すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、持って生まれた目的を果たさなければなりません。
しかしながら、目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、すべての人が未熟に生まれなければならないからです。
すべての人は、未熟に生まれるのです。
それは、人生に目的を以て生まれなければならない人の性(さが)なのです。
人生を始めるためには、目的が必要です。
目的が存在しなければ、人生は始まらないのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
この世界においては、原因が存在しなければ、結果は存在することが出来ません。
種が存在しなければ、芽は存在することが出来ないのです。
肉眼では確認することが出来なくても、土には種が蒔(ま)かれています。
至る所から、野草は芽を出すのです。
種が見えなかったからといって、種が存在しないということはありません。
芽が出た時に芽を認識するのであれば、そこには確実に種が蒔かれていたのです。
人生に対する認識は、大抵の場合貧弱です。
多くの人は、人生の目的を知りません。
人生が何であるのか?あなたは答えることが出来るでしょうか?
多くの人は、この根源的な問いに答えることが出来ないのです。
多くの人は、自分が何であるのか?ということすら答えることが出来ないのです。
あなたは、自分が何であり、人生が何であるのか?ということを答えることが出来ますか?
残念ながら、あなたには答えることが出来ないでしょう。
それは、あなたが未熟に生まれなければならないからです。
すべての人が未熟です。
そのため、すべての人が事情を抱えています。
人は、それぞれに事情があるのです。
事情は、人の選択肢に制限を設けます。
事情は、あなたが限られた選択をするように導くのです。
それは、あなたに必要な学びを得させるためです。
人は、限られた範囲で学びを得なければなりません。
なぜなら、限られた範囲の学びでなければ、身に付けることが出来ないからです。
無数に存在する選択肢の中から、一つを選ぶことは容易ではありません。
情報量が多過ぎれば、人は理解を深めることが出来ないのです。
本がページに分けられているのは、理解を深めるためです。
情報をページによって区切っているため、理解を深め易いのです。
本の情報が一枚の大きな紙に書かれていれば、それを読むことも理解することも難しいのです。
人が理解を深めるためには、情報も学びも小分けにするのが良いのです。
大量の情報を一度に詰め込んでも、覚えることは出来ません。
そのような方法では、覚えるよりも忘れることの方が多いのです。
しかしながら、少量の情報を小分けにして学べば、覚えることも出来るのです。
事情は、人に必要な学びを得させるための最善なのです。
事情によって、人の選択肢は制限されます。
多くの人は、それを悪いことのように考えてしまうのです。
自由であることは素晴らしいことです。
しかしながら、それは、航路を持たない船舶のようなものなのです。
大海を自由に進むことは命取りです。
道とは、限られた範囲を進むことです。
自由に進むのであれば、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生は、事情を使ってあなたの成長を促(うなが)し、人生の目的を果たさせようとしているのです。
事情を恨(うら)んではなりません。
人生は、思い通りになることが最善ではないのです。
未熟者には、最善がどのようなものなのか分からないのです。
事情によって思い通りにならなくても、それが最善であるということを知りましょう。
目の前の状況を学ばなければ、それ以外の状況を学ぶことは出来ません。
現在、読んでいるページを理解することが出来なければ、次のページを理解することは出来ないのです。
本は、順序立てて文章を構成しています。
途中から読んでも、本の内容を理解することは出来ません。
飛ばして読んでも同じことなのです。
目の前の状況は、本のページのようなものだと考えれば良いでしょう。
その状況を学ばない限りは、別の状況を得ることは出来ません。
その状況から成長を実現しなければ、別の状況を学ぶことは出来ないのです。
人生は、自分に相応しい状況が導かれます。
それがどのような状況であろうとも、あなたにとっては最善の学びなのです。
思い通りにならないことも大切な学びなのです。
事情は、問題としてあなたの自由を束縛(そくばく)することでしょう。
しかしながら、不自由の中にこそ大切な学びが存在することを忘れてはなりません。
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