この世界は、汚れに覆われています。
この世界においては、すべての存在が汚れていくのです。
この世界において、美しいものは存在しません。
すべてが、汚れていくのです。
それは、この世界の理(ことわり)です。
どのように美しいものも、必ず汚れるのです。
あなたは、この世界に存在するすべてが汚れているということを理解しなければなりません。
この世界においては、汚れていることが自然なのです。
美しいものは不自然です。
あなたは、美しさを疑わなければならないのです。
多くの人は、この世界が汚れに覆われていることを知りません。
多くの人は、この世界が汚れに覆われていることを知らないために、既(すで)に汚れているものを美しいと思い込んでしまいます。
多くの人は、美しさを理解しません。
多くの人は、美しさを誤解しているのです。
すべての人は未熟に生まれます。
すべての人は、未熟であるが故(ゆえ)に無知なのです。
すべての人は、無知と共に生きています。
すべての人は、何も知らないのです。
残念ながら、多くの人が美しいと思っているものは、美しくありません。
美しさの基準が間違っているのです。
残念ながら、この世界は汚れに覆われています。
残念ながら、この世界には、美しいものは存在しないのです。
美しいものは、物質の世界には存在しないのです。
人は、判断を心によって下します。
それは、内で判断しているということなのです。
多くの人は、外に美しさが存在していると思い込んでいます。
しかしながら、外には美しさは存在しないのです。
外に存在するのは汚れだけなのです。
美しさの判断は、あなたの心に任せられています。
それは、美しさが内に存在することを意味しています。
それが、どのようなものであろうと、人それぞれに判断は異なります。
一方が美しく思っても、一方では汚れていると思うのです。
同じ対象に対しても、美しさの判断は人それぞれに異なるのです。
それは、美しさの判断が心(内)によって行われていることを示しているのです。
美しさは、内に存在しています。
あなたは、美しさを外に探してはならないのです。
美しさを外に探しても、決して見付かりはしません。
なぜなら、外に美しさは存在しないからです。
すべての人は、汚れに囲まれています。
汚れに囲まれていると、自分が汚れていることに気が付きません。
残念ながら、多くの人は汚れを美しさと思い込んでいるのです。
多くの人は、見えるものも見えません。
多くの人には、汚れが見えないのです。
なぜなら、それが当たり前だからです。
多くの人は、汚れに対して違和感を覚えないのです。
それは、とても苦しいことなのです。
見えるものが見えないことや、汚れていることに気が付かないことは苦しみなのです。
あなたは、そのことに気が付かなければなりません。
この世界が汚れに覆われていることを知らなければ、汚れを追い求めるような人生になってしまうでしょう。
美しさを見極めるためには、内を磨かなければなりません。
心を磨くことがなければ、美しさを判断することは出来ません。
心を磨くためには、許(ゆる)さなければなりません。
許すことがなければ、争わなければなりません。
争いは、心を痛め、汚すのです。
しかしながら、多くの人にとって、許すことは苦しく難しいのです。
それは、多くの人が自分が正しいと思い込んでいるからです。
残念ながら、多くの人には、見えるものも見えません。
多くの人は、自分が汚れていることに気が付かないのです。
多くの人は、自分が汚れているにもかかわらず、自分だけは美しい(正しい)と思い込んでいるのです。
あなたは、許すことによって心を磨かなければなりません。
磨かれることは、汚れにとっての苦しみであり、困難なのです。
そのため、汚れは全力で抵抗するのです。
あなたは、許さなければならない状況において、許すことが出来ない心境に陥(おちい)るでしょう。
それが汚れなのです。
あなたは、許すことによって汚れを落としましょう。
美しい心によって生きるのです。
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