すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
あなたは、目的を果たすために人生に生まれるのです。
それ以外の目的で生まれることの出来る人はいないのです。
人生の目的を果たすためには、決められた役割を果たさなければなりません。
決められた役割を果たすことによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
決められた役割とは、限られた役割のことです。
役割とは、限られた権限なのです。
すべての人に、限られた権限が与えられているのです。
あなたは、限られたことしか出来ないということを理解しましょう。
この世界に、完全な人間など存在しないのです。
すべての人が限られた権限によって歪(ゆが)んでいるのです。
それは、仕方のないことなのです。
完璧な人間は存在しません。
役割を無視することの出来る人は存在しないのです。
すべての人は、自らの役割と共に生きなければならないのです。
それは、限られた権限を生きるということです。
あなたの権限は限られているということを理解しましょう。
世の中は、それぞれが役割を果たすことによって成り立っています。
言い換えれば、世の中は、我慢によって成り立っているということなのです。
役割とは、我慢のことです。
役割を果たすためには、我慢する必要があるのです。
利己的に生きることでは、役割を果たすことが出来ません。
多くの人が自分勝手に生きれば、世の中は成り立たないのです。
我慢する人がいるからこそ、世の中は成り立っています。
自由に生きることは、必ずしも最善ではありません。
すべての人が自由を追い求めて生きてしまえば、世の中は決して成り立たないのです。
自らの仕事(役割)を途中で投げ出さずに全(まっと)うするからこそ、世の中は成り立っているのです。
残念ながら、あなたは、自由に生きることは出来ません。
自由に生きるということは、利益を追い求める生き方だからです。
残念ながら、利益だけを追い求めて生きることは出来ないのです。
欲望のままに生きてはならないのです。
あなたには、果たすべき目的が存在します。
それは、我慢をしなければならないということなのです。
我慢を悪いことのように考えてはなりません。
我慢とは、欲望を制御する力なのです。
それは、崇高(すうこう)な選択なのです。
未熟な者には、我慢することが出来ません。
未熟な者は、欲望を制することが出来ずに、思いの儘(まま)に生きているのです。
我慢することが出来るのは、成長した証なのです。
幼い子ども程、我慢することが出来ません。
幼い子どもは、自らの利益が損なわれると泣き喚(わめ)くのです。
幼い子ども程、自分の思い通りにしたいと願うのです。
あなたが幼い子どもでないなら、欲望に身を任せることの愚(おろ)かさを理解することが出来るはずなのです。
成長すれば、我慢の価値を理解することが出来ます。
成長した人程、我慢することが出来るのです。
あなたには、果たさなければならない人生の目的が存在します。
そのためには、役割を果たさなければならないのです。
我慢しなければ、役割を果たすことは出来ません。
あなたは、欲望を手放して、我慢しなければならないのです。
人は、それぞれに我慢することで、世の中を成り立たせているのです。
人は、自分の利益と同時に、他者の利益のことも考えなければなりません。
あなたが利益を得るためには、他者の我慢が必要であるということを理解しなければなりません。
他者に利益を得させるためには、自分の我慢が必要であるということを理解しなければならないのです。
我慢することは尊(とうと)いことなのです。
成長しなければ、我慢することは出来ません。
あなたは、幼い子どものように、欲望に従って自由に生きてはなりません。
自由や欲望を手放すことは、利益を損なうように思うかも知れませんが、そのようなことはありません。
我慢するからこそ、必要な利益を手に入れることが出来るのです。
子どもよりも、大人の方が豊かさを手にすることが出来るのです。
思い通りにならないと地団駄を踏む子どもは、決して豊かに生きてはいないのです。
欲望を我慢し、より良い方法を探すことこそが、豊かさを手に入れる方法なのです。
我慢を悪いものと考えてはなりません。
我慢こそが、世の中を成り立たせているのです。
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