このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2012年10月31日水曜日

可能性を広げる

あなたが歩めば景色は変わります。
振り返るだけでも全く違う景色を眺めることができます。
人生において、停滞とは罪です。
それは、人生という場所が成長や発展を意義や目的としているからです。
成長や発展を求め、それを実現させることこそが人生の意義であり目的なのです。
人生においては成長や発展こそが正義なのです。
あなたが豊かさを得るためには、成長や発展を実現させる以外に方法はありません。
成長や発展を無視しては、どのような豊かさも得られはしないのです。
状況に対して、停滞を引き込んではなりません。
それは、人生の意義や目的から逸れてしまいます。
停滞を引き込んでは状況が豊かさを得ることはできないのです。
人生というものを築いていくのはあなたの意思です。
思考も感情もあなたの意思に他なりません。
あなたの人生の原因はあなたの中に存在している意思にこそあるのです。
主義や思想、夢や理想、思考や感情、志や目標、価値観…などの意識的な力こそがあなたを動かしていくのです。
肉体を使うだけでは人生は動きません。
どれだけ肉体を動かしても、意思が動いていなければ人生が動くことはないのです。
意思を実現させるために肉体があります。
あなたは意思が動かなければ人生が動くことがないということを理解しなければならないでしょう。
何の夢も目標もなく生きたところで人生は動きません。
ただ、日々を生きながらえているだけでは成長も発展も得られないのです。
実現させたい夢や目標があり、それを実現させる意思があれば、自身には大きな成長が得られ、状況には大きな発展が現れるでしょう。
人や人生を動かすのは、意思であるということを覚えておかなければなりません。
あなたは自らの意思を止めてはなりません。
思考や感情、夢や目標、価値観…
あなたはこれらを止めてはならないのです。
意思の停滞は自らと状況の停滞を意味します。
意思の歩みを止めないことが、状況や人生を動かす秘訣です。
あなたの思考や価値観は凝り固まってはいませんか?
規制概念に縛られ、古い視点や偏見から抜け出せずにはいませんか?
意思を止めてはなりません。
それらは常に柔軟に、広角に伸ばす必要があります。
視野の範囲は自らの可能性に比例しています。
広いほど可能性は広がり、狭いほどに可能性は狭まるのです。
意思の動きは、状況の動きと比例しています。
人生を先に進めば様々な景色を楽しむことができます。
先へと進むほどに豊かさを得ることができるでしょう。
意思が動かなければ人生を先へと進むことはできません。
人生の様々な景色を楽しむために、意思を自由に動かせる状態にしておかなければなりません。
あなたはどのような状況においても停滞してはなりません。
自らの視野と可能性を広げるように努めなければならないのです。
意思を止めてはなりません。
夢や目標を持ち、柔軟な価値観を以て人生を歩んでいきましょう。

2012年10月30日火曜日

思いやりの場所

あなたは思いやりを持てる状態になければなりません。
心の中に思いやりを持つことは素晴らしいことです。
心の中に思いやりを持つことで、あなたは心の豊かさを得ることができるでしょう。
思いやりこそ、あなたに安息を与えられる唯一の感情なのです。
誰かを大切に思う気持ちこそが、あなたを豊かな心境や状況へと導くのです。
あなたは自らの心が思いやりを持てる場所を探さなければなりません。
思いやりを持てる場所を目指して進まなければならないでしょう。
残念ながら、あなたがすべての状況や相手に対して思いやりを持てるとは限りません。
今はどうしても、思いやりを持つことができない状況や相手があるでしょう。
価値観や感情を持つ人間にとって、それは避けることのできないことです。
あなたがその状況や相手に対して、今はどうしても思いやりを持つことができないというのであれば、あなたはその場に長居をしてはなりません。
思いやりを持つことができないの状態であるにもかかわらず、その場にとどまったところでそこに豊かさを導くことはできないのです。
心が乱れるのならば、あなたの選択はそれに合わせて乱れるでしょう。
冷静さを失った心が選択するものは破滅です。
思いやりを持たない選択が豊かさを導くことはないのです。
あなたがどのように考えようとも、思いやりを主体として導く選択に勝る豊かさを得る方法というものは存在しないのです。
物事は長い目で見なければなりません。
その場しのぎの場当たり的な考えではなりません。
一瞬は良くても、後が続かないでしょう。
今のあなたが思いやりが持てない場所にとどまったところで、状況を有益に運ぶことなどできません。
状況や相手に対して思いやりが持てなくなったのならば、すぐさまそこを離れなければならないでしょう。
惰性や妥協によってまで、それを継続しようとしてはなりません。
思いやりを持つことができる距離や視点を探さなければなりません。
何事においても、思いやりが持てない状態で接してはならないのです。
あなたは状況や相手に対して思いやりを持つことができていますか?
思いやりを持てないのにその場に執着する必要などありません。
思いやりを持つことのできる状況や相手を前にしましょう。
状況や相手に対して思いやりを忘れない場所を探しましょう。

2012年10月29日月曜日

あなたは自分自身を大切にしなければなりません。
あなたには素晴らしい個性があります。
あなたはそれに気が付かなければなりません。
あなたはそれを活用しなければなりません。
あなたは自らの個性によって、全体(社会)に対して貢献することを目指さなければなりません。
あなたにとって大切なのは、自らの個性を輝かせることにあります。
個性を輝かせることができなければ、あなたは自らの存在を社会に対して示すことはできないでしょう。
個性を生かさない者や自ら(信条、芯)を持たない者は全体である社会に対して貢献することが難しいということを理解しなければならないでしょう。
全体(社会)に対して通用することができるのは、全体に対して埋もれなかった者だけです。
全体の中に埋れてしまう者が全体に対して貢献し、けん引することなどできないのです。
全体に対して貢献したければ、自らの持っている個性を輝かせなければなりません。
自らの個性を輝かせるためには、それを磨かなければなりません。
自らの個性を磨くためには、自分自身を大切にするのはもちろん、それを貫かなければなりません。
自分を持たない者が個性を持つことはできません。
自分を曲げる者は個性から逸脱してしまうのです。
個性とは、真っ直ぐなものなのです。
個性を磨くことはとても大切です。
それは、あなたがあなたで在るためであり、自らに与えられる仕事や役割を果たすための最低限の条件でもあります。
個性を持たず、それを磨くこともなければあなたは輝きを放つことはできません。
輝きを放つことができなければ、必要な仕事や役割を果たすための条件を満たすことなどできないのです。
あなたが自らの仕事や役割を満たすためには、人々にそれを認知してもらう必要があります。
あなたが自らの個性を以て、自らの仕事や役割を果たすことができる状態であると知ってもらう必要があるのです。
人々は個性を持たない者に興味を持ちません。
自分自身に自信を持ち、その個性を誇示し、更には何かに対して貢献することができる者にこそ惹(ひ)かれるのです。
あなたは自らの個性を磨かなければなりません。
個性を磨いて輝きを放たなければなりません。
そして、その光を人々に示さなければなりません。
あなたが自らの個性を誇示する時、そこには社会に対して何らかの形で貢献する
道が開かれるでしょう。
しかしながら、自らを貫き通すことや、個性を磨くことは簡単なことではありません。
あなたがあなたで在ることは簡単ではないのです。
個性を磨くことは努力以外の何でもありません。
あなたの個性というものは、磨かなければすぐに曇ってしまいます。
個性を磨くことなく放置していれば、それはやがて錆び付いてしまい、輝きを失ってしまうのです。
あなたがあなたで在るためにも努力が必要であるということを覚えておかなければならないでしょう。
どのように生きるのかはあなたの自由です。
努力を重ね個性を磨き、輝きを以て社会に対して貢献するのも、怠慢によって個性を曇らせ、惰性や堕落の道を選ぶのもあなたの自由なのです。
自らの個性をどのように扱うのかによって、あなたの置かれる状況には大きな変化があるでしょう。
個性とは、とても大きな力です。
その大きな力をどのように扱うかはあなたの自由なのです。
自らと真っ直ぐに向き合うことができれば、個性を磨くことができるでしょう。

2012年10月28日日曜日

美味しく食するために

あなたは必要に応じて動かなければなりません。
必要に応じて動かなければ、必要を満たすことはできません。
必要を満たすことは豊かさを導くことに繋がっています。
状況に対して必要を満たすことができなければ、状況に対して豊かさを導くことができないということを理解しなければならないでしょう。
必要とは、あなたが果たさなければならない責任です。
あなたが果たさなければならない責任とは、あなたがやらなければならないと理解していることや、そう感じることです。
明確な理由のあるものもあれば、そうではないものもあります。
しかしながら、あなたがやらなければならないと理解していることや、やらなければならないと感じていることは、すべてあなた自身や目の前の状況に対して必要であるのです。
果たさなければならない責任を果たすことなく、豊かさ(自由)を得ることはできません。
あなたが責任を果たすほどに豊かさを手にすることができます。
しかしながら、責任を果たすことがなければ豊かさは遠ざかってしまい、やがては自由や可能性というものを失ってしまうのです。
自由という可能性を手にすることができるのは、自分自身や状況に対して必要な責任を果たした者だけです。
あなたが自由という可能性を手にするためには、必要な責任を果たすことが不可欠であるということを理解しておかなければならないでしょう。
必要な責任を果たすためには、それに対してすぐさま取り掛かることのできる状態を所有していなければなりません。
スピーディーに行動することこそ、あなたが必要な責任を果たすためには必要不可欠であるのです。
行動力に欠ける者には必要な責任を果たすことはできません。
やらなければならないことや、やらなければならないと感じているものを放置している者が果たすことのできる責任など存在しないのです。
大切なのは、自らの責任に対してどれだけの熱意と行動力を注ぎ込むことができるのか?ということです。
どれだけの才能を所有していたとしても、責任を果たす意思の無い者が手にすることのできる豊かさはありません。
どれだけ能力があったとしても、それだけでは力不足なのです。
特別に秀でた才能がなくても、熱意と行動力を所有し責任を果たす者は、特別に秀でた才能を持っているだけの者よりも多くの豊かさを手にすることができるのです。
あなたは必要に応じて動かなければなりません。
熱意と行動力に欠けてはなりません。
やれる時にやらなければならないのです。
すべての状況には時間の制限が備わっています。
すべての状況は有限的です。
有機物が時間の経過と共に腐敗を始めるように、状況も時間の経過と共に腐敗を始めるのです。
状況が腐敗を始める前に必要な責任を果たすことができれば、状況はあなたに豊かさを導くでしょう。
状況が腐敗を始めても必要な責任を果たすことができなければ、状況があなたに豊かさを導くことはありません。
腐った物を口にすれば、あなたは腹を下すのです。
状況を美味しく味わうためには、時間内に必要な責任を果たさなければなりません。
食材が腐敗を始めてから慌てて調理を開始したところで、美味しく味わうことなどできないのです。
責任とは、食材を美味しく食するための行為なのです。
状況から豊かさを得るためには、時間内に必要な責任を果たさなければなりません。
されど、あなたには状況が腐敗を始める時間を知ることはできません。
そのため、できるだけ早く行動しなければならないのです。
思い立ったらすぐにそれを始めなければならないのです。
責任と自由(可能性、豊かさ)は繋がっています。
責任を果たすことなく自由を得ることなどできません。
あなたは時間を無駄にしてはなりません。
やれることはやれる時にやるものです。
時間を粗末に扱ってはなりません。
時間を無駄にする者は必ず後悔するということを知らなければなりません。
購入した食材が腐敗すれば破棄すれば良いでしょうが、所有している状況が腐敗を始めてもそれを破棄することなどできません。
どのような状況もそれを受け取り、飲み込まなければならないのです。
美味しいものを食べるために、よりスピーディーに必要な責任を果たさなければなりません。

2012年10月27日土曜日

あなたの手

人生というものは選択によって築かれます。
あなたがどのような選択をするのか?
それによって状況は左右され、環境が築かれていくことを理解しなければなりません。
人生を築くのはあなたの仕事です。
あなた以外の誰かがあなたの人生を決める訳にはいきません。
人生を生かすも殺すもあなた次第なのです。
あなたの選択次第ですべては決まるのです。
あなたは自らの選択が自らの状況や環境、そして、人生に対して多大な影響力を持っているということを覚えておかなければなりません。
自らの選択こそが状況や環境や人生を変える力を持っているという事実に気が付いたのであれば、あなたは自らの手(選択)で人生を変えることができるのです。
あなたの選択こそが良くも悪くも、状況や環境や人生を大きく動かすことができるのです。
変化は素晴らしい成果であり、貴重な財産です。
向上するためには変化する必要があります。
変化することができなければ、そこには停滞が生まれます。
停滞は何時の間にかに堕落を生み出してしまいます。
変化していれば、そこにはいつしか向上が生まれるのです。
あなたは向上するために、向上するための変化を求めなければならないでしょう。
自分自身や状況が向上するためには何を選択するべきなのか?を考えなければならないのです。
向上するための変化とはチャンスです。
あなたの選択こそがチャンスを生み出します。
チャンスが外から舞い込むことはありません。
チャンスとは、自らの選択の中にこそ存在しているのです。
あなたは自らや自らの置かれている状況を向上させるためにチャンスを掴まなければなりません。
どんなに良いアイデア、良い人脈、良い場所、良い資源を所有していたとしても、それを生かそうとする選択をすることがなければ、チャンスなど存在しないのです。
あなたの選択こそが状況に対してのチャンスなのです。
どのような選択をするかによって、状況や環境や人生は決まってしまいます。
豊かな人生を手にするためには、あなたがどれだけの向上心と熱意(やる気)を持っているかによって決まります。
人生が才能などで決まると思い込んではなりません。
向上心と熱意を以て行動する者こそが、人生に豊かさを築くのです。
否定的、消極的などの破滅的な考え方によって向上するための選択を放棄してはなりません。
チャンスは自らの手(選択)によって生み出していかなければならないのです。
選択とは巨大な力です。
それは人生に対して、直接的な影響力を持っているのです。
あなたの選択次第で状況は一変します。
自らの選択が持っている力を侮ってはなりません。
日常の何気無い選択があなたの状況や環境や人生を築いているということを理解しなければなりません。
あなたは現状に満足していますか?
このままで良いのですか?
幸いなことに、あなたには選択の自由が与えられています。
好きなように生きることができるのです。
当然のことですが、自由には責任が伴います。
好きに生きられる代わりに、責任からは逃れることができないのです。
向上すれば豊かさや幸福を得られます。
停滞や堕落をすれば、貧しさや後悔を得ることになるのです。
どちらを選択するのかはあなた次第です。
人生は自由です。
あなたは好きに生きられるのです。
あなたが豊かな人生を望むのであれば、どの選択が向上に繋がるのか?ということを意識し、それを見極めなければなりません。
向上に繋がる選択をしなければ、豊かな人生などあり得ないということを理解しなければなりません。
人生はあなたの手で築かなければなりません。
チャンスはあなたの手で掴まなければなりません。
あなたの手が何を掴むのか?
それはとても重要なことなのです。

2012年10月26日金曜日

膨大なエネルギー

努力は力を生み出します。
努力をすることで、人は力を生み出し強くなることができるのです。
すべての力の源が努力であるということを理解しなければなりません。
努力することがなければどのような力も生み出すことはできません。
力を得るためには努力することが必要不可欠なのです。
あなたは力を生み出し、強くなるために努力を積み重ねなければなりません。
あなたにとって力を生み出し、強くなることはとても大切なことです。
それは、人生にはやらなければならない仕事というものがあるからです。
人は誰しも、必要性を持っています。
誰もが人生においてやらなければならない仕事を抱えているのです。
その仕事とは、「夢」を実現させるということです。
人生においてやりたいことを思考の中だけでとどめておくのではなく、それを実際に実現させるという必要があるのです。
どのように素晴らしい夢を持っていても、それを実世界に実現させることができなければ意味がないのです。
この世界においては、思考や意思を行動し、夢を実現させた者だけが幸福を得ることができるのです。
やらなければならない仕事(夢)を実現させることができなければ、人は幸福を得ることができないのです。
どのような夢も、それを実世界に対して成り立たせるというのは決して簡単なことではありません。
どのような夢の前にも必ず問題が立ちはだかります。
それを実現させるということは、その問題を乗り越えていかなければならないということなのです。
問題を乗り越えることなく夢を実現させることなどできません。
どのような夢の前にも必ず何らかの問題が立ちはだかるのです。
あなたの努力は素晴らしい力を生み出し、強さを与えてくれます。
しかしながら、あなたがいくら努力を積み重ねたとしても、それは一人分の力にしかなりません。
一人の力は、結局一人分の力なのです。
努力することを欠かすことはできませんが、それだけでは不足する状況もあるのです。
あなたがいくら努力を積み重ねたとしても、一人の力では及ばない状況というものがあります。
一人の力では及ばない状況に対して、それを乗り越えるためには、一人の力以上の力を用意する必要があるのです。
それは、人との協力です。
あなたがいくら努力を積み重ねて力を生み出し、強くあったとしても、二人分の力には勝りません。
協力するということは、単純に力が倍増する訳ではないのです。
人の力が合わされば、思いも寄らない力が発生することもあるのです。
あなたは一層の努力をしなければなりません。
努力を積み重ね、力を生み出し強くあり、人との連携と協力を計らなければなりません。
一人の力は知れています。
夢の前に立ちはだかる問題は、一人の力では乗り越えることができないものが多いのです。
協力することで得られる素晴らしい力に気付きましょう。
夢を実現させるために努力を惜しんではなりません。
夢を実現させるために人と協力することを惜しんではなりません。
あなたと相手の間には、膨大な量のエネルギーが眠っています。
それを掘り当てなければなりません。

2012年10月25日木曜日

非力

それでもあなたは自分にできることを探さなければなりません。
あなたには様々な状況があります。
時には、何をやってもうまくいかない苦しい状況があるでしょう。
そんな状況にあって、あなたは自らを無力だと感じることでしょう。
何をやってもうまくいかない苦しい状況の中であなたは非力です。
嵐の中の野花のように、力が及ばない状況の中では風雨に従わざるを得ないのです。
嵐に対して野花ができることは、耐えることだけです。
野花には風雨を止めることなど不可能なのです。
この世界には勝ることのできない力が存在しています。
それは目の前の相手であるかもしれません。
抱えている問題であるかもしれません。
あなたにはどうすることもできない力や状況というものがこの世界には存在しているのです。
それがあなたの力を上回る状況であるなら、それを回避することはできません。
あなたの力ではどうすることもできない状況というものが存在しているのです。
しかしながら、それが何をやってもうまくいかない苦しい状況や、あなたの力ではどうすることもできない状況であったとしても、あなたがそこで何もできないという訳ではありません。
例えあなたの力で状況を一転させることができなくても、努力によってはその状況を耐え忍ぶことくらいはできるかもしれないのです。
あなたの努力が及ばない状況もあるでしょう。
しかしながら、その努力が何らかの形によって次に繋がる可能性もあるのです。
結果はやってみなければ分かりません。
それがあなたの力ではどうすることもできない状況であったとしても、諦める者と諦めなかった者とでは、受け取る結果に違いが出てくるのです。
あなたは確かに非力ではありますが、何もできない訳ではありません。
力が及ぶとは限りませんが、何もできない訳ではないのです。
例えそれが小さなことであったとしても、何かはできることがあるはずなのです。
何をやってもうまくいかない苦しい状況の中でも、うまくいかないだけで何もできない訳ではありません。
嵐の中でも精一杯に生きようとするなら、あるいはその状況を耐え忍ぶことができるかもしれません。
しかしながら、諦めてしまう者には耐え忍ぶことさえも許されないでしょう。
どのような状況においても、あなたは自分にできることを探さなければなりません。
どのような小さなことでも良いのです。
うまくいかないことでも良いのです。
どのような状況の中であっても諦めないことが大切なのです。
誰にでも何をやってもうまくいかない苦しい状況があります。
しかしながら、それを耐え忍ぶことができれば、その経験はあなたの大切な糧となり、あなたのこれからを支えることでしょう。
あなたは非力ではあれど、無力ではありません。
置かれた状況の中で自分にできることを探しましょう。
例え小さなことでもそれが何かに繋がると信じ、勇気を以て実行しましょう。

2012年10月24日水曜日

大切な一日

人生とは正に天候のようなものです。
それは実に様々な表情を持っています。
雲一つ無く晴れ渡り、陽の光が惜しみも無く降り注ぐ日もあれば、雲が天空を覆い尽くし、陽の光が大地へと届かない日もあります。
猛烈な風雨によって荒れ狂う日もあるでしょう。
天候は実に多用に、様々な一日をあなたに与えます。
あなたは天候に対して好き嫌いを所有していることでしょう。
晴れの空が好きな人がいます。
曇りの空が好きな人がいます。
雨の空が好きな人がいます。
嵐の空が好きな人がいます。
晴れの空が嫌いな人がいます。
曇りの空が嫌いな人がいます。
雨の空が嫌いな人がいます。
嵐の空が嫌いな人がいます。
人それぞれに好き嫌いはあるでしょう。
人の価値観は全能ではないため、そこに好き嫌いが生じることは仕方のないことではあります。
しかしながら、人生を豊かなものとし、素晴らしい場所にするためには、好き嫌いを用いることはできないのです。
好き嫌いとは偏見です。
偏った見方があるからこそ、好き嫌いが生じるのです。
天空は天空です。
どのような表情を見せても、天空は天空なのです。
あなたの人生がどのような状況を導こうとも、それがあなたの人生であるということに変わりはありません。
人生は人生なのです。
あなたが心地好い状況も、不快に思う状況も、どちらもあなたの大切な人生の時間には変わりないのです。
どのような天空も素晴らしいということに気が付かなければなりません。
好きな表情の天空だけが素晴らしいなどと思い込んではなりません。
あなたにとって気楽な状況だけを幸福などと思い込んではならないのです。
自らの好きなことだけを好むことは、物事の概要しか掴むことができていないということを理解する必要があるでしょう。
表面的な部分や目先のことしか考えられなければ、人は偏見の虜(とりこ)になってしまうのです。
あなたが晴天を好きだとしましょう。
あなたはいつまでも好きな晴天の日が続くことを願います。
しかしながら、年中晴天の日が続くとどうなるでしょう?
曇りの日や雨の日、嵐の日を必要としている存在がいます。
あなたは独りでは生きていくことはできません。
雨の日がなければ、空腹を満たすことさえできないのです。
これは、極端な例ですが、あなたは自らにとって幸福な日が続くことを願っているでしょう。
そして、苦しみや厳しさの日を拒絶することでしょう。
嫌いな天候も、なければ自らの生死に直結します。
嫌いな状況がなければ、あなたは豊かな人生を生きていくことはできないのです。
好きな状況ばかりが続くのならば、人は成長することができないのです。
嫌いな状況や苦しく厳しい状況を乗り越えて進むからこそ、人は成長することができるのです。
すべては必要によって満たされています。
人生には晴れの日のように穏やかな状況もあれば、嵐の日のように厳しい状況もあるのです。
しかしながら、どちらもあなたにとっては大切な一日であり、大切な状況なのです。
好きなことばかりを大切にしてはなりません。
うまくいかない時はうまくいかないで良いのです。
そこには現状のあなたには理解することのできない大切な理由が存在しているのです。
思いのままに進むことが正しいと思ってはなりません。
曇りの日も、雨の日も、嵐の日も、あなたにとっては大切な一日であるのです。

2012年10月23日火曜日

否定する心

あなたが物事の本質を見極めたいと思うのであれば、どのような状況においても「否定する心」を所有してはなりません。
何かに対して否定する心を所有した時点において、あなたは物事の本質から遠ざかるということを理解しなければならないでしょう。
物事の本質を理解するためには、そのものの深くに辿り着く必要があります。
大切なことはすべて、その中心(深い場所)に存在しているのです。
物事の深い場所に辿り着くことができなければ、そのものの本質を見極めることはできないでしょう。
物事の深い場所に向かうためには先入観や規制概念を振りほどく必要があります。
視点や概念が固定されてしまうと、物事に対する認識はその場に縛られてしまうことになるのです。
認識が固定されてしまうと、あなたはそれよりも深く進むことはできないのです。
あなたが物事の深い場所に向かうためには、自由な視点の柔軟な思考が必要であるということを理解しなければならないのです。
自由な視点と柔軟な思考を持たずに物事の本質へと進んで行くことはできません。
先入観や規制概念を持つ者は先へと進むことができないのです。
あなたは所有している先入観や規制概念を振りほどかなければなりません。
気が付かない内にそれらを所有しているということもあります。
どのような視点や思考にも固まってはならないのです。
「否定する心」は先入観や規制概念をあなたの心に植え付けます。
否定する心を持つと人は物事に対して心を閉ざしてしまうのです。
心を閉ざしてしまうと、それ以上のことを受け付けることができなくなってしまうのです。
表面的な部分を見ただけで、物事を理解することはできません。
時間をかけ、経験を重ねて様々な角度から検証しなければ、それがどのようなものであるのかを理解することはできません。
あなたの立ち位置から見える姿がすべてだと思ってはなりません。
表と裏が同じであるとは限りません。
すべての物事は多面的です。
必ず多くの表情を所有しているのです。
例えば、一人の人物があなたに見せる表情と、他の誰かに見せる表情とは違います。
その人物が見せるあなたの知っている表情は、多くの表情の中の一つや二つに過ぎないのです。
あなたに見せる表情だけで相手のことを理解することができるでしょうか?
物事はそう簡単にはいきません。
物事の本質は、先入観や規制概念を振りほどくことがなければ決して見えてはきません。
思い込みや決め付けはあなたの光を奪ってしまいます。
否定はあなたの可能性を潰します。
それがどのようなものであっても決して否定から入ってはなりません。
否定した時点において、あなたの「負け」です。
本質には絶対に辿り着くことはできません。
否定する心に捕らわれてはなりません。
すべての物事を肯定する必要はありませんが、否定することがあなたの可能性を潰すのだから安易に否定する必要はないのです。
否定する心を持たず、純粋な心によって物事に向き合いましょう。
そうすれば、あなたは少しでも深い場所へと進んで行くことができるでしょう。
そこには物事の本質が存在しているでしょう。
そこに辿り着いてからの否定であるのならば、それはあなたに豊かさを導くことができるでしょう。
物事を自分なりに見極めるために、より多くの視点を探しましょう。


2012年10月22日月曜日

純粋な心

あなたにとって本当に大切なものは、あなたの心が伝えてくれます。
あなたは自らの心の声に従って進めば良いでしょう。
素直な気持ちで心に向き合えば、自らにとって本当に大切なものが見えてきます。
あなたが純粋に楽しいと思えることを選択し、その方向に向かって進めば良いでしょう。
無理をして誰かの価値観に合わせる必要などないのです。
あなたの心が求めるものと、誰かの心が求めるものとが一致しているとは限りません。
あなたの心が純粋に求めるものが他の誰とも同じではない可能性もあります。
あなたは独りで進まなければならない時もあるでしょう。
しかしながら、それがあなたの心が純粋に求めるものであるのならば、それを求めることはあなたの心を満たす唯一の方法となるのです。
自らの心が純粋に求めるものを追い求めることができなければ、あなたは自らの心を満たすことはできないでしょう。
どのような選択をしても、それがあなたの心が純粋に求めるものでないのならば、心を満たすことはできないのです。
心が純粋に求めるものでないものを求めると、そこには虚しさが募ってしまう可能性もあります。
自らの心に従うことができなければ、心の中には何も残らないのです。
あなたにとっての大切なものが他の誰かの大切なものと同じであるとは限りません。
人の価値観と自らの価値観を比べる必要などないのです。
あなたにとっての大切は、あなたが純粋に大切だと思えるものなのです。
無理をして誰かの価値観に自らを合わせても心が満たされることはないでしょう。
あなたにとって本当に大切なものは、今のあなたの心を満たすことができるものであるということを理解しなければならないでしょう。
気が進まないことを無理に行う必要などないのです。
誰かの価値観に合わせて自らを決める必要などないのです。
好きなことを選択し、好きな道を進んで行けば良いでしょう。
しかしながら、自らの心が純粋に求めるものを追求することは決して簡単なことではありません。
自らの好きなことをするためには、それなりの覚悟が必要だからです。
好きなことをするためには、そのために守らなければならないルールが発生するでしょう。
好きなことを継続するためには、我慢しなければならないことや諦めてはならないこともたくさんあるのです。
人は多くのものを求めますが、それらを同時に手にすることはできません。
どちらか一方を掴めば、どちらか一方は諦めなければならないのです。
何を掴むのか?
あなたにとってそれはとても大切な選択です。
人生というものは小さな選択の積み重ねによって決まります。
一つ一つの選択があなたの人生を築くのです。
その選択をより自らの心が純粋に求めるものにしていくことが重要なのです。
人にはそれぞれに進むべき道があります。
あなたの道はあなたが築いていかなければなりません。
あなたの選択こそが道を築きます。
より自らの心に従い、より純粋に進んで行ければ、人生は素敵な場所になっていることでしょう。

2012年10月21日日曜日

強い気持ち

本当に大切なものは大抵、目には見えない所に存在しています。
あなたの見ているものは大抵の場合大したものではありません。
目に映るものは、大抵の場合取るに足らないものなのです。
あなたは目には見えない所に存在している大切なものを大切にしなければなりません。
本当に大切にしなければならないものを大切にすることなく、豊かさを得ることなどできないのです。
樹木にとって最も大切にしなければならないものは「根」であると言えます。
根こそが、樹木の生命を支えています。
根が無事ならば、例え切り株になったとしても新たな枝葉を伸ばし、再び栄えることができるのです。
しかしながら、どのように立派な枝葉を伸ばしていても、根が傷付いてしまえば樹木は枯れてしまうのです。
樹木にとって本当に大切なものは地中にこそ存在しているのです。
あなたの目はそれを見ることはできないでしょう。
あなたの目に映るものだけが大切であるとは限らないのです。
視覚だけに頼れば、目に映るものが最も大切であるという偏見を所有し兼ねません。
枝葉だけが大切であると考え、根を蔑ろにしているようであれば、樹木はその生命を保つことはできないのです。
あなたは目には見えない所に存在している大切なものを大切であると認識する心を持たなければなりません。
あなたが歩むこの人生はとても険しい道のりです。
あなたの目の前には様々な困難が押し寄せることでしょう。
そのような状況の中においても、あなたは進み続けなければなりません。
時には嵐によって、精一杯に伸ばした枝葉が折れてしまうかもしれません。
誰かの手によって、幹から切り倒されてしまうかもしれません。
人生というものは決して気楽な場所ではないのです。
それは誰にとっても険しく、苦しい道のりなのです。
人生に苦悩を感じない人はいません。
誰もが失敗を繰り返し、挫折するのです。
しかしながら、それでもあなたは進み続けなければならないのです。
生きることは苦しいのです。
どのような困難をも乗り越えて行くためには、「根」が丈夫でなければなりません。
根が弱ければ、困難を乗り越えて行くことは難しいでしょう。
あなたにとっての「根」も、目には見えない所に存在しています。
それは、あなたの内側にこそ存在しているのです。
あなたの志、意思、主義、決意、思想…
あなたの目には映らなくても、あなたにとってとても大切なものがそこには存在しているのです。
どのような状況においても、あなたの内側に存在しているものがぶれなければ大丈夫です。
あなたの内側に芯(強い気持ち)があるなら、どのような困難も乗り越えて行くことができるでしょう。
しかしながら、芯がなくぶれているようであれば、困難を乗り越えて行くことはできないでしょう。
あなたの内側に存在しているものは、あなたの「根」です。
あなたはそれを大切にしなければなりません。
自分が決めたことなら簡単に曲げてはなりません。
例えあなたの方法が間違っていたとしても、自分がそれを間違っていたと気が付けるまではそれを決して曲げてはなりません。
芯もなくフラフラと漂うようでは、どのような豊かさも得ることはできないのです。
決意を以て伸ばす根は地中深くにまで到達します。
その根は太く、強靭なものであるでしょう。
太く、強靭な根が地中深くへと伸びれば、少々の困難ではびくともしない樹木に成長することができるでしょう。
内側に芯を持っている者ほど、深くに根を伸ばすことができます。
人生という険しい道のりを進み続けるために、内側に存在している大切なものを大切にする気持ちを忘れないようにしましょう。

2012年10月20日土曜日

等身大の自己

人生において大切なのは、あなたが何をしたのか?ということです。
あなたが「あなた」として何をしたか?ということが重要なのです。
あなたが「あなた」であるためには、等身大の自己を見つめなければなりません。
見栄や虚勢によって塗り固められた自己は「あなた」であるとは言えません。
見栄や虚勢を振りほどいた自然体なあなたこそが、等身大の自己であるということを覚えておかなければならないでしょう。
人は見栄や虚勢を張ります。
人という存在は、大なり小なり周囲の目を気にし、他人の評価に振り回されるのです。
しかしながら、見栄や虚勢を張ることが悪いという訳ではありません。
見栄や虚勢を張ることで自らにプレッシャーをかけ、成長を促すこともできるでしょう。
しかしながら、見栄や虚勢を張るほどにあなたは力まなければなりません。
力めば力むほどに、人は自分にとって大切にしなければならないものが見えなくなってしまいます。
見栄や虚勢によって塗り固められる自己によって、等身大の自己を見失ってしまうのです。
等身大の自己には大切な役割りがあります。
それは、あなたがこの人生において本当にやらなければならないこと、果たさなければならないことを教える役割りです。
人にはそれぞれに使命があります。
その使命を果たすために人生を生きているのです。
あなたにはやらなければならないことがあります。
あなたにしかできないことがあるのです。
等身大の自己を見つめなければそれを知ることはできません。
見栄や虚勢によって塗り固められた自己ではそれを知ることは難しいのです。
何のために生きるのか?
それはとても大切な課題です。
生きる目的がなければ生きること自体が苦痛になってしまうでしょう。
あなたが本当にやりたいことは何ですか?
見栄や虚勢を抜きにして進みたい道の先には素晴らしい人生が待っていることでしょう。
見栄や虚勢を張り、力んだり焦ったりすることだけが人生ではないのです。
自分の好きな道を自分のペースで歩むこと、そして、それが誰かの役に立つことも大切なのです。
右に習うことも人生です。
枠にはまらないことも人生です。
好きな道を行けば良いでしょうが、等身大の自己と今の自分が本当にやりたいと思うことは見失ってはならないでしょう。


2012年10月19日金曜日

人生何をしたか

人生において大切なのは、あなたが何をしたか?です。
そして、何を生み出し、動かし、遺したのか?ということなのです。
人生において最も大切なことは、創造していくということだということを覚えておかなければなりません。
何かを生み出し、動かし、遺していくこと以上に大切なことはありません。
人は皆、人生という限りある時間の中で、限りある命を消耗しながら何かを生み出し、動かし、遺していかなければならないのです。
それは、あなたが人生に存在した証明のためです。
あなたが生きた証は、あなたのたてた功績以外には伝えません。
残念ながら、ただ平凡に命を繋ぐだけでは何かを遺すことはできません。
何かを遺すということは決して簡単なことではありません。
しかしながら、あなたはその大切なことを果たさなければならないのです。
それは、大切な何かをこの世に遺すことこそが人生の意義であり、命の使命だからです。
大切な何かを遺すことができなければ、あなたが死を以て人生を去らなければならない時に、大きな後悔を残さなければならないのです。
後悔を残すことになれば、あなたは苦しみを受け取ることになるでしょう。
人生でのやり残しは、あなたが生きていた時に味わう苦しみをはるかに凌(しの)ぐものであるということを覚えておかなければならないでしょう。
人生にやり残しと後悔を残してはなりません。
後悔ではなく、大切な何かを遺さなければなりません。
あなたが人生に対して大切な何かを遺すためには、何かを生み出し、何かを動かす必要があります。
何かを生み出し、何かを動かすことがなければ、何かを遺すことはできないのです。
何かを生み出し、動かすためには「行動」する以外に方法はありません。
あなたが自ら行動することがなければ、何かを生み出し、それを動かし、遺すことなどできないのです。
あなたが行動しなければならないのです。
誰かがあなたの代わりにあなたの功績をたてることなどできません。
あなたが自らの力によって自らの功績をたてなければならないのです。
そのためには行動することが重要です。
行動しない者がたてることのできる功績などありはしないのです。
行動しない者は、人生に対して大切なものを何一つとして遺すことができないと理解しましょう。
行動しない者は何も生み出すことはできません。
何も動かすことはできません。
何も遺すことはできません。
それでは、人生の意義と命の使命を果たすことなどできないのです。
あなたが自らの人生を素晴らしいものにしたいと思うのであれば、行動しなければなりません。
行動することなくあなたは何も得られません。
行動することの大切さを理解しましょう。
あなたの人生を動かすのは、他の誰かではありません。
あなた自身がこ行動しなければ、何も始まりはしないのです。
そして、何も遺すことはできないのです。
あなたはこの世に何を遺しますか?
そのために何を生み出し、何を動かしますか?
あなたは何もしますか?
行動しなければなりません。

2012年10月18日木曜日

互いの利益

人と人との繋がりにおいて、利益を生み出すことはとても大切なことです。
互いの間に利益を生み出すことがなければ、繋がりは必要ではありません。
互いに補い合い、利益を共有することができる関係性こそが必要であるのです。
あなたは互いに補い合い、利益を共有することのできる相手との間に繋がりを持たなければなりません。
互いに補い合うことはおろか、利益を共有することができない相手との繋がりを持ってはなりません。
あなたが相手のこと(利益)を考えることができないのであれば、今すぐにそこを立ち去らなければなりません。
相手に対して何らかの利益を与えることができない関係など、継続しても意味がありません。
自分だけが利益を得よう、相手のことなどどうでも良い、などという考えが辿り着く場所は「ろく」な所ではないのです。
これはあなたのために言っていることなのです。
相手の利益を考えることができなければ、今すぐにその関係性を断ち切り、そこを立ち去らなければなりません。
それは、互いに補い合い、利益を共有することができる関係性でなければ、良い結果を受け取ることなどできないからです。
与えることが受け取ることに繋がります。
奪うことは失うことに繋がるのです。
相手の利益を考え、そのように行動すれば相手は何らかの利益を得ることができるでしょう。
相手が利益を得ることができれば、あなたに対しても利益が発生します。
相手が助かるということは、あなたが助かるということを理解しなければなりません。
物事は直接的に働く訳ではありません。
間接的にも働きます。
そのため、どのようなことも無駄にはなりません。
あなたが相手のために何らかの利益を生み出せば、直接的、もしくは間接的に何らかの利益を受け取ることができるのです。
しかしながら、自己の利益ばかりを考え、相手に対する利益を考えることがなければ、あなたは大切なものを失うことになるでしょう。
自己の利益のために動いてはなりません。
相手の利益のために動きましょう。
それがあなたのためです。
人のためにすることこそが、自分自身のためであるということを理解しましょう。
すべてははね返り舞い戻ります。
人生においては、自分がやったこと(原因)を結果として受け取ることができるのです。
相手の利益を考えることができなければ、今すぐにそこを立ち去らなければなりません。


2012年10月17日水曜日

意思の同調

世界は意思によって築かれます。
状況があなたの意思決定によって築かれるように、人生も結局はあなたの意思によって築かれるのです。
世界は意思によって始まります。
意思が存在しなければ世界は存在しないのです。
あなたの世界は自らの意思によって築かれているということを理解しなければならないでしょう。
あなたの意思決定が状況を左右し、人生を築きます。
人は意思によって自らの行く先を決定しているのです。
どのような状況も、意思によって築かれます。
意思によって行く先を決めた者たちが同じ場所(状況)に集います。
人は意思によって結ばれるのです。
同じ方向性の意思を持たなければ、人と人は集うことはできません。
あなたの関わる人たちは、皆何らかの形で同じ方向性の意思を持ち、それによって結ばれているのです。
同じ方向性の意思、同じ価値観、同じ学び(経験)、同じ状況から得られるそれぞれの利益…
すべては双方にとって必要を満たすための状況なのです。
あなたは人と人が同じ方向性を持つ意思によって結ばれているということに気が付かなければなりません。
あなたが志を持っているのであれば、それを支えるための必要性がその状況には存在しているでしょう。
それを支え、成し遂げるために必要な人物と巡り会うことができるでしょう。
それは、あなたに対して協力的な支えとなる人物であるかもしれません。
もしかすると、非協力的な人物であるかもしれません。
しかしながら、どちらの人物も、あなたが進む道で巡り会ったのならば、あなたの志に対して影響力を持っている人物であることに違いはないのです。
どのような人物との巡り会いも無駄ではありません。
あなたがその巡り合わせを有効的に使えるか?どうかなのです。
あなたの意思に対して必要な人物と巡り会います。
あなたが巡り会い、互いに状況を共有している人物は、あなたに必要な学び(経験)をもたらす人物であるのです。
その巡り合わせを軽んじてはなりません。
あなたはどのような状況からも、どのような人物からも必要を学ばなければならないのです。
必要を学び、それを自らの志の支えとしなければならないのです。
あなたの意思に対して必要な状況や人物が引き寄せられ、学びが築かれます。
あなたの志(意思)や学びに必要のない状況や人物が目の前に引き寄せられることはありません。
あなたは目の前のさまざまな巡り会わせを大切にしましょう。
そこには、大切な学びが存在しているはずです。
人と人は、意思によって結ばれているということを覚えておかなければなりません。
意思の同調なくして、人は集いません。



2012年10月16日火曜日

大きな世界

あなたは「小さな世界」に止まってはなりません。
小さな世界に止まることに注意を払わなければなりません。
それは、人は小さな世界に止まることによって、気づかぬ内に歪んでしまうからです。
人の目的は成長にあります。
人生の意義は成長することにあるのです。
人はどの瞬間にも成長しています。
すべての経験があなたに成長を促しているのです。
成長することは素晴らしいことです。
それは、人である目的を果たすと同時に、人生の意義をも得ることができるからです。
しかしながら、成長する自分自身を支えるには、それを支えるだけの土壌が必要です。
肥えた土でなければなりませんし、広い場所でなければならないのです。
痩せた土であり、狭い場所であるなら成長は行き詰まり、やがては成長することができなくなるという可能性があるということを理解しておかなければならないでしょう。
樹木は土に根を伸ばします。
根を伸ばすことこそが、樹木の成長を支えています。
根は土壌の養分を糧として枝葉を育てます。
それが肥えた土であり、広い場所であるほど根は広域へと広がりをみせ、多くの養分を糧として受け取ることができるのです。
その結果、樹木は大きく、そして美しく成長することができるのです。
しかしながら、痩せた土と狭い場所ではそうはいきません。
それは、人にも言えることです。
人にも成長するためには必要不可欠である土壌が存在しています。
あなたの生活や価値観などがそれに当たります。
生活や価値観などのあなたに成長の可能性を提供する状況こそが、あなたの土壌であると言えるのです。
あなたの生活(習慣、範囲、リズム、態度…)と価値観(心境、思考、興味、夢…)がどのようなものであるのかによって、あなたの成長がどのようなものであるのかを知ることができます。
その生活や価値観が大きく振れ、変化に富んだものであるのならば、あなたは必要やそれ以上の成長を実現させることができるでしょう。
しかしながら、その生活や価値観が小さくまとまってしまうと、あなたは必要な成長を手にすることはできないのです。
変化こそが、その世界の大きさを決めます。
変化が多かったり、それが大きいほどに、世界は大きくなるのです。
変化に乏しく、それが少なければ、世界は小さなものになってしまうのです。
変化に富んだ大きな世界に生きることができれば、人は大きく成長することができるでしょう。
変化に乏しい小さな世界に生きれば、人は成長することができずに歪み、萎縮(いしゅく)してしまうでしょう。
あなたは自らの世界に対して変化を与えなければなりません。
そこに変化を与えることができなければ、あなたは小さな世界の中で生きていかなければならないのです。
小さな世界に生きれば、人は歪んでしまうのです。
小さな世界に生きる者は利己的です。
自らを正当化し、視野が狭まり偏見を所有していることにも気が付きません。
小さな世界に生きると、人はダメになってしまうのです。
あなたは生活に幅を持たせなければなりません。
その価値観を広域に広げられるように努めなければなりません。
習慣に捕らわれ過ぎ、小さな世界に止まってはなりません。
小さな世界に止まれば、気付かぬ内に力を失ってしまうでしょう。
より多くの興味を持ち、より多くの行動を起こし、より大きな世界を手にしましょう。
大きな世界に生きることが、あなたの成長を正しく支えることでしょう。

2012年10月15日月曜日

最高を探す人

あなたはいつの時も、自らにとっての「最高」を探さなければなりません。
自らにとって最高の自分を探さなければなりません。
自らにとって最高の答えを探さなければなりません。
自らにとって最高の方向性を探さなければなりません。
自らにとって最高の瞬間を探さなければなりません。
自らにとって最高の経験を探さなければなりません。
自らにとって最高の思考を探さなければなりません。
自らにとって最高の価値観を探さなければなりません。
自らにとって最高の相手を探さなければなりません。
自らにとっての最高(だと思えるもの)を探すことは、とても大切なことです。
それは、あなたに最高の人生を導くためには必要不可欠なことだからです。
自らにとっての最高を探そうとしない者が、最高の人生を手にすることなどできません。
良き人生を生きる者は皆、自らにとっての最高を探し、それを手にするための努力をしているのです。
あなたは(現状の)自らにとっての最高を探し、それを手にする努力を怠ってはなりません。
現状における最高を手にすることができなければ、素敵な人生を手にすることはできないのです。
最高を探す人は幸せです。
それは、最高という場所にこそ、豊かさが存在しているからです。
最高という場所こそが素晴らしいということを理解し、それを覚えておかなければならないのです。
自らにとっての最高を手にするためには、それを探していなければなりません。
探すことなく見付けることはできません。
見付けることができなければ、手にすることなどできないのです。
あなたにとっての最高とは、あなただけの最高であると心掛けなければなりません。
あなたが自分自身で最高だと思えるものを手にする努力をしなければならないのです。
自らが最高だと思えないものを手にしたところで、あなたは素晴らしい時間や最高の人生を手にすることはできません。
自らにとっての最高を手にし続けることこそが、素晴らしい時間や最高の人生を手にするための秘訣なのです。
あなたは最高を手にするために、妥協をしてはなりません。
怠慢(いい加減)や諦めによって何かを手にしてはならないのです。
あなたがこれから手にするものは、現状においての最高のものだけと決意しなければなりません。
最高のものだけを追い求めるのならば、あなたは「本物」を手にする可能性を得ることができるのです。
現状における最高を追い求めない者には、「本物」を手にする権利はないのです。
素晴らしいものを手にすることができる者は本物志向であるということを覚えておかなければなりません。
あなたにとっての最高とは何ですか?
状況はいつもあなたに有利だとは限りません。
常に不足なく満たされているとも限りません。
あなたはどのような状況においても、その状況における最高を得る努力をしなければなりません。
最高を追い求める気持ちや生き方があなたに対して「本物」を導き、あなたは素晴らしいものを手にすることができるでしょう。
より良いものを求めましょう。
より最高を目指すのです。
最高を手にするために、あなたは自らが何をする必要があるのかを考えなければならないでしょう。

2012年10月14日日曜日

直感

直感とは、純粋な感情です。
直感とは無垢(むく)です。
それは思考に頼りません。
直感はあなたの思考(や意思)を離れた感覚であるのです。
直感にはあなたのどのような思考も混入することはありません。
それは何よりも純粋な感情なのです。
あなたにとって、純粋な感情というものはとても大切なものです。
それは、あなたに対して物事の本質的な部分を純粋な視点から知らせてくれるメッセージだからです。
純粋な心を持てば、その対象が自らにとってどのような影響力を持っているのかを純粋に知ることができます。
損得を考える打算に頼らず、素直に感じたり純粋に考えることができれば、そのものの本質的な部分をわずかにでも捕らえることができ、必要な対応を取ることができるのです。
純粋な感情や素直さに従わず、損得に対して必要以上に思考を巡らせた打算では、自らに与える純粋な影響力である物事の本質的な部分を捕らえることができなくなってしまうのです。
思考を重ねるほどに、その感情は純粋さや素直さから遠ざかってしまいます。
打算的に考えれば考えるほど、人はそのものが持っている純粋な影響力から遠ざかってしまうのです。
物事を打算的に考える者にとって、どのような物事もその純粋さを失ってしまうということを覚えておかなければならないでしょう。
純粋さが失われてしまうと、そのものが持っている自らに対する影響力を見失ってしまいます。
打算的な思考を重ねるほど、その本質的な部分を捕らえる感覚は麻痺していくのです。
物事を打算的に考える者は、いつかは道を踏み外してしまいます。
知らず知らずの内に道を逸れ、やがて見失ってしまうのです。
物事を純粋な心で捕らえることができる者は、物事の本質的な部分を見失うことが少なくなり、自らの進むべき道を見失うことも少なくなるのです。
初心を保つことができる者は道を見失うことはありません。
損得感情を度外視することができる者は、物事の本質的な部分を見極めることができるのです。
物事の本質は、純粋な心でなければ捕らえることができないのです。
あなたは直感を大切にしなければなりません。
第一印象という直感はとても大切なメッセージであると言えます。
第一印象だけに捕らわれ、その視点だけに縛られてはなりませんが、直感で得た感覚を中心として物事を組み立てていくことは重要なことなのです。
あなたは直感を軽んじてはなりません。
純粋な感情は、あなたが気が付くことができない部分を知らせてくれます。
それを認識することができるのかは、直感をどのように扱うか?によって変わってくるのです。
人生を豊かに生きるためには、考え過ぎることは禁物です。
考えることは大切ですが、考え過ぎることは毒です。
そして、打算的に考えることはもっと毒なのです。
直感があなたに伝えるメッセージを読み取りましょう。
純粋な感情が伝えるメッセージを大切にしましょう。

2012年10月13日土曜日

本物の輝き

どのようなものも、磨けば輝きを放ちます。
輝きを放つということは力を持つことです。
力を持つということは貢献することができるということです。
貢献することができるものは、あなたに対して有益に働くでしょう。
あなたが必要な利益を得るためには、輝きを放つ力を持っていなければなりません。
輝きを放つことなく、利益も豊かさも得ることはできないのです。
あなたには様々な力があります。
様々な方向に対して力を持っているのです。
その力が輝きを放つことこそがあなたに貢献し、あなたの貢献を支える力となります。
輝きこそが豊かさを生み出すのです。
あなたの力が輝きを放つためには、それを磨かなければなりません。
磨くことなく、力は輝きを放つことはできないのです。
力を磨くためには、努めなければなりません。
力に対して努めることこそが、力を磨く唯一の方法なのです。
あなたは何事に対しても、自分なりの努力をしなければならないでしょう。
努力することなく、力は磨かれません。
力を磨くことに近道や楽な方法などありません。
一つ一つの努力を地道に積み重ねることこそが、力に輝きを与えるのです。
近道や楽な方法を探してはなりません。
近道や楽な方法を探す者は物事の表面的な部分だけしか見ることができてはいません。
また、近道や楽な方法を探している者は、深層に存在している大切な部分を見失ってしまうのです。
鉄は磨かなければ、やがてそれを錆が覆うことでしょう。
錆が覆ってしまえば鉄は腐食し、本来の輝きや能力を発揮することができません。
錆が覆ってしまった鉄は、再び輝きを放つために錆を落としてしまわなければならないのです。
錆は完全に落としてしまわなければなりません。
表面的な部分だけの錆を落としても、深層に侵入している錆があれば、やがては全体が錆によって覆われてしまうのです。
表面的な部分だけを磨けば、見た目は美しく輝くかもしれません。
しかしながら、輝きを放ち続けることはできません。
深層に存在している錆がすぐさまその輝きを奪い去ってしまうからです。
あなたは表面的な部分だけを磨いて満足していてはなりません。
より深い部分から磨くように、意識しなければなりません。
外見だけに捕らわれずに、中身をも磨くように努めなければなりません。
どのような力も磨けば輝きを放ちます。
しかしながら、中身から磨くことと、表面的な外見だけを磨くのとでは訳が違います。
あなたは常に深い部分に意識を合わて力を磨くように努めなければなりません。
表面的な部分だけを磨くような価値観を持ってはなりません。
見えないところが重要であるのです。
いくら表情を繕(つくろ)っても、心を隠し通すことはできません。
いつかは必ず綻(ほころ)ぶのです。
心が輝いているのならば、表情を繕う必要などないのです。
心が輝いているのならば、その表情は自然と輝いていることでしょう。
表面的なメッキは必ず剥がれてしまいます。
あなたが本物の輝きを求め、本物の利益を必要とするのであれば、中身を磨くように意識しなければなりません。
内側から輝くことこそ、素晴らしいことなのです。

2012年10月12日金曜日

歩み続けること

あなたが人生という道を進んで行きたいと思うのであれば、どのようなことにも捕らわれずにその歩みを運ばなければなりません。
あなたが何かに捕らわれると、その歩みは止まります。
歩みが止まれば先へと進むことはできないのです。
どのような状況に対しても、それに捕らわれずに歩む覚悟を持たなければならないのです。
どのような状況においても歩みを進める覚悟を持たない者は、人生を先へと進めることはできません。
あなたの心が何かに捕らわれてしまうと、それより先に歩みを進めることはできず、何度も同じ場所を旋回してしまうことになるのです。
人生には、あなたが苦しいと感じる状況や悔しいと感じる状況がたくさん存在しています。
それはあなたに後悔の念を植え付け、あなたを縛り付けてしまうのです。
後悔の念に捕らわれてしまった心は、それを振りほどくまでその状況にあなたを縛り付けてしまうのです。
時間が流れ、季節が移り変わろうとも、後悔の念に縛られた心はどこへも行くことはできないのです。
状況や感情に捕らわれ、過去に縛られてしまうと、人は人生を先へと進むことはできません。
あなたが人生を先へと進めるためには、どのような状況に対してもその心を捕らわれないようにしなければならないのです。
心が捕らわれなければ、あなたはどのような状況においてもその先へと歩みを進めることができるのです。
あなたはどのような状況においても、その状況や感情を所有しようとしてはなりません。
どのような感情にも捕らわれてはなりません。
過去はあなたを引き止めようとしますが、その言葉に従ってはなりません。
どのような状況に対しても常に新たな可能性を探し、それを掴むために先へと歩みを進めなければならないのです。
過去の苦しみや悔しさに捕らわれずに生きることは容易なことではありません。
それは、過去の苦しみや悔しさを乗り越えなければならないからです。
過去を乗り越えるためには、過去の自分よりも成長し、強くなる必要があります。
過去の自分よりも成長することができなければ、過去を乗り越えて進むことなどできないのです。
あなたは今に集中しなければなりません。
今持てる目標に向かい、目の前の問題を乗り越えようと努めなければなりません。
今持てる目標に向かう努力や、目の前の問題を乗り越える努力こそがあなたを成長へと導きます。
今の目標に向かい、目の前の問題を乗り越える努力こそが、あなたを過去の呪縛から解き放つ唯一の方法なのです。
過去に捕らわれてしまえば人生を進めることはできません。
後悔はいつの時にもあなたに付き添います。
いちいち相手をしていては体力が持ちません。
今できること、今やりたいこと、今やらなければならないことを精一杯にこなしましょう。
残念ながら、あなたの人生には十分過ぎるほどの時間は残されていません。
人生を終える時、あなたは自らの歩みが十分であったと言えるでしょうか?
後悔の少ない人生を歩まなければなりません。
今からでも遅くはないのです。
これからのあなたは、どのような過去にも捕らわれてはなりません。
あなたは何も所有してはなりません。
今を大切に、今を一生懸命に生きなければならないでしょう。
何にも捕らわれることなく歩み続けましょう。

2012年10月11日木曜日

柔らかい世界

あなたは偏見を所有してはなりません。
偏った思考や視点によって世界を判断してはなりません。
物事はより多面的、より多角的に捉えるように努めなければなりません。
物事には多くの可能性が備わっています。
あなたが知っているのは、その中の一部に過ぎません。
あなたが見ているものは、あなたの中の価値観が導き出す一部の可能性でしかないないのです。
あなたが自らの中の価値観によってのみ世界を判断するのであれば、世界には可能性が小さく限定されてしまうということを理解しなければならないでしょう。
世界に対しての可能性を決めるのは、あなたの思考や視点であるということを理解しなければならないのです。
自らの思考や視点が世界の可能性を左右しているということに気が付かなければ、あなたは可能性を失ってしまうということを覚えておかなければならないのです。
あなたは自らの可能性を狭めてはなりません。
自らの可能性を狭めるような思考や視点によって世界を判断してはなりません。
どのような状況の中にも可能性を広げるであろう選択肢を探し、それを掴まなければなりません。
それは、少しでも可能性を広げることこそが、あなたを目標や理想に辿り着かせる方法だからです。
可能性が狭まる状況において、あなたは自らの持つ目標や理想に辿り着くことはできません。
それは、どのような目標も理想も、可能性の先にしか存在していないからです。
可能性を広げることこそがあなたを先へと進めます。
一つの手段しか知らなければ立ち止まるしかない状況においても、二つの手段を知っていれば先へと進める可能性はあるのです。
直進しか知らなければ壁に阻まれますが、曲がることを知っていれば壁を避けて進むことが可能なのです。
偏見を所有するということは、一つの手段に固執(こしゅう)するということに繋がります。
それは、回避すれば何の障害にもならない壁を、力づくで無理矢理に移動させようとする行為と同じことなのです。
あなたはそれを滑稽(こっけい)だと思うでしょう。
しかしながら、人というものは気が付かない内に一つの思考、一つの視点、一つの手段、一つの価値観に捉われているものなのです。
人は、知らず知らずの内に偏見に捉われ、世界に備わる可能性を手放しているのです。
あなたが世界に対して、自らに対して可能性が必要だと考えているのであれば、偏見を所有してはなりません。
物事を狭い価値観によって判断してはならないのです。
物事をより多面的、より多角的に捉えなければなりません。
規制概念はあなたを殺します。
世界の可能性は、あなたの中にこそ存在しているということを理解しなければならないでしょう。
柔らかい頭で、柔らかく世界を捉えましょう。

2012年10月10日水曜日

心の行き先

あなたが自らの人生に「美しさ」を求めるのであれば、その心を美しく保たなければなりません。
心が美しくなければ、人生が美しくあることはありません。
それは、人生というものが心によって築かれているからです。
人生とは、心を写す鏡のようなものです。
心という原因を結果として現しているのが人生なのです。
人生は心に起源します。
あなたの心が次の方向性を選択し、行く先を決めるのだから、心によって人生は築かれているのです。
心の美しさとは、誠実さ、実直さ、勤勉さ、思いやり…などの建設的な性質を持つ心を言います。
それらから外れ、不満、不安、怠慢、傲慢(ごうまん)、強欲…などの破滅的な性質を持ってしまえば、美しい心であるとは言えません。
そのような心を所有してしまえば、美しい人生を得ることはできないのです。
美しさとは、豊かさです。
豊かなものは美しく在ることを理解しなければならないでしょう。
美しい心は、豊かな人生を築くのです。
醜い心では、豊かな人生を築くことはできないのです。
心を美しく保つためには、心に建設的な性質を持つ感情を保つ必要があります。
誠実さ、実直さ、勤勉さ、思いやり…などが建設的な性質を持つ感情であると言えます。
どのような状況に在ろうとも、それらの感情から外れてしまえば心を美しく保つことはできません。
あなたはどのような状況においても、建設的な性質を持つ感情を心の中に保つ努力をしなければならないでしょう。
あなたは損失を嫌います。
明らかに自らが引き金となって生み出された損失に対しては、諦めの気持ちを持ってそれを受け入れ、反省することができるでしょうが、明らかに他人が引き金となって生み出された損失に対して、あなたは破滅的な性質を持つ感情を生み出さずにはいられないでしょう。
しかしながら、それで破滅的な性質を持つ感情を心の中に所有してしまえば、残念ながら心は汚れてしまいます。
理不尽に思えるかもしれませんが、人生を美しい場所にするためにはどのような状況においても心を美しく保たなければならないのです。
損失を誰かや何かのせいにすることは、残念ながら自らの心を破滅的な性質を持つ感情によって汚してしまう行為なのです。
心を美しく保つも、汚してしまうも、すべてはあなた次第であるということを理解しなければならないのです。
他人があなたの心を操作することはできません。
心の行く先はあなたが自ら決めているのです。
状況を建設的に捉えるか?
それとも、破滅的に捉えるか?
それはあなたが決めることなのです。
あなたしかそれを決めることができないのです。
あなたの人生をどのような場所にするのかは、あなたにしか決められないことです。
すべての状況を前にして、あなたは「どうするのか?」「どのような感情を持つのか?」を決めなければなりません。
それはあなたが決めることです。
あなたにしか決められないことです。
どのような状況も誰かや何かのせいにしていてはなりません。
美しい人生を求めるのであれば、美しい心を保つ努力を怠ってはなりません。


2012年10月9日火曜日

幸福への階段

努力することの力を軽く見てはなりません。
努力が導く結果を軽んじてはならないのです。
あなたは「すべては努力に始まる」ということを理解しなければならないでしょう。
あなたが努力を始めることが、世界に建設的な動きを与えます。
努力によって生み出された建設的な動きこそが、世界に大切(有益)なものを築き、遺すのです。
努力することがなければ建設的な動きを生み出すことはできません。
建設的な動きを生み出すことがなければ、世界に対して大切なものを築き、遺すことなどできないのです。
あなたは努力しなければなりません。
努力しなければ何も始まりません。
努力しなければ何も築けません。
努力しなければ何も遺すことはできないのです。
あなたの努力がすべて報われるとは限りません。
努力することによって苦しむことや、何かを失ってしまうこともあるのです。
努力はあなたに与えもし、奪いもするのです。
努力の数のすべてが報われ、すべてが得られる訳ではありません。
しかしながら、努力をしなければ失うことしかないのです。
努力をするということは、物事を洗練させるという意味を持ちます。
努力をしなければすべてが失われますが、努力をすれば大切(有益)なものだけはそこに遺すことができるのです。
努力をすることなく0(もしくはマイナス)を所有するのか?
努力をすることで1を所有するのか?
この差は人生においてはとても大きな違いであるということを理解しなければならないでしょう。
多くの人はこの違いが分かりません。
そのため、努力が嫌いであり、努力に対して興味すら湧かないという考えの人が多いのです。
それはとても残念なことです。
人生の幸福は一つ一つの積み重ねによって成り立ちます。
積み重ねるものがなければ、人生に幸福が訪れることはないのです。
幸福を得るために積み重ねるものは、努力によってのみ手にすることができます。
努力を嫌い、努力をしない者には、幸福のために積み重ねる材料がないのです。
それでは幸福に手が届かないのです。
努力すれば必ず何かを手元に遺すことができます。
しかしながら、それは有形だとは限りません。
努力したにもかかわらず、有形のものをすべて失ってしまったとしても、経験や知識や技術などの無形の財産は必ず遺すことができるのです。
努力が嫌いな人物、努力が無駄に思える人は、有形のものばかりに着目し、無形の財産に気が付いてはいないのです。
有形のものをすべてだとする考えは浅はかです。
有形のものは手元に遺すことなどできません。
あなたが本当の意味で手元に遺すことができるのは無形の財産だけなのです。
努力すれば、有形無形にかかわらず、必ず何かを一つでも遺すことができます。
無駄な努力などありません。
努力を無駄だと考えてはなりません。
努力しなければ何一つとして手元に遺すことはできません。
何かを遺したければ努力をしましょう。
努力もしないで不満や文句を並べるほど、骨頂なことはありません。
すべては努力から始めるということを理解しなければならないでしょう。
どのような努力でもかまいません。
努力をすることに意味があるのです。
努力を重ね、幸福への階段を積み重ねましょう。

2012年10月8日月曜日

大切なものを守る気持ち

人生は、自分の主義に従って築けば良い。
自らの信念に従い、進めば良い。
自らの主義や信念に従って生きることができない者が人生の素晴らしい場所に辿り着き、素晴らしいものを築くことはありません。
人生の素晴らしい場所に辿り着き、そこで素晴らしいものを築くことのできるのは、自らの主義や信念に従って生きることを選んだ者だけなのです。
あなたが自らの人生の素晴らしい場所に辿り着き、そこで素晴らしいものを築きたいと考えているのであれば、自らの主義や信念に従って生きることを選ばなければならないのです。
人は誰でも自らの主義や信念というものを所有しています。
例えば、好き嫌いも一種の主義や信念であると言えるでしょう。
あなたが大切に思うものを大切にする気持ちや生き方が、自らの主義や信念に従って生きるということなのです。
あなたの主義や信念というものは決して一定なものではありません。
あなたの状況や価値観が絶え間なく変化しているように、その主義や信念も絶え間なく変化を続けています。
主義や信念と言うと、堅苦しいイメージを持つかもしれませんが、簡単に言えば「大切なものを守る気持ち」です。
大切なものを守るためにはどうすれば良いか?
どうすることが最善であり、得策なのか?
それを考え、その考えに従って生きるということなのです。
自らの大切に思うものを守ることができない者が、素晴らしい場所に辿り着き、素晴らしいものを築くことなどできません。
人生とは、自らが大切に思うものを守る闘いなのです。
自らの主義や信念に従って生きることは、自らの大切に思うものを守ることに繋がります。
大切に思うものを守るために生きることなく、大切に思うものを守ることはできません。
残念ながら、あなたの信じた方法が常に理想の結果を導くことはありません。
あなたの主義や信念が間違いであったと気付くこともあるでしょう。
その時は、またそこからやり直せば良いのです。
自らの主義や信念に従って生きることがなければ、その主義や信念が大切なものを守るためにどのような力を持っているのかを理解することはできません。
間違いでも、失敗でも良いのです。
それがどのようなものであるのかを理解することが重要なのです。
あなたは自らが大切に思うものを守るために、自らの主義や信念に従って生きなければなりません。
大切に思うものを守るために最善を尽くさなければなりません。
主義や信念に従って生きることができない者に最善を尽くすことはできません。
主義や信念を貫こうとする芯がなければ闘えないのです。
あなたは(現在の)自らの主義や信念に従い、信じた道を進みましょう。
決めたことを守ることはとても大切なことです。
大切なものを守る気持ち(主義)と自分で決めたこと(信念)を守る強さを育てましょう。

2012年10月7日日曜日

「特化」すること

どのような存在にも必ず必要性が存在しています。
必要性とは「特化」です。
他よりも何かが優れているために、そこに必要性が生まれるのです。
他よりも「特化」しているものがなければ、必要性などないのです。
存在しているすべての存在は、他よりも「特化」しているものと、それを持つ可能性があるために存在することを許されています。
それは、自らの存在が何かに対して貢献することができることを意味しているのです。
この世界に存在しているものは、必ず何らかの必要性を持ちます。
それは、他よりも必ず「特化」するという特徴を持ちます。
その人(存在)でなければ担うこと、果たすことのできない役割を持つのです。
すべての存在は、必ず何らかの必要性(特化しているもの)を持つことを理解しなければならないでしょう。
その「特化」がどのような形で状況に当てはまり、役割を果たすのかは分かりません。
それを見極める必要はあります。
しかしながら、すべての存在が必ず何らかの必要性を持つことを忘れてはならないのです。
世界に無駄など存在しません。
無意味なことなどありません。
そして、あなたの存在は決して無駄などではありません。
決して無意味ではありません。
あなたは自らの存在理由を探しているかもしれません。
誰もが何のために生きているのか?ということを探しているものです。
あなたが自らの存在理由を知るためには、他よりも「特化」している部分を探す必要があります。
あなたは他の人よりも必ず「特化」している部分を持っています。
確かにあなたは他の人よりも劣っている部分を多く知っていることでしょう。
しかしながら、何か一つでも他の人よりも「特化」しているのであれば、それだけで必要な役割を果たすことができることを理解しなければなりません。
あなたは必要性をたくさん抱えています。
あなたを必要としている人や場所は必ず存在しているのです。
自らを磨きましょう。
今、自分にできることを精一杯にやりましょう。
目の前のことを精一杯にこなしているのであれば、あなたは自分自身を知る機会を持ちます。
それは、目の前のことに向き合う程に自分自身と向き合うことになるからです。
そうすれば、必ず自分自身の必要性が見えてきます。
その中で他の人よりも「特化」している部分が一つでも見付かるのです。
あなたには必ず他よりも「特化」している部分があります。
しかしながら、それを見極めることができなければ、それが「特化」であることに気が付くことはできません。
先ずは、周りの人の優れている部分、目の前の相手の尊敬できる部分を探しましょう。
あなたが人の「特化」に触れることができれば、自らの「特化」を理解することにも近付くでしょう。
特別になる必要はありません。
あなたが他の人よりも「特化」している部分を探すのは、自らの居場所を見付けるためです。
人の良い部分から、自らの良い部分を探しましょう。
そして、今、自分にできることを精一杯にこなしましょう。
そうすれば、あなたは他の人よりもどこかで「特化」していることでしょう。
そして、自らの居場所を見付けることができるでしょう。



2012年10月6日土曜日

冷静な判断力と「ある程度」の計画性

人生をどのような場所にするのかは、あなたの選択によって決定します。
あなたの選択が状況を築き、人生を決定付けているのです。
あなたとあなたの人生にとって、その選択はとても重要なものであるということを理解しなければならないでしょう。
人生はあなたの選択次第です。
あなたがAという選択肢を選んだ時、Aを元にして状況は築かれます。
Aという選択肢を選んだにも関わらず、Bを元にして状況が築かれることなど有りはしないのです。
必ず、あなたの選択が状況に対して影響力を与えているのです。
あなたは自らの選ぼうとしている選択肢が、どのようなことを生み出し、どのような状況をあなたに導くのかを予測しなければなりません。
正しい結果を言い当てることはできなくても、どのような結果を受け取ることになるか?くらい予測できるはずです。
その予測に従えば、自らの選択が導く大抵の結果を推し量ることができるはずなのです。
あなたが理想的な結果(状況)を手にするためには、自らがどのような選択肢を選ぶべきなのかを考えなければならないのです。
理想的な結果(状況)を受け取りたいと考えるのならば、感情の欲求に委ねて次を選択してはなりません。
理想を実現させるためには、冷静な判断力と「ある程度」の計画性が必要なのです。
自らの進むべき方向性を自らの力によって調整することがなければ、あなたは決して理想的な結果(状況)を受け取ることができないということを悟らなければなりません。
あなたは常に選択を迫られています。
生きることは選択することです。
豊かに生きたいと思うのであれば、何を選択することが自らにとって最善であるのかを考えなければならないでしょう。
誰かがあなたを導いてくれる訳ではありません。
あなたを助けている余裕など、誰も所有してはいないのです。
あなたの命と人生はあなたのものです。
あなたは自らの頭で判断し、自らの脚で歩まなければならないのです。
責任はあなたにあります。
自分自身で決めなければなりません。

2012年10月5日金曜日

限りある財産

あなたが何かを思い立ち、それを始めようとするなら、多少の無理をしてでも早い方が良いでしょう。
あなたが何を始めるにしても早いことに越したことはありません。
早ければ早い程、あなたは有利にことを運ぶことができるということを理解しなければならないでしょう。
人生とは、時間との勝負です。
乗り遅れた者が手にすることのできる豊かさはありません。
豊かさを手にする者は、時間との勝負に勝り、周囲の人よりも少しでも先へと進むことができた者なのです。
時間を有効的に使うことができれば、人は先へと進み、そこで豊かさを得ることができます。
しかしながら、時間を有効的に使うことができなければ、人は先へと進むことができず、豊かさを得ることも難しくなってしまうのです。
あなたに与えられた時間は有限です。
時間という財産が増えるということはありません。
時間という財産は、あなたが誕生したその瞬間から減り続けているのです。
人は「死」へと向かい歩みを進めます。
人生とは「死」への旅路です。
人は必ず「死」へと辿り着きます。
そのような状況の中で、人生に何を築き何を遺したのか?ということが重要になってくるのです。
それは、豊かな「死」を迎えるために必要なことなのです。
豊かな人生は豊かな「死」に繋がります。
あなたが豊かに生きるのは、豊かな「死」を迎えるためです。
終わりは次の始まりに大きな影響力を持ちます。
「死」の先に何があるかは関係ありません。
人それぞれに信じることも価値観も違うでしょう。
しかしながら、終わりは始まりへと繋がっています。
「死」は命や人生の終わりです。
「死」の先に何があろうとも、終わりを疎かにすることは危険です。
「死」の先をあなたは知らないのだから、それは危険なギャンブルでしょう。
あなたは限りある時間をできる限り有効的に使い、思い立ったことは一つでも多く実行し、少しでも前へと進みましょう。
何を始めるにしても早いことに越したことはありません。
あなたが迷っている間にも、時間はあなたの懐からこぼれ落ちているのです。
時間をどのように使うのか?
それはあなたがどのように生きるのか?
そして、どのような「死」を迎えることになるのか?
ということを決める大切なことであるということを理解しなければならないでしょう。

2012年10月4日木曜日

躍動する心

人は人生に志を持たなければなりません。
志こそが、人を人生という夢の舞台に導きます。
志を持たなければ、人は人生という夢舞台には立つことができないのです。
志を持たなければ人生には変化は生まれず、その道のりはとても平坦なものになります。
志を持たなければ、人生は何の変哲もない普通の日常生活を淡々とあなたに導くでしょう。
志を持たない心は安心や安全の中には止まれますが、その中で得ることができるものはとても小さなものなのです。
志を持たない心は躍動することはできません。
あなたの心には、あなたの想像を超える力が潜在しています。
あなたはそれを引き出さなければなりません。
心を刺激し、動かさなければならないのです。
あなたが心を刺激し、潜在する力を引き出すためには志を持つことが必要です。
志を持てば、あなたの考え方や生き方、それにあなたを取り巻く状況や世界までもが変わります。
その変化はあなたの脳と心を大いに刺激するのです。
志を持つことで得られる刺激や変化は、志を持つことがなければ得ることはできません。
あなたはこの一度きりの人生を使って何をするのか?
何を築き、何を遺すのか?
それを考えなければなりません。
それが志を持つということです。
志に大小などありません。
あなたが何をしたいのか?
何を築き、何を遺したいのか?
自分自身が何をしたいのか?
それが大切なことなのです。
志を持つ者の進む道は決して平坦なものではありません。
何かを志し、目指している場所に辿り着くためには数々の試練を乗り越えなければならないでしょう。
志を持つ者、目標や目的を持つ者にとって、人生という道のりは決して楽な道のりではないのです。
辿り着きたい場所がある者にこそ、その道のりは厳しいものになるということを理解しなければならないでしょう。
それは、あなたが辿り着きたい場所は、現在のあなたがいる場所よりも必ず高い位置にあるからです。
そのため、何かを志し、目標や目的として辿り着きたい場所というものには簡単には辿り着くことはできません。
誰もが様々な試練を乗り越えなければ、そこに辿り着くことはできないのです。
試練を乗り越えることなく辿り着くことのできる場所はありません。
あなたが辿り着きたいと思う場所を持ったなら、人生はあなたに様々な試練を与えることでしょう。
あなたはそれに耐えなければなりません。
志す場所があるのならば、目の前の試練に挫(くじ)けてはなりません。
どのような状況が待っていたとしてもあなたはそれに立ち向かい、乗り越えようと努めなければならないのです。
上手くいかないこと、逃げ出したいこと、諦めたいこと、乗り越えられないこと…
志に背を向ける理由はいくらでも出てきます。
しかしながら、あなたが志した道ならば決して背を向けてはなりません。
志を果たしたければ、何が何でもそれにしがみ付かなければなりません。
上手くいかないことなど当たり前です。
目の前の問題や壁に対して恐怖に感じること、当たり前です。
簡単に果たすことのできる志などありません。
しかしながら、あなたは人生に志を持たなければなりません。
平坦な道を歩み、何の変哲もない日常を送ることも良いでしょう。
しかしながら、それを求めるのであれば変化の無い世界に不満を持ってはなりません。
誰かや何かに八つ当たりしてはなりません。
志を持って闘っている者に失礼です。
世界に不満があるのならば、志を持ちましょう。
志を持つことができれば、あなたの中には不満など存在してはいないでしょう。
躍動する心は、詰まらないことに興味を持たないのです。
人生を通じて何がしたいのか?
それはとても大切なことです。

2012年10月3日水曜日

予期せぬ未来

あなたの心にはいつも不安が付き添います。
不安を感じない人はいません。
誰もが予期せぬ出来事に対して少なからず不安を感じるのです。
誰もが予期せぬ出来事に遭遇します。
それは誰にとってもこれから目の前に起こるであろう状況は未体験であるからです。
あなたがこれから体験するであろう出来事は、そのどれもが初めての体験です。
人生には同じ状況など万の一つもありません。
あなたが同じように感じている状況も、一つとして同じものなどありはしないのです。
そのため、人はまだ見ぬ状況に対して不安を感じてしまうのです。
もちろん、まだ見ぬ状況に対して期待や希望を持つこともあるでしょう。
あなたがまだ見ぬ状況に対して期待や希望を感じるのであれば、それはとても素晴らしいことであり、そこには何の問題もないでしょう。
期待や希望を目指して進めば良いのです。
しかしながら、あなたの心の中に不安が存在している時、そこに問題が無いとは言い切れません。
それは、あなたの心の中に存在している不安があなたの可能性を潰してしまうからです。
未来は未知数です。
あなたの選択次第で自由に変化します。
あなたが期待や希望に胸を膨らませ、建設的な心境の中に状況を描く(選択する)のであれば、あなたは様々な可能性を得ることができるでしょう。
それはあなたに豊かな状況や心境を与え、豊かな人生を生きることにも繋がるでしょう。
しかしながら、あなたが不安に苛(さいな)まれ、恐怖や拒絶などの破滅的な心境の中に人生を描くのであれば、あなたは様々な可能性を失ってしまうことでしょう。
それはあなたが思い描く豊かな状況や心境とはかけ離れています。
それは後悔や苦しみの人生を生きることへと繋がっていくのです。
破滅的な意識(思考、感情)は、あなたからあらゆる可能性を奪い去るということを理解しなければなりません。
しかしながら、破滅的な意識も必要ではあります。
矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、どちらもあなたにとっては大切なものなのです。
あなたの選択によって増減するのは可能性です。
建設的な意識は可能性を広げます。
破滅的な意識は可能性を狭めます。
そして、人には力量というものがあります。
人は自らの力量の範囲内でなければ動くことはできません。
建設的な意識によって可能性を広げ過ぎると、自らの力量を超えてしまいます。
力量を超えた可能性を抱え込んでしまうと、今度はそれに潰されてしまうのです。
破滅的な意識によって可能性を失い過ぎれば、今度は可能性が足らずに潰れてしまうのです。
大切なのはバランスです。
期待や希望の中に少しの不安が混ざるくらいが良いでしょう。
何をするにも緊張感は忘れてはならないのです。
期待や希望だけしか見えず、不安を全く無視してもなりません。
不安はスパイスのように、少し振りかけていれば良いのです。
しかしながら、少しも無いとなれば味気ないのです。
スパイスだらけだと食べれたものではありません。
予期せぬ未来に対する不安を抑えましょう。
恐怖を緊張へと静めるのです。
不安はあなたの心に寄り添い、可能性を奪おうとするかもしれません。
あなたが不安に駆られるのであれば、それを楽しもうとする気持ちを忘れてはなりません。
誰もが予期せぬ未来に不安を抱えています。
あなただけではありません。
あなたがそれを楽しもうと努め、期待や希望が胸に溢れてくれば、大きな可能性を手にすることができるでしょう。
大丈夫です。
きっと上手くいきます。
あなたの努力は決して無駄にはなりません。
予期せぬ未来を楽しみましょう。




2012年10月2日火曜日

YESかNOか?

あなたの選択肢にはYESかNOしかありません。
「はい」か「いいえ」か、そのどちらかしかないのです。
それ以外を選択することはできません。
あなたは常に「やる」か「やらない」かしか選ぶことはできないのです。
人生とは、YESかNOの選択です。
人生は、やるか?やらないか?だけなのです。
あなたがYESを選択すれば、あなた自身とあなたの世界は動きを得ることができます。
あなたがYESを選択することで物事は動き始めるのです。
あなたがNOを選択すれば、あなた自身とあなたの世界が動きを得ることはありません。
あなたがNOを選択すれば、物事は動きを失うのです。
あなたの人生には、「動く」か「動かない」かしかないのです。
どちらを選択するのもあなたの自由です。
この素晴らしき人生は、あなたが自らの意思によって自由に選択することができるのです。
YESでも、NOでも好きな方を選ぶことができます。
しかしながら、あなたの選択次第で状況は変化します。
あなたがYESを選択し、自分自身や世界に動きを与えれば、それに従って状況は変化します。
あなたがNOを選択し、自分自身や世界から動きを奪えば、それに従って状況は変化します。
あなたは自らの選択を真剣に選択しなければなりません。
状況に動きを与え、その中に変化を欲するのであれば、YESを選択しなければなりません。
あなたが動くことを選択すれば、状況は少なからず前に進むことができます。
それは、建設的な変化であると言えるでしょう。
それは、状況が少しでも前に進んでいるのならば、何かしら得ることがあるからです。
しかしながら、動かなければあなたは何も得ることはできないのです。
立ち止まっていては何も選ぶことはできません。
それに加え、動きを失えば何かを失うでしょう。
動かなければ、状況には破滅的な変化が訪れるということは理解しておかなければならないでしょう。
あなたは常に選択を迫られています。
YESかNOか?
「やる」か「やらない」か?
「動く」か「動かない」か?
ただそれだけのことです。
あなたが「やる」分だけ状況は前進します。
やらなければ後退は免れません。
あなたはどちらを選択しますか?
YESか?
NOか?
選択肢を前に、どちらを選択することがより理想に近付くことができるのかを考えなければならないでしょう。

2012年10月1日月曜日

夢を持てる幸福

あなたが幸福(感)を得るためには、満足感を得なければなりません。
満足感こそが、あなたに幸福を認識させます。
満足感のない場所に幸福は育ちません。
あなたは満足のできる状況と時間を生み出さなければならないのです。
残念ながら、状況や時間があなたの意思を無視して、勝手に満足のいくものになることはありません。
状況や時間が満足のいくものになるためには、あなたが自らの意思と努力によってそれを実現させなければならないのです。
あなたの意思と努力こそが、状況や時間をどのようなものにするのかを決めるということを覚えておかなければならないでしょう。
幸福(感)を手に入れる人は皆、自らの意思と努力によってそれを実現させているのです。
本人の意思と努力に反して幸福(感)が手に入るということはありません。
あなたが状況や時間に対して幸福(感)を得ようと思うのであれば、状況や時間を満足のいくものとして築けるように努めなければならないのです。
あなたが人生に幸福(感)を得ようと思うのであれば、夢を持つように努めなければなりません。
それは、夢には満足感を生み出す力があるからです。
夢とはあなたの生き甲斐となり得るものです。
生き甲斐とは、あなたの状況や時間を満足させるものです。
あなたが状況や時間を満足させるように努めるのであれば、そこには生き甲斐が生まれるでしょう。
生き甲斐が夢を導き、人生は幸福なものとなるのです。
夢を持ち続けられる人は幸福な人です。
夢を持っている人は総じて幸福な人なのです。
あなたが人生を幸福なものにしようと考えているのであれば、夢や生き甲斐というものはとても大切なものなのです。
夢や生き甲斐を持つことで、あなたは道を追求することができます。
何かを追求することこそ、心に建設的な刺激を与え、そこに満足感を生み出すのです。
夢や生き甲斐を持っている人は心に建設的な刺激を受けることができ、そこに満足感を味わうことができます。
それこそが幸福(感)だと言えるのです。
あなたは夢を、生き甲斐を持たなければなりません。
夢や生き甲斐を持てるように努めなければなりません。
何かを追求することのできる環境を整え、心に建設的な刺激を与えなければならないのです。
夢や生き甲斐というものは何もしなくても勝手に手に入るというものではありません。
誰もが探し求めなければならないのです。
夢や生き甲斐を持つためには努力が必要です。
だだ単に時間を過ごしているだけで夢や生き甲斐が見付かり、それを持てるなどと考えてはなりません。
本気の情熱を持つ者でなければ、夢や生き甲斐を持つことはできないのです。
夢や生き甲斐を持つことこそが、あなたの心に満足感を与えます。
夢や生き甲斐を持つことこそが、幸福であるということを理解しなければならないでしょう。
夢や生き甲斐を持って生きることの大切さを忘れてはならないのです。
すべての夢が叶うとは限りません。
夢を追求する道のりはどれもとても厳しいものです。
しかしながら、追求する夢を持てることは、夢を追う厳しさよりも幸福なことであるということを忘れてはならないでしょう。