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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2020年12月31日木曜日

麻痺

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を無視して生きてはなりません。
どのような人生にも、果たすべき目的が存在するのです。
どのような人物にも、果たすべき目的が与えられているのです。
あなたにも、人生において果たすべき目的が存在するということを理解しましょう。
あなたには、辿り着かなければならない場所があるのです。
そこに辿り着くために、真っ直ぐに歩まなければなりません。
人生の目的を果たすために難しいことをする必要はありません。
ただ、真っ直ぐに歩めば辿り着くのです。
ただ、真っ直ぐに歩めば果たすことが出来るのです。
しかしながら、人生においては、ただ真っ直ぐに歩むという単純なことが難しいのです。
なぜなら、人生には、様々な誘惑(ゆうわく)が存在しているからです。
ただ真っ直ぐに歩むことが難しいのです。
すべての人は、誘惑によって真っ直ぐに歩むことを邪魔されます。
誘惑は、様々な形で訪(おとず)れるのです。
あなたは、誘惑を避けることは出来ません。
どのような人物も誘惑に会うのです。
あなたにとって、それはとても魅力的な形で訪れます。
強い意思がなければ、真っ直ぐに歩むことなど出来ないのです。
あなたは、人生の目的を考えましょう。
自分が何のために生まれたのか?を考えなければなりません。
人生の目的を考えることがなければ、目的地を見失ってしまいます。
目的地を見失ってしまえば、目的地に対して真っ直ぐに歩むことは出来ないのです。
あなたは、人生の目的を考えましょう。
あなたは、何のために生まれたのですか?
何のために生きているのでしょうか?
そのことを考えていなければ、誘惑に惑(まど)わされてしまうのです。
残念ながら、すべての人が誘惑に惑わされています。
すべての人が、誘惑によって道を見失っているのです。
人生の目的が分からないというのは、目的地を見失っているということなのです。
人生の目的を見失ってしまえば、迷いの生存を続けなければなりません。
真っ直ぐに続いている道を見失い、暗闇の中に迷い込んでしまうのです。
道を逸(そ)れてしまうことは、多くの問題を引き起こします。
問題は、やがて苦しみを引き起こすのです。
多くの人は、暗闇を歩んでいます。
そして、苦しんでいるのです。
多くの人は、自分が何をするか?知りません。
多くの人は、盲目(もうもく)なのです。
見えていても見えないのです。
しかしながら、自分では見えていると思い込んでいるのです。
誘惑は、誰にとっても魅力的な誘(さそ)いです。
それは、初めは小さな誘惑なのです。
しかしながら、小さな誘惑であっても、あなたの感覚は麻痺(まひ)していくのです。
あなたは徐々に、少しくらいなら、道を外れても良いと考えるようになるのです。
そして、小さな”悪事”が、やがて大きな”悪事”と成るのです。
道を外れることは、人生に対しての悪い行いです。
それは、目的に反することだからです。
感覚が麻痺したままでは、道に戻ることは出来ません。
道に戻るためには、感覚を戻さなければならないのです。
誘惑に陥(おちい)らないようにしなければなりません。
誘惑とは、利己的な考えのことです。
利己的な快楽や欲望のことなのです。
あなたは、利己的な快楽や欲望や考えに陥ってはならないのです。
多くの人は、利己的に考えることを普通としています。
利己的に考えることに違和感や罪悪感がなくなっていくのです。
残念ながら、利己的に考えることは不自然です。
なぜなら、すべての人は、貢献(こうけん)する必要があるからです。
利他的に考えることが自然なのです。
利他的に生きると、真っ直ぐに歩むことが出来るのです。
すべての人にとっては、利他的に考え、利他的に生きることが自然なのです。
しかしながら、多くの人は、利己的な快楽や欲望や考えに従って悪事を働きます。
それは、小さなことから始めるかも知れませんが、感覚は麻痺してしまうのです。
あなたは、誰かや何かのために生きなければなりません。
多くの人は、感覚が麻痺したままで生きています。
あなたは、そのことに気が付かなければなりません。
悪事を繰り返してはなりません。
利己的に生きてはならないのです。
真っ直ぐに生きなければなりません。
誰かや何かのために生きましょう。

2020年12月30日水曜日

身から出た錆

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
誰一人として、未熟を否定することは出来ないのです。
あなたは、自らが未熟であるということを理解しましょう。
残念ながら、成熟を許された人はいないのです。
すべての人は、未熟であることに意味があるのです。
あなたは、未熟でなければなりません。
未熟を生きることには価値があるということを覚えておきましょう。
未熟であることによって、あなたは学びを得ることが出来ます。
未熟でなければ、学びを得ることが出来ないのです。
学びを得ることが出来なければ、人生は詰(つ)まらないものとなってしまうでしょう。
学びの無い人生は空しいのです。
人生は、学びによって豊かになります。
学びが多い程に、豊かなのです。
あなたは、学ばなければなりません。
学びが多い程、人生は豊かなものであるということを知りましょう。
あなたは、学びが多いことを喜びましょう。
人生における学びとは、決してあなたにとって楽しいものではありません。
人生においては、その学びが重要である程に苦しいものなのです。
多くの人は、苦しみを否定します。
それは、多くの人が苦しみが悪いものだと考えているからです。
しかしながら、苦しみ程重要な学びはありません。
苦しい程に、学ぶべきことが多いのです。
苦しみは、あなたに深く考えさせます。
苦しみは、あなたが普段考えないことを考えさせるのです。
苦しみによって、あなたは視野を広げ、思考を深めることが出来ます。
苦しみによって、あなたは成長しなければならないのです。
成長しなければ、苦しみを解決することが出来ないからです。
苦しみは、あなたを苦しめるために導かれている訳ではありません。
あなたを苦しめるという目的もありますが、あなたを苦しめるのは、あなたを成長させるためなのです。
苦しみが導かれなければ、広く見ることも、深く考えることもありません。
苦しくなければ、現状を変える必要は無いのです。
苦しくなければ、今まで通り同じことを繰り返していれば良いのです。
苦しみは、同じことの繰り返しを許しません。
同じことの繰り返しによって生じた問題を解決するためには、別のことをしなければならないのです。
新たな方法を取り入れることによって、問題は解決するのです。
あなたは、苦しみを大切にしなければなりません。
都合が悪いからといって、安易(あんい)に否定してはならないのです。
苦しみを否定しては、学びの機会を失うことになってしまうからです。
苦しみこそが、人生を豊かにします。
苦しみの価値に気付くことが大切なのです。
苦しみの価値に気が付くことで、現状に対する執着(しゅうちゃく)を手放すことが出来るからです。
しかしながら、多くの人は、苦しみの価値に気が付きません。
苦しみを悪いものとして否定するのが“普通”なのです。
多くの人は、苦しみから逃れます。
出来る限り、苦しみを得ないように立ち振る舞うのです。
あなたが未熟である以上、苦しみを避けることは出来ません。
苦しみは、あなたの内に存在しているのです。
糞尿は臭(くさ)いのです。
しかしながら、自分の糞尿の匂(にお)いには気が付かないのです。
あなたは、苦しみが自分から生じていることに気が付きましょう。
誰かや何かに苦しめられている訳ではないのです。
誰かや何かによって苦しめられているように思うかも知れませんが、残念ながら、そのようなことはありません。 
すべては、身から出た錆(さび)なのです。
あなたは、自分から出た苦しみによって苦しんでいるのです。
そのことを理解しなければ、誤解を続けることになってしまうでしょう。
苦しみを解決するためには、苦しみについて研究することです。
苦しみを理解すれば、その苦しみに苦しむことはないのです。
理解が浅いから苦しむのです。
あなたは、苦しみが自分から生じているということを知りましょう。
苦しみの原因を知ることで、苦しむことは無くなるでしょう。

2020年12月29日火曜日

信仰

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
それは、人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由だからです。
どのような人物にも、果たすべき人生の目的が存在します。
人生に対して、目的もなく生まれることの出来る人はいないのです。
すべての人が、果たすべき目的を以て生きているのです。
あなたが生きているのは、人生の目的を果たすためです。
あなたは、目的を果たすために生まれ、目的を果たすために生きているのです。
無意味や無価値に生まれることの出来る人はいません。
無駄に生きることの出来る人はいないのです。
どのような人物の、どのような人生にも意味があり、価値があります。
それが、どのような人生であったとしても、目的が存在するのです。
あなたは、そのことを知らなければなりません。
人生に果たすべき目的が存在するということを知らなければ、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
あなたは、人生に果たすべき目的が存在するということを理解しましょう。
そして、それを果たすために生きなければなりません。
人生を無意味なものにしてはなりません。
人生を無価値なものにしてはならないのです。
どう生きるか?それは、とても大切なことなのです。
あなたは、どう生きるか?と自分自身に問わなければなりません。
自分自身に問えば、自分の生き方が見えてくるのです。
それは、少しずつではありますが、分かってくるのです。
あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
自分の人生を生きなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすためには、自分を生きる必要があるのです。
自分を生きることが出来れば、人生の目的を果たすことが出来るのです。
あなたが人生の目的を果たすためには、自分を生きなければなりません。
同じように、他者も自分の人生の目的を果たすために生きています。
他者も、自分を生きなければならないのです。
すべての人が、自分を以て生まれるのです。
自分を生きるためには、自分の信仰(しんこう)を守らなければなりません。
そして、他者の信仰も守らなければならないのです。
人は、それぞれに目的を以て生まれます。
それぞれの目的を果たすためには、それぞれの信仰を守らなければならないのです。
他者の信仰を気にしてはなりません。
人は、自分の信仰を生きなければならないのです。
人は、それぞれの生き方を実現しなければならないのです。
他者の信仰に干渉(かんしょう)してはなりません。
人は、それぞれの信仰を守って生きれば良いのです。
あなたが、自分の信仰を守りたいように、他者も自分の信仰を守りたいのです。
人は、生きたいように生きれば良いのです。
人は、生きられるように生きれば良いのです。
自分や他者の信仰を否定するものではありません。
生き方は、人それぞれです。
誰一人として、同じ生き方が許されている訳ではありません。
すべての人が、異なる信仰を守り、異なる生き方を実現しなければならないのです。
誰一人として、同じ信仰によって、同じ生き方をすることは出来ないのです。
同じ信仰によって、同じ生き方をすれば、この世界にとって必要である一つの目的が損なわれることになってしまうのです。
あなたは、自分がこの世界にとって必要な一つの役割であるということを理解しましょう。
どのような人物であっても、この世界にとっては必要な存在なのです。
必要だから存在するのです。
無駄に生まれることの出来る人はいないのです。
あなたには、果たさなければならない目的があります。
他者にも、同じように果たさなければならない目的があるのです。
あなたは、そのことを理解しましょう。
人は、それぞれに必要な役割と目的を以て生まれるのです。
無意味や無価値に生きられる人など存在しないのです。
あなたは、信仰を守らなければなりません。
信じている間は、貫(つらぬ)かなければなりません。
信じられなくなったり、より信じられるものが見付かれば、その信仰を守りましょう。
信仰を持たずに生きてはなりません。
どのようなことでも構いません。
あなたは、それを守りましょう。
そして、他者の信仰を否定してはなりません。
それぞれの信仰を守らなければなりません。

2020年12月28日月曜日

怒りを治める

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
どのような人生にも、果たすべき目的が存在しているのです。
どのような人物も、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことこそが、人生に生まれた理由なのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことは、何よりも重要なことなのです。
人生の目的を果たすこと以上に価値のあることはないと理解しなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たすことに価値を見出さなければなりません。
それ以外のことに価値を見出しているのであれば、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
しかしながら、多くの人は、人生の目的を知りません。
多くの人は、自らの果たすべき人生の目的が分からないのです。
そのため、人生の目的を果たそうとは思えません。
分からないことを果たそうとは思わないのです。
人は、分かることに専念します。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や責任を喜ぶのです。
それ等が喜びだと認識しているから貪(むさぼ)るのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や責任を貪ります。
多くの人は、それが正しいことだと考えるのです。
しかしながら、あなたの進むべき道は、目の前の快楽や欲望や責任を貪るような道ではありません。
あなたは、自らを律(りっ)し、自らを尊(とうと)び、自らに克(か)つ必要があるのです。
それが、あなたの進むべき道なのです。
自律(じりつ)、自尊(じそん)、克己(こっき)によって生きることが、人生の目的を果たすための道なのです。
あなたは、人生の目的を考えましょう。
そして、人生の意味を追求するべきなのです。
大切なのは、人生には果たすべき目的が存在するということを理解することです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすために生きなければなりません。
しかしながら、多くの人は、目の前の快楽や欲望や責任を貪ることに夢中です。
多くの人は、果たすべき人生の目的を見失い、目の前の快楽や欲望や責任を貪るのでs。
当然ながら、目の前の快楽や欲望や責任を貪ったところで、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
多くの人は、人生を思い通りにしよと努めています。
多くの人は、思い通りになることで人生に幸福や豊かさを実現しようとしているのです。
しかしながら、人生の目的を果たす以外の方法では、幸福も豊かさも実現しないのです。
人生の目的は、あなたには理解することの出来ないものです。
人生の目的とは、最も本質的なものなのです。
それを理解するためには、自我を手放さなければなりません。
人生の目的を理解するためには、あなたは純粋でなければならないのです。
純粋とは、状況を選(え)り好みするような状態ではありません。
目の前の状況に対して、不平不満を抱くことでは、人生の目的を理解することも、それを果たすことも出来ないのです。
純粋であることは、受け入れられる状態のことです。
人生には、無意味なことや無駄なことは存在しません。
それが、どのような状況であれ、そこには意味や価値が存在しています。
すべては、人生の目的を果たすための意味や価値なのです。
残念ながら、理想を追い求めているあなたには、目の前の状況の意味や価値を理解することは出来ません。
あなたにとっては、都合の悪い状況に思えるのです。
大切なのは、都合の悪い状況に対して、意味や価値を探すことです。
そのためには、不平不満に取り憑(つ)かれないようにしなければなりません。
怒りを治める努力を怠(おこた)ってはならないのです。
都合の悪い状況を嫌ってはなりません。
人生は、思い通りにならなくて良いのです。
なぜなら、あなたには、人生の目的が分からないからです。
人生の目的が分からない以上、何が必要であり、何に価値があるか?分からないはずなのです。
人生の目的が分からないのだから、目の前の状況に対して、安易(あんい)に不平不満を吐いてはなりません。
あなたは、そこに存在する意味や価値を探し、手に入れましょう。
その積み重ねが、やがて人生の目的を果たすことになるのです。
不平不満を抱くことは、目の前の状況の意味や価値を否定することなのです。
冷静に受け入れなければなりません。
目の前の状況から意味や価値を手に入れると、人生の目的が少しずつ見えてきます。
そうすれば、人生を思い通りにする必要がなかったことに気が付くでしょう。
人生は、決して思い通りにする必要はないのです。
なぜなら、あなたが果たすべきは、理想ではなく、人生の目的だからです。

2020年12月27日日曜日

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
誰一人として、人生の目的を無視することは出来ません。
人生の目的を無視して生きようとしても、向き合うことになってしまうのです。
人生の目的を避けることの出来る人はいません。
なぜなら、すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるからです。
すべての人が、人生の目的を果たすことを理由として生まれて来るのです。
あなたが生まれた理由は、人生の目的を果たすためです。
あなたは、人生の目的を果たすために生きなければならないのです。
どのような理由があろうとも、人生の目的を果たさなければなりません。
どのように拒絶しても、人生の目的と向き合わなければならないのです。
あなたは、果たさなければならない人生の目的が存在するということを覚えておきましょう。
あなたは、人生の目的を果たすために生きるべきなのです。
人生の目的を果たすためには、強い意思と信念が必要なのです。
”芯(しん)”が弱ければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすためには、一度でも決めたことは、納得がいくまで続けなければなりません。
自分が決めたことを簡単に投げ出してはならないのです。
どのような理由があろうとも、納得のいく理由を得るまでは続けるのです。
納得のいく理由とは、満足のことであると理解すれば良いでしょう。
あなたは、何事も出来る限り満足のいくまで続けましょう。
残念ながら、簡単に満足を得ることは出来ません。
それは、あなたは余りにも知らないからです。
あなたは無知であり、多くの偏見(へんけん)と誤解を抱えています。
そのため、目の前の状況の意図(いと)を理解することが出来ません。
目の前の問題や苦しみは、決めたことを成し遂(と)げるために必要な経験です。
それが、どのような状況であったとしても、あなたに相応(ふさわ)しく、必要であるから導かれるのです。
あなたにとって無駄であり、無意味な状況が導かれることはないのです。
しかしながら、無理を続ける必要はありません。
やめたくなったら、やめれば良いのです。
しかしながら、道を歩むことをやめたからといって、人生の目的は変わりません。
あなたがどのように生きようとも、人生の目的が変わることはないのです。
道を歩むことをやめたとしても、同じ目的地に通じる違う道を歩まなければならないのです。
どのような道を歩んでも、辿り着く場所は同じなのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければならないのです。
どちらにしても、目的地に向かって歩まなければなりません。
大切なのは、人生の目的を果たさんとする強い意思を持つことです。
そして、人生の目的を果たさんとする信念を持つことなのです。
強い意思と信念があれば、簡単に諦めるようなことはありません。
問題や苦しみが立ち塞がろうとも、辛抱(しんぼう)強く、道を歩もうとするのです。
問題や苦しみに諦めることは悪い選択ではありませんが、良い選択とも言えません。
なぜなら、結局はその道に向き合わなければならないからです。
歩むことを諦めても、問題や苦しみを避けることは出来ません。
歩むことを諦めたら、そこに問題や苦しみが生じるからです。
どちらにしても、問題や苦しみは避けられません。
どちらにしても問題や苦しみを得るのであれば、進んでいた方が良いということなのです。
立ち止まって苦しむよりも、進んで苦しみましょう。
あなたは、強い意思と信念に従って生きなければなりません。
芯が弱くてはならないのです。
自分で決めたことは、納得のいくまで追求しましょう。
目の前の学びを受け入れましょう。
人生には、避けられないことがあるのです。
避けられないことは、受け入れなければなりません。
あなたは、何のために生まれたのでしょうか?
快楽や欲望を貪(むさぼ)るためでしょうか?
気楽に生きるためでしょうか?
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
それ以外の理由はありません。
あなたは、人生の目的について考えなければなりません。
人生の理由について考えなければならないのです。
無意識に生きてはなりません。
自分が何をしているのか?分かりますか?
自分が何か?分かるでしょうか?
道を追求しなければ分からないでしょう。
強い意思と信念を以て生きなければなりません。
志した道を簡単に諦めてはならないのです。
何事も、満足が得られるまで続けましょう。

2020年12月26日土曜日

人生の目的

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生に果たすべき目的があるのです。
すべての人は、人生の目的を果たす必要があります。
それは、すべての人が、人生の目的を果たすために生まれたからです。
あなたが人生を生きる理由は、人生の目的を果たすことなのです。
人生の目的を果たすことは、何よりも重要なことだと理解しなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
残念ながら、人生の目的は、あなたの理想とは異なります。
多くの人は、理想を実現することが人生の目的だと考えていますが、それは誤解なのです。
それは、この世界には因果の仕組みが存在するからです。
因果の仕組みとは、すべての結果には、それに相応(ふさわ)しい原因が存在し、すべての原因は、それに相応しい結果を実現するという理(ことわり)のことです。
人生とは、一つの結果です。
人生という結果を実現するためには、それに相応しい原因である人生の目的が必要なのです。
因果の仕組みの存在するこの世界において人生を始めるためには、人生を始める前に目的を定めておく必要があるということなのです。
理想には、多少は人生の目的も反映されてはいるでしょうが、大抵が後天的な不足や欲求が反映されているのです。
理想とは、自分自身のためのものなのです。
理想とは、それがどのようなものであれ、利己的であるということを理解しなければならないのです。
理想の実現と、人生の目的の実現は別の道なのです。
残念ながら、あなたは人生の目的を覚えてはいないでしょう。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を忘れているのです。
あなたは、自分が何のために生まれたのか?分からないのです。
人生の目的と理想は異なります。
理想を実現したからといって、満たされることがないのはそのためなのです。
理想が人生の目的であるのならば、新たな理想が生じることはないのです。
理想が誤解であるから、次の理想が生じるのです。
それは、理想を実現することによって、自らの抱えている不足や欲求を補(おぎな)うためなのです。
理想を実現することは大切ですが、それを人生の目的と誤解してはなりません。
理想とは、通過地点のようなものです。
理想を目的地と考えてはならないのです。
理想とは、求める自分です。
人生の目的とは、求められる自分なのです。
人生の目的を果たすためには、利他的(りたてき)でなければならないのです。
誰かや何かのために尽力することによって、あなたは人生の目的を果たすことが出来るのです。
求められる自分に成ることが求められているのです。
多くの人は、求める自分に成るために努めています。
それは、求められる自分に成るための通過地点であるため、重要な過程です。
しかしながら、あなたはその先に進まなければならないのです。
自我を抑(おさ)える必要があるのです。
世俗的(せぞくてき)な欲望に翻弄(ほんろう)されてはならないのです。
人生を思い通りにしようとするのは誤解です。
あなたは、欲望に従って人生を思い通りにする必要はないのです。
人生が思い通りにならなくても、それは上手くいっています。
人生が思い通りにならないのは、誰かや何かのために生きているからです。
誰かや何かのために生きているのであれば、思い通りには生きられないのです。
思い通りに生きられないのが自然なのです。
しかしながら、多くの人は自然を嫌うのです。
多くの人は、自分のために生きようと願います。
多くの人は、自我に翻弄され、不自然に生きるのです。
大切なのは、人生には目的が存在するということです。
そして、人生の目的というものは、あなたが考えているよりも崇高(すうこう)なものなのです。
世俗とは、小さな世界観です。
世俗的な欲望に生きてはなりません。
小さな世界観を生きてはならないのです。
あなたは、世俗を生きるために生まれた訳ではありません。
名声や地位や富を集めるために生まれたのではないのです。
あなたは、誰かや何かのために生まれたのです。
そして、”神”のために生まれたということを知りましょう。
自分のためには生まれていないのです。
誰かや何かのために生きていれば、人生の目的を果たすことが出来ます。
それは、自分のためなのです。
人生の目的とは、あなたが考え付くような小さな世界観ではありません。
人生の目的は、あなたが考えるよりも崇高なものであり、高尚(こうしょう)であり、壮大(そうだい)なものなのです。
理想を人生の目的と誤解してはなりません。
誰かや何かのために尽力しましょう。
疼(うず)く自我を抑えましょう。

2020年12月25日金曜日

独特な生き方

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人が、人生の目的を果たさなければならないのです。
あなたには、果たさなければならない目的が存在しています。
誰もが、果たすべき目的を以て生まれるのです。
人生の目的は果たさなければなりません。
なぜなら、そのために生まれたからです。
人生の目的を無視するのであれば、満たされることはありません。
人生の目的を無視して生きることは空しいのです。
満たされないままに生き続けることは出来ません。
空しく生きることには限界があるのです。
人は、それぞれの目的を以て生まれます。
あなたには、あなただけの目的が存在するのです。
あなたは、この世で唯一の目的を果たすために生まれたのです。
他者と比較することには何の意味もありません。
あなたの目的に対して相応(ふさわ)しくなければ、価値は無いのです。
残念ながら、多くの人は他者との比較を生きています。
多くの人は、自分自身を他者との比較の中に見出しているのです。
多くの人は、他者によって自分自身が築かれるのです。
他者という基準を設けることから、自分作りが始まるのです。
そのため、多くの人は真(まこと)の自分というものを知りません。
多くの人は、偽りの自分を真の自分として生きるのです。
それは、人生の目的を果たすための生き方ではありません。
真の自分を生きることがなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことが生まれた理由なのです。
目の前にどのような理由があっても、人生の目的を果たしましょう。
そのためには、他者を基準にしないことです。
あなたは、他者との比較によって自分自身を発見しなければなりません。
他者との比較は、自分自身を発見するための行為であるということを知らなければならないのです。
他者によって自分自身が築かれてしまえば、自分の本質を見失ってしまいます。
それは、自分という役割を見失ってしまうということなのです。
役割を果たさなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたは、他者との比較によって自分自身を築いてはなりません。
正しい生き方というものは存在しません。
人は、それぞれの目的を果たすために生きる必要があるのです。
人は、それぞれの必要に従った生き方をしなければならないのです。
目的によって役割は異なります。
人の生き方は、それぞれに異なっているのが自然なのです。
生き方が異なっていなければ不自然であるということを知らなければなりません。
残念ながら、多くの人は誰かと同じような生き方を目指します。
多くの人がしているように生きれば、間違いないとでも考えているのです。
多くの人は、失敗や孤独を恐れているのです。
失敗や孤独を恐れて、“正しい生き方”に執着(しゅうちゃく)してしまうのです。
“正しく”生きても、空しいだけです。
それは、自分自身という個性を否定することになってしまうからです。
大切なのは、自分自身を生きるということです。
それは、自分自身の必要に従って生きるということなのです。
しかしながら、自分自身の必要を見極めることは難しいのです。
それは、多くの人が自分自身を知らないからです。
あなたは、自分自身と向き合いましょう。
そうすれば、自分自身の必要に気が付くことが出来るでしょう。
残念ながら、多くの人は自分自身を知りません。
そのため、自分自身の必要が分からないのです。
自分自身の必要が分からないから、他者を基準とした正しい生き方を目指してしまうのです。
あなたには、個性が与えられているのです。
それは、独特な考え方や生き方を有しているのです。
それを否定してはなりません。
自分勝手に生きることを勧(すす)めている訳ではありません。
他者と協力したり、力になるためには、あなたの独特な考え方や生き方が必要なのです。
皆が同じ考え方や生き方であっては、問題が導かれた時に解決することが出来ないのです。
それぞれが独特な考え方や生き方を持ち寄って協力すると、問題を様々な角度から分析(ぶんせき)し、解体することが出来るのです。
個性とは、視点であると理解しなければならないでしょう。
あなたは、他者とは異なる視点を以て生まれるのです。
しかしながら、いつの間にかにそれを手放してしまいます。
そして、“正しい”視点からものを見るようになってしまうのです。
あなたは、正しくなくても良いのです。
正しく生きる必要などありません。
誰に何と言われようが、独特な考え方や生き方を手放してはなりません。
独特な考え方や生き方が、誰かの役に立つのです。
正しい生き方も良いですが、独特な生き方の方が世界は面白いということを覚えておきましょう。

2020年12月24日木曜日

人生はやり直せない

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たす必要があるのです。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由です。
どのような事情があろうとも、あなたは、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことは、何よりも重要なことです。
なぜなら、人生の目的を果たす以外には、人生に満足を実現することが出来ないからです。
多くの人は、人生の目的を無視しながらも、人生に満足を実現しようと努めています。
多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)り、名声や富を集めることによって、人生に満足を実現しようとしているのです。
残念ながら、どれだけの快楽や欲望を貪り、名声や富を集めようとも、人生に対して満足を得ることは出来ません。
人生の目的を無視しているのであれば、満足を得ることは出来ないのです。
それは、人生の目的が、人生に生まれた理由だからです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
そのことを忘れてはならないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
それが、人生に対して満足を得る唯一の方法なのです。
残念ながら、多くの人は、人生に満足を得ることが出来ません。
多くの人は、不平不満や不安を抱えながら生きているのです。
それは、どれだけの快楽や欲望を貪ったとしても、解消されるものではありません。
どれだけの名声や富を集めようとも、解消されないものなのです。
多くの人は、人生に対して、不平不満や不安が消えないから、より多くの快楽や欲望、名声や富を求めるのです。
多くの人は、人生から不平不満や不安が消えないのは、快楽や欲望、名声や富が足りないからだと考えるのです。
より多くを集めれば、不平不満や不安が解消されると信じているのです。
残念ながら、不平不満や不安を解消するためには、人生の目的を果たすために生きなければなりません。
生まれた理由を果たさなければ、不平不満や不安を解消することは出来ないのです。
人生の目的を果たすことがなければ、不平不満や不安が消えることはありません。
あなたが、人生の目的を果たすためには、より純粋な自分を生きなければならないのです。
あなたには、果たすべき目的が存在します。
あなたは、果たすべき目的を果たすための必要が与えられるのです。
それは、経験という名の必要なのです。
あなたは、必要な経験を積まなければなりません。
それが、どのような経験であれ、あなたにとっては必要なものなのです。
あなたが人生の目的を果たすためには、人生の必要を受けれなければなりません。
人生における必要と、あなたの掲げる理想とは異なります。
それが、どのようなものであれ、経験する必要があるのです。
人生には、やり直しが効きません。
人生をやり直すことは出来ないのです。
どのような経験であれ、あなたにとっての必要です。
それが、あなたにとって都合の悪い経験であったとしても、それが必要であるのならば、受け入れなければならないのです。
あなたに出来ることは、修正することです。
起こったことを必要として受け入れた上で、修正しなければならないのです。
人生はやり直せません。
どのような経験も取り消すことは出来ないのです。
人生は、上書きするしかありません。
過去の経験を取り消すことに執着(しゅうちゃく)してはなりません。
人生においては、必要な経験を受け取ることしか出来ないのです。
何一つとして、無駄や無意味なことはなかったのです。
それが、どのような経験であれ、あなたにとっての最善であったということに気が付きましょう。
人生には、取り消す必要のあることなど存在しないのです。
すべてが必要であり、最善であるのです。
あなたに出来ることは、修正することだけです。
起きてしまったことは仕方のないことです。
受け入れなければなりません。
過去を取り消すことは出来ません。
無理なこと、無意味なことに時間と労力を費やしてはならないのです。
出来ることに対して、時間と労力を費やすのが良いのです。
どのような過去も大切に扱いましょう。
どのような現状も大切に扱わなければなりません。
人生には、無駄や無意味なことは何一つありません。
すべてが大切な経験なのです。
人生をやり直そうなどと考えてはなりません。
どのような方法を用いてもやり直すことは出来ません。
最善をやり直す必要はないのです。

2020年12月23日水曜日

好意的に生きる

すべてには、大切な意味が存在しています。
すべての状況には、意図(いと)が存在するのです。
人生には、無意味なことはありません。
それが、どのような状況であろうとも、大切な意味と意図によって実現しているということを理解する必要があるのです。
それが、あなたにとってどのような状況であろうが、そこには大切な意味や意図が存在するのです。
そのことを忘れてはなりません。
目の前の状況に、大切な意味や意図が存在することを忘れてしまえば、それを都合の悪い問題だと思い、苦しんでしまうのです。
すべてには、大切な意味や意図が存在します。
それが、あなたにとって都合の悪い問題のように思えたり、苦しむことがあったとしても、そこには大切な意味や意図が存在します。
どのような状況にも、あなたにとっての大切な意味や意図が存在することに変わりはありません。
あなたにとっての大切な意味や意図が存在する状況が問題であるはずがありません。
それが苦しみであるはずがないのです。
あなたには、その状況が都合の悪い問題や苦しみであるように思えるかも知れませんが、それは決して、問題や苦しみではないのです。
あなたが自分勝手な思い込みによって、本来ならば大切にしなければならない状況を問題や苦しみとしてしまっているのです。
目の前の状況がどのようなものであったとしても、あなたはそこから学ぶ必要があります。
それがどのような状況であったとしても、あなたには学ぶことがあるのです。
あなたにとって大切な意味や意図があるから導かれるのです。
無意味や無価値なことを体験する意味や価値があるでしょうか?
人生とは、そのように非合理的なものなのでしょうか?
残念ながら、人生は合理的なものなのです。
この世界には、一切の無駄は存在しません。
無駄というものは、あなたの考え方の中に存在しているのです。
あなたが無駄に思っているだけで、無駄というものは存在しません。
目の前の状況の意味や価値を理解することが出来ないだけなのです。
その意味や価値を理解することが出来ないからといって、そこに意味や価値がないということにはならないのです。
大切なのは、人生には無駄は存在しないということを忘れないことです。
目の前の状況がどのようなものであれ、あなたはそれを好意的に捉(とら)えなければなりません。
好意的に捉えなければ、そこに存在する意味や意図を理解することは出来ないのです。
それがどのような状況であろうとも、安易(あんい)に否定してはなりません。
否定することが悪いということではありません。
そこに存在する意味や意図を理解することもなく、感情的に否定してはならないと言っているのです。
人生には、果たすべき目的が存在しています。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
無意味に生まれた訳でも、無駄に生きている訳でもないのです。
人生の目的を果たすためには、人生の意味や意図を理解する必要があるのです。
目的を果たすために生きなければ、人生は空しいのです。
目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)って生きることは空しいのです。
自分勝手に、自分の利益のために生きることも空しいのです。
人生の目的を果たすために生きなければ、満足は得られないということを理解する必要があるのです。
自分に都合良く生きたとしても、空しいということを知らなければなりません。
大切なのは、目の前の状況の意味や意図を理解するように努めることです。
好意的に向き合うことで、そこに存在する意味や意図を理解することが出来るのです。
理解するためには、多くの時間と労力が必要です。
目の前の状況の意味や意図を理解することは、誰にとっても簡単なことではありません。
しかしながら、根気強く向き合っているのであれば、そこに存在する意味や意図を理解することは可能なのです。
あなたは、それがどのように思える状況であっても好意的に向き合いましょう。
どちらにしても、向き合わなければならない課題なのです。
その状況から逃れても、逃れた先で同じ状況に陥(おちい)るのです。
人生には、避けることの出来ない学びがあるのです。
逃げ続けることは出来ないのです。
それは、人生には目的が存在するからです。
あなたは、人生の目的を考えましょう。
人生の目的を果たすための大切な状況を、問題や苦しみと考えてはなりません。
どのような状況も、あなたにとって大切な学びと成るのです。
無駄にしてはなりません。
好意的に生きましょう。

2020年12月22日火曜日

正しいことが必要とは限らない

この世界には、必要が存在しています。
この世界に実現するのは必要だけなのです。
それがどのようなものであれ、実現するのであればこの世界において必要なのです。
必要以外が実現することはありません。
残念ながら、あなたにはその必要性を理解することが出来ないかも知れません。
目の前に実現していることが必要であるとは思えないかも知れません。
多くの人は、この世界に不要が存在すると思っています。
しかしながら、どこを探しても、必要以外は見当たらないのです。
それが、どのような状況であれ、この世界にとっての必要であるということを理解しましょう。
目の前の状況が、この世界にとっての必要であるということを理解することが出来なければ、それを受け入れることが出来ないでしょう。
多くの人は、必要である目の前の状況を受け入れられずにいるのです。
それがどのような状況であれ、存在する意味と価値があるのです。
それは、あなたのためでもあるのです。
その状況が、無意味に導かれることはありません。
その状況が導かれるためには、理由が必要であるということを知らなければなりません。
理由がなければ、その状況が導かれることはないのです。
どのような状況も、意味や価値があるから導かれるのです。
無意味や無駄な状況は存在しません。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
必要として導かれた状況を、自分勝手に判断してはなりません。
あなたには、不要に思えたり、無意味や無価値に思えるような状況であったとしても、そこには何かしらの意味や価値が確実に存在しているのです。
重要なのは、それを探すことです。
人生には、必要しか実現しません。
あなたの目の前の状況を嫌い、他の状況を探し求めても、同じ必要に辿り着いてしまうのです。
必要を否定することは出来ません。
必要は、必要だから導かれたのです。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
あなたには、目の前の状況の意味や価値を理解することが出来ないだけです。
理解することが出来ないからといって、意味や価値が存在しないということではないのです。
あなたに理解することが出来なくても、そこには大切な意味と価値が存在しているのです。
あなたは、そのことを忘れてはなりません。
目の前の状況には、あなたには理解することの出来ない意味と価値が存在しているのです。
それがどのような状況であれ、意味と価値が存在していることには変わりないのです。
大切なのは、目の前の状況に対して、意味や価値を探すことです。
意味や価値を探すことを諦めてしまえば、目の前の状況は問題と成り、あなたを苦しめてしまうのです。
あなたは、自分にとっての必要な状況によって苦しんではなりません。
目の前の状況は、あなたを苦しめるために導かれるのではないのです。
目の前の状況は、あなたを成長させるために導かれるのです。
あなたは、必要によって成長を実現させることが出来るのです。
必要を受け入れることが出来なければ、成長を実現することは出来ません。
それは、成長を実現するための必要なのです。
あなたは、必要を受け入れなければなりません。
そして、成長を実現しなければならないのです。
残念ながら、あなたにとっての必要が、あなたにとって都合の良いものとは限りません。
あなたにとっての必要が、あなたにとって都合の悪いものであるということも多いのです。
残念ながら、あなたには、必要を理解する力がありません。
あなたは、必要の意味や価値を理解することが出来ないのです。
それは、あなたが自分の都合で物事を考えているからです。
残念ながら、あなたにとっての必要と、あなたにとっての理想は異なります。
あなたにとっての必要は、あなたにとって苦しいことが多いのです。
それは、苦しみによって成長を実現することが出来るからです。
苦しみは、あなたに多くの気付きを与えます。
人は、苦しみから多くを学ぶのです。
そのため、あなたは苦しまなければなりません。
あなたが苦しみを得るためには、自分にとって都合の悪い状況を受け入れる他ないのです。
損得勘定で生きていれば、必要を受け入れることは出来ません。
それは、必要というものがあなたにとって都合の悪いものだからです。
必ずしも、自分にとって都合の良いことや、正しいことが必要ということではありません。
この世界は、正しいことのみを求めている訳では無いのです。
必要というものは、必ずしも正しい訳ではありません。
正しいことが正解であるとは限りません。
正しくないと思えることも必要なのです。
あなたは、正しく思えないことも大切にしましょう。

2020年12月21日月曜日

悩みは尽きない

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
無意味な人生を生きることの出来る人はいません。
人生に目的が存在しないと思ってはなりません。
生きることを無意味だと考えてはならないのです。
因果の仕組みの存在するこの世界では、人生を始めるためには、その原因となる理由が必要なのです。
人生の理由とは、人生の目的のことなのです。
どのような人のどのような人生にも、果たすべき目的が存在するのです。
あなたは、そのことを理解しなければならないのです。
人生に目的が存在しないと思ってしまうと、目の前の状況に対して意味を追求することを諦めてしまうでしょう。
どのような状況にも大切な意味があり、それを理解して受け入れることによって成長を実現することが出来るのです。
成長を実現することがなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生には果たすべき目的が存在することを理解し、目の前の状況に対して意味を追求することがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすために生きることがなければ、人生には空しさが実現してしまうのです。
空しさとは、無意味に思う気持ちです。
無意味に思うことは、空しさを引き起こすのです。
残念ながら、多くの人は、空しさを抱えています。
多くの人は、目の前の状況を無意味に思っています。
人生は、決して思い通りにはなりません。
あなたは、思い通りに生きることは出来ないのです。
すべての人は、理想を追い求めていますが、理想が実現することはありません。
人生には、多くの問題が実現してしまうのです。
人生には、悩みが尽きません。
すべての人は、悩みを抱えているのです。
どのように幸せそうに見える人も、あなたと同じように悩みを抱えているのです。
この世界において、悩みを抱えることなく生きられる人はいません。
すべての人が、何かに対して思い悩んでいるのです。
何かがある時には、何かがあることに悩みます。
また、何もない時には、何もないことに悩むのです。
多くの人は、どちらにしても悩んでしまうのです。
それは、意味を追求することがないからです。
意味を追求することがないから悩むのです。
その状況に潜在する意味を追求すれば、悩みという状態は解消されるのです。
そこに意味や価値を見出すことが出来れば、悩みではなくなるのです。
苦しく生きることは問題ではありません。
しかしながら、空しく生きてはならないのです。
どのような状況にも意味や価値が存在するということを理解し、それを自分なりに追求しなければなりません。
どのような形でも、意味や価値を見出す必要があるのです。
悩みを放置してはならないのです。
あなたは悩みと向き合い、目の前の状況の意味と価値を追求しなければなりません。
そのために、悩みを抱えるのです。
そこに何かしらの意味や価値を見出すことによって悩みを解決しましょう。
意味を見出すことが出来れば、悩みは消えるのです。
目の前の状況を無意味なものにしてはなりません。
今のあなたには、理解することが出来ない意味や価値が存在するのです。
目の前の状況の意味や価値は、成長すれば分かることなのです。
追求すれば、そこに意味や価値を見出すことが出来るのです。
あなたは、意味や価値を探しましょう。
探せば見付かります。
探し当てた意味や価値が間違っていたとしても、そこから新たに探せば良いのです。
探すことに意味があるのです。
一歩でも、真(まこと)へと近付く必要があるのです。
真から遠い程に悩みます。
多くの人に悩みが尽きないのは、真から遠いからです。
真に近付くと、悩みも消えるのです。
多くの人には、悩みが尽きません。
多くの人は、目の前の状況に思い悩み、人生を空しく生きているのです。
思い通りにならない状況にも、大切な意味と価値が存在します。
深く、広く探さなければ、目の前の状況の意味と価値を見出すことは出来ません。
目の前の状況の意味と価値を見出すことが容易(ようい)ではないのは、多くの人が悩みを抱えていることからも明らかです。
悩みを抱えない人はいません。
どのような人も悩んでいるのです。
どのような悩みも簡単には解決しませんが、あなたはその意味や価値を少しずつでも追求しましょう。
悩みには、大切な意味や価値があるのです。
悩みを否定してはなりません。
あなたは、悩むことで真に近付くことが出来るのです。
悩みを抱えてることに悩んではなりません。
悩みにも意味や価値があるということを覚えておきましょう。

2020年12月20日日曜日

非常識

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由です。
あなたは、無意味に生まれた訳ではありません。
あなたには、果たすべき目的が存在しているのです。
残念ながら、あなたの果たすべき目的は、容易(ようい)に理解することは出来ません。
誰にとっても、人生の目的は理解することの難しいものなのです。
人生の目的を理解するためには、人生を全(まっと)うしなければなりません。
人生の目的を知るのは、人生を終えた後であるということを知らなければならないのです。
後に振り返ってみて、意味が分かるのです。
振り返ってみるまでは、意味は分からないのです。
大切なのは、とにかく進むことです。
先へと進まなければ、振り返ることが出来ないのです。
人生の目的を考えることは大切ですが、人生の目的を考えるために立ち止まってはならないのです。
考えたところで、人生の目的を知ることは出来ません。
それは、考えを巡らせるだけでは、本質を得ることは出来ないからです。
体験を通じて、あなたは本質へと近付くことが出来るのです。
新たに体験しなければ、同じ考えを堂々巡(どうどうめぐ)りするだけなのです。
新たな体験は、新たな考えをもたらすのです。
あなたは、新たな体験によって、思考を進めることが出来るのです。
ただ、考えを巡らせるだけではなりません。
それでは、考えが腐ってしまうのです。
考えが腐ってしまうと、世界観を広げることが出来ません。
多くの人は、小さな世界観を生きているのです。
多くの人は、思考を進めることが出来ません。
多くの人は、人生に疑問を抱くことなく受け入れているのです。
しかしながら、人生には奇妙なことが多いのです。
あなたが当たり前として受け入れている常識は、理(ことわり)ではありません。
常識というものは必ず 覆(くつがえ)ります。
それは、常識とは、思考が互いに安心するための共通認識であるからです。
常識によって、人は互(たが)いに安心を提供(ていきょう)し合っているのです。
常識とは、思考の作り上げる小さな世界観です。
常識は、安心することの出来る大切な場所ですが、いつまでもそこにとどまっておくことは出来ません。
それは、心が淀(よど)んでしまうからです。
それでは、不平不満や不安などの破滅的な感情が生じ、絶望感に浸(ひた)ってしまうのです。
常識にとどまるためには、人に迷惑を掛けないように生きなければなりません。
それは、良いことですが、悪いことでもあります。
なぜなら、常識から抜け出さなければ、自らの使命を果たすことが出来ないからです。
もちろん、使命とは、人に迷惑を掛けるようなものではありません。
それぞれの使命は、人の役に立つものなのです。
常識の中で活動しても、人の役に立っているように思えます。
しかしながら、それは一時的なものに過ぎません。
いつまでも同じ方法では役立てないのです。
人生には、常識では、解決することの出来ない問題が生じてしまうのです。
問題を解決するためには、理を探す必要があります。
理によって、問題を解決することが出来るのです。
理とは、この世の本質ですが、常識の中から見ると非常識なものに映ります。
常識を重んじる人にとって、それは受け入れることが難しい価値観なのです。
しかしながら、いつまでも常識に従って生きていると、問題が大きくなってしまうのです。
常識によって生じた問題を解決するためには、非常識を用いなければなりません。
理こそが、問題を解決する唯一(ゆいいつ)の方法なのです。
理は、非常識の先に存在しています。
問題を解決するためには、非常識を受け入れなければならないのです。
新たな体験が、あなたを常識から追い出します。
新たな体験によって、常識は同じ状態を保っておくことが出来ないのです。
新たな体験を受け入れることによって、道は自ずと開かれます。
道を進めば、世界観は広がり、問題は解決するのです。
しかしながら、道は思い通りには開かないということを理解しましょう。
思い通りにしたいという常識を手放しましょう。
思い通りにならないのが人生です。
しかしながら、必要は満たされます。
人生は、必要に満たされていれば良いのです。
必要とは、受け入れ難いものであるかも知れません。
それは、あなたにとっては非常識なものであるからです。
しかしながら、必要に従わなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
常識を大切にするのも良いですが、それでは人生は空しいということを覚えておきましょう。
人生の目的を果たすための必要とは、非常識であるということを理解しなければなりません。
人生の目的は、それぞれに異なっているのが自然です。
それを果たそうとすれば、非常識を受け入れなければならないのは自然なのです。
新たな体験が、常識を壊します。
人生を豊かなものにするために、常識を壊しましょう。
小さな世界観である常識を壊して、非常識という大きな世界観を得るのです。
非常識こそが、人生の目的を果たすでしょう。

2020年12月19日土曜日

内の成功

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことが、人生を生きる理由であると知らなければなりません。
しかしながら、多くの人は、人生の目的を果たすことが自身の生きる理由であるということを知りません。
多くの人は、人生に目的が備わっているということを知らないのです。
人生に目的が備わっているということを知らないから、外に目的となるものを探しているのです。
人生の目的は、人生を始める前に決めてあるものです。
因果の仕組みの存在するこの世界において、何かしらの結果を実現するためには、それに相応(ふさわ)しい原因が必要なのです。
人生とは、一つの結果です。
人生という結果を実現するためには、人生の目的という原因が必要なのです。
人生の目的が存在しなければ、人生は存在しません。
人生の目的が存在しなければ、人生を始めることは出来ないのです。
そのため、すべての人生に目的が存在しています。
目的のない人生など存在しないのです。
あなたがどのような人物であり、どのような人生を生きていようとも、果たすべき目的が存在するということを忘れてはならないのです。
人生には、果たすべき目的が存在しています。
あなたはそれを果たすために生まれたのです。
それ以外の目的はありません。
多くの人が思い描く人生の幸福は、残念ながら、人生の目的ではありません。
多くの人は、外に成功を見出しているのです。
多くの人は、多くの富を得て、快楽や欲望を貪(むさぼ)ることが、幸福だと思い込んでいるのです。
残念ながら、誰もがそのような目的のために生まれた訳ではありません。
中には、そのような目的のために生まれた者もあるでしょうが、多くの人の目的は、外を豊かにすることではないのです。
多くの人の目的は、外ではなく内に存在しています。
内の豊かさこそが、人生の目的を果たすためには必要なことなのです。
人生の目的を果たすためには、内の豊かさに気を配らなければなりません。
外がどれだけ豊かでも、内が乏しければ、結局は空しさを得るのです。
人生の目的を果たすことで空しさを得ることはありません。
人生の目的と掛け離れているから、空しいのです。
満足は、外には存在しないのです。
満足をどれだけ外に探しても見付かりません。
満足は、内に存在しているのです。
あなたは、そのことに気が付かなければなりません。
内に存在する満足を外に探してはならないのです。
快楽や欲望を満たしても、空しさが消えることはありません。
寧(むし)ろ、快楽や欲望を満たす程に、空しさは増していくのです。
外を充実させる程に、内は空しくなっていきます。
あなたは、内を充実させなければならないのです。
内を充実させるためには、魂を満たさなければなりません。
快楽や欲望を貪っても、魂が満たされることはありません。
あなたはそのことに薄々は気が付いているはずです。
快楽や欲望を貪っても満たされることはなく、いつも空しさを感じているはずです。
魂を満たさなければ、空しさが消えることはないのです。
あなたは、いつまでも空しく生きてはなりません。
魂が喜ぶ生き方をしなければならないのです。
富や快楽や欲望を貪るような生き方は、魂の喜ぶ生き方ではありません。
魂にとっては、富や快楽や欲望というものには価値がないのです。
魂は、人生の目的を果たすことを喜びます。
人生の目的を果たすためには、宿命に従(したが)って生きることです。
宿命とは、避けることの出来ない現実のことです。
すべての人は、避けることの出来ない現実と向き合わなければなりません。
人生には、どうしても、避けては通れないことがあるのです。
魂は、宿命を喜びます。
それは、宿命が人生の目的へと導くからです。
しかしながら、多くの人は、宿命を嫌います。
それは、宿命というものが苦しみであるからです。
外を充実させようと努めている人にとって、宿命という苦しみを受け取ることは難しいのです。
外を充実させようと努めている人は、利益を得ようとしているからです。
苦しみを受けることは利益を得ることではありません。
それは、外の視点では損をすることなのです。
魂の視点で見ると、苦しみを受けることが利益です。
魂は、苦しみの存在しない人生に価値を見出すことはないのです。
魂は、あなたを苦しみに誘(いざな)います。
それは、内を成功させるためです。
苦しみを受け入れ、それを克服(こくふく)することが出来た者だけが、内を成功させることが出来るのです。
あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、魂の欲求に従いましょう。
苦しみは、人生を劇的にします。
苦しみがなければ、人生は詰(つ)まらないものなのです。
苦しみには、挑戦する価値があるということを覚えておきましょう。
魂と共に生きましょう。

2020年12月18日金曜日

知らないことは、知らなければならない

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
すべての人は、無知を生きているのです。
それは、人生には果たすべき目的が存在するからです。
人生に目的が存在するのは、あなたが無知であり、未熟であるからです。
あなたが未熟でなければ、人生に目的は存在しないのです。
あなたには、人生において学ぶべきことがたくさんあるのです。
人生における学びは、あなたの考えているようなものとは異なります。
人生の学びは、あなたの考えているよりも深いものなのです。
多くの人は、人生を幸せに生きることが最善だと考えています。
多くの人は、人生に幸せを実現するために努力しているのです。
しかしながら、人生において幸せが最善であるとは限りません。
もしも、幸せが最善であるのならば、あなたは常に幸せを感じているはずだからです。
人生には、最善が実現します。
最善以外のものが導かれることはないのです。
あなたの目の前に導かれているものは、それがどのようなものであれ最善です。
あなたは、目の前の現実が最善であるということを理解しなければなりません。
現実が理想とは異なり、受け入れ難いものであったとしても、導かれているものは最善に他ならないのです。
あなたの理想が最善である根拠はありません。
残念ながら、あなたは未熟に生まれるのです。
あなたは、何も知らないのです。
人生が何か?ということすら知りません。
自分とは何か?ということは、見当も付かないのです。
多くの人は、人生について考えません。
多くの人は、人生が何か?分からないのです。
そして、多くの人は、自分についても考えることをしません。
多くの人は、自分が何か?分からないのです。
あなたは何も知りません。
何も知らないのに、物事を判断しているのです。
あなたの追い求める幸せは、幸せとは限りません。
あなたの拒絶する不幸が不幸であるとも限らないのです。
なぜなら、あなたは何も知らないからです。
人生は何で、自分が何か?知らないのです。
何も知らないのに、どうやって判断しているのでしょうか?
あなたの判断は間違っています。
あなたは誤解を抱えながら生きているのです。
あなたが追い求めたり、手にしている幸せは、真(まこと)の幸せとは限りません。
あなたは幸せだと思いながらも追い求めたり、手にしている幸せは、不幸であるかも知れないのです。
不幸を幸せと取り違えている可能性があるのです。
残念ながら、多くの人は、不幸と幸せを取り違えています。
多くの人は、不幸を幸せと思い込んでいるのです。
しかしながら、そのことには気が付きません。
人生に対して、幸せを追い求めることは不幸です。
なぜなら、幸せという理想を追い求めることによって、目の前の現実を否定するからです。
あなたの目の前には、最善が導かれています。
目の前の現実を否定するということは、最善を否定するということだからです。
目の前の現実こそが最善の学びです。
目の前の現実を受け入れることが出来なければ不幸なのです。
しかしながら、多くの人にはそのことが分かりません。
多くの人は、理想が実現したり、幸せと思うものを手に入れることが最善だと思い込んでいるのです。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいます。
残念ながら、何も知らないあなたが、正しいということは有り得ません。
正しいのは、すべてを知っている人生の方なのです。
人生は、あなたの果たすべき目的を知っています。
人生は、あなたが生まれた理由を知っているのです。
人生よりも、あなたの方が知っているということは有り得ません。
何も知らないあなたは、謙虚(けんきょ)に学ばなければならないのです。
何も知らないのに、学びを受け入れない態度ではなりません。
そのように、傲慢(ごうまん)に生きてはならないのです。
何も知らないのだから、学ばなければならないのです。
あなたは、教えられる立場であるということを知りましょう。
何かを知っているなどと考えてはなりません。
そのように思い込んではならないのです。
何も知らないあなたは、人生における様々な経験を通じて何かを知ることが出来ます。
人生は、人生は様々な経験を通じて、あなたに最善を教えるのです。
知らないことは、知らなければなりません。
経験したことのないことは、経験しなければならないのです。
あなたは、知らずにいることは出来ません。
知らずに生きることは、人生の目的ではないのです。
知らなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、知らなければなりません。
知るためには、様々な経験を受け入れなければならないのです。
経験を選(え)り好みしていてはならないのです。
幸せだけを追い求めるような生き方では、理解を深めることは出来ません。
幸も不幸も受け入れなければ、必要な学びを得ることは出来ないのです。
幸せから学べることは、不幸からは学べません。
不幸から学べることは、幸せからは学べないのです。
理解を深めるためには、幸せと不幸の区別なく学ばなければなりません。
学ばなければ、理解が深まることはないのです。
理解を深めることは大切です。
なぜなら、理解が深まらなければ、人生や自分を知ることが出来ないからです。
人生や自分を知らなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生は、あなたに必要な学びを導きます。
人生は、あなたに目的を果たさせようとしているのです。
それは、あなたのためを思ってのことなのです。
人生は、あなたのために最善を導きます。
人生における様々な問題や苦しみも、あなたにとっての最善です。
最善だから導かれたのです。
必要の無いものは、導く必要がないのです。
意味の無いことを実現しても、意味が無いのです。
そのため、人生には意味のあることが実現するのです。
大切なのは、その意味を理解することです。
苦しみには意味が無いと考えるのは浅はかです。
なぜなら、苦しみにこそ意味があるからです。
甘やかされて育った子どもは、自分勝手で我が儘(まま)です。
それは、甘やかされて育ったから、思い通りにしようとするのです。
残念ながら、甘やかされて育った子どもは悲惨(ひさん)です。
なぜなら、人生は思い通りにはならないからです。
優しさや穏やかさだけでは、人は磨かれません。
人が磨かれるためには、厳(きび)しさが必要なのです。
人生が幸せで満ち溢れていると、人は自分勝手で我が儘に育ってしまうのです。
苦しみは、あなたを磨くために導かれるのです。
自分勝手で我が儘に育った人間が、本当に幸せなのか?ということを考えましょう。

2020年12月17日木曜日

恵まれているのだから与えよ

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
どのような理由があれ、人生の目的は果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことが、あなたがこの人生に生まれた理由だからです。
すべての人生に目的があります。
それは、すべての人生に意味があり、価値があるということです。
あなたは、自らの人生には意味があり、価値があるということを知らなければなりません。
しかしながら、自らの人生に対して、意味や価値を見失っている人は多いのです。
多くの人は、自らの人生の意味や価値を知りません。
多くの人は、人生に意味や価値を見出せないままに生きているのです。
それは、人生の目的というものが、あなたの頭や心では理解することが出来ないものだからです。
人生の目的は、あなたの頭や心で理解することが出来る程、容易(たやす)いものではないのです。
人生の目的は、とても“深い”ので、あなたの頭や心では理解することが出来ないのです。
人生の目的を理解することが出来なければ、人生の意味や価値を知ることは出来ません。
多くの人が、人生の意味や価値を理解することがないのは、頭や心で考えているからです。
頭や心といった表面的な意識では、物事の本質を捉(とら)えることは出来ないのです。
頭や心で懸命に考えても、分からないことの方が多いのです。
あなたは、知らないことの方が多いのです。
それは、普段から頭や心で生きているからです。
頭や心は何も知りません。
何も知らないから、不平不満を吐き、不安や心配に陥(おちい)るのです。
多くの人は、不平不満を吐きます。
多くの人は、不安や心配を抱えているのです。
それは、普段から頭や心を主体として生きていることによって、人生における意味や価値を理解することが出来ないからです。
頭や心では、損得を勘定(かんじょう)するのが精一杯です。
多くの人は、損得勘定に従(したが)って生きているのです。
頭や心で生きていれば、どうしても損得勘定に従わなければなりません。
それは、頭や心というものは、肉体や精神や生命の維持を目的としているからです。
あなたは、肉体や精神や生命の維持を目的として生まれた訳ではありません。
肉体や精神や生命の維持は重要な仕事に違いありませんが、人生というものは、より“深い”目的を以て存在しているのです。
頭や心に従っているのであれば、肉体や精神や生命の維持のために、人生を費やしてしまうのです。
多くの人が、目の前の快楽や欲望、責任や理想を追い求めるのは、頭や心で生きているからです。
あなたは、目の前の快楽や欲望、責任や理想を追い求めるために生まれたと思いますか?
そのようなことのために生まれたと思うのですか?
あなたは、自分のために生まれたのではありません。
あなたの命は、自分以外の存在のために使わなければなりません。
自分のために生まれるなどという詰(つ)まらない理由で生まれる人などいないのです。
あなたは、詰まらない理由で生きてはなりません。
自分のために生きても、空しいだけなのです。
自分のために生きても、豊かさを実現することは出来ません。
頭や心に従っているのであれば、あなたは自分のために空しく生きることに成るでしょう。
あなたは、自分のために空しく生きてはなりません。
人生に豊かさを得るためには、与えなければなりません。
与えることによって、初めて豊かさが得られるのです。
与えなければ得ることは出来ません。
受け取るだけでは、差し出さなければならないのです。
多くの人は、損得勘定に従って、受け取ることに熱心です。
損得勘定に従っている多くの人は、与えることを嫌います。
それは、手元から財産が失われるからです。
多くの人は、欲深いのです。
それは、人生の意味や価値を知らないからです。
人生の目的を知らないから、欲深くいられるのです。
残念ながら、利己的に生きても良いことはありません。
なぜなら、この世界には因果の仕組みが存在しているからです。
欲深く、利己的に手に入れることで豊かさを得られるなどと考えてはなりません。
そのような因果は存在しないのです。
あなたが豊かさを得るためには、与えなければなりません。
与えることで得られるのです。
因果とは、そのように働くのです。
与えなければ得られません。
世の中には、与えもせずに得ようとする強盗のような者が多いのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、与えなければなりません。
あなたは恵まれているのだから、与えれば良いのです。
あなたは、自分が恵まれていることを理解しましょう。
あなたは、それでも恵まれているのです。
恵まれていることを知らずに、不平不満を吐いたり、不安や心配を抱えるのです。
あなたは、自らが恵まれていることを理解しましょう。
恵まれているのだから与えましょう。
世の中には、恵まれているにもかかわらず、更に得ようとする強欲な者が多いのです。
あなたは、与えられる程に受け取っています。
そのことを理解しましょう。
心の乏しい者は、自らが恵まれていることを知らないのです。
それは、空しいことなのです。

2020年12月16日水曜日

必要な道

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を無視して生きることの出来る人はいません。
すべての人が、人生の目的と向き合って生きなければならないのです。
あなたには、人生の目的を果たすために相応(ふさわ)しい役割が与えられています。
人生の目的を果たすために相応しい役割を果たすことによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
人生の目的を果たすためには、それに相応しい役割を果たさなければなりません。
残念ながら、人生の目的も、それに相応しい役割も、あなたの理想とは異なる形をしています。
それは、人生の目的というものをあなた独りで決めた訳ではないからです。
あなたは、自分勝手に人生を生きている訳ではありません。
自分勝手に、人生に生まれることが出来た訳でもないのです。
あなたは、人生の目的を自分独りで決めた訳ではないということを知らなければなりません。
あなた独りでは、解決すべき課題が分からないのです。
そのため、あなたよりも優れた存在が、あなたと共に人生の目的を決めたのです。
あなたは、人生の目的やその役割が、自分にとって思い通りにならないことや苦しいために否定します。
そして、目の前の快楽や欲望、責任や理想を追い求めるような生き方をしてしまうのです。
残念ながら、人生を好き勝手に生きることは、人生を乏しくしてしまうのです。
人生の目的を無視し、目の前の快楽や欲望、責任や理想を追い求めるような生き方を続けるのであれば、空しさに至(いた)るということを覚えておきましょう。
人生の目的は、あなたに思い付くような詰(つ)まらないものではありません。
人生の目的は、あなたが理解することが出来るような容易(たやす)いものでもないのです。
あなたには、人生の目的は思い付きません。
そのため、人生における必要を受け入れることは難しいのです。
人生の目的を果たすためには、必要を受け入れなければなりません。
必要を受け入れることが出来なければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、必要を受け入れなければなりません。
人生における必要とは、避けることの出来ない宿命のことです。
人生にはどうすることも出来ないことがあるのです。
どうしても避けられないことがあるのです。
どうすることも出来ないことは、あなたにとっての必要です。
どうすることも出来ないことは、どうもせずに受け入れなければなりません。
否定したところで、それを回避することは出来ません。
どうすることも出来ないことは、受け入れる以外に方法はないのです。
どうすることも出来ないことを受け入れると、そこに必要な道があるということに気が付きます。
その道は、あなたの理想の道ではありません。
残念ながら、あなたはその道を進みたいとは思わないでしょう。
しかしながら、あなたにはその道しかないのです。
進みたくなくても、進まなければなりません。
やりたくなくても、やらなければなりません。
受け入れたくなくても、受け入れなければならないのです。
あなたが進むべき道は必要な道です。
それは、理想の道ではないのです。
必要な道は、あなたにとって難しいということを理解しましょう。
簡単な道を進むことでは、必要を満たすことは出来ません。
人生の目的を果たすための道は、誰にとっても難しいということを覚えておかなければなりません。
どのような人物も、問題を抱えます。
どのような人物にも、悩みがあります。
どのような人物も、苦しみます。
どのような人生も、難しいのです。
簡単な人生などありません。
どのような人物の、どのような人生も、その目的を果たそうとすれば難しいということを理解しましょう。
しかしながら、人生の目的を無視して生きることが簡単であるという訳ではありません。
人生の目的を無視して生きる人生は難しくはありませんが、そのような人生はどうしても空しいのです。
人生の目的を果たすことがなければ、人生は空しいのです。
空しい人生というものは、何よりも辛いことなのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
避けることの出来ない必要な道を進みましょう。
人生は、思い通りでなくても良いのです。
人生は、思い通りに生きなくても良いということを理解しなければなりません。
どうすることも出来ないことは、どうもせずに受け入れましょう。
いつまでも、理想の道に執着(しゅうちゃく)せずに、必要な道を進みましょう。
理想の先に満足はありません。
必要の先にこそ満足があるのです。

2020年12月15日火曜日

帳尻は合う

この世界には、因果の仕組みが存在しています。
因果の仕組みとは、すべての結果には、それに相応(ふさわ)しい原因が存在し、すべての原因は、それに相応しい結果を実現するというものです。
因果の仕組みは、すべての事象に当てはまります。
この世に存在する一切(いっさい)が、因果の仕組みの中に存在しているのです。
因果は必ず実現します。
因果を避けることの出来るものは存在しないということを覚えておかなければなりません。
原因は、必ず結果として実現します。
それが、どのような原因であったとしても、何等かの形で必ず実現するのです。
大切なのは、帳尻(ちょうじり)は必ず合うと理解することです。
どのような因果も、必ず実現するのです。
因果の仕組みを無視することの出来る人はいません。
どのような人物であっても、この世の理(ことわり)を退(しりぞ)けることは出来ないのです。
あなたは、帳尻が必ず合うことを理解しましょう。
因果の仕組みは、公平(こうへい)に人を裁(さば)くのです。
原因もなく何かを得たり、失ったりすることはありません。
何かを得たり、失ったりする時には、それに相応しい原因が存在するのです。
原因もなく、結果を実現することは出来ません。
どのような結果が実現しようとも、それが最善であると理解しましょう。
その結果以上のことは、実現することが出来ません。
なぜなら、それが最善だからです。
どのような状況も、それが最善であると理解しましょう。
あなたには、目の前の状況から学ぶべきことがあるのです。
学ぶことがあるから、目の前に実現するのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
世の中には、運が良いように見える人がいます。
そのような人は、因果の仕組みを無視しているように見えるでしょう。
しかしながら、特別な人物というのは存在しません。
すべての人が、因果の仕組みに従わなければならないのです。
大切なのは、因果は確実に実現するということです。
悪事(あくじ)を働いたら、罰を受けなければなりません。
悪事を働いたのに、罰を受けずに済むことは有り得ないのです。
罰を受けない人がいるように思えるかも知れませんが、必ず罰は導かれるのです。
それは、最も重要なタイミングで導かれるのです。
帳尻は、必ず合うようになっているのです。
因果の仕組みが、人の行為を見逃すはずがありません。
すべての人の行為は、因果の仕組みによって確実に処理されるということを忘れてはなりません。
帳尻は必ず合うのだから、あなたは心配せずに善行を積みましょう。
誰かや何かのために与えることは、決して損をする行為ではありません。
その時には、損をしたように見えますが、因果の仕組みによって必ず喜びが返るのです。
善行を積んで損をすることは有り得ません。
帳尻が合うことを知らずに、欲に目が眩(くら)んで悪行を積んではなりません。
人が見ていなくても、因果の仕組みは確実に見ています。
因果は避けられないのです。
人は、自らの行為に相応(ふさわ)しい人生を得ます。
目の前の損得に拘(こだわ)ってはなりません。
今に得をすれば、後に損をします。
今に損をすれば、後に得をするでしょう。
どう生きるか?は、あなた次第です。
どう生きても構いません。
どのような結果を得ても、そこには重要な学びがあります。
決して悪いようにはなりません。
どのような結果からも、あなたは成長のヒントを得ることが出来るのです。
あなたには、果たさなければならない人生の目的が存在します。
人生の目的を果たすためには、成長を実現する必要があるのです。
因果の仕組みは、あなたが人生の目的を果たすことが出来るように助けているのです。
因果の仕組みは、あなたの成長を促(うなが)しているのです。
罰を与えられたからといって、因果の仕組み(人生)を恨(うら)んではなりません。
思い通りにならず、悔しくて、苦しくても、決して恨んではなりません。
人生には、今のあなたには理解することの出来ない学びがあるのです。
しかしながら、後のあなたには理解することが出来るのです。
だから、安心して学びましょう。
安心して、善行を積むのです。
人生のことは、因果の仕組みに任せましょう。

2020年12月14日月曜日

衝突

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれる理由です。
どのような人物も、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を無視して生きることは、人生の豊かさを無視して生きるということでもあるのです。
人生の豊かさを無視して生きるのであれば、人生は乏しさを得てしまうのです。
多くの人が、人生に乏しさを感じているのは、人生の目的を無視して生きているからです。
残念ながら、人生の目的を考えている人は少ないのです。
多くの人が、目の前の快楽や欲望、責任や富、悩みや苦しみのことを考えているのです。
人生の目的を考えて生きている人は少ないということを理解しなければなりません。
多くの人は、人生の目的を考えずに、時間や労力を浪費しているのです。
大切なのは、人生の目的を考えることです。
あなたには、果たすべき人生の目的が存在するのです。
人生の目的を果たすためには、それに相応(ふさわ)しい役割を果たす必要があります。
役割を果たすことによって、目的を果たすことが出来るのです。
役割は、それぞれの目的に従って異なります。
人生に誰かと同じ目的を以て生まれる人はいません。
誰も、他者と同じ目的のために生まれることは出来ないのです。
あなたには、あなただけの目的が存在するのです。
それは、あなただけの役割が存在することを意味しています。
あなたは、あなただけの役割を果たさなければならないのです。
必要は、それぞれに異なります。
あなたにとっての必要は、他者にとっての必要とは異なります。
そのため、互いに理解を深めることは難しいのです。
残念ながら、他者にとっての必要や役割や人生の目的を理解することは出来ません。
それは、あなたにとっての必要や役割や人生の目的とは異なっているからです。
あなたは、他者を理解することは出来ません。
他者も、あなたを理解することは出来ないのです。
互いの理解を深めることは難しいということを覚えておきましょう。
これは、あなたの人生です。
あなたは、自らの人生において、受け入れるべき必要があります。
そして、果たすべき役割があるのです。
あなたは、それを追求しなければなりません。
誰かに頼っても、あなたの代わりに必要を受け入れ、役割を果たしてはくれません。
あなたが自分自身で必要を受け入れ、役割を果たさなければならないのです。
誰にも理解されなくても、必要を受け入れ、役割を果たさなければならないのです。
あなたにとっての必要とは、避けることの出来ない現実です。
あなたは、現実を受け入れることで、役割を果たすことが出来るのです。
残念ながら、現実は理想とは異なります。
多くの場合、現実とは受け入れ難いものなのです。
しかしながら、現実を受け入れることがなければ、必要を受け入れることは出来ないのです。
都合の悪いことを受け入れる必要があるのです。
自分にとって都合の良いことばかりを受け入れることは、自分勝手に生きることになります。
それでは、必要を受け入れることも、役割を果たすことも出来ないのです。
自分勝手に歩もうとすれば、他者と衝突してしまうのです。
自分の進むべき道を進まないから衝突してしまうのです。
それでは、目的地へと辿り着くことは難しいのです。
それぞれが、それぞれの必要と役割を受け入れることで、それぞれの道を進むことが出来ます。
それぞれがそれぞれの道を進めば、他者と衝突することはないのです。
他者と衝突することがなければ、目的地へと辿り着くことが出来るでしょう。
あなたは、自らにとっての必要と、自らの役割を受け入れましょう。
残念ながら、誰も理解してはくれません。
理解を求めても無駄なのです。
他者からの理解を得られなくても、あなたは必要を受け入れ、役割を果たしましょう。
人生の目的を果たすためには、独りで歩み始め、歩み続けなければならないのです。
誰かと共に歩んでいるように見えても、道はそれぞれに異なっています。
あなたは、誰かと隣り合って歩むことは出来ますが、同じ道を歩むことは出来ないのです。
同じように見えて、同じでないことを理解しましょう。
他者と自分の人生を混同してはなりません。
人は、それぞれの目的を以て生まれたのです。
それがこの世界において必要であったということを受け入れなければなりません。


2020年12月13日日曜日

重荷

すべての人は、成長を実現しなければなりません。
すべての人は、成長を実現するために生まれるのです。
すべての人には、人生に果たすべき目的が与えられているのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人生の目的を果たすためには、成長を実現しなければならないからです。
成長を実現することがなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすためには、成長を実現しなければならないのです。
成長とは、本質へと近付くことです。
それは、小さく成ることなのです。
肥大(ひだい)することや、複雑さを増すことが成長ではないのです。
成長とは、余計を削り落とし、純粋(じゅんすい)に近付くということだからです。
多くの人の考えるように、増長することが成長ではありません。
余計なものを取り除くことが求められているのです。
成長とは、より良く成ることだと理解しなければなりません。
本質へと近付くことが良いのです。
混じり気の無い、純粋な状態こそが本質なのです。
純粋な状態を得るためには、余計を手放さなければなりません。
余計な装飾(そうしょく)はすべて取り除くべきなのです。
残念ながら、多くの人は自分を知りません。
本来の自分が、様々な装飾によって隠れてしまっているのです。
隠されていては、本来の自分の力を発揮することは出来ません。
本来の自分の力を発揮することが出来なければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことが出来なければ、人生は空しいのです。
大切なのは、本来の自分の力を発揮することです。
本来の自分の力を発揮することによって、人生は豊かさを実現するのです。
残念ながら、あなたは真(まこと)の豊かさを知りません。
それは、本来の自分が覆(おお)い隠されているからです。
本来の自分と共に、人生の豊かさも覆い隠されているのです。
あなたが幸せと思っているものは、残念ながら幸せではありません。
あなたが不幸だと思っているものも、残念ながら不幸ではないのです。
様々な装飾によって、真が隠されているのです。
あなたは、誤解を抱えているということを理解しましょう。
残念ながら、あなたは偽りを喜んでいるのです。
そして、偽りに悲しんでいるのです。
余計を手放さなければ、真の幸せや不幸を理解することは出来ないのです。
すべての人は、余計な欲求を抱えています。
多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)るように生きているのです。
それは、人生の目的を果たすための道ではありませんが、多くの余計を抱えているために、その道が正しいと信じてしまうのです。
成長し、余計を手放せば、目の前の快楽や欲望を貪る気持ちが弱まります。
成長すれば、純粋な目的のために生きるようになるのです。
成長すれば、人生の目的を果たすために生きることが出来るようになるのです。
成長することがなければ、目の前の快楽や欲望を貪るように生きなければならないのです。
それは、苦しく空しい道なのです。
あなたは、苦しく空しい人生を生きてはなりません。
自分を磨くように努めましょう。
増やしていくことを善としてはなりません。
減らしていくことが自然なのです。
歳を重ねると、様々な欲求が減っていくのが自然です。
あなたは、余計を手放さなければなりません。
手放すことを恐れてはなりません。
小さく成ることを恐れてはならないのです。
余計を抱えたままでは、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
あなたは、何も持たずに歩みましょう。
必要なものは、道の途中で得られます。
旅路を心配して、あれこれと抱えてはなりません。
人生は、手ぶらで歩めば良いのです。
身軽でありましょう。
重荷を引き摺(ず)ってはなりません。
それでは、疲れてしまうのです。
あなたは荷物を減らしましょう。
小さく生きましょう。