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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2020年11月4日水曜日

救い

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければならないのです。
誰一人として、成熟している人はいません。
誰もが、知らないのです。
知っている人はいないのです。
あなたは、自分が何か?ということすら知らないのです。
人生とは何ですか?
残念ながら、あなたには答えることが出来ないでしょう。
それは、知らないからです。
知らないということは、未熟であるということなのです。
あなたは、自分が未熟であるということを理解しましょう。
自分が未熟であるということを理解しなければ、人生は先へは進まないのです。
多くの人は、自分が知っていると思い込んでいます。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいるのです。
そのように思い込んでいる者は傲慢(ごうまん)です。
傲慢な者は、自らを正当化するのです。
多くの人は、自らを正当化します。
自分の行為が正しいと主張するのです。
残念ながら、この世界に正しい人は一人もいません。
すべての人が未熟であり、すべての人が間違っているのです。
誰一人として、自分が何か?を知らないのです。
誰一人として、人生が何か?を知らないのです。
自らを正当化したところで、あなたが正しく成る訳ではないのです。
残念ですが、あなたは、自分が間違っていることを理解しましょう。
多くの人は、誤解を抱えているのです。
誤解を抱えているのが”普通”なのです。
多くの人の考える”普通”とは、間違いであるということを理解しましょう。
あなたが、正しく生きるためには、”普通”を疑う必要があるのです。
”普通”を疑うことがなければ、間違いを正解と思い込んでしまうのです。
それでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすためには、正しく生きなければならないのです。
あなたは、間違いを正さなければなりません。
慈善(じぜん)を施(ほどこ)したとしても、それは慈善になっていない可能性があるのです。
残念ながら、多くの人の誰かを助けようとするのは傲慢の域(いき)を脱しません。
傲慢の状態では、慈善は実現しないのです。
多くの人が、誰かを助けようとしますが、助けることは出来ないのです。
なぜなら、これは、自分の人生だからです。
人生を決めるのは自分自身です。
他者は、自分自身で人生を決めるのです。
他者がどれだけ介入(かいにゅう)しようとしても無駄なのです。
残念ながら、あなたは誰も助けることが出来ません。
助かるかどうか?は、本人(自分自身)が決めることなのです。
本人が助かる気がなければ、どれだけ努力を重ねても助けることは出来ないのです。
溺(おぼ)れる者に助かる気がなければ、助けることは出来ません。
相手が救いを求めなければ、助けることは出来ないのです。
相手が救いを求めても、助けることは出来ないかも知れません。
それ程、誰かを助けるということは難しいことなのです。
あなたは、慈善を軽く考えてはなりません。
誰かを助けようとしても、相手に助かる気がなければ助けることは出来ないのです。
自ら助けを求めない者は、聞く耳を持ちません。
それに、受け入れることもしません。
そのような者を助けることは出来ないのです。
溺れている者を助けるためには、本人が助かる気で泳がなければならないのです。
本人に泳ぐ気がなければ、どれだけ助けようと努めても助けられないのです。
誰かを助けようとするのは傲慢なのです。
無理に助けることは出来ないのです。
あなたには、誰かを救える力はないのです。
あなたは、未熟なのです。
誰かを救えるなどと考えてはなりません。
残念ながら、あなたは誰も救えません。
あなたに出来ることは、助けを求める者を手助けすることだけなのです。
傲慢に陥(おちい)ってはなりません。
あなたは未熟なのです。
未熟なりに行いましょう。
助けを求めない者を助ける必要はありません。
聞く耳を持ち、受け入れることが出来るように成った者に手を貸しましょう。

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