。
複雑は、本質的ではありません。
本質は、とても単純であるということを覚えておきましょう。
この世界で複雑であるということは、問題を抱えるということなのです。
この世界では、複雑である程汚れます。
この世界では、複雑である程壊れます。
この世界では、複雑である程難しいのです。
大切なのは、単純であることです。
人生の目的は、複雑に考えた末の答えではありません。
それは、最も単純に考えた結果として導かれるものなのです。
人生を複雑に考える必要はありません。
あなたは、最も単純に考えましょう。
最も単純なことが、最も大切なのです。
最も大切なことは、最も単純なのです。
複雑に考える者の思考は汚れます。
複雑に生きる者の生き方は汚れるのです。
それではなりません。
あなたは、美しく生きましょう。
単純であれば、思考も生き方も汚れることはないのです。

2019年11月24日日曜日

滅びを望む

人生には、必要が存在します。
人生には、不要は存在しないのです。
あなたの目の前に導かれるすべての状況は、あなたの成長を助けるための経験なのです。
あなたは、人生において成長を実現するための必要を受け取ることになっているのです。
人生の目的は成長を実現することです。
そのため、あなたは、すべての状況において成長を実現することが出来るのです。
あなたが、目の前の状況に真摯(しんし)に向き合うのであれば、成長を実現することが可能なのです。
しかしながら、目の前の状況に真摯に向き合うことをしなければ、成長を実現することは不可能なのです。
大切なのは、成長を実現することです。
成長を実現するためには、目の前の状況に対して、真摯に向き合う必要があるのです。
目の前の状況に対して真摯に向き合えば、そこから成長に必要な経験値を得ることができるからです。
成長に必要な経験値を得なければ、成長を実現することは出来ません。
目の前の状況こそが、あなたの成長のための経験なのです。
あなたは、目の前の状況がどのようなものであろうとも、安易(あんい)に否定するのではなく、そこから何か一つでも学ばなければならないのです。
人生に意味の無い状況など存在しません。
すべてが、あなたの成長を助けているのです。
人生は、あなたの味方です。
人生は、あなたを大切にしているのです。
あなたは、すべての状況が、あなたを成長させるために存在しているということを理解しましょう。
残念ながら、多くの人は、そのことを疑います。
自分に都合の悪い状況であっても、そこには、あなたに必要な情報が存在しているのです。
あなたは、目の前の状況を前向きに考えてみましょう。
そこには、何かしら得るものがあるはずなのです。
それに気が付くのは、後のことかも知れません。
しかしながら、あなたはそれに気が付くことが出来るのです。
人生には、無駄は存在しません。
あなたにとって都合の悪いことは無数に存在しますが、あなたにとっての無駄は存在しないのです。
意味の無いことは起きないのです。
すべては、あなたが成長を実現するためなのです。
そのようには思えないでしょうが、それ以外の目的は存在しないのです。
残念ながら、多くの人は、すべての状況が自分の成長を助けているということを知りません。
残念ながら、多くの人は、目の前の状況に対して反発するのです。
多くの人は、目の前の状況や他者に対して反発します。
自分が苦しんでいるのが、目の前の状況や他者のせいだと思い込んでしまうのです。
そこで、不満や悲しみを抱くことになるのです。
それ等の破滅的な感情は、対象の滅びを願う気持ちなのです。
多くの人は、状況や他者が滅びることを考えています。
それは、状況や他者に原因が存在し、それ等が滅びることによって救われると思い込んでいるからです。
残念ながら、人生の原因は自分自身です。
目の前の状況は導かれたのではありません。
あなたが、その状況に向かって進んだのです。
そして、あなたが自分でその状況に躓(つまず)き、陥(おちい)ったのです。
誰かや何かによって、あなたがその状況に躓き、陥った訳ではないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
滅びを望んだところで、問題は解決しません。
滅びを望んだところで、苦しみが去ることはないのです。
問題を解決し、苦しみを去らせるためには、自分を変える必要があるのです。
自分は、人生における原因です。
あなたは、自分の状態に相応しい人生を生きるのです。
現状というものは、あなたの状態を現しているのです。
現状は、自分に相応しいということを理解しましょう。
目の前の状況を嫌い、他者の滅びを望んだとしても、自分が磨かれることも、高められることもありません。
寧(むし)ろ、目の前の状況を嫌い、他者の滅びを望んだことによって、自分は荒(すさ)み、汚れるのです。
目の前の状況を嫌い、他者の滅びを望めば、人生はより苦しい状態に陥ってしまうのです。
大切なのは、否定から抜け出すことです。
人生を否定し続けても、良いことはありません。
人生には、あなたにとっての必要だけが導かれるのです。
あなたにとっての必要とは、自分にとって都合の良いことばかりではありません。
自分にとって都合の悪いことであっても、あなたにとっては必要なことなのです。
あなたは、人生を大切に考えなければなりません。
目の前の状況も、他者も、大切な人生の一部です。
気に入らないことばかりかも知れませんが、それは、あなたが未熟であるからです。
未熟であるが故(ゆえ)に、その価値に気が付いていないだけなのです。
価値を嫌い、価値の滅びを望んではなりません。
あなたは、すべての状況や他者から何かしらの学びを得ることが出来ます。
滅びを望むよりも、感謝を行いましょう。
そうすれば、あなたは成長を実現することが出来るでしょう。
人生の目的を果たすためには、成長を実現しなければなりません。

2019年11月23日土曜日

無い物ねだり

人生に導かれるのは必要です。
人生には、あなたにとっての必要が導かれるのです。
あなたの人生に、あなたにとっての不要が導かれることはありません。
それが、どのような状況であれ、あなたにとっては意味のある状況なのです。
目の前に導かれる状況の目的は、成長を実現することです。
あなたは、目の前の状況によって、成長を実現する必要があるのです。
目の前に導かれる状況は、あなたの成長を実現するための学びです。
あなたは、目の前の状況を学ぶことによって成長を実現することが出来るのです。
人生には、無意味なことはありません。
不要は存在しないのです。
それが、どのような状況であれ、あなたにとっては意味があり、必要な学びであるということを覚えておきましょう。
今のあなたには、その学びが必要なのです。
そして、その学びにこそ意味があり、価値があるのです。
その状況だから得られるものがあります。
現状のあなたには、他の状況から学ぶことはないのです。
その状況でなければ得られないものがあるのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
目の前の状況(学び)とは、受け入れ難(がた)いものです。
あなたは、より(都合の)良い状況(学び)を探すでしょう。
しかしながら、より(都合の)良い状況(学び)を見付けることは出来ません。
なぜなら、それ以外にあなたに相応しい状況(学び)など存在しないからです。
すべての人は、必要を得なければなりません。
すべての人は、自分に相応しい学びを得なければならないのです。
その状況(学び)以外には、あなたに相応しいものはありません。
どこを探しても、それより(都合の)良い状況(学び)など存在しないのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
避けることの出来ない現実を受け入れなければならないのです。
多くの人は、現実を否定します。
多くの人は、その弱さから、現実を受け入れることが出来ないのです。
必要を受け入れなければ、必要な成長を実現することは出来ません。
必要な成長を実現することが出来なければ、必要な目的を果たすことは出来ないのです。
”無い物ねだり”をやめて、現実を受け入れなければならないのです。
導かれた現実を取り止めることは出来ません。
現実は、受け入れなければならない事実なのです。
それは、他のどの状況よりも大切なものなのです。
偽りによって、あなたが成長を実現することは出来ません。
成長とは、自分を磨くことです。
偽りによっては、あなたは自分を汚してしまうのです。
成長とは、肥え太ることではありません。
成長とは、洗練されることなのです。
余計を削ぎ落とし、純真で、本質的に成ることが成長なのです。
成長とは、小さく成るなのです。
残念ながら、多くの人は、成長を大きく成ることだと考えています。
しかしながら、大きく成ることでは、成長することは出来ないのです。
大きく成るということは、余計を加えるということです。
本質は、中心に存在します。
成長する目的は、中心である本質へと近付くためです。
余計を加えて大きく成れば、中心である本質からは遠く離れてしまうのです。
それでは、学びを得る意味がないのです。
学びは、小さく成るために導かれます。
それは、謙虚(けんきょ)を学ぶための状況でもあるのです。
人は、小さく成らなければ、必要を得ることが出来ません。
大きく成る程、満足することが出来ないのです。
多くの人は、大きな器によって、少量の水を飲もうとするのです。
器が大きいために、少量の水は更に少なく思えるのです。
そのため、多くの人の渇きは潤わないのです。
あなたは、小さな器によって、少量の水を飲みましょう。
そうすれば、少量の水であっても、多く思えるのです。
器を小さくする者は、満足を得ます。
しかし、器を大きくする者は不満を得るのです。
あなたは、目の前の学びを苦しみにしてはなりません。
目の前の学びは、喜びにしなければならないのです。
必要は、目の前の状況以外には存在しません。
どこを探しても同じことなのです。
あなたは、人生を信用しなければなりません。
人生は、あなたに相応しくないものを導くことはないのです。
否定するのも構いませんが、そこから得られるものがあるということを理解しなければなりません。

2019年11月22日金曜日

生き急ぐ者へ

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たす必要があるのは、それが生まれた理由だからです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を無視することの出来る人はいません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生きなければならないのです。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
それは、すべての人が未熟に生まれなければならないからです。
未熟者にとって、人生の目的を果たすことは難しいのです。
それは、力不足であるからです。
人生の目的を果たすためには、成長する必要があります。
成長しなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
成長を実現するためには、学ばなければなりません。
人は、学びによって成長を実現することが出来るのです。
例えば、必要な知識と経験によって、知恵を得ることが出来ます。
知恵を得ることを成長というのです。
必要な知識と経験を集めることは容易ではありません。
なぜなら、必要なものは、それぞれが異なる形をしているからです。
同じ知識と経験は役に立ちません。
同じものを集めても成長を実現することは出来ないのです。
異なる知識と経験を集めなければ、知恵を得ることは出来ません。
様々な知識と経験でなければ、見識も技術も磨かれることはないのです。
同じことを繰り返すのではなく、より良く繰り返す必要があるのです。
あなたは、様々な知識と経験を集めなければなりません。
しかしながら、それはとても難しいことなのです。
なぜなら、多くの人は、小さな世界を生きているからです。
多くの人は、代わり映(ば)えのしない生活をしているのです。
多くの人は、同じことが続くことが最善だと考えているのです。
変化とは、不安定のことであり、好ましくないと考えるのです。
そのため、多くの人は問題を嫌うのです。
歩むためには、踏み締めた大地から足を離さなければなりません。
それは、体勢を不安定なものにします。
人が歩むためには、片足の時間が必要なのです。
それは、新たな大地を得るための必要なのです。
不安定な片足の時間を得なければ、新たな大地を踏み締めて歩むことは出来ないのです。
人は、歩むことによって世界を広げることが出来ます。
新たな知識と経験を得るためには、不安定という変化が必要なのです。
同じことを繰り返しているだけでは、成長を実現することも、人生の目的を果たすことも出来ません。
あなたは、変化を受け入れなければならないのです。
変化を受け入れるということは、現状を手放すということです。
それは、ある意味では現状を否定することにもなるのです。
あなたは、繰り返しの現状を否定し、手放さなければなりません。
大切なのは、変化がもたらす新たな知識や経験を手に入れることです。
世界を広げましょう。
あなたは、立ち止まらずに歩みを進めなければならないのです。
人生の目的を果たすということは、人生の目的地へと辿り着くということです。
歩みを進めなければ、どのような目的地にも辿り着くことは出来ないのです。
しかしながら、急ぐ必要はありません。
それは、急いだところで、早く目的地へと辿り着くということでもないからです。
人生において重要なのは、確実に一歩を踏み出すことなのです。
急いで足を運べば、その一歩が確実に地面を捕らえることは出来ません。
急ぎ足の人は、転ぶ可能性を高めてしまうのです。
人生に急ぐ必要はありません。
あなたは、生き急いではならないのです。
成長の早い樹木は、大風によって折れてしまいます。
それは、外見を早く大きくするために中身を薄くしたからです。
成長の遅い樹木は、大風にも耐えます。
それは、じっくり成長したために、中身を厚くすることが出来たからです。
成長の遅い樹木は硬いのです。
素早く大きく育っても、大風によって折れてしまえば意味がありません。
時間を掛けてでも硬く育ち、大風に耐える方が良いのです。
生き急いでも良いことはありません。
あなたは、自分が何であり、人生が何であるのか?も分からないのです。
急いだとしても、その答えを得ることは出来ないのです。
答えを得るためには、多くの時間と労力を必要とします。
あなたは、人生を掛けて、答えを得なければならないのです。
人生は、ゆっくり生きましょう。
生き急ぐ必要はありません。
急いで後になる者があり、急がずに先になる者があるのです。
人生は競争ではありません。
それぞれの目的を果たすことが求められているのです。
人生の目的を果たすことなく突き進んだとしても、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
人生には問題が付き物です。
生き急ぐ者は、問題を乗り越えることが出来ません。
成長の早い樹木のように、挫(くじ)けてしまうのです。
急がずに歩みましょう。
人生の目的を果たすのです。

2019年11月21日木曜日

繰り返し

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
あなたは、自分の人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことが、人生を始めた理由です。
人生において、その目的を果たすことは、とても重要なことなのです。
人生の目的を無視して生きることは、空しいのです。
人生の目的を知らずに生きることは、空しいということを覚えておかなければなりません。
人生の目的を果たそうとしなければ、どのように生きても空しいのです。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を知らずに生きています。
多くの人は、人生の目的を考えずに生きているのです。
そのような生き方は、必ず空しさへと辿り着くのです。
人生の目的を果たそうとせずに、空しさを避けることは出来ません。
空しさを避けるためには、人生の目的を果たそうとしなければならないのです。
大切なのは、人生の目的を探すことです。
人生の目的を探さなければ、それを発見することは出来ません。
ただ、生きていたとしても、人生の目的を見出すことは出来ないのです。
探せば見付かりますが、探さなければ見付かりはしないのです。
あなたは、人生の目的を探さなければなりません。
しかしながら、それは容易(ようい)には見付かりません。
探し続けても見付かるかどうか分かりません。
それでも、あなたは探さなければならないのです。
探し続けていれば、必ず見付かります。
あなたは、見付かるまで探し続けましょう。
何度も繰り返して探さなければ、見付かりはしないのです。
あなたは、何度も繰り返し探しましょう。
人生の目的と思えるものを見付けたのであれば、それを学びましょう。
何度も繰り返して学ばなければなりません。
繰り返して学ばなければ、理解することは出来ないのです。
残念ながら、多くの人は繰り返すことが嫌いです。
多くの人は、簡単に諦めてしまうのです。
理解するまで繰り返して学ばなければ、理解を得ることは出来ません。
繰り返すことでしか、理解を深めることは出来ないのです。
理解を深めることが出来れば、それを実行しましょう。
しかしながら、あなたはそれを満足に行うことは出来ません。
これも、繰り返し行うことによって上達するのです。
何事も、繰り返すしか上手く成る方法はありません。
何事も、繰り返すことでこつを掴むことが出来るのです。
繰り返さなければ、何も理解することは出来ません。
繰り返さなければ、何も上達しないのです。
多くの人は、繰り返すことを嫌います。
繰り返すことなく、上手く成ろうとするのです。
残念ながら、そのように都合の良いことはありません。
上達するためには、経験値が必要不可欠なのです。
経験値とは、知識と経験の蓄積(ちくせき)です。
人は、知識と経験によって経験値を高めることが出来るのです。
知識と経験は、繰り返すことによってのみ蓄積されていきます。
繰り返し経験しなければ、知識と経験は蓄積されないのです。
あなたは、このことを覚えておきましょう。
人生に”奇跡”など存在しないのです。
すべてが、因果の仕組みに裏付けされた当然なのです。
この世界においては、原因が存在しなければ、結果は存在しません。
繰り返しという原因が存在しなければ、経験値という結果は存在しないのです。
経験値という原因が存在しなければ、成長という結果は存在しません。
成長という原因が存在しなければ、人生の目的を果たすという結果は存在しないのです。
あなたは、何事も辛抱強く繰り返して学ばなければなりません。
深く掘り下げることが重要なのです。
浅い知識や経験では、人生の空しさを避けることは出来ないのです。
浅い知識や経験では、人生は空しいままなのです。
繰り返すことの重要性を理解しましょう。
ただし、同じことをただ繰り返すということではありません。
より本質へと近付くために繰り返すのです。
それは、渦(うず)の中心へと進んで行くようなものなのです。
同じように回りますが、中心へと近付く程に、回る円の大きさは小さくなるのです。
同じことを繰り返してはいますが、ただ、同じことを繰り返しているのではないのです。
より良く、より本質的に繰り返すのです。

2019年11月20日水曜日

自由

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、持って生まれた人生の目的を果たさなければならないのです。
人が人生を生きる理由は、目的を果たすためです。
すべての人が、人生の目的を果たすために生まれたのです。
それ以外の理由は存在しないのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
人生の目的は、人生を始める前に決めたものです。
それは、あなたが生まれるより前に決められたものなのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべての結果には、それに相応しい原因が存在するのです。
原因の存在しない結果は存在しません。
どのような結果にも、それに相応しい原因が存在するのです。
人生という結果には、目的という原因が存在しています。
すべての人生には、果たさなければならない目的が存在するのです。
目的を果たさなければならないことは、人生を始める前から決められていたことです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
目的が存在しなければ、人生は存在しなかったのです。
何の目的も無く、人生が始まるはずがないのです。
あなたは、人生には果たさなければならない目的が存在するということを忘れてはなりません。
人生は、目的を果たすために展開するのです。
人生の目的を無視するように展開することはないのです。
すべての状況は、人生の目的を果たすための展開です。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
すべての経験は、あなたが人生の目的を果たすための布石(ふせき)です。
無駄なこと、無意味なこと、無価値なものは、何一つとしてありません。
すべてが必要であり、最善であり、価値のあるものなのです。
すべては、目的を果たすためです。
あなたの生き方は、人生の目的を果たすために最適な状態へと導かれます。
あなたは、人生の目的を果たすための最適な状態へと追い込まれるのです。
人生は、自由に生きることが出来ません。
残念ながら、自分で決めているようでも、自分以外の要因によって決められているということなのです。
これは、自由意志が与えられていないということではありません。
あなたには、自由意志が与えられているのです。
そのため、自分で考え、選択することが出来ます。
多くの人は、自由意志によって人生の目的を果たすことを否定する結果を選択しているのです。
しかしながら、人生には果たさなければならない目的が存在するのです。
大まかな道は、人生を始める前に決められているのです。
その道をどのように歩み、どのように進むのか?ということは、あなたに任されているのです。
人生の目的を無視して歩むことも出来ます。
しかしながら、そうなれば問題や苦しみを受けることになるのです。
目的から遠ざかる程に、状況は悪化していくものなのです。
人生に何かしらの問題や苦しみを抱えている人は、人生の目的から遠ざかってるのです。
残念ながら、すべての人は、人生の目的を見失っています。
すべての人は、人生の目的を忘れているのです。
そのため、すべての人は、人生の目的を無視して生きることになります。
人生の目的以外の目的を果たそうと生きるようになるのです。
人生は、あなたに目的を果たさせようと努めます。
しかしながら、あなたはそのことに気が付かずに、目の前の快楽や欲望を目指すのです。
人生の導きに対して、あなたは反発するのです。
そこに矛盾(むじゅん)が生じるのです。
あなたが覚えておかなければならないことは、自分が未熟であるということです。
現在のあなたから見れば、過去のどの瞬間の自分も未熟であったと理解することが出来るでしょう。
あなたは、人生において、成長を実現するのです。
成長することが出来るということは、未熟であるということなのです。
残念ながら、あなたには、人生の目的が分かりません。
自分が何であり、人生が何であるのか?ということを答えることが出来ないのです。
そのため、人生が思い通りになることはありません。
あなたは、目的を果たすために生きているのであって、快楽や欲望を満たすために生きているのではないのです。
未熟者が思い通りに生きることには価値がありません。
あなたは、人生の目的を果たさなければならないのです。
思い通りに生きたところで、人生の目的を果たすことが出来なければ、人生は空しいのです。
思い通りに生きることは、最善とは言えません。
時には、我慢や辛抱(しんぼう)が必要なこともあるのです。
自由に生きることは、決して良いことではありません。
良い生き方というのは、人生の目的を果たすことの出来る生き方のことなのです。
目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ることに夢中に成る余り、果たさなければならない目的が存在しているということを忘れてはなりません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
そのことを覚えておきましょう。

2019年11月19日火曜日

幸福の定義

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人には、果たさなければならない目的が存在するのです。
すべての人は、目的を果たすために生まれました。
すべての人生は、目的を果たすためのものなのです。
人生の目的は、人生を始める前に決められたものです。
それは、物質的な価値観によって決められた目的ではありません。
それは、意識的、精神的な質の目的なのです。
この世界には、因果の仕組みというものが存在しています。
この世界における一切は、因果の仕組みの中に存在しているのです。
因果の仕組みとは、すべての結果には、それに相応しい原因が存在するということです。
人生という結果が存在するのは、目的という原因が存在するからに他なりません。
人生が、偶然に始まるということは有り得ないのです。
人生におけるすべての事が、目的を以て生じています。
人生自体が目的を以て生じているのです。
どのような些細(ささい)なことにも、目的が存在しているのが自然なのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
この世界には、無意味なことや無価値なことは存在しません。
すべてに意味が存在し、すべてに価値が存在するのです。
これは、あなたが覚えていなければならない大切なことなのです。
無意味に思えることや、無価値に思えることも、それが目の前に存在しているのであれば、経験しなければならないことです。
それは、無意味や無価値に思えるかも知れませんが、決して無意味や無価値なことではありません。
あなたにとって意味があり、価値があるからこそ、目の前に導かれ、経験しているのです。
これは、とても大切なことなので覚えておきましょう。
効果が無いと思えることも、それに”満足”するまでは続けなければなりません。
満足とは、心が満たされるということです。
その経験に対して、感謝の気持ちを抱くことが出来た時にこそ、それを手放すことが出来るのです。
あなたが必要としているのは、感謝の気持ちを抱くという結果なのです。
すべての経験は、感謝の気持ちを抱くためのものなのです。
しかしながら、多くの人は、物質的に物事を考えなければなりません。
多くの人は、その経験から利益を得ることが必要だと考えているのです。
多くの人は、自分に都合の良い状態に成ることが必要だと考えているのです。
残念ながら、あなたの考える利益や、自分に都合の良い状態というものには、あなたの考えているような意味や価値はありません。
この世界には、無意味や無価値は存在しないために、あなたの考える利益や、自分に都合の良い状態というものにも意味や価値は存在します。
しかしながら、それ等は効率の悪いことなのです。
人生の目的は、より意識的であり精神的なものです。
物質的に豊かに成ることが人生の目的だと誤解している人ばかりですが、意識的、精神的に豊かに成ることが人生の目的だと理解しなければならないのです。
物質的な豊かさは、一見するととても良いことのように思えます。
もちろん、物質的に乏しいよりも、物質的に豊かである方が良いに決まっています。
しかしながら、物質的に豊かであるにしても、意識的、精神的に豊かでなければ価値が無いのです。
どれだけ物質的に豊かであったとしても、意識的、精神的に乏しければ、人生は空しいのです。
この世界のすべての富を手に入れたとしても、それに満足することが出来なければ、人生は空しいのです。
何一つ手に入れなくても、それに満足することが出来れば、人生は幸福なのです。
あなたは、人生の幸福の定義を理解しなければなりません。
人生の目的は、意識的、精神的な性質を持っています。
人生の目的を物質的に追い求めてはならないのです。
物質的には、効果が無いと思えることも、意識的、精神的には効果が得られるかも知れません。
あなたは満足を得るために、その状況を経験するのです。
満足を得られれば、それが最善であるのです。
物質的なことは、副産物として考えておきましょう。
目的は他に存在するのです。
物質的な充実では、満足を得ることは出来ません。
物質的な充実では、満足に似た感情を得られるだけなのです。
有り余る富を手に入れた王も、決して満足しません。
有り余る富を手に入れたとしても、渇(かわ)いているのです。
有り余る富を手に入れている人の方が、富を手に入れていない人よりも飢(う)えているのです。
あなたは、この皮肉に気が付かなければなりません。
目的が物質的なところに向けられているのであれば、満たされることはありません。
何を得ても、それが物質的なものであれば、満たされることはないのです。
あなたは、物質的な豊かさを得るために生まれたのではありません。
物質的な豊かさとは、意識的、精神的な豊かさの副産物に過ぎないのです。
目的を見誤ってはなりません。
あなたには、生まれる前に決めた果たさなければならない目的が存在するのです。
利己的に生きてはなりません。
残念ながら、あなたは未熟であり、誤解を生きているのです。
そのことを理解しておきましょう。
そうすれば、人生の目的を見誤ることはないでしょう。

2019年11月18日月曜日

流れ

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人には、果たさなければならない目的が存在するのです。
あなたは、目的を果たさなければなりません。
誰も、人生の目的を無視して生きることは出来ないのです。
なぜなら、すべての人が求める人生の豊かさや幸福というものは、人生の目的に関連しているからです。
人生の目的に反しているのであれば、人生に豊かさや幸福というものを実現することは出来ません。
人生の目的に反しているのであれば、人生には乏しさと不幸というものが実現してしまうのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
あなたは、人生の目的を果たすために生きなければならないのです。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
ただ、何気なく生きていたとしても、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を認識することから始めなければならないのです。
人生の目的を知らずに、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
しかしながら、人が人生の目的を理解することは出来ません。
矛盾(むじゅん)しているように聞こえるかも知れませんが、あなたは、理解することの出来ない人生の目的を理解する必要があるのです。
あなたに人生の目的を理解することが出来ないのは、当然のことです。
もしも、人生の目的を理解するようなことになれば、あなたには、勇気も努力も辛抱も必要ないのです。
あなたが人生の目的を理解することがないので、あなたには勇気や努力や辛抱が必要なのです。
勇気や努力や辛抱と共に歩まなければ、人生の目的を理解することは出来ないのです。
大切なのは、どのようなものかも分からない人生の目的を探して生きるということです。
しかしながら、人生の目的を理解することが出来るのは、人生を終えた後のことです。
人生を経験、形成している段階では、人生の目的を理解することは出来ないのです。
人生の目的を知っているのは、人生だけです。
あなたは、人生に対して、人生の目的を問わなければなりません。
人生は、状況という手段によって、あなたに人生の目的を教えます。
しかしながら、人生の目的を一度に教えることはありません。
なぜなら、一度に教えたとしても、あなたには理解することが出来ないのです。
人生は、人生の目的を分割して、一つ一つ確実に教えるのです。
人生の目的は、人生が教えてくれます。
あなたが進むべき方向は、人生が教えるのです。
あなたがやるべきことは、人生が教えます。
あなたは、人生によって正しく導かれるのです。
人生の導きというものは、残念ながら、気楽なものではありません。
なぜなら、あなたが未熟であるからです。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
未熟者は、導かれなければならないのです。
未熟者が、自分勝手に歩んだところで、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすためには、正しい道を進み、正しい目的地へと辿り着かなければならないのです。
そのためには、道案内が必要なのです。
人生が、あなたの道案内をします。
導かれる状況に対して、安易(あんい)に逆らってはなりません。
それは、あなたのための必要だからです。
残念ながら、他者から出るものを信用することは出来ません。
しかしながら、人生から出るものは信用に値するのです。
それは、人生には最善しか存在しないからです。
人生の導きは、どのような状況においても正しいのです。
しかしながら、あなたは人生の導きを信用することが出来ません。
多くの人は、完全な人生よりも、未熟な他者を信用するのです。
残念ながら、他者に導かれることで人生の目的を果たすことの出来る人はいません。
なぜなら、導く者が未熟であるからです。
目的地を知らず、道程もしらないのであれば、導くことなど出来はしないのです。
あなたがやるべきことは、その都度(つど)人生が教えてくれます。
あなたは、人生の意図を理解しなければなりません。
人生には、”流れ”というものが存在するのです。
それは、風のように捉(とら)えることが難しいものなのです。
風の姿は見えなくても、その力を否定することはないでしょう。
それと同じように、人生の導きは目には見えず、認識することは難しいのです。
しかしながら、確実に人生の導きは存在するのです。
あなたは、人生を信用するしかありません。
現状は、あなたにとっての最善です。
そのことを理解し、受け入れなければならないのです。
未熟な自分自身や、他者を信用してはなりません。
人生の導きに従いましょう。
"流れ"に乗るのです。

2019年11月17日日曜日

自分に生まれる

すべての人は、自分に生まれます。
すべての人は、自分に生まれなければならないのです。
そして、すべての人は、自分を生きなければなりません。
自分とは、この世界に唯一(ゆいいつ)の存在です。
自分というものは、あなただけに与えられた特別なのです。
あなたは、特別に生まれたのです。
そして、あなたは特別を生きなければならないのです。
自分を生きることは大切です。
なぜなら、自分を生きなければ、人生の目的を果たすことが出来ないからです。
すべての人は、目的を以て生まれます。
この世界に目的も無く、無意味に存在することの出来る人は存在しません。
この世界に存在するすべてには、大切な意味と価値が存在するのです。
あなたがこの世界に存在する意味と、この世界に存在する価値を考えなければならないのです。
すべての人は、自分に生まれます。
それは、すべての人が特別であり、唯一の存在であるという証明なのです。
この世界に唯一の存在が、無意味に生まれるはずがありません。
この世界に唯一の存在が、無価値であるはずがないのです。
”あなた”という存在には、大切な意味と価値が存在するのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
残念ながら、多くの人は、自分に対する意味と価値を見失っています。
多くの人は、自分に意味や価値が存在しないと考えるのです。
この世界に唯一の存在が、無意味や無価値であるはずがないのです。
それは、当たり前のことなのです。
あなたは、自分という存在の意味と価値を手放してはなりません。
意味と価値を具体的に理解することが出来ないからといって、意味と価値が存在しない訳ではありません。
どのような自分であれ、意味と価値が存在するのです。
あなたは、自分に生まれました。
あなたは、自分として生まれたのです。
あなたは、自分に生まれなければならなかったのです。
あなたは、自分を生きる必要があるのです。
人生において、自分を生きることは重要です。
自分を生きることが出来なければ、自分の意味と価値を発揮することは出来ないのです。
あなたがこの世界で意味と価値を得るためには、自分を生きなければなりません。
自分を生きることをしなければ、意味と価値を得ることは出来ないのです。
残念ながら、多くの人は、自分を生きることを嫌います。
多くの人は、自分ではない誰かに成りたいと考えているのです。
残念ながら、あなたは他の人には成れません。
あなたは、自分を離れることは出来ないのです。
自分を離れるということは、この世界における意味と価値を離れるということです。
それは、豊かさを離れるということだと理解しなければなりません。
どのように努力をしても、あなたが他の人に成ることは不可能です。
あなたが他の人に成ろうとしても、唯一の形が妨げとなるのです。
あなたは、生まれた時から唯一の存在です。
あなたは、生まれた時から特別な存在なのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
自分を生きることはとても大切なことです。
あなたは、安易(あんい)に他の人に成ろうとしてはなりません。
現状が辛いことは知っています。
どうにもならない苦しみを抱えていることも知っているのです。
それを手放したい気持ちは分かります。
しかしながら、それを手放そうとしてはなりません。
残念ながら、あなたがどれだけ努めても、自分を手放すことは出来ません。
自分を手放そうとする程に、自分は傷付いていくのです。
自分を傷付けてしまうと、それを修復、治療しなければなりません。
それは、あなたの仕事なのです。
自分を傷付けてしまうと、それを修復、治療するまでは、先へと進むことは出来ません。
自分を否定することは、二度手間であるということを覚えておきましょう。
あなたは、この世界に唯一の自分に生まれたのです。
それは、とても素晴らしいことなのです。
あなたは、自分という存在が持つ価値を理解しなければなりません。
この世界に唯一の存在ということは、価値は計り知れないのです。
この世界に唯一のもの以上に価値のあるものは存在しません。
あなたは、この世界で最も価値のある存在であるということを理解しましょう。

2019年11月16日土曜日

自分自身に恥じない今日

すべての人は、人生を始めなければなりません。
しかし、始めたものは、いつかは終わらなければならないのです。
この世界においては、始めたものはいつかは終わります。
始まりと終わりは一つのものです。
始まりだけでは存在することが出来ません。
始まりは、必ず終わりへと行き着くのです。
始まりは、終わりを避けることは出来ません。
どのような理由があろうとも、始まりは必ず終わるのです。
あなたが生まれることで始まった人生は、必ず死という終わりに到達します。
すべての人は死を得るのです。
誰も、死から逃れることは出来ないのです。
あなたは、いつかは必ず死ななければならないということを理解しましょう。
あなたの死を以(もっ)て、人生は終わりに辿り着きます。
人は、自分がいつ死を得るか分かりません。
人は、人生がいつ終わりへと辿り着くかを知らないのです。
それは、何十年も先のことかも知れませんし、今日のことかも知れません。
あなたには、死を避けることは出来ません。
死に対して、去るように求めても、死が去ることはありません。
どのような理由があろうとも、終わりに辿り着いた者は、死を得なければならないのです。
あなたは、自分がいつ死ぬか分かりません。
今日で人生が終わるかも知れないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
例えば、今日で人生が終わるとして、その選択で良いのですか?
すべての人は、人生において選ばなければなりません。
あなたには、自分の人生の選択が任(まか)されてるのです。
あなたは、自分で選ばなければなりません。
あなたの選択によって、人生の”質”は左右されるのです。
人生を豊かにするのも、人生を乏しくするのも、あなたの選択次第なのです。
あなたの選択によって、人生は変わるのです。
受けなければならないことに変わりはありませんが、受け方に違いが現れるのです。
あなたは、選択によって考え方を決めています。
あなたの選択が、あなたの考え方を形成しているのです。
あなたの考え方は、これまでの選択の結果です。
あなたは、誰かや何かの影響によって、その考え方に成った訳ではありません。
偶然に、そのような考え方に成った訳でもないのです。
あなたの選択によって、その考え方に成ったのです。
考え方は、生き方を形成します。
考え方の結果が、生き方として現れるのです。
あなたは、誰かや何かによって、その生き方に成った訳ではないのです。
あなたの考え方によって、その生き方に成ったのです。
一つ一つの選択によって、あなたは形成されます。
そして、あなたが人生の”質”を決めるのです。
一つ一つは、抱える程度の小さな石であっても、それを組み上げれば障壁(しょうへき)となります。
あなたは、石の壁を動かすことは出来ません。
これは、一つ一つの選択が重要であるということなのです。
終わりは必ず訪(おとず)れます。
それは、始めから決められていることなのです。
今日で人生が終わるかも知れません。
あなたの選択は、今日で人生が終わったとしても良いと思えるものでしょうか?
後悔は先に立つものではありませんが、出来る限り後悔しないように生きなければなりません。
難しく考える必要はありません。
例えば、出来ることを怠(なま)けたという選択のままで人生が終わって良いのか?ということなのです。
無理を強いるつもりはありません。
出来ないことは出来ないのです。
しかし、出来ることは出来るのです。
出来ることをしないでいると、後に悔(く)やむことになるでしょう。
簡単なことなのです。
出来ることをするか?しないか?という選択なのです。
あなたには、その選択しか与えられていないのです。
石を積むか、積まないかということなのです。
出来ることを続けることによって、人は人生に豊かさを実現します。
しかしながら、出来ることを否定し続けることによって、人は人生に乏しさを実現してしまうのです。
出来ることはやりましょう。
しかしながら、出来ないことをする必要はありません。
人生が今日で終わるかも知れないということを理解しましょう。
自分自身に恥じない今日にしましょう。

2019年11月15日金曜日

知恵の正体

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人には、それぞれに異なる目的が与えられています。
人は、それぞれの目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすためには、それを果たすに相応しい自分でなければなりません。
人生の目的を果たすに相応しい自分でなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人生の目的を果たすためには、多くの知恵が必要だからです。
知恵の働きがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
知恵とは、知識と経験によって紡(つむ)ぎ出された力のことです。
人は、知恵によって人生の目的を果たす力を得るのです。
知恵に乏しければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、知恵を得なければなりません。
知恵を得るためには、知識と経験が必要です。
知識とは、この世の理(ことわり)を見極める力のことです。
人は、知識を蓄(たくわ)えることによって、この世の理を見極める知性を得るのです。
経験とは、この世の理を受け入れることの出来る力のことです。
人は、経験を蓄えることによって、この世の理を受け入れる勇気を得るのです。
知性と勇気こそが、知恵の正体なのです。
人生の目的を果たすためには、知性と勇気が必要なのです。
知性に欠け、勇気を持たない者が、どうやって人生の目的を理解し、それを果たすというのでしょう?
多くの人は、自分が何であるのか?ということすら分からないのです。
多くの人は、人生が何であるのか?ということを答えることが出来ないのです。
自分が何であり、人生が何であるのか?ということを知らないのです。
そこに知恵の働きは存在しないのです。
自分が何であり、人生が何であるのか?という問いに答えることが出来るのが知恵なのです。
人は、知恵によって自分と人生の意味を知るのです。
知恵に乏しければ、自分と人生の意味を知ることは出来ません。
そして、自分と人生の価値を理解することは出来ないのです。
大切なのは、知恵を得ることです。
あなたは、出来る限り知恵を高めなければなりません。
あなたが知恵を得るためには、知識と経験を必要とします。
あなたは、知識と経験を集めなければなりません。
しかしながら、空しい知識と経験を集めたとしても、知恵を得ることは出来ません。
空しい知識と経験によっては、知恵は得られないのです。
大切なのは、本質的な知識と経験を得ることです。
自分とは何か?人生とは何か?という問いが最も根源的なものです。
そこから離れる程に、空しくなるのです。
残念ながら、多くの人は空しい知識と経験を集めています。
多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ることによって、空しさに陥(おちい)るのです。
あなたが本質的な知識と経験を得るためには、志(こころざし)を持たなければなりません。
志を持たなければ、本質的な知識と経験を得るまでに諦(あきら)めてしまうのです。
志は、人を本質へと導いてくれます。
志に導かれなければ、人は本質へと辿り着くことは出来ません。
大切なのは、志と共に生きることです。
痩せた土地に蒔(ま)かれた種は、豊かに育ち、豊かに実ることはありません。
それは、小さな器に蒔かれた種が、小さく育つのと同じなのです。
土地とは、あなたの心です。
種とは、理のことなのです。
種を見ただけでは、それが何の種なのか?分かりません。
種を見極めるためには、それが育ち、実を付けなければならないのです。
その実を見るまでは、その種がどのようなものか分からないのです。
豊かな心で生きなければ、理を理解することは出来ません。
人生の目的を見失い、目の前の快楽や欲望に陥(おちい)っている心には、理を理解することは出来ないのです。
大切なのは、心を豊かに保つことです。
心が汚れ、傷付き、狭量(きょうりょう)であれば、理を理解することが出来ません。
理を理解することが出来なければ、人生の目的を理解することも出来ないのです。
理は、あなたの道を整えます。
理は、あなたが道を違(たが)えないように導くのです。
豊かな心で生きているのであれば、あなたは自分が何であり、人生が何であるのか?ということを理解することが出来るでしょう。
それをすぐに理解することは出来ませんが、いつか必ず理解することが出来るのです。
豊かな土地、大きな器に蒔かれた種は、長い年月を掛けても、必ず実りをもたらすのです。
人生は、結論を急いではなりません。
あなたは人生を長い目で見る必要があるのです。
人生の目的を果たしたければ、豊かな心で生きることです。
思い通りにならないことの方が多いでしょうが、豊かな心を保たなければなりません。
豊かな心を保たなければ、人生を理解することは出来ないのです。
知恵を得るためには、豊かな心を保つ必要があるということを覚えておきましょう。

2019年11月14日木曜日

帳尻は合う

この世界には、必要だけが存在しています。
この世界に存在するすべては、それがどのようなものであろうとも必要なのです。
この世界には、無駄は存在しません。
無駄に思えるものは存在するでしょうが、それが無駄であることはないのです。
現状において必要に思えなくても、後にその必要性を理解することが出来るでしょう。
何一つとして、無駄は存在しないのです。
すべては必要です。
すべては、最善なのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
大切なのは、必要を理解することです。
そして、必要を受け入れることなのです。
残念ながら、必要とは、あなたにとって都合の良いものとは限りません。
必要は、あなたにとって都合の良いこともあれば、都合の悪いこともあるのです。
それが、必要というものなのです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければならないのです。
それは、人生に目的を以(もっ)て生まれたからです。
目的が存在するということは、未熟であるということなのです。
目的を果たすためには、完全ではならないのです。
目的を果たすためには、未熟でなければなりません。
そのため、生まれてくるすべての人が未熟であるのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
大切なのは、自分が未熟であるということを理解することです。
未熟であるあなたは、過(あやま)ちを犯します。
あなたは、必ず間違えるのです。
あなたは、必ず失敗します。
そして、あなたは必ず後悔するのです。
人生に実現するのは、自分自身の選択の結果です。
それ以外の状況が実現することはありません。
なぜなら、この世界には、因果の仕組みというものが存在しているからです。
因果の仕組みとは、すべての結果には、それに相応しい原因が存在するということです。
そして、すべての原因は、それに相応しい結果を実現するということなのです。
因果の仕組みが働いていない場所や人物はありません。
因果の仕組みは、すべての場所で、すべての人に実現するのです。
あなたは、自分自身の選択の結果を受け取らなければならないのです。
残念ながら、それ以外を受け取ることは出来ません。
あなたが受け取るものは、そのすべてがあなたに相応しいものなのです。
あなたに相応しくないものが導かれることはありません。
あなたに関係のないものが導かれることはないのです。
人生の帳尻(ちょうじり)が狂うことはありません。
人生に、都合の良いことばかりを選択し、都合の良いことばかりを受け取ることは出来ないのです。
都合の悪いことが相応しいのであれば、都合の悪いことが導かれます。
都合の良いことが相応しいのであれば、都合の良いことが導かれるのです。
人生は、必要によって動いています。
あなたの都合に合わせて動いてはいないのです。
必要と都合は異なります。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
あなたが従うべきは、都合ではありません。
都合とは、利己的な考えに他ならないからです。
あなたの都合に悪いことであっても、導かれたのであれば、それは、あなたにとっての最善なのです。
残念ながら、あなたには、価値を理解することが出来ません。
多くの人は、都合で考えるのです。
大切なのは、因果の仕組みで考えることなのです。
自分に相応しく、必要なのはどのようなことなのか?と考えるのです。
人生は、帳尻が合うものなのです。
誰一人として、因果の仕組みを免(まぬが)れることは出来ません。
あなたは、自分に相応しいものを受け取らなければならないのです。
人生は、あなたの選択に相応しい展開をします。
それは、すぐに実現することもありますが、忘れた頃に実現することもあるのです。
必要なタイミングを選ぶことは出来ません。
必要は、あなたの都合に関係なく実現するのです。
この世界には、無駄は存在しません。
すべてが最善として存在するのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
自分の選択の結果から逃れることは出来ません。
身に覚えが無くても、それは、身から出た錆(さび)であり、当然の幸福なのです。
この世界には、因果関係の存在しないことはありません。
すべての人は、当然の報(むく)いを受けるのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
すべての人は、罰から逃れることは出来ません。
そして、報酬からも逃れることが出来ないのです。
人生の帳尻は必ず合うのです。
そのことを覚えておきましょう。
余計な心配はいりません。
自分の務めを果たしましょう。

2019年11月13日水曜日

奪い去られるもの

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、以て生まれた目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことは、何よりも重要なことです。
何を成し、何を得たとしても、人生の目的を果たすことが出来なければ、人生は空しいのです。
何も成さず、何も得ることがなくても、人生の目的を果たすことが出来れば、人生は豊かであるということを理解しましょう。
人生の目的を果たすことが、人生における目的です。
あなたは、目的を果たすために生まれたのです。
それ以外の理由はありません。
あなたは、人生の目的を無視して生きるために生まれたのではないのです。
目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)るために生まれたのではないのです。
思い通りにするために生まれたのではありません。
贅沢(ぜいたく)な暮らしをするために生まれたのではないのです。
名声を得るために生まれたのでもありません。
地位を勝ち取るために生まれたのではないのです。
必要以上に財産を所有するために生まれたのでもありません。
誰かを痛め付けるために生まれたのでもありません。
あなたが生まれたのは、人生の目的を果たすためなのです。
しかしながら、人生の目的はそれぞれに異なります。
一人一人、人生の目的は異なるのです。
歩まなければならない道は、人それぞれに異なります。
あなたは、あなたの道を歩まなければならないのです。
人生において、経験すべきことは異なります。
あなたには、必要な経験と不要な経験が存在するのです。
他者の経験が、あなたに必要であるとは限りません。
あなたは、自分にとって必要な経験をすれば良いのです。
他者のように経験しても、人生の目的が異なっている以上、そこに価値はないのです。
しかしながら、必要な経験は、どのような理由があろうとも経験しなければなりません。
必要は強制的な経験であり、不要は願っても経験することが出来ません。
あなたは、人生において必要を経験するのです。
そして、必要な道を進むということを理解しなければなりません。
あなたが経験しなければならないことと、他者が経験しなければならないことは異なります。
あなたの目の前に導かれるのは、あなたが経験しなければならないものです。
他者の目の前に導かれるのは、他者が経験しなければならないものなのです。
目の前には、必要が導かれます。
あなたは、それを否定することは出来ません。
人生における経験は、それがどのようなものであろうとも、仕方のないことなのです。
あなたは、それを経験するしかないのです。
目の前に導かれた経験は、それがどのようなものであろうとも、経験する価値があります。
決して、無駄にはなりません。
すべての経験には、人生の目的を果たすために必要なものなのです。
あなたは、目の前の経験によって成長を実現することが出来るのです。
あなたは、目の前の経験によって成長を実現しなければなりません。
成長することがなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
成長することは、とても大切なことなのです。
あなたは、目の前に必要な経験がある内に、それを経験しなければなりません。
なぜなら、それはいつか奪い去られるからです。
どのような必要も、あなたが必要としない限りは奪い去られるのです。
必要は、いつまでも同じ形をとどめてはおきません。
必要が、必要であることが大切なのです。
しかしながら、多くの人は、そのことに気が付きません。
必要が奪い去られてからでは、それを大切にすることは出来ないのです。
それが、自分にとって都合の悪い経験であったとしても、必要として導かれたのです。
あなたは、それを出来る限り大切にしなければなりません。
否定や拒絶をしてはいけないということではありません。
出来る範囲で、それを受け入れなければならないのです。
必要な経験からは、学ぶべきことがたくさんあります。
あなたは、必要な経験からしか学ぶことが出来ないのです。
不要な経験をどれだけ集めても、そこから学ぶことは出来ません。
学ぶことが出来なければ、成長を実現することは出来ないのです。
必要な経験が奪い去れれる前に、それを学びましょう。
否定し続けるのであれば、必要は奪い去られてしまうのです。
後悔は、先に立ちません。
あなたは、必要に後になって気が付くのです。
必要な経験が目の前に存在する時には、その必要性に気が付かないものです。
失って悔やんではなりません。
目の前に導かれる経験を軽んじてはなりません。
それは、目の前に導かれる意味と価値のあるものなのです。

2019年11月12日火曜日

肉の檻

すべての人は、渇きます。
すべての人は、満たされないのです。
それは、すべての人が”肉”に生まれたからです。
”肉”とは、精神の檻(おり)のことです。
すべての精神は、”肉”の檻によって縛られているのです。
”肉”は渇きを覚えます。
それを、精神の渇きと混同しているのです。
すべての”肉”は渇きを訴(うった)えます。
あなたは、”肉”のために働かなければならないのです。
それは、精神の解放を恐れているからです。
人は、精神を真実から守らなければなりません。
人は、精神が真実に触れることを恐れているのです。
真実とは、人生の目的のことであり、真(まこと)の自分のことです。
すべての人は、人生の目的や真の自分を恐れています。
なぜなら、それは険しい道程(どうてい)だからです。
人生の目的を果たすことや、真の自分を生きることは容易(ようい)ではありません。
それは、この人生において、最も難しいことなのです。
どのような挑戦も、人生の目的を果たすことや、真の自分を生きることに比べると気楽であり、容易(たやす)いのです。
人生の目的を果たすことや、真の自分を生きることは、何よりも難しいことだと理解しましょう。
多くの人は、偽りを生きています。
人生の目的を見失い、自分に嘘を吐いて生きているのです。
”肉”の檻の中に隠れていれば、人生の目的や真の自分に向き合わずに済みます。
”肉”の檻の中では、恐ろしいことはないのです。
”肉”の檻の中では、すべてが鈍(にぶ)く、まやかしです。
”肉”の檻の中では、あなたは見ても見えません。
”肉”の檻の中では、あなたは聞いても聞こえません。
”肉”の檻の中では、あなたは触れても触れられません。
”肉”の檻の中では、あなたは理解しようとしても、理解することが出来ないのです。
”肉”の檻の中では、何でも歪(ゆが)んでしまうのです。
あなたは、”肉”の檻の中に縛られています。
あなたは、渇いているのです。
渇いていれば満たされることがありません。
満たされなければ、次から次へと欲しなければならないのです。
満たされなければ、多くを必要とします。
飲んでも渇くのであれば、大量に飲まなければならないのが、人の悲しい性(さが)なのです。
はっきりさせておかなければなりませんが、満たされるためには、本質を得なければなりません。
本質を得なければ、あなたが満たされることはありません。
残念ながら、多くの人が満たされません。
それは、多くの人は、自分が本質から離れているということを知らないからです。
多くの人は、末梢的(まっしょうてき)に生きています。
そして、末梢的なものを好むのです。
末梢的とは、この世界において粗悪(そあく)を示します。
それは、底の抜けたバケツのようなものなのです。
底の抜けたバケツでは、どのように努めても満たされないのです。
満たされるためには、本質的なものを得なければなりません。
本質的に生きることによって、優良を得ることが出来るのです。
あなたが満たされるためには、本質であり、最良のものを得なければなりません。
多くの人は、欲望に従います。
多くの人は、悪いもので自分を満たしているのです。
しかし、悪いものをどれだけ得ても、あなたが満たされることはありません。
毒の種は、毒の実を付けます。
毒の種を蒔(ま)けば、毒の実を結ばなければならないのです。
あなたは、それを腹に納めなければならないのです。
毒は苦しみを与えることでしょう。
多くの人は、”肉”の檻から抜け出せずにいます。
それは、そこにいれば安全であり、安心であると思い込んでいるからです。
しかしながら、”肉”の檻の中にいれば、人生の目的を果たすことは出来ません。
当然、真の自分に成ることも叶わないのです。
あなたは、”肉”から脱出しなければなりません。
精神を解放するのです。
そうすれば、渇くことはなくなるのです。
そして、欲求の苦しみから解き放たれるのです。
欲求は苦しいことだと理解しましょう。
”肉”の檻を抜け出し、人生の目的を果たしましょう。
そして、真の自分に成りましょう。