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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2020年11月21日土曜日

幸せに成ることは出来ない

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことは、人生において最も重要な仕事です。
なぜなら、人生の目的を果たすことこそが、あなたが生まれた理由だからです。
人生の目的を無視して生きることは、あなたを苦しめ、人生に空しさを実現するのです。
あなたに喜びと人生の豊かさを実現するには、人生の目的を果たさなければならないのです。
あなたは、人生の目的を果たす必要があるということを理解しましょう。
人生の目的とは、あなたの理想のことではありません。
人生の目的は、あなたの理想とは異なっているのです。
多くの人は、理想を実現すれば、喜びと豊かさを得られると考えていますが、実際には、理想を実現したとしても、苦しみと空しさに襲われるのです。
あなたは未熟に生まれます。
あなたには、人生の目的が分からないのです。
理想を実現すれば、良い気分を味わうことが出来るでしょう。
しかしながら、それは一時(いっとき)のことに過ぎません。
時が来れば、再び苦しみと空しさに襲われてしまうのです。
人生の目的を果たすために生きていなければ、苦しみと空しさを手放すことは出来ないのです。
大切なのは、人生の目的を果たすために生きることです。
自分の都合を優先し、理想を実現することが喜びや豊かさを手にする生き方ではないのです。
多くの人は、幸せになることを求めています。
幸せを追い求めて旅を続けるのです。
しかしながら、幸せを求めている者が、幸せに成ることは出来ません。
それは、幸せを求めているからです。
幸せを求めている者が幸せになれないのは、幸せを求めている者の考える幸せというものが、偏見(へんけん)と誤解であるからです。
幸せを求める者は、幸せだけを求めています。
幸せを求める者は、不幸を嫌うのです。
幸せを求める者は、幸せを肯定(こうてい)し、不幸を否定するのです。
この世界には、陰陽(いんよう)の仕組みが存在しています。
陰陽の仕組みとは、対立する二つのものが世界を成り立たせるというものです。
この世界においては、一方を成り立たせるためには、他方の支えが必要です。
一方だけでは自立することがなくても、対立する二つのものが支え合うと自立することが出来るのです。
例えば、仲間を成り立たせるためには、敵の存在が必要です。
敵が支えと成り、仲間という状態を成り立たせるのです。
敵が存在しなければ、仲間という状態を保つ必要はありません。
敵が存在しなければ、仲間は必要ないのです。
敵が存在するからこそ、仲間の存在が必要なのです。
このように、何かを成り立たせるためには、対立する二つのものが必要なのです。
幸せだけを手に入れることによって、幸せを成り立たせることは出来ないのです。
幸せを成り立たせるためには、幸せと対立する不幸を手に入れなければならないのです。
幸せを成り立たせるためには、不幸が必要不可欠なのです。
幸せと不幸が互いに支え合っていることが自然です。
幸せだけや不幸だけでは不自然なのです。
それは、真(まこと)の道ではありません。
偏(かたよ)りは、真の道ではないのです。
あなたは、偏ることなく歩みを進めなければなりません。
幸せにも不幸にも偏らずに、歩まなければなりません。
幸せだけを追い求めるのであれば、真の道を行くことは出来ません。
真の道を行くためには、不幸も引き連れて行かなければならないのです。
不幸を拒絶しているのであれば、真の道を歩むことは出来ません。
あなたが、真の道を行くためには、自分にとって都合の悪いことを安易(あんい)に拒絶してはならないのです。
真の道には、幸せも不幸もどちらも存在しているのです。
その道が、幸せだらけであり、また、不幸だらけであったとしても、その不自然さに気が浮かなければなりません。
あなたが幸せと同じように不幸を感じているというのであれば、歩み方を間違ってはいません。
人生には、幸せな時もあれば、不幸な時もあって自然なのです。
偏らずに生きていくことが出来れば、真の道を進んでいるのです。
あなたは幸せも不幸も気にせずに生きましょう。
あなたは、道の真ん中を歩まなければなりません。
人生は、あなたが道の真ん中を歩むことが出来るように助けているのです。
残念ながら、多くの人は道の真ん中を歩むことが出来ません。
多くの人はどちらかに偏って歩んでいるのです。
幸せを追い求めて偏っている者もあれば、不幸に陥(おちい)って偏っている者もあるのです。
あなたが歩まなければならないのは、道の真ん中なのです。
幸せにも不幸にも偏らないように生きなければなりません。
幸せに成ることを追い求めて、不幸の価値を見失ってはなりません。
幸せにだけ価値があるのではないのです。
不幸にも大切な価値があるのです。
晴天が永遠に続くことに価値を見出すことが出来るでしょうか?
残念ながら、晴天が永遠に続くことに価値を見出す人はいないのです。
なぜなら、そのようなことになれば、干からびてしまうからです。
雨天の価値を知らない人はいないのです。
晴天を幸せとして、雨天を不幸だとして考えれば、不幸の価値に気が付くことが出来るでしょう。
晴天と雨天が共存するのが自然です。
幸せと不幸が共存するのが必要であり、最善なのです。
偏りは不自然であるということを理解しなければなりません。
晴天が続くことを豊かさだと考えている人は、やがて雨天を懇願(こんがん)するようになります。
同じように、幸せを追い求める人は、不幸を懇願するようになるのです。
不幸を懇願することはないと思うかも知れませんが、幸せを追い求め、幸せのみの世界になってしまえば、不幸の助けが必要なのです。
それは、あなたが道の真ん中を歩むためです。
あなたは、偏りを手放し、道の真ん中を歩みましょう。
幸せに成ることだけが人生ではないのです。

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