すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければならないのです。
誰一人として、成熟している人はいません。
誰もが、知らないのです。
知っている人はいないのです。
あなたは、自分が何か?ということすら知らないのです。
人生とは何ですか?
残念ながら、あなたには答えることが出来ないでしょう。
それは、知らないからです。
知らないということは、未熟であるということなのです。
あなたは、自分が未熟であるということを理解しましょう。
自分が未熟であるということを理解しなければ、人生は先へは進まないのです。
多くの人は、自分が知っていると思い込んでいます。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいるのです。
そのように思い込んでいる者は傲慢(ごうまん)です。
傲慢な者は、自らを正当化するのです。
多くの人は、自らを正当化します。
自分の行為が正しいと主張するのです。
残念ながら、この世界に正しい人は一人もいません。
すべての人が未熟であり、すべての人が間違っているのです。
誰一人として、自分が何か?を知らないのです。
誰一人として、人生が何か?を知らないのです。
自らを正当化したところで、あなたが正しく成る訳ではないのです。
残念ですが、あなたは、自分が間違っていることを理解しましょう。
多くの人は、誤解を抱えているのです。
誤解を抱えているのが”普通”なのです。
多くの人の考える”普通”とは、間違いであるということを理解しましょう。
あなたが、正しく生きるためには、”普通”を疑う必要があるのです。
”普通”を疑うことがなければ、間違いを正解と思い込んでしまうのです。
それでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすためには、正しく生きなければならないのです。
あなたは、間違いを正さなければなりません。
慈善(じぜん)を施(ほどこ)したとしても、それは慈善になっていない可能性があるのです。
残念ながら、多くの人の誰かを助けようとするのは傲慢の域(いき)を脱しません。
傲慢の状態では、慈善は実現しないのです。
多くの人が、誰かを助けようとしますが、助けることは出来ないのです。
なぜなら、これは、自分の人生だからです。
人生を決めるのは自分自身です。
他者は、自分自身で人生を決めるのです。
他者がどれだけ介入(かいにゅう)しようとしても無駄なのです。
残念ながら、あなたは誰も助けることが出来ません。
助かるかどうか?は、本人(自分自身)が決めることなのです。
本人が助かる気がなければ、どれだけ努力を重ねても助けることは出来ないのです。
溺(おぼ)れる者に助かる気がなければ、助けることは出来ません。
相手が救いを求めなければ、助けることは出来ないのです。
相手が救いを求めても、助けることは出来ないかも知れません。
それ程、誰かを助けるということは難しいことなのです。
あなたは、慈善を軽く考えてはなりません。
誰かを助けようとしても、相手に助かる気がなければ助けることは出来ないのです。
自ら助けを求めない者は、聞く耳を持ちません。
それに、受け入れることもしません。
そのような者を助けることは出来ないのです。
溺れている者を助けるためには、本人が助かる気で泳がなければならないのです。
本人に泳ぐ気がなければ、どれだけ助けようと努めても助けられないのです。
誰かを助けようとするのは傲慢なのです。
無理に助けることは出来ないのです。
あなたには、誰かを救える力はないのです。
あなたは、未熟なのです。
誰かを救えるなどと考えてはなりません。
残念ながら、あなたは誰も救えません。
あなたに出来ることは、助けを求める者を手助けすることだけなのです。
傲慢に陥(おちい)ってはなりません。
あなたは未熟なのです。
未熟なりに行いましょう。
助けを求めない者を助ける必要はありません。
聞く耳を持ち、受け入れることが出来るように成った者に手を貸しましょう。
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