すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟を克服(こくふく)するために生まれるのです。
すべての人は、様々な経験を通じて成長し、未熟を克服する必要があるのです。
人生には、様々な問題が導かれます。
問題とは、予想外の状況のことです。
それは、あなたに足りないものを示すのです。
人は、問題によって自らの未熟さを知り、苦しみによって成長を実現するのです。
人生が、思い通りに展開するのであれば、残念ながら、あなたは自らの未熟さを理解することも出来なければ、成長を実現することも出来ないのです。
問題や苦しみなどの、予想外の状況が導かれるからこそ、あなたは成長することが出来るのです。
人生は、思い通りでなくて良いのです。
人生には、問題や苦しみが存在することが良いのです。
それは、人生の目的が未熟を克服することだからです。
例えば、人生の目的が”幸せ”に成るというものであれば、問題や苦しみは必要ではありません。
幸せとは、偏見や誤解に過ぎないため、幸せと思い込めれば良いだけなのです。
客観的には不幸に見えることも、本人には幸福と思い込めてしまうのです。
人生の目的が幸せを得ることであるのならば、すべての人がそれを果たしているはずなのです。
なぜなら、幸せとは、利己的な思い込みで良いからです。
幸せと思い込めば幸せです。
しかしながら、幸せを感じて生きている人は少ないのです。
それは、思い込むことが人生の目的ではないからです。
何でもないことや不幸を幸せと思い込むことは、人生の目的を無視する行為です。
人生の目的を果たすことなく、人生を満足させることは出来ないのです。
人生の目的は、細かく見れば人それぞれに異なりますが、基本的には同じことです。
それは、成長するということなのです。
成長とは、肥大(ひだい)のことではありません。
成長とは、本質に近付くことなのです。
それは、余計を削り落とし、縮小するということなのです。
本質に近付く程に小さくなります。
輝く宝石はとても小さいのです。
大きな原石よりも、小さな宝石の方が価値があるということを忘れてはならないのです。
未熟とは、原石のような状態のことです。
未熟とは、余計なものを多く抱えているということなのです。
多くの人は、余計なものを多く抱えている状態の方が価値があると思い込んでいます。
この世の富を多く集めることに価値があると信じているのです。
そのため、人々の間からは欲が消えないのです。
この世は欲に溢れています。
欲は必ずしも悪いものではありませんが、それが強過ぎては、自分自身や人生を汚してしまうのです。
残念ながら、多くの人は輝きを失っています。
強過ぎる欲に引き摺(ず)られて、泥(どろ)に塗れているのです。
多くの人は、汚れています。
そして、その汚れは重たいのです。
汚れは、悩みとしてあなたの心に付着します。
強過ぎる欲は、多くの富と同時に心に悩みを持ち込むのです。
それは重たくて、やがては苦しみと成ってしまうのです。
多くの人が思い悩み、苦しんでいるのは、欲が強過ぎるからだと理解しなければなりません。
強過ぎる欲を抱えている者は、必ず苦しむのです。
富を手にすることから得られる快楽が優っている内は良いですが、やがて苦悩が優る時がやって来るのです。
いつまでも、汚れを増すことは出来ないのです。
力量を超えて汚れ、重たくなれば、それ以上抱えることは出来ないのです。
多くの人は、自らの強過ぎる欲に押し潰されてしまうのです。
あなたは、欲に押し潰されてる前に、それを手放さなければなりません。
あなたは、大きな原石を持ち歩く必要はありません。
あなたは、小さな宝石を持ち歩けば良いのです。
多くの人は、多くの物を所有しているように思い込んでいます。
しかしながら、あなたは心(魂や霊や意識)以外には何も所有してはいないのです。
唯一(ゆいいつ)の所有物である心を汚してはなりません。
あなたは、心しか持ち帰ることは出来ないのです。
あなたは、心だけを所有して生まれたのです。
そして、心だけを持って帰るのです。
あなたは、唯一の所有物である心を汚してはなりません。
あなたが大切にしなければならないのは、富ではなく心なのです。
心の汚れは、どれだけの富を以(もっ)てしても取り除くことが出来ません。
なぜなら、心の汚れは、富(欲)によって増すからです。
富(欲)を手離すことが、心の汚れを取り除く唯一の方法なのです。
この世の富に価値を見出している段階では、苦悩は避けられません。
どれだけの富を集めても、何一つあなたの所有物にはなりません。
あなたは、やがて必ず、すべての富を失うのです。
必ず失うものに価値を見出してはなりません。
失うことのない心に価値を見出しましょう。
美しい心で生きるのです。
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