すべての人は、目的を以(もっ)て人生に生まれます。
この世界において、無意味に生まれる人はいないのです。
人は、それぞれに異なる目的を持ち、それぞれに異なる生き方をしているのです。
目的を手放すことの出来る人はいません。
すべての人は、自らの目的を果たすために生きなければならないのです。
人生の目的を果たさなければ、満足を得ることは出来ません。
人生の目的を放棄(ほうき)すれば、不満を得なければならないのです。
不満を得るということは、乏しく生きるということです。
不満を覚えた状態で、豊かに生きる人はいないのです。
不満を覚えた時点において、豊かさを諦めなければならないのです。
人生に豊かさを実現するためには、満足を得なければなりません。
人が、この人生において満足を得るためには、目的を果たさなければならないのです。
大切なのは、豊かに生きることです。
そのために、人生の目的を果たすことなのです。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を考えません。
多くの人は、人生が何であり、自分が何であるのか?ということには興味がないのです。
多くの人は、肉体的な快楽や欲望を貪(むさぼ)ることに一生懸命になっています。
多くの人は、人生と自分の”正体”を突き止めようとは思わないのです。
多くの人にとっては、人生と自分の正体を突き止めるよりも、肉体的な快楽や欲望を貪ることの方が重要なのです。
それは、食料が枯渇(こかつ)しようとしている人が、種を食べるようなものなのです。
一時的な感情に従い、一時的な満足を求めます。
食料が枯渇しょうとしても、種を食べてはなりません。
種は、食料を生み出す可能性があるのです。
腹が減っていたとしても、種は土に蒔(ま)かなければならないのです。
腹が減っている人は、種を食べてしまうでしょう。
それが”普通”です。
それが、愚(おろ)かな行為だと知っていたとしても、それを行ってしまうのです。
人は、自分が何をしているのか分からないのです。
多くの人には、人生と自分の”正体”が分かりません。
そのため、愚かな行為を選択してしまうのです。
あなたは、人生が何であるのか?、自分が何であるのか?と考えましょう。
この問いに対しては、生涯を通じて向き合わなければなりません。
すべての人は未熟に生まれなければなりません。
それは、人生と自分の”正体”を見極める必要があるからです。
未熟に生まれることがなければ、人生と自分の”正体”を見極めるという学びを得ることは出来ないのです。
未熟に生まれるからこそ、”何でもないこと”から、大切な学びを得ることが出来るのです。
多くの人は、人生と自分の”正体”が分からないために、愚行(ぐこう)を働くのです。
それは、決して悪いことではありません。
人は、愚行を働くことによって、大切な学びを得ているからです。
すべての人は、学ばなければなりません。
学びを得ることは、すべての人の当然の権利なのです。
それを妨げてはならないのです。
すべての人は、学ぶ必要があるのです。
あなたは、許さなければなりません。
人は、自分が何をしているか分からないのです。
もちろん、あなたも自分が何をしているか分かってはいないのです。
あなたは、自分を許しましょう。
あなたは、自分の愚かさを許さなければなりません。
自分を許すことによって、他者を許すことが出来るでしょう。
他者を許すことによって、あなたが愚行を働く時に許してもらえるでしょう。
許しは、学びを円滑(えんかつ)にします。
許すことがなければ、学びは実現しないのです。
許すことは、何よりも難しい学びです。
しかし、それだけに何よりも価値のある選択なのです。
あなたは、許さなければなりません。
許すことによって、人生と自分の”正体”を見極めましょう。
許すことによってのみ、あなたは人生と自分の”正体”を見極めることが出来るでしょう。