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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2020年11月30日月曜日

多様性

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
どのような人生にも、果たすべき目的が与えられています。
どのような人物も、目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことは、人生において重要です。
なぜなら、すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたからです。
あなたには、果たすべき人生の目的があるのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
人は、それぞれに異なる目的のために生まれるのです。
残念ながら、誰一人として、同じ目的のために生まれることは出来ません。
あなたには、あなただけの果たすべき目的が存在するのです。
同じ種類の樹木であっても、根差す場所は異なります。
樹形も異なれば、役割も異なり、寿命も異なるのです。
同じ種類の樹木であったとしても、存在する理由はそれぞれに異なるのです。
あなたは、皆と同じ人間です。
しかしながら、人生を生きる理由は異なるのです。
あなたと同じ理由で生きている人はいません。
誰も、あなたと同じ理由で生きることは出来ないのです。
あなたは、この世界には多様性(たようせい)が存在するということを理解しなければなりません。
多様性を理解することが出来ずに、何もかもを一緒くたにしてしまえば、不自然を実現してしまうのです。
不自然とは、一様(いちよう)であるということです。
違いが存在しないのは不自然なのです。
違うことが自然です。
多様性が存在することが自然なのです。
あなたは、自然を生きなければなりません。
なぜなら、不自然を生きていれば、人生の目的を果たすことが出来ないからです。
あなたは、多様性を生きなければなりません。
誰かと同じように生きてはなりません。
違いがある方が良いのです。
あなたは、多様性を受け入れなければなりません。
なぜなら、人生の目的は、人それぞれに異なっているからです。
正しい人はいないのです。
もちろん、間違っている人もいません。
正解は存在しません。
もちろん、不正解も存在しないのです。
すべてが正しく、すべてが間違っています。
あなたには、答えを出すことは出来ないのです。
必要だからこそ、多様性が与えられているのです。
すべてが異なっていて良いのです。
肯定(こうてい)も否定(ひてい)もしてはならないのです。
大切なのは、違いを認めることです。
必要によって、違いが与えられているのです。
必要は、あなたが決めることではないのです。
必要を決めるのは、あなたの仕事ではないのです。
あなたの仕事は、多様性を受け入れて、個性的に生きることです。
個性的に生きることは、決して難しいことではありません。
個性的に生きることは、特別なことではないのです。
個性的に生きることが自然です。
個性を潰(つぶ)してはならないのです。
それでは、不自然を生きることになるからです。
あなたは、多様性を認めなければなりません。
誰が、何をしようと構わないのです。
皆が同じことをするのは危険なのです。
それでは、選択肢が狭(せば)まってしまうからです。
選択肢を狭めてしまえば、果たすべき人生の目的を果たすことが出来ないということが有り得るのです。
あなたの果たすべき目的は、他の誰とも異なります。
他の誰とも異なる目的を果たさなければならないのに、多様性を否定してはならないのです。
多様性を受け入れなければ、自分で自分の首を絞めることになってしまうのです。
多様性を認めることのない者は、自身の多様性を認められることがありません。
あなたは、他の誰とも異なる目的を果たさなければなりません。
あなたの人生の目的は、他の誰とも同じものではないのです。
多様性を認めていなければ、あなたの個性が認められることはありません。
それでは、人生の目的を果たすことが出来ないのです。

2020年11月29日日曜日

術を磨く

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
誰一人として、人生に無意味に生まれることはありません。
どのような人物にも、果たすべき目的が存在するのです。
果たすべき人生の目的は、人生を価値のあるものにします。
人生の目的を見失っている者は、人生の価値を知らないのです。
残念ながら、多くの人が人生の目的を知りません。
多くの人は、人生が何か?ということを知らないのです。
多くの人は、自分が何のために生きているのか?分からないのです。
多くの人は、人生に価値を見出すことが出来ません。
それは、人生を空しくしてしまうのです。
多くの人は、人生を空しく生きています。
多くの人は、人生の空しさに気が付いているのです。
しかしながら、空しさを認めてしまうと絶望を得なければならないために、空しさを否定しようとするのです。
多くの人は、空しさを否定しようとして、目の前の快楽や欲望や責任を貪(むさぼ)るのです。
目の前の快楽や欲望や責任を貪ることによって、どうにか空しさを直視しないようにしているのです。
しかしながら、目の前の快楽や欲望や責任を貪ることにも限界があります。
なぜなら、目の前の快楽や欲望や責任を貪ることにも空しさを覚えてしまうからです。
いつまでも、目の前の快楽や欲望や責任を貪ることは出来ません。
歳を取ってまで、同じように目の前の快楽や欲望や責任を貪ることは出来ないのです。
若人(わこうど)には嬉しいことも、老人には苦しいのです。
以前は満たされていたことにも、空しさを覚えるようになるのです。
いつまでも、目の前の快楽や欲望や責任によって、自分を偽ることは出来ないのです。
若くて何も知らない時には騙(だま)すことも出来ますが、視野が広がってくると騙すことは出来ないのです。
そのため、あなたは空しさを増すのです。
”普通”に生きているのであれば、必ず空しさに到達します。
目の前の快楽や欲望や責任を追い求めるように生きる者は、必ず空しさを得るのです。
大切なのは、人生を追求することです。
あなたは、人生の意味を知らなければならないのです。
あなたは、何のために生まれたのですか?
人生とは何でしょうか?
人生を知ることはとても重要なのです。
なぜなら、あなたには、果たさなければならない人生の目的が存在するからです。
あなたは、人生の意味を追求しましょう。
人生を、目の前の快楽や欲望や責任を貪るために費やしてはならないのです。
空しさのために生きてはなりません。
あなたの命は、そのように詰(つ)まらないものではないのです。
あなたは、自分を軽んじてはなりません。
空しく生きてはならないのです。
目の前の快楽や欲望や責任を追い求めても、得られるのは空しさです。
あなたは、そのような”普通”の生き方をしてはなりません。
人生の意味を追求しなければならないのです。
人生の意味を追求するために、あなたは自分を磨かなければなりません。
自分を磨くためには、自分を追求することなのです。
あなたは、目の前の快楽や欲望や責任ではなく、自分と向き合わなければなりません。
自分と向き合うためには、術(わざ)を磨かなければなりません。
術を磨くことによって、あなたは自分を知ることが出来るのです。
術が磨かれるのであれば、あなたは自分に近付きます。
術を磨くことで、あなたは自分に成るのです。
術を磨くためには、多くの時間と労力を必要とします。
術を真剣に磨こうと思えば、時間と労力は足りないのです。
目の前の快楽や欲望や責任に対して、時間と労力を費やしている余裕はないのです。
術は、磨く程に光り輝きます。
術は、歳を取る程に磨かれるのです。
人は、歳を取る程に良く成るのが自然なのです。
歳を取る程に悪く成るというのは不自然です。
残念ながら、多くの人は、不自然を生きているのです。
多くの人のように生きれば、不自然を積み重ねることになるのです。
それは、問題を積み重ねることなのです。
大切なのは、自然を積み重ねることです。
それは、術を磨き、自分を追求する生き方を選択するということなのです。
あなたは、何のために生まれたのでしょうか?
その答えは、自分を知らずに知ることは出来ません。
あなたは、老いる程に輝かなければなりません。
老樹のように、術のある美しい樹形に育たなければならないのです。
歳を取っていても、術のない詰まらない人間であってはなりません。
若くしても、老いても、必要とされる人物でありましょう。
詰まらない人間に成ってはなりません。
歳だけ取ってはなりません。
術を磨き、自分を磨き、人生の目的を果たしましょう。

2020年11月28日土曜日

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすこと以上に重要なことはないのです。
人生の目的を果たすことが、人生の目的なのです。
あなたは、人生の目的を果たす必要があるということを覚えておきましょう。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
人生の目的を果たすためには、自らの役割に従順(じゅうじゅん)でなければなりません。
自らの役割に反抗するのであれば、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、そのための役割を果たさなければなりません。
役割を果たすことによって、人生の目的を果たすことが出来ます。
役割を果たすことがなければ、目的を果たすことは出来ないのです。
すべての人に、果たすべき役割が与えられています。
それは、人生の目的を果たすために必要な役割なのです。
必要な役割を果たさなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
いい加減に生きているようでは、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
役割を果たすためには、役割に徹(てっ)する必要があるのです。
途中で投げ出しているようでは、役割を果たすことは出来ないのです。
それが、どのような役割であったとしても、果たすことは容易(ようい)ではありません。
どのような役割を果たすことも、難しいということを覚えておかなければならないのです。
なぜなら、役割を果たすためには、様々な困難を乗り越えなければならないからです。
いい加減な態度では、どのような役割も果たすことは出来ないのです。
軽い気持ちでは、役割を果たすことが出来ません。
なぜなら、役割を果たすためには、苦しみを受けなければならないからです。
人生には、苦しみが導かれるのです。
それは、あなたには、苦しみが必要だからです。
苦しみが存在しなければ、人はすぐに思い上がってしまうのです。
人は、簡単に傲慢(ごうまん)に陥(おちい)ってしまうのです。
人生には、あなたが思い上がることがないように、苦しみが導かれるのです。
人生は、苦しみを使って、あなたが思い上がることを防いでいるのです。
人生が思い通りに展開すると想像してみましょう。
人生が思い通りになると、あなたはどのような態度で生きるでしょうか?
人生が思い通りになると、あなたは自らの分際(ぶんざい)を忘れ、偉(えら)ぶることでしょう。
すべての人間が未熟に生まれます。
そして、すべての人間が思い上がるのです。
あなたは、苦しみが存在することによって、思い上がることがないように調整してもらっているのです。
苦しみを嫌ってはなりません。
寧(むし)ろ、苦しみのおかげで、あなたは”自分”でいられるのです。
苦しみがなければ、あなたは”自分”を見失ってしまうでしょう。
すべての人が苦しみます。
それは、すべての人が”自分”を見失っているからです。
あなたは、”自分”が何か?分かりますか?
残念ながら、あなたには”自分”が何か?分からないでしょう。
それを思い出すために、苦しみが導かれているのです。
あなたは、苦しまなければなりません。
そうでなければ、あなたは容易に思い上がり、必要な役割を果たすことも、人生の目的を果たすことも出来ないのです。
あなたは何も知りません。
自分が何か?ということすら知らないのです。
あなたには、苦しみが必要であるということを覚えておきましょう。
苦しみの助けがなければ、あなたは真っ直ぐに歩くことすら出来ないのです。
苦しみが存在しなければ、すべての人が思い上がり、収拾(しゅうしゅう)の付かない事態に陥ってしまうのです。
苦しみは、人の歩みを修正するということを理解しましょう。
あなたが苦しむのは、間違っているからです。
間違っていなければ、苦しむこともないのです。
苦しみは避けられません。
それは、あなたが道を逸(そ)れてしまうからです。
あなたは、苦しみと共に歩みましょう。
苦しみは、あなたが転ばないように支える杖(つえ)のように頼もしいものなのです。
苦しみに感謝しなければなりません。
苦しみを嫌ってはなりません。
あなたが謙虚(けんきょ)でいられるのは、苦しみのおかげなのです。

2020年11月27日金曜日

不自然を続けることは出来ない

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生に果たすべき目的があるのです。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
それは、人生の目的を果たすことが生まれた理由だからです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
それ以外の理由はありません。
人生の目的を果たす以外の目的は存在しないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たす以上に重要なことはないのです。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
人生の目的を果たす必要があることを覚えておくことは、何よりも重要なことなのです。
しかしながら、多くの人は、何よりも重要なことを忘れてしまっているのです。
多くの人は、人生に目的が存在することを忘れています。
そのため、多くの人は、人生の目的を果たさなければならないということを忘れているのです。
すべての人にとって、人生の目的を果たすことは自然なことです。
人生の目的を追求することが、人の自然な姿なのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
それぞれの人生の目的は違っていて自然なのです。
何一つとして、同じ目的は存在しません。
同じ目的のために生まれる人はいないのです。
人は、それぞれに異なった目的を果たすために生まれたのです。
あなたは、自分の人生の目的を果たすために生きなければなりません。
それは、他者と異なって生きると言うことなのです。
他者と異なっていなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
他者と同じことをしているのであれば、人生の目的からは遠ざかっているということを理解しなければなりません。
人生の目的から遠ざかる程、あなたは苦しみと空しさを覚えます。
人生に苦しみや空しさを抱えている人は、人生の目的から随分と遠ざかってしまっているのです。
それは、不自然な姿なのです。
残念ながら、多くの人は、不自然に生きているのです。
人生の目的を追求することが出来ず、不自然に陥(おちい)ってしまうのです。
不自然に陥ってしまうから、苦しくて空しいのです。
苦しさや空しさを離れるためには、自然を生きなければなりません。
自然とは、人生の目的を追求する姿のことです。
人生の目的を追求しているのであれば、どのような問題や障害も、楽しみを以て乗り越えることが出来ます。
人生の目的を追求しているのであれば、すべてが学びと理解することが出来るのです。
すべてが学びと理解することが出来れば、それ以上の苦しみや空しさは存在しないのです。
自然の中に苦しみや空しさを感じることはありません。
苦しみや空しさは、不自然の中に存在しているのです。
あなたは、不自然を続けることは出来ません。
苦しみや空しさを続けることは出来ないのです。
例えば、逆立ちをいつまでも続けることは出来ません。
それは、不自然だからです。
人間は、逆立ちでいられるようには作られていないのです。
人間は、頭を上にして足で立たなければならないのです。
それが自然の姿です。
自然でなければ続けることが出来ません。
無理は続かないのです。
理(ことわり)に逆らい続けることは出来ません。
人生は、苦行ではないのです。
あなたは、不自然や無理を続けるために生まれたのではありません。
あなたは、自然に生きるために生まれたのです。
それは、無理のない、理に従った生き方なのです。
理とは、目の前の現実です。
目の前の現実は、理を実現するのです。
理を実現することのない現実は存在しません。
すべての現実が、理の現れなのです。
目の前の現実を受け入れることが、理を受け入れるということです。
理を受け入れることが自然なのです。
目の前の現実を受け入れることが自然なのです。
目の前の現実を否定するのは不自然なことだと気が付かなければなりません。
人生における必要は、あなたの頭では理解することが出来ません。
いくら考えても、損得勘定に支配されている頭では、決して理解することは出来ないのです。
あなたの頭は、浅知恵によって、自分にとって都合の良い方を選びます。
残念ながら、自分にとって都合の良いものは、不自然なものが多いのです。
それは、あなたが逆さまだからです。
あなたは何も知りません。
自分が何であるか?ということすら知らないのです。
あなたが、不自然に陥ることは当然なのです。
大切なのは、自らが不自然に陥っているということに気が付くことです。
自らの不自然さに気が付けば、逆さまをひっくり返そうと試みるようになるのです。
逆さまをひっくり返すことで、自分が何か?ということを知る手掛かりが得られるのです。
あなたは、逆さまをひっくり返さなければなりません。
不自然を手放すのです。
あなたは、自分を生きなければなりません。
自分の人生を生きなければならないのです。
誰かや何かの指し示す価値観は自然ではありません。
誰かや何かに従って生きても、あなたは自分に成ることも、人生の目的を果たすことも出来ないのです。
誰も、あなたの自然を知りません。
あなただけが、自然を知るのです。
自然を生きるためには、自らに向き合わなければなりません。
誰かや何かの価値観に向き合っていてはならないのです。
無理をして生きる必要はありません。
生きたいように生きることが最善なのです。
自分らしく生きましょう。

2020年11月26日木曜日

真を探す

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
それ以外の目的は存在しません。
目の前のどのような目標も、人生の目的を果たすための通過点に過ぎません。
人生の目的は、あなたに見えるような近場には存在しないのです。
あなたの掲げている目標は、人生の目的ではありません。
人生の目的は、今のあなたには想像することすら出来ないのです。
人生の目的は、あなたには予想も付かないものなのです。
しかしながら、あなたは人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、真(まこと)の価値を見出さなければならないのです。
偽りの価値を集めても、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
真の価値だけが、人生の目的を果たすのです。
真の価値に辿り着くことによって、あなたは、人生の目的を果たすことが出来るのです。
すべてのものに価値がありますが、真の価値を手に入れなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、真の価値を探さなければなりません。
しかしながら、真の価値を見出すことは容易(ようい)なことではないのです。
なぜなら、あなたは未熟であるからです。
すべての人は、未熟に生まれるのです。
未熟とは、知らないということです。
残念ながら、あなたは真の価値を知らないのです。
何が真の価値か分かりません。
それが普通なのです。
多くの人は、真の価値を知らずに生きているのです。
真の価値を知らないにもかかわらず、幸福を手に入れたと思い込んでいるのです。
残念ながら、真の価値を知らなければ、真の幸福を手に入れることは出来ません。
目標を達成して得られる幸福は、真の幸福ではありません。
なぜなら、 一つの目標を達成して幸福を得たとしても、すぐに次の目標が現れ、それと同時に幸福も消え去ってしまうからです。
次の目標が現れたら、次の幸福も現れるのです。
そのため、目の前の目標を果たすことで得られる幸福は、真の幸福ではないのです。
真の幸福は、あなたには想像も出来ないものです。
あなたが幸福だと思っている状態は、やがて不幸へと変わってしまいます。
人は、同じ形の幸福をいつまでも幸福だとは思えないのです。
幸福には期限があり、必ず腐ってしまうのです。
残念ながら、多くの人は、腐ってしまった幸福をいつまでも大切に抱えています。
それは最早(もはや)不幸であるにもかかわらず、いつまでも執着(しゅうちゃく)しているのです。
あなたは、腐ってしまった幸福をいつまでも抱えていてはなりません。
腐ってしまった幸福は手放さなければならないのです。
そして、新しい幸福に手を伸ばさなければならないのです。
あなたは、幸福の形を新しくしなければなりません。
それは、あなたには真の幸福が分からないからです。
いつまでも、同じ幸福の形に執着してはなりません。
幸福の形は、変わっていくのが自然なのです。
あなたは、幸福の形を変えなければなりません。
幸福の形は、誰かや何かに決められるようなものではないのです。
誰かの幸せの形が、あなたに当てはまるということはないのです。
あなたにはあなただけの幸福の形が存在しているのです。
それは、人それぞれに人生の目的が異なっているからです。
幸せの形は、それぞれに異なっているのが自然なのです。
誰かや何かの提唱(ていしょう)する幸福の形を追い求めても、あなたがそれによって幸福を得ることは出来ないのです。
人生の目的に関係のない幸福の形を手に入れたとしても、あなたが幸福を覚えることはないのです。
真の幸福は与えられるものではありません。
真の幸福を手に入れるためには、真の価値を手に入れなければなりません。
あなたが、真の価値を手に入れるためには、自分自身と向き合わなければなりません。
自分自身と向き合わなければ、真の価値を手に入れることは出来ないのです。
誰かや何かに翻弄(ほんろう)されてはなりません。
あなたは自らの魂に問い、宿命に従って生きるのです。
誰かや何かの言う通りに生きたとしても、真の価値や真の幸福を手に入れることは出来ないということを覚えておかなければなりません。
真の価値や真の幸福は、誰かから教えられるものではないのです。
あなたが自分自身に向き合い、自分自身で気付き、自分自身で手に入れなければならないのです。
誰かや何かがもたらす価値や幸福は、偽りであるということを忘れてはなりません。
偽りの価値や幸福を有り難がって、いつまでも抱えていてはなりません。
手に入れるべき真の価値や幸福は、ずっと先に存在しているのです。
あなたは、真の価値や幸福を探し続けなければなりません。
人生を終えるその時にまで探し続けなければならないのです。
現状の幸福は、真の価値や幸福ではありません。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
真の価値や幸福を追い求め、人生の目的を果たしましょう。

2020年11月25日水曜日

所有

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
それは、人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由だからです。
すべての人が、人生の目的を果たすために生きているのです。
人生の目的を無視して生きることの出来る人はいません。
どのような理由があろうとも、人生の目的は果たさなければならないのです。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、あなたには、自らの果たすべき人生の目的が分からないからです。
残念ながら、すべての人は、未熟に生まれます。
どのような人物も、自分が何か?ということすら知らないのです。
最も近くに存在する自分というものが何かも知らない者には、人生の目的など分かるはずがないのです。
あなたは、自分が何か?分かりますか?
あなたには分からないでしょう。
もしも答えたとしても、その答えは未熟であり、簡単に覆(くつがえ)ってしまうのです。
簡単に覆るような答えが正解であるはずがありません。
残念ながら、すべての人は、自分を知らないのです。
自分を知らなければ、この世のことも知りません。
あなたには、この世の理(ことわり)が分からないのです。
理とは、この世の動きです。
この世は、理に従(したが)って動くのです。
この世が、理を無視して動くことはありません。
それがどのような変化であろうとも、理に従って動いているということを知らなければなりません。
理が、無駄や無価値なことを実現することはありません。
理は、意味があり、価値のあることだけを実現するのです。
この世に実現するものは、それがどのようなものであれ、意味があり価値があるということを理解しなければなりません。
すべてが必要であり、最善なのです。
あなたは、未熟ながらも、そのことを覚えておかなければなりません。
現実に意味や価値を見出すことが出来なければ、あなたは人生を空しく生きてしまうでしょう。
目の前の最善に対して、不平不満を吐き、不安や心配によって苦しんでしまうのです。
あなたは、無理に苦しむ必要はありません。
未熟であるが故(ゆえ)に誤解を抱え、それを解消するために苦しむ必要はありますが、目の前の状況が最善であると知っているのに苦しむ必要はないのです。
人生を空しく生きる必要もありません。
あなたは、感謝の気持ちを以て、豊かに生きれば良いのです。
あなたは、豊かに生きましょう。
気持ちに余裕を以て穏やかに生きるのです。
どのようなことが起ころうとも、それが必要であり最善です。
あなたは、理を信じなければなりません。
理を信じることをせずに、自分勝手に生きてはならないのです。
残念ながら、多くの人は自分勝手に生きています。
多くの人は傲慢(ごうまん)に生きているのです。
自らの理想を掲げ、それを実現するために奔走(ほんそう)するのです。
多くの人は、理想が実現することが最善で、思い通りにいかないことを最悪だと考えています。
理想が実現することは、良いことのように思えます。
しかしながら、あなたは自分が未熟であるということを忘れてはならないのです。
あなたには、必要と最善が分からないのです。
必要を不要とし、最善を最悪としているのです。
それでは、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、謙虚(けんきょ)に生きなければなりません。
謙虚に生きなければ、理を理解することは出来ないのです。
この世には、あなたの所有物は何一つ存在しません。
多くの人は、何かを所有していると思い込み、物に翻弄(ほんろう)されるように生きています。
多くの人は、所有物に人生を決められているのです。
残念ながら、この世にあなたの所有物は何一つ存在しません。
すべてはこの世の所有物なのです。
誤解してはなりません。
何を手に入れ、何を手放すかを決めるのはあなたではないのです。
何を手に入れ、何を手放すかは、理が決めるのです。
あなたが自らの力で手に入れたものはありません。
あなたが自らの力で手放せたものもないのです。
すべてが、必要によって決められているのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
何一つとして自分で決められないことを理解すれば、何を手に入れて、何を手放すにしても、そこに不平不満や不安や心配、歓喜(かんき)などの誤解を抱えることもないのです。
すべてが必要によって決められていると理解すれば、何を手に入れ、何を手放すにしても、感謝の気持ちでその状況を受け入れることが出来るはずなのです。
自分の所有物だと考えている愚(おろ)かな者には、その愚かさに相応(ふさわ) しい苦しみが導かれるでしょう。
欲深く生きてはなりません。
必要を妨げてはならないのです。
何を手に入れ、何を手放したとしても、感謝の気持ちを以て、その状況を受け入れなければなりません。
なぜなら、それがあなたにとっての必要であり最善であるからです。
それ以外の必要と最善は存在しないのです。
あなたは、何も所有してはいません。
執着(しゅうちゃく)を離れましょう。

2020年11月24日火曜日

答えを探す

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由なのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことは容易(ようい)なことではありません。
人生の目的は単純なものですが、それを果たすことは難しいのです。
なぜなら、人生の目的を果たすためには、宿命に従わなければならないからです。
宿命に従うということ自体は単純な作業です。
宿命に従うことに複雑な作業はありません。
宿命とは、避けられない現実です。
宿命に従うということは、避けられない現実を受け入れるということなのです。
避けられない現実を受け入れることは、誰にとっても難しいことです。
なぜなら、避けられない現実は、理想とは大きく異なっているからです。
すべての人は、理想を得ようとしています。
すべての人は、理想を実現することを幸福と思うのです。
そのため、理想と現実の矛盾(むじゅん)に苦しむことになるのです。
残念ながら、理想が実現することはありません。
あなたが、どのように願い、どのように努めようとも、理想が実現することはないのです。
多くの人は、実現するはずもない理想を追い求めて東奔西走(とうほんせいそう)するのです。
あなたの理想は実現しません。
なぜなら、あなたの理想は、あなたにとっての最善でもなければ、必要でもないからです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、無知を生きるのです。
残念ながら、あなたは知りません。
人生が何か?ということすら知らず、自分が何か?ということも知らないのです。
何も知らないにもかかわらず、理想を実現することが最善だと思い込んでいるのです。
あなたは、理想が最善でないことを理解しなければなりません。
理想が最善でないことを理解しなければ、いつまで経っても理想を追い求めてしまうのです。
理想を実現しようとしても、実現することは出来ません。
例え、理想を実現することが出来たとしても、それは、あなたにとっての最善ではないのです。
最善を導くのは宿命の役割です。
あなたにとっての最善を知るのは、宿命だけなのです。
あなたは、宿命から最善を学ばなければなりません。
ただし、宿命は、あなたに分かり易(やす)い形で答えを導くことはありません。
宿命は、あなたにヒントを与えはしますが、答えを与えることはないのです。
なぜなら、答えを与えてしまえば、あなたの自力が損なわれてしまうからです。
宿命は、あなたから自力を奪い去ることはしません。
宿命は、あなたの自力を育て、困難を乗り越えさせる力を与えるのです。
そして、人生の目的を果たさせるのです。
宿命に従えば、あなたは人生の目的を果たすことが出来るのです。
宿命に従うということは、理想を手放すということです。
理想を手放すことがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないということなのです。
理想を実現することによって、人生に幸福や豊かさを実現することが出来ると信じている人がいます。
しかしながら、理想は実現しないし、理想を追い求めても幸福や豊かさを得ることは出来ないのです。
宿命を受け入れ、最善を実現することによって初めて、幸福や豊かさを得ることが出来るのです。
理想を手放し、宿命を受け入れるかどうかは、あなたが自分で決めなければなりません。
あなたが理想を手放し、宿命を受け入れる決心をすれば、答えは得られるのです。
答えは、自分で探さなければなりません。
誰も、あなたの答えを知らないのです。
答えは、宿命を受け入れた先に存在しています。
答えが見付からない時には、理想を追い求めていないかどうかを自問しなければなりません。
大切なのは、理想を手放すことです。
理想を抱えていても、役には立ちません。
役に立たないものは手放しましょう。
答えを得るためには、理想を手放さなければなりません。
あなたは、宿命に従いましょう。
そして、人生に答えを得ましょう。

2020年11月23日月曜日

自分を磨く

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生は、目的を果たすために展開します。
あなたは、人生の目的を無視して生きることは出来ないのです。
あなたがどのように生きようとも、人生の目的と向き合うことになります。
あなたは、どこで、誰と、何をしていようとも、人生の目的と向き合うのです。
人生は、あなたに目的を果たさせます。
あなたは、人生の目的を果たすために経験しなければならないのです。
何一つとして、無駄な経験はありません。
それが、どのような経験であったとしても、それは、必要な過程なのです。
現状がどのようなものであったとしても、人生の目的を果たすためには、その過程を経る必要があるのです。
あなたは、人生において、必要な経験を得ます。
あなたは、必要を経験しなければならないのです。
必要を経験することによって、必要を理解することが出来るのです。
人生には、無駄な経験はありません。
それが、どのような経験であったとしても、人生の目的を果たすために必要であるから導かれるのです。
あなたの経験していることは、それがどのようなものであれ、あなたにとっての必要です。
あなたは、必要を経験することによって、自分自身を磨くことが出来ます。
必要を経験することによって、余計が削り落とされ、あなたは”自分”に近付くのです。
人生の目的を果たすためには、自分でなければなりません。
残念ながら、すべての人は、自分を見失っています。
すべての人は、自分が何か?を知らないのです。
必要を受け入れることによって、あなたは自分に近付くことが出来ます。
必要を受け入れることによって、あなたは余計を削り落とすことが出来るのです。
しかしながら、必要というものは、あなたにとって都合の良いものとは限りません。
残念ながら、あなたにとっての必要とは、あなたにとって都合の悪いことの方が多いのです。
多くの人は、自分にとって都合の悪いことを受け入れることが出来ません。
それは、自分にとって都合の悪いことを必要だとは思えないからです。
多くの人は、自分にとって都合の良いことを必要だと考えるのです。
すべての人は、未熟に生まれます。
それは、認識が歪んでいるということなのです。
自分にとって、都合の悪い必要であったとしても、それを受け入れて学ぶのであれば、自分を磨くことが出来るのです。
必要を受け入れることが出来なければ、あなたは自分を汚してしまうのです。
どのようなものも、汚れたら力を発揮することは出来ません。
錆(さ)びた刃物が切れ味を失い、焦(こ)げた鍋が料理の味を損ない、洗っていない皿が料理の味を狂わせるように、汚れていては本来の力を発揮することは出来ないのです。
あなたには、力があるのです。
あなたは、自らの力を使い、誰かや何かの役に立つ必要があるのです。
そのためには、自分を磨き、汚れを取り除いておく必要があるのです。
自分を磨き、いつでも力を発揮することが出来る状態にしておかなければならないのです。
汚れたら力を発揮することは出来ません。
目の前の必要な学びに対して、不平不満を吐いていると、自分を汚してしまうのです。
必要な学びは、あなたにとって価値のあるものです。
価値のあるものに対して、不平不満を吐くべきではないのです。
刃物が自らを研ぐことをしなければ、やがては錆に覆(おお)われてしまいます。
それでは、切れ味という力を失ってしまうのです。
錆に覆われることに抵抗しなければ、やがて全体が覆われてしまうのです。
あなたは、目の前の経験を通じて、自分を磨かなければなりません。
錆に覆われ、切れ味を失った刃物のように、自らの本来の力を失ってはなりません。
磨くことを怠(おこた)ってはならないのです。
無意味で価値の無い経験が導かれることはありません。
すべての経験は、あなたが本来の進むべき道を進むための助けです。
あなたは、様々な経験によって磨かれるのです。
あなたは、本来の力を発揮するように助けられています。
例え、それがあなたにとって都合の悪い経験であったとしても、あなたを磨くための必要なのです。
頑固な汚れを取り除くためには、それに相応(ふさわ)しい方法が導かれます。
多くの人は、それを苦しみと呼んでいるのです。
苦しみは、そこだけ切り取って見れば、悪いことのように思えます。
しかしながら、それはあなたにとって最善なのです。
残念ながら、多くの人には、そのことが理解出来ないのです。
あなたは、人生を信用するしかないのです。
人生は、あなたにとって最善の学びを導いています。
あなたは、目の前の最善の学びを利用して、自分を磨きましょう。

2020年11月22日日曜日

問題の本質

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことなく人生を終えることは出来ません。
どのような人物であっても、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を無視して生きることの出来る人はいません。
あなたが、どのような意思を持っていようとも、人生の目的を無視して生きることは出来ないのです。
あなたがどのように選択しようとも、人生の目的と向き合わなければならないのです。
あなたはどのように選択しても、人生の目的と向き合うことになります。
あなたの目の前に導かれるすべての状況は、あなたが人生の目的を果たすために必要な過程なのです。
あなたは人生の目的を果たすために生まれたということを忘れてはなりません。
大切なのは、目の前に展開する状況は、あなたが人生の目的を果たすために必要な学びが導かれているということを理解し、受け入れることなのです。
目の前に展開する状況を不要だと思い否定するのであれば、必要な学びを得ることが出来ません。
必要な学びを得ることが出来なければ、必要な成長を実現することも出来ないのです。
必要な成長を実現することが出来なければ、人生の目的を果たすことも出来ません。
目の前に展開する状況を受け入れ、必要な学びを得て、必要な成長を実現することはとても大切なことなのです。
目の前に導かれる状況には、大切な意味と価値が潜在しています。
何一つとして、無駄や無価値な状況は導かれないのです。
それが、どのような状況であろうとも、あなたにとっての必要であり最善なのです。
そのことを理解しなければ、自分にとっての必要や最善を否定してしまうことになるのです。
それでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすことがなければ、人生には空しさが実現してしまうのです。
あなたは、人生を空しく生きるために生まれた訳ではありません。
あなたは、豊かに生きるために、この人生に生まれたのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生は、そのための助力を惜しみません。
人生は、あなたが目的を果たすことが出来るように、常に手を貸しているのです。
人生の助力の方法は、残念ながら、あなたには理解することが出来ません。
目の前の状況は、それがどのようなものであれ、人生のあなたに対する助力です。
あなたは、常に人生に助けられていますが、そのことには気が付かないでしょう。
人生の助けだと気が付かないから、目の前の状況に対して不平不満を吐いているのです。
目の前に導かれている状況が、人生のあなたに対する助力だということを理解することが
出来れば、それに対して不平不満を吐くことはないはずなのです。
しかしながら、この人は、目の前の状況に対して不平不満を吐いています。
それは、目の前の状況の意図(いと)を理解していないからです。
目の前の状況の意図を理解すれば、不平不満を吐くことよりも、感謝の気持ちを抱くことになるのです。
目の前の状況の意図を理解している人は、感謝の気持ちを抱きながら生きていくことが出来ます。
感謝の気持ちを抱えて生きる人は、目の前に生じる様々な問題を乗り越えることが出来るでしょう。
感謝の気持ちを持たない人は、どのように小さな問題であっても躓(つまず)いてしまうのです。
残念ながら、人生には次々と様々な問題が生じます。
人生を思い通りに生きることは出来ないのです。
どのように努めても、問題は生じるのです。
あなたには、それを食い止めることが出来ません。
問題は起こるべくして起こったのです。
問題は起こる必要があったのです。
多くの人は、問題を避けようとしたり、食い止めようと努めます。
しかしながら、このような努力は意味を成しません。
それは、あなたが問題から学ばなければならないからです。
あなたにとっての必要と最善は、あなたの都合には関係のないものです。
自分にとって都合の良いものが必要であり最善だとは限りません。
寧(むし)ろ、自分にとって都合の悪いことが必要であり最善であるということは多いのです。
自分の都合で考えていると、必ず間違えてしまいます。
正しい道を見極められる程、あなたは成長してはいないのです。
あなたは、自分が何か?ということも、人生が何か?ということも知らないのです。
そのような者には、正しい道を見極められるはずがないのです。
あなたは問題を食い止めることは出来ません。
壊れるものは壊れるし、終わるものは終わるのです。
しかしながら、あなたは問題を悪いものと思い込んではなりません。
問題とは、単なる変化のことなのです。
現状に依存(いそん)している者にとっては、単なる変化も問題なのです。
問題が単なる変化であるということを知らない者が多いのです。
あなたは、問題が単なる変化であるということを知りましょう。
問題が、単なる変化であるということを理解すれば、問題に対して苦しむことはないでしょう。
人生は、あなたにとって大切な変化を与えようとしているのに、あなたはそのことを理解せずに苦しむのです。
壊れるものは壊れるし、終わるものは終わります。
しかしながら、壊れたり、終わるのであれば、新たに始まるのです。
終われば必ず始まります。
壊れるだけのものや、終わるだけのもの、始まるだけのものなど存在しないのです。
すべて流転(るてん)します。
何一つとして、同じ状態にとどまることなど出来ないのです。
あなたは、問題を必要な変化として受け入れましょう。
問題が導かれる時には、あなたは変わらなければならないのです。
あなたが変わるための問題なのです。
問題は、あなたのために導かれているのです。
そのことを理解しなければなりません。
あなたは、問題によって意識を磨き、広げ、深くしましょう。
問題は、良い変化のために利用するべきなのです。

2020年11月21日土曜日

幸せに成ることは出来ない

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことは、人生において最も重要な仕事です。
なぜなら、人生の目的を果たすことこそが、あなたが生まれた理由だからです。
人生の目的を無視して生きることは、あなたを苦しめ、人生に空しさを実現するのです。
あなたに喜びと人生の豊かさを実現するには、人生の目的を果たさなければならないのです。
あなたは、人生の目的を果たす必要があるということを理解しましょう。
人生の目的とは、あなたの理想のことではありません。
人生の目的は、あなたの理想とは異なっているのです。
多くの人は、理想を実現すれば、喜びと豊かさを得られると考えていますが、実際には、理想を実現したとしても、苦しみと空しさに襲われるのです。
あなたは未熟に生まれます。
あなたには、人生の目的が分からないのです。
理想を実現すれば、良い気分を味わうことが出来るでしょう。
しかしながら、それは一時(いっとき)のことに過ぎません。
時が来れば、再び苦しみと空しさに襲われてしまうのです。
人生の目的を果たすために生きていなければ、苦しみと空しさを手放すことは出来ないのです。
大切なのは、人生の目的を果たすために生きることです。
自分の都合を優先し、理想を実現することが喜びや豊かさを手にする生き方ではないのです。
多くの人は、幸せになることを求めています。
幸せを追い求めて旅を続けるのです。
しかしながら、幸せを求めている者が、幸せに成ることは出来ません。
それは、幸せを求めているからです。
幸せを求めている者が幸せになれないのは、幸せを求めている者の考える幸せというものが、偏見(へんけん)と誤解であるからです。
幸せを求める者は、幸せだけを求めています。
幸せを求める者は、不幸を嫌うのです。
幸せを求める者は、幸せを肯定(こうてい)し、不幸を否定するのです。
この世界には、陰陽(いんよう)の仕組みが存在しています。
陰陽の仕組みとは、対立する二つのものが世界を成り立たせるというものです。
この世界においては、一方を成り立たせるためには、他方の支えが必要です。
一方だけでは自立することがなくても、対立する二つのものが支え合うと自立することが出来るのです。
例えば、仲間を成り立たせるためには、敵の存在が必要です。
敵が支えと成り、仲間という状態を成り立たせるのです。
敵が存在しなければ、仲間という状態を保つ必要はありません。
敵が存在しなければ、仲間は必要ないのです。
敵が存在するからこそ、仲間の存在が必要なのです。
このように、何かを成り立たせるためには、対立する二つのものが必要なのです。
幸せだけを手に入れることによって、幸せを成り立たせることは出来ないのです。
幸せを成り立たせるためには、幸せと対立する不幸を手に入れなければならないのです。
幸せを成り立たせるためには、不幸が必要不可欠なのです。
幸せと不幸が互いに支え合っていることが自然です。
幸せだけや不幸だけでは不自然なのです。
それは、真(まこと)の道ではありません。
偏(かたよ)りは、真の道ではないのです。
あなたは、偏ることなく歩みを進めなければなりません。
幸せにも不幸にも偏らずに、歩まなければなりません。
幸せだけを追い求めるのであれば、真の道を行くことは出来ません。
真の道を行くためには、不幸も引き連れて行かなければならないのです。
不幸を拒絶しているのであれば、真の道を歩むことは出来ません。
あなたが、真の道を行くためには、自分にとって都合の悪いことを安易(あんい)に拒絶してはならないのです。
真の道には、幸せも不幸もどちらも存在しているのです。
その道が、幸せだらけであり、また、不幸だらけであったとしても、その不自然さに気が浮かなければなりません。
あなたが幸せと同じように不幸を感じているというのであれば、歩み方を間違ってはいません。
人生には、幸せな時もあれば、不幸な時もあって自然なのです。
偏らずに生きていくことが出来れば、真の道を進んでいるのです。
あなたは幸せも不幸も気にせずに生きましょう。
あなたは、道の真ん中を歩まなければなりません。
人生は、あなたが道の真ん中を歩むことが出来るように助けているのです。
残念ながら、多くの人は道の真ん中を歩むことが出来ません。
多くの人はどちらかに偏って歩んでいるのです。
幸せを追い求めて偏っている者もあれば、不幸に陥(おちい)って偏っている者もあるのです。
あなたが歩まなければならないのは、道の真ん中なのです。
幸せにも不幸にも偏らないように生きなければなりません。
幸せに成ることを追い求めて、不幸の価値を見失ってはなりません。
幸せにだけ価値があるのではないのです。
不幸にも大切な価値があるのです。
晴天が永遠に続くことに価値を見出すことが出来るでしょうか?
残念ながら、晴天が永遠に続くことに価値を見出す人はいないのです。
なぜなら、そのようなことになれば、干からびてしまうからです。
雨天の価値を知らない人はいないのです。
晴天を幸せとして、雨天を不幸だとして考えれば、不幸の価値に気が付くことが出来るでしょう。
晴天と雨天が共存するのが自然です。
幸せと不幸が共存するのが必要であり、最善なのです。
偏りは不自然であるということを理解しなければなりません。
晴天が続くことを豊かさだと考えている人は、やがて雨天を懇願(こんがん)するようになります。
同じように、幸せを追い求める人は、不幸を懇願するようになるのです。
不幸を懇願することはないと思うかも知れませんが、幸せを追い求め、幸せのみの世界になってしまえば、不幸の助けが必要なのです。
それは、あなたが道の真ん中を歩むためです。
あなたは、偏りを手放し、道の真ん中を歩みましょう。
幸せに成ることだけが人生ではないのです。

2020年11月20日金曜日

願い

すべての人生には、必要が実現します。
どのような状況であろうとも、それが必要なのです。
人生に不要が実現することはありません。
不要に思えるようなことはあるかも知れませんが、不要は存在しないのです。
なぜなら、不要なものが存在する意味がないからです。
存在するものは、それがどのようなものであったとしても、必要であるから存在するのです。
この世界には、必要以外は存在することが出来ないのです。
残念ながら、あなたにはそのことを理解することが出来ません。
すべてが必要であるということを理解することが出来ずに、物事を必要と不要に分け隔(へだ)てているのです。
不要が存在するのは、あなたの判断の中だけなのです。
この世界には、どのような不要も存在することは出来ないということを覚えておきましょう。
あなたが納得することが出来るかどうか?ということは問題ではありません。
あなたが納得することが出来るかどうかに関係なく、目の前には必要が実現するのです。
あなたはそのことを知らなければなりません。
目の前に不要なものが存在するなどと思い込んではなりません。
物事を冷静に見極めなければ、あなたは間違ってしまうのです。
大切なのは、人生には不要は存在しないということです。
必要とは、価値のことなのです。
人生には価値があります。
あなたはその価値を見失ってはなりません。
どのような人生であったとしても、それを生きる価値はあるのです。
あなたは、自分の人生に価値があるということを理解しましょう。
どのような人生であったとしても、それはあなたにとって大切なものなのです。
あなたは、無駄や無価値のために生まれた訳ではありません。
あなたは、意味や価値のために生まれたのです。
あなたという存在には、大切な意味と価値があるのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
自分に意味と価値が存在するということを見失ってしまうのであれば、あなたは人生を空しく生きなければならないのです。
人生を豊かに生きるためには、意味と価値を見出さなければなりません。
意味と価値を見出すことが出来なければ、豊かさを得ることは出来ないのです。
あなたは、人生を空しく生きるために生まれた訳ではありません。
あなたは人生を豊かに生きて、与えられた目的を果たすために生まれたのです。
あなたは人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、必要な意味と価値を得なければなりません。
必要な意味と価値を得ることなく、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすことが出来なければ、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、必要な意味と価値を受け入れましょう。
必要な意味と価値は、常にあなたの目の前に導かれています。
現状こそが、あなたにとっての必要な意味と価値なのです。
現状がどのようなものであったとしても、あなたにとって、それ以上の意味と価値は存在しないのです。
あなたは、現状の意味と価値を理解しなければなりません。
目の前の現状こそが、人生に豊かさを実現する鍵なのです。
しかしながら、多くの人は、豊かさを実感することが出来ないのです。
それは、目の前の現状を受け入れることが出来ないからです。
目の前の現状を否定することによっては、人生に豊かさを実感することは出来ません。
なぜなら、目の前の現状が必要であり、それを否定して人生に豊かさを実現することは出来ないからです。
大切なのは、目の前の現状を受け入れることです。
多くの人は、理想を追い求めます。
多くの人は、願いを叶えようと東奔西走(とうほんせいそう)するのです。
理想とは、現状の否定です。
願う時、あなたは大切な現状を否定しているのです。
あなたは、願う必要はありません。
願いは必要ではないのです。
なぜなら、あなたは未熟に生まれるからです。
残念ながら、あなたの願いは偏見(へんけん)に満ちた誤解に過ぎないのです。
多くの人は、誤解を願っているのです。
それでは、間違ってしまうのです。
目の前には、必要と最善のみが導かれています。
必要と最善を受けていながら、それ以外を願うということは、必要と最善を否定することなのです。
それでは、空しさを得るだけと心得(こころえ)ましょう。
願いとは、現状の否定であるということを忘れてはなりません。
あなたは、安易(あんい)に願ってはなりません。
願いを頼りにしてはなりません。
現状を受け入れることの出来ない者が願うのです。
現状に感謝して生きましょう。
願うことは、人生を否定する行為なのです。

2020年11月19日木曜日

信じて進む

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
誰一人として、人生の目的を無視して生きることの出来る人はいないのです。
どのような人も自らの人生の目的と向き合いながら生きなければなりません。
そして、それを果たさなければならないのです。
あなたは、人生に果たすべき目的を以て生まれたということを忘れてはなりません。
人生に果たすべき目的が存在することを忘れている人は、人生の目的を果たすことなど出来るはずがないからです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
あなたは、そのために生まれたのです。
他に目的はありません。
人生における様々な経験は、人生の目的を果たすための材料に過ぎないのです。
すべては、人生の目的を果たすためなのです。
あなたはそのことを知らなければなりません。
人生において、人生の目的を果たす以上に重要なことはありません。
どのような経験の裏にも、人生の目的を果たすという真(まこと)の目的が存在するということを理解しなければなりません。
目に見えていることだけを基準に物事を考えても判断してもなりません。
目に見えていることだけでは、あなたは何も判断することは出来ないのです。
あなたにとって都合が悪くても、それが理想とは異なっていても、納得のいかないことであっても、必要な経験であるのならば受け入れなければなりません。
表面的に考えてしまうと、真の意図(いと)を読み解くことが出来ないのです。
真の意図を読み解くことが出来なければ、判断を間違えてしまうでしょう。
それは、目の前の経験に対して、否定的になったり、不平不満を吐いたりすることです。
人生には、必要と最善のみが導かれます。
それがどのようなものであれ、あなたにとっての必要であり、あなたにとっての最善であるのです。
残念ながら、多くの人には、そのことが分からないのです。
多くの人は、理想が実現することが最善であると思い込んでいます。
しかしながら、理想を実現することは、決して最善などではありません。
なぜなら、あなたは未熟に生まれるからです。
残念ながら、未熟を離れることは出来ません。
あなたは未熟であり続けるのです。
未熟であるということは、無知であるということです。
あなたは何も知らないのです。
自分が何か?ということすら知らないのです。
自分が何かを知らない者が、どうして必要と最善を理解することが出来るのでしょうか?
自然に考えて、自分が何かを知らない者が、自分にとっての必要と最善を理解することなど出来るはずがないのです。
あなたは、自分にとっての必要と最善を知りません。
否定的になったり、不平不満を吐いたりしたところで、人生が好転することなどないのです。
人生を好転させるためには、自分にとっての必要と最善を受け入れなければなりません。
必要と最善を受け入れることによって、必要であり、最善の学びを得ることが出来るのです。
必要や最善の学びを得ることによって、必要な成長を実現することが出来ます。
必要な成長を実現することによって、あなたは、人生の目的を果たすことが出来るのです。
必要な成長を実現するためには、信じて進まなければなりません。
あなたにとっての必要と最善は、あなたには理解することが出来ないものです。
あなたにとっての必要と最善をあなたに教えても、あなたはそれを理解することが出来ないでしょう。
理解することが出来ないから、信じなければならないのです。
あなたは、目の前の状況やそこから得られる経験を信じなければなりません。
信じることが出来ずに否定的になったり、不平不満を吐いているようではならないのです。
あなたは、何の道標(みちしるべ)もない道を進まなければなりません。
道標は、常に目の前に存在する訳ではありません。
道標は、道の分岐(ぶんき)などの重要な箇所(かしょ)にあるだけです。
そのため、不安や心配に思うことが多いでしょう。
しかしながら、不安や心配に思うことで歩みをとめたとしても、不安や心配が解消することはないのです。
不安や心配を解消するためには、信じて進まなければなりません。
次の道標に辿り着くまで、信じて進まなければならないのです。
人生は、都合良く道を示してはくれません。
あなたは、迷いながら進まなければならないのです。
人生とは、迷いの道です。
あなたは、迷いの生存を続けなければならないのです。
人生は、進むのみの一方通行です。
引き返すことは出来ません。
あなたは立ち止まるか、進むかを決めなければならないのです。
立ち止まることも良いですが、いつまでも立ち尽(つ)くしてはなりません。
あなたは、迷いながらも進まなければなりません。
迷いながらも進んでいれば、やがて道標に辿り着くことが出来ます。
あなたはそこで、自分が間違っていなかったのだと理解することが出来るでしょう。
迷いながらも進む者だけが、道標に辿り着くのです。
人生に迷いもなく進むことの出来る人はいません。
すべての人は、同じように迷うのです。
心から迷いを取り除くことは出来ません。
あなたは迷わなければならないのです。
しかしながら、迷うことによって、安全に進むことが出来るのです。
迷わずに進んでしまえば、足を滑らせてしまうかも知れません。
迷いながら進むことによって、その歩みは慎重なものとなるのです。
自分の都合で、善し悪しを判断してはなりません。
未熟なあなたには、判断が付かないのです。
何の道標も無い道であっても、信じて進みましょう。

2020年11月18日水曜日

不貞腐れるな

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟を生きなければなりません。
この世界において、未熟に生まれることを否定することの出来る者はいません。
すべての人が、 未熟に生まれなければならないのです。
あなたは、未熟を避けることが出来ません。
何事においても、未熟から始めなければならないのです。
あなたは、自分が未熟であるということを理解しましょう。
残念ながら、自分が未熟であるということを理解していない者が多いのです。
多くの者は、自分が正しいとさえ思っているのです。
残念ながら、あなたが正しいことはありません。
正しくあろうとしても、間違えてしまうのです。
あなたがどれだけ自分を正当化しようとも、間違っているのはあなたなのです。
しかしながら、あなたが悪いということではありません。
あなたは間違っていますが、悪くはないのです。
あなたと同じように、すべての人が間違っていますが、悪い人など存在しないのです。
間違えることは悪いことではありません。
誰もが未熟であり、必ず間違えるのです。
もしも、間違えることが悪いのであれば、この世界には悪人しかいないことになってしまうのです。
この世界は、悪人が築いている訳ではありません。
この世界は、未熟者が築いているのです。
あなたは、すべての人が未熟であるということを理解しなければなりません。
誰一人として、未熟を克服することの出来た人はいないのです。
すべての人が、生まれてから死に辿り着くまで、未熟のままなのです。
あなたは、未熟を手放すことが出来ないということを理解しなければなりません。
未熟を手放したと思い、傲慢(ごうまん)に生きてはならないのです。
残念ながら、多くの人は、それぞれの段階で傲慢に生きています。
人は、それぞれの段階で自分が正しいと思い込んでいるのです。
自分が正しいと思うから、不平不満を吐くことが出来るのです。
自分が正しいと思わなければ、謙虚(けんきょ)に学ぶことが出来るはずなのです。
不平不満を吐くということは、学ぶことが出来ないということなのです。
残念ながら、多くの人は、必要な学びを得ることが出来ないのです。
必要な学びを得ることがなければ、無知は無知のままです。
偏見(へんけん)は偏見のままで、誤解は誤解のままなのです。
それでは間違えてしまうのです。
間違えてしまえば、人生の目的を果たすことが出来ません。
人生の目的を果たすことがなければ、人生は空しいのです。
多くの人が、人生を空しく生きています。
目の前の状況に対して、不平不満を吐く者は、そこから学びを得ることが出来ません。
それでは、必要な成長を実現することは出来ないのです。
大切なのは、学ぶことです。
目の前にどのような状況が導かれていようとも、それは、あなたにとっての必要な学びなのです。
必要な学びに対して、不平不満を吐いているのであれば、人生は空しいのです。
多くの人は、目の前の学びを受け入れることが出来ずに不貞腐(ふてくさ)れます。
熱意を持たずに、目の前の状況を消化しているのです。
不貞腐れても、状況が好転することはありません。
不貞腐れても、何も良いことはないのです。
寧(むし)ろ、必要な学びを得ることが出来ずに苦しまなければならないのはあなたなのです。
これは、あなたの人生です。
人生の原因は、あなたなのです。
あなたが自分で人生を決めているのです。
気分の悪い者は、空しい時間を生きることになるでしょう。
自分の内が悪いのだから、どのような場所で、どのような人と、どのようなことをしても空しいのです。
あなたは、与えられた学びに対して、不平不満を吐いてはなりません。
どのような状況に対しても、不貞腐れてはならないのです。
与えられた仕事を全(まっと)うしなければなりません。
どのような仕事でも懸命にこなさなければならないのです。
人生には、無駄なことはありません。
人生には、無価値なことはないのです。
目の前の状況には、大切な意味と価値が存在するのです。
あなたは、それを見出さなければならないのです。
懸命に生きる者でなければ、目の前の状況の大切な意味と価値を理解することは出来ません。
あなたがもしも、目の前の状況に対して、意味や価値を見出すことが出来ないというのであれば、懸命に向き合ってはいないのです。
人生には、詰(つ)まらない仕事などありません。
軽んじられて良いような仕事はないのです。
あなたが気に入らないとしても、あなたにとって都合が悪いとしても、それは、あなたの勝手な事情なのです。
あなたの個人的な事情は、人生には関係ありません。
人生は、ただ必要と最善を導くだけなのです。
それがどのような状況であろうとも、あなたは懸命に学ばなければなりません。
不平不満を吐いたり、不貞腐れてはなりません。
空しく生きてはなりません。
学べることを感謝しましょう。
目の前の状況に対して、不平不満や不貞腐れるのは間違っているのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
例え間違っていたとしても、あなたは懸命に生きましょう。

2020年11月17日火曜日

心地の好い場所

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
誰一人として、無意味な人生を生きてはいないのです。
どのような人生にも意味があります。
どのような人生にも、果たすべき目的が存在するのです。
あなたの人生がどのようなものであったとしても、果たすべき目的が存在するということを忘れてはならないのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
あなたは、そのために生まれたのです。
人生を生きる理由は、人生の目的を果たすことなのです。
しかしながら、多くの人は、人生に目的が存在するということを知りません。
多くの人は、人生に目的が存在することを知らず、目の前の快楽や欲望や責任を貪(むさぼ)るように生きているのです。
残念ながら、目の前の快楽や欲望や責任を貪ったとしても、人生の目的を果たすことは出来ません。
なぜなら、人生の目的とは、あなたに認識することが出来るような簡単なものではないからです。
果たすべき人生の目的は、あなたにとっては難解なものであると理解しなければなりません。
人生の目的は、あなたの頭や心で理解することが出来るようなものではないのです。
人生の目的は、あなたには想像もつかないようなものだと理解しなければならないでしょう。
多くの人は、都合の良いことを肯定(こうてい)します。
そして、都合の悪いことを否定するのです。
それが、”普通”です。
多くの人は、都合の良いことが最良であると信じているのです。
頭や心で考えるのであれば、都合の良いことが最良であると信じることが出来ます。
しかしながら、頭や心で考えていることが最良であった試しがありません。
人生には、常に必要と最善が導かれていますが、それ等は、頭や心の考える最良とは異なるのです。
あなたが苦しみを抱えているのがその証拠(しょうこ)です。
もしも、頭や心の考えることが最良であるのならば、目の前に導かれる状況に対して苦しむことはありません。
しかしながら、あなたが苦しんでいるのであれば、その考えは最良ではないということなのです。
残念ながら、すべての人が苦しみます。
それは、すべての人の考えが間違っているということです。
都合の良いことを肯定し、都合の悪いことを否定するような考え方は間違っているということなのです。
都合の良いことばかりでは、いつまでも同じことを続けなければなりません。
都合が良いからこそ、同じことを続けなければならないのです。
多くの人は、同じことを続けられることを最良だと考えています。
何事もなく安定していることを最良だと考えるのです。
多くの人にとって、何事もなく安定していることが都合の良いことなのです。
人生の目的を果たすためには、目的地へと辿り着かなければなりません。
目的地は、最も遠い場所に存在しています。
人生の途中で、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすためには、立ち止まっていてはならないのです。
都合の良いことは、心地の好いことです。
多くの人は、心地の好い場所から動きたくはないのです。
都合の良いことを続けていても、人生の目的を果たすことは出来ません。
都合の悪いことがあるからこそ、あなたは変化を受け入れることが出来るのです。
変化を受け入れなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
都合の良いことばかりでは、それを心地好いと考えるのです。
心地の好い場所を離れる人はいません。
誰もが、心地の好い場所を最良だと信じているのです。
しかしながら、すべての人は未熟に生まれます。
すべての人は、自分とは何か?ということにすら答えることが出来ないのです。
残念ながら、あなたは何も知らないのです。
あなたは、あなたの否定する都合の悪いことが必要であり、最善であるということを知らないのです。
都合が悪いことを否定するのは悪い癖(くせ)です。
都合の悪いことによって、変化を受け入れることが出来るのです。
都合の悪いことが、あなたをより本質へと近付けてくれるのです。
都合が悪いからこそ、変化を受け入れることが出来るのです。
心地の好い場所にとどまり続けていれば、視野が狭(せま)くなってしまいます。
視野が狭まれば、考えは偏(かたよ)ってしまいます。
それは、偏見(へんけん)を抱えるということなのです。
偏見によっては、本質を見極めることは出来ません。
偏見は、誤解へと至(いた)るのです。
誤解は問題を引き起こし、苦しみを導くということを覚えておきましょう。
誤解によって人生に豊かさを導くことは出来ないのです。
都合の悪いことが悪いというのは誤解なのです。
都合の悪いことも、都合の良いことにも、同じ価値があるのです。

2020年11月16日月曜日

誠実であれ

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
人生に無意味に生まれることの出来る人はいません。
人生を無価値に生きることの出来る人はいないのです。
どのような人物のどのような人生にも、意味や価値が存在するのです。
あなたは、自らの人生に対して、意味や価値が存在するということを理解しなければなりません。
あなたがどのような現状を生きていようとも、そこにもやはり意味や価値が存在しているのです。
意味や価値のない状況など存在しないのです。
あなたは、目の前の状況に対する意味や価値を見出さなければなりません。
それは、容易(ようい)なことではありませんが、とても重要なことなのです。
目の前の状況に対する意味や価値を見失ってしまえば、この世は地獄なのです。
それは、目の前の状況に対する意味や価値を見失ってしまえば、同時に感謝の気持ちをも見失ってしまうからです。
感謝の無い世界に救いは無いということを覚えておかなければなりません。
目の前の状況に対する意味や価値を見失っている人は、目の前の状況に対して感謝の気持ちを抱くことが出来ません。
感謝の気持ちがなければ、理解を深めることは出来ないのです。
人が理解を深めるためには、その本質と向き合わなければなりません。
本質と向き合うことが出来なければ、それ以上に理解を深めることは出来ないのです。
理解を深めることが出来なければ、目の前の状況の意味や価値を見極めることが出来ません。
それでは、人は、疑(うたが)いを強くしてしまうのです。
多くの人は、人生を疑います。
人生には、必要と最善のみが実現しているにもかかわらず、多くの人にはそのことが信じられないのです。
多くの人は、疑いによって人生に逆らいます。
人生に逆らうことによって、誠実さを手放すのです。
多くの人は、不誠実に生きています。
多くの人は、人生を信じることが出来ません。
人生を信じることが出来ないので、打算的に生きているのです。
人生は決して悪いようにはしません。
人生は、今のあなたには理解することが出来ないけれど、あなたにとっての必要と最善を実現するのです。
そのことを理解するのは、成長を実現した後のことです。
残念ながら、今のあなたには理解することが出来ません。
理解することが出来ないから信じる必要があるのです。
信じるとは、現状においては事実として認識することが出来ないことを受け入れることです。
目の前に展開する状況は、それがどのようなものであったとしても、あなたにとっての必要であり最善です。
現状においては、そこに確信が得られないとしても、あなたはそれを受け入れなければならないのです。
受け入れることが出来なければ、疑わなければならないのです。
それは、人生に対して不誠実であるということなのです。
あなたは、目の前の状況を無条件に受け入れることは出来ません。
なぜなら、打算的に生きているからです。
多くの人は、損をすることを恐れているのです。
そして、得をすることを求めているのです。
しかしながら、あなたには何か損で何が得か分かりません。
損得勘定に従って生きている者には、必要と最善を理解することが出来ないのです。
残念ながら、あなたの考える損得は真(まこと)の形ではありません。
不誠実な者には、真の損得の形を理解することが出来ないのです。
大切なのは、人生に対して誠実であることです。
どのような状況においても誠実に生きることが重要なのです。
不誠実であることは、目の前の損失よりも更に大きな損失をもたらすのです。
例えば、故意(こい)でないにしても、誰も見ていないところで何かしらの悪事を働いてしまったとします。
あなたの悪事は誰にも見られていません。
黙っていれば誰にも責められることはないのです。
罪を告白することは、あなたにとっての損に違いありません。
この場合、多くの人は、自らを正当化することによって悪事を隠してしまうのです。
それは、罪に対する罰を恐れているからです。
多くの人にとって、罰は損失です。
罪を犯したとしても、罰を受け取ることを拒むのです。
そのため、罪を告白することを拒み、誠実を否定するのです。
罰から逃れることが出来れば、得をするとさえ考えている者もいるのです。
残念ながら、この世界には因果の仕組みが存在しています。
罪の罰から逃れることの出来る人はいないのです。
誠実であれば、自らの犯した罪を告白し、罰によって償(つぐな)うでしょう。
誠実な人は、目の前の損失を恐れません。
誠実な人は、不誠実によって導かれる後の損失を恐れるのです。
不誠実であることが、最も大きな損失であるということを理解しましょう。
あなたはどのような時にも誠実に生きなければなりません。

2020年11月15日日曜日

道の追求

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
誰一人として、人生の目的を無視して生きることの出来る人はいないのです。
それは、人生の目的こそがあなたの生まれた理由だからです。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
人生の目的を果たすことが、人生を満足させる唯一の方法なのです。
人生の目的を果たすことなく、人生を満足させることは出来ないのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
どのような理由があろうとも、人生の目的を果たすことが最優先です。
なぜなら、それ以上に重要なことなど存在しないからです。
人生の目的を果たすためには、“道”を追求しなければなりません。
道とは、人生の目的に繋がっている工程(こうてい)なのです。
必要な工程を経なければ、目的を果たすことは出来ません。
人生には、近道など存在しないのです。
必要な順路を進まなければならないのです。
偶然や“奇跡”というものは存在しません。
必要な工程を無視して、人生の目的が実現されることなど有り得ないのです。
あなたは、手堅(てがた)く確実に道を進まなければなりません。
道を進むことに価値があるのです。
道に停滞していてはなりません。
道に停滞するということは、道を追求しないということなのです。
進む道は、どのようなものでも構いません。
あなたは、進みたい道を進めば良いのです。
どのような道においても、それを極めようとする気概(きがい)が必要です。
道を極めようとすれば、簡単に諦(あきら)めることは出来ません。
どのような困難に道を塞(ふさ)がれたとしても、諦めずに進まなければならないのです。
途中で諦めてしまえば、道を極めることも、人生の目的地へ辿り着くことも出来ません。
それでは、人生は空しいのです。
道の追求を諦めた者には、空しい人生が待っています。
あなたは、空しい人生を生きてはなりません。
人生の目的を見出し、道を追求することに命を使わなければなりません。
詰(つ)まらない欲のために命を使ってはならないのです。
命や人生は、そのように詰まらないものではないのです。
あなたは、道を志(こころざ)す必要があるのです。
あなたは、何のために生まれたのですか?
あなたは、自分が目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)るために生まれたと思いますか?
残念ながら、そのようなことのために生まれる人はいないのです。
誰もが、人生に対して、目の前の快楽や欲望を貪る以上に崇高(すうこう)な目的を以て生まれるのです。
道を志し、進むということは、崇高な目的に近付くということです。
そのため、道を追求する者は崇高に近付くのです。
それは、人としての厚みを増すことになるのです。
道を志すことの無い者は、軽薄(けいはく)なのです。
その言動には配慮(はいりょ)がなく、思慮(しりょ)に浅いのです。
あなたは、軽薄に生きてはなりません。
道を追求することによって、あなたは様々な経験を得ることが出来るのです。
それは、あなたの内に大きな変化をもたらすでしょう。
道を追求するということは、自分自身を追求するということです。
あなたは、道によって得られる経験を通じて、自分自身を体験するのです。
あなたは、自分自身を知る必要があるのです。
それは、自分自身を知ることがなければ、目の前の状況や人生の意味や価値を理解することが出来ないからです。
目の前の状況や人生の意味や価値を理解することが出来ない者には、人生の目的を理解することは出来ません。
それでは、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすことが出来なければ、人生を空しく生きなければならないのです。
人生を空しく生きても構わないという者は、道を志すことも、自分自身を知る必要もありません。
人生を空しく生きても構わないという者は、何も知らず、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)るように生きれば良いでしょう。
しかしながら、人生を空しく生きることが嫌なのであれば、道を追求しなければなりません。
どのような道でも構いません。
そして、どのようなことでも良いのです。
あなたが志すことが出来ることを追求しましょう。
道の追求に、誰かからの承認(しょうにん)など必要ではありません。
誰にも認められなくても、あなたは道を進まなければならないのです。
これは、あなたの人生です。
そして、これは、あなたの道なのです。
他者には介入(かいにゅう)することが出来ないのです。
自分自身の信じた道を、自分自身を信じて進みましょう。
自分自身を知れば、潜在する本来の能力を発揮することが出来ます。
それは、誰かを助ける力なのです。

2020年11月14日土曜日

変化の中

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、何も知らずに生まれ、何も知らずに生きているのです。
すべての人が無知であるということを理解しなければなりません。
残念ながら、あなたは何も知らないのです。
何も知らないのだから、正しく判断することは出来ないのです。
多くの人が、自らの判断を正しいと思い込んでいます。
多くの人が、何かを決め付けるのです。
一度決め付けてしまえば、自分の考えを変更することは難しいのです。
多くの人は、自分の決め付けを疑(うたが)わず、明確な根拠もなく信じてしまうのです。
あなたは、何かを決め付けてはなりません。
物事は、決してとどまることはないのです。
物事は常に流転(るてん)し、形を定めることはありません。
それは、雲のように形があるように見えても、実は形なく存在しているのです。
あなたが目を離した次の瞬間には、既に形を変えているのです。
人生とは、そのように移り変わっていくものなのです。
人生は常に変化の中に存在しています。
それが自然であり、最善であり、必要なことなのです。
雲の形をとどめることは出来ません。
それは、雲には形が存在しないからです。
しかしながら、あなたは雲という形が存在すると思い込んでいるのです。
あなたの思い込みが、雲の形を決め付けているということを理解しましょう。
雲に形が無いように、状況にも決められた形はありません。
それは、常に形を変え続けているのです。
同じ状況がいつまでも続くことはありません。
必要は変わるのです。
目の前に導かれる状況は、あなたにとっての必要です。
あなたは、目の前の状況から大切な学びを得なければならないのです。
いつまでも同じ必要が導かれるということはありません。
あなたの変化に従って、必要も変化するのです。
人生が、同じ状態を保つことはありません。
同じ状況が続くことは有り得ないのです。
人生には、あなたにとって都合の良い時もあれば、都合の悪い時もあるのです。
あなたにとって都合の良いことばかりではないし、都合の悪いことばかりでもないのです。
幸せを続けることは出来ません。
幸せを手に入れたとしても、やがては、それが奪われる時がやって来ます。
幸せを手に入れたのであれば、やがては、不幸を受け取らなければならないのです。
それと同じように、不幸を続けることも出来ません。
不幸を手に入れたとしても、やがては、それが奪われる時がやって来ます。
不幸を手に入れたのであれば、やがては、幸せを受け取らなければならないのです。
幸せも不幸も続けることは出来ません。
すべては移り変わるのです。
あなたの目の前に存在する苦しみは、いつまでも苦しみのままではありません。
苦しみは、やがて楽しみへと変わるのです。
それは、不気味な雷雲が恵みの雨をもたらすようなものなのです。
雨を苦しみと考えているのであれば、雨の後の芽吹きを楽しむことが出来るでしょう。
芽吹きを苦しみと考えているのであれば、芽吹きの後の収穫を楽しむことが出来るでしょう。
どのような状況も決して続きません。
それは、同じことが続いても学ぶことが無いからです。
同じように思えても、それは形を変えているのです。
あなたは、そのことに気が付かなければなりません。
変化に気が付けば、変化することが出来るでしょう。
残念ながら、あなたには目の前の状況しか見えないかも知れません。
その先の変化には考えが至(いた)らないかも知れないのです。
しかしながら、状況は必ず変化します。
同じ状況を生き続けることは出来ないのです。
あなたは、何事も決め付けてはなりません。
すべては変化の中に存在するのです。
あなたの考えがとどまってはならないのです。
それでは、状況の変化に対応することが出来ないのです。
人生に対して、苦しみや空しさを感じている時には、自分勝手に決め付けているということに気が付きましょう。
それが苦しみや空しさだと決め付けてはなりません。
それは、あなたの一方的な見方に過ぎないのです。
すべてが変化の中に存在するということを忘れてはなりません。
何事にも執着(しゅうちゃく)してはなりません。

2020年11月13日金曜日

偏り

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
どのような理由があっても、人生の目的である必要を果たさなければならないのです。
人生は、必要に従って展開します。
人生における必要とは、人生の目的の実現です。
人生は、目的を実現するために展開するのです。
すべては、必要を実現するためなのです。
人生は、あなたが必要を実現することを願っています。
どのような理由があろうとも、あなたは必要を果たさなければならないのです。
必要を避けることの出来る人はいないのです。
必要は、自分の意思に関係なく実現します。
残念ながら、あなたには必要を食い止める手段がないのです。
どのように努めても、必要は必ず実現してしまうのです。
あなたは、目の前に導かれる必要を避けることは出来ません。
必要は、どれだけ拒絶(きょぜつ)しても必ず目の前に導かれるのです。
あなたは必要を避けることは出来ないのです。
あなたが受け取るものは、それがどのようなものであっても、必要であるということを忘れてはなりません。
必要は避けられません。
なぜなら、それが必要であるからです。
人生には、必要だけが実現します。
どのような形であれ、必要は実現するのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
目の前に実現するすべての状況には、大切な意味と価値があるのです。
残念ながら、多くの人は、大切な意味と価値を理解しません。
多くの人は、目の前の状況を否定することによって、より良い状況が得られると考えるのです。
思考は、物事の表面的な部分を読み解くことに優れます。
それは、素早く大まかな状況を把握(はあく)するのです。
しかしながら、思考では、表面的な部分を読み解くことで精一杯です。
思考では、本質的な部分を読み解くことが難しいのです。
表面的な部分を読み解くだけでは、偏見(へんけん)を手放すことは出来ず、更には誤解によって間違えることになってしまいます。
目の前の状況には、大切な意味と価値があるにもかかわらず、それを理解する前に否定してしまうのです。
目の前の状況の大切な意味と価値を無視して進んだとしても、後にそれが必要になってくるのです。
その時には、同じ状況に戻り、もう一度学び直さなければならないのです。
大切な意味と価値は、あなたにとって大切だから導かれるのです。
自分にとって大切な意味と価値を否定するのであれば、必要な気付きや成長を実現することが出来ないのです。
それでは、人生の目的を果たすことが出来ないということを理解しなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
そのためには、必要を得なければならないのです。
必要を否定するのであれば、豊かさを否定することになってしまいます。
目の前に導かれる状況を否定することは、乏しさを受け入れるということなのです。
目の前の状況がどのようなものであれ、それを受け入れることの出来る度量(どりょう)がなければ、何を得ても空しいのです。
あなたは、理想を実現し、多くの富や友人を得ることで豊かさも得られると考えているかも知れませんが、残念ながら、必要を否定するような生き方では、どうやっても空しさに辿り着くだけなのです。
理想を実現することや、多くの富や友人を得ることは、とても意味や価値のあるもののように思えます。
確かに、理想を実現することや、多くの富や友人を得ることには価値があります。
しかしながら、それだけでは人生の目的を果たすことは出来ないのです。
楽しいことや幸せばかりを追い求めても、豊かさは得られないのです。
なぜなら、豊かさとは、偏(かたよ)った繁栄ではないからです。
豊かさを実現するためには、苦しいことや不幸の“助け”も必要なのです。
偏りの無いことが豊かさであると理解しなければなりません。
目の前の状況が気に入らなくても、そこには大切な意味と価値があることに変わりはありません。
気に入らないから意味や価値が無いということにはならないのです。
思考を信用しているのであれば、自分の都合の良いようにする考えが強まるだけです。
頭や心(感情)で考えるのも良いですが、魂でも感じなければなりません。
魂で感じるというのは、肉体を離れて考えるということなのです。
肉体の中から考えているから、欲(損得勘定)に左右されるのです。
肉体よりも大きな感覚で考えるのであれば、
欲に翻弄(ほんろう)されることはないのです。
欲に翻弄されている内は、必要を受け入れることも、人生の目的を果たすことも出来ません。
あなたは、出来るだけ偏らないように生きましょう。
そして、人生を豊かさを実現し、人生の目的を果たしましょう。

2020年11月12日木曜日

苦しみを選ぶ

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生は、目的を果たすために展開します。
それは、あなたの意志に関係なく導かれる展開なのです。
人生は、あなたに目的を果たさせるのです。
人生の目的を無視して生きることの出来る人はいません。
どのような人物であろうとも、人生の目的と向き合わなければならないのです。
人生の目的を果たすためには、必要な条件を満たさなければなりません。
人生の目的を果たすために必要な条件とは、成長です。
必要な成長を実現しなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
そこで、人生は、あなたを成長させるための学びを与えます。
あなたは、人生によって成長に必要な学びを与えられるのです。
成長に必要な学びとは、多くの場合、あなたにとって都合の悪い状況です。
それは、問題であり、苦しみであるのです。
残念ながら、人生を思い通りに生きることは出来ません。
あなたは、理想を実現することは出来ないのです。
それは、あなたの追い求めている理想と、果たすべき人生の目的が一致(いっち)しないからです。
残念ながら、あなたには、人生の目的を理解することが出来ません。
あなたにとって、人生の目的は複雑過ぎて、単純過ぎるのです。
それは、大き過ぎて、小さ過ぎるのです。
それは、遠過ぎて、近過ぎるものなのです。
人生の目的は、あなたの思考では捉(とら)えることが出来ないのです。
しかしながら、あなたは人生の目的を果たさなければなりません。
あなたは、自力によって人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の導きに従わなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生は、あなたにとっての必要を導きます。
人生において導かれる状況は、それがどのようなものであれ、あなたにとっての必要なのです。
必要を経験することによって、必要な成長を実現することが出来るのです。
必要を否定するのであれば、必要な成長を実現することは出来ないのです。
人生は、あなたに苦しみを導きます。
それは、あなたにとって苦しみが必要だからです。
それ以外の理由はありません。
あなたは、人生において苦しまなければならないのです。
人生において、苦しむことは重要です。
なぜなら、苦しみは、あなたに気付きと変化を与えるからです。
苦しみがなければ、人は気付くことが出来ません。
そして、変化することが出来ないのです。
人生は、あなたに苦しみと共に生きろと言っているのです。
あなたは、苦しみと共に生きなければなりません。
どのような方法を用いても、苦しみを手放すことは出来ないのです。
それは、苦しみが必要だからです。
それ以外の理由は必要ではありません。
どこで、誰と、何をしても、苦しみを手放す方法はないのです。
あなたは、何かしらの苦しみを抱えなければなりません。
しかしながら、苦しみに翻弄(ほんろう)される必要はありません。
あなたは、苦しみを側に置けば良いのです。
何によって苦しむかは、自分で決めることが出来るのです。
難しいことはありません。
すべての苦しみを取り除く努力をしなければ良いのです。
何かしらの苦しみをそのままにしておけば良いのです。
懐(ふところ)に既に何等かの苦しみがあれば、他の苦しみを抱える必要はないのです。
苦しみを手放せば、新たな苦しみが手渡されるのです。
苦しみを認めて受け入れるのであれば、その苦しみに対して覚悟を以て取り組むことが出来ます。
しかしながら、すべての苦しみを否定するのであれば、あなたの知らない苦しみが人生によって導かれるのです。
知らない苦しみに対しては、覚悟を以て取り組むことが出来ません。
多くの人は、知らない苦しみに対して不平不満を吐くのです。
そして、それを否定するのです。
それでは、苦しみに翻弄されてしまうのです。
苦しみは避けられません。
あなたは、苦しみと共に生きなければならないのです。
苦しみを認め、抱えましょう。
苦しみと共に生きなければなりません。